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中日ドラゴンズ 歴代助っ人外国人①(2000~24年)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Chunichi Dragons
中日ドラゴンズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2024年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2024年までに在籍した外国人選手
211→97→92 ライデル・マルティネス
投手 在籍期間:2017~24(巨人25~)
キューバ/1996年10月11日生/右投左打
大活躍 期待以上 優良助っ人 WBC2017 WBC2023
【NPB】303試合14勝18敗166S 防御率1.71 BB/9 2.1 K/9 10.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズ史に残る優良助っ人となったキューバ出身のリリーフ右腕。2017年に来日したときは育成契約だったが、着実に成長を遂げ、いつの間にかNPBを代表する守護神へと上り詰めた。

 特に2023年は圧巻のシーズンを過ごし、開幕から8月中旬まで防御率0.00を維持。最終的に自責点わずか2、防御率0.39という驚異的な成績を残した。一方、シーズン開幕前のWBC後に、同じキューバ代表のジャリエル・ロドリゲスがチームに合流せず亡命し、メジャー球団と契約を結ぶ騒動が発生。これを受け、ロドリゲス以上の実績を残すライデルが「自分も…」と思っても不思議でなく、中日関係者やファンは不安を募らせた。

 しかし、2024年もちゃんとチームに合流し、前年と同じように大活躍。防御率1.09、2度目のセーブ王となる43セーブを挙げるなど、揺るぎない存在感を示した。中日はシーズン終了までに契約延長を模索したが、もはやライデルの実績に見合った年俸はドラゴンズが支払える最上限を超えていた。マネーゲームに敗北し、巨人への移籍が決まった。

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93 マイケル・フェリス
投手 在籍期間:2023~24
ドミニカ共和国/1993年6月28日生/右投右打
元有望株
【NPB】36試合1勝1敗0S 防御率4.26 BB/9 5.4 K/9 7.4
【MLB】228試合17勝9敗1S 防御率5.29 BB/9 3.9 K/9 11.8

============ 選手紹介 ============

 2023年シーズン途中に新加入した、実績豊富なリリーフ右腕。

 2016~19年にメジャー通算200試合以上に登板し、2017年にはヒューストン・アストロズのミドルリリーバーとして世界一に貢献。ドラゴンズ入団時は30歳になったばかりでの来日となり、年齢的にも衰えのリスクが少ない点は高評価だった。

 持ち球は150km/h台前半の速球に加え、縦・横2種類のスライダー、さらにチェンジアップを持っていた。来日初登板では同点の8回途中、大ピンチの場面で起用され、見事に無失点で切り抜けた。しかし、2年目は途中で家族の事情により離日。最終的には防御率5点台と苦しみ、シーズン終了後に退団となった。

202 フランク・アルバレス
投手 在籍期間:2022~24
キューバ/1999年1月16日生/右投右打
WBC2023
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 3年間ドラゴンズの育成選手として在籍したキューバ人投手。あのライデル・マルティネスも来日1年目は140km/h台中盤の速球を投げる育成選手だったことから、球団は2匹目のどじょうを狙ったのかもしれない。しかし、支配下登録を勝ち取ることはできなかった。

 2023年春には念願だったWBCのキューバ代表に選出。準決勝のアメリカ戦では観客からの野次に激昂し、フェンス越しにボールを投げつける行為が物議を醸した。

66 ダヤン・ビシエド
内野手 在籍期間:2016~24
キューバ/1989年3月10日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】958試合 打率.287 安打1012 本塁打139 OPS.812
【MLB】483試合 打率.254 安打425 本塁打66 OPS.722

============ 選手紹介 ============

 2016年から2024年まで9年間にわたりドラゴンズでプレーしたキューバ出身の強打者。MLBではシカゴ・ホワイトソックスでプレーし、2012年には25本塁打を放つなどパワーヒッターとしての実績を持つ。しかし、選球眼の悪さや粗さの目立つ打撃スタイルから安定感を欠き、2015年オフに中日と契約を結んだ。

 来日1年目の2016年は開幕から3試合連続本塁打を記録し、初月に月間MVPを受賞した初の外国人選手となるなど、鮮烈なデビューを飾る。2018年には打率.348をマークし、首位打者のタイトルを獲得。NPBではパワーだけでなくバットコントロールの良さも発揮し、長年にわたりチームの中軸を務めた。

 しかし、加齢とともにバットスピードが低下し、次第に長打も減少。2024年には規定によって外国人枠の対象外となったが、それでも一軍での出場機会は激減した。そして同年オフの契約は更新されず退団となった。

 名古屋での生活にも馴染み、息子も地元のリトルリーグで野球をやっていた。家族ぐるみで日本に溶け込んでいた姿が印象的だった。

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94 アレックス・ディカーソン
外野手 在籍期間:2024
アメリカ合衆国/1990年5月26日生/左投左打
WBC2023
【NPB】32試合 打率.205 安打18 本塁打3 OPS.666
【MLB】339試合 打率.255 安打230 本塁打40 OPS.785

============ 選手紹介 ============

 かつてパドレスで背番号1を背負っていた元有望株外野手。MLBで通算1000打席以上立ったがレギュラーになれなかった。左打で固め打ちする傾向にあり、過去に4人しか達成していない1試合3ホーマー+2二塁打を記録したことがある。

 マイナー時代から結構有望視されていて、Rookie級で最優秀選手賞を、2Aでは新人王や球宴選出など着実に結果を残してメジャー昇格を果たした。だがマイナー時代にグラウンドのスプリンクラーヘッドを踏んづけて重傷を負ったり、腰と背中の手術から回復途上にヒジを故障し(野手なのに)トミー・ジョン手術を受けたりと大きめの故障離脱を繰り返し、メジャー定着の機会を失った。

 メジャーでは左右別の打撃成績はそれほど開きは無いが、トミー・ジョン明けの2019年以降は左腕に弱いイメージが先行してしまい左腕相手にあまり打席に立たせてもらえなかった。

 また、ドラゴンズは前年アキーノが大誤算だったせいで、レフトの新外国人選手に警戒心がついてしまっている。

212→67→29 ジャリエル・ロドリゲス
投手 在籍期間:2020~23
キューバ/1997年3月10日生/右投右打
WBC2023
【NPB】79試合10勝10敗0S 防御率3.03 BB/9 4.0 K/9 9.7
【MLB】21試合1勝8敗0S 防御率4.47 BB/9 4.2 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 2019年のプレミア12でのピッチングが与田監督の目に留まり、翌年育成で入団。1年目の早い時期に支配下登録されると2年間は先発で投げ、3年目はチーム事情からブルペンに配置転換。ライデルと球界随一の投手リレーを組み、転向初年度から最優秀中継ぎ投手に選ばれた。

 2022年の年末にキューバ政府とドラゴンズの間で2年契約を更新。しかし、翌年3月のWBCでキューバ代表として準決勝をフロリダで戦ったあと、ドミニカ共和国へ亡命。2024年に入ってトロント・ブルージェイズと5年3200万ドルの長期契約をゲットした。

 キューバ独裁政権のもとで働いている野球選手たちは過酷な環境にいることが知られており、夢を追って亡命を選択するキューバ人選手を責め立てることはできない。ただ、ドラゴンズとしては8回を任せる投手がシーズン直前にいなくなり、柳・高橋宏斗・小笠原・涌井の10敗カルテットが生まれる遠因になってしまった。なお、2023年シーズン終了後、キューバ系選手に強い記者の取材に応じ「世界中のどこにいようと自分の心は名古屋にある」と語った。

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42→96 ソイロ・アルモンテ
外野手 在籍期間:2018~20,23
ドミニカ共和国/1989年6月10日生/右投両打
【NPB】271試合 打率.309 安打287 本塁打32 OPS.838
【MLB】47試合 打率.211 安打30 本塁打2 OPS.523

============ 選手紹介 ============

 長距離砲のつもりで獲得したが、NPBではヒットの延長線上にホームランはあるかのようなミート重視の打撃スタイルで好打率を残した。

 故障が相次ぎ3年を終えて退団したが2023年に立浪監督からの強い要望で再来日した。

212→94→209 ペドロ・レビーラ
内野手 在籍期間:2022~23
キューバ/1999年3月23日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.203 安打13 本塁打1 OPS.509
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグで3割台の打率とホームラン王の実績がある育成内野手。来日2年目の2023年、レギュラーシーズンも大詰めの9月下旬に突然いなくなり、亡命したことが判明した。

 一軍では21試合に出場して打率.203。戦力的にマイナスではなかったが、今後のキューバ政府との関係性には影響大。

205→95→210 ギジェルモ・ガルシア
外野手 在籍期間:2022~23
キューバ/2000年7月1日生/右投左打
【NPB】2試合 打率.111 安打1 本塁打0 OPS.222
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 レビーラと一緒に2022年に来日したキューバ人外野手。2023年のWBCキューバ代表には選ばれなかったがサポートメンバーに登録されていた。育成から支配下になったが一軍で力不足を露呈し、22年終了後に育成契約に逆戻り。翌年ウエスタンリーグでも結果を残せず、育成選手の規定上自由契約になった。

 プレイスタイルはレビーラと似たタイプだったが、高みを求めて亡命に踏み切ったレビーラと違い、ガルシアは優しい性格だがハングリー精神に欠けると言われていた。

9 アリステディス・アキーノ
外野手 在籍期間:2023
ドミニカ共和国/1994年4月22日生/右投右打
【NPB】20試合 打率.154 安打10 本塁打1 OPS.438
【MLB】244試合 打率.211 安打145 本塁打41 OPS.719

============ 選手紹介 ============

 2019年にメジャー初昇格を果たすと、ルーキーながら4試合連続本塁打&1試合3本塁打を記録し、一気に注目を集めたスラッガー。その勢いで週間MVPにも選ばれたが、次第に弱点を突かれるようになると打撃成績が悪化していった。

 2022年はマイナー暮らしが増え、オフにドラゴンズと1年契約(120万ドル+出来高)で日本球界入りとなった。メジャー通算41本塁打・長打率は4割を優に超える実績から、長年課題だった長打力不足を解決する存在として期待された。

 オープン戦やWBC強化試合ではよく打っていたが、開幕後は他球団ファンからも同情されるほどの大不振に陥った。

 余談だが、筆者は大学時代の旧友と定期的に忘年会をやっており、2022年末の時点でアキーノが来日することが決まっていた。日本での大活躍を確信していた筆者はその忘年会で、新外国人アキーノの実力を熱く語り、日本での活躍に太鼓判を押した。――結果は、ご存じの通り。

 もちろん、日本独特の配球に苦しむ助っ人は珍しくないため、打撃面での苦戦はまだ仕方ないと思う。それでも、外野守備に関してはメジャーではそこまで酷くなかったのに日本に来た途端「これは草野球か?」と思うほどのレベルだったのは、今でも納得がいっていない。

最初の2ヶ月はすごい選手だったんですEmbed from Getty Images

99 ヨハン・タバレス
 
(登録名:タバーレス)
投手 在籍期間:2022(広島18)
ドミニカ共和国/1994年11月8日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率6.00 BB/9 6.0 K/9 12.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2018年に広島カープにいたドミニカ人投手。カープを解雇されてから日本の独立リーグを転々としていたところをドラゴンズが獲得した。

 (経歴が似ているSBホークスの)藤井のように化けることを期待した、二軍のピッチャーが足りず数合わせ要員だった、など獲得理由には疑問を持たれていて、カープ時代と同じく二軍でも打ち込まれた。

210→57 アリエル・マルティネス
捕手/内野手 在籍期間:2018~22(日ハム24~)
キューバ/1996年5月28日生/右投右打
WBC2023
【NPB】414試合 打率.252 安打305 本塁打40 OPS.757
(中日) 169試合 打率.274 安打118 本塁打12 OPS.767
(日ハム) 245試合 打率.240 安打187 本塁打28 OPS.751
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ出身の捕手兼一塁手。育成で入団後支配下登録された。中日OBのディンゴ以来外国人では20年ぶりにマスクを被り、またルイス・ゴンザレスが登板した時は29年ぶりの外国人バッテリーが実現した。

 ケガが多かったこととファーストのビシエドが盤石だったことでドラゴンズでは出場機会が限られ、2022年オフに自由契約に。翌年から日本ハムに入団すると打撃で活躍するようになった。

 ファイターズで背番号2をつけた彼の姿は、心なしか以前より伸び伸びとプレーしているように見える。

210 ルーク・ワカマツ
内野手 在籍期間:2021~22
アメリカ合衆国/1996年10月10日生/右投両打
日系人
【NPB】2試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.250
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 シアトル・マリナーズの監督だったドン・ワカマツ氏の息子。日系五世。育成契約で入団した。2年目に支配下契約を勝ち取ったが1軍デビューしてすぐにケガに見舞われ、結局2試合に出ただけで退団となった。

42 ランディ・ロサリオ
投手 在籍期間:2021
ドミニカ共和国/1994年5月18日生/左投左打
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 3.0
【MLB】69試合6勝1敗1S 防御率5.00 BB/9 4.1 K/9 6.6

============ 選手紹介 ============

 カブス時代に44試合に登板したシーズンがあったが、メジャー定着はかなわず来日したリリーフ左腕。来日前に元中日のジョーダン・ノルベルト(アルメンゴ)から事前に学んでやってきた。

 一軍では9試合登板に終わったがチームにしっかりと溶け込み、チームメイト達と東山動植物園に行くなど上手くやっていた。

 契約終了後もNPBでのプレーを希望したがオファーがなく、日本に若干未練を残したままアメリカに帰って行った。

99 マイク・ガーバー
外野手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1992年7月8日生/右投左打
【NPB】12試合 打率.156 安打7 本塁打0 OPS.352
【MLB】30試合 打率.076 安打5 本塁打0 OPS.257

============ 選手紹介 ============

 「マイナー通算91発を誇る」という微妙な触れ込みで来日したパワーヒッター。一応メジャーで30試合の出場経験がある。長い赤ひげと笑顔がチャーミングではあったが、アピールポイントの打撃がさっぱり。年俸5千万円は高い出費となった。

 また、仁村二軍監督がガーバーのバッティングについて「速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない」とコメントしたことがファンから失笑を買った。

◇2020年までに在籍した外国人選手
53 ルイス・ゴンザレス
 
(登録名:ゴンサレス)
投手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1992年1月17日生/左投右打
【NPB】28試合0勝0敗0S 防御率4.78 BB/9 3.1 K/9 9.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 登録名が「ゴンサレス」だったドミニカ人サウスポー。ジョエリー・ロドリゲスの穴埋めを期待されて入団したが、登板ごとに抑えたり打ち込まれたりとにかく不安定で、特にビジター球場での成績が悪かった。

 ドラゴンズ退団後はイタリアで野球を続けた時期もあったが、2023年に打者天国のメキシカンリーグで防御率1.69と大健闘。2024年にボルティモア・オリオールズとマイナー契約に漕ぎつけ、3Aで44試合に登板。シーズンオフのウィンターリーグでも好成績を残しており、遠回りしたがメジャーデビューが現実になろうとしている。

201 サンディ・ブリトー
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1996年7月19日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 線が細いドミニカ人右腕。タンパベイ・レイズと契約するもRookieリーグより上に上がれず、育成枠でドラゴンズに入団。2年間在籍したが二軍で2年続けて防御率が10点を超え、クビになった。

70 エニー・ロメロ
投手 在籍期間:2019~20(ロッテ21-22)
ドミニカ共和国/1991年1月24日生/左投右打
WBC2017
【NPB】45試合17勝19敗0S 防御率3.60 BB/9 3.6 K/9 7.1
(中日) 21試合8勝10敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 8.1
(ロッテ) 24試合9勝9敗0S 防御率3.05 BB/9 3.1 K/9 6.3
【MLB】137試合4勝6敗3S 防御率5.12 BB/9 4.6 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 エース級だったオネルキ・ガルシアが退団したため、オフに森繁が連れてきたメジャーリーガー。登録名は”エンニー・ロメロ”。同じ左腕であり、速球は常時155km/hを計測、MLBでの実績もガルシア以上ときたため、大いに期待された。

 1年目は援護が少ないなか8勝10敗とまあまあな成績だったが、2年目は肩の故障により一度も登板することなく解雇。ドラゴンズ退団後の翌年途中に千葉ロッテへ電撃加入した。

211→45 モイゼス・シエラ
外野手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1988年9月24日生/右投右打
WBC2013
【NPB】25試合 打率.225 安打18 本塁打1 OPS.617
【MLB】207試合 打率.235 安打110 本塁打9 OPS.649

============ 選手紹介 ============

 MLB経験者だが育成契約で入団した俊足巧打の外野手。登録名は『モイセ・シエラ』。ドミニカの実家が大投手ペドロ・マルティネスの家と近所で顔見知りだったらしい。来日後、支配下登録された際には憧れのペドロがかつて背負った45番を与えられ、大いに喜んでいたが、グラウンドでは結果を残せなかった。

 ちなみに大谷翔平がエンゼルスにいたときのチームメイトに俊足外野手の”M.シエラ”がいた。ドミニカ共和国出身でプレイスタイルも似ているが、こちらはマグネウリス・シエラなので注意。

57 ジョエリー・ロドリゲス
投手 在籍期間:2018~19
ドミニカ共和国/1991年11月14日生/左投左打
期待以上
【NPB】90試合3勝7敗2S 防御率1.85 BB/9 2.9 K/9 10.6
【MLB】182試合5勝10敗1S 防御率4.80 BB/9 4 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 2018年の夏に日本にやってくると、150km/h後半の速球を武器にドラゴンズのリリーフエースとして活躍。その後はメジャーでも勝ち試合に投げる投手に成長し、NPBで結果を残してメジャーへと続く新しい形を作った。

 2020年以降、メジャーで毎年登板しているものの居場所を失いつつあり、いずれ再来日の可能性も。

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44 スティーブン・モヤ
外野手 在籍期間:2018~19(オリックス20-21)
プエルトリコ/1991年8月9日生/右投両打
元有望株
【NPB】269試合 打率.249 安打218 本塁打39 OPS.709
(中日) 53試合 打率.287 安打33 本塁打4 OPS.751
(オリ) 216試合 打率.243 安打185 本塁打35 OPS.703
【MLB】51試合 打率.250 安打31 本塁打5 OPS.745

============ 選手紹介 ============

 身長2メートルのプエルトリコ産スラッガー。一緒に来日したアルモンテと同じくスイッチヒッター。

 メジャーでも主軸を打てると期待された有望株だったが大成せず、2018年に来日。ドラゴンズでは外国人枠に割って入れず、二軍暮らしが続いたところをオリックスにトレードに出された。

⇒オリックス・バファローズ(2000年以降)参照

60 ディロン・ジー
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1986年4月28日生/右投右打
【NPB】4試合0勝3敗0S 防御率4.00 BB/9 2.3 K/9 5.3
【MLB】165試合51勝48敗1S 防御率4.09 BB/9 2.8 K/9 6.5

============ 選手紹介 ============

 メッツ時代に2度二桁勝利を挙げている元先発ローテ投手。来日時は31歳だったが既に満身創痍の状態で、日本では4試合しか投げられずにそのまま現役引退した。

Embed from Getty Images丸4年、メッツの先発ローテーションを守り続けたジー。この頃はまだヒゲが無かった

70 オネルキ・ガルシア
投手 在籍期間:2018(阪神19-20)
キューバ/1989年8月2日生/左投左打
期待以上 WBC2023
【NPB】62試合21勝23敗0S 防御率3.81 BB/9 3.8 K/9 6.8
(中日) 27試合13勝9敗0S 防御率2.99 BB/9 3.9 K/9 7.0
(阪神) 35試合8勝14敗0S 防御率4.58 BB/9 3.8 K/9 6.5
【MLB】5試合0勝1敗0S 防御率13.50 BB/9 11 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 2018年にエース級の活躍をしたキューバ出身左腕。来日1年目で13勝9敗を挙げ、2000年のメルビン・バンチ以来となる新人助っ人の2桁勝利を達成。当たり前のように最下位争いをしていたチームにとって、まさに救世主のような存在だった。

 シーズンオフに入るとドラゴンズとの契約延長交渉がまとまらず、阪神タイガースに移籍した。

49 エルビス・アラウホ
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1991年7月15日生/右投右打
【NPB】6試合1勝0敗0S 防御率6.48 BB/9 3.2 K/9 6.5
【MLB】72試合4勝2敗0S 防御率4.35 BB/9 5.2 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 クローザー候補として獲得されたが、わずか6試合の登板に終わった巨漢左腕。身長2m・体重120kg超の体格を誇り、メジャー時代には150km/h後半を計時したため、かなり期待されて入団した。しかし、実際には来日前年から球速低下の兆候が見られ、日本では速球派とは言い難いピッチングに終始した。年俸は1億5千万円だったという噂もある。

91 ホルヘ・ロンドン
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1988年2月16日生/右投右打
160km/h
【NPB】4試合0勝0敗0S 防御率5.79 BB/9 3.9 K/9 7.7
【MLB】13試合0勝1敗0S 防御率13.26 BB/9 5.2 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 160km/hの速球が魅力のベネズエラ人右腕。アメリカでほぼリリーフしか経験がなかったのに先発候補として獲得したと報道され、ファンから不安がられた。

 ドラゴンズを退団後も日本でのでのプレーを希望。BCリーグ福島に入団するもNPBには戻れず、メキシカンリーグに活躍の場を求めている。

44 ラウル・バルデス
投手 在籍期間:2015~17
キューバ/1977年11月27日生/左投左打
期待以上
【NPB】65試合17勝24敗0S 防御率3.49 BB/9 2.7 K/9 6.2
【MLB】103試合7勝7敗2S 防御率5.13 BB/9 3.1 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 バルデスおじさんの愛称で親しまれた苦労人左腕。キューバで生まれ6度の亡命を経て32歳でメジャーデビューしている。

 ドラゴンズに来た時点で38歳だったため期待値は低かったが、3年間先発の表ローテで投げてくれた。3年とも防御率は3点台、WHIPも1.2台と極めて安定した成績を残した。また、近年稀に見るムエンゴっぷりも人気の要因のひとつになった。

 2025年現在もドミニカのウィンターリーグでいまだに現役を続けている。2023年オフには武者修行中の中日・鵜飼らと同じチームでプレーした。

99 ジョーダン・ノルベルト
 
(登録名:ジョーダン (アルメンゴ))
投手 在籍期間:2016~17(ヤクルト18)
ドミニカ共和国/1986年12月8日生/左投左打
優良助っ人
【NPB】40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
【MLB】78試合4勝3敗1S 防御率4.00 BB/9 5.8 K/9 7.4

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズファンから今でも親近感を持たれている元先発左腕。MLB時代は将来を期待された有望株だったが、大成せず。さらに、バイオジェネシス・スキャンダルによる出場停止処分を受けて以降はメジャー昇格の機会を得られず、NPBへと活躍の場を移した。ドラゴンズでは際どいボークの判定に苦しみながらも、2年間で200イニング近く投げてくれた。

 ヤクルトに移籍後は、息子に中日のユニフォームを着させたインスタを上げたり、ケガで1度も登板しなかったことが原因でヤクルトファンから怒りを買うことに。日本を離れた後も、中日時代の元同僚のSNSをチェックしていることから「ドラゴンズブルーの血が流れているのでは?」と言われている。

210 レオナルド・ウルヘエス
外野手 在籍期間:2017
キューバ/1993年1月9日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグから派遣された育成選手。入団時にマツ毛が可愛いと言われていた以外あまり記憶に残っていない。

42 アレックス・ゲレーロ
内野手 在籍期間:2017(巨人18-19)
キューバ/1986年11月20日生/右投右打
期待以上
【NPB】313試合 打率.258 安打269 本塁打71 OPS.857
(中日) 130試合 打率.279 安打131 本塁打35 OPS.896
(巨人) 183試合 打率.240 安打138 本塁打36 OPS.824
【MLB】117試合 打率.224 安打52 本塁打11 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズでホームラン王を獲得した元メジャーリーガー。来日前には、3Aの試合中に年上選手に耳を嚙みちぎられる事件(被害者)に巻き込まれ、その経緯から「本人にも何か問題があるのでは」と警戒されながら入団した。結局、問題児ではなくプレー面でも結果を残したが、オフの契約延長交渉は決裂し、巨人へ移籍した。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューした時には、もう耳をかじられたあとだった

98 レイソン・セプティモ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1985年7月7日生/左投左打
元有望株 160km/h
【NPB】3試合0勝1敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 1.4
【MLB】21試合0勝2敗0S 防御率5.02 BB/9 3.8 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 2016年シーズン後半に来日した元MLB左腕。笑顔は魅力的だったが、来日してすぐに球種がバレる癖が発覚、即戦力とはならなかった。

 2008年にマイナーで100マイル(160km/h)を投げた、という真偽不明な事前情報もファンを微妙な気持ちにさせた。

42 ホアン・ハイメ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1987年8月2日生/右投右打
160km/h
【NPB】1軍出場なし
【MLB】18試合0勝1敗0S 防御率5.93 BB/9 8.6 K/9 12.5

============ 選手紹介 ============

 助っ人外国人選手がネタ扱いされてしまうケースに、160km/hを投げられると豪語して来日するのがある。オリックスのコーディエに次いで典型的な例とされてしまっているのが、元メジャーリーガーのホアン・ハイメ。

 マイナー時代から与四球率が悪かったことをドラゴンズファンから心配されていたが、日本では一軍に昇格することなく退団した。

54 ドリュー・ネイラー
投手 在籍期間:2015~16
オーストラリア/1986年5月31日生/右投右打
WBC2009
【NPB】17試合5勝5敗0S 防御率4.15 BB/9 3.7 K/9 7.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本の独立リーグ経由という外国人では珍しいパターンでNPB入りした先発右腕。オーストラリア人。

 シーズン途中に加入した1年目は先発ローテでそこそこ投げたが、翌年は肩の不調もあって退団した。

 印象に残っているのは来日2試合目に広いナゴヤドームで逆方向にホームランを打ったことと、ボディビルダーの彼女と一緒に来日したがシーズン後に振られた件。

00 アンダーソン・エルナンデス
内野手 在籍期間:2014~16
ドミニカ共和国/1982年10月30日生/右投両打
【NPB】288試合 打率.263 安打266 本塁打21 OPS.694
【MLB】240試合 打率.241 安打155 本塁打4 OPS.614

============ 選手紹介 ============

 MLBで有望株だったが大成せず来日した内野手。ショートを含め内野をすべてこなせるユーティリティ性が強みだったが、アライバを見慣れた中日ファンにとっては危なっかしいものだった。二遊間コンビを組む荒木がやりにくそうにしていた姿が印象に残る。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューしたメッツではホゼ・レイエスと二遊間コンビを組んだ

60 リカルド・ナニータ
外野手 在籍期間:2015~16
ドミニカ共和国/1981年6月12日生/左投左打
優良助っ人 WBC2013
【NPB】144試合 打率.293 安打139 本塁打8 OPS.731
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームと相性が悪かった中距離ヒッター系外野手。いい感じに捉えた打球の多くが外野フライになってしまい、打者有利な球場であれば戦力になったかもと言われている。

 来日2年目には肉体改造をして臨んだ努力家。人格的にも優れていたと言われ、戦力外になったときはファンから残念がられた。

◇2015年までに在籍した外国人選手
42 アマウリ・リバス
 
(登録名:リーバス)
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1985年12月20日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 最初のオープン戦で初回7失点と炎上したあと肩が痛いと言い出し帰国。夏場に再来日するも2軍で少し投げただけで再び帰国してからは二度と姿を見ることは無かった。

 アメリカではトリプルAまで行ったが、メジャー昇格のチャンスを手にすることはできなかった。

49 ラファエル・ペレス
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1982年5月15日生/左投左打
大物 WBC2009
【NPB】1軍出場なし
【MLB】338試合21勝12敗3S 防御率3.64 BB/9 3.2 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 19歳から野球を始めた異色の元メジャーリーガー。ドラゴンズでは怪我に泣き一度も登板することなく退団したが、MLBではクリーブランド・インディアンスで7年・338試合出場の実績があり、勝ちパターンで登板する年もあった正真正銘のメジャーリーガーだった。

Embed from Getty Imagesドラゴンズでは投げられなかったが、インディアンズ時代は馬車馬のように働いた

205 レアンドロ・メジャ
投手 在籍期間:2014~15
ドミニカ共和国/1990年5月5日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アメリカの独立リーグに所属していたがチームが消滅したため、ドラゴンズに育成契約で加入したドミニカ人投手。マイナーではシングルA-で防御率13.50の記録が残っており、それ以外はRookie級での登板実績しかなかった。期待薄の状態で入団し、案の定、支配下登録されることなく退団となった。

0 エクトル・ルナ
内野手 在籍期間:2013~15(広島16)
ドミニカ共和国/1980年2月1日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】413試合 打率.309 安打474 本塁打39 OPS.826
(中日) 346試合 打率.316 安打408 本塁打34 OPS.848
(広島) 67試合 打率.272 安打66 本塁打5 OPS.707
【MLB】339試合 打率.262 安打208 本塁打15 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 顔が石原さとみに似ていると話題になった元メジャーリーガー。ヒッティングツールはMLB時代から評価されており、日本では首位打者争いに絡む高打率を残した。一方で毎年故障で離脱し、4番を任せるには長打力が不足していた(トニ・ブランコの穴を埋めてほしかった)ことから、3年で退団となった。

45, 47 ネルソン・パヤーノ
 
(登録名:パヤノ)
投手 在籍期間:2009,14
ドミニカ共和国/1982年11月13日生/左投左打
【NPB】57試合2勝3敗0S 防御率2.30 BB/9 5.4 K/9 10.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズに二度在籍した、150km/h超のフォーシームが持ち味だったリリーフ左腕。一度目は防御率2.08と見かけ上は好成績を収めたが、いつも制球難と隣り合わせのピッチングだったせいで、プレッシャーの少ない場面での起用が多かった。シーズン後の年俸交渉では500万円の差が埋まらず退団となった。

 二度目はメジャーリーガーの夢を断たれ、メキシカンリーグで150km/hを投げていたところを再契約されたが、あっさり四球を出すという欠点は解消されず、再び1年で退団となった。

60→201 宋相勲
投手 在籍期間:2012~14
大韓民国/1993年2月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 外国人扱いでドラフト指名される珍しいケースで入団した韓国人投手。高校生のときに留学で福井工大福井高に2年生まで在学。ケガの治療のため3年に上がる前に帰国したあと、韓国プロ野球のドラフト指名を受けるも日本でのプレーを希望。ドラゴンズからの隠し玉指名を受け入れて入団した。

 ドラゴンズでは投手の伸びしろは少ないと早々に判断され、野手転向と同時に育成契約に切り替え。その後解雇となった。

70→99 ダニエル・カブレラ
投手 在籍期間:2013~14
ドミニカ共和国/1981年5月28日生/右投右打
大物 問題児 160km/h WBC2006
【NPB】34試合11勝12敗0S 防御率3.49 BB/9 3.5 K/9 7.3
【MLB】162試合48勝65敗1S 防御率5.10 BB/9 5.2 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 MLB通算155先発の実績も、制球と精神面のコントロールに苦しんだ元先発右腕。MLBではルーキーイヤーに12勝8敗を挙げ、高津臣吾に次ぐ新人王投票3位。だが翌年以降は次第に失速し、2013年に来日した。

 ファストボールはメジャーでも有数のものだったが、コントロール、クイックモーション、フィールディング、バントや走塁といった速球以外のものが全て苦手で、頭に血が上りやすい課題もあった。廣済堂出版が毎年出す選手名鑑の2008年版には「100万ドルの速球と10セントのおつむ」と書かれた。

 ドラゴンズでは先発を務め2年在籍。二軍で調整中に食べたチャーハンの虜になり、お店の定休日や営業時間に間に合わなかった日には地団駄を踏んで悔しがった。

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44 アレクシス・ゴメス
外野手 在籍期間:2014
ドミニカ共和国/1978年8月8日生/左投左打
元有望株
【NPB】12試合 打率.077 安打1 本塁打0 OPS.220
【MLB】89試合 打率.260 安打41 本塁打1 OPS.650

============ 選手紹介 ============

 かつて在籍していたレオ・ゴメスの再来を期待され4番候補として来日した元メジャーリーガー。2003年にフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に選ばれた元有望株だった。

 トニ・ブランコ以上の長打力を持つと噂され、オープン戦では3割をマークして期待を持たせた。しかしレギュラーシーズンが始まるとまったく打てなくなり、打率.077・本塁打はゼロ。同じ年にタイガースに入ったマウロ・ゴメスが活躍しただけに余計にファンの落胆は大きかった。

65 ワーナー・マドリガル
投手 在籍期間:2013
ドミニカ共和国/1984年3月21日生/右投右打
【NPB】31試合2勝0敗0S 防御率3.23 BB/9 4.2 K/9 6.5
【MLB】44試合0勝2敗1S 防御率6.10 BB/9 4.8 K/9 5

============ 選手紹介 ============

 テキサス・レンジャースで2年間の出場経験がある元メジャーリーガー。中日では防御率3.23を記録したが、球威・制球力ともにイマイチな印象があり、1年で解雇となった。

 退団後は40歳近くになるまで、ドミニカのウィンターリーグに毎年出場し続けていた。

42 ブラッド・バーゲセン
 
(登録名:ブラッドリー)
投手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1985年9月25日生/右投左打
【NPB】14試合2勝2敗0S 防御率3.71 BB/9 2.7 K/9 3.7
【MLB】102試合19勝25敗0S 防御率4.61 BB/9 2.6 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 バーゲンセールを連想させて縁起が悪いためブラッドリーが登録名になった先発右腕。ボルティモア・オリオールズの先発ローテに入っていた元メジャーリーガーで、コントロールに優れる一方で球威が無い特徴があった。

 中日では良くも悪くもない成績。2017年に引退後はマイナーの投手コーチをしている。

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44 ビクトル・ディアス
外野手 在籍期間:2012~13
ドミニカ共和国/1981年12月10日生/右投右打
元有望株
【NPB】21試合 打率.174 安打4 本塁打0 OPS.443
【MLB】147試合 打率.256 安打114 本塁打24 OPS.796

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームを物ともしない4番像をイメージして獲得したがまったく打てなかった。MLBで通算長打率.487、シーズン2桁本塁打をマークしたことがあるが、日本の野球とは合わなかったのだろう。

60 マット・クラーク
内野手 在籍期間:2013(オリックス16)
アメリカ合衆国/1986年12月10日生/右投左打
【NPB】143試合 打率.234 安打102 本塁打27 OPS.779
(中日) 132試合 打率.238 安打97 本塁打25 OPS.785
(オリ) 11試合 打率.172 安打5 本塁打2 OPS.708
【MLB】16試合 打率.185 安打5 本塁打3 OPS.744

============ 選手紹介 ============

 当たれば飛ぶが三振の山を築くパワーヒッター。ドラゴンズでは規定打席をクリアし、チーム最多の25本塁打を放ったが、打率.238・130三振(ともにリーグワースト)という粗さも共存していた。中日を退団した翌年にはミルウォーキー・ブリュワーズでメジャーデビューを果たしている。

 アメリカ生まれだがメキシコ代表の資格を持ち、2019年のプレミア12に出場。2021年のオリンピックにも出場を希望していたが選ばれず、メディアを通じて代表チームに猛抗議した。

49 マキシモ・ネルソン
投手 在籍期間:2008~12
ドミニカ共和国/1982年4月21日生/右投右打
期待以上
【NPB】84試合15勝21敗1S 防御率2.97 BB/9 2.9 K/9 6.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 謎の多い経歴と憎めないキャラクター、銃弾所持、そして1年だけエース級の活躍・・・。記憶に残るプレイヤーだった野良タイプのドミニカ人投手。来日時点では5年もプレーできるとは思われていなかった。

 ドミニカ共和国で生まれてMLBを目指すも、年齢をごまかすために他人に成りすましていたことがバレてビザが下りず、ようやく渡米したあとも偽装結婚に関与して国外追放処分を受けた。メジャーリーガーの夢が大きく後退し、1年間イスラエルのプロリーグで過ごした。故郷に戻ったネルソンは野球だけで生計を立てるのが難しくなっていたが、農作業中に森繫和と遭遇し、ドラゴンズに連れられることになった。

 ネルソンを語るうえで欠かせないのが2010年の春季キャンプ。入国時に銃弾を持ち込んでしまい逮捕され、平和な日本では大きく報道された。それでも2011年は10勝14敗・209回1/3・防御率2.54・WHIP1.05を記録し、エースと呼べるほどの圧巻の成績を残した。翌年は不調で解雇となったが、ファンからは退団を大いに惜しまれた。

70 エンゼルベルト・ソト
投手 在籍期間:2011~12(DeNA13-14)
ベネズエラ/1982年8月20日生/左投左打
【NPB】74試合11勝6敗1S 防御率3.11 BB/9 3.2 K/9 6.4
(中日) 40試合9勝2敗0S 防御率1.92 BB/9 2.6 K/9 6.9
(DeNA) 34試合2勝4敗1S 防御率6.20 BB/9 4.7 K/9 5.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 Mr.ビーンにそっくりとテレビで紹介されたサウスポー。ベネズエラ冬季リーグでプレーした際、武者修行に来ていた岩田慎司と同チームになった縁で来日した。

 ドラゴンズではリリーフと先発両方をこなし、貴重な働きをしたが契約交渉がまとまらず。DeNAにさらわれた。

65 ホルヘ・ソーサ
投手 在籍期間:2012(DeNA13-14)
ドミニカ共和国/1977年4月28日生/右投右打
WBC2006
【NPB】135試合8勝8敗26S 防御率2.32 BB/9 3.3 K/9 7.2
(中日) 53試合5勝1敗4S 防御率1.85 BB/9 2.7 K/9 7.1
(DeNA) 82試合3勝7敗22S 防御率2.68 BB/9 3.8 K/9 7.3
【MLB】294試合44勝53敗7S 防御率4.72 BB/9 4.1 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 アトランタ・ブレーブス時代の2005年に1年だけ凄い成績を残したドミニカ人右腕。ドラゴンズでは中継ぎとして53試合に登板。防御率1.85をマークするも残留交渉が難航してDeNAに取られた。

 来日前からサミー・ソーサは親戚だと触れ回っていたが、信じている人は少なかったようだ。

42 トニ・ブランコ
内野手 在籍期間:2009~12
ドミニカ共和国/1980年11月10日生/右投右打
元有望株 大活躍 期待以上
【NPB】750試合 打率.272 安打725 本塁打181 OPS.868
(中日) 452試合 打率.262 安打427 本塁打111 OPS.852
(DeNA) 219試合 打率.314 安打249 本塁打58 OPS.962
(オリ) 79試合 打率.202 安打49 本塁打12 OPS.666
【MLB】56試合 打率.177 安打11 本塁打1 OPS.490

============ 選手紹介 ============

 タイロン・ウッズの抜けた4番ファーストの穴を見事に埋めたパワーヒッター。アメリカでは2005年のルール5ドラフトでフロリダ・マーリンズから指名を受け、1シーズンチャンスをもらったが活躍できず、翌年以降はダブルAで燻っていた。2008年のウィンターリーグでプレー中に、視察に来ていた森繫和コーチと出会い、ドラゴンズに入団した。

 ウッズに代わる4番として起用される方針だったが、フリースインガー傾向が強く前評判は芳しくなかった。しかし開幕戦の初打席からナゴヤドームのバックスクリーンへのホームランを放つと、その後も長打を量産。1年目は全試合で4番を打ち、打率.275・39本塁打・110打点を記録。本塁打と打点の二冠王に輝いた。5月に前田健太から放った打球は、広いナゴヤドームの天井スピーカーにぶつける球場初の認定ホームランだった。

 来日2年目も32本塁打を放ち4番の仕事を果たしたが、2011~12年は故障離脱が目立つようになり、来日時に2000万円台だった年俸も高騰が予想されたため、2012年限りで退団。ソトとソーサとともに揃ってDeNAに移籍した。

74→31→28→203→21 陳偉殷(チェン・ウェイン)
投手 在籍期間:2004~11(ロッテ20,阪神21-22)
台湾/1985年7月21日生/左投両打
大活躍 期待以上
【NPB】133試合37勝32敗1S 防御率2.58 BB/9 2.2 K/9 7.0
(中日) 127試合36勝29敗1S 防御率2.56 BB/9 2.2 K/9 7.1
(ロッテ) 4試合0勝3敗0S 防御率2.42 BB/9 1.4 K/9 4.8
(阪神) 2試合1勝0敗0S 防御率3.86 BB/9 2.9 K/9 6.8
【MLB】219試合59勝51敗0S 防御率4.18 BB/9 2.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 台湾の高雄市出身。高校時代にIBA世界大会の韓国戦に完封勝利を挙げ、日米球団の間で争奪戦が繰り広げられた。MLB球団からの誘いもあったが、アジア担当スカウトの職に就いていた大豊泰昭のドラゴンズへ入団を決めた。

 入団して間もなくヒジの靭帯断裂と疲労骨折を起こし、2年間のリハビリを余儀なくされた。一度育成契約になったが、故障が癒えると支配下登録に切り替え、2008年後半から先発ローテーションに復帰。24試合に登板して4完封・防御率1.54・WHIP0.93の圧巻の成績。2011年まできわめて安定したピッチングを続け、吉見一起とともに落合ドラゴンズのダブルエースの一角を担った。

 肩の開きが遅い理想的なピッチングフォームから回転数の高いフォーシームは一級品だった。2011年のシーズン終了後、ポスティングでボルティモア・オリオールズと契約。かねてから希望していたメジャー挑戦の夢をかなえた。

Embed from Getty Images力みのない理想的なピッチングフォームはメジャーに行っても変わらなかった

214 カンディド・ヘスス
投手 在籍期間:2010~11
ドミニカ共和国/1985年10月5日生/左投両打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 サンタマリアとともに育成契約を結んだパワータイプの投手。NPBでは珍しい左投げ両打ちのプレイヤーだった。

 来日前は2年間、ガルフコーストリーグ(Rookie級)のクリーブランド・インディアンス傘下のチームに在籍。2年目が大乱調でシングルAに上がることなく契約を切られていた。NPBでは1年目の3月、3死球を与えた直後に満塁弾を浴びる衝撃の二軍デビュー後は、1度も公式戦のマウンドに上がることはなかった。

45 ジョエル・グスマン
内野手/外野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1984年11月24日生/右投右打
元有望株
【NPB】73試合 打率.181 安打43 本塁打7 OPS.517
【MLB】24試合 打率.232 安打13 本塁打0 OPS.628

============ 選手紹介 ============

 身長2m・体重100kg超の大型内野手。マイナー時代はかなりの有望株で、フューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に2度の選出、2005年プレシーズンのベースボール・アメリカの有望株ランキング全選手中5位に挙げられるほど大きく期待されていた。しかし、苦手な内角球を克服できず大成しなかった。

 ドラゴンズに来てからも粗い打撃は変わらず。守備でも二遊間が守れるはずだったのが練習の時点で無理だと判断され、実戦では一・三塁と右翼で出場した。

48 フェリックス・カラスコ
内野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1987年2月14日生/右投両打
【NPB】3試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.000
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 両コーナーを守るドミニカ共和国出身のスイッチヒッター。バッティングに自信を持って来日したが、一軍で4打数4三振、二軍でも55打数25三振。とにかくバットに当たらなかった。

◇2010年までに在籍した外国人選手
45 エドワード・バルデス
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1980年2月8日生/右投右打
【NPB】8試合1勝3敗0S 防御率4.91 BB/9 3.8 K/9 3.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本ではあまり見られないフルタイムカットボーラーだったドミニカン右腕。マイナーではAAAまで到達したがメジャー昇格はできず、母国のウィンターリーグで投げているところを森繫和ヘッドに声を掛けられ来日した。

 ドラゴンズでは8試合の登板にとどまり、セサルとともに1年で退団した。

213 ホアキン・サンタマリア
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1989年9月21日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヘススとともに育成契約を結んだドミニカ人右腕。150km/h台中盤を投げるがストライクが入らない原石で、来日前はドミニカンサマーリーグで3年プレーしたがアメリカ行きの切符を手にできなかった。獲得時点で19歳だったが二軍で投げることなく夏場に契約解除された。

7 ディオニス・セサル
外野手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1976年9月27日生/右投両打
【NPB】51試合 打率.215 安打40 本塁打1 OPS.512
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 落合政権の頃のドラゴンズはまさに黄金期と呼べる時代であり、監督の洞察力は素晴らしいものであった。そんな名将でも、ドラファンが贔屓目に見ても首を傾げたくなる選択をすることがあった。その最たる例が助っ人外国人の起用法であり、特にセサルのスタメン起用はほとんどのファンからの理解を得られなかった。

7 李炳圭(イ・ビョンギュ)
外野手 在籍期間:2007~09
大韓民国/1974年10月25日生/左投左打
WBC2006
【NPB】265試合 打率.254 安打253 本塁打28 OPS.677
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 セサル同様、数少ない落合監督の不可思議采配のひとつだったのが李炳圭の優遇であった。

 10年前のリー・ジョンボム以来の”韓国のイチロー”という触れ込みで入団してきた。前回と違ってビョンギュの方はイチローと同じ左バッターで、大いに期待したものだが、・・・

57 トマス・デラロサ
内野手 在籍期間:2008~09
ドミニカ共和国/1977年1月28日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】125試合 打率.242 安打65 本塁打7 OPS.694
【MLB】49試合 打率.289 安打24 本塁打2 OPS.780

============ 選手紹介 ============

 内野全ポジションを守れるユーティリティ性が強みのドミニカ人内野手。元メジャーリーガー。2008年は北京オリンピックが開催予定であり、アライバの途中離脱に備えての獲得だった。レギュラーシーズンでの打撃成績はイマイチだったが、内野守備については最低限の役割をこなした。

 2年目はさらに打撃成績を落としたが、育成コーチを兼任しながらブランコのメンター役を担った。2010~11年には育成スタッフとして中南米出身の若手選手のサポート業務を担当。数字では測れない働きをしてくれた。

94→220→42 ラファエル・クルス
投手 在籍期間:2007~08
ドミニカ共和国/1977年5月19日生/右投右打
期待以上
【NPB】17試合1勝3敗0S 防御率2.66 BB/9 2.7 K/9 8.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 重量感のある身体から150km/h台の速球を投げ込んでいたドミニカンリリーフ右腕。育成契約で入団も6月に支配下登録を勝ち取り、17試合を投げて防御率2.66・WHIP0.93をマーク。日本シリーズでも登板し、育成上がりにしては健闘した。

 翌年はセットアップマンとしての活躍を期待されたが、オープン戦で右ヒジの靭帯を損傷。投げられる見込みがなくなるとシーズン中に解雇された。

 日本を離れた後、トミー・ジョン手術には至らずに故障が癒えたクルスは、アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を取り付けた。トリプルAで投げながらコールアップを待ったが、その間にスタノゾロール(ステロイドの一種)使用がバレてしまい、50試合の出場停止処分が決定。処分を終える前に球団をリリースされ、以後はメジャーデビューどころかマイナーでの出場機会も得ることはなかった。

44 タイロン・ウッズ
 
(登録名:T・ウッズ)
内野手 在籍期間:2005~08
アメリカ合衆国/1969年8月19日生/右投右打
大活躍
【NPB】824試合 打率.289 安打851 本塁打240 OPS.965
(DeNA) 266試合 打率.286 安打273 本塁打85 OPS.964
(中日) 558試合 打率.291 安打578 本塁打155 OPS.965
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズの黄金期をバットで支えたホームランアーティスト。子供時代からガタイが良く、高校ではアメフトと野球の両方で活躍。MLBにはドラフト5巡目指名を受けてプロ入りしたが、階級が上がるにつれてファストボールに苦戦するようになっていった。トリプルAまで到達するもメジャー昇格はならず、マイナー10年目のシーズン後に韓国行きを決意した。

 KBOでは移転して大活躍。斗山ベアーズ移籍初年度から42本塁打を放ち、KBOのシーズン最多記録を更新。打点王と併せて二冠を獲得した。2004年までの5年間で打率.295・174本塁打・510打点の挙げ、KBO史上最高の助っ人外国人の1人となった。

 昇給を求めて日本球界行きを模索し、2003年から横浜ベイスターズに入団。ドラゴンズには2年後の2005年に球団史上最高額の2年10億円で加入した。

 入団前年のドラゴンズは落合政権1年目でセ界を制覇したが、4番タイプではない福留と立浪がクリーンナップを担っていた。ウッズの加入で最大のネックが解消されると、ここからドラゴンズは黄金期を迎えた。2006年には高橋尚成のシンカーを掬い上げ、落合監督が涙したグランドスラム。シーズントータルで打率.310・47本塁打・144打点。ナゴヤドームに移ってから初めてホームラン王に輝いた。

 最終年になった2008年も35本を放ち、横浜時代から6年連続30本塁打以上を外国人最長記録を残した。だが、2009年シーズンの年俸交渉が難航し、ドラゴンズ以外の球団からもオファーがあったものの現状を超える年俸を引き出すことができず、余力を残しながら現役生活を終えた。

 ちなみに、韓国時代の2001年にもドラゴンズは本気で獲得に動いていたが、当時はレオ・ゴメスに山﨑武司、大豊泰昭が在籍。レフトで起用しようと考えたが、斗山との契約上入団テストを行うタイミングが合わず断念している。

42 サンティアゴ・ラミレス
 
(登録名:S・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1978年8月15日生/右投右打
【NPB】27試合1勝0敗0S 防御率5.47 BB/9 4.1 K/9 3.8
【MLB】4試合0勝0敗0S 防御率8.10 BB/9 5.4 K/9 2.7

============ 選手紹介 ============

 一時期勝ちパターンの一角を担ったが夏場に二軍落ち。ウエスタンリーグでは勝利の方程式を担う活躍を見せるも、一軍に戻ることなく自由契約となった。

 いちおう元メジャーリーガーであり、2006年にはメジャーで4試合に登板実績があるが、日本での活躍は限られたものとなった。

49 フランクリン・グラセスキー
 
(登録名:グラセスキ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1979年8月20日生/左投両打
【NPB】17試合3勝0敗0S 防御率2.35 BB/9 7.0 K/9 5.1
【MLB】7試合0勝1敗1S 防御率11.25 BB/9 6.8 K/9 2.3

============ 選手紹介 ============

 MLBでも日本でもケガのせいで大成できなかった巨漢のサウスポー。

 ドミニカ共和国で生まれ、ニューヨークの高校を卒業後にドラフト指名された。2004年にメジャーデビューを果たしたが腕の故障に悩まされ、以降はメジャーの舞台から遠ざかった。

 ドラゴンズでは中継ぎとして開幕ベンチ入りを果たし、初登板から8試合連続で無失点という素晴らしいスタートを切った。安定感を見せていたが、途中で左ヒザを痛めてで戦線離脱。シーズン終了を待たずにドラゴンズを解雇され、アメリカに戻ることとなった。以降は5年間に渡って独立リーグ球団を転々としたのち、球界を去った。

4 ジョー・バレンタイン
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1979年12月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】42試合2勝4敗4S 防御率6.70 BB/9 7.3 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 アメリカ人だがドミニカのウィンターリーグ中に森繫和コーチに連れて来られた元メジャーリーガー。前評判ではMAX157km/h。セットアップマンを期待されたがヒジの故障でシーズン前半戦持たずに解雇された。

 なお、70人の選手登録枠がバレンタインの解雇で空きが出たため、即刻クルスが登録→1軍デビューへと繋がった。

222 エンリケ・ラミレス
 
(登録名:E・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1976年8月15日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 同時期にサンティアゴ・ラミレスがいたためE・ラミレスで登録された。それなりに活躍したサンティアゴと違い、こちらは1軍登板ゼロ。”じゃない方”のラミレスとして記憶された(もしくは記憶に残らなかった)。

47 クラウディオ・ガルバ
投手 在籍期間:2006
ドミニカ共和国/1977年3月28日生/左投左打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率11.25 BB/9 2.3 K/9 11.3
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 元MLBプレイヤーのクラウディオ・バルガスが来たのかと一瞬期待させた。

200 アーネスト・ペレイラ
投手 在籍期間:2006
ベネズエラ/1982年5月6日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ベネズエラ出身だが、中日ドラゴンズを退団後にクロアチア国籍を取得。ヨーロッパで野球をやる道を選択した。

42 ドミンゴ・グスマン
 
(登録名:ドミンゴ)
投手 在籍期間:2004~06(横浜02-03,楽天07-09)
ドミニカ共和国/1975年4月5日生/右投右打
期待以上
【NPB】108試合30勝37敗0S 防御率4.01 BB/9 2.7 K/9 6.9
(DeNA) 44試合13勝17敗0S 防御率3.95 BB/9 2.4 K/9 6.8
(中日) 30試合13勝9敗0S 防御率3.86 BB/9 2.6 K/9 8.0
(楽天) 34試合4勝11敗0S 防御率4.27 BB/9 3.2 K/9 6.0
【MLB】8試合0勝1敗0S 防御率19.50 BB/9 6 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 ”○○ンゴ”の語源となったアスリート型速球派投手。桁外れの運動能力を誇り、荒木より速いスピードを兼ね備えていたが脆すぎる精神面がキャリアを阻んだ。ドラゴンズ時代は何度かノーサインで盗塁を成功させたのは良き思い出。

 暗黒期の横浜ベイスターズで最多の勝ち星を挙げていたが解雇され、ドラゴンズが獲得。2004年は10勝5敗・防御率3.67をマーク。それ以降は2年連続で肩を痛め、2006年に退団した。

 最終的に2002~08年を横浜、中日、楽天の3球団で過ごした。ネットではネタ外人のような扱いを受けているが、ドラゴンズファンにとっては優勝に貢献してくれた優良助っ人である(実働1年だったが。) ドラゴンズ在籍時は普通にマジメで、例えば塁審に向かって中指を突き立てたり、1試合4ボークの日本記録を作ったりするようなことは無かった。

49 ルイス・マルティネス
投手 在籍期間:2005~06
ドミニカ共和国/1980年1月20日生/左投左打
期待以上
【NPB】41試合14勝13敗0S 防御率3.82 BB/9 2.8 K/9 6.6
【MLB】4試合0勝3敗0S 防御率9.92 BB/9 8.3 K/9 5.5

============ 選手紹介 ============

 森コーチが現地で発掘したドミニカ人先発左腕。MLBで4試合だけ登板経験がある。身長198cm、強面で見るからにやばそうな雰囲気をまとっていたが、森繫和だからこそ連れてくることができた。

 ドラゴンズでは2005~06年に在籍。当時、投手王国と呼ばれながらも実はスターターの駒不足が深刻だった。そんなチーム事情のなか2年間で40試合に先発、221回2/3を消化して14勝13敗・防御率3.82。年俸3000万円で充分すぎるほどしっかり投げてくれた。

Embed from Getty Imagesマイク・マダックス投手コーチに慰められるルイス・マルティネス。2003年にメジャーデビューも4試合登板して0勝3敗と打ち込まれた。

22→4 アレックス・オチョア
 
(登録名:アレックス)
外野手 在籍期間:2003-06(広島07-08)
アメリカ合衆国/1972年3月29日生/右投右打
元有望株 大活躍
【NPB】765試合 打率.289 安打847 本塁打97 OPS.794
(中日) 550試合 打率.283 安打586 本塁打75 OPS.795
(広島) 215試合 打率.304 安打261 本塁打22 OPS.792
【MLB】807試合 打率.279 安打597 本塁打46 OPS.766

============ 選手紹介 ============

 来日最初の試合でとんでもないバックホームを見せた。優良外国人。打撃でも6番に置けば及第点の成績を残した。「おっちょこちょいとやじられる」かもしれないという理由で登録名はアレックスとなった。

◇2005年までに在籍した外国人選手
94 ルイス・ブラウン
投手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1982年12月10日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 開幕前のプロアマ交流戦で三菱重工名古屋を相手にボコボコに打たれ、二軍でも公式戦に出ることなく退団した。

95 クリスチャン・ベロア
内野手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1979年4月27日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 一緒に入団したブラウンと同じく二軍出場すらなく退団した。

60→65 瀬間仲ノルベルト→ホッシャ
内野手 在籍期間:2003~05
ブラジル/1984年5月31日生/左投左打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日章学園時代に甲子園で特大ホームランを放ち、全国レベルで有名になったブラジル国籍のスラッガー。今でいうロマン砲であり、面白い素材ではあったが開花しなかった。現役最終年に登録名をホッシャに変更している。

 退団から10年以上が経ち、ドラゴンズにジョーダン・ノルベルトが入団。その時に少しだけ名前を思い出してもらった。

39 マーティン・バルガス
投手 在籍期間:2002~04
ドミニカ共和国/1978年2月22日生/右投右打
問題児
【NPB】20試合4勝9敗0S 防御率4.26 BB/9 3.6 K/9 6.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 「俺は”Black snake”と呼ばれていたんだ」と言って来日したムービングファストボールの使い手。メジャー経験は無く、トリプルAでは2シーズン投げた実績がある。

 来日後の2002年7月、一軍初登板で勝利を挙げたことで先発ローテーションを勝ち取った。だが、シーズン終了後、母国のウィンターリーグでプレーすることを条件に秋季キャンプを免除されたにも関わらず、ドミニカに戻ったバルガスは1度しか登板しなかった。この件でドラゴンズ首脳陣の怒りを買い、翌年は干される結果となった。

 中日を退団後は三星ライオンズ(韓国)とLaNewベアーズ(台湾)へと渡り、アジア3大プロ野球を制覇(?)。ただし永遠の課題だった制球難は相変わらずで、日本時代は死球王キンケードへの危険球退場(2004年)、韓国時代はシーズン最多与四球(2005年)、台湾では4者連続四球に1イニング6四死球(2006年)と毎年のように悪目立ちする記録を残してしまった。

36→38→44 マーク・バルデス
投手 在籍期間:2003~04(阪神02)
アメリカ合衆国/1971年12月20日生/右投右打
【NPB】109試合5勝7敗24S 防御率3.15 BB/9 3.2 K/9 6.2
(阪神) 42試合4勝3敗22S 防御率1.54 BB/9 2.9 K/9 6.7
(中日) 67試合1勝4敗2S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.9
【MLB】144試合12勝15敗4S 防御率4.95 BB/9 4.2 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 契約延長交渉が決裂してタイガースから移籍してきた先発兼リリーフ右腕。ドラゴンズでは当初先発起用されるが、連続でKOされてしまい二軍落ちを経験。その後はリリーフに配置転換されると調子を取り戻し、安定したピッチングが続いた。

 岩瀬仁紀、落合英二の防御率1点台コンビや大塚晶則など、鉄壁のリリーフ陣の中で地味だが貴重な働きをしていた。2年目も防御率3点台をマークしたが、年齢や稼働率を理由に退団となった。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

44→38 オマー・リナレス
内野手 在籍期間:2002~04
キューバ/1967年10月23日生/右投右打
超大物
【NPB】132試合 打率.246 安打86 本塁打11 OPS.714
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバがまだ野球王国だった時代に”キューバの至宝”と呼ばれたスター選手。国内リーグでプレーしながら国際大会の中心選手として国を支え、晩年のキャリアを中日ドラゴンズで過ごした。走攻守すべてに優れたプレイヤーであった。

 リナレスは15歳の時にキューバの国内リーグデビュー、17歳で代表に選出される。そこから長きに渡ってキューバ代表に欠かせない主軸選手になり、世界選手権4連覇やオリンピック2連続金メダルなど輝かしい実績を残した。

 2度目の金メダルと獲得したアトランタ五輪後、日本プロ野球でプレーしたい希望を抱くようになった。当時は巨人に行くと思われていたが、キューバ政府との交渉がより上手かったドラゴンズへの入団が決まった。また、形式的にはキューバ政府から日本球界への研修という名目の契約となった。

 ドラゴンズには3年在籍。既に30代半ばだったリナレスのパフォーマンスは全盛期には程遠いものであった。レギュラーにはなれず、2004年をもって現役引退した。その後もドラゴンズの巡回打撃コーチや通訳のほか、キューバ国内の若手選手のリクルーターをこなした。

Embed from Getty Images2000年のシドニー五輪では決勝でアメリカと対戦。3季連続金メダルとはならなかった

52→18 エディ・ゲイラード
 
(登録名:ギャラード)
投手 在籍期間:2000~03(横浜03~04)
アメリカ合衆国/1970年8月13日生/右投右打
大活躍 問題児
【NPB】194試合6勝9敗120S 防御率2.90 BB/9 2.4 K/9 6.7
(中日) 168試合4勝6敗112S 防御率2.52 BB/9 2.4 K/9 6.8
(DeNA) 26試合2勝3敗8S 防御率5.33 BB/9 2.5 K/9 6.0
【MLB】30試合2勝0敗1S 防御率4.66 BB/9 4.2 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズで残した実績は◎も、クローザーの地位を巡って大モメして退団した正統派リリーフ右腕。各球団の問題児と言われた選手に複数年活躍した助っ人は少なく、歴代外国人では珍しいケースと言える。

 1993年にプロ入りした当初は先発投手だったが、シングルA+にいた時にリリーバーに転向してから順調に昇格。メジャーに3年続けて昇降格して合計30試合に登板した。

 2000年にドラゴンズ入りすると日本のボールが手に馴染んだのか、アメリカ時代よりコントロールが格段にアップ。前評判通りの150km/h台前半の速球とスライダーの威力はNPBでは大きく通用し、2002年までの3年間で98セーブ・防御率2.17と優秀な成績を残した。

 しかし、2003年にメジャー挑戦を巡って近鉄首脳とこじれた大塚晶文(のちに晶則に改名)が入団したことで状況が一変。ドラゴンズは引き続きギャラードにクローザーを任せるつもりだったが、ギャラードは開幕前から過剰に不快感を表した。シーズンが始まるとこれまでの3年間がウソのように打たれ出し、また6月には練習中に利き手で打球を取りにいってしまい指を負傷。二軍での調整を断固拒否し、異例の形でウエーバーを経て横浜ベイスターズへ移籍となった。

49 イバン・クルーズ
内野手 在籍期間:2003(阪神01)
プエルトリコ/1968年5月3日生/左投左打
【NPB】141試合 打率.228 安打106 本塁打25 OPS.725
(阪神) 70試合 打率.234 安打56 本塁打14 OPS.746
(中日) 71試合 打率.222 安打50 本塁打11 OPS.704
【MLB】41試合 打率.273 安打15 本塁打2 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 タイガースでバースの再来と期待されるも1年で退団した長距離砲。米球界を1年はさんでドラゴンズが獲得した。タイガース時代と同様に主軸候補として期待されていたが、打撃不振に加えて仮病で練習を休んだ疑惑を持たれ、信頼と居場所を失った。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

22 ケビン・ミラー
内野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1971年9月24日生/右投右打
大物
【NPB】1軍出場なし
【MLB】1427試合 打率.274 安打1284 本塁打170 OPS.810

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズと契約後にボストン・レッドソックスからのオファーに乗り換え、日米間で大きな問題となったことで有名な巧打の内野手。結果的に代わりに獲得したのがアレックス・オチョアだったため、戦力的にドラゴンズが受けたダメージは小さかった。

 ミラーの方は、そのレッドソックスに入団すると打撃でキャリアハイの記録。また、持ち前の陽気なキャラクターでチームに好影響をもたらし、2004年のワールドシリーズ制覇に貢献した。ただし、マイナーリーガー時代に当時ストライキが行われていた1995年、球団オーナーの指令でメジャーリーガーの代替選手としてプレーしたことで、いわゆる”スト破り”の選手としてMLB選手会から目を付けられ、チャンピオンズリングを貰えなかった等多くの報復措置を受けた。

Embed from Getty Imagesドジャース監督のデーブ・ロバーツとは2004年のワールドチャンピオンを勝ち取った同志だ

42 メルビン・バンチ
投手 在籍期間:2000~02
アメリカ合衆国/1971年11月4日生/右投右打
期待以上 優良助っ人
【NPB】69試合31勝23敗0S 防御率3.19 BB/9 3.3 K/9 8.2
【MLB】18試合1勝3敗0S 防御率6.84 BB/9 3.8 K/9 4.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーでは打たれたがトリプルAで10勝2敗・防御率3.10の成績を残したところをドラゴンズが獲得した優良助っ人。NPB初登板を白星で飾ると、次の試合でノーヒッターを達成。シーズンを通じて先発ローテを守り、14勝8敗・防御率2.98の素晴らしい数字を残した。完投が少ないことを理由に沢村賞受賞はならなかったが、ドラゴンズでは郭源治以来14年ぶりに2ケタ勝利を挙げた外国人投手となった。

 翌年も2ケタ勝利(10勝8敗)を記録し、3年目も途中まで問題なく投げていたが、8月に不整脈を発症。この年限りで日本でのプレーを断念した。

 常時145km/h前後のファストボールとスプリッターのほか、ブレーキングボールの制球力に長けた。投げれば毎回試合を作ってくれるピッチングは安定感のあるものだった。打撃も得意としていて日本では通算3ホーマー、そのうち1本は福岡ドームでピッチャーが初めて放った柵越え弾だった。また性格的にも日本に馴染もうと努力し、チームメイトから親しまれていた。

 ちなみに、フルネームはMelvin Lynn Bunch。メジャーリーグでは歴代6人目の”名前にMLBを持つ男”である。

18→30 曹竣揚(ツァオ・チュンヤン)
投手 在籍期間:2000~02
台湾/1976年3月29日生/右投右打
【NPB】2試合0勝1敗0S 防御率9.53 BB/9 7.9 K/9 7.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 当時はまだ珍しかった台湾人選手の海外挑戦者だった。来日前年にCPBL(台湾プロ野球)の統一ライオンズに入団し、球界最年少でノーヒッターを達成。NPB球団間での争奪戦の末にドラゴンズが獲得したが、3年間で一軍登板2試合に終わった。

49 スコット・ブレット
外野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1968年12月25日生/左投左打
【NPB】49試合 打率.201 安打30 本塁打7 OPS.637
【MLB】247試合 打率.233 安打87 本塁打6 OPS.639

============ 選手紹介 ============

 メジャーを4年経験した俊足・強打の外野手。1995年に100試合以上に出場してOPS.791をマークしたがメジャー定着はならず、1998年には台湾でプレーした。

 2001年のシーズン終了後のドラゴンズは韓国でMVP受賞のタイロン・ウッズ獲得を目指していたが、空きポジションの都合で断念。外野手のブレットを獲得した。主軸候補としてスタメン起用され、時折特大アーチを放ったが低打率に喘ぎ、シーズン終了直前に契約解除となった。

55→60 大豊泰昭
内野手 在籍期間:1989-97,2001-02(阪神98-20)
台湾/1963年11月15日生/左投左打
大活躍 期待以上 日本に帰化
【NPB】1324試合 打率.266 安打1089 本塁打277 OPS.873
(中日) 1050試合 打率.268 安打889 本塁打215 OPS.870
(阪神) 274試合 打率.258 安打200 本塁打62 OPS.883
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの1990年代を語るに外せない台湾人スラッガー。本名は陳大豊。台湾人台湾の山岳地帯に住む農家の長男として生まれた。家庭は貧しく、小さい頃から農作業を手伝いながら育った。それが影響したのか身体が大きくなり、野球の強い小学校の監督から声をかけられたのが野球との出会いだった。

 中学時代に転校した東峰中を全国制覇に導き、リトルリーグ台湾代表の4番を務めた。高校でも台湾代表に選ばれる活躍をしていたところ、華興高校監督の知人から日本行きを勧められた。この人物は愛知県で野球用品の販売業を営む日本人経営者だった。

 日本に行けば王貞治に会えるかも、というのが決め手になって日本行きを決断した大豊は、先の知人のツテで名古屋商科大学に入学した。4年間のほとんどを4番を任され、愛知大学リーグ記録を塗り替える通算24本塁打を放った。名商大野球部の指導は厳しく、心技体すべてをレベルアップさせていった。

 大学卒業後に中日球団職員の立場を経て、翌年ドラフト2位でドラゴンズに入団した。当時の外国人枠の例外規定で、”日本に5年以上居住かつ中学・高校・大学を3年以上在学”した外国籍の選手は日本人枠で登録可能だったため、戦略的に1年間球団職員として採用したのだった。また、当時は練習生として囲い込んだ選手はドラフト1位で指名する紳士協定があったが、大阪桐蔭高の今中慎二を取るために2位指名しており、後の大幅なルール改定の原因になった。

 中日ドラゴンズに入団後は、新人から5番レフトで開幕戦に出場。2年目の1990年に20本塁打の大台に乗せたあたりから本格的に恐れられるようになっていた。92年のシーズン終了後に一本足打法を取り入れ、94年は打率.310・38本塁打・107打点を挙げ二冠王に輝いた。落合博満が巨人にFA移籍したことで、この年からファーストにポジションを移していた。

 1997年に本拠地がナゴヤドームになると雲行きが怪しくなる。打撃不振と背中のケガで出場が100試合を割り、12本塁打に留まると、翌年阪神タイガースにトレードで放出された。2000年に4年ぶりにドラゴンズへ戻り、キャリアの晩年を古巣で過ごした。

 引退後は海外担当スカウトのほか少年野球の指導に邁進し、自身の夢のひとつだった中華料理店”大豊飯店”を開業した。2009年に白血病を患ってからは入院と再発を繰り返し、2015年に51歳の若さで逝去した。

4 レオ・ゴメス
内野手 在籍期間:1997~2002
プエルトリコ/1966年3月2日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】660試合 打率.293 安打690 本塁打153 OPS.914
【MLB】611試合 打率.243 安打466 本塁打79 OPS.753

============ 選手紹介 ============

 シカゴ・カブス時代にサミー・ソーサと上位打線を組んだスラッガー。プエルトリコ出身の野手らしいクレバーなプレイヤーで、性格も温厚な真面目外国人として一目置かれていた。

 ナゴヤドーム初年度の1997年に来日していきなり3割・30本を達成。ほかの選手が広い球場に苦しむ中、現役メジャーリーガーの実力を見せつけた。2000年に一度引退も呼び戻されて現役復帰したが、膝の具合がどうにもならなくなり2002年に今度こそ引退した。

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69 呂建剛(ル・チェンガン)
投手 在籍期間:1999~2001
中華人民共和国/1979年2月19日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 珍しい中国本土出身のピッチャー。練習生に近い立場で入団した。1軍出場はなかったが、母国に戻って国際大会の主力選手として活躍した。

44 オジー・ティモンズ
外野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年9月18日生/右投右打
【NPB】83試合 打率.228 安打62 本塁打12 OPS.688
【MLB】186試合 打率.235 安打95 本塁打20 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 MLB通算186試合・長打率.437を記録していた長距離砲。引退したレオ・ゴメスの穴埋めに期待されたが、MLB時代のプレイスタイルをそのまま引きずり、低打率に喘いだ。同時期に入団したアンローも期待外れだったため、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させることとなった。

 ただ、ドラゴンズでも299打席で12本塁打を放っており全然ダメだったわけではなく、契約延長の噂も出たが本人がメジャー復帰を希望。1年で退団してトリプルAに戻った。引退後はメジャー球団でコーチを務めている。

9 ティム・アンロー
内野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年10月7日生/右投右打
【NPB】4試合 打率.143 安打1 本塁打0 OPS.429
【MLB】79試合 打率.221 安打21 本塁打3 OPS.656

============ 選手紹介 ============

 安定した打撃とサードの守備を期待されたクリーンナップ候補。来日前年にトリプルAで打率.278・24ホーマーを放っており、引退したレオ・ゴメスの後釜に星野監督からの期待も大きかった。

 オープン戦が始まると打撃不調で、開幕時点で一軍外国人枠から脱落。シーズンが始まって1ヶ月経って彼と李鍾範、ティモンズが皆いまいちだったせいで、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させる決定を下した。そのゴメスと完全にポジションが被るアンローに一軍での居場所はなく、二軍ではそれなりに打ったもののシーズン中に帰国することとなった。

 息子はドラフト2巡目指名でタンパベイ・レイズに入団したライリー・アンロー。プロ入り後はしばらくの間レイズ内の有望株ランキングに名前が載る存在だったが、打撃で目立った成績を残せず。2018年以降ずっとトリプルAにとどまっている。

8→7 李鍾範(りー・じょんぼむ)
外野手 在籍期間:1998~2001
大韓民国/1970年8月15日生/右投右打
WBC2006
【NPB】311試合 打率.261 安打286 本塁打27 OPS.741
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ”韓国のイチロー””風の子”と呼ばれた俊足好打のKBOのレジェンド。近年は息子の李政厚の活躍もあって名前を聞く機会が出てきた。

 宣銅烈が在籍するドラゴンズへと入団。ショートのレギュラーを掴んでシーズン前半は好結果を残していたが、シーズン中に右ヒジにデッドボールを受けて骨折。内角に食い込むシンカーを振りにいった結果で、復帰後は残像が残るのか打席での積極性を失った。

 翌年は福留孝介の加入でセンターにコンバートされ、打撃でも低空飛行が続いた。

46 ダン・カールソン
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1970年1月26日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 3.9 K/9 3.9
【MLB】23試合1勝0敗0S 防御率6.70 BB/9 3.4 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 開幕戦に登板も2試合出場に終わり、ひっそりと退団した元リリーフ右腕。ドラゴンズファンの大半は記憶にないと思われる。

 メジャー3球団でプレー後、ディンゴが母国オーストラリアで見つけてドラゴンズに紹介。開幕を1軍で迎えたが、バンチとギャラードが活躍していたせいで外国人1軍枠からはじき出され、シーズン途中に契約解除された。

 現役引退後はマイナーリーグの投手コーチとして指導者経験を重ね、2023年にはDバックスの投手コーチ補佐としてメジャーに帯同。リーグ優勝に貢献した。

44 デービッド・ニルソン
 
(登録名:ディンゴ)
捕手 在籍期間:2000
オーストラリア/1969年12月14日生/右投左打
大物 WBC2006
【NPB】18試合 打率.180 安打11 本塁打1 OPS.469
【MLB】837試合 打率.284 安打789 本塁打105 OPS.817

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズ以外の野球ファンにもダメ外国人として認知度が高い元メジャーリーガー。オーストラリア人。現役時代は捕手と外野両翼を守っていた。

 ドラゴンズに来る直前までMLBで6年連続2桁ホームランを記録、特に前年はキャリアハイの21本塁打・OPS.954の好成績を残していたが2000年のシドニー五輪に出たいという理由でメジャー球団と契約せず来日した(※MLBでは五輪へのメジャーリーガーの派遣を認めていなかった)。ディンゴの登録名で中日ドラゴンズに入団したが、日本では18試合で打率.180・1本塁打に終わった。日本ではさっぱりだったが秋の念願のシドニー五輪では打ちまくった。

 母国オーストラリアでは野球界の英雄であり、2008年にイアン・ソープと一緒に国のスポーツ殿堂入りを果たしている。

Embed from Getty Imagesキャッチャーながら強打を誇った


NPB助っ人外国人名鑑2025年版 ~パ・リーグ編~


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

外国人名鑑2025年版
【埼玉西武ライオンズ】
【福岡ソフトバンクホークス】
【北海道日本ハムファイターズ】
【千葉ロッテマリーンズ】
【オリックス・バファローズ】
【東北楽天ゴールデンイーグルス】
◇埼玉西武ライオンズ
45 トレイ・ウィンゲンター
投手 在籍期間:2025~
アメリカ /1994年4月15日生/右投右打 
新加入 160km/h
【NPB】(新加入)
【MLB】97試合2勝3敗1S 防御率5.66 BB/9 4.7 K/9 12

============ 選手紹介 ============

 身長2m超、ファストボールの球速は160km/hに達するスケールのデカいリリーフ右腕。ただし、制球に大きな問題を抱える荒れ球タイプである。

 メジャー通算97試合登板。2019年には51試合に投げた実績があるが、それ以降は3A暮らしが長くなっていた。4月に31歳を迎えるシーズンとなり、メジャーへ返り咲き&再定着を狙うにはラストチャンスか。

Embed from Getty Imagesロン毛が似合っていたウィンゲンター。日本でも髪を伸ばすのか?

56 エマニュエル・ラミレス
投手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1994年7月15日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】15試合0勝1敗0S 防御率6.97 BB/9 3.5 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 苦節12年、30歳を迎える直前に念願のメジャー初昇格を果たしたドミニカ共和国出身の右腕。2024年にメジャーデビューし15試合に登板したものの、防御率6.97と結果を残せず。キャリアを通じて被弾の多さが課題となっていた。

 2019年までパドレス傘下でプレーしていたが、コロナ禍以降は複数の球団を転々とする苦しいキャリアが続いた。メジャーや3Aではリリーフ起用が中心だったが、メキシカンリーグでは先発メインで登板しており、状況に応じた柔軟な起用ができそう。

42 ボー・タカハシ
投手 在籍期間:2022~
ブラジル/1997年1月23日生/右投右打
日系人
【NPB】88試合2勝10敗0S 防御率3.01 BB/9 3.9 K/9 6.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 先発よりリリーフに適性があるブラジル人右腕。日系3世。2022年からライオンズで所属し、昨季は先発転向に挑戦するも、最終的にブルペンに戻った。マイナーリーグ時代にもリリーフ起用された試合の方が結果を残していた。

 なお、メジャー公式戦で登板経験はないものの、26人枠のロースターに2日間だけ登録されたことがある。いわゆる”ファントム(幻)メジャーリーガー”と呼ばれる選手の1人である。

116 ビクター・ロペス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1999年9月2日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2023年オフの入団テストに合格し、アンソニー・ガルシアとともにライオンズへ加入した大型リリーフ右腕。フィラデルフィア・フィリーズ傘下のマイナーで投げていたが、2023年途中に解雇された後は独立リーグでプレーしていた。

 常時150~155km/hの2種類のファストボールと変化球もチェンジアップ、カットボールを持っている。一方でコントロールやマウンドさばきは未熟で、”実戦慣れ”しておらず育成には時間がかかりそう。

40 レアンドロ・セデーニョ
内野手 在籍期間:2025~(西武23~24)
ベネズエラ/1998年8月22日生/右投右打
移籍
【NPB】155試合 打率.254 安打122 本塁打24 OPS.743
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2024年までオリックスに在籍していた打撃型の内野手。体重は110kgを超えるが、本人も太りやすい体質を自覚しており、体重管理には人一倍気を遣っている。また、パワーだけでなく意外と右方向への打撃も巧みで、変化球への対応力もある。明るい性格でチームにも溶け込みやすいタイプだが、年俸1億6000万円はやや高めか。

 オリックスに育成契約で来日後、2023年に支配下選手登録。この年に9本塁打を放ち、育成契約で入団した外国人選手として初の満塁ホームランも記録。2年目の昨季は15本塁打を放ちながらも退団し、西武へ移籍した。

26 タイラー・ネビン
内野手 在籍期間:2025~
アメリカ /1997年5月29日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】192試合 打率.204 安打104 本塁打12 OPS.615

============ 選手紹介 ============

 2023年に大谷翔平の上司だったフィル・ネビン監督の息子。メジャー通算208本塁打を記録した父のような活躍はできなかった。

 ここ最近、ライオンズが連れてくる助っ人野手は打撃特化型が多いが、まったく打てずに1年以内に退団するケースが続いている。果たしてネビンはどうか?

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44 林冠臣(リン・クァンチェン)
外野手 在籍期間:2025~
台湾/2002年12月30日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2024年のドラフト4位入団の台湾人選手。日南学園(宮崎県)から日本経済大学へ進み、ドラフト指名を受けて入団した。

55 アンソニー・ガルシア
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年9月5日生/右投両打
【NPB】19試合 打率.131 安打8 本塁打1 OPS.494
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 いわゆるロマン砲タイプの選手で、シン・カリブの怪人と期待されているスイッチヒッター。17歳のときにニューヨーク・ヤンキースと契約。2023年にシングルA+までは到達したが、オフに西武ライオンズの入団テストを受けていた。

 育成契約ではあるがプレーを見た首脳陣からの評価は高く、想定以上に早く1軍デビューしてもおかしくない。打撃スタイルは待ち球系で、全打席の4割近く三振に倒れるが長打力は非凡。外野守備もそこまで悪くない。

132 ラタナヤケ・ラマル・ギービン
外野手 在籍期間:2025~
日本/2006年4月8日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 スリランカ人の両親を持つ、2024年ドラフト入団した高卒外野手。名古屋市で生まれ育ち、幼少期は空手をやっていたが、小学校の途中から野球を始めると、その才能が一気に注目されるようになった。高校は名門・大阪桐蔭高へ進学し、主軸選手として活躍。守備に課題があると言われており、2年まではサードを守っていたが、3年ではファーストに移っている。

 なお、本特集「助っ人外国人名鑑」では外国籍の選手を掲載対象としているが、彼の両親がスリランカ人であることは周知の事実である一方、本人の国籍がどうなっているかは情報がなく不明。悩んだ末、念のため掲載することとした。

◇福岡ソフトバンクホークス
143→35 リバン・モイネロ
投手 在籍期間:2017~
キューバ/1995年12月8日生/左投左打
大活躍 期待以上 WBC2017 WBC2023
【NPB】331試合30勝14敗40S 防御率1.92 BB/9 3.5 K/9 11.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバから育成で来日し、球界屈指のリリーバーに成長したたサウスポー。昨シーズンはMLBへの亡命を防ぐべく4年4000万円の大型契約を締結。さらに先発に転向していきなり防御率のタイトルを獲得した。

 来日前は17歳の頃からキューバ国内リーグやカリビアンシリーズで投げていた。当時は球速が140km/h前半を計測する映像しかなかったせいで、謎多き外国人の印象が強く将来性を疑問視する声が多く聞かれた。だがファームの実戦で三振を量産すると、支配下登録された2017年6月に一軍デビュー。高い奪三振能力を発揮し、2019年から5年連続で防御率2.00以下をマークした。

 150km/h中盤のフォーシームとカーブ、チェンジアップ、スライダーは全てハイレベルで、2022年頃から制球力も伴うようになり、手が付けられなくなった。なお、成功に至るまでにはキューバの英雄でホークスのチームメイトでもあったデスパイネから教えを請けれたことも成功の要因だった。

54 ロベルト・オスーナ
 
(登録名:オスナ)
投手 在籍期間:2023~(ロッテ22)
メキシコ/1995年2月7日生/右投右打
大物 大活躍 問題児 160km/h WBC2017
【NPB】117試合7勝6敗60S 防御率1.85 BB/9 1.5 K/9 7.5
(ロッテ) 29試合4勝1敗10S 防御率0.91 BB/9 0.9 K/9 9.7
(SB) 88試合3勝5敗50S 防御率2.16 BB/9 1.6 K/9 6.7
【MLB】314試合14勝18敗155S 防御率2.74 BB/9 1.6 K/9 9.9

============ 選手紹介 ============

 2015年に20歳の若さでメジャーデビューし、2018年にはMLB史上最年少で通算100セーブを達成。しかし、その後DVの疑いによりMLB機構から75試合の出場停止処分を受ける。処分明け後は肘の故障に見舞われ、メジャー30球団が獲得を敬遠した。メジャー復帰が難しくなったため、メキシカンリーグを経て日本にやってきた。

 2022年シーズン途中に千葉ロッテに加入すると、29試合で防御率0.91という圧倒的な成績を残し、その実力を見せつけた。これに目をつけたソフトバンクがシーズン後に札束攻勢により獲得した。

 移籍1年目の2023年も防御率0.92とMLBタイトルホルダーの威厳を保ったが、2024年は防御率3.76と大きく成績が悪化。夏場には一軍登録を抹消し離脱していた期間中に、母国メキシコで父親が監督を務めるアマチュアチームの対戦相手関係者に対し、殺害予告や侮辱行為をしたと告発を受けた。コンディション不良を理由にチームを離れていた中、再びトラブルに見舞われている。

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61→63 ダーウィンゾン・ヘルナンデス
投手 在籍期間:2023~
ベネズエラ/1996年12月17日生/左投左打
WBC2023
【NPB】49試合3勝3敗3S 防御率2.59 BB/9 2.8 K/9 13.5
【MLB】91試合3勝4敗0S 防御率5.06 BB/9 7.7 K/9 14

============ 選手紹介 ============

 主にレッドソックスで投げていたリリーフ左腕。ブルペンが弱かったレッドソックスに彗星の如く現れ、ルーキーイヤーにいきなりセットアップマンとして活躍。しかし、2年目以降は年々成績を落とし、いつの間にかメジャーからフェードアウトしていた。

 メジャーデビュー前から制球力に課題があり、昔は上から投げていた投球フォームをほぼサイドスローになるまで腕を下げたが、それでもノーコンぶりは解消されなかった。

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2 カーター・スチュワートJr.
 
(登録名:スチュワート・ジュニア)
投手 在籍期間:2019~
アメリカ合衆国/1999年11月2日生/右投右打
元有望株 160km/h
【NPB】45試合12勝12敗0S 防御率2.89 BB/9 4.6 K/9 8.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アマチュアから直接日本に渡ってきた異色の速球派右腕。高校時代からトッププロスペクトとして注目され、2018年のMLBドラフトでは1巡目(全体8位)という高評価で指名を受けた。しかし、メディカルチェックに引っかかり契約交渉がまとまらず、短大を経て日本でプロキャリアをスタートさせる道を選んだ。来日から数年が経ち、最近では日本語もかなり上達している。

 2023年に待望の来日初勝利を挙げると、昨季は9勝4敗・防御率1.95と好成績を記録。チーム事情により変則ローテーションを強いられ、頻繁に二軍との昇降格を繰り返しながらも安定した成績を残した。もしシーズンを通して固定されたローテーションで起用されていれば、タイトル獲得の可能性も十分にあっただろう。

 なお、元ホークス投手で現在はスカウトを務めるマット・スクルメタがスチュワートの実家の近所に住んでおり、学生時代から指導を受けていたという縁がある。

135 アレクサンダー・アルメンタ
投手 在籍期間:2022~
メキシコ/2004年6月26日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2021年オフに育成契約した青田買い4人衆の1人。来日前に16歳の時点でメキシカンリーグデビューを果たし、翌年からホークス入りを決めた。契約時点ではメジャーリーグ志向を持っていた。

 入団前は16~17歳で常時145km/h前後を投げていた。大成したモイネロの来日時と比較されていて、彼よりひと回り大きな体格を持つことから高い期待をかけられている。

156 ルイス・ロドリゲス
投手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2001年8月18日生/右投右打
160km/h
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 フェリックスやシモンら4人衆より半年遅れてホークス入りしたパワーピッチャー。ファストボールの球速は100マイルに達する。

 ドミニカ共和国では彼らと同じアカデミーに所属し、ホークススカウトの萩原氏に連れてこられた。2年以内に1軍デビューが可能なポテンシャルを持つ、と萩原氏から高く評価され、3軍の試合で好投を続けていたが2023年春にヒジを故障。トミー・ジョン手術からの復帰を目指し、いったん仕切り直しとなった。

173 ダリオ・サルディ
投手 在籍期間:2024~
キューバ/2005年11月12日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバから育成契約で入団した若い先発右腕。入団時、同じサウスポーということで「モイネロ投手のような選手になれるよう頑張りたい」と抱負を述べていた。

 実績は2023年にキューバ国内リーグで8試合に先発登板して1勝3敗・防御率4.88を記録している。9イニング当たり10.6個の四球を与えており、育成には相当な時間を要すると予想された。

 しかし、来日時点では細かった身体も、夏場に体重90kg台半ばまで増量に成功。3軍の試合でも実戦登板を経験しており、上々の1年目を過ごした。

4 ジーター・ダウンズ
内野手 在籍期間:2024~
コロンビア/1998年7月27日生/右投右打
元有望株
【NPB】7試合 打率.273 安打6 本塁打1 OPS.794
【MLB】20試合 打率.182 安打8 本塁打1 OPS.533

============ 選手紹介 ============

 デレク・ジーターに因んで名付けられたファーストネームが有名な内野手。コロンビアで生まれ、5歳のときにフロリダに移住した。

 マイナー時代に2年続けて有望株ランキングtop100に選ばれたプロスペクトだったが、MLBではバッティングが通用せず。2024年のシーズン後半になってSBホークスに加入した。

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144 マルコ・シモン
外野手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2004年9月18日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2021年オフに育成契約した青田買い4人衆の1人。マルセル・オズーナの親戚が経営するオズーナ・ベースボール・ファクトリーで経験を積んでいた。MLB球団からオファーがあったが日本行きを希望し、ホークス入りが決まった。

 まだ3・4軍の試合が中心。まずはウエスタンリーグでの出場機会をゲットしたい。

175 デービッド・アルモンテ
内野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2007年12月2日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2024年もドミニカ共和国から連れてきた青田買い内野手。まだ17歳。SBが力を入れると言っている4軍で経験を積ませる。

173 ホゼ・オスーナ
外野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/2007年3月27日生/右投右打
【NPB】533試合 打率.263 安打527 本塁打73 OPS.732
【MLB】276試合 打率.241 安打159 本塁打24 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 2022年の暮れに15歳でホークス入りした将来のレギュラー候補。外野3ポジションを守り、パワーと強肩をアピールポイントとする。2023年メジャーで40本塁打を放ったマルセル・オズーナは従兄にあたる。

 2023年は2軍での出場機会はなく、秋に母国で肩の手術を受けた。ホークスの若手にありがちな育成選手の飼い殺しに終わらないか心配。

◇北海道日本ハムファイターズ
37 古林睿煬(グーリン・ルイヤン)
投手 在籍期間:2025~
台湾/2000年6月12日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 脳内で「こばやし君」と変換したくなる若手有望右腕。2023年のアジアプロ野球チャンピオンシップで日本相手に完璧なピッチングを披露したため、多くの日本人ファンから日本球界入りを期待されていた。

 CPBL(台湾プロ野球)入り後はケガに見舞われていたが、2024年に台湾プロ野球のMVPと最優秀防御率を獲得する大活躍。いま最も実力のある台湾人ピッチャーと言っても過言ではない。

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42 アニュラス・ザバラ
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1996年12月21日生/右投右打
160km/h
【NPB】16試合0勝0敗1S 防御率1.20 BB/9 4.8 K/9 9.0
【MLB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 3.4 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 マイナーで160km/hを頻繁に計時も制球難が深刻な火の玉リリーバー。イニング数よりも多く四球を与えたシーズンが何度もあるが、過去にはサファテのようにNPBのボールで与四球率が良くなるケースがあるため、当たれば勝ちパターンで起用可能なリリーバーに成長するかも。

 メジャー経験は2022年の2試合のみだが、1億1千万円と決して安くない年俸で契約。昨シーズン終了後に契約が終わったが、大幅減額の約6000万円で再契約となった。

36, 45 ドリュー・バーヘイゲン
投手 在籍期間:2020~21,24
アメリカ合衆国/1990年10月22日生/右投右打
160km/h
【NPB】47試合15勝16敗0S 防御率3.44 BB/9 2.5 K/9 9.0
【MLB】206試合18勝12敗0S 防御率4.98 BB/9 3.7 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 2023年オフにメジャー契約を蹴ってまでファイターズに戻ってきた漢の中の漢。前回は2020~21年に在籍し、先発でそれなりの成績を残していたが、異国の地でのコロナパンデミックに苦しんだ。

 ファストボールは2021年に160km/hを計時。前回在籍時のピッチングは球威充分であったが、一方でクイックモーションの遅さが弱点と言われていた。メジャーに戻ってから覚えたスイーパーを武器に、元メジャーリーガーの威厳を示したいところ。なお、再契約した今季の年俸は現状維持の3.5億円+出来高と言われている。

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196 孫易磊(スン・イーレイ)
投手 在籍期間:2024~
台湾/2005年2月10日生/右投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 台湾では二刀流。メジャーリーグを目指していたが、ファイターズが日米球団間の争奪戦を制した。

2 アリエル・マルティネス
捕手 在籍期間:2023~(中日18~22)
キューバ/1996年5月28日生/右投右打
WBC2023
【NPB】414試合 打率.252 安打305 本塁打40 OPS.757
(中日) 169試合 打率.274 安打118 本塁打12 OPS.767
(日ハム) 245試合 打率.240 安打187 本塁打28 OPS.751
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 オマー・リナレスが目を付けてドラゴンズに連れてきた強打の捕手兼一塁手。2023年ファイターズに移籍し、初めて2桁本塁打(15本)をマーク。シーズン終盤には自身のXで”I will be a Fighter for a long time🙌”と宣言。ファンを歓喜させた。

 「アリエル」は、キューバ史上最高のキャッチャー、アリエル・ペスターノから取って付けられている。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

99 フランミル・レイエス
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1995年7月7日生/右投右打
大物
【NPB】103試合 打率.290 安打97 本塁打25 OPS.912
【MLB】548試合 打率.249 安打468 本塁打108 OPS.775

============ 選手紹介 ============

 ホームラン特化型の長距離砲。メジャー通算108ホーマーを放ち、一時期はクリーンナップを任されたこともあったが、メジャーでの出場機会を失っていた。2023年オフのNPB入り外国人の最有力候補と言われていたが、実際に複数のNPB球団からオファーがありファイターズが獲得競争を制した。

 日本での1年目は前半戦に大きく苦しんだが、途中から本領発揮。サヨナラ本塁打や大事な場面でのタイムリーを幾度となく打ち、契約延長を勝ち取った。

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150 マイカ与那嶺
内野手、捕手 在籍期間:2025~
アメリカ /2000年10月10日生/右投右打 
新加入 日系人
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ハワイ出身、あのウォーリー与那嶺の曾孫にあたる元マイナーリーガー。マイナーでの最高位はシングルAで、2023~24年は独立リーグでプレーしていた。

127 山口アタル
外野手 在籍期間:2023~
カナダ/1999年5月28日生/右投右打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本人の父とギリシャ系カナダ人の母を持つ異色の外野手。2022年のドラフトで隠し玉として指名を受け入団した。カナダ国籍を有している。

 今季は初めて一軍の春季キャンプに抜擢された。ただ、実戦でまったく当たりが出ず、新庄監督からメディアを通じて厳しいコメントが寄せられた。

◇千葉ロッテマリーンズ
54 オースティン・ボス
投手 在籍期間:2025~
アメリカ /1992年6月26日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】207試合17勝19敗0S 防御率4.70 BB/9 3.2 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算207試合登板を誇るリリーフ右腕。昨季はシアトル・マリナーズでチーム2番目に多い68試合に登板したにもかかわらずノンテンダーとなった。まだメジャーで活躍できる力は十分あったが、新たな舞台として日本行きを選択した。

 最近はカット系の球種を多投するようになっているが、日本では配球を変えてくるだろうか? なお、ボスのスペルは“Voth”。

Embed from Getty Imagesいまだにナショナルズのイメージが強いVoth

42 ブライアン・サモンズ
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1995年4月27日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】6試合1勝1敗0S 防御率3.62 BB/9 3 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 昨シーズン、30歳を前に初めてメジャーの舞台を踏んだサウスポー。メジャーでは6試合すべてリリーフ登板だったが、マイナーでは先発として起用されていた。

 速球は150km/hに届かず、豊富な変化球を持つものの、コマンドに自信がないのかファストボール主体の投球スタイル。与四球率も高めで、制球面が課題となる。

91, 97 タイロン・ゲレーロ
投手 在籍期間:2022,25~
コロンビア/1991年1月9日生/右投右打
NPB復帰 元有望株 160km/h WBC2017
【NPB】49試合3勝3敗3S 防御率3.52 BB/9 3.9 K/9 12.3
【MLB】113試合2勝5敗0S 防御率5.77 BB/9 5.7 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 「ヒガンテ(巨人)」のニックネームを持つ剛速球投手。3年ぶりに千葉ロッテへ復帰するにあたり、公式身長が6.8フィート(203cm)から6.9フィート(206cm)に訂正された。過去に104マイル(165km/h)を計測したことがあり、元巨人・ビエイラが持つ日本プロ野球の最速記録更新への期待がかかる。

 コロンビア出身で、2017年のWBCに出場。2023年大会では指名投手枠に選ばれ、不測の事態に備えて待機していた。

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139 エルウィン・パラシオス
投手 在籍期間:2025~
ベネズエラ/2004年3月19日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 Baseball Referenceに名前が載っていない、アマチュア選手と思われる謎のベネズエラ人。吉井監督曰く「スピードがあるので細かいコントロールがつけば面白い」とのこと。

99 ネフタリ・ソト
内野手 在籍期間:2024~(DeNA18~23)
プエルトリコ/1989年2月28日生/右投右打
大活躍 WBC2023
【NPB】843試合 打率.263 安打785 本塁打182 OPS.828
(DeNA) 711試合 打率.262 安打653 本塁打161 OPS.837
(ロッテ) 132試合 打率.269 安打132 本塁打21 OPS.780
【MLB】34試合 打率.071 安打3 本塁打0 OPS.186

============ 選手紹介 ============

 来日1年目から2年連続セのホームラン王に輝いた元DeNA戦士。NPB6年目の2023年は自身ワーストの打率.234・14本塁打・50打点。シーズン終了後には左足を手術し、ベイスターズを自由契約となっていた。

 安田と山口がまだ1人前のスラッガーとは言えず、ポランコとともにマリンガン打線の軸になることを期待されている。

 千葉ロッテ加入後のプレシーズン中、とあるスポーツ系ニュース番組で「~今シーズンからロッテに新加入した… ネタフリ・ソト!」と紹介され、視聴者をざわつかせた。

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22 グレゴリー・ポランコ
外野手 在籍期間:2023~(巨人22)
ドミニカ共和国/1991年9月14日生/左投左打
元有望株 優良助っ人 WBC2017
【NPB】381試合 打率.241 安打314 本塁打73 OPS.767
(巨人) 138試合 打率.240 安打105 本塁打24 OPS.762
(ロッテ) 243試合 打率.242 安打209 本塁打49 OPS.769
【MLB】823試合 打率.241 安打696 本塁打96 OPS.718

============ 選手紹介 ============

 千葉ロッテに移籍した2023年、パ・リーグのホームラン王に輝いた元有望株外野手。メジャーではピッツバーグ・パイレーツ一筋で2014~21年まで8年間プレーした。

 マイナー時代はパイレーツのNo.1プロスペクトとして期待され、メジャー昇格後はアンドリュー・マカッチェン、スターリング・マーテイとともに強力な外野手トリオを形成。しかし、しだいに故障がちになったことで成績を落とし、2019~21年は3年連続でrWARマイナスを記録していた。

 2022年に巨人に入団したが、当時巨人では期待に応えられない助っ人外国人が続いており、どうせすぐに退団するだろうと来日前からボロカスに言われていた。1年間プレーして戦力になっていたが、狭い守備範囲や得点圏打率の低さを理由に解雇された。それでも2023年は新天地ロッテで26本塁打を放ち、ロッテでは落合博満以来37年ぶりとなるホームラン王に輝いた。

 昨季も投高打低のなか23ホーマーを放つ安定の打撃を見せている。来日直後から日常生活を極力通訳なしでこなそうと努力する、人間力の高さも魅力。

おそらくポランコで一番有名なプレー


140 スティベン・アセベド
外野手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/2002年8月2日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 磨かれていない原石のような外野手。脚は速いが守備がかなり苦手で俊足をまったく活かせておらず、打撃も長打力はあるがバットコントロールは低い。

 2021~24年までマイナーでプレーし、最高位はシングルAだった。

138 アンディ・マーティン
外野手 在籍期間:2024
キューバ/2000年10月14日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 以前千葉ロッテに在籍していたレオニス・マーティンの弟。キューバ生まれだが亡命後、アメリカの大学へ進学。ドラフト外でマイナーリーグでのプレー経験を積み、2024年5月にBCリーグ・茨城アストロプラネッツに入団。同年7月に千葉ロッテの育成契約を結んだ。

◇オリックス・バファローズ
00 アンダーソン・エスピノーザ
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1998年3月9日生/右投右打
元有望株
【NPB】22試合7勝9敗0S 防御率2.63 BB/9 3.2 K/9 7.6
【MLB】7試合0勝2敗0S 防御率5.40 BB/9 7.9 K/9 9.3

============ 選手紹介 ============

 元々はレッドソックスのトッププロスペクトとして注目されていたベネズエラ人投手。2016年に先発投手のドリュー・ポメランツとの交換でパドレスにトレードされたが、後になってパドレス側がポメランツの利き腕の問題を隠していたことが発覚し、パドレスの当時まだGM職だったA.J.プレラーが活動停止処分を受ける事態となった。

 エスピノーザの放出は当時のレッドソックスファンにとっては耐えがたいもので、利き腕の件もあって非難の嵐だった。ただ、ポメランツはレッドソックスで一定の成績を残し、エスピノーザの方は相次ぐケガもあって成長しきれないままDFA。結果的にレッドソックスに利のあるトレードとなった。

 2024年は日本でプレーすることとなり、1年目は負けが先行(7勝9敗)も防御率2.63を記録したエスピノーザ。これまで来日した歴代外国人のなかでもかなり有望視されていた選手である。先発投手として実績を挙げ、成功例が増えつつあるNPBからのメジャー返り咲きを目指す。

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42 アンドレス・マチャド
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1993年4月22日生/右投右打
160km/h WBC2023
【NPB】53試合5勝3敗23S 防御率2.03 BB/9 3.0 K/9 9.8
【MLB】137試合7勝3敗0S 防御率4.48 BB/9 3.5 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 目いっぱい力んで投げるフォームから160km/h近い剛速球を投げ込むベネズエラ人リリーフ右腕。契約前は巨人のインスタをフォローしていたため、オリックス入団は大方の予想に反する形となった。好きな選手は同郷の先輩フェリックス・ヘルナンデス。

 2017年にメジャーデビューしてから再昇格まで4年かかったが、21~23年は3年連続で40試合以上に登板。2023年は球速も大幅にアップしたが防御率5.22。50イニングで12本ものHRを浴びた。シーズンオフに日本でのプレーを希望して40人枠を外れた。

 ピッチングはフォーシーム、シンカーの2種類の速球とスライダー、チェンジアップを投げる。肩の故障リスクが高い逆W字型のピッチングフォームをしているが、肩盤ではなくヒジに故障歴がある。

Embed from Getty Imagesマチャドにかかる期待と責任は大きい

59 ルイス・ペルドモ
投手 在籍期間:2024~(ロッテ23)
ドミニカ共和国/1993年5月9日生/右投右打
【NPB】81試合2勝3敗5S 防御率1.60 BB/9 2.1 K/9 6.9
(ロッテ) 53試合1勝3敗1S 防御率2.13 BB/9 2.7 K/9 7.3
(オリ) 28試合1勝0敗4S 防御率0.64 BB/9 1.0 K/9 6.1
【MLB】147試合23勝31敗0S 防御率5.12 BB/9 3.2 K/9 6.6

============ 選手紹介 ============

 2023年に千葉ロッテでよく投げていたが自由契約になったリリーフ投手。昨シーズン途中にオリックスへ加入すると、28試合で防御率0.64と安定感抜群のピッチング。宇田川や山崎颯一郎の両輪が不振になっていたため、チームへの貢献度は大きいものだった。

 今シーズンのリリーフ陣は開幕前に吉田輝星がトミー・ジョン手術で今季絶望、リリーフエースもオンカジ問題でいつ復帰できるのか未定。そんな苦しい台所状況のなか、マチャドとペルドモの両外国人リリーフには大きな役割が期待されている。

017 陳睦衡(チェン・ムーヘン)
投手 在籍期間:2025~
台湾/2006年3月24日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 台湾代表のアンダー世代の中心選手として名を馳せた二刀流選手。日ハムや巨人などNPBにとどまらず、メジャー球団も獲得競争に参戦するなか、バファローズが争奪戦を制した。

 まだ10代だがすでに150km/h以上を投げ、また年齢の割にはコントロールもそこまで乱れていない。野手としても長打を放つ能力に長け、ポジションも二遊間を守っていた。

54 ジョーダン・ディアス
内野手 在籍期間:2025~
コロンビア/2000年8月13日生/右投右打
新加入 WBC2023
【NPB】(新加入)
【MLB】105試合 打率.227 安打73 本塁打10 OPS.635

============ 選手紹介 ============

 オークランド・アスレチックスで2年間プレーし、通算105試合に出場。2023年には対ヤンキース戦で1試合3本塁打を記録するなど、シーズンで計10本塁打をマークした。しかし翌年は開幕を3Aで迎えると、その後一度もメジャー昇格することなくDFAとなった。

 メジャーで一定の実績を持ちながらもまだ20代前半という若さ。内野守備もショートを除く3ポジションをこなし、ユーティリティ性もある。2025年に来日する新外国人選手の中では、非常に期待値が高い存在といえる。

 2023年のWBCではコロンビア代表として選出されるも、10打席以上立って無安打に終わった。なお、コロンビアといえば、オールスター出場5回、ゴールドグラブ2度、シルバースラッガー3度を獲得したエドガー・レンテリアが国民的英雄として知られる。レンテリアは引退後も母国野球の発展に大きく貢献し、彼の名を冠した新スタジアムが建設されるほどの存在である。しかし昨年、弟のエディンソン・レンテリアが立場を悪用しコロンビア野球界を混乱させたとして、ジョーダン・ディアスがSNS上で非難する一幕があった。これに対しレンテリア側も法的措置を示唆するなど対立が深刻化。こうした背景から、ディアスが次回以降のWBC代表に選ばれる可能性は低いかもしれない。

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36 エドワード・オリバレス
外野手 在籍期間:2025~
ベネズエラ/1996年3月6日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】285試合 打率.254 安打225 本塁打29 OPS.714

============ 選手紹介 ============

 2020~24年まで毎年メジャーでプレーし、通算1000打席近く立った経験を持つ外野手。長打力はさほどないものの、高いミート力を誇る巧打者タイプ。ただし、年俸が高めな点がややネックとなっている。

125 ジャリド・デール
内野手 在籍期間:2025~
オーストラリア/2000年9月11日生/右投右打 
新加入 WBC2023
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2023年のWBCオーストラリア代表に選ばれていた内野手。二遊間を中心に内外野すべて守れる(守った経験がある)が、かなりエラーをしている。

 昨季までサンディエゴ・パドレス傘下のマイナーに所属し、3Aまで到達。ただ昨季はマイナー下位まで落ちながら打率が1割台をたたいてしまい、戦力外となっていた。

 マイナー時代は打席では待ち球系で多くのフォアボールとその倍以上の三振を量産していた。なのに、母国のリーグではなぜか出塁率低めの早打ちに変身する。決してパワーヒッターではなく長打はあまり期待できない。

◇東北楽天ゴールデンイーグルス
15 スペンサー・ハワード
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1996年7月28日生/右投右打
新加入 元有望株
【NPB】(新加入)
【MLB】47試合4勝13敗0S 防御率7.00 BB/9 4.3 K/9 8.5

============ 選手紹介 ============

 2020~21年に各種有望株ランキングのトップ100に名を連ね、Baseball Americaでは2年連続で27位にランクインした元トッププロスペクト。150km/h台中盤の速球に加え、スライダーやフォーク並みにキレるチェンジアップが大きな武器となる。

 しかし、プロ入り後に負った肩の故障がずっと尾を引いているうえ、テキサス・レンジャース時代にはマメや爪割れにも悩まされ、メジャーに定着できなかった。先発として育成されてきたものの、2巡目あたりから球速が大幅に低下するという致命的な弱点を抱えている。また、4種類の変化球を持つが、速球を含めて制球力にも大きな課題がある。

 肩の状態が完全に回復する見込みは薄く、楽天としては先発起用にこだわらず、思い切ってクローザーとして抜擢するような発想の転換が求められるかもしれない。

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75 陽柏翔(よう・ぼうしゃん)
投手 在籍期間:2025~
台湾/2005年1月23日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 台東県を拠点とするアミ族の名門「台東陽家」の血を引く内野手。さすが野球一族の人間だけあって運動神経が抜群に良い。小柄ながらも力強い打撃を誇り、5ツールプレイヤーとしての素質を秘めている。

 台湾での高校1年時にセレクションで頭角を現し、駒大苫小牧高校への編入が検討されていたが、新型コロナの影響で断念。高校2年から明秀日立高校(茨城県)に留学した。在学中にチームは甲子園出場を果たしたものの、自身はベンチ入りには至らなかった。

 高校卒業後はBCリーグ・茨城アストロプラネッツでプレー。昨秋の教育リーグに参加し、楽天入りが決まった。

89 ミゲル・ヤフレ
 
(登録名:ヤフーレ)
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1998年5月1日生/右投右打
移籍
【NPB】23試合5勝10敗0S 防御率3.34 BB/9 3.0 K/9 5.8
【MLB】19試合1勝3敗1S 防御率7.58 BB/9 5.4 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 かつてニューヨーク・ヤンキースの有望株だった先発右腕。2020年にヤンキースでメジャーデビューを果たし、翌年、ジェームソン・タイオンとのトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍。トレードで共に移籍したロアンジー・コントレラスがエース格へと成長する一方で、ヤフレは故障に苦しんだ。

 2023年にはメジャー昇格を果たせすことができず、オフに日本球界挑戦を決意。2024年はヤクルトスワローズに加入すると、春先に4勝を挙げる好スタートを切るも、5月以降は勝ち星に恵まれず。最終成績は5勝10敗に終わった。

なお、メジャーリーグの長い歴史の中で唯一使われていなかった背番号「89」を、ヤンキース時代のヤフレが着用。これにより、メジャーリーグでは0から99までのすべての背番号が一度は使用されたことになった。

 耳に「89」のタトゥーを入れるほどこの番号に愛着を持つが、ヤクルトでは89番を与えられなかった。その影響かは定かでないが、本来の実力を発揮しきれなかった。

 2025年からは楽天への移籍が決定。2年ぶりに念願の背番号89を手にし、新天地での巻き返しに期待したい。

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143→94→43 宋家豪(ソン・チャーホウ)
 
(登録名:ソン・チャーホウ→宋家豪)
投手 在籍期間:2016~
台湾/1992年9月6日生/右投左打
期待以上 WBC2017 WBC2023
【NPB】338試合19勝15敗7S 防御率2.98 BB/9 3.3 K/9 7.1
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2016年にCPBL(台湾プロ野球)から楽天に入団。育成契約からのスタートだったが徐々に勝ちパターンで使われるようになり、中継ぎにして1億円プレイヤーにまで成り上がった。2023年のWBCでは台湾代表に選ばれ、4試合中3試合に登板する獅子奮迅の働きを見せた。

20 ニック・ターリー
投手 在籍期間:2024~(広島22~23)
アメリカ合衆国/1989年9月11日生/左投左打
【NPB】106試合9勝6敗2S 防御率2.48 BB/9 4.1 K/9 8.3
(広島) 89試合9勝5敗1S 防御率2.39 BB/9 3.5 K/9 8.4
(楽天) 17試合0勝1敗1S 防御率2.93 BB/9 7.0 K/9 7.6
【MLB】35試合0勝5敗1S 防御率7.78 BB/9 4.3 K/9 7.6

============ 選手紹介 ============

 2022年から広島カープに所属。2年目の2023年は7勝1敗29ホールド・防御率1.74と飛躍したが、年俸や腰の状態が懸念されたのか契約更新には至らなかった。オフに楽天が獲得したものの、契約後にはメキシカンリーグの球団との二重契約疑惑が浮上する一幕もあった。

 2024年は大きく登板数を減らし、15回1/3で13四死球を与える乱調のシーズンとなった。それでも防御率は2.76と見栄えは悪くなかったが、前の投手が残したランナーを頻繁に生還させていた。

 カープ時代に一部のファンから「防御率詐欺」や「イニングの頭から投げさせるべき」と指摘されていた過去があり、その傾向は楽天移籍後も変わっていないのかもしれない。

197 蕭齊(シャオ・チ)
投手 在籍期間:2025~
台湾/2006年1月4日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 公表197cm/98kgの大型右腕。台湾の高校を卒業後、MLB球団とマイナー契約を目指していたが、日本球界入りとなった。

 台湾のアンダー世代の代表選手ではあったが、球速はまだ140km/h台前半~半ば程度。時間をかけて育てていきたい選手だ。

017 王彦程(ワン・イェンチェン)
投手 在籍期間:2019~
台湾/2001年2月14日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 台湾の高校を卒業後、楽天イーグルスへ直接入団した。U-18など国際大会での実績が豊富で、宮城大弥(オリックス)を相手に投げ勝ったことも。

23 マイケル・フランコ
内野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1992年8月26日生/右投右打
大物
【NPB】163試合 打率.220 安打119 本塁打20 OPS.624
【MLB】923試合 打率.245 安打809 本塁打130 OPS.707

============ 選手紹介 ============

 メジャーではロイヤルズなどで何シーズンもレギュラーを張っていた大物三塁手。守備では鋭い打球へのダイビングキャッチをするため名手に見えるが、守備指標は悪く失策数も多い、守備に難がある選手と認識されている。

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NPB助っ人外国人一覧2025年版 ~セ・リーグ編~


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

外国人名鑑2025年版 セ・リーグ編
【読売ジャイアンツ】
【阪神タイガース】
【中日ドラゴンズ】
【広島東洋カープ】
【東京ヤクルトスワローズ】
【横浜DeNAベイスターズ】
◇読売ジャイアンツ
92 ライデル・マルティネス
投手 在籍期間:2025~(中日17~24)
キューバ/1996年10月11日生/右投左打
移籍 160km/h WBC2017 WBC2023
【NPB】303試合14勝18敗166S 防御率1.71 BB/9 2.1 K/9 10.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズ史に残る優良助っ人となったキューバ人リリーフ右腕。2017年に来日したときは育成枠だったが、着実に成長を遂げ、NPBを代表するクローザーにまで上り詰めた。

 3年契約満了となる2024年オフを迎えるまで、ドラゴンズは早くから契約延長を模索していた。しかし、ライデルの適正年俸は高騰しており、交渉は難航。NPB球団間の争奪戦へと発展した。「本当はドラゴンズを出たくない」と涙ながらに語るほどチームへの愛着は強かったが、”ホームタウン・ディスカウント”を加味しても条件面で折り合わなかった。

 最終的に前年優勝の巨人がさらなる強化に成功。実績を考えれば新天地でも安定したパフォーマンスを発揮すると思われるが、クローザーとして確固たる地位を築いていた大勢との起用法がどうなるかは注目ポイントとなる。

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49 アルベルト・バルドナド
 
(登録名:バルドナード)
投手 在籍期間:2023~
パナマ/1993年2月1日生/左投左打
WBC2023
【NPB】79試合4勝4敗9S 防御率2.22 BB/9 4.7 K/9 10.4
【MLB】14試合0勝1敗0S 防御率8.44 BB/9 5.9 K/9 10.1

============ 選手紹介 ============

 2023年のWBCパナマ代表選手として出場した巨漢左腕。体重は130kgに迫る。同年のシーズン途中に巨人に加入した。

 来日1年目から常時150km/h超のファストボールを武器に徐々に勝ちパターンで起用されるようになり、2024年には大勢の離脱時にクローザーを任された。加入時点で同じくメジャー経験者の左腕投手ヨアンデル・メンデスがいたが、バルドナドが一軍登録枠争いに勝利。メンデスを24年限りで戦力外に追いやった。

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29 フォスター・グリフィン
投手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1995年7月2日生/左投右打
【NPB】40試合12勝9敗0S 防御率2.88 BB/9 2.0 K/9 9.1
【MLB】7試合1勝0敗0S 防御率6.75 BB/9 5.6 K/9 5.6

============ 選手紹介 ============

 メジャーの壁は高く日本に活躍の場を求めた先発左腕。ジャイアンツ公式によると、アピールポイントは「闘争心」今一番欲しいものは「健康」。

33 カイル・ケラー
投手 在籍期間:2024~(阪神22~23)
アメリカ合衆国/1993年4月28日生/右投右打
【NPB】113試合6勝4敗5S 防御率2.12 BB/9 3.4 K/9 10.9
(阪神) 61試合4勝2敗4S 防御率2.59 BB/9 3.2 K/9 11.3
(巨人) 52試合2勝2敗1S 防御率1.53 BB/9 3.6 K/9 10.3
【MLB】44試合1勝1敗0S 防御率5.83 BB/9 6.2 K/9 9.3

============ 選手紹介 ============

 阪神で2年間勝ちパターンを務めたリリーフ右腕。150km/h中盤のフォーシームと鋭く曲がるカーブ(たぶんナックルカーブ)がメイン。ランナーの有無で大きくピッチングが変わりがちなのが弱点。

 阪神では最初の頃こそ炎上したが次第にNPBに慣れ、防御率は2点台と安定。2年目の2023年途中に身内の病気を理由に帰国し、公式戦を終えた。そのままアメリカでメジャー復帰を目指すのかと思いきや、まさかの巨人入りに阪神ファンの間に衝撃が走った。巨人入団までの経緯は古巣球団に対する裏切りと思われても仕方がなく、甲子園ではブーイングが聞かれそうだ。

035 エルビス・ルシアーノ
投手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/2000年2月15日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】25試合1勝0敗0S 防御率5.35 BB/9 6.4 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 元メジャーリーガーだが育成契約のドミニカ人右腕。5年経っていないにも関わらずルール5ドラフトで指名され、19歳でメジャーデビューした特異な経歴を持つ。

 2016年にドミニカ共和国からプロ入りしたが後にこの契約が無効と判定され、2018年にルール5ドラフトの対象になるとトロント・ブルージェイズがサプライズ指名した。規定上26人枠に帯同させないと選手を返さないといけないが、ブルージェイズは開幕からメジャーに帯同させた。この手の原石タイプを急いでメジャーリーグに送り込むことに対して成長を阻害するという懸念があったが、ブルージェイズはルシアーノが挑戦に耐えうると考えたのだった。結果、球団史上最若の19歳1ヶ月でデビューし、ルシアーノは2000年代生まれでは初めてのメジャーリーガーとなった。

 2020年以降はヒジや腕の故障に泣かされ、メジャーに返り咲くチャンスがないまま巨人と育成契約するに至った。

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13 トレイ・キャベージ
内野手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1997年5月3日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】67試合 打率.209 安打29 本塁打2 OPS.576

============ 選手紹介 ============

 強打が売りの一塁専任打者。2023年に大谷翔平と共に試合に出場していたため、日本ではかなりの知名度がある。2023年にエンゼルスでメジャーデビューも、シーズン終了後にDFA。2024年はアストロズに在籍し、100打席近くチャンスを得たがわずか1本塁打と結果を残せなかった。

 打撃専タイプの一塁手でありサブポジションは無し。あまり広角に打つスタイルでもないため、とにかくデカい当たり(≒本塁打)を量産して目立ちたい。

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42 エリエ・ヘルナンデス
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1994年11月21日生/右投右打
【NPB】56試合 打率.294 安打65 本塁打8 OPS.798
【MLB】14試合 打率.182 安打6 本塁打0 OPS.442

============ 選手紹介 ============

 2024年途中に加入した外野手。交流戦期間に一軍デビューすると初打席初安打を記録。レフトのレギュラーを掴みとり、交流戦ではチームトップクラスの打撃を見せていた。しかし、守備中にスライディングキャッチを試みた際、グラブがひっかかって手首を骨折。それは、かつてヤンキース時代の松井秀喜が連続出場記録を絶たれた場面を思い起こさせるシーンだった。

 今季も昨季同様、チームをけん引する活躍に期待したい。

013 フリアン・ティマ
外野手 在籍期間:2021~
ドミニカ共和国/2004年9月25日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 16歳のときに巨人と育成契約を結んだドミニカ共和国出身外野手。将来のクリーンナップ候補と期待されているが、2022年は3軍で189打席中たった2四球といくらなんでも疑問が残る内容であった。

037 マレク・フルプ
外野手 在籍期間:2024~
チェコ/1999年1月9日生/右投右打
WBC2023
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2023年春のWBCで、チェコ代表の中心選手としてプレーした元独立リーガー。アマチュアメインのチェコ代表選手の中では少数派の、野球選手になる道を選んだ。

 22歳までノースカロライナ州立大学に在籍したがレギュラーになれなかった。23歳時点で転学を決意し、そこで好成績を残すもMLBのドラフトでは指名されず、2年続けて独立リーグのアメリカン・アソシエーションでプレーしていた。

 あのWBC以降、チェコと日本の関係は一気に距離が縮まり、フルプの来日は巨人以外のファンからも好意的に受け入れられた。ただ、入団先はホークスに次いで育成契約選手を多く抱えるジャイアンツ。なかなか一軍昇格は難しそうで、日本中のファンの心配を集めている。

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◇阪神タイガース
42 ニック・ネルソン
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1995年12月5日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】74試合5勝4敗1S 防御率5.20 BB/9 5.3 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 2020年にメジャーデビューした右投げ投手。もとは先発投手だが、メジャーではリリーフ登板が中心だった。キャリアハイとなった2022年には47試合に登板したが、その後は3A暮らしがほとんどだった。

 持ち球は2種類の速球にスライダーとチェンジアップを織り交ぜるスタイル。2022年に比べ、ファストボールの球速が2~3マイル(約4km/h)ほど低下している点は懸念材料か。

 なお、ナックルボールを投げる器用さも持ち合わせており、メジャーでは2024年に2度投球。1球はデッドボールとなったが、もう1球は空振り三振を奪っている。

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20 ジョン・デュプランティエ
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1994年7月11日生/右投左打
新加入 元有望株
【NPB】(新加入)
【MLB】19試合1勝4敗1S 防御率6.70 BB/9 4.7 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 アメリカ有数の名門私学であるライス大学からMLBドラフト3巡目指名。2017年のフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に出場、2018~19年には各種媒体の有望株ランキングTOP100に名を連ねた元プロスペクトだった。

 メジャー初昇格は2019年、スイングマンとして15試合に登板。しかし翌シーズンに広背筋を痛めて以降、故障に悩まされている。投球フォームにクセがあり、故障リスクが高いとマイナス評価をされ続けている。クールなノンフレーム眼鏡が魅力的。

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00 ハビ・ゲラ
投手 在籍期間:2024~
パナマ/1995年9月25日生/右投左打
元有望株 160km/h WBC2023
【NPB】59試合1勝4敗14S 防御率1.55 BB/9 1.7 K/9 7.4
【MLB】61試合3勝1敗0S 防御率6.43 BB/9 6.1 K/9 6.4

============ 選手紹介 ============

 シュート回転気味の150km/h台後半の速球と2種類のスライダーを持つパワーピッチャー。球は速いがノーコンの王道を行くタイプで、阪神ファンの間で藤浪晋太郎とよく比較されている(心配されている)。

 2018年に内野手でメジャーデビューしたが見切りをつけ、翌年から投手に転向してメジャー再昇格を果たした異色の経歴を持っている。2023年はパナマ代表としてWBCに出場した。

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99 ジェレミー・ビーズリー
投手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1995年11月20日生/右投右打
【NPB】32試合9勝5敗0S 防御率2.37 BB/9 2.8 K/9 9.0
【MLB】18試合0勝1敗0S 防御率5.84 BB/9 5.1 K/9 12

============ 選手紹介 ============

 ランディ・メッセンジャーのように長く安定して活躍してほしいと願われている速球派右腕。マイナー時代から先発・リリーフどちらにも対応している。

 2023年阪神に入団して防御率2.20と好成績を残したが肩の具合が思わしくなく、今季も春季キャンプから出遅れておりコンディションを戻せるのか不透明な状態。

131 ホゼ・ベタンセス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1999年10月17日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2024年の春季キャンプ直前に阪神入りが決まった剛球右腕。入団テストを経て育成契約した。

 藤浪タイプと言われる超荒れ球が特徴。阪神はあまり育成契約の選手を大成させた実績は無いが、うまく育て上げられるか?

132 アンソニー・マルティネス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年1月10日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ベタンセスとともに2024年の春季キャンプ前に阪神入りが決まった剛球右腕。入団テストを経て育成契約した。190cm/79kgと長身痩駆。

 岡田監督は獲得の際、マルティネスの顔写真を見て「パスポート、すごかったで」との感想を残している。

95 ラモン・ヘルナンデス
内野手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1996年3月2日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 コロナ禍前まではアリゾナ・Dバックス傘下にいた元マイナーリーガー。2019年に2Aへ初昇格し、98試合で11本塁打を記録。しかし、翌年はマイナーリーグの公式戦が中止となり、それ以降はメキシカンリーグとカリブの冬季リーグでプレーを続けていた。

 20代前半の頃は二遊間を含む内外野すべてを守っていたが、メキシコに行ってからは両コーナーでしか出場していない。守備はあまり期待できないかも。

133 ジーン・アルナエス
内野手 在籍期間:2025~
パナマ/2002年8月22日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 マイナー時代は一塁手と二塁手での出番が多かったパナマ人選手。アンダー世代の国際大会の選出経験がある。

 トロント・ブルージェイズ傘下に4年在籍し、最高位はシングルA+だった。マイナーでの成績だけ見るとプロ野球では厳しそう。

134 スタンリー・コンセグラ
 
(登録名:コンスエグラ)
外野手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/2000年9月24日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2018年にRookieリーグからスタートして以来、ニューヨーク・メッツ傘下で2023年までメジャーを目指していたパワーヒッター。2023年にシングルA+で23ホーマーを放ち、所属球団のチーム記録を更新したが、2023年は2Aで壁にぶち当たるとノンテンダーとなった。

 粗すぎるバットコントロールが弱点だが、パワーは大きな魅力。脚は平均以上だが外野の守備力は未知数。

◇中日ドラゴンズ
93 カイル・マラー
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1997年10月7日生/左投右打
新加入 元有望株
【NPB】(新加入)
【MLB】54試合4勝11敗0S 防御率5.90 BB/9 4 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズでは久々に期待値の高い先発投手。かつてはBaseball Prospectusの有望株ランキングトップ100に2020年以降4年連続でランクインするなど、本物の有望株だった。Mullerと綴るが、発音は「マラー」が近い。

 メジャーデビューは2021年。オークランド・アスレチックス在籍時の2023年には開幕投手に抜擢されたものの、1勝5敗・防御率7.60と大不振。翌2024年は21試合に登板したが、ロングリリーフに回され先発の機会はゼロ。それでもシーズン後半には好成績を残しており、日本球界入りはメジャー関係者にとっても意外な決断だった。

 以前はスリークォーターだったが、昨季からオーバースローに変更。2m超の長身がより際立つ投球フォームになった。ファストボールは150km/h前後で、コマンドには課題があるものの、一定の制球力は持ち合わせている。今季1年で圧倒的なピッチングを見せ、メジャーの先発ローテーション復帰を狙っていることだろう。

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52 ジュニア・マルテ
投手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1995年2月2日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】102試合2勝2敗2S 防御率5.64 BB/9 4.3 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 「ジュニオル・マルテ」の登録名となったパワータイプのリリーフ右腕。2022~2024年の3年間でメジャー通算102試合に登板したが、いずれのシーズンも防御率5点台と安定感に欠けた。

 昨季終了後にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んでいたが、2025年に入って中日ドラゴンズと契約合意。ドラゴンズがマリナーズに違約金を支払ったと報じられている。

 投球内容はシンカーとフォーシームを主体に、常時150~155km/h、好調時には最速159km/h近くを計測する。しかし、球速のわりに空振りを奪えないのが課題。決め球となる落ちる球を持たず、一応スプリッターを投げるものの、制球が安定せず実戦では使いづらい。ライデル・マルティネスの後釜として期待するのは難しいかもしれない。

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94 ナッシュ・ウォルターズ
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1997年5月18日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 27 K/9 0

============ 選手紹介 ============

 テキサス州で生まれ育ち、高校卒業後はテキサスA&M大学への進学が内定していたが、2015年のMLBドラフトでブルワーズから3巡目指名を受けたためプロ入り。しかし、入団2年目にトミー・ジョン手術を受け、同年代の投手たちに後れを取ってしまった。それ以降トレードや戦力外を多く繰り返し、マイナー球団間を渡り歩いた。

 2022年にはエンゼルスでメジャーデビューを果たしたものの、登板は1試合・打者3人のみ。3Aでの通算防御率9点台、2Aでも被打率が高く、期待値は決して高くない。

 ナショナルズ傘下のマイナーに所属した2024年の投球スタイルは、4シームとカットボールを主体に、ときおりカーブを混ぜる形。いま流行りの高めの釣り球はあまり投げず、膝元からベルト付近へ多投する伝統的なピッチングをする。球種・配球ともにレパートリーは豊富とは言えないが、若手時代から奪三振能力の高さが武器と言われており、リリーフなら覚醒の可能性も。

91 ウンベルト・メヒア
投手 在籍期間:2023~
パナマ/1997年3月3日生/右投右打
WBC2023
【NPB】23試合6勝9敗0S 防御率3.90 BB/9 3.2 K/9 5.3
【MLB】8試合0勝5敗0S 防御率6.68 BB/9 4.2 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 入団1年目は8試合先発して3勝1敗・防御率2.23と好成績を残した。ただ奪三振率が低くBB/K:1.11。2年目の2024年は反動で防御率が悪化してしまった。

 名前の発音は”フンベルト”だが日本語媒体やSNSはほぼ”ウンベルト”表記なので当サイトもそれに倣っている。

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219 ランディ・マルティネス
投手 在籍期間:2025~
キューバ/2003年9月28日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグで主に先発投手として投げていた左腕投手。昨季の投手成績は5勝2敗(ポストシーズン除く)だが57回2/3を被安打68・与四球率も6を超えており、ちょっと心配。

24 ジェイソン・ボスラー
内野手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1993年9月6日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】107試合 打率.207 安打54 本塁打10 OPS.669

============ 選手紹介 ============

 3Aでは安定して打撃成績を残していた強打の選手。メジャーには4シーズン(2020~2023年)昇格しており、2022年は111打席立ってOPS.812と好成績をマークしている。ただし、守備と走塁にはかなり難があり、打撃で結果を出さなければ評価されにくいタイプ。

 日本では「ユーティリティ性がある」と紹介されることもあるが、実際は一塁と三塁、両翼を守れる程度で、二遊間やセンターをこなせるわけではない。特に致命的に肩が弱いため、バンテリンドームの外野を守ることはないだろう。

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99→4 オーランド・カリステ
内野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1992年2月3日生/右投右打
【NPB】161試合 打率.252 安打135 本塁打12 OPS.639
【MLB】31試合 打率.135 安打7 本塁打0 OPS.329

============ 選手紹介 ============

 引き締まった立派な身体をしている。メジャー出場経験はあるが、31試合でOPS.329と全く歯が立たなかった。

 来日2年目の昨季は、ショートのポジションが被るクリスチャン・ロドリゲスが加入。春季キャンプの時点でセンスの良さを発揮し、カリステの1軍出場枠入りが大ピンチの状況に。本人もかなり危機感があったようで、ショートにこだわらず内外野全部を守る覚悟を持ってシーズンに臨んだ。

 結果的にロドリゲスの一軍定着はまだ早く、またカリステには外野や一塁手といった意外なポジションでもスタメン出場する結果となった。

219→95 クリスチャン・ロドリゲス
内野手 在籍期間:2024~
キューバ/2002年3月31日生/右投右打
【NPB】23試合 打率.130 安打7 本塁打0 OPS.290
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2024年にキューバから加入した若手内野手。あだ名はファーストネームから”ディオール”。

 育成契約で入団したが立浪監督に気に入られ、オープン戦終盤に支配下選手に登録。さらに開幕ショートに抜擢された。しかし、いきなり3エラーを犯していずれも失点に繋がり、ウエスタンで鍛え直しとなってしまった。

 それでも確かなスピードと強肩を持ち、1軍でもショートを張れるポテンシャルがある。力をつけて二遊間のレギュラーを狙ってほしい。

220 カルロス・モニエル
外野手 在籍期間:2024~
キューバ/2001年4月17日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグで打率3割をマークした若手外野手。入団時のコメントは「将来的には日本でMVPが取れるような選手になりたい」。

◇広島東洋カープ
42 ヨハン・ドミンゲス
投手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1996年1月18日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メディアや個人ブログでは「ジョハン・ドミンゲス」と読まれているドミニカ共和国生まれの投手。同じ速球派だったコルニエルを捨てて獲得しており、成績如何ではネットが荒れそう。

68 テイラー・ハーン
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1994年8月30日生/左投左打
【NPB】35試合0勝1敗2S 防御率1.29 BB/9 1.8 K/9 6.7
【MLB】101試合12勝15敗1S 防御率5.35 BB/9 4.1 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 デイゲームに強い男テイラー・ハーン。やや低めの角度から150~155km/hの速球で攻めるピッチングは日本で打てるバッターはそういない。

 テキサス州の故郷の町では英雄的存在として崇め奉られており、知らない住人は皆無。母校の高校では背番号21が永久欠番に。

61 サンドロ・ファビアン
外野手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1998年3月6日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】3試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.000

============ 選手紹介 ============

 そこそこパワーがありながら守備力もあり、弱点が少ないドミニカ共和国出身の外野手。マイナー下位では好成績を残していたが、2Aより上では苦戦していた。そのため昨季終了時点でまだ26歳、9月にメジャーデビューしたばかりにもかかわらず、日本球界でプレーする道を選んだ。

 人柄的にも良さそうで、優良助っ人になれそうな期待感がある。ただし、獲得時点でテキサス・レンジャースの40人枠に入っていた兼ね合いで年俸は3年総額580万ドル(約8.7億円)。加えて出来高払いのほか、レンジャースへの違約金も発生。財力乏しめカープにはかなりの出費となっている。

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95 エレウリス・モンテロ
内野手 在籍期間:2025~
ドミニカ共和国/1998年8月17日生/右投右打
新加入 元有望株
【NPB】(新加入)
【MLB】205試合 打率.228 安打156 本塁打21 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 2022年から昨季までメジャーで205試合に出場したパワーヒッター。各種媒体の有望株ランキングTOP100には、2019年にBaseball Americaのみ81位にランクインしたことがある、いちおう元プロスペクト。

 MLBでもコンスタントに長打を放ち、2023年には11本塁打。と同時に尋常じゃない数の三振を喫している。

130 モイゼス・ラミレス
内野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2002年2月1日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ボルティモア・オリオールズ傘下のマイナー下部でプレーしていた右打ちのパワーヒッター。Rookieリーグでは打率3割を超える打撃成績だったが、シングルAに昇格後は苦戦し、1年でリリースされてしまった。

 上背は190cm、体重120kg超えの体格を誇る。2023年の秋季キャンプにカープアカデミーから送り込まれ、パワーヒッティングを期待されて入団テストに合格した。

131 ネルソン・ロベルト
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年10月27日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ラミレスと一緒にカープアカデミーから育成入団した外野手。ミネソタ・ツインズ傘下のシングルAでプレーしていた。パワーヒッタータイプだがバットに当たらないことが課題で、マイナー時代は打率1割台中盤と低迷していた。

 しかし、50m6秒台前半の俊足を誇り、アカデミー出身選手にしては外野守備の評価がかなり高かった。本人はヤクルトのドミンゴ・サンタナのような打撃を目指すと語っており、もしヒットツールが改善すれば、意外とレギュラー争いに食い込む可能性もありそうだ。

◇東京ヤクルトスワローズ
11 ペドロ・アビラ
投手 在籍期間:2025~
ベネズエラ/1997年1月14日生/右投右打 
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】72試合8勝4敗1S 防御率3.51 BB/9 4.1 K/9 9.3

============ 選手紹介 ============

 昨季までメジャーで問題なく投げていた先発兼リリーフ右腕。2019年に先発投手としてメジャーデビューし、5回1/3を1失点と好投したものの、直後にヒジを痛めてトミー・ジョン手術を受けることに。

 2023年に本格的に復帰し、昨季は途中でクリーブランド・ガーディアンズへ移籍。リリーフとして50試合に登板した。通常であればメジャーのロースターに残っているはずだったが、ブルペンの層が厚いガーディアンズはさらにポール・シーウォルドを補強。その煽りを受けて、まさかのDFAとなっていた。

 メジャー経験が豊富ながらまだ28歳と若く、故障やスキャンダルなどの訳あり物件でもない。ハイリターンが期待でき、1年でメジャー返り咲きの可能性も充分にある。

Embed from Getty Images自身を模した絵入りのスパイクでプレーするアビラ

58 マイク・ボーマン
 
(登録名:バウマン)
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1995年9月10日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】134試合15勝6敗0S 防御率4.95 BB/9 4.1 K/9 7.9

============ 選手紹介 ============

 2021年にボルティモア・オリオールズでメジャーデビュー。2023年には60試合に登板し、リリーフだけで10勝1敗を記録した。

 しかし、2024年シーズン途中にDFAになると、マリナーズ→ジャイアンツ→エンゼルス→マーリンズと1年のうちに4回も移籍することに。そしてマーリンズでは大谷翔平に「50-50」達成の一発を献上する、慌ただしいシーズンを過ごした。

歴史的な一発を浴びたこのシーンは生涯残る映像に

39 ピーター・ランバート
投手 在籍期間:2025~
アメリカ合衆国/1997年4月18日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】74試合8勝19敗0S 防御率6.28 BB/9 3.5 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 高校卒業後、コロラド・ロッキーズからドラフト2巡目指名を受け入団。昨季までの10年間を一貫してロッキーズ傘下でプレーしてきた。球速はメジャー平均並み(152km/h)で、変化球の種類も豊富。メジャーや3Aでは打者に粘られて四球を出す場面が多かったが、本来は制球に大きな問題はない。日本のボールに順応すれば、先発投手として十分活躍できるポテンシャルを持っている。

 ちなみに、投手にしては打撃が良く、メジャー通算打率.300を記録。マイナーでもわりと打っていた。セ・リーグでプレーするため、思わぬバッティングの見せ場があるかもしれない。

13 ホゼ・オスーナ
 
(登録名:オスナ)
内野手 在籍期間:2021~
ベネズエラ/1992年12月12日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】533試合 打率.263 安打527 本塁打73 OPS.732
【MLB】276試合 打率.241 安打159 本塁打24 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 助っ人外国人らしいタイミングの取り方から強い打球を飛ばすベネズエラ人内野手。得点圏に非常に強く、数字以上に打っている印象がある。ファーストの守備範囲は狭いが意外とうまく、試合終盤までベンチに下げる必要がない。相手選手のデータを熱心に研究していたり、平凡な当たりでも全力疾走したりチームに好影響をもたらす選手であり、通算OPSが.750を下回っていても契約延長してもらえるのも納得だ。

25 ドミンゴ・サンタナ
外野手 在籍期間:2021~
ドミニカ共和国/1992年8月5日生/右投右打
元有望株
【NPB】434試合 打率.299 安打432 本塁打69 OPS.878
【MLB】516試合 打率.255 安打428 本塁打77 OPS.788

============ 選手紹介 ============

 2017年にブリュワーズで打率.278・30本塁打・OPS.875を記録したホームランヒッター。メジャーの中でも上位レベルのパワーを持っていたが守備力が壊滅的で、ヒジのケガでメジャーリーガーの地位を失っていた。2020年オフにヤクルトが獲得したニュースが流れた際、大物獲得にファンは歓喜した。今季オスナとともに5年目を迎え、村上の強力なサポート役を務める。

▼クリフ・ペニントンレイエス氏の”【MLB】凡フライにしか見えないドミンゴ・サンタナの変態逆方向ホームラン集”


◇横浜DeNAベイスターズ
96 トレバー・バウアー
投手 在籍期間:2023,25~
アメリカ合衆国/1991年1月17日生/右投右打
NPB復帰 超大物 大活躍 問題児
【NPB】19試合10勝4敗0S 防御率2.76 BB/9 2.1 K/9 9.0
【MLB】222試合83勝69敗1S 防御率3.79 BB/9 3.4 K/9 9.8

============ 選手紹介 ============

 2020年に短縮シーズンながら防御率1.73を記録し、サイ・ヤング賞を受賞した元メジャーリーガー。超大物であると同時にトラブルメーカーとしても知られる。2021年途中、女性絡みのスキャンダルにより出場停止に。バウアーは当初から暴行の事実を否定し、刑事責任も問われなかったものの、MLB球団からは敬遠され、処分解除後もメジャーへの復帰が叶わなかった。

 その過程で、2023年開幕後に電撃的にベイスターズに加入。かつて来日した際にベイスターズの球団施設を訪れ、今永昇太ら当時の選手たちと交流していた縁が大きく寄与した。「いつか日本でプレーしてみたい」と語っていたが、本当に実現するとは誰も予想していなかった。NPB初登板は2023年5月。最初の2試合こそ打ち込まれたが、修正を重ねて圧倒的な投球を披露し、最終的に10勝4敗・防御率2.76という圧巻の成績を残した。

 しかしシーズン終了後、横須賀基地の海軍米兵が日本で死傷事故を起こした件で、早期釈放された元受刑者に「おかえり!」と祝福のコメントを寄せたことが物議を醸した。シーズン中には見せなかった彼の負の部分がクローズアップされ、DeNAとの再契約が事実上無くなり、2024年はメキシカンリーグへ移った。メキシコでは10勝無敗と無双状態だったが、それでもMLB球団からのオファーはゼロ。メジャー復帰の可能性は低いと判断したのか、約9億円で2年ぶりの日本球界復帰が決まった。

 ただし、2023年暮れの騒動を多くのファンが忘れていないのも事実。完全に受け入れられたとは言えず、復帰後の言動や振る舞いに注目が集まることになりそうだ。

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69 アンソニー・ケイ
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1995年3月21日生/左投左打
元有望株
【NPB】24試合6勝9敗0S 防御率3.42 BB/9 3.5 K/9 7.8
【MLB】44試合4勝2敗0S 防御率5.59 BB/9 5 K/9 9.3

============ 選手紹介 ============

 かつては白いメガネがトレードマークだった左腕。トロント・ブルージェイズでメジャーデビューし、先発ローテーション入りを目指したが定着できず。リリーフとの併用が続き、思うようなキャリアを築けなかった。

 2024年の年明けにDeNAと契約。シーズン中盤までは審判への暴言や味方のエラーに対する露骨な態度など、チームの士気を下げる行動が目立った。しかし、後半戦に入ると徐々に変わっていき、シーズン終盤には頼れる存在に。CSファイナルステージや日本シリーズでは重要な役割を果たし、日本一に大きく貢献した。

 2年目の今季は、昨季惜しくも届かなかった規定投球回の到達が期待される。

Embed from Getty Images何年か前までは白いメガネをかけていた

62 ローワン・ウィック
投手 在籍期間:2024~
カナダ/1992年11月9日生/右投左打
WBC2017
【NPB】43試合5勝1敗1S 防御率2.60 BB/9 4.0 K/9 10.0
【MLB】146試合6勝10敗20S 防御率3.82 BB/9 4.1 K/9 9.9

============ 選手紹介 ============

 元シカゴ・カブスのカナダ人リリーフ投手。一時はセットアップマンを任され、メジャー通算146試合に登板した。

 ベイスターズでの1年目はシーズン半ば、交代を告げにマウンドに来た三浦監督からピシャリと怒られ、これをきっかけにまとまりのあるチームに変わるターニングポイントに。ウィック自身の成績も上々だった。

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42 アンドレ・ジャクソン
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1996年5月1日生/右投右打
【NPB】25試合8勝7敗0S 防御率2.90 BB/9 3.2 K/9 7.6
【MLB】26試合1勝4敗4S 防御率4.25 BB/9 3.5 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 2023年までの3年間メジャーでプレーしたパワーピッチャー。メジャー時代は先発で投げても常時150km/h超のファストボールを計時していた。

 陽気な性格で、来日時にはもじゃもじゃ頭が話題に。日本で成功しそうな雰囲気を醸し出していたが、シーズン前半は制球に苦しみ、四球を連発。しかし、徐々に安定感を増し、終盤には制球難を克服していた。最終登板でギリギリ規定投球回に到達し、ギレルモ・モスコーソ以来10年ぶりとなる球団外国人投手の規定投球回到達者となった。

107 ハンセル・マルセリーノ
投手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2002年6月16日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2022年に育成選手として入団したドミニカ共和国出身のリリーフ右腕。来日時より身長が数センチ伸びている。

 昨季の春季キャンプでは一軍の宜野湾キャンプに帯同し、公式戦での一軍デビューが期待されたものの、実現には至らなかった。それでも球速は150km/h中盤までアップし、成長を続けている。

 育成契約の上限である3年を迎えたが、球団はマルセリーノとは再契約。逆にまだ1年目を終えたばかりのモロンやアレクサンダー・マルティネスを戦力外とし、余剰気味だった外国人選手が整理された。ただし、今季は登録枠の都合上、ケガ人が出ない限り一軍昇格は厳しい状況にある。

109→93 ジョフレック・ディアス
投手 在籍期間:2020~
ベネズエラ/1999年6月10日生/左投左打
【NPB】7試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 5.8 K/9 1.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 健康時には150km/h中盤の速球を投げられるパワー系ベネズエラ人左腕。2020年から育成選手として来日し、二軍や派遣先のBCリーグで経験を積んできた。

 2022年は支配下入りが有力視された矢先にヒジの靭帯を負傷し、トミー・ジョン手術の憂き目に遭った。幸いにも順調に回復、2023年中に復帰登板を果たした。

 昨季は6月に念願の支配下&1軍登板まで漕ぎつけた。支配下登録された際には、仲の良い元助っ人のエドウィン・エスコバーから祝福の電話を受けた。

3 タイラー・オースティン
外野手 在籍期間:2020~
アメリカ合衆国/1991年9月6日生/右投右打
元有望株
【NPB】338試合 打率.298 安打324 本塁打74 OPS.967
【MLB】209試合 打率.219 安打114 本塁打33 OPS.743

============ 選手紹介 ============

 元ヤンキースのプロスペクトも日本に来て早6年。持ち味の強打を発揮し、チームのペナント奪還に欠かせない戦力になった。

 ヤンキース傘下の3A時代はファーストのレギュラー候補と期待されていたが、実父がメジャー入りを競っていたグレッグ・バードを批判するツイートを連発してしまい、自身の成績下降と相まって居場所を失うという気の毒な経験をしている。

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横浜DeNAベイスターズ 歴代助っ人外国人①(2000~24年)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Yokohama DeNA BayStars
横浜DeNAベイスターズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2024年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2024年までに在籍した外国人選手
49 J.B.ウェンデルケン
投手 在籍期間:2023~24
アメリカ合衆国/1993年3月24日生/右投右打
期待以上
【NPB】89試合3勝3敗3S 防御率1.67 BB/9 3.2 K/9 8.2
【MLB】144試合10勝6敗2S 防御率4.00 BB/9 3.9 K/9 8.5

============ 選手紹介 ============

 2023年に新加入した巨漢投手。来日1年目からリリーバーとして好成績を残したため、オフに日米球団の間で争奪戦が繰り広げられたが、この年はDeNAに残留することに決定。再来日した際にサングラスを掛けた見た目がくまだまさし激似で、インスタをフォローし合う一連の流れが話題になった。

 2024年も悪くない投手成績だったが、同僚助っ人たちが軒並み好成績を残し、育成契約のディアスが育ってきた背景もあり、惜しまれながらも退団していった。

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99 マイク・フォード
一塁手 在籍期間:2024
アメリカ合衆国/1992年7月4日生/右打左打
元有望株
【NPB】6試合 打率.200 安打4 本塁打1 OPS.623
【MLB】252試合 打率.205 安打141 本塁打37 OPS.700

============ 選手紹介 ============

 ヤンキース傘下のマイナー時代から有望株として期待されていたパワーヒッター。MLBでは2桁本塁打を2度記録した実績を持つ。一方で、守備や走塁面は絶望的なため、打撃で結果を残せなければキツい。プロ入り前は名門プリンストン大学で学んだ秀才であり、優れた人間性でも高い評価を得ている。

 2024年、メジャー6球団目となったシンシナティ・レッズでプレーしていた。シーズン途中にDFAとなったところを、7月にDeNAと契約合意した。しかし、外国人枠の制約によりレギュラーシーズンでの出場機会は限られ、6試合で打率.200・1本塁打と不本意な成績に終わった。

 出場機会を得たクライマックスシリーズでは一転して輝きを放つ。阪神戦では村上頌樹、巨人戦では戸郷翔征という両チームのエースから本塁打を放ち、相手エースを粉砕する値千金の活躍。さらに日本シリーズでも安定した打撃を見せ、ポストシーズン全体では12試合で打率.333・OPS1.012を記録した。

 他の外国人選手たちが好成績を残した背景もあり、2025年の契約延長は見送られた。しかし、フォードの存在なくして日本一の達成は不可能だったはずであり、ファンからは感謝と敬意を持って送り出された。

110 アレクサンダー・マルティネス
投手 在籍期間:2024
ドミニカ共和国/2002年12月30日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 今季ドミニカ共和国でのトライアウトで選抜して連れてきた育成投手。ルーキー級のドミニカン・サマーリーグのほかウィンターリーグへの出場記録がなく、経歴に謎が多い選手だった。

 同時期に契約したモロンより若く身長198cmとカタログ面で勝り、名前のカッコよさもファンからは期待感を持って受け入れられていた。だが、先住者のジョフレック・ディアスが支配下登録を勝ち取り、22歳のマルセリーノを育てる方針が固まったことでマルティネスとモロンの戦力外が決まった。

105 ウィルニー・モロン
投手 在籍期間:2024
ドミニカ共和国/2000年12月28日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アレクサンダー・マルティネスとともにドミニカ共和国から連れてこられた育成投手。2023年までドミニカン・サマーリーグのコロラド・ロッキーズ傘下のチームで4年間プレーしたが渡米することはなかった。

62 エドウィン・エスコバー
投手 在籍期間:2017~23(日ハム17)
ベネズエラ/1992年4月22日生/左投左打
元有望株 大活躍 期待以上 160km/h
【NPB】395試合22勝23敗5S 防御率3.17 BB/9 3.3 K/9 8.8
(日ハム) 14試合1勝2敗0S 防御率5.64 BB/9 5.2 K/9 7.7
(DeNA) 381試合21勝21敗5S 防御率3.02 BB/9 3.2 K/9 8.9
【MLB】27試合1勝2敗0S 防御率7.01 BB/9 4.2 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 最初は日本ハムファイターズと契約した左腕リリーバー。2017年に24歳という若さで来日し、シーズン途中に捕手・黒羽根との交換トレードでベイスターズに加入。このトレードは、1988年のラルフ・ブライアント以来29年ぶりの「来日1年目の外国人選手がトレードされる」珍しいケースだった。

 ベイスターズ加入後、すぐに勝ち試合のリリーフを任されるようになり、登板数を毎年重ねていった。2019年にはリーグ最多の74試合に登板し、さらにプロ野球史上初となる左腕投手での160km/hを記録。これにより球界屈指のタフネスリリーバーとしての地位を確立した。

 退団後はアメリカに戻ったものの、現在もDeNAを気にかけている様子。2024年オフにはSNSで復帰を希望する投稿をしていた(ただし、チーム状況から実現の可能性はほぼない)。

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99 ネフタリ・ソト
内野手 在籍期間:2018~23(ロッテ24~)
プエルトリコ/1989年2月28日生/右投右打
大活躍 期待以上 WBC2023
【NPB】843試合 打率.263 安打785 本塁打182 OPS.828
(DeNA) 711試合 打率.262 安打653 本塁打161 OPS.837
(ロッテ) 132試合 打率.269 安打132 本塁打21 OPS.780
【MLB】34試合 打率.071 安打3 本塁打0 OPS.186

============ 選手紹介 ============

 来日1年目から2年連続でホームラン王に輝いた元DeNA戦士。チームのために真面目に働いてくれる優良スラッガーであり、入団から6年連続2ケタホームランをマークした。

 入団6年目に自身ワーストの打率.234をたたいてしまい、またシーズン終了後には左足を手術し、自由契約。直後に千葉ロッテへの移籍が決まった。プエルトリコ出身で、2023年のWBCに出場している。

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110 スターリン・コルデロ
 
(登録名:スターリン)
投手 在籍期間:2021~23
ドミニカ共和国/1998年7月21日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 身長が2メートルを超え、150km/hを優に超える球威溢れるファストボールを持っていた右投げ投手。カタログスペックは申し分なかったが、渡米前のドミニカ時代から壊滅的なコントロールに苦しんでいた。

 2021年に入団したときはレミー・コルデロがいたため「スターリン」が登録名になった。来日後もコントロール難は変わらず、2021年9月には松本隆之介と2人合わせて初回17失点を喫し、イースタンリーグのワースト記録を作ってしまった。

45 ロバート・グセルマン
 
(登録名:ガゼルマン)
投手 在籍期間:2022~23
アメリカ合衆国/1993年7月18日生/右投右打
元有望株
【NPB】17試合4勝6敗0S 防御率4.02 BB/9 4.1 K/9 5.8
【MLB】184試合20勝18敗15S 防御率4.60 BB/9 3.1 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 高校時代はバスケットと野球の両方でスタープレイヤーだった先発投手。ニューヨーク・メッツの元有望株であり、23歳にしてメジャー昇格。初登板を初勝利で飾る上々のデビューだったが、2019年を境に呪われているかのように大ケガに見舞われ続けた。

 2022年7月にベイスターズと契約。8月という微妙な時期に来日した。4試合登板したうち先発した3登板は完璧な内容だったため契約が延長されたが、2年目はスタッツが軒並み悪化。味方のエラーに集中力を切らす場面が散見された。

 投球スタイルは150km/h台の高速シンカーを中心とするピッチング。日本での登録名ガゼルマンがキン肉マンに出てくるキャラと同名だった関係で、「キン肉マンGo Fight!」を登場曲に使っていた。成績はアタリ外国人とは言い難かったが、横浜市内の病気を抱える子供たちの施設を訪問したり、人格者であったためあまり悪く言われない。

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42 トレイ・アンバギー
外野手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1994年10月24日生/右投右打
【NPB】4試合 打率.125 安打1 本塁打0 OPS.250
【MLB】2試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.000

============ 選手紹介 ============

 アメリカでは3A暮らしが長かった元ヤンキースの長距離ヒッター。2021年にメジャーデビューを果たしたものの、4打席で無安打・2三振と結果を残せず、すぐにマイナー降格。その後はメジャーに呼ばれることなく、日本球界挑戦を決断した。

 2023年、DeNAベイスターズに加入。故障がちのオースティンと出場機会を争う立場だったが、この年のベイスターズは外国人選手層が厚く、開幕一軍入りを逃す。二軍で打率1割台と苦しんだうえ、シーズン途中にバウアーが入団してきてしまい、一軍出場はシーズン終盤の消化試合のみに限られた。それでも、短い出場時間の中で肩の強さと堅実な守備力を発揮し、印象を残した。

 2024年にSNS上で現役引退を表明した際には、ベイスターズ時代について感謝の言葉を述べた。日本のファンの間に広まったメッセージは「MLBでプレーする夢が叶えられたこと、東京のような大都市でプレーできたことを一生忘れません」。国土の広いアメリカからすれば、横浜を含む関東一帯が「トウキョウ」に見えるのかもしれない。

45 マイケル・ピープルズ
投手 在籍期間:2020~22
アメリカ合衆国/1991年9月5日生/右投右打
【NPB】31試合5勝8敗0S 防御率4.91 BB/9 2.9 K/9 7.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 一部のファンから親しみを込めて「ピーポくん」と呼ばれていた元マイナーリーガー。メジャー経験は無く、キャリアの最高位は3Aだった。

 DeNAには3年間在籍し、成績面では大きな貢献を果たせなかったものの、温厚で気配りのできる人柄から、彼を悪く言うファンはほとんどいなかった。2024年にはベイスターズを退団して2年経つにもかかわらず、ジョフレック・ディアスが一軍デビューを果たした際に、SNSで真っ先にお祝いのメッセージを投稿。変わらず善人だった。

42 フェルナンド・ロメロ
投手 在籍期間:2021~22
ドミニカ共和国/1994年12月24日生/右投右打
元有望株
【NPB】37試合11勝11敗0S 防御率4.01 BB/9 3.4 K/9 5.1
【MLB】26試合3勝4敗0S 防御率5.17 BB/9 3.9 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 2018年プレシーズンのMLB公式有望株ランキング68位にランクイン。開幕後にメジャーデビューを果たし、2年間で計26試合に登板した。2020年もMLB定着を目指そうとドミニカ共和国からアメリカに戻ろうとした矢先、マイアミの税関でマリファナ所持が見つかってしまい、ビザが発給されなかった。スプリングトレーニングに参加できないばかりか、アメリカに入国できないままレギュラーシーズンが終わってしまい、オフにFAとなっていた。

 失意のロメロは日本での活躍を誓って2021年に来日。最初の頃は牽制やクイックといった投球以外のプレーが問題となり、二軍落ちを経験。しかし、ファームで新球のカットボールを習得したりコントロールを改善したりと成長がみられ、一軍再昇格後は先発で好成績を残した。

 年俸1億2000万円と大幅昇給して迎えた2年目は、中日戦以外ではKOが続き、シーズン途中にリリーフに降格。そのままオフに自由契約となった。先発でも150km/h超を計時する威力あるファストボールを持っていたが、細かい制球力やプレート周りの弱点を日本の打者たちに突かれてしまった。

49 ブルックス・クリスキー
投手 在籍期間:2022(西武23)
アメリカ合衆国/1994年2月3日生/右投右打
【NPB】32試合1勝1敗8S 防御率2.31 BB/9 5.7 K/9 10.0
(DeNA) 18試合1勝1敗1S 防御率2.57 BB/9 5.6 K/9 11.1
(西武) 14試合0勝0敗7S 防御率1.93 BB/9 5.8 K/9 8.4
【MLB】20試合2勝1敗0S 防御率11.22 BB/9 7.1 K/9 10.4

============ 選手紹介 ============

 来日前の2021年、MLBで歴代ワーストタイとなる1イニング4暴投を記録。しかも、その試合で逆転を許して敗戦投手となってしまった。このニュースは日本の野球関連メディアでも報じられたため、ベイスターズファンの期待値は決して高いとは言えなかった。

 しかし、ベイスターズでは好調時に150km/h台後半のファストボールを投げ込み、一定のポテンシャルを示した。ただ、夏場に肘を痛めて戦線離脱。さらにファームでの調整中に腰まで痛めてしまい、そのまま復帰することなく契約満了となった。

 DeNAを退団した助っ人たちの中には、古巣への愛着を持ち続ける選手も多いが、クリスキーもその一人。2024年にベイスターズがクライマックスシリーズ進出を決めた際には、2年ぶりにSNS(X)を更新し、古巣の快進撃を願うコメントを投稿した。そのXのアイコンも、ベイスターズ在籍時に撮影されたものだった。

 ちなみに彼の名前は“人間掃除機”の異名を持つ名三塁手、ブルックス・ロビンソンにちなんで名付けられている。

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107 レミー・コルデロ 
投手 在籍期間:2019~21
ドミニカ共和国/1997年12月18日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 あとから入ってきたスターリンの制球難は酷かったが、こっちのコルデロも負けず劣らず荒れていた。17歳のときにドミニカン・サマーリーグで外野手としてプレーを始めたが、途中で投手に転向。しかし、11回2/3を投げて23与四死球・6暴投を記録し、転向1年目にしてチームをクビになってしまった。

 2018年オフにDeNAが主催したトライアウトに合格し、2019年に育成選手となった。ただ日本でもコントロール難は克服することはできず、2021年シーズン終了後の育成契約満了とともに退団。その後はBCリーグ神奈川に入団したが、1年足らずで日本を離れることとなった。

108 フランディー・デラロサ 
内野手 在籍期間:2020~21
ドミニカ共和国/1996年1月24日生/右投両打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 トニ・ブランコ以来の将来の主砲候補として期待され、2020年に育成契約で加入したドミニカ人選手。持ち前のパワーを活かしたバッティングが注目されたが、試合では打球角度が上がらなかった。

 湘南(二軍)では手薄な一塁手として故障なく出場していたものの、2年連続でOPSが5割台に留まり、ポテンシャルを発揮できなかった。また、NPBの規定により26歳以上の外国人育成選手はシーズン途中の支配下登録が認められないという制約も影響し、2021年シーズン終了後に契約解除となった。

 ちなみにシカゴ・カブス傘下のシングルA-時代、スペンサー・パットンと交換トレードされた経験を持つ。DeNAでは2020年に在籍期間が重なっている。

049→49 ケビン・シャッケルフォード
投手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1989年4月7日生/右投右打
【NPB】32試合1勝0敗1S 防御率5.17 BB/9 4.6 K/9 9.8
【MLB】31試合0勝1敗0S 防御率5.35 BB/9 4 K/9 10.5

============ 選手紹介 ============

 当初は育成契約で入団した右のリリーフ投手。入団時点では育成選手のままだったが、新型コロナによる特例措置に助けられ支配下登録が叶った。ただ、一軍では活躍できず、イースタンでも名前が長すぎて電光掲示板に載せられないハプニングがあったこと以外は印象が薄かった。

 来日前に「イチローから三振を奪った」という触れ込みがあったが、それはレギュラーシーズンではなく春季キャンプでの出来事。実際に公式戦での対戦経験はなかった。

◇2020年までに在籍した外国人選手
2 ホセ・ロペス
内野手 在籍期間:2015~20(巨人13~14)
ベネズエラ/1983年11月24日生/右投右打
元有望株 大活躍 優良助っ人 WBC2009
【NPB】993試合 打率.274 安打1001 本塁打198 OPS.806
(巨人) 255試合 打率.275 安打221 本塁打40 OPS.795
(DeNA) 738試合 打率.273 安打780 本塁打158 OPS.809
【MLB】1036試合 打率.262 安打1005 本塁打92 OPS.688

============ 選手紹介 ============

 ベイスターズが獲ってくる助っ人外国人の特徴の一つに、他球団でそこそこやっていた選手を移籍させるケースが多い。そして大概は前チームより成績を下げるのがお決まりだったが、ロペスに限っては久々の?下手したら初めての成功例となった。

 ベネズエラでサッカー少年として育ったロペスは、中学生の頃から本格的に野球に打ち込むようになった。16歳のときに国際FAによってシアトル・マリナーズと契約。この頃は遊撃手メインに育成され、極めて順調にマイナーの階級を駆け上がった。2004年にメジャーデビュー後、2006年に本格的に二塁手のレギュラーに定着。イチローの後を打ち、5年間レギュラーとして出場を続けた。

 2011年以降は打撃不振によって移籍を繰り返し、2013~14年に読売ジャイアンツでプレーしていた。

 横浜スタジアムでの打撃成績が良かったが大きな決め手となり、2014年の年末にDeNAと契約。移籍1年目の春先から良い場面で打ち続け、筒香の離脱時には4番も代行するほどあっという間に信頼を得た。2017年には来日1年目以来の打率3割に、初のタイトルとなる打点王(105打点)を獲得。2020年まで6年間在籍したが、将来は指導者になるのにふさわしいと思えるような人物だった。

 ベイスターズで同僚となった筒香とは縁があり、2020年のレギュラーシーズン最終盤、阪神戦で放ったソロホームランが日本・メジャー両方で1000安打達成のメモリアルアーチとなった。この記録はイチロー、松井秀喜に次ぐ3人目の快挙であった。試合後に行われたセレモニーではアメリカで奮闘中の筒香からビデオメッセージが届き、涙を流した。同年を最後に退団となったが、チャモさんと呼ばれ親しまれた彼に、コーチとして戻ってきてほしいと願うファンが今でもたくさんいる。

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53 スペンサー・パットン
投手 在籍期間:2017~20
アメリカ合衆国/1988年2月20日生/右投右打
優良助っ人 問題児
【NPB】219試合12勝9敗7S 防御率3.68 BB/9 3.7 K/9 10.6
【MLB】113試合5勝4敗2S 防御率5.11 BB/9 4 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 2017年から4年間で219試合に登板した助っ人リリーフ。来日1年目からフル回転して日本シリーズ進出に貢献し、ブルペン陣の柱として活躍した。ファンの間ではプレーだけでなく、2019年に起きた「冷蔵庫事件」の印象が強いかもしれない。

 同年8月3日、ハマスタでの巨人戦の8回に登板したものの、1アウトも取れず2失点で降板。怒りを抑えきれなかったパットンは、ダグアウト裏にあった冷蔵庫を右、左、右と3発殴打し、右手の指を骨折。この愚行によって残りのシーズンを棒に振ったことで、球団から制裁金500万円を課せられた。

 この冷蔵庫事件からちょうど1年後の2020年8月27日、ハマスタでの広島戦で一打逆転のピンチをしのぐ好救援を見せ、自身初のお立ち台に上がった。この日は奇しくも家電量販店のノジマがスポンサードしていた試合で、ヒーロー賞として冷蔵庫が用意されていた。偶然にしては出来過ぎと思えるほどの珍事に、ハマスタは大いに沸いた。

 2024年、パットンはメキシカンリーグで防御率2点台と安定した成績を収める一方、プレミア12のアメリカ代表として再来日。大会では打ち込まれたが、牧秀悟とは初対面にもかかわらず一緒にデスターシャをやり、深い横浜愛を示した。また同年には女優の高月彩良がDeNAファンであり、パットンを応援していたことがインタビューで語られたことが話題に。彼女の発言にファンは歓喜するとともに、「もっと売れていきたいなら声高に言わない方が…」と心配する声も上がった。

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42 エディソン・バリオス
投手 在籍期間:2018~19(SB11~16)
ベネズエラ/1988年10月11日生/右投右打
【NPB】63試合5勝12敗1S 防御率3.96 BB/9 3.4 K/9 7.6
(SB) 46試合2勝5敗1S 防御率4.43 BB/9 4.0 K/9 8.7
(DeNA) 17試合3勝7敗0S 防御率3.54 BB/9 2.9 K/9 6.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ソフトバンク在籍時に17試合連続ホールドの日本記録を樹立した実績を持つリリーフ右腕。DeNA移籍後は先発としても起用された。2018年は終盤にチームに貢献する場面もあったが、翌年はシーズンを通じて不振が続き、2019年限りで退団した。

 DeNAでの立ち位置は一軍外国人枠の当落線上である4~5番手だった。助っ人の保険的な活躍も期待されていたものの、2019年のスペンサー・パットンの離脱時にはバリオスも調子を崩しており、期待された役割を果たすことができなかった。なお、パットンの離脱理由は冷蔵庫を殴ったあの件であった。

97 サミー・ソリス
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1988年8月10日生/左投右打
【NPB】4試合0勝0敗0S 防御率2.08 BB/9 4.2 K/9 4.2
【MLB】141試合5勝7敗1S 防御率4.51 BB/9 3.9 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 ワシントン・ナショナルズで4年間に141試合登板し、一時はセットアッパーを務めた実績を持つリリーフ左腕。2018年に肩を負傷した後、万全の状態ではなかったものの、キャリアを途絶えさせたくない思いから日本球界への挑戦を決断し、DeNAに入団した。

 来日初登板となった巨人戦では最初のバッター、山本泰寛にキャリア2本目となるホームランを浴びる不本意なスタートとなった。このソロホームラン以外に失点は許さなかったが、4試合投げたところで左肩が限界に達し、シーズン途中で帰国。短期間の在籍に終わった。

 その後は国際大会で声がかかるまでに回復。2021年に東京オリンピックのメキシコ代表に内定したものの、新型コロナウイルス感染により来日が叶わず無念の辞退。2024年のプレミア12で再びメキシコ代表に選出され予定通り日本の地を踏んだ。その際、元助っ人と紹介されていたが、DeNA時代の登板がわずか4試合だったこともあり、ベイスターズファンの間でさえ「誰?」という反応も少なくなかった。

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56 ジョー・ウィーランド
投手 在籍期間:2017~18
アメリカ合衆国/1990年1月21日生/右投右打
元有望株 期待以上
【NPB】37試合14勝11敗0S 防御率3.80 BB/9 2.7 K/9 7.8
【MLB】12試合1勝6敗0S 防御率6.32 BB/9 3.2 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 マイナー時代から打撃の良い先発投手として知られていたアメリカ人投手。2017年に来日し、初年度から10勝2敗・防御率2.98という好成績を挙げ、チームのクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。投手としての活躍に加え、在籍した2年間で4本塁打を放つなど打者顔負けのパフォーマンスを見せ、控え野手よりもよほど存在感を発揮していた。

 ウィーランドの打撃はファンだけでなくテレビ中継でも注目された。とある試合でタイムリーを打った際、某実況が口走った「GWウィークはディズニーランドよりウィーランド!」との寒いフレーズは、一部ファンの間で語り草となっている。

42 エリアン・エレラ
 
(登録名:エリアン)
内野手 在籍期間:2016~17
ドミニカ共和国/1985年2月1日生/右投両打
【NPB】104試合 打率.224 安打70 本塁打6 OPS.606
【MLB】223試合 打率.253 安打148 本塁打8 OPS.666

============ 選手紹介 ============

 二塁手、遊撃手、三塁手と外野3ポジションをこなすユーティリティ性がウリだった便利屋選手。メジャー通算223試合。1試合5打数5安打や3試合連続ホームランといった目立つ記録を残したが、フライを追いかけて味方選手と衝突し、この時に負ったケガの影響でメジャー定着を果たすことができなかった。

 2016年のベイスターズはロマックが早々に期待を裏切っていたため、シーズン途中にエレラを急遽獲得。チームにはヨスラン・エレラが在籍していたため、登録名は「エリアン」になった。1年目の打撃成績は打率.218・5本塁打・OPS.597に終わったが、大事な場面で大仕事をするイメージがあり、契約延長が決まった。2年目は”ハマのプーさん”と呼ばれ始めた宮崎がサードに固定され、またシーズン中にエスコバーがトレード移籍してきた影響で二軍が定位置になってしまった。

 対戦相手別では、なぜかスワローズ相手に異常な勝負強さを見せた。1年目に記録した33打点のうち21打点を、さらに本塁打5本はすべてスワローズ戦で挙げたものだった。グラウンド外では、菊地亜美に似ていると話題になっていた。

49 フィル・クライン
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1989年4月30日生/右投右打
【NPB】7試合2勝3敗0S 防御率4.75 BB/9 5.5 K/9 6.8
【MLB】40試合2勝3敗0S 防御率5.50 BB/9 4.7 K/9 8.7

============ 選手紹介 ============

 メジャーでの実績こそ平凡だったが、身長2メートル超のスケールのデカさに期待を寄せられ、ベイスターズは年俸1億5000万円と奮発して獲得した。

 しかし、日本ではオープン戦の段階から制球難を露呈し、首脳陣やファンに不安を与える立ち上がりとなった。シーズン開幕後はコントロールの不安定さだけでなくフィールディングの悪さも目立ち、登板機会はわずか7試合にとどまった。入団にあたって熱心に誘ってくれた高田繁GMの顔に泥を塗る結果となった。

98 アウディ・シリアコ
内野手 在籍期間:2017
ドミニカ共和国/1987年6月16日生/右投右打
【NPB】12試合 打率.074 安打2 本塁打0 OPS.218
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算272試合出場を誇る兄を持つ元三塁手。弟のアウディは7シーズンも3Aでプレーしながら、メジャーに呼ばれることはなかった。

 2016年、BCリーグの石川ミリオンスターズで好成績を収めた後、DeNAの入団テストに合格して契約。しかし、1軍ではバットコントロールが通用せず苦戦を強いられた。

 ベイスターズ退団後はアメリカの独立リーグを中心にプレーを続け、2019年には兄のペドロと同じチームでプレーする機会もあった。

49 ギジェルモ・モスコーソ
投手 在籍期間:2014~16
ベネズエラ/1983年11月14日生/右投右打
WBC2017
【NPB】52試合17勝22敗0S 防御率4.27 BB/9 2.9 K/9 6.8
【MLB】70試合13勝14敗0S 防御率4.28 BB/9 3.5 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 ファンには今でも良いイメージを持たれている、ベネズエラ出身の先発右腕。弱かった時代のベイスターズの先発ローテーションを支え、辛抱強く投げてくれた。

 2024年シーズン、新助っ人アンドレ・ジャクソンが規定投球回の143イニングに到達。これにより、ベイスターズの外国人投手として規定投球回をクリアしたのは、2014年のモスコーソ以来、実に10年ぶりとなった。この記録によってモスコーソの名前が再び注目され、ファンの間で懐かしむ声が広がった。

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53 ヨスラン・エレラ
投手 在籍期間:2015~16
キューバ/1981年4月28日生/右投右打
【NPB】52試合5勝4敗0S 防御率2.96 BB/9 2.6 K/9 9.2
【MLB】25試合2勝2敗0S 防御率6.43 BB/9 5.4 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 キューバ出身の元有望株投手。2005年に亡命に成功すると、入団したピッツバーグ・パイレーツ内の上位のプロスペクトとして期待された。2008年にメジャーデビューしたがそれ以降出場機会に恵まれず、年単位で野球から離れた時期を経て、2014年に6年ぶりとなるメジャー復帰を果たした。

 ベイスターズ初年度の2015年、当初は2軍スタートの予定だったが、グリエルが来日しない騒動が起きたことでエレラの1軍登録が決まった。とある試合でアンパイアからイジメのように1イニング3ボークを取られる出来事があったが、シーズン全体では山﨑康晃に繋ぐセットアップマンとして好成績を残した。

 ただ、1年目の終盤に右肩の違和感を訴えると、思いのほか重症であることが判明。2016年も契約延長はしたものの翌シーズンも肩の不調を引きずり退団となった。

 そこそこ活躍してくれたものの、酷使の影響もあって結果的に故障に繋がってしまったことは、ベイスターズファン目線では今でも申し訳なく思う助っ人外国人だった。

67 ザック・ペトリック
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1989年7月29日生/右投右打
【NPB】15試合3勝2敗0S 防御率5.51 BB/9 2.3 K/9 4.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 多彩な変化球を操るゴロ打たせ系の技巧派右腕。投手にしてはバッティングが良いため、球の遅いウィーランドと揶揄されていた。

 DeNAを退団後は韓国のサムスン・ライオンズと契約。とある試合で2回0/3を14失点も取られる歴史的な大炎上をしてしまい、一部のベイスターズファンの間で話題になった。

69 マイク・ザガースキー
投手 在籍期間:2016(広島15)
アメリカ合衆国/1983年1月27日生/左投左打
【NPB】51試合3勝1敗0S 防御率4.15 BB/9 4.9 K/9 9.4
(広島) 19試合0勝0敗0S 防御率2.40 BB/9 4.2 K/9 9.6
(DeNA) 32試合3勝1敗0S 防御率4.96 BB/9 5.2 K/9 9.4
【MLB】91試合1勝1敗0S 防御率7.78 BB/9 5.7 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 前年に広島東洋カープに在籍していた左腕リリーフ投手。カープでは19試合に登板し、防御率2.40と安定した成績を残していたものの、故障グセと外国人枠の影響で戦力外となっていた。

 ベイスターズ移籍後は故障離脱こそなかったものの、投球内容は振るわず防御率は4.96と大幅に悪化。さらに前任投手が残したランナーをしばしば返してしまうなど、信頼を得ることはできなかった。それでもリリーフとして挙げた3勝はすべてジャイアンツ戦で記録するという、不思議な結果を残した。

⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

97 マイク・ブロードウェイ
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1987年3月30日生/右投右打
160km/h
【NPB】5試合0勝0敗0S 防御率4.50 BB/9 3.0 K/9 4.5
【MLB】25試合0勝2敗0S 防御率6.75 BB/9 3.2 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 2016年のシーズン中、リリーフ陣の強化を目指して緊急補強した助っ人右腕。自称最速160kmを投げられると豪語したことや、「ブロードウェイ」と「劇場」が掛かった名前の響きが話題性を呼んだ。

 しかし、来日後のパフォーマンスは思うようにいかなかった。8月に1軍に昇格し、注目されたNPBデビューとなったスワローズ戦。160km/hのストレートへの期待が高まる中、バレンティンに投じた初球はレフトスタンドへと消える一発に。その後も失点を重ね、デビュー戦は5失点の大変苦しい結果に終わった。翌日のスポーツ紙に「”初公演”で5失点」といった見出しが踊り、厳しい評価を受けることになった。

 初登板以降は好投を見せる試合もあったが、総じて安定感を欠き、5試合目を投げ終わったところでイースタンに降格。シーズン終了後にチームを去ることとなった。

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52 ジェイミー・ロマック
内野手 在籍期間:2016
カナダ/1985年9月30日生/右投右打
WBC2017
【NPB】30試合 打率.113 安打8 本塁打0 OPS.374
【MLB】27試合 打率.167 安打6 本塁打0 OPS.481

============ 選手紹介 ============

 来日前年に3Aで100打点を記録していた助っ人内野手。2016年にサードのレギュラー定着を期待されて入団したが、内野守備は練習段階から不安を露呈し、急遽外野での起用に切り替えられた。開幕戦でヒットを放つもその後は低迷。打率が1割を切る状況でも主力の故障により起用され続けたが、4月下旬についに二軍落ち。それ以降に昇格の機会はあったものの、最後まで低迷したままシーズン終了後に解雇された。

 ロマックの打撃成績は打率.113。長打は二塁打1本のみ、タイムリーは0本、三振率42.2%と厳しい内容であった。ファンからは「投手が自援護する方が打つ」と揶揄される始末で、実際に翌年加入した投手ジョー・ウィーランドが打率.229・3本塁打・12打点を記録し、比較されてしまった。守備面でもミスが目立ち、攻守両面で期待を大きく裏切った。

 DeNAを退団後、2017年のWBCにカナダ代表として出場。日本時代には見られなかった好守を披露し、注目を集めた。その後、韓国プロ野球(KBO)のSKワイバーンズと契約。韓国では”三振かホームランか”の典型的なパワーヒッターとして存在感を示し、2018年に31本塁打を記録。以降中軸打者として毎年30~40本塁打を放ち、2021年シーズン終了後に現役を引退した。

 SK入団時には日本球界やDeNAに対する否定的な発言が見られた。それが日本のネットで反発を招いたのか、ロマックの韓国での活躍は「KBOで成功した打者はNPBでは活躍できない」という説の根拠として定着するようになった。

◇2015年までに在籍した外国人選手
52 アーロム・バルディリス
内野手 在籍期間:2014~15(阪神08~09,オリ10~13)
ベネズエラ/1983年1月5日生/右投右打
【NPB】918試合 打率.268 安打793 本塁打93 OPS.764
(阪神) 100試合 打率.205 安打33 本塁打4 OPS.638
(オリ) 540試合 打率.279 安打525 本塁打59 OPS.783
(DeNA) 278試合 打率.257 安打235 本塁打30 OPS.746
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2013年シーズン終了後にオリックスから移籍した三塁手。2年契約の好条件でDeNAに加入したが、チーム事情を考えると疑問の残る補強だった。

 サードには既に中村紀洋が在籍し、さらに後藤武敏や若手の筒香嘉智も控える中、ポジションが競合する状況だった。また、バルディリスはショートを守れず守備力には不安があり、前年に在籍していたモーガンのような外野手の方が補強ポイントに適していた。特に、当時はまだ筒香をサードで育成すべきとの意見も根強く、年俸面を含めてチーム事情にマッチしない選手補強だった。

 DeNAでは2年間にわたり安定した成績を残し、いずれの年も139試合に出場して2桁本塁打・打率2割5分台を記録。一定の貢献をしたと言える。しかし、DeNA退団後にサムスン・ライオンズ(韓国)に移籍した後、日本でのプレーについて「横浜ではコーチがフォームを無理に矯正しようとして調子を狂わされた」と発言。この発言は、韓国では日本を批判するとウケが良い背景も影響していた可能性がある。

 総じて、バルディリスは安定した打撃力を持つ選手であり、阪神やオリックスの両関西球団にいたことで在阪ファンからの人気が高い一方、DeNAのファンからは獲得当時のチーム状況や退団後の発言に嫌悪感を示される選手である。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

10 ユリエスキー・グリエル
内野手 在籍期間:2014~15
キューバ/1984年6月9日生/右投右打
問題児 WBC2006 WBC2009 WBC2013
【NPB】62試合 打率.305 安打73 本塁打11 OPS.884
【MLB】927試合 打率.280 安打952 本塁打98 OPS.764

============ 選手紹介 ============

 「ユリ・グリエル」の名前で呼ばれている強打の一塁手。キューバがまだ強かった頃の代表チームでクリーンナップを打っていた。2014年、キューバ政府よりDeNAに派遣される形で来日。NPBでの1年目は好成績を残し、持ち前の打撃力でチームを牽引した。

 しかし翌年、弟のルルデス・グリエルJr.とともに「怪我」を理由に来日を拒否。DeNA側は診断書の提出を求めたが、代理人やキューバ政府からの明確な回答はなく、シーズン開幕後に契約解除が発表された。

 その後、2016年にカリビアンシリーズ開催中のドミニカ共和国から弟とともにハイチへ亡命。これによりDeNA退団の背景には、かねてから噂されていた亡命計画があったことが確実になった。

 メジャー移籍後は2017年にアストロズでワールドシリーズ優勝を経験するも、ダルビッシュ有からホームランを打った際にアジア人を侮辱するパフォーマンスをしたことが問題視され、MLBから処分を受けた。一方でダルビッシュ本人は「これを糧にして学んでほしい」と寛容な姿勢を示し、グリエルも謝罪を表明。

 メジャーリーガーとして活躍する一方で、SNSで横浜愛を語ったり、日本メディアの取材に笑顔で応じる姿も見られた。そのため「チーム愛は実際にあったのでは?」と再評価される面もあるが、移籍時の騒動が日本でのキューバ人選手に対する評価に暗い影を落としているのも事実である。

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42 デュアン・ビロウ
投手 在籍期間:2015
アメリカ合衆国/1985年11月15日生/左投左打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率33.75 BB/9 33.8 K/9 0.0
【MLB】43試合2勝4敗0S 防御率4.27 BB/9 2.4 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算43試合に登板したサウスポー。当時の巨人打線には左の強打者が揃っており、中畑監督は対巨人対策として左腕投手の補強を熱望。その要望を受け、フロント主導で獲得されたのがビロウだった。

 2015年、シーズン終盤の9月に一軍登録されるも、先発予定の試合が2度続けて雨天中止。ようやく晴れたデビュー戦では、スワローズを相手に1回1/3を投げて5四球・5失点でKO。結果を残せないまま二軍へ降格し、シーズン終了後に戦力外となった。

 それから約10年後の2023年、とあるスポーツ系バラエティ番組に中畑清氏が出演。巨人対策として緊急補強した外国人左腕が、巨人戦に投げる前に打ち込まれて使い物にならなかったというエピソードを語った。ダウンタウンの浜田からその選手は誰だったのかを尋ねられると、中畑氏は「名前も忘れた」とコメント。ビロウの存在は記憶にも残らないものとなってしまった。

91 ルルデス・グリエルJr.
内野手 在籍期間:2015
キューバ/1993年10月10日生/右投右打
問題児
【NPB】1軍出場なし
【MLB】746試合 打率.279 安打778 本塁打110 OPS.784

============ 選手紹介 ============

 日本球界では1試合も出場しなかったが、後にメジャーでスター選手として名を馳せたキューバ人外野手。2014年から在籍していた兄のユリエスキーと契約延長する際に弟もセットで契約されたが、2015年にまさかの兄弟揃って来日拒否。ルルデスの方は左手首の治療を理由に挙げたものの、診断書が提出されなかったため真相は不明。結局、ルルデスはNPB史上3人目の制限選手に指定され、DeNAでプレーすることなく戦力外となった。

 その後、亡命する過程で一時的に行方不明になっていたが、2016年にトロント・ブルージェイズと7年総額2200万ドルの大型契約を結び、注目を集めた。2022年オフにはトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍し、現在もメジャーで活躍中。

53→118→59 陳冠宇(チェン・グァンユウ)
投手 在籍期間:2011~14(ロッテ15~20)
台湾/1990年10月29日生/左投左打
WBC2017 WBC2023
【NPB】136試合11勝11敗0S 防御率3.58 BB/9 4.2 K/9 7.2
(DeNA) 1試合0勝0敗0S 防御率11.57 BB/9 7.7 K/9 11.6
(ロッテ) 135試合11勝11敗0S 防御率3.51 BB/9 4.2 K/9 7.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 千葉ロッテマリーンズで6年間活躍した台湾人投手だが、その前は4年もベイスターズに在籍していたことを覚えているだろうか?2011年に来日後、肘の故障により育成選手へ降格するも、リハビリを経て支配下登録を勝ち取るまでに復活した。しかし、2014年の一軍デビュー戦では味方の守備に足を引っ張られ、3回持たずにKO。その試合以後は1度も一軍登板の機会は訪れず、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。

 翌年、千葉ロッテの入団テストに合格。春季キャンプで首脳陣から高評価を受け、開幕2戦目の先発投手に大抜擢される。その後は先発とリリーフ両方で起用され、2020年までチームに貢献した。

⇒千葉ロッテマリーンズ(2000年以降)参照

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61 エンゼルベルト・ソト
投手 在籍期間:2013~14(中日11~12)
ベネズエラ/1982年8月20日生/左投左打
優良助っ人
【NPB】74試合11勝6敗1S 防御率3.11 BB/9 3.2 K/9 6.4
(中日) 40試合9勝2敗0S 防御率1.92 BB/9 2.6 K/9 6.9
(DeNA) 34試合2勝4敗1S 防御率6.20 BB/9 4.7 K/9 5.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2012年オフ、中日ドラゴンズから移籍した3人の外国人選手の1人。ドラゴンズ時代は巨人相手に好投しており、ベイスターズ加入1年目は巨人戦に先発起用されたが、2度の登板とも大量失点を喫して結果を残せなかった。

 2年目からはリリーフに専念。16試合連続無失点を記録するなど安定感を発揮し、次第に勝ち試合での起用が増加。夏場にはセーブシチュエーションでも登板するなど、チームのブルペンを支える重要な役割を担った。しかし、外国人枠の競争や左腕投手の補強により退団が決定。

 モスコーソやバルディリス、グリエルといった同僚助っ人たちがこぞって活躍した一方で、一緒に移籍したブランコとソーサとは一軍出場枠を争う形になってしまった。謙虚な人柄はファンから好感を持たれていたが、惜しまれながら退団した。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

53 ホルヘ・ソーサ
投手 在籍期間:2013~14(中日12)
ドミニカ共和国/1977年4月28日生/右投右打
WBC2006
【NPB】135試合8勝8敗26S 防御率2.32 BB/9 3.3 K/9 7.2
(中日) 53試合5勝1敗4S 防御率1.85 BB/9 2.7 K/9 7.1
(DeNA) 82試合3勝7敗22S 防御率2.68 BB/9 3.8 K/9 7.3
【MLB】294試合44勝53敗7S 防御率4.72 BB/9 4.1 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 ブランコ、ソトとともにドラゴンズから移籍した元メジャーリーガー。ベイスターズ1年目は開幕からブルペン陣の一角として登板し、不調の山口俊に替わってクローザーを任された。特に夏場以降は安定感が増し、チームの最下位脱出に大きく貢献した。

 しかし、移籍2年目は春季キャンプから明らかに調整不足の状態で開幕を迎え、生命線である球速が低下。自己管理の甘さから中畑監督に悪印象を与え、二軍に降格する場面もあった。最終的に防御率は1年目の1.79から4.94へと悪化し、契約延長には至らなかった。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

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115 ケビン・モスカテル 
捕手 在籍期間:2013~14
ベネズエラ/1991年5月16日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 セントルイス・カージナルス傘下のマイナー下部でプレーしていたベネズエラ人捕手。マイナーでの最高位は1A+だった。2013年に横浜DeNAベイスターズの入団テストを受け、育成選手として契約を結んだ。当時22歳での日本球界挑戦は、珍しい外国人捕手としてファンからの期待を集めた。

 DeNA入団後はチームメイトやスタッフと良好な関係を築いた。日本の文化に溶け込む努力を惜しまず、公文に通って日本語を勉強していたことが話題に。二軍の横須賀スタジアムでは、試合後にファンからサインを求められることが多く、嫌な顔ひとつせず快く応じる姿が頻繁に目撃された。

 しかし、打撃面では苦戦を強いられ、二軍での打率は1割を切る厳しい成績に。守備面では一定の評価を得ていたものの、プロとして厳しい結果が残った。

 来日2年目となった2014年のシーズン終盤、23歳の若さで引退を決意。一軍出場ゼロの育成選手ながら、最後はチームメイト達から胴上げで送られ、日本を後にした。

42 トニ・ブランコ
内野手 在籍期間:2013~14(中日09~12,オリ15~16)
ドミニカ共和国/1980年11月10日生/右投右打
元有望株 期待以上
【NPB】750試合 打率.272 安打725 本塁打181 OPS.868
(中日) 452試合 打率.262 安打427 本塁打111 OPS.852
(DeNA) 219試合 打率.314 安打249 本塁打58 OPS.962
(オリ) 79試合 打率.202 安打49 本塁打12 OPS.666
【MLB】56試合 打率.177 安打11 本塁打1 OPS.490

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの主軸を4年間務めたブランコだったが、勝つ気のないドラゴンズから慰留されず。2012年オフにDeNAと2年契約を結んで移籍した。

 移籍初年度は開幕から好調で、4月にはチーム記録を59年ぶりに更新する月間14本塁打を達成。7月には球団史上2人目となる球宴前30本塁打を記録し、チームのCS争いを牽引する活躍を見せた。

 このシーズンはリーグ2位の41本塁打、トップの136打点で打点王を獲得し、打率も.333を記録して首位打者のタイトルに輝いた。ただし、後半戦には背中や脚の負傷が重なり、出場機会が減少。記録更新の期待がかかる中で欠場が続き、シーズン終盤には全力疾走を怠ったプレーが批判の的になることもあった。それでも、チームの最下位脱出を決定づける活躍を見せ、打撃面で存在感を発揮した。

 翌2014年は開幕直後に満塁本塁打を放つなど順調なスタートを切ったが、左太ももの肉離れを2度繰り返し、戦線離脱を余儀なくされた。復帰後は重要な場面でいくつもホームランを打ったが故障が再発し、シーズンを通して万全の状態には戻れなかった。このシーズン終了後、横浜との契約オプションは行使されず、ブランコはチームを退団することとなった。

 その後オリックスに移籍するも、体重増加と下半身のけがに悩まされ、2年間でわずか12本塁打と期待を裏切る結果に終わった。また、横浜時代に話題となった「ぶらんこブランコ」の遊具も大阪ドームに譲渡され、彼の移籍を象徴するエピソードとなった。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

66 王溢正(ワン・イーゼン)
投手 在籍期間:2010~13
台湾/1985年10月9日生/左投左打
WBC2013
【NPB】6試合0勝4敗0S 防御率8.88 BB/9 7.0 K/9 5.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 大洋・横浜球団史初の台湾人選手。日本ではまったく活躍できなかったが、Yahoo!知恵袋に「横浜にもこんな選手がいるんだ!と全国に発信して欲しいんです(*^◯^*)」と投稿された自称横浜ファンの書き込みが妙な流行り方をしたため、実績とは関係なく記憶に残る外国人選手となった。

3 アレックス・ラミレス
外野手 在籍期間:2012~13(ヤク01~07,巨人08~11)
ベネズエラ/1974年10月3日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】1744試合 打率.301 安打2017 本塁打380 OPS.859
(ヤク) 982試合 打率.301 安打1184 本塁打211 OPS.852
(巨人) 569試合 打率.307 安打666 本塁打148 OPS.907
(DeNA) 193試合 打率.276 安打167 本塁打21 OPS.732
【MLB】135試合 打率.259 安打86 本塁打12 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 選手としてだけでなく監督としてもベイスターズに多大な貢献を果たしたチームの象徴的存在。明るい性格と親しみやすいキャラクターでファンから絶大な人気を誇り、ベイスターズの歴史に名を刻んた。

 ラミレスが横浜に加入したのは2012年。ヤクルト、巨人での活躍を経ての移籍だった。通算2000本安打達成を視野に入れた移籍は注目を集め、実際に2013年4月6日に外国人選手では初めて2000本目を記録。NPB史上初の外国人選手による名球会入りを果たした。

 ベイスターズでは主にクリーンアップで起用された。打撃成績こそ最盛期には及ばなかったものの、勝負強さは健在で、若手選手にとっても良き手本となる存在であった。特に試合前の練習やベンチでの明るい振る舞いはチームの士気を高め、苦しい時期のベイスターズにポジティブな雰囲気をもたらした。

 2016年には監督に就任。チーム史上初となる外国人監督として采配を振るい、就任1年目からチームをAクラス入りに導いた。クライマックスシリーズが導入されてから12球団で唯一進出したことがなく、ベイスターズとしては快挙といえる出来事だった。在任5年の順位は3位、3位、4位、2位、4位。長きに渡った暗黒時代を思えば大健闘と言える成績であった。チームのブランド価値向上にも大きな役目を果たし、チーム史に欠かすことのできないレジェンドとなった。

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56 ティム・コーコラン
投手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1978年4月15日生/右投右打
【NPB】7試合1勝3敗0S 防御率5.61 BB/9 4.8 K/9 3.7
【MLB】40試合5勝9敗0S 防御率4.97 BB/9 5 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 リリーフ右腕として活躍し、弟のロイ・コーコランとともに兄弟メジャーリーガーとして知られたティム・コーコラン。兄弟そろってゴロを打たせる投球を得意とするリリーバーだった。

 弟のロイは2008~09年、シアトル・マリナーズでミドルリリーフとして頻繁に登板。イチローが在籍していた時期の中継を見ていた日本人の中には、その名前を覚えている人もいるかもしれない。

 日本でプレーしたのは兄のティムで、先発をメインに7試合に登板したが空振りが取れず打ち込まれた。縫い目のキレイな日本の公式球に苦戦するのは、シンカー系のメジャー投手のあるあるだった。

62 鄭凱文
投手 在籍期間:2013(阪神09~12)
台湾/1988年7月26日生/右投右打
WBC2009
【NPB】33試合2勝3敗0S 防御率5.16 BB/9 2.9 K/9 4.8
(阪神) 27試合2勝1敗0S 防御率4.33 BB/9 2.2 K/9 4.8
(DeNA) 6試合0勝2敗0S 防御率7.29 BB/9 4.7 K/9 4.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 阪神タイガースをクビになった後、横浜DeNAベイスターズに育成契約で加入した台湾人右腕。持ち前の投球センスを期待され、シーズン途中に支配下選手登録を勝ち取るも、一軍での登板6試合・防御率7.23と結果を残せず。契約延長は無く、日本球界を去ることとなった。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

27 ナイジャー・モーガン
外野手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1980年7月2日生/左投左打
【NPB】108試合 打率.294 安打109 本塁打11 OPS.795
【MLB】598試合 打率.282 安打550 本塁打12 OPS.708

============ 選手紹介 ============

 MLBではかなりの問題児、というより情緒不安定なヤバいやつと認識されていた俊足外野手。試合になると「トニー・プラッシュ」という別人格を名乗るほど感情豊かで個性が強かった。一方で攻守ともに全力プレーを怠らず、ファンからの人気も高かった。

 学生時代は野球よりアイスホッケーに熱中し、カナダの高校へ留学。NHLではないプロリーグでプレーしたが限界を感じ、野球に方向転換するため短大へ進学した。

 2002年に33巡目でドラフトに掛かると、2007年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビュー。以降はナショナルズやブリュワーズでレギュラー外野手として活躍した。同時に、相手選手への挑発や乱闘、観客へのボール投げつけなど問題行動を繰り返し、「メジャー屈指の問題児」として知られる存在となった。

 ブリュワーズ時代の2012年に極度の打撃不振に陥り、メジャー挑戦1年目の青木宣親にスタメンを奪われ、シーズン終了後にFAに。翌年、横浜DeNAベイスターズと1年契約を結び来日した。当初はその素行を懸念する声もあったが、日本では挑発行為や不穏なプレーを控え、陽気で真面目な選手として評価された。

 プレー面では打率.294、11本塁打、OPS.795と安定した成績を残し、高い出塁率で攻撃陣を牽引した。しかし、1億5千万円の年俸から昇給を求めると球団との交渉が折り合わず、1年で惜しまれつつ退団。引退後は不動産投資家として新たなキャリアを歩んでいる。

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38 クレイトン・ハミルトン
投手 在籍期間:2011~12
アメリカ合衆国/1982年6月15日生/右投右打
【NPB】27試合1勝4敗0S 防御率7.25 BB/9 2.9 K/9 4.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー経験なし、3A経験が2ヶ月弱の元マイナーリーガー。同時期に在籍していたブランドンとともに親日家で人柄の良い外国人選手として親しまれたが、投手成績は2年連続で防御率7点台だった。

52 ブランドン・マン
 
(登録名:ブランドン)
投手 在籍期間:2011~12(ロッテ19)
アメリカ合衆国/1984年5月16日生/左投左打
【NPB】42試合3勝11敗0S 防御率4.22 BB/9 4.1 K/9 6.5
(DeNA) 28試合3勝9敗0S 防御率4.27 BB/9 3.6 K/9 5.7
(ロッテ) 14試合0勝2敗0S 防御率3.94 BB/9 6.8 K/9 11.3
【MLB】7試合0勝0敗0S 防御率5.40 BB/9 4.3 K/9 3.2

============ 選手紹介 ============

 熱心に日本語を学び、努力を惜しまなかったマジメ外国人として、今でも中堅ベイスターズファンから愛されている元助っ人投手。当時は左腕で150km/hを投げる投手は貴重だったため、メジャー未経験ながらそれなりに期待されていた。ちょうどベイスターズの経営権がTBSからDeNAに移る前後に在籍してしまい、どん底だったチームと共に苦しい時期を過ごした。

 来日初年度の2011年、ブランドンは故障によりシーズン前半を棒に振り、一軍昇格は8月下旬に。順位がほぼ確定した消化試合からの参戦となった。それでも12試合に登板して1勝1敗・防御率1.16という好成績を残し、翌年の残留を勝ち取った。

 2012年は一転して不安定になり、マウンド上でデニー友利コーチによく檄を飛ばされていた。16試合に投げて2勝8敗・防御率5.32と低調で、今度は契約延長を得ることはできなかった。打線の援護に恵まれない試合も多く、苦労が絶えなかった印象が残っている。

 退団後のブランドンはアメリカに戻り、マイナーリーグでプレーを続けたものの、禁止薬物使用で80試合の出場停止処分を受けた。また、イチローへの頭部死球を投じてしまうアクシデントがあったが、33歳で念願のメジャーデビューを果たしている。引退後はドライブライン・ベースボールにインストラクターとして勤務していた。

61 ジャンカルロ・アルバラード
 
(登録名:ジオ・アルバラード)
投手 在籍期間:2012(広島10~11)
プエルトリコ/1978年1月24日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】46試合12勝21敗0S 防御率3.53 BB/9 3.1 K/9 7.9
(広島) 38試合11勝15敗0S 防御率3.46 BB/9 2.9 K/9 7.6
(DeNA) 8試合1勝6敗0S 防御率3.92 BB/9 4.2 K/9 9.7 #N/A

============ 選手紹介 ============

 独特なインステップ投法が特徴なプエルトリコ出身右腕。日本でプレーした前後の2009年と2013年には、WBCのプエルトリコ代表として活躍した。

 2010年に広島東洋カープに入団し、マエケンに次ぐ先発ローテの2番手として活躍。2011年には防御率2.72を記録したが、カープはさらなる外国人投手の補強を目指し、ジオを自由契約とした。

 その後、NPBの複数球団がジオ獲得に動き、最終的にベイスターズが契約。年俸は僅かながら広島時代より増額され、期待を背負って迎え入れられた。

 横浜でも開幕から先発ローテーションを任された。移籍後初登板は奇しくもカープ戦となり、古巣相手に6回を1失点に抑えたが、カープの先発マエケンにノーヒッターを喫して敗戦投手になっている。シーズン全体ではカープ時代以上に故障に苦しみ、1勝6敗・防御率3.92と成績を下げた。不振が目立った同僚外国人選手に比べるとマシなスタッツではあったが、ジオもシーズン終了後に自由契約となった。

 調査が面倒だったせいではなかろうが、当時のベイスターズは日本の他球団でプレーした助っ人をよく連れてきていた。ただ移籍後の助っ人たちはベイスターズでは結果を残せないジンクスがあり、ジオもその例外とはならなかった。

⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

38 ボビー・クレイマー
投手 在籍期間:2012
アメリカ合衆国/1979年10月28日生/左投左打
【NPB】2試合0勝1敗0S 防御率10.80 BB/9 6.5 K/9 5.4
【MLB】9試合2勝2敗0S 防御率2.53 BB/9 2 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 紆余曲折を経てメジャーリーガーになった苦労人投手。20代前半にヒジを痛め、チームを解雇された後はどこにも属さず2年以上野球以外の仕事に従事した時期があった。マイナー球団を何度かDFAになりながらも、30歳にして初めてメジャーの試合に登板した。

 33歳になってメジャー定着が難しくなっていたときにDeNAからオファーがあり、2012年に来日。前年に打高投低のメキシカンリーグで防御率2点台前半をマークしており期待されていた。だが、一軍では2度先発登板したが両試合とも大量失点。その後はファームでも抑えることができず、ファンがクレイマー化しそうなほど期待を裏切った。

42 オスカー・サラザール
 
(登録名:サラサー)
内野手 在籍期間:2012
ベネズエラ/1978年6月27日生/右投右打
【NPB】13試合 打率.222 安打6 本塁打0 OPS.559
【MLB】199試合 打率.269 安打100 本塁打14 OPS.778

============ 選手紹介 ============

 春季キャンプ中に急遽テストを経て採用されたベネズエラ人選手。内外野の多くのポジションを守れるユーティリティ性を持っていた。ベイスターズに加入する前年は3Aで45試合・打率.221・2本塁打と振るわない成績だったが、DeNAでは外国人野手がアレックス・ラミレスだけという事情もあり、ローリスク・ローリターンの補強として年俸1,500万円で獲得した。

 宜野湾で行われていたキャンプに合流したサラサーは、同郷の先輩でもあるラミレスに促されてサルサを披露。つかみは完ぺきだったが、開幕を二軍戦で迎えると打率2割前後と低迷。その状態で活躍できるほどプロ野球は甘くなく、一軍に引き上げられても当然打撃面で苦しんだ。選手層が厚いチームであれば起用すら難しい状況だったと思われる。

 余談だが、MLB時代のサラサーは「サラザール」と表記され、同時期にジェフ・サラザールという選手もプレーしていた。ジェフの方はメジャー定着こそならなかったが、2007年に外野守備でホームランを奪い取る超ファインプレーを披露し、メジャー公式サイト実施のファン投票にノミネートされたことがあった。あのサラザールが日本に来るのかとベースボーラー(※筆者)は大いに期待したが、違うサラザールだと分かって残念に思った記憶がある。

56 ランディ・ルイーズ
内野手 在籍期間:2012(楽天10~11)
アメリカ合衆国/1977年10月19日生/右投右打
問題児
【NPB】151試合 打率.239 安打113 本塁打20 OPS.712
(楽天) 119試合 打率.244 安打100 本塁打18 OPS.731
(DeNA) 32試合 打率.210 安打13 本塁打2 OPS.585
【MLB】68試合 打率.272 安打59 本塁打12 OPS.820

============ 選手紹介 ============

 楽天イーグルス時代に打撃・内野守備の両面で失格の烙印を押されながらも、2012年のシーズン途中でベイスターズが緊急補強。35歳という年齢や楽天時代のパフォーマンスから活躍は難しいと思われた中での獲得だった。

 DeNAでは一塁専任にもかかわらず、その守備は不安定。ファーストには中村紀洋、サードには筒香嘉智が定着し、さらに後藤武敏が復活していたため、必然的にルイーズの出場機会は限られた。代打としても選球眼の悪さが足を引っ張り、期待された長打力を発揮する場面はほとんどなかった。

 年俸1500万円と低コストではあったが、「安物買いの銭失い」と言われても仕方のない結果に終わった。典型的なDH向けの選手であるルイーズを、DH制のないセ・リーグのチームがなぜ獲得したのか、理解に苦しむチーム編成だった。

68 スティーブン・ランドルフ
投手 在籍期間:2009~11
日本/1974年5月1日生/左投左打
【NPB】24試合7勝11敗0S 防御率3.39 BB/9 5.3 K/9 8.8
【MLB】109試合10勝7敗0S 防御率5.52 BB/9 7.9 K/9 7.8

============ 選手紹介 ============

 2009年シーズン途中に横浜ベイスターズに加入。奪三振能力の高さがストロングポイントで、NPB初登板では史上7人目・外国人選手初の「初打席初本塁打」を記録し、さらにリリーフ登板で日本記録となる15奪三振を達成するなど、強烈なインパクトを残した。この年はわずか8試合の登板ながら5勝2敗・防御率1.96という好成績を挙げ、最下位に沈んだチームの数少ない光となった。

 2010年は球団の歴代助っ人初の開幕投手を務めたが、シーズンを通じてムエンゴに泣き2勝9敗・防御率4.25で退団。翌年、震災の影響で助っ人投手リーチが離日したことを受け、穴埋めのために再入団したが、ファストボールの球速が130km/h台前半まで低下していた。二軍でも抑えることができずわずか2カ月で解雇とされた。

 父親が元軍人であり、嘉手納基地に勤務していた時期にスティーブンが誕生。1歳のときまで沖縄に住んでいた。

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3 ターメル・スレッジ
外野手 在籍期間:2010~11(日ハム08~09,12)
アメリカ合衆国/1977年3月18日生/左投左打
期待以上
【NPB】501試合 打率.263 安打463 本塁打96 OPS.829
(日ハム) 277試合 打率.270 安打257 本塁打48 OPS.840
(DeNA) 224試合 打率.255 安打206 本塁打48 OPS.816
【MLB】291試合 打率.247 安打174 本塁打25 OPS.745

============ 選手紹介 ============

 2009年まで日本ハムファイターズでプレーしていたスキンヘッドの外野手兼一塁手。2009年に27本塁打を記録する活躍を見せたが、ファイターズは中田翔の成長を見据えて引き留めに消極的だった。その結果、日本の球団間で争奪戦が繰り広げられ、最終的にスレッジが望んでいた大幅昇給(年俸1億8000万円)と複数年契約を提示した横浜ベイスターズが獲得した。

 ベイスターズでは長距離砲として期待に応え、2年連続で20本塁打を達成。しかし、ケガによる離脱が多かったことや、アレックス・ラミレスの加入による編成の変化もあり、2年で契約満了となった。

⇒北海道日本ハムファイターズ(2000年以降)参照

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42 ブレット・ハーパー
内野手 在籍期間:2010~11(楽天12)
アメリカ合衆国/1981年7月31日生/右投左打
【NPB】186試合 打率.284 安打168 本塁打28 OPS.819
(DeNA) 167試合 打率.294 安打160 本塁打28 OPS.848
(楽天) 19試合 打率.174 安打8 本塁打0 OPS.472
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 低年俸のわりに大きな当たりを連発した元長距離砲。マイナーでは3Aまで昇格するも解雇され、2010年途中にベイスターズへ年俸1000万円でテスト入団した。

 初年度は一軍合流直後からクリーンナップとして起用された。7月の巨人戦ではマーク・クルーンから逆転サヨナラ満塁ホームランを放ち、シーズントータルでは打率.316・OPS.991。たった64試合出場にして19本塁打の好成績を残し、年俸3000万円で再契約した。

 2年目の2011年は前年ほどは打てず、若手選手の台頭や途中加入した中村紀洋とポジションが被り、出番が減少。打率.278・OPS.747と悪くない数字を残したが、ファーストの守備のマズさを差し引かれて契約終了となった。

 なお、ハーパーの父ブライアン・ハーパーは、メジャー通算1001試合出場の元捕手。1991年にミネソタ・ツインズのワールドシリーズ制覇に貢献した実績を持つ。ミルウォーキー・ブリュワーズ時代にディンゴに正捕手の座を奪われるまで活躍していた。

24 ブレント・リーチ
投手 在籍期間:2011
アメリカ合衆国/1982年11月18日生/左投右打
【NPB】8試合1勝7敗0S 防御率5.95 BB/9 4.8 K/9 8.2
【MLB】38試合2勝0敗0S 防御率5.75 BB/9 5.3 K/9 8.4

============ 選手紹介 ============

 2011年にベイスターズに入団。春季キャンプでは好調で期待を集めたが、東日本大震災に恐怖を覚えてアメリカに帰国。家族が反対しているとの理由で再来日を拒絶し、そのままシーズン開幕を迎えてしまったため、プロ野球史上初の「制限選手」に指定された。なお、アメリカにいる間は母校で自主トレをしていたらしい。

 その後、7月になってようやく再来日し、後半戦から一軍に合流したものの1勝7敗・防御率5.95の不本意な成績に終わった。

32 ルイス・ゴンザレス2
投手 在籍期間:2011
プエルトリコ/1983年2月27日生/左投左打
【NPB】2試合1勝1敗0S 防御率12.86 BB/9 1.3 K/9 5.1
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 プエルトリコ出身の左腕投手。高校時代に外野手から投手へ転向し、マイナーでは3Aまで昇格するもメジャーには届かなかった。

 2011年5月、入団テストを経てベイスターズと支配下契約を締結。初登板となった対中日戦では味方の大量援護もあり、幸運な形で初勝利を手にした。しかし次戦では2回6失点と大炎上し、即日イースタンに降格。そのまま一軍に戻ることはなかった。

 退団後は四国アイランドリーグや台湾の兄弟エレファンツなどでプレー。台湾時代には身元不明の人物から数回にわたり八百長への協力を求められたが、きっぱりと断り警察とリーグに報告した。また、再びNPB球団への復帰を目指しトライアウトを受験したものの、復帰は叶わなかった。

◇2010年までに在籍した外国人選手
113 陳瑋(チェン・ウェイ)
投手 在籍期間:2009~10
中華人民共和国/1983年6月11日生/右投右打
WBC2009
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 球団初の中国本土出身の投手。ベイスターズ入団以前はCBL(中国野球リーグ)の天津ライオンズに所属しており、2008年のアジアシリーズで西武ライオンズで先発登板して2回5失点とKOされていた。

 2009年に天津時代の同僚の王靖超とともに、業務提携を結んでいたベイスターズに育成選手として入団した。二軍で何試合か登板したが、2年で退団となり天津ライオンズに復帰した。

114 王靖超(ワン・ジンチャオ)
内野手 在籍期間:2009~10
中華人民共和国/1988年7月13日生/右投右打
WBC2006 WBC2009
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 陳瑋と同じくベイスターズ初の中国人選手となった内野手。2006年に当時17歳の最年少でWBC中国代表に選出。オンシーズンは天津ライオンズに所属し、中国を代表するショートになると期待されていた。

 陳と一緒に2009年に加入し、イースタンリーグの公式戦や教育リーグの試合に出ていたが、陳と同じく2010年をもって契約終了した。

 退団後は天津ライオンズに戻り、2020年まで現役選手としてプレー。その後コーチになって再び天津に所属している。

27 クリス・ブーチェック
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1978年10月24日生/右投右打
【NPB】15試合1勝0敗0S 防御率4.62 BB/9 2.5 K/9 8.9
【MLB】91試合3勝7敗1S 防御率6.55 BB/9 4 K/9 6.4

============ 選手紹介 ============

 2010年にクローザー候補として鳴り物入りで加入したアメリカ人右腕。195cmの長身から投げ下ろす力強い投球が期待されたが、日本では25回1/3に対して38安打・5本塁打を浴びる厳しい結果となった。

 アメリカでは大学生のときにドラフト1巡目(全体20位)でアナハイム・エンゼルスに入団。それなりに期待値が高かったが、2006年の試合中に乱闘に加わるためマウンドに向かう途中にハムストリングスを痛めて長期離脱。2007年にキャリアハイの51試合・77イニングを投げた以外はメジャーで活躍することができず、2010年にベイスターズと契約した。背番号はいわくつきの27だった

 ベイスターズには守護神として期待されて入団したが、キャンプやオープン戦で調子が上がらず、急遽山口俊が抑えに回ることに。二軍に落とされたブーチェックは先発に配置転換され、一軍昇格を果たしたものの前述のとおり打ち込まれた。

 ブーチェックが期待通りの活躍を見せていれば、山口俊はこれまでどおり先発で投げていたはず。手薄になってしまったローテがもう少しマシになっていたはずで、ファンの間では怨嗟の声が聞かれる。

51 ホセ・カスティーヨ
内野手 在籍期間:2010(ロッテ11)
ベネズエラ/1981年3月19日生/右投右打
元有望株
【NPB】217試合 打率.271 安打216 本塁打24 OPS.722
(DeNA) 131試合 打率.273 安打127 本塁打19 OPS.756
(ロッテ) 86試合 打率.269 安打89 本塁打5 OPS.674
【MLB】592試合 打率.254 安打487 本塁打39 OPS.675

============ 選手紹介 ============

 ローズ以来久々に現れたまともな助っ人二塁手。守備がうまい前評判だったことから当初は下位打線を打つと思われていたが、キャンプやオープン戦で評価が上昇。主軸として強力打線の一角を担ったが、反対に内野守備はお粗末なプレーを見せてしまい、1年で退団となった。

 翌シーズン途中に千葉ロッテと契約。それ以降メキシカンリーグのほか複数の国を転々としながらプレーを続けていたが、カルロス・リベロが運転する車に同乗中に”置き岩”にぶつかる被害に遭い、37歳の若さで亡くなった。

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42 トム・マストニー
投手 在籍期間:2009
インドネシア/1981年2月4日生/右投右打
【NPB】15試合1勝5敗0S 防御率5.69 BB/9 3.6 K/9 6.3
【MLB】80試合9勝5敗5S 防御率6.13 BB/9 4.9 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーリーグ、日本プロ野球ともに史上初のインドネシア生まれの選手として知られるアメリカ国籍の投手。母親が夫婦で世界一周旅行中に突然産気づき、ボルネオ島でトムを産み落とした。旅行から帰った後は、もとの実家のインディアナ州で育った。

 2003年、ドラフト11巡目でプロ入り。当初は先発投手としてキャリアをスタートさせたが、2A昇格後に徐々にリリーフにシフトしていった。クリーブランド・インディアンス傘下での注目度は低かったが、2006年にチャンスを掴む。クローザーのボブ・ウィックマンが離脱した際にメジャー初昇格し、5セーブを記録する活躍を見せた。翌年は新クローザー候補として期待を集め、7勝2敗・防御率4.68というまずまずの成績を残したものの、2008年は14試合で防御率10.80と大炎上し、戦力外となった。

 2009年、横浜ベイスターズに入団。当初はクローザー候補と目されていたが、なぜか先発としても起用され、ポジションが安定しない不運もあった。しかし、198cm/100kgという恵まれた体格を誇りながら、ファストボールの威力はメジャー平均を下回るもので、豊富な変化球も決定打に欠けた。メジャー時代の課題であった「空振りを奪える球種が少ない」という弱点はNPBでも露呈し、与四球の多さが目立った。

Embed from Getty Images日本に来た時には、既にこんなに脚を上げなくなっていた

10 ライアン・グリン
投手 在籍期間:2009(楽天06,日ハム07~08)
アメリカ合衆国/1974年11月1日生/右投右打
【NPB】94試合26勝44敗0S 防御率3.62 BB/9 2.6 K/9 6.4
(楽天) 21試合7勝7敗0S 防御率3.96 BB/9 2.5 K/9 8.6
(日ハム) 50試合16勝22敗0S 防御率2.94 BB/9 2.7 K/9 5.9
(DeNA) 23試合3勝15敗0S 防御率5.11 BB/9 2.7 K/9 5.3
【MLB】52試合9勝20敗0S 防御率6.24 BB/9 4.7 K/9 4.6

============ 選手紹介 ============

 ベイスターズがNPB3球団目となった先発右腕。ファイターズで投げた前年は7勝14敗と大きく負け越していたものの防御率は3.64。アンラッキーなだけだったとの見立てを受け、ベイスターズが先発ローテ入りを約束して加入させた。

 横浜での成績は3勝15敗とファイターズ時代よりも派手に大負けした。イニングイーターとしては最低限の役目はこなしたが、防御率5.11と打ち込まれた。

48 レス・ウォーランド
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1976年11月7日生/左投左打
【NPB】21試合5勝10敗0S 防御率4.80 BB/9 4.1 K/9 6.9
【MLB】23試合1勝4敗0S 防御率7.07 BB/9 7.1 K/9 9.8

============ 選手紹介 ============

 3Aで何年も好成績を挙げていたが、常勝球団だったカージナルスの先発投手陣に空きが全くなく、メジャーデビューが遅れてしまった。ベイスターズには2009年に在籍した。

 横浜での1年間はイニングイーターとしては貢献したが、5勝10敗・防御率4.80と抑えたとは言い難い成績だった。制球力が悪かったが、それ以上にフィールディング難に大きな問題を抱えていた。弱点を隠そうとしていたのか、バント処理や一塁への牽制球をムダに全力で投げ、ファーストの佐伯を毎度びびらせていた。

3 ダン・ジョンソン
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1979年8月10日生/右投右打
【NPB】117試合 打率.215 安打70 本塁打24 OPS.791
【MLB】443試合 打率.234 安打324 本塁打57 OPS.741

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算57本塁打を記録した左打ちの内野手。2005年にアスレチックスでデビューし、同年には15本塁打を放つ活躍を見せた。MLBではちょうどマネー・ボールが流行っていた時期で、パワーと選球眼を兼ね備えたプレースタイルはMLBにマッチしたが、しだいに低打率がひどくなると出場機会が少なくなっていった。

 横浜(現DeNA)では2009年に加入し、序盤は不調ながらも後半戦にフォームを修正して15本塁打を記録。不慣れな三塁守備や4番を任される場面もあったが、年俸1億円を払っていただけにもっと適応してほしかった。

 退団後はMLB復帰を果たし、レイズ時代にはプレーオフ争いの中で劇的なホームランを放つなど「クラッチヒッター」としての印象を残した。後年はナックルボーラーへの挑戦も話題に。

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64 マット・ホワイト
 
(登録名:マットホワイト)
投手 在籍期間:2007~08
アメリカ合衆国/1977年8月19日生/左投右打
【NPB】39試合1勝3敗2S 防御率4.82 BB/9 2.7 K/9 7.3
【MLB】7試合0勝2敗0S 防御率16.76 BB/9 7.4 K/9 2.8

============ 選手紹介 ============

 2005年にはオリックス・バファローズの入団テストを受けていたが、軟投派の投球スタイルがチームの求める外国人投手像に合わず不合格となっていた。2年が経ち、2007年に左腕不足を解消するため、ベイスターズがシーズン途中に契約した。

 来日直後の二軍での調整登板では、最初の7イニングで16失点を喫し、大きな不安を抱えたスタートとなった。一軍昇格後もコンディション不良により打ち込まれていたため、翌年の契約は絶望的とみられていた。しかしシーズン終盤にリリーフ専任になると一転、9試合連続無失点の快投を見せた。

 終盤の怒涛の活躍が評価され、翌シーズンの契約を勝ち取った。しかし、2007年は父親の急病で一時帰国する事態が発生。手術を見届けた後に再来日したが、野球に集中できない状態が続き、夏場に退団となった。

 ホワイトにはアメリカ時代に特筆すべきエピソードがある。メジャー昇格を目前にしていた2003年、経済的に苦境にあった叔母を支援するため、彼女が所有していたマサチューセッツ州の広大な山を5万ドルで購入した。その後、ホワイトが家を建てるために地盤を調べると、25億ドルにも上る価値の建築用石材が埋蔵されていることが判明する。大がかりな採掘には途方もない費用がかかるため、ちょっとずつ掘り出していたが、メジャー定着ラストチャンスだった2007年にニュースで広く報道された。招待選手としてドジャースのスプリングトレーニングに参加していたホワイトは「Mr.ビリオネア」とからかわれたが、開幕までメジャー25人枠に残ることができず、日本球界行きを模索するようになった。

42 トラビス・ヒューズ
投手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1978年5月25日生/右投右打
【NPB】21試合1勝1敗1S 防御率4.91 BB/9 4.5 K/9 7.4
【MLB】24試合1勝1敗0S 防御率6.31 BB/9 5.6 K/9 5.6

============ 選手紹介 ============

 2007年オフ、3年連続で好成績を残したマーク・クルーンが読売ジャイアンツに移籍。空席となったクローザーの候補として、ベイスターズはトラビス・ヒューズを獲得した。

 シーズン序盤から5月頃までは安定した投球を見せたものの、次第に打ち込まれる場面が増加。勝ち試合で使われなくなり、クローザーは先発タイプの寺原隼人が起用された。飛んだヒューズが直されることはなく、8月にチームからウエーバー公示された。

10 マイク・ウッド
投手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1980年4月26日生/右投右打
【NPB】26試合3勝12敗0S 防御率4.69 BB/9 3.0 K/9 3.8
【MLB】115試合16勝22敗2S 防御率5.49 BB/9 3.3 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 メジャー時代は先発とロングリリーフとして通算115試合に登板。ファストボールの球速は日本人投手並み、変化球のレパートリーが多い技巧派投手だった。

 ベイスターズには2008年に在籍。年間を通じて先発ローテーションを守り、エースの三浦大輔に次ぐ136回1/3を投げた。ただ開幕から13試合勝ち星が無く、最終的に3勝12敗と大負けしてしまった。

48 デーブ・ウィリアムズ
投手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1979年3月12日生/左投左打
【NPB】7試合2勝2敗0S 防御率4.26 BB/9 1.4 K/9 2.8
【MLB】82試合22勝31敗0S 防御率4.83 BB/9 3.6 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 2005年にピッツバーグ・パイレーツの先発ローテーションで投げ、10勝11敗・防御率4.41を挙げたのがキャリアハイの元MLBプレイヤー。その後もメジャーでそこそこ投げていたが、メジャー球団からのオファーを蹴って2008年シーズンをベイスターズでプレーすることに決めた。父親が横田基地に勤務した関係で小学生時代に日本に住んでいたため、以前から日本球界入りを希望していたと言われている。

 ベイスターズでも先発起用されたが、パイレーツで投げていた頃よりスピードが出ず、25イニングで41安打を浴びた。

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3 J.J.フォーマニアク
 
(登録名:ジェイジェイ)
内野手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1979年7月31日生/右投右打
【NPB】25試合 打率.157 安打8 本塁打2 OPS.460
【MLB】29試合 打率.186 安打8 本塁打0 OPS.606

============ 選手紹介 ============

 二遊間やサードを守れる堅実な守備に定評がある一方、打撃が課題とされていた元メジャーリーガー。名前の響きが問題視されたのか、「ジェイジェイ」という登録名でプレーすることになった。

 来日した2008年は若手選手の起用を優先され、ジェイジェイは開幕からほとんどを二軍で過ごすことに。しかし、モチベーションを落とすことなく野球に取り組み、主軸として打率.300をマーク。一軍ではまったく活躍できなかったが、外国人選手では珍しい二軍のキャプテンを任されたマジメな人物だった。

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6 ラリー・ビグビー
外野手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1977年11月4日生/右投左打
【NPB】72試合 打率.255 安打55 本塁打8 OPS.739
【MLB】392試合 打率.267 安打328 本塁打31 OPS.726

============ 選手紹介 ============

 一時期メジャーリーグでレギュラーとして活躍した経験を持つスプレーヒッターの外野手。2001年にボルティモア・オリオールズでメジャーデビューし、2003年にはレフトのレギュラーに定着。打率.303・OPS.821と安定した打撃成績を残すと、翌2004年には139試合に出場して初の規定打席に到達し、打率.280・15本塁打をマークして実績を確かなものとするかと思われた。しかし、2005年以降は度重なる故障に悩まされ、次第にキャリアが停滞。オリオールズを解雇され、それ以降は複数の球団を渡り歩く形となった。

 そんなビグビーが横浜ベイスターズに加入したのは2007年12月であった。しかし、契約直後にアメリカで発表されたミッチェル・リポートの中にビグビーの名前が掲載され、禁止薬物に手を染めるまでの過程が事細かに書かれていた。驚くべきことに、ビグビーに関する記述は計7ページに及び、これはロジャー・クレメンスやマーク・マグワイヤに次ぐ量であった。ベイスターズは契約解除を検討するも、パワー向上ではなく治療目的で使用していたとの供述を信じ、最終的に正式契約に至った。

 2008年、ビグビー獲得の背景には、北京オリンピックの影響で主砲・村田修一がチームを離れることを見越した補強の意図があった。しかし、オリオールズ時代から続くスペ体質は日本でも変わらず、肝心の五輪期間中に離脱する事態に。結局、思うような戦力にならず、高額年俸(推定6500万円)に見合わない結果となった。

42 マーク・クルーン
投手 在籍期間:2005~07(巨人08~10)
アメリカ合衆国/1973年4月2日生/右投右打
元有望株 大活躍 160km/h
【NPB】304試合14勝18敗177S 防御率2.68 BB/9 3.6 K/9 12.3
(DeNA) 145試合8勝8敗84S 防御率2.82 BB/9 2.9 K/9 12.3
(巨人) 159試合6勝10敗93S 防御率2.56 BB/9 4.2 K/9 12.3
【MLB】26試合0勝2敗0S 防御率7.43 BB/9 8.8 K/9 7.8

============ 選手紹介 ============

 2000年代のNPBを代表する速球王。来日時点では158km/hだった日本記録を毎年のように更新し、横浜に所属した3シーズンすべてオールスターに選出された。

 アメリカ時代は2Aにいた1995年にBaseball America の有望株ランキング69位に掲載された。このときは先発として出場していたが、メジャー昇格前にブルペンに配置転換された。球のスピードはアメリカでも相当速かったが、MLBデビュー後の成績はさえないものだった。

 クルーン入団前年のベイスターズは、佐々木主浩の衰えやギャラードの不振によりクローザーが固定できなかった。2005年に来日したクルーンは3年間安定して投げ続け、145登板・84セーブ・防御率2.82を記録。ポスト佐々木のクローザー役を見事全うしてくれた。

 3年目のシーズン終了後、FAとなったクルーンの争奪戦が起き、マネーゲームに強い読売ジャイアンツに移籍。2008年に自身が持つ日本最速記録を更新する162km/hを計時し、キャリアハイの41セーブを挙げてセーブ王に輝いた。

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56 スコット・チャイソン
 
(登録名:チアソン)
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1977年8月14日生/右投右打
元有望株
【NPB】1軍出場なし
【MLB】10試合1勝1敗0S 防御率11.12 BB/9 6.4 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 ペプシコーラを1日3リットル飲むという謎のエピソードを残した右腕投手。二軍でも1度も投げなかった。

58 ホセロ・ディアス
 
(登録名:ホセロ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1980年4月13日生/右投右打
【NPB】45試合3勝4敗2S 防御率4.59 BB/9 7.8 K/9 8.2
【MLB】5試合0勝0敗0S 防御率9.39 BB/9 10.6 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 元々キャッチャーとしてプロ入りした経歴を持つ元リリーフ投手。16歳のときにロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び渡米した。しかし、21歳の時点でもルーキーリーグと1Aを行き来する日々が続き、肩の強さは評価される一方でキャッチング技術の未熟さが課題とされていた。この状況を見たコーチの勧めで投手に転向。その後、様々なマイナーチームを渡り歩き、ついにメジャー昇格を果たした。

 メジャーでは「ホセ・ディアス」の名前で登板したが、防御率9.39と振るわず、通算5試合と定着には至らなかった。彼のキャリアで特筆すべきは、彼がニューヨーク・メッツ傘下に在籍中、タンパベイ・デビルレイズへのトレードに巻き込まれたこと。このトレードでは、当時の高卒有望株スコット・カズミアーとホセロが放出され、後にカズミアーがデビルレイズのエースに成長したため「メッツ史上有数の失敗トレード」と評される結果に。ホセロ自身も、この歴史的なトレードに名前を残す形となった。

 2007年、ホセロは横浜ベイスターズに加入。元キャッチャーらしくバッティングセンスも良く、代打を送られずそのまま打席に立つことも多々あった。ある試合ではホームランを放ったあと、イニング跨ぎの投球でピンチを招き、交代したクルーンがスリーランを打たれて負け投手になった。

 リリーフとして45試合に登板し、66回2/3を投げたが、制球難が大きな課題で58四球・6死球と尋常でない量のバッターを歩かせた。それでも当時としては珍しかった150km/h超の速球にはロマンがあり、ホセロ以降に獲得した外国人投手を思い起こすと解雇しなくてもよかったのでは?と思える投手だった。

43 ジェイソン・ベバリン
投手 在籍期間:2006(ヤク03~04)
アメリカ合衆国/1973年11月27日生/右打左打
【NPB】49試合17勝19敗0S 防御率5.08 BB/9 3.8 K/9 6.7
(ヤク) 41試合17勝15敗0S 防御率4.27 BB/9 3.8 K/9 6.5
(DeNA) 8試合0勝4敗0S 防御率11.13 BB/9 4.2 K/9 8.1
【MLB】7試合0勝3敗0S 防御率8.69 BB/9 4.1 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 ベイスターズの歴代の外国人投手といえば、特に先発投手が不毛だったことで知られている。スカウティング能力の問題も一因と考えられるが、横浜スタジアムが打者有利な球場であり、フライボールピッチャーにとって厳しい環境であることも原因の一つと見る向きがあった。似たように狭い神宮球場を本拠地とし、実績を残していたヤクルトスワローズの外国人投手を獲得することで補強を図った。こうして2006年に横浜へ加わったのがベバリンである。

 ベバリンは2003~04年までヤクルトに在籍し、17勝15敗と安定した成績を残していた。2004年には開幕投手に任命され、エース格として活躍していた。しかしベイスターズに加入後は8試合で0勝4敗・防御率11.13に終わり、わずか1年で退団。後に楽天イーグルスの入団テストを受けたとの情報もあるが、日本球界でのキャリアは横浜で途絶えた。

 当時は牛島監督がフロントに投手陣の補強を要望し、ベバリンのほかにも佐久本やソニアが加入した。しかし、いずれも目覚ましい活躍を見せることはなく、チームの戦力強化にはつながらなかった。ヤクルト時代には活躍していたベバリンもまた、横浜のユニフォームを着た途端に調子を崩した外国人投手として記憶されている。

58 ショーン・ソニア
投手 在籍期間:2006
アメリカ合衆国/1976年7月5日生/右投右打
【NPB】27試合1勝0敗0S 防御率3.82 BB/9 3.8 K/9 10.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2006年に1年だけ在籍した右投げ投手。アメリカでは短期間3Aにいたマイナーリーガーだった。牛島和彦監督の投手陣強化の希望を受け、フロント主導で連れてこられた助っ人外国人で、同時期に加入した佐久本昌広やベバリンとともにチームの戦力アップに期待された。

 ソニアは150km/h近い速球と豊富な変化球を武器に、12試合に登板して2勝1敗・防御率3.45というまずまずの成績を残した。しかし、主に敗戦処理での起用が多く、なぜかシーズン中盤以降は二軍生活を強いられた。まともに出番がないままシーズン終了後に契約更新されず退団している。

 球団や首脳陣の意図は不明だが、実力に対して充分なチャンスを与えられなかった印象が強い。投手成績も決して悪くなく、もう1年残しておいても良かったのでは?という声が少なくなかった。ベイスターズの長きに渡る暗黒期にあって、チームの選手起用が迷走していたことも、ソニアの短命なNPB生活の一因だったのかもしれない。

◇2005年までに在籍した外国人選手
50 セドリック・バワーズ
 
(登録名:セドリック)
投手 在籍期間:2004~05(楽天06)
アメリカ合衆国/1978年2月10日生/左打両打
期待以上 問題児
【NPB】38試合14勝9敗0S 防御率3.69 BB/9 4.4 K/9 7.7
【MLB】19試合0勝1敗0S 防御率7.40 BB/9 4.8 K/9 10

============ 選手紹介 ============

 2004年シーズン途中、3Aでプレーしていた左腕投手をベイスターズが急遽獲得。当時のベイスターズでは外国人選手をハマスタに通いやすい高級マンションに住まわせるのが通例だったが、セドリックには専属通訳が付かず、二軍の寮生活をさせられるなど、まるで育成枠のような扱いを受けたことが話題になった。それでも異国での適応に努め、若手選手とのコミュニケーションを積極的に図る姿勢が評価された。

 その頑張りは次第に周囲に認められ、野球の方でも一軍の試合に出られるようになっていった。初年度はシーズン途中加入ながらにはチーム最多タイの7勝を挙げ、住環境もほかの外国人選手と同レベルに格上げされた。

 …とここまでは良かったが、翌年は態度が一変。やる気の問題なのか、前年より簡単にフォアボールを与えるようになり、フルシーズンを過ごしながら前年と同じ7勝にとどまった。気性の激しさも目立ち、降板を巡って牛島監督と何度も衝突した。防御率こそ3点台をキープしたものの、2005年シーズンを最後に自由契約になった。

 なお、登録名が「バワーズ」にならなかった理由は、2001~02年に在籍したシェーン・バワーズが7勝21敗の不振に終わった影響とされる。ただし、当時横浜ベイスターズにはトヨタが多額のスポンサー料を提供していたため、「セドリック」の登録名について事前に根回しが行われていたという。ちなみに彼の母親の名前は「グロリア」で、奇しくも母息子ともに日産車の名前と一致していた。

43 マイク・ホルツ
投手 在籍期間:2005
アメリカ合衆国/1972年10月10日生/左投左打
【NPB】44試合0勝1敗0S 防御率4.38 BB/9 3.6 K/9 8.0
【MLB】353試合16勝20敗3S 防御率4.76 BB/9 4.9 K/9 8.4

============ 選手紹介 ============

 左のリリーフが不足していた(先発も足りなかったが…)ことから補強された175cmの小柄なサウスポー。メジャーリーグ通算353試合登板の実績を持つ「左殺し」であり、横浜でもシチュエーショナルレフティとして期待された。ベイスターズでは44試合登板と一定の貢献をしたが、夏場に調子を落として打ち込まれたのが悪印象だった。

 真面目な性格で知られ、1年しかいなかったが特に牛島監督からは人間性を高く評価されていた。

39 ケビン・ウィット
内野手 在籍期間:2005(楽天07)
アメリカ合衆国/1976年1月5日生/右投左打
元有望株
【NPB】65試合 打率.173 安打31 本塁打10 OPS.615
(DeNA) 25試合 打率.172 安打11 本塁打4 OPS.612
(楽天) 40試合 打率.174 安打20 本塁打6 OPS.615
【MLB】146試合 打率.233 安打93 本塁打15 OPS.643

============ 選手紹介 ============

 3Aでは大活躍するもメジャーに上がると全く打てなくなる、「4Aプレイヤー」の代表格のような元内野手。ドラフト1巡目の高順位でプロ入りし、22歳の若さでメジャーにたどり着くほど大きく期待されていた選手だった。

 ベイスターズ入団前年に3Aで36本塁打を記録しており、クリーンナップとして迎え入れられたが、日本では変化球とストライクゾーンの違いに苦しんだ。退団時に「日本の野球は難しかった」とコメントしたと伝えられている。

 退団翌年に3Aでホームラン王・打点王の2冠の輝いたことで楽天と契約したが、ベイスターズ時代と変わらず1年でクビになっている。

32 エディ・ゲイラード
 
(登録名:ギャラード)
投手 在籍期間:2003~04(中日2000~03)
アメリカ合衆国/1970年8月13日生/右投右打
問題児
【NPB】194試合6勝9敗120S 防御率2.90 BB/9 2.4 K/9 6.7
(中日) 168試合4勝6敗112S 防御率2.52 BB/9 2.4 K/9 6.8
(DeNA) 26試合2勝3敗8S 防御率5.33 BB/9 2.5 K/9 6.0
【MLB】30試合2勝0敗1S 防御率4.66 BB/9 4.2 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズで3年間好成績を残していたが契約問題で揉めた元クローザー。ドラゴンズ最終年の2003年、加入した大塚晶則をクローザーの座を脅かす存在として異様に警戒。シーズン中に故障から復帰した際には中継ぎで調整させようとしたチームの方針にブチ切れ、ケンカ別れのような形で契約解除された。ウエーバーにかけられると、一番最初に選択権のあるベイスターズはクローザーを固定できていない事情からギャラード獲得を決めた。

 移籍初年度は0勝1敗8S・防御率2.19と結果を残した。ただし翌シーズンはメジャー帰りの佐々木主浩がクローザーに迎え入れ、中継ぎ降格になったギャラードはヒジの故障とモチベ低下によって退団していった。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

44 タイロン・ウッズ
 
(登録名:T・ウッズ)
内野手 在籍期間:2003~04(中日05~08)
アメリカ合衆国/1969年8月19日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】824試合 打率.289 安打851 本塁打240 OPS.965
(DeNA) 266試合 打率.286 安打273 本塁打85 OPS.964
(中日) 558試合 打率.291 安打578 本塁打155 OPS.965
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 韓国のOBベアーズでMVPを獲得し、日韓複数球団の争奪戦の末にベイスターズに入団した。当初は大物メジャーリーガーのコックスの保険要員だったが、開幕スタメンの座を掴むと4番に君臨。2年連続してホームラン王に輝く大活躍だった。

 最下位に終わった2004年シーズン終了後、ベイスターズは昇給を求めるウッズとの契約交渉が難航。その間に、リーグ優勝しながらも4番タイプではない立浪と福留がクリーンナップを務める中日ドラゴンズへと移籍していった。

 ベイスターズ時代はとにかく威圧感のあるイメージが強かったが、「東京ドームは50%の力でもホームランを打てる」退団時に口にした「ノーマネー・ノータイロン」といった迷言を複数残している。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

40 スコット・マレン
投手 在籍期間:2004(巨人05)
アメリカ合衆国/1975年1月17日生/左投右打
【NPB】50試合13勝18敗0S 防御率5.29 BB/9 2.5 K/9 6.1
(DeNA) 28試合7勝10敗0S 防御率4.71 BB/9 2.3 K/9 5.2
(巨人) 22試合6勝8敗0S 防御率6.22 BB/9 2.8 K/9 7.7
【MLB】75試合4勝5敗0S 防御率4.66 BB/9 4.7 K/9 4.7

============ 選手紹介 ============

 どん底だった2004年の横浜ベイスターズに在籍した先発投手。左の先発要員としてローテーションを守り、7勝10敗。これでもセドリック、吉見祐治と並んでチームトップタイの勝利数だったが、契約延長はされなかった。

 ちなみに、テキサス州で生まれたが軍人の父親が日本勤務だった時期があり、少年時代に山口県岩国市に2年間住んでいた。

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43 ピート・ウォーカー
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1969年4月8日生/右投右打
【NPB】10試合2勝4敗0S 防御率6.80 BB/9 3.7 K/9 4.5
【MLB】144試合20勝14敗4S 防御率4.48 BB/9 3.5 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 2002年にトロント・ブルージェイズでキャリアハイの10勝5敗・防御率4.33、MLB通算144試合に登板実績のある先発投手。ベイスターズでは腰のヘルニアに悩まされて活躍できなかったが、引退後は指導者の道へ進み、ブルージェイズの投手コーチを10年以上続けるキャリアアップに成功した。

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49 クリス・ホルト
投手 在籍期間:2002~03
アメリカ合衆国/1971年9月18日生/右投右打
【NPB】43試合11勝24敗0S 防御率4.13 BB/9 1.5 K/9 5.9
【MLB】133試合28勝51敗1S 防御率4.76 BB/9 3.1 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 2002年にベイスターズに入団した先発右腕。メジャー通算28勝、規定投球回超え3シーズンの実績を持つ。コントロールに優れ、当時は使い手の少ないナックルカーブと持ち球にしていた。

 来日初年度の2002年は巨人と阪神を相手に完封勝利を挙げるなど好投。翌年も開幕からイニングを消化していったが、集中打を浴びる試合が増え、シーズン終了を待たずにクビを切られた。

 振り返ると、日本での2年間で11勝24敗と大幅に負け越した。ホルトが在籍したベイスターズは、2年とも勝率3割台に沈むどん底のチームだった不運もあった。しかし、メジャーでも5シーズンすべてで負け越し、MLB通算成績は28勝51敗。ストライク先行のテンポ良い投球が持ち味でありながら、この成績は負け運が強かった以外に説明がつかない。

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50 ドミンゴ・グスマン
 
(登録名:グスマン→ドミンゴ)
投手 在籍期間:2002~03(中日04~06,楽天07~09)
ドミニカ共和国/1975年4月5日生/右投右打
【NPB】108試合30勝37敗0S 防御率4.01 BB/9 2.7 K/9 6.9
(DeNA) 44試合13勝17敗0S 防御率3.95 BB/9 2.4 K/9 6.8
(中日) 30試合13勝9敗0S 防御率3.86 BB/9 2.6 K/9 8.0
(楽天) 34試合4勝11敗0S 防御率4.27 BB/9 3.2 K/9 6.0
【MLB】8試合0勝1敗0S 防御率19.50 BB/9 6 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 台湾球界での活躍を経て、2002年にベイスターズに加入したアスリート型投手。在籍時に打者として18打席連続三振の珍記録も作っている。

 横浜時代は2シーズン連続で規定投球回に到達するも、精神面から来る不安定さが課題とされ、2003年に12敗を喫したことで解雇となった。ただし、黒星が先行してはいたがよく投げており、解雇を惜しむ声も多かった。翌2004年には中日ドラゴンズで先発ローテーションに入り、10勝を挙げて優勝に貢献。他方、ドミンゴ以降は彼を上回る活躍をした投手が現れなかった。

⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

 2024年シーズン終了後、久々に「ドミンゴ」の名前がネット上を賑わせた。高校野球・秋の神奈川県大会で、幸福の科学学園に所属するエミル・プレンサ君が注目されたためだ。彼は桁外れの身体能力を誇るドミニカ人選手で、その父親があのドミンゴ・グスマンであることが判明し、大きな話題を呼んだ。

 なお、父のフルネームはドミンゴ・セラーノ・グスマン。なぜ息子の名前に父親の姓が含まれていないのか、ファンの間で困惑も広がっていた。

32 マット・ホワイトサイド
投手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1967年8月8日生/右投右打
【NPB】13試合0勝2敗2S 防御率7.30 BB/9 4.4 K/9 8.0
【MLB】286試合18勝15敗9S 防御率5.23 BB/9 3.5 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 2003年にポスト佐々木主浩として鳴り物入りで入団したリリーフ右腕。MLBでは4球団を渡り歩き、大きな期待を受けて来日した。

 山下大輔監督の1年目となるこの年、ホワイトサイドは阪神との開幕戦で初セーブを記録。幸先の良いスタートを切ったかに見えた。しかし、その後は安定感を欠き、打撃投手のように打ち込まれる状態に陥った。好調時には150km/hに達する速球を持っていたがコントロールが不安定で、守護神候補としての期待は失望へと変わっていった。

 敗戦処理要員に格下げされたあと、7月に契約解除。メジャーで286試合に登板し、18勝15敗9セーブ・防御率5.23というキャリアを持っていたが、日本では13試合・0勝2敗2セーブ・防御率7.30と全く通用しなかった。期待度に対する落差は大きかったが、ほかの外国人選手たちも皆ひどかったので悪目立ちはしない。

3 スティーブ・コックス
内野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1974年10月31日生/左投左打
元有望株
【NPB】15試合 打率.200 安打10 本塁打1 OPS.578
【MLB】378試合 打率.262 安打324 本塁打39 OPS.757

============ 選手紹介 ============

 2003年、前年最下位に沈んだベイスターズは暗黒期からの脱却を目指し、新監督の山下大輔のリクエストを受けてメジャーリーガーのコックスを獲得。2000~2002年に3年連続で2桁本塁打を記録し、当時28歳と全盛期を迎えていた左の強打者に大きな期待が集まった。

 ファン向けの雑誌の月刊ベイスターズに「NPBでは年間20~30本塁打も期待できるパワー。4番候補」と記載されたが、春季キャンプが始まって間もなく膝を負傷。開幕前に戦列復帰するも成績が振るわず、わずか15試合の出場に打率.200・1本塁打・7打点と戦力にならなかった。

 一方で、保険的に獲得した韓国球界出身のタイロン・ウッズは年俸5000万円ながら40本塁打を放ち、ホームラン王を獲得。両者の活躍ぶりは明暗を分けた形となった。

 結果的にウッズの大活躍のおかげで戦力面での影響は小さかったが、金銭面での被害が甚大だった。元々が3年契約のため、コックスに支払った金額は移籍金も含めると700万ドル(7億円以上)と言われ、峰岸球団社長が「授業料にしては高すぎた」とコメントした。

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44 シェーン・バワーズ
投手 在籍期間:2001~02
アメリカ合衆国/1971年7月27日生/右投右打
【NPB】50試合7勝21敗0S 防御率4.08 BB/9 3.1 K/9 6.4
【MLB】5試合0勝3敗0S 防御率8.05 BB/9 3.8 K/9 3.3

============ 選手紹介 ============

 歴代の助っ人投手たちの中ではよく投げた元先発右腕。ベイスターズでの2年の間にバワーズが残した投手成績は7勝21敗・防御率4.08だった。

 この成績に対する評価は分かれている。決して打ち込まれていたわけではなく、チームの戦力不足ゆえに白星に恵まれなかったとする見方もある一方、先発投手としての役割を十分に果たせていないと批判する声もあった。特に打線が2巡目を迎えるとスタミナ不足なのか被打率が大きく悪化し、リリーフ陣に負担を強いる傾向が目立っていた。

 バワーズの退団から2年後、同じラストネームを持つセドリック・バワーズが入団。先代バワーズの大きく負け越した成績が忌み嫌われ、登録名は「セドリック」とされた。

42 ジェイソン・ターマン
投手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1975年11月10日生/右投右打
【NPB】9試合0勝2敗0S 防御率6.16 BB/9 3.3 K/9 6.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2002年にシアトル・マリナーズ傘下の3Aから加入したメジャー経験のない長身投手。身長は208cmもあり、当時はジャイアント馬場(209cm)に次ぐ日本プロ野球史上2位タイの長身投手として注目された。アメリカ時代に付けられた「ビッグ・ワーム(巨大ミミズ)」のニックネームは本人も気に入っていた。ただし迫力あるヒゲが特徴的な風貌とは裏腹に、酒もタバコもやらない真面目な性格だった。

 150km/h台の速球や長身を生かしたカーブ、スライダー、チェンジアップを駆使し、オープン戦の前半は評価が高かった。しかし公式戦に入る頃には投球フォームの癖がバレ、球種を見抜かれるようになっていた。シーズン開幕後は、2試合続けて試合序盤にKOされた。それ以降はリリーフに降格し、1勝も挙げられないままシーズン途中の7月末に解雇された。

25 アーニー・ヤング
外野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1969年7月8日生/右投右打
【NPB】32試合 打率.173 安打19 本塁打8 OPS.676
【MLB】288試合 打率.225 安打179 本塁打27 OPS.688

============ 選手紹介 ============

 2000年のシドニー五輪でアメリカ代表の4番を務めた巨漢スラッガー。メジャーリーグでは通算288試合に出場し、キャリアハイは1996年にオークランド・アスレチックスで記録した141試合・19本塁打。

 ベイスターズには2007年シーズン途中に加入した。当初期待されていた新外国人グランが極度の不振に陥ったため、緊急補強的に迎えられた。加入直後のデビュー戦では早速4番に座り、いきなりホームランを放つ華々しいスタートを切った。しかしその後は打率1割台と低迷。球がバットに当たることなく、シーズン終了を待たずして退団した。

 アメリカに帰国後もヤングはホームランバッターとして野球を続け、2007年まで3Aでプレーを続けた。マイナーリーグでは通算319本塁打を記録し、メジャー・マイナー、日本プロ野球を合わせた通算出場試合数はちょうど2000試合に達した。引退後は指導者になり、プレミア12や東京オリンピックの代表コーチを任されている。

2021年東京オリンピックのアメリカ代表コーチとして来日したヤング(左)Embed from Getty Images

35 ボイ・ロドリゲス
外野手 在籍期間:2002
プエルトリコ/1966年4月14日生/右投左打
【NPB】138試合 打率.262 安打118 本塁打18 OPS.789
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 台湾とメキシカンリーグでホームラン王のタイトルを獲得した実績を持つプエルトリコ出身のスラッガー。打力が最大の武器だった。

 2002年に横浜ベイスターズに在籍し、チームトップの18本塁打・60打点を記録。7月にはサイクルヒットも達成する活躍を見せた。しかし、年齢や助っ人としての物足りなさを理由に解雇されるという、やや理不尽な扱いを受けた。

 横浜退団後、翌年に韓国のロッテ・ジャイアンツと契約し、アジア3大プロ野球リーグを制覇。しかし、韓国ではわずか7試合の出場に終わった。横浜時代のサイクルヒットも含め、意外とファンの記憶に残りにくい選手だった。

4 マイク・グラン
内野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1970年12月18日生/右投右打
【NPB】67試合 打率.226 安打56 本塁打10 OPS.674
【MLB】11試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.167

============ 選手紹介 ============

 セカンドを守れるため”ポスト・ローズ”として期待された。67試合の限られた機会で10本塁打を打ったが、ある試合では5打数5三振を記録し、ひどいフリースインガーっぷりは打線の切れ目になってしまった。

38→42 マーク・ホージマー
投手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1969年8月20日生/左投左打
優良助っ人
【NPB】6試合0勝2敗0S 防御率9.00 BB/9 5.7 K/9 4.7
【MLB】94試合2勝5敗1S 防御率7.69 BB/9 4.2 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 メジャーではほとんどがリリーフ起用だったにも関わらず、ベイスターズには貴重な先発左腕として期待されて入団した。沖縄・宜野湾での春季キャンプの帰り道、捨てられていた子犬を拾って育てていたというエピソードを皮切りに、素晴らしい人柄という好評価が定着していった。

 ただ、肝心の投手成績は6試合登板で0勝2敗・防御率9.00に終わり8月に解雇。シーズン中に背番号を38から42へ変更する(当時活躍していたヒルマンやバンチを意識したものとみられる)ゲン担ぎを行うも、結果には結びつかなかった。

 ちなみにベイスターズ入団よりも前には、1998年に千葉ロッテと契約成立しかけたが、左肩の故障を理由に自ら契約を白紙に戻し、受け取った契約金を全額返金したという善人エピソードがある。

00 アンソニー・サンダース
外野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1974年3月2日生/右投右打
【NPB】14試合 打率.114 安打5 本塁打1 OPS.386
【MLB】13試合 打率.240 安打6 本塁打0 OPS.656

============ 選手紹介 ============

 プロスペクトランキングのTop100には入らなかったものの、オリンピックの米国代表に選出されるなど一定の期待を受けていた選手。1997年、マイナー時代にスキー事故で妻を亡くす悲劇を乗り越え、1999年に念願のメジャーデビューを果たした。

 サンダースがメジャー定着できずに苦しんでいた2001年、横浜ベイスターズはローズが抜けて開幕から低迷していた。迫力不足となった打線の強化のため、シーズン途中にサンダースを獲得。背番号00を与えられたが、一軍では打席の約半分で三振を喫し、日本の野球に適応できず退団となった。

 引退後は指導者として活動。2015年と2019年のプレミア12で米国代表のコーチを務め、2020年にはボルティモア・オリオールズの一塁ベースコーチに就任した。

49 ジョン・ズーバー
内野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1969年12月10日生/左投左打
【NPB】92試合 打率.310 安打72 本塁打2 OPS.801
【MLB】68試合 打率.250 安打34 本塁打3 OPS.696

============ 選手紹介 ============

 同時期に来日したドスターとセットで語られることが多い元一塁手。見た目はパワーヒッターっぽいが、実際には選球眼に優れる長打力に乏しい粘り強いタイプの打者だった。マイナーでは通算で三振を上回るフォアボールを記録している。

 ベイスターズでもその傾向は変わらず、29三振に対して30四球を記録。打率.310とハイアベレージを残したものの、期待されたローズの穴埋め役としては2本塁打にとどまり物足りなかった。ドスターとズーバーで合計11本塁打と期待外れの結果に終わり、2人とも退団となった。

4 デーブ・ドスター
内野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年10月8日生/右投右打
【NPB】112試合 打率.272 安打84 本塁打9 OPS.720
【MLB】138試合 打率.233 安打47 本塁打4 OPS.639

============ 選手紹介 ============

 ローズ退団後の正二塁手として期待された内野手。メジャー通算138試合の出場経験があり、セカンド以外にショートやサードも守れるユーティリティ性を持っていた。

 ローズが必ずしも長距離ヒッターではなかったため、アベレージヒッターのドスターに後継者として期待が集まった。しかし、レギュラーシーズンでは打率.272、9本塁打、OPS.720と平凡な成績に終わった。特に得点圏打率が2割を下回り、シーズン中盤には「チャンスに弱い」との評価が定着。重要な場面ではピンチヒッターに種田を送られる打席が増えた。

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23 ロバート・ローズ
内野手 在籍期間:1993~00(ロッテ03)
アメリカ合衆国/1967年3月15日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】1039試合 打率.325 安打1275 本塁打167 OPS.933
【MLB】73試合 打率.245 安打49 本塁打5 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 横浜ベイスターズ史上最高の助っ人と評される右打ちの強打者。同時期に日本球界入りしたブラッグスとともにベイスターズ打線の中核を担った。

 1993~2000年までの8年間にわたってベイスターズに在籍し、打率.325・167本塁打・762打点を記録。特に1998年にはキャリアハイの37本塁打を放ち、リーグMVP級の活躍でチームを38年ぶりの日本一に大きく貢献した。二塁手ながらパンチ力と高いバットコントロールは球界でも抜きんでていた。

 一方で、グラウンド外での彼にはユニークな一面もあった。8年も日本に住みながら、日本食にはまったく馴染めなかったというエピソードが残っている。

 お騒がせといえるエピソードも複数残している。ベイスターズを退団後、2003年に突如千葉ロッテに電撃加入したものの、開幕を迎える前に退団、現役を引退した。時が経って2023年11月には、九州の独立リーグ・火の国サラマンダーズの監督に就任したかと思えば、翌2024年2月、家庭の事情を理由に退任が決定。1試合も指揮を執らずに起こした退団劇は、千葉ロッテ加入時のことを思い起こさせた。

22 ラファエル・ベタンコート
投手 在籍期間:2000
ベネズエラ/1975年4月29日生/右投右打
WBC2006
【NPB】11試合1勝2敗0S 防御率4.08 BB/9 3.5 K/9 5.0
【MLB】680試合38勝37敗75S 防御率3.36 BB/9 2.2 K/9 9.5

============ 選手紹介 ============

 ベイスターズ時代には目立った活躍を残せなかったものの、退団後にアメリカで驚異的な成長を遂げ、MLBを代表するタフネスリリーバーへと進化した速球派投手。

 メジャーへ挑戦するため佐々木主浩がシアトル・マリナーズへ移籍した2000年、穴埋め役としてベイスターズに加入した。しかし、本来リリーフ適性が高いベタンコートだが先発としてもスポット登板させられるなど、適材適所とは言えない起用法をされた不運もあった。結果は一軍11試合で1勝2敗・防御率4.08と振るわず、わずか1年で退団となった。

 アメリカのマイナーリーグに戻ったベタンコートはトミー・ジョン手術を受けたのち、クリーブランド・インディアンスに拾われた。そこで制球力を大幅に向上させ、速球派ながら与四球率の低い安定したピッチングを身につける。2003年にメジャーデビューを果たすと、瞬く間にセットアップマンとしてチームのブルペンを支える存在へ成長し、2007年にはリーグタイ記録となる31ホールドを記録。リリーバーとしての地位を確立した。

 2009年シーズン中にはコロラド・ロッキーズにトレード移籍。多くの投手が苦戦するクアーズフィールドを本拠地にしながらも、その安定感は揺るがず、やがてクローザーとしても活躍する。最終的にメジャー通算680試合に登板し、防御率3.36を記録。60試合以上投げたシーズンが6度もあるなど、その酷使に耐える頑丈さから「ラバーアーム」と称された。

 日本では実力を発揮しきれなかったが、その後の活躍は異国の地で異なるベースボールを経験したことにより、MLBで開花した代表的な例となった。

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25 ルー・メローニ
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1971年4月6日生/右投右打
【NPB】42試合 打率.213 安打20 本塁打1 OPS.562
【MLB】423試合 打率.271 安打294 本塁打14 OPS.716

============ 選手紹介 ============

 ボストン近郊のフレーミングハム出身の元内野手。1998年、ボストン・レッドソックスでメジャーデビューを果たし、初打席で本塁打を放ち注目を集めた。しかし、その後はメジャーと3Aポータケットを頻繁に往復する日々が続き、その移動の多さから地元メディアに「メローニ・シャトル」と揶揄されるほどだった。昇降格に嫌気が差したのか、1999年オフに横浜ベイスターズとの契約を決断した。

 メローニはセカンドを本職としながらも、ショートやサードもこなせるユーティリティ性が長所の1つだった。だが、当時のベイスターズにはタフな守備陣(ロバート・ローズ、石井琢朗、進藤達哉)がおり、満足に出場機会を得られなかった。打撃では選球眼に優れていたが、当時の野球界はまだ出塁率の価値が理解されていなかった時代だった。

 退団後は再びレッドソックスに復帰すると、今度はベンチ要因ながらも通年メジャーに帯同するレベルに成長した。その後のメジャーでの活躍を考えると、他のNPB球団に入っていれば普通に成功していたかも…と思えてならない。


東京ヤクルトスワローズ 歴代助っ人外国人②(1999年以前)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Tokyo Yakult Swallows
東京ヤクルトスワローズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑1999年以前
【1990年代までに在籍した外国人選手】
【1980年代までに在籍した外国人選手】
【1970年代までに在籍した外国人選手】
【国鉄スワローズ(1950~65年),サンケイアトムズ(66~68年)時代に在籍した外国人選手】
◇1990年代までに在籍した外国人選手
マーク・エーカー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998~99
 身長203cmの巨体だったため、テリー・ブロスのように主力投手として投げてほしいと期待された右投げ投手。マイナーを含めてほとんどリリーフ登板しかしていないのに、スワローズでは先発で起用された。そのせいか右肩を痛めて1年しか投げられず、2年目の途中で退団した。

 一軍での成績は12試合で0勝2敗・防御率2.34。打線の援護に恵まれなかったが、防御率が示す通り安定感はあった。アメリカ時代は名クローザーだったデニス・エカーズリーの後任に期待されていた。

リッチ・バチェラー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1999
 ケガばっかりしていたエーカーを諦め獲ってきた技巧派右腕。1999年の途中から入団し、7試合投げたところで右膝の半月板を損傷。手術するためアメリカに戻り、そのまま解雇された。防御率は7.94だった。

 アメリカでプロ入りする前、大学3年生の年にホワイトソックスからドラフト7巡目指名されたがこれを拒否。翌年はヤンキースから38巡目で指名された際は期限内に契約せず、5年生の年にしばらく経ってからドラフト外でヤンキース入りしている。

マーク・スミス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1999
元有望株
 1999年のスワローズは若松監督が新たに就任し、外国人野手を一新してスタートさせる。ホージーとアンソニーを切って入団させたのは、マーク・スミスとあのペタジーニ。

 1991年のドラフト1巡目・全体9位の高順位でプロ入りし、92年のBaseball Americaの有望株ランキング57位に掲載。ピッツバーグ・パイレーツ時代の1997年7月に0対0の延長10回裏にサヨナラ3ランを放ち、メジャー史上初の延長ノーヒッターを成立させたことがある。MLB通算414試合・8年メジャーでプレー経験のあるスミスの方が格上と見なされ、当時はペタジーニより期待されていた。

 日本では開幕直後は絶好調。1試合3ホーマーを打った試合を含め、4月だけで打率.312、8本塁打をマークしていたが、5月に入ると弱点を露呈。インハイの速球で起こされ逃げる変化球で三振…を繰り返した。シーズントータルで20本塁打を放つも、最後まで日本のストライクゾーンに戸惑っているようだった。

 アメリカに戻ってからはメジャー昇格はできなかったが、帰国翌年に炎上車から男性を助け出し、野球関係の非営利団体から表彰を受けた。

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ドゥエイン・ホージー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1997~98
期待以上
 キャンプやオープン戦で守備、打撃両方ともボロボロで、野村監督や評論家の大半から辛口評価を受けていた。しかしレギュラーシーズンが始まると打ち始め、小さな身体から左右両打席で長打を放った。外野守備は相変わらずだったが…。最終的に松井秀喜に競り勝ち予想外のホームラン王になってしまった。ただし内情は9月に入ってから苦手なインハイを突かれ、シーズン終盤と日本シリーズではブレーキになっていた。翌シーズンも打撃不振を引きずり退団した。

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トラビス・ドリスキル
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998
問題児
 登録名を巡ってひと悶着あった先発右腕。スワローズ側が”kill”に聞こえるのを嫌って入団当初はドリスキーで登録したが、開幕前に本来の発音に近いドリスキルに直してプレー。先発と中継ぎどっちつかずの起用法に怒り、野村監督に暴言を吐いてシーズン中に解雇された。

 来日前は最高位3Aのマイナーリーガーだったが、スワローズ退団から丸4年。31歳にしてメジャーデビューを果たすと5年間で57試合登板の実績を作った。

エリック・アンソニー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1998
元有望株
 生まれはサンディエゴだがヒューストンで育ったアンソニーは、地元の高校に進むも中退。ライン工をして働いていたときにアストロズのトライアウトがあり、そこで特大ホームランを何本も放ってスカウトたちを驚かせた。全くの無名だったためドラフト34巡目の低順位で入団すると、マイナーのどの階級でも長打を量産。メジャー昇格を目前に知名度が上がり、Baseball Americaのプロスペクトランキングで全体8位の高順位にランクイン。1990年のランキングはBAがTop 100をやり始めた元年であり、その記念すべきリストにはMLB殿堂入りするフランク・トーマスや300本以上のグレッグ・ボーン、モー・ボーンがアンソニーよりも下に名前が載っていた。

 1999年のスワローズでは助っ人野手が揃って不振。ホージーは成績を落とし、ムートンを解雇して代わりにアンソニーを加入させた。7月から一軍でプレーし、44試合で12本もの柵越えを記録。得点圏でコンスタントに打った。メジャー通算78本塁打、アストロズ時代にレギュラーを務めた実力は伊達でなかったが、1番の問題はケガの多さ。小さなケガでスタメンから外れる試合も多く、これが原因で契約更新されなかった。


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ライル・ムートン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 193cm/108kgの見るからに大きな当たりを打ちそうな黒人外野手。シカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューし、1年目に打率3割超を記録してからスタメン出場を続けた実績から、打線の中軸にと大きく期待された。だが開幕3戦目に審判に暴言を吐いて退場になると、日本のストライクゾーンに慣れることができず、6月にウェーバー公示された。

 前年に打ちまくっていたテータムを退団させて獲ってきた選手だっただけに、スワローズファンの心中も穏やかではなかった。

テリー・ブロス
投手 アメリカ合衆国/在籍:1995~97(西武98~99)
期待以上
 入団1年目に巨人相手にノーヒッターを達成し、14勝5敗・防御率2.33と大活躍。日本シリーズでも好投し、下馬評の低かったスワローズの日本一に大きく貢献した。2年目以降は身長206cmの大きなモーションを盗まれるようになり、成績を落としていった。1998年にライオンズに移籍しても成績は上向かなかった。

 現役を引退後はゲイロードスポーツ社に入り代理人に転身。マーク・マルダーやブロンソン・アローヨ、ダン・ウグラといったオールスター選手たちを担当した。

ジム・テータム
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 外国人枠がもう1人あれば残留していた惜しい助っ人。夏前にルイス・オルティスを諦めたスワローズが、代役として急遽連れてきた。1997年はホージーのキャラクターが目立っていたが、途中加入のテータムも明るい性格の選手だった。なお、1971年に在籍していたジャービス・テータムとは全く無関係。

 ブロスとホージーに阻まれ出場機会は限定されていたが、51試合で打率.309・13本塁打・OPS1.030と率系ではMVP級の打撃成績。レギュラーで出ていればホージー以上のスタッツだった。

 MLB時代の実績は5年・173試合。途中出場がほとんどだったが、新球団のコロラド・ロッキーズで放った自身メジャー初ホームランは球団第1号の満塁ホームランでもあった。

ルイス・オルティス
内野手 ドミニカ共和国/在籍:1997
 ホセ・カンセコのトレード相手の1人だったドミニカ共和国出身内野手。3Aで打ちまくっていたところをスワローズが獲得した。登録名をルイスにする予定だったが、巨人に入団決定したばかりのルイス・デロサントスがルイスにすることを先に発表してしまったため、オルティスで登録することになった。

 当初はホージーよりも期待されていたが、シーズンに入ると持ち前のバットコントロールは鳴りを潜め、変化球がまったく当たらなかった。

トーマス・オマリー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1995~96(阪神91~94)
大活躍
 タイガースで4年連続打率3割超を打ちながら「長打力が足りない」と難癖をつけられ、自由契約になってスワローズに入団した。移籍後は見返すかのように初のシーズン30本超えを果たし、チームの日本一に大きく貢献した。

 スワローズでの2年目が終わると、野村監督が巨人を退団した落合博満獲得を熱望していることを知り、退団する道を選んだ。翌シーズンにテキサス・レンジャースのSTに招待選手として参加したが、メジャー登録枠に残れず引退した。


 ⇒阪神タイガース(1999年以前)参照

ヘンスリー・ミューレンス (登録名:ミューレン)
外野手 キュラソー/在籍:1995~96(ロッテ94)
元有望株 優良助っ人
 キュラソー出身、NPB初のオランダ生まれの選手になった強打の元内野手。1994年に千葉ロッテで及第点の成績を残したが解雇され、翌年からスワローズでプレー。フリースインガーだが当たれば飛ぶバッティングスタイルで、恐怖の8番打者として恐れられた。

 千葉ロッテ時代はメル・ホールからイジメに遭い、スワローズに移籍してからもヤクルト対中日の試合があるときはわざわざ敵軍ベンチに現れ嫌がらせが続いた。ただミューレン本人はスワローズでは野村監督からナイスガイだと褒められ、チームメイトからも人格者として一目置かれる存在だった。現役引退後は指導者の道に進み、複数のメジャー球団でベンチコーチや打撃コーチを務めたほか、WBCやプレミア12のオランダ代表監督も任された。

Embed from Getty ImagesWBC本大会を前に記者会見するミューレンス監督
ジャック・ハウエル
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1992~94(巨人95)
元有望株
 カリフォルニア・エンゼルス時代にヤクルトに来ることになるデシンセイから三塁手のレギュラーを奪い、3年間連続で20本前後を記録。通算84本のパワーヒッターだったが、1992年にスワローズ入りした。

 1年目は日本式の練習が辛すぎたのか、春季キャンプをたびたび脱落。前半戦のホームランは8本に留まり、オフにはクビかと思われたが、オールスター明けから突然爆発。61試合で30本を叩き出し、打率.331とあわせて打撃2冠を獲得。ベストナインだけでなくセ・リーグMVPにも選ばれた。

 2年目は数字を落としたものの、打率.295・28本塁打と主砲として及第点の成績。相手投手から警戒され、三振より多い91四球を選んだ。だが、3年目はさらに成績が下降。20本塁打を放ったが守備力を考えるともっと打ってほしかった。野村監督に愛想をつかされて退団後、巨人に拾われた。

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ジェラルド・クラーク
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1994
 近鉄バファローズで大活躍したフィル・クラークの兄。2人は歴代323組目の兄弟メジャーリーガーでもある。サンディエゴ・パドレスと新球団コロラド・ロッキーズで3年レギュラーを務め、3年連続2ケタホームランを打った実績を持つ。足は速くないがメジャー時代にホームスチールを決めたことがある。

 スワローズでは99試合に出場して打率.293、ホームラン20本。ハイライトはカープの佐々岡から手首にデッドボールを受け、暴行を働き1週間出場停止になったことか。スタッツ的には良かったが、しょっちゅう膝や背中などを痛めて欠場していたのが悪印象で、契約延長されなかった。

 1994年のスワローズといえば、クラークが退場した翌日に古田敦也が手にファウルチップを受けて骨折。巨人のグラッデンと殴り合いの乱闘劇で2人退場になったのもこの年で、いつも主力の誰かが欠場していた。セ・リーグ4位に終わり、つば九郎のデビューイヤーは少々残念な年となってしまった。

レックス・ハドラー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1993
優良助っ人
 ミミズを生食いして気色悪がられたユーティリティ内野手。1989年のパリッシュはワニを食べて変人扱いされていたが、ハドラーの方はミミズのほかにもセミやカタツムリもいけるゲテモノ食い。セントルイス・カージナルス時代にはキャップについたカブトムシのような昆虫を食ったら800ドルやると同僚に煽られて、その場で食べてドン引きさせた実績がある。

 ただ、明るい性格はチームに好影響を与え、日本の文化にも馴染もうと努力しており、人間的にはチームメイトから好かれていた助っ人だった。

 スワローズでは1年間で打率.300・14本塁打・OPS.838をマーク。チャンスに強い打撃も光ったが、野村監督が重視するセカンドの守備はボロボロだった。

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ジョニー・レイ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1991~92
大物
 飯田哲也がプロ野球を代表する名センターになる一因となった元大物メジャーリーガー。メジャーでは10年間プレー。パイレーツとエンゼルスの二塁手のレギュラーを務め、シルバースラッガー賞やオールスター出場を経験。シーズン打率3割が3回あり、ホームランを打てなくても二塁打が多く、生涯成績で四球>三振を記録している選手だった。

 1991年に来日。スワローズはなぜか外野で起用しようとしていたが、契約時にそんな話は聞いていないとレイが拒否。大リーグ時代と同様セカンドで出場し続け、1年目は打率.299・11本塁打・OPS.842と健闘。最終戦まで打率3割をキープしていて、二塁打もリーグ最多を打っていた。

 2年目は開幕直後にスランプに陥ると、内野のベンチ要因だった桜井伸一がブレイク。出場機会を減らされたことでレイと野村監督の溝が深まってしまった。表向きは腰痛という理由でシーズン途中に退団していった。

 一方、捕手で入団後にセカンドへ挑戦していた飯田は外野手に転向するほかなかった。が、万事塞翁が馬というのか、その後は広い守備範囲を活かした名センターへと成長。また飯田だけでなく、レイ退団から2年経った頃から土橋勝征が台頭し、セカンドのレギュラーに定着する流れができた。

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ジョニー・パリデス
内野手 ベネズエラ/在籍:1992
 メジャーでは60試合出場にとどまるが、マイナーで盗塁を量産していた小柄な内野手。1992年途中に退団したレイの後任にスワローズ入り。守備と走塁が魅力も打撃が課題と言われ、NPBでも打率.242・OPS.657と活躍できなかった。

 退団後は40代でガンに罹り、10年以上の闘病したのち亡くなった。

郭建成
投手 台湾/在籍:1989~91
 1988年のソウルオリンピックに出場した台湾人右腕。五輪の翌年からスワローズに所属し、89~91年に在籍した。

 1年目はパリッシュとデービスの壁に阻まれ二軍生活だったが、イースタンでは最優秀救援投手に選ばれる活躍。2年目はバニスターが途中で帰国し、後から来たロックフォードが酷かったためようやく郭に一軍登板のチャンスが巡ってきた。が、コントロールは良かったが球威に乏しく、被安打率が3割を超え一発病の気もあった。二軍で通用していたフォーシームとスライダーがどちらも上では打ち込まれた。

 負け運が強い投手で、スワローズ時代の1990年も打ち込まれたとはいえ、1勝もできない(0勝4敗)内容ではなかった。台湾に帰国後のCPBL・時報イーグルスでも防御率3.21ながら9勝17敗と大負けした。その後クローザーに転向してようやく成功したかと思った矢先、”黒鷹事件”と名付けられている台湾球界最悪の八百長事件に関与し実刑判決が下る。居場所を求め、台湾人としては異例の中国本土で野球を続けた。

ティム・バートサス
投手 アメリカ合衆国/在籍:1991
 身長201cm・体重110kgの巨漢投手。オークランド・アスレチックスでの新人時代に先発で10勝6敗をマークしたときはもっとスリムな体系だったが、体重増加が彼のキャリアを阻んだ。来日したときは、ファストボールの平均球速が130km/hしか出ないがコントロールも悪い軟投派になっていた。

 スワローズではNPBデビューして早々、ドラゴンズ戦で小松崎への内角球を巡って乱闘を起こしてしまう。1試合だけ完封を達成したがそれ以外はKO続きだった。

フロイド・バニスター
投手 アメリカ合衆国/在籍:1990
大物
 MLBドラフト全体1位でプロ入り後、133勝・7年連続2ケタ勝利を挙げた超大物メジャーリーガー。バブル景気に沸いていた日本では、ヤクルトのような貧乏球団でもこの時だけはカネの力で現役メジャーリーガーを連れてくることができた。ただ、バニスターに関しては訳あり物件で、前年に痛めた肩がまだ治りきらないまま来日を迎えた。4月に3勝を挙げたもののそれ以降は勝てず、6月に解雇された。

 息子のブライアン・バニスターもメジャーの先発で活躍後、来日。巨人に入団したものの地震が怖くて帰国した、あのバニスターである。

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マイク・ロックフォード
投手 アメリカ合衆国/在籍:1990
 バニスターが訳あり物件だと判明して6月に帰国したため、とにかく健康に投げられるピッチャーを最優先事項に獲ってきたのがロックフォード。身長190cmを超える恵まれた体格を持っていたが、動く速球は常時135km/h前後、カーブとチェンジアップ、スライダーを低めに集める完全な軟投派左腕だった。

 来日デビュー戦は、初物に弱いと言われたジャイアンツを相手に初回を三者凡退に打ち取ると、2回に掴まり4被弾KO。次の登板以降も長打を浴び続け、23イニングで9本もの本塁打を浴びた。シーズン途中入団ながら終了前に解雇された。

ドウェイン・マーフィー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
超大物
 オークランド・アスレチックス時代にリッキー・ヘンダーソンと1・2番コンビを組み、ヘンダーソンの盗塁成功に大きく貢献。強肩も兼ね備えるセンターとして1980~85年に6年連続ゴールドグラブ賞を獲得、打撃でも通算166本塁打を打っている。超大物メジャーリーガーであるが、30代中盤あたりから膝が思うように回復せず、走塁と守備面で衰えを隠せなくなっていた。

 スワローズにはダン野村氏の紹介で入団。「センターラインの強化」を掲げ、ホームラン王のパリッシュを放出してまでマーフィー獲得に漕ぎ着けたが、膝が治りきっていない状態でプレーし続けたため打撃・守備両面で低迷した。夏に入る前には起用されなくなり、8月に解雇。

◇1980年代までに在籍した外国人選手
ホアン・アイケルバーガー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1989
問題児
 大物のパリッシュを獲得して予算がなくなったスワローズは、ユマキャンプでの入団テストを経て低年俸のアイケルバーガーと契約。クローザーを任されたが開幕2戦目の9回にサヨナラ暴投。以降もマウンドに上がるたびに失点し、5月半ばに解雇された。

 日本ではわずか8試合・実質1ヵ月半しかプレーしなかったが、名前と衝撃的なデビュー戦のせいで頭から離れない助っ人外国人選手であった。なお、息子のジャレッド・アイケルバーガーもプロ入りしたがマイナー最高位はA-、2年しかプレーしなかった。

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ロン・デービス
投手 アメリカ合衆国/在籍:1989
大物
 MLB通算130セーブを挙げたユダヤ系アメリカ人の大物メジャーリーガー。予算をケチって獲得したアイケルバーガーが1ヶ月半しかいなかったため電撃契約。このレベルを連れてこれるなら初めからそうすれば良かったのに、と思わずにはいられない。

 ニューヨーク・ヤンキース時代にセットアップマン、ミネソタ・ツインズ時代はクローザーとしてマウンドに上がり、通算481試合に登板。先発起用ゼロにも関わらず2度もシーズン100イニング以上を投げている。オールスターにも1度選出。

 5月でアイケルバーガーを解雇し、空席になっていたクローザー役を与えられた。シーズン終了まで在籍したが、防御率3.97・WHIP1.55と勝ちゲームを任せるには問題ありの成績に終わった。銀のフレームの眼鏡とパリッシュの乱闘に参加したプレー以外の方がファンの記憶に残っている。

 息子のアイク・デービスは野手でメジャーデビュー。2012年に32本塁打、WBCのイスラエル代表、マイナー落ち後にピッチャー転向といった話題性にあふれる選手だった。

Embed from Getty Images背番号39を好んでつけていたR・デービス
ラリー・パリッシュ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1989(阪神90)
大物 問題児
 MLB通算256本塁打のほか、3イニング連続本塁打、週に3回グランドスラムといった記録を持つ超大物メジャーリーガー。オールスターにも2度出場経験がある。15年メジャーの一線級で活躍し続けていたが、レッドソックス在籍中の1988年にヒザの故障が原因で打撃成績を落としていた。

 1989年にスワローズに加入すると、期待に違わぬ長打力を発揮。42本塁打を放ってホームラン王に輝いた。ただ、「センターラインの強化」を掲げた野村監督の方針から、まさかの1年で自由契約に。翌年はセシル・フィルダーを失ったタイガースが新4番候補に迎え入れた。

 普段は紳士と評判ではあったが、三振に倒れるとベンチで大暴れするタイプで、専用のラリー君人形をサンドバッグ役にしてストレスの捌け口にしていた。私生活ではワニを食べる習慣があったが、都内にワニを出すお店が見つからず苦労していた。

⇒阪神タイガース(1999年以前)参照

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ボブ・ギブソン
投手 アメリカ合衆国/在籍:1988
 ヘッドハンターの異名を取り、メジャー殿堂入りを果たした名投手… じゃない方のボブ・ギブソン。メジャー通算98試合、短期間だが先発とクローザーを両方経験したことがある元メジャーリーガーだった。

 1988年、ケガで早々にいなくなったハーパーの外国人枠穴埋めのため急遽来日。6月に初登板した試合で、同じく初めてNPBの打席に立った呂明賜に初打席初ホームランを許してしまう。それ以降、頭数が足りないスワローズの先発ローテを最後まで守り通したが、リーグワーストの防御率4.87を喫した。

ダグ・デシンセイ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1988
大物
 ホーナー退団後に来日した端正な顔立ちだった超大物メジャーリーガー。MLBでの実績はホーナーを上回り、rWARは41.7を記録している。

 ボルティモア・オリオールズにドラフト3巡目で入団後、在籍中はサードのレギュラーとして活躍。カル・リプケンJr.と縁があり、メジャー昇格前の3Aの試合前、球場に銃弾が撃ち込まれ、まだ10代だったリプケンJr.を安全な場所に引っ張って行ったエピソードがある。また、1981年オフにデシンセイがトレードで放出されると、翌年からリプケンJr.はメジャーに定着。1998年9月まで2632試合連続出場を続ける大記録の起点となった。

 1982~87年をアナハイム・エンゼルスでプレー。移籍1年目にキャリアハイとなる打率.301・30本・OPS.916の好成績を残し、MVP投票3位に入りシルバースラッガー賞も受賞。翌83年にはオールスターに選ばれている。エンゼルスでも長く三塁手のレギュラーを務めたが、87年に若手のジャック・ハウエルに出場機会を奪われたことが決め手となり、スワローズ入りが実現した。

 来日時点で38歳になっていたデシンセイだったが、東京ドーム開園第1号やNPB史上初の2試合連続逆転サヨナラホームランを記録。ジャンカルロ・スタントンを控えめにしたようなクローズドスタンスから”逆方向に引っ張る”ホームランは記録より記憶に残った。打率は低かったが84試合で19本塁打はさすが大リーガーと言える。

 引退後は自身を日本送りにしたハウエルが巨人と契約すると、彼の代理人を務めた。不動産会社を設立し実業家としても活躍していたが、2010年代に入ってからは未公開株を巡るインサイダー取引を行ったとして有罪に。

Embed from Getty Imagesカリフォルニア・エンゼルスの正三塁手としてプレーしたデシンセイ

テリー・ハーパー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1988
 ホーナーの代役にとスワローズが連れてきた黒人外野手。奇しくもホーナーと同時期にアトランタ・ブレーブスに所属し、7年も在籍したがレギュラーらしいシーズンは1度だけ。第4・5の外野手扱いが長かった。

 1988年にホーナーの代役にスワローズ入り。前任者が大物だと過度な期待をされるものだが、10試合出場したところで右膝が痛いと治療のため帰国。そのまま現役引退した。

マーク・ブロハード
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1986~87
 2AのテキサスリーグでMVPに選ばれ、メジャーではレギュラーになれなかったが6年在籍。通算25ホーマーの実績を買われてスワローズと契約、背番号3を与えられた。

 日本には1986~87年に在籍。1年目は打率.258・21本塁打、フリースインガーな打撃スタイルであれば物足りない成績ではあったが、レギュラーシーズン終盤の巨人戦でリーグ優勝を阻止する逆転弾を放った。

 2年目は開幕から打撃好調。11試合で打率.379・OPS1.127を記録していたが、開幕後しばらくしてチームがボブ・ホーナーを獲得。レオン・リーとホーナーで外国人一軍枠が埋まり、二軍降格を拒否して退団していった。なお、背番号3は翌年プロ入りした長嶋一茂が付けることになった。

Embed from Getty Images1982年にブリュワーズでア・リーグ制覇。右が決勝タイムリーを放ったセシル・クーパーを祝福するブロハード
レオン・リー (登録名:レオン)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1986~87(ロッテ78~82,大洋83~85)
 ⇒千葉ロッテマリーンズ(1999年以前)参照

ボブ・ホーナー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1987
大物
 アリゾナ州立大在籍時に新設されたゴールデンスパイク賞を最初に受賞。ドラフト全体1位で指名され、マイナーリーグの試合に1度も出ることなくメジャーデビューを果たすと新人王を獲得。アトランタ・ブレーブスの4番ファーストを9年間守り続け、オールスター1度、30本塁打以上3度、通算215本を記録した。だが、当時メジャーでは球団が結託してFA選手を締め出す動きがあり、メジャー球団との契約が難しくなったせいで超大物メジャーリーガーが来日することになった。

 ヤクルトでは最初の3試合で6ホーマー。たちまちホーナー旋風を巻き起こし、シーズン全体で打率.327・31本塁打・OPS1.106と格の違いを見せつけた。ただ、ファン投票で選ばれたオールスターを腰痛で辞退し、レギュラーシーズンは93試合出場にとどまった。

 NPBで1年プレーし終えると、4番打者獲得が急務となっていたセントルイス・カージナルスからのオファーに合意。メジャー復帰を果たしたが、ブレーブス時代より広いブッシュスタジアムでのプレーに苦しみ、わずか3本塁打に終わって解雇された。

 引退後はエネルギー事業に手を出し大損をこいたが、日本に来るきっかけとなったFA制度を巡りメジャー選手会が球団から賠償金を勝ち取り、”被害者”だったホーナーにも700万ドルが支払われ破産せずに済んだ。

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ボビー・マルカーノ
内野手 ベネズエラ/在籍:1983~85(阪急75~82)
優良助っ人
 8年もの期間阪急ブレーブスの黄金期を支え、1983年に移籍してきた助っ人二塁手。スワローズには衰えが見えてきた33歳の時点で入団したが、3年間で52本塁打、打率は阪急時代より高い.289と変わらぬ打撃成績を残し、Bクラスに低迷するチームで奮闘した。

 退団後は巨人の中南米担当スカウトに就任し、サンチェを連れて来ると退団するまで通訳を務めた。肺がんを患い1990年に39歳の若さで死去。阪急時代の元チームメイトたちに見送られた。

 イタリア系ベネズエラ人だが祖先が日本人だったという噂があった。

⇒オリックス・ブルーウェーブ(1999年以前)参照

クリス・スミス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1984~85
元有望株
 南カリフォルニア大学時代は名の知れた有望株だったスイッチヒッター。大学1年から全米代表に選ばれ続け、選抜チームでもずっと3番を打っていた。1977年にアメリカ遠征に来ていた日本代表と戦い、その縁で江川卓や原辰徳と知り合った。江川とはルームメイトになったため親友になったと言われている。

 日本では… 1984年は春先早々に全力疾走を怠ったことで武上監督を怒らせ、二軍に塩漬けにされそうになった。だがスミスには幸いなことに、チームは負けが込んで2度も監督が交代すると、スミスの懲罰的二軍調整はご破算に。晴れて出場機会を得たスミスだったが、打撃不振が続き打率.214・5本塁打・OPS.605に終わった。

 問題なのはスワローズ球団の方で、この成績でなぜか契約を延長。85年は投手並みの打撃成績(打率.158・0本・OPS.404)しか残せず、今度こそ解雇された。

 日本でプレーしたのはヤクルトでの1984~85年のみだったが、意外と日本の生活を気に入ったらしく、アメリカに帰国して数年後に野球と関係なく日本で暮らしていたらしい。なお、父親は2000年まで40年以上MLB球団で仕事をした名スカウト。

アンディ・ビーン
投手 アメリカ合衆国/在籍:1985
 身長190cmから上半身投げのような投球フォームで投げていた長身右腕。その怪しいメカニクスはやはり問題で、三振を上回る四球を出してしまった。8試合に登板して防御率7.25とまったく活躍できず、途中で肩を痛めて帰国した。

ダン・ブリッグス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1982~83
 好守で精彩を欠くハーローをオールスター前に解雇し、代わりに取ってきたのがブリッグス。1982~83年に在籍した。1年目に4番を任され、3ホーマーを打った試合があったがシーズントータルでは平凡な成績に終わった。

 来日前の経歴は、MLB7年で5チームを渡り歩く苦しいメジャー生活だった。メジャー初ホームランをロイヤルズのエース右腕スティーブ・バズビーから記録すると、MLB通算12本のうち6本ものアーチをオールスター経験者から放っている。

デービッド・デントン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1982
 メジャー経験が無いスイッチヒッター。2年間大活躍したデーブ・ヒルトンがユマキャンプのテスト経由だったため、スワローズではユマで引き続き入団テストを実施。そこで目に留まったのがデントンだった。

 開幕前、とある日のオープン戦で一発を放つと、地方球場のちょっとしたイベントでホームラン賞なるものをゲットした。日本ではHRを打つと賞金が出るものと勘違いしたのか、打撃スタイルをホームラン狙いに変更。もとはアベレージヒッタータイプのデントンはフォームを崩し、結局一軍公式戦では1本塁打に終わった。

ラリー・ハーロー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1982
 メジャーで448試合に出場経験があった実績充分の外野手。スワローズでは外野の守備が特にひどく、シングルヒットをスリーベースにしてしまったり、お手玉や落球と拙守を連発した。

 俊足巧打に外野3ポジションを守れる守備力を兼ね備えているとの前評判だったが、そんな完璧な選手が日本に来るはずがなかった。

チャーリー・マニュエル (登録名:マニエル)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1976~78,81(近鉄79~80)
大活躍 優良助っ人
 史上最凶助っ人ペピトーンは帰国後アメリカのメディアに対し、日本でのネガティブなことを吹聴していたせいで、アメリカでは日本球界を悪く思うようになっていた。ある日のNYタイムズに掲載された日本下げの一方的な記事が掲載されると、これを読んだ太平洋クラブライオンズ(当時の西武ライオンズ)のマーティ・キーナート氏が激怒。MLB全球団に書簡を送った。そこにはペピトーンが日本で起こしてきた数々の問題行動のほか、彼の退団後に日本球界やファンの間で外国人選手排斥論が起きていたことが書かれていた。

 MLB球団関係者にペピトーンの悪行が知られると、中でも両国間の関係悪化を最も憂慮したのが当時のドジャース会長だったピーター・オマリー氏であり、マイナー落ちした選手たちのなかから人格的に優れた選手をヤクルトに譲り渡すことを提案。それがマニュエルだった。

 スワローズでは”赤鬼”と呼ばれ、1976~78年の3年間で92本塁打を放った。78年はベストナインを獲得する活躍だったが、機動力を重視する広岡監督から嫌われ、近鉄バファローズに放出されてしまった。近鉄で2年連続ホームラン王を獲得した後、広岡が去ったスワローズに復帰したものの顎のケガや年齢による衰えに勝てなかった。

 日本でのプレー期間はヤクルト、近鉄あわせて計6年。NPB通算成績は打率.303・189本塁打・491打点。リー兄弟やバースと並ぶ、日本球界最高の助っ人外国人の1人となった。

 引退後はマイナーで指導者経験を積み、3度もマイナーの最優秀監督に選出。フィラデルフィア・フィリーズの監督時代にはワールドシリーズ制覇を達成する大物監督になった。

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ジョン・スコット
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1979~81
期待以上
 長身でスタイルの良かった俊足好守の外野手。メジャーでは通算118試合出場。主力としてプレーしたことはないが、1977年に新球団トロント・ブルージェイズでは開幕戦で1番打者で起用され、球団初のバッターになったことで知られている。

 ヤクルトには3年在籍。1年目に記録した28本塁打・81打点はいずれもチーム最多。5月にダブルヘッダーで2本ずつホームランを放ち、それが2ラン、満塁、ソロ、3ランと打っており、後に”サイクルホームラン”を打った選手と言われるようになった。

 2年続けてダイヤモンドグラブ賞(GGの前身)を受賞したように外野守備にも優れたプレイヤーだったが、3年目の5月に甲子園での試合で外野フェンスに激突。左ひざの靱帯を損傷してしまい、復帰できないまま球団からクビを言い渡された。自慢の守備力が日本でのキャリアに終止符を打つ形となってしまった。

サム・パラーゾ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1980
 ヒルトン二世と期待された俊足遊撃手。二遊間を守れる高い守備力を誇った。メジャー経験がほとんどなかったため当初は疑いの目を向けられていたが、日本でプレーしてみると走攻守すべてに通用する好選手だった。

 118試合に出場して打率.281・15本塁打に四死球は三振を上回り、1番バッターとしては合格点の成績だった。盗塁失敗が多かったから1年で退団したとされているが、真偽のほどは不明。退団後はアメリカで指導者の道に進み、ボルティモア・オリオールズの監督になった。

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◇1970年代までに在籍した外国人選手
デーブ・ヒルトン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1978~79(阪神80)
優良助っ人
 独特な打撃フォームが特徴的だったユーティリティ内野手。ヤクルトにはユマキャンプで入団テストを受けて来日した。初年度から1番バッターとして活躍。シーズンを通じて首位打者争いを演じ、先頭打者ホームラン8本の記録は2007年に高橋由伸に破られるまで日本最多を保っていた。

 2年目は本塁打こそ19本を放つも打率が低下。オフに自由契約になると、阪神で監督を務めていたブレイザーから熱心に誘われてタイガースへ移籍し、辛いシーズンを過ごすことになる。

⇒阪神タイガース(1999年以前)参照

ロジャー・レポーズ (登録名:ロジャー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1974~77(太平洋73)
大物 大活躍
 低打率だが圧倒的なパワーを持っていたスワローズの主砲。エンゼルスでレギュラーを数年務め、メジャー通算82本の実績を持つ。1973年に太平洋クラブに入団したが、右膝のケガで満足にプレーできず1年で解雇。その年のオフに入団テストを受けてスワローズ入りした。

 大振りな左打席から期待通りの長打を放ち、4年間で110本塁打。メジャー時代と太平洋クラブでは典型的なパワー一辺倒な選手だったが、スワローズでの2年目以降は打率.260以上を維持する確実性を身につけた。大物打ちのイメージから守備が良くないと思われているが、メジャーでは堅実な守備を評価される外野手だった。

ジョー・ペピトーン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1973~74
超大物 問題児
 1973年シーズン途中に鳴り物入りで加入し、日本球界最悪の助っ人外国人だと認識されている元大物メジャーリーガー。MLBでオールスター出場3回にゴールドグラブ賞3度、ヤンキースやカブスで活躍した輝かしい実績を持つ。特にヤンキースでは4番を務めたこともあるが、その一方でかなりのトラブルメーカーとしても知られていた。

 ヤクルトアトムズでは打撃不振に陥ったロバーツに代わる新助っ人として大いに期待された。だが、度重なるトラブルやサボタージュ、無断帰国と問題行動を繰り返し、シーズン終了前に解雇された。

 その後アメリカ球界に戻るもメジャー復帰はならず、以降はコカイン所持や飲酒運転などの犯罪行為で度々逮捕された。2023年に死去したが、21年にはミッキー・マントルが500号を達成したバットを巡って野球博物館と訴訟沙汰になっていたことが明らかになり、最後まで波乱に満ちた人生であった。

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デーブ・ロバーツ
内野手 パナマ/在籍:1967~73(近鉄73)
大活躍 優良助っ人
 1967~73年途中まで在籍して181本塁打を放ったレジェンド助っ人内野手。弱小アトムズ打線の主軸を担い、王貞治とホームラン王を争った。一緒に上位打線を組んだルー・ジャクソンとはMLB時代にヒューストン・コルト45sで一緒にプレーしていた間柄でもある。

 元メジャー経験者でありながら日本語学校に通い、シーズンオフも日本に残って上智大学で学ぶマジメ外国人だった。

アルト・ロペス
外野手 プエルトリコ/在籍:1972~73(東京・ロッテ68~71)
 ヘクター・ロペスという元大物メジャーリーガーかと間違われて毎日オリオンズに入団し、大活躍したことで有名なプエルトリカン外野手。オリオンズで4年間クリーンナップを打っていたが、当時監督だった大沢親分のチーム改革の一環でアトムズにトレードされた。

 今でこそ神宮球場は12球団中1,2を争う打者有利な球場であるが、当時は広い方の部類に入っていた。オリオンズ時代は両翼の膨らみがほとんどない激狭球場の東京スタジアムに慣れてしまっており、移籍後はマズい外野守備と打撃成績低下でオリオンズ時代ほどは活躍できなかった。

⇒千葉ロッテマリーンズ(1999年以前)参照

ジャービス・テータム
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1971
 1968年にカリフォルニア・エンゼルスでメジャーデビュー。3年で300打席近くチャンスを貰ったがホームランを1本も打つことができず、レッドソックスへトレード移籍。レ軍では1度もメジャーに上がれずスワローズに入団した。

 日本でもシーズントータルで打率.192・1本塁打とパワーレスな結果に。外野フライを追いすぎてフェンスに激突し、左足に大ケガを負ったのがNPB最後のプレーだった。

◇国鉄スワローズ(1950~65年),サンケイアトムズ(66~68年)時代に在籍した外国人選手
ボブ・チャンス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1969~70
 シーズン中に死亡したジャクソンの穴埋めに急遽入団することになった元メジャーリーガー。1シーズン2ケタ本塁打(14本)を放った年があるが、メジャー定着を果たせず日本行きを決意した。

 1969年8月に来日してすぐに試合に出始め、このシーズンは55試合で打率.320・16本塁打と大健闘。空振りが少ないヒッティングスキルが存分に発揮された。だが、チャンスに強いのは1年目だけだったようで、翌年はなぜか急に打てなくなった。

 ちなみに、この1970年はヤクルトアトムズが勝率.264を記録してぶっちぎりの最下位になった年。正捕手が飲酒運転で逮捕されたり、所属選手が失踪したりと全てが散々なシーズンだった。

ルー・ジャクソン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1966~69
優良助っ人 問題児
 「褐色の弾丸」の異名を持つアスリートタイプの外野手。ラインドライブヒッターであったため年間30本は打てなかったが、早いスイングスピードから打プルヒッティングする癖があった。下半身のケガが多かったが明らかにアウトになるゴロでも全力疾走を怠らなかった。

 実働3年間で329試合・打率.257・68本塁打・OPS.793を残したが、4年目の開幕前に緊急搬送され、肝機能障害と膵臓壊死で33歳の若さで死去した。日本に付いて来てくれなかった夫人との離婚問題を抱え、酒と女遊びで私生活は荒れ放題だったと言われている。

ローマン・マヒナス
外野手 キューバ/在籍:1966
 サンケイアトムズに1年だけ在籍したキューバ人外野手。MLBではヒューストン・コルト45sの新球団拡張ドラフトで移籍し、初年度(1962年)にチーム最多の24ホーマーを放ったことで知られる。メジャー経験豊富だが来日した時点ですでに41歳、丸1年実戦から遠ざかっている選手だった。

 アトムズでの最初の試合で頭に死球を食らってしまう。シーズン終了まで後遺症に苦しみ、MLB通算54本塁打のスラッガーは日本では0本塁打に終わった。ただ、当時の元メジャーリーガーにしては珍しく、日本を見下すような態度はしない選手だったそうだ。

宮本敏雄
外野手 米領ハワイ準州/在籍:1963~64(巨人55~62)
日系人
 国営企業を母体にする体面上、国鉄スワローズは選手補強を控えめにせざるを得なかったが、一方で球団の運営費用は年々増加。そのため、1962年に球団譲渡を前提としてフジサンケイグループと業務提携が結ばれる。資金に余裕ができたスワローズはトレードで大型補強を行い、その1つが巨人から獲ってきた宮本敏雄だった。

 ハワイ準州出身で「エンディ宮本」と呼ばれ、巨人時代はアイドル的人気を誇った外野手。スワローズでの1年目に11本塁打を放つも、翌年は0本。1965年、チームの経営権が国鉄からサンケイに本格移譲されるタイミングで引退を決めた。

⇒読売ジャイアンツ(1999年以前)参照

西田亨
投手 米領ハワイ準州/在籍:1963(巨人52~53,55,東映58~59,毎日60~62)
日系人
 「ビル西田」の愛称で呼ばれていた日系ハワイ人投手。何度かアメリカに戻りながら巨人と東映フライヤーズ、大毎オリオンズを経て入団。4球団目のスワローズでは1年だけ在籍して引退。帰国後はハワイに戻り整体師になった。


東京ヤクルトスワローズ 歴代助っ人外国人①(2000~23年)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Tokyo Yakult Swallows
東京ヤクルトスワローズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
63 ディロン・ピータース
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1992年8月31日生/左投左打
【NPB】18試合6勝5敗0S 防御率3.22 BB/9 1.9 K/9 5.9
【MLB】59試合13勝12敗0S 防御率5.30 BB/9 3.9 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 投球テンポの良さと執拗な牽制球が光った先発左腕。シーズン終盤に腰を痛めたものの、打者有利な神宮球場を本拠地に18先発・防御率3.22をマーク。先発投手の駒が足りないスワローズには必要な戦力だったが、オフの契約交渉で歩み寄れなかった。

11 ケオーニ・ケラ
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1993年4月16日生/右投右打
問題児
【NPB】1軍出場なし
【MLB】243試合23勝13敗28S 防御率3.33 BB/9 3.4 K/9 11

============ 選手紹介 ============

 アメリカ時代からいわくつきの問題児と警戒されていたパワー系リリーフ右腕。ハワイにルーツを持つ。マイナーにいた頃から全体練習で手を抜いたり、乱闘には積極的に関わったりしていた。一方でルーキーイヤーの2015年に68試合・防御率2.39の好成績を挙げ、通算で243試合登板の確かな実績を残していた。

 スワローズにはマクガフの後継者として期待を背に来日。日本の文化に馴染もうと努力する姿には好感が持てたが、日本の野球には馴染めず。イースタンで15試合・防御率7.71と苦戦し、一軍に上がる前に6月には帰国していた。

99 ライネル・エスピナル
投手 在籍期間:2023
ドミニカ共和国/1991年10月6日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率5.40 BB/9 9.0 K/9 7.2
【MLB】3試合0勝1敗0S 防御率8.10 BB/9 2.7 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 外国人枠の保険扱いで入団した粗削りなドミニカ人投手。ヤンキース傘下のマイナーでプロのキャリアをスタートし、2019年にメジャー昇格目前まで迫ったがトミー・ジョン手術を受けて戦線離脱。その後、レッドソックスの3Aでチーム最優秀選手に選ばれたことがあったが、結局メジャーでは通算3試合登板に終わった。

 2013年にスワローズに入団。持ち球の1つに曲がりの小さいスライダーを持っていたが、ときにはシュート回転してしまう完成度の低い球だった。見かねた伊藤智仁コーチがキャンプ中に握りを教えたが、エスピナルは現役時代に伊藤コーチがスライダーを投げる動画を見て驚愕していた。

 開幕後は野手ではサンタナとオスナが盤石で、もともとピーターズとサイスニードの投手2枚の保険として入団しており、期待値は高くなかった。イースタンでも微妙な成績で、シーズン中に投球フォームを修正する努力をしたものの一軍での出番も少なかった。

37 スコット・マクガフ
投手 在籍期間:2019~22
アメリカ合衆国/1989年10月31日生/右投右打
期待以上
【NPB】236試合15勝8敗80S 防御率2.94 BB/9 2.8 K/9 9.7
【MLB】69試合2勝7敗9S 防御率5.14 BB/9 4 K/9 10.5

============ 選手紹介 ============

 ドジャースがハンリー・ラミレスを獲得する際、交換相手にネイサン・イバルディと”ほか1人”としてマイアミ・マーリンズに移籍。マーリンズでメジャーデビューを果たしたもののわずか6試合登板に留まり、メジャー返り咲きを目指して日本でのプレーを決意した。

 2019年の来日当初は1年結果を残してメジャーに復帰しようと考えていたが、NPBのレベルが想像以上に高く、日本での生活を家族全員が気に入ったため、最終的に4年もスワローズで投げることになった。

 スワローズでの4シーズンでは防御率2.94。後半の2年で奪三振率が上昇し、最終年の2022年はライマルに次ぐ38セーブ・防御率2.35をマーク。オフに2年625万ドルの契約を勝ち取った。

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63 A.J.コール
投手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1992年1月5日生/右投右打
元有望株
【NPB】34試合2勝0敗0S 防御率2.75 BB/9 3.5 K/9 8.0
【MLB】109試合14勝10敗4S 防御率4.51 BB/9 3.6 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 ワシントン・ナショナルズで長く有望株扱いされていた元プロスペクト右腕。2011年頃からMLBの各媒体の有望株ランキングに載るようになり、5年もの間ずっと100位以内にランクインされ続けた。

 2015年4月にメジャーデビュー後、毎年先発ローテ入りのチャンスを与えられていたが、2018年途中についに球団から愛想をつかされた。ナショナルズをDFAとなったのを機にリリーバーに転向すると、メジャー4球団目となったブルージェイズでは短期間セットアップマンを任されたが、メジャー定着が叶うことはなかった。

 2022年にヤクルトに入団。初登板こそ打ち込まれたが、元々得意だったスライダーとブルージェイズ時代に習得したカットボールが大きな武器になって、34試合リリーフ登板して防御率2.75と好成績を残した。

 1年目のシーズンを終えて、スワローズ首脳が出した結論はウエーバー公示。契約を延長しなかった理由は「先発でなんらかの形を残してほしかった」から。20世紀ならまだしも、この情報化の時代にコールが先発としてのキャリアを諦めたことぐらい素人でも分かること。スワローズは過去にもこの手のニーズに合わない選手補強を繰り返している。

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50 アンドリュー・スアレス
投手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1992年9月11日生/左投左打
【NPB】6試合0勝0敗0S 防御率6.23 BB/9 2.9 K/9 6.6
【MLB】40試合3勝8敗1S 防御率4.51 BB/9 2.9 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 変化量の大きいスライダーがマネーピッチの先発左腕。サンフランシスコ・ジャイアンツでのルーキーイヤーに通年先発ローテを守り切り、7勝13敗・防御率4.49を記録した。その後チームから放出され、KBOで好成績を残した翌年来日した。

 スワローズでは2021年限りで投手のアルバート・スアレスが退団した直後、また投手のA.スアレスが入ってきたためファンを混乱させた。3年在籍した前任者より活躍することはできなかった。

2 パトリック・キブルハン
 
(登録名:キブレハン)
外野手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1989年12月22日生/右投右打
【NPB】29試合 打率.241 安打20 本塁打6 OPS.758
【MLB】137試合 打率.208 安打45 本塁打10 OPS.706

============ 選手紹介 ============

 パワーヒッターだが選球眼の悪さが気になるユーティリティ内野手。大学でシニア(4年生)までアメフト専門でプレーしたあと野球部に合流。元西武のブライアン・オグレディとともにチームをけん引した。

 シンシナティ・レッズ時代に1年だけ(2017年)100試合以上に出場。主に代打でアピールしたがメジャー定着は叶わず、スワローズに入団した。

 スワローズではDeNAが相手の時だけよく打ち、打率.400と5本塁打を記録したが、DeNA戦以外では.190・1本塁打。また来日前だったので話題にならなかったが、東京オリンピックのアメリカ代表として出場。3打数3三振に守備ではエラーと散々な結果だった。

70→43 アルバート・スアレス
投手 在籍期間:2019~21
ベネズエラ/1989年10月8日生/右投右打
160km/h
【NPB】40試合10勝8敗1S 防御率3.00 BB/9 3.6 K/9 7.4
【MLB】69試合7勝15敗0S 防御率4.96 BB/9 3.1 K/9 6.9

============ 選手紹介 ============

 ロベルト・スアレスの実兄。スワローズでは来日1年目にケガだらけで4試合しか投げられなかったが残留させてもらえ、3年間在籍した。NPB最終年となった9月に160km/hを計時し、NPB初めて兄弟で160km/h超えをマークした。

 ヤクルト退団後は韓国で2年プレー後、再度アメリカに復帰。マイナー契約から這い上がり、2024年4月に先発で投げて勝利投手に。最後に白星を挙げた2016年から数えて2860日ぶりの勝利はMLB歴代2位の珍記録であるが、1位は元楽天のだった。

70 ケリン・ホセ
 
(登録名:ケリン)
投手 在籍期間:2021
ドミニカ共和国/1995年5月19日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 トロント・ブルージェイズ傘下のRookie級で5年プレー経験があるリリーフ左腕。毎年イニング数と同じくらいのフォアボールを出す制球難のせいで、1度もシングルA-すら昇格できなかった。

 スワローズには登録期限ギリギリの2021年8月末に契約。だが、来日直前の新型コロナ検査で陽性反応が出てしまい、日本に降り立ったのはイースタンの最終戦が終わった10月22日だった。その後練習でストライクが全く入らず、自由契約となったのが11月5日。2週間しかチームにいなかった。

15 リック・バンデンホーク
 
(登録名:バンデンハーク)
投手 在籍期間:2021(SB15~20)
オランダ/1985年5月22日生/右投右打
元有望株 WBC2009 WBC2017
【NPB】86試合43勝20敗0S 防御率3.78 BB/9 2.8 K/9 9.6
(SB) 84試合43勝19敗0S 防御率3.68 BB/9 2.8 K/9 9.6
(ヤク) 2試合0勝1敗0S 防御率15.43 BB/9 3.9 K/9 7.7
【MLB】50試合8勝11敗0S 防御率6.08 BB/9 4.7 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 SBホークスで大活躍していた元エース右腕。在籍期間は6年に渡ったが、SB退団前年は故障がちになっていた。

 深刻な先発のコマ不足に悩むスワローズが、これまでの実績を高く評価して獲得。だが、やはり年齢にはあらがえず登板機会は先発2試合のみ。2度目の登板にいたっては1アウトも奪えず5失点。シーズン終盤に契約解除された。スワローズに1年だけ在籍していたことを知らないファンは多いはず。

◇2020年までに在籍した外国人選手
25 ガブリエル・イノーア
投手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1993年5月26日生/右投右打
【NPB】9試合0勝3敗0S 防御率10.13 BB/9 3.8 K/9 5.6
【MLB】55試合4勝13敗0S 防御率5.39 BB/9 2.3 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 日本で酷かった助っ人外国人でよく名前が出てくる1人。来日前、お荷物球団と化していたボルティモア・オリオールズでメジャー定着を賭けてプレー。ライバルのデービッド・ヘスと先発ローテーションを争い、2人とも1勝10敗を喫したがイノアだけDFAとされた。

 前年に退団したブキャナンに代わる助っ人先発投手として期待されてスワローズに入団。オープン戦では問題なく投げていたのが開幕後は先発した全試合でノックアウトされた。24イニングで45被安打・8被弾・防御率10.13。MLBでもそこまで打たれていなかったのに。

33 マット・クック
投手 在籍期間:2020
アメリカ合衆国/1990年11月2日生/右打左打
【NPB】7試合0勝3敗0S 防御率7.88 BB/9 1.7 K/9 3.4
【MLB】79試合9勝8敗1S 防御率5.03 BB/9 2.2 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 平均150km/hを投げながらフォアボールが少ない右投げ投手。メジャーデビューした2016年以外はメジャーでボコボコに打たれている。

 Kochと書いて「クック」と発音するのが正しいが、メジャー時代はMLB.jpや他の日本語サイトでは「コッチ」と長らく表記されていた。そのため、かつてメジャー通算163セーブを挙げマネーボールにも出てきたビリー・コッチという有名な投手がおり、親戚か?と思ったが無関係でガッカリした記憶がある。

2 アルシデス・エスコバー
内野手 在籍期間:2020
ベネズエラ/1986年12月16日生/右投右打
大物 元有望株 WBC2017
【NPB】104試合 打率.273 安打103 本塁打1 OPS.641
【MLB】1554試合 打率.258 安打1486 本塁打45 OPS.640

============ 選手紹介 ============

 2015年に世界一に輝いたカンザスシティ・ロイヤルズの中心選手だった元リードオフマン。メジャーで長くショートを務め、ゴールドグラブの受賞経験がある。ケルビム・エスコバーやロナルド・アクーニャJr.ら錚々たるメジャーリーガーを親戚に持つ野球一族の血を引いている。

 問題なのはスワローズの人選。バレンティンの退団でパワーヒッターを必要としていたにも関わらず、メジャーで1度も2桁本塁打を打ったことがない選手(マイナーでもシーズン最高で10本)を連れてきてしまった。久々の大物選手だったため期待は大きかったが、NPBでは打撃では相手投手にプレッシャーを与えられず。守備範囲もメジャー時代より狭くなっていて、サードに回される試合もあった。

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4 ウラジーミル・バレンティン
外野手 在籍期間:2011~19(SB20~21)
キュラソー/1984年7月2日生/右投右打
元有望株 大活躍 期待以上 問題児 WBC2013 WBC2017 WBC2023
【NPB】1104試合 打率.266 安打1001 本塁打301 OPS.917
(ヤク) 1022試合 打率.273 安打959 本塁打288 OPS.936
(SB) 82試合 打率.171 安打42 本塁打13 OPS.629
【MLB】170試合 打率.221 安打113 本塁打15 OPS.655

============ 選手紹介 ============

 長くスワローズ打線の核であり続けたホームランヒッター。オランダ・キュラソー島で生まれ育ち、シアトル・マリナーズの有望株だったがメジャーでは大成できなかった。

 来日初年度からクリーンナップに入り、3年連続でホームラン王を獲得。3年目は60本塁打と長打率.779のプロ野球新記録を樹立し、2011~19年の間に30本塁打以上8度、288本のアーチを架けた。レフトの守備は動きが緩慢でファンをイラつかせたが肩は強かった。

 最終年となった2019年も33本塁打を放ったが、守備走塁や素行面と高額年俸がネックになっていた。シーズン後に2年10億円を積んだソフトバンクに獲られてしまった。

Embed from Getty Imagesマリナーズでトッププロスペクトだったバレンティン

28 デービッド・ブキャナン
投手 在籍期間:2017~19
アメリカ合衆国/1989年5月11日生/右投右打
【NPB】71試合20勝30敗0S 防御率4.07 BB/9 2.9 K/9 5.5
【MLB】35試合8勝17敗0S 防御率5.01 BB/9 2.9 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 フィラデルフィア・フィリーズで2年目のジンクスに嵌り、メジャー定着を逃した先発右腕。フィリーズで長く先発を務めるカイル・ケンドリックというゴロ打たせ系の先輩投手がおり、ケンドリックと身長・体重や持ち球、メジャー昇格間近になるまで注目されていなかったといった特徴が酷似していた。ブキャナンもケンドリックと同じようなローテーション投手になってくれる、と期待が急上昇。デビューイヤーに20先発・6勝8敗・防御率3.75と健闘したが、翌年は2勝9敗・防御率6.99と大きく成績を落とし、さらに翌シーズンは1度もメジャーに上がることなくDFAとされた。

 その後スワローズに入団すると、先発投手のコマ不足に悩む投手陣をイニングイーターとして支え、来日2年目の2018年にはベバリン以来14年ぶりに開幕投手に任命された。2019年は初めて年間100イニングを下回ると、3億円近い高額年俸を嫌われ自由契約となった。巨人にいたマイコラスの美人妻がよく週刊誌のネット記事に取り上げられていたが、ブキャナンの奥さんも相当な美人だった。

Embed from Getty Images多彩な変化球を持っていたが、趣味も多彩だった

45 デービッド・ハフ
投手 在籍期間:2018~19
アメリカ合衆国/1984年8月22日生/左打両打
【NPB】103試合4勝11敗3S 防御率4.50 BB/9 2.7 K/9 7.7
【MLB】120試合25勝30敗0S 防御率5.17 BB/9 3 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 「デーブ・ハフ」で登録されていた軟投派のサウスポー。全力で投げれば150km/h前半を投げられるが、ストライクゾーンの枠を狙うことを最重要視するピッチングをする。クリーブランド・インディアンスの先発ローテでメジャーデビューし、当初からヒットを打たれながらも粘る投球スタイルを貫いていた。

 ヤクルトでの登板予定日に雨が降る日が多くRain manと呼ばれた。

40 ジョーダン・アルメンゴ
 
(登録名:アルメンゴ)
投手 在籍期間:2018(中日16~17)
ドミニカ共和国/1986年12月8日生/左投左打
問題児
【NPB】40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
(中日) 40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
(ヤク)1軍出場なし
【MLB】78試合4勝3敗1S 防御率4.00 BB/9 5.8 K/9 7.4

============ 選手紹介 ============

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

中日を2年で退団後に獲得したサウスポー。移籍を機に育ての母の姓”アルメンゴ”に登録名を変更した。スワローズでは一軍登板する前に故障で帰国し、SNSで問題投稿を連発。一度も上で投げることなく6月に契約解除されるという、球団史では上位に入る問題児っぷりを見せた。

40 ジェイソン・ウルキデス
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1982年9月12日生/右投右打
【NPB】5試合0勝0敗0S 防御率5.06 BB/9 1.7 K/9 6.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アルメンゴが問題行動を連発しておりシーズン途中に慌てて獲得した、メジャー経験のないリリーフ右腕。トニー・バーネットはアリゾナ州立大の1年後輩でよく話を聞いていたため、来日前から日本でのプレーに興味を持っていた。当時フィアンセだった奥さん同席で入団会見を行った。

37 マット・カラシティー
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1991年7月23日生/右投右打
【NPB】32試合7勝3敗3S 防御率4.18 BB/9 4.1 K/9 6.9
【MLB】46試合2勝1敗1S 防御率6.89 BB/9 4.9 K/9 7.8

============ 選手紹介 ============

 マネーピッチのスプリッターのほか球種の引き出しが豊富な元MLB投手。マイナー下部では先発で投げていたがプロ3年ほどでリリーバーに転向。スワローズではイースタンでの再調整後にロングリリーフで好投したため、シーズン後半は先発投手として起用されてそれなりに結果を残した。

 アメリカではプロ入り後はほとんど打席に立っていないが、日本では打率.269・OPS.769、ホームランと三塁打を各1本ずつ記録。DeNAのジョー・ウィーランドと並ぶ打てる外国人投手と認識されていた。

53 ジョシュ・ルーク
 
(登録名:ルーキ)
投手 在籍期間:2016~17
アメリカ合衆国/1984年12月5日生/右投右打
期待以上
【NPB】130試合10勝12敗7S 防御率3.02 BB/9 2.8 K/9 9.3
【MLB】72試合2勝5敗0S 防御率6.16 BB/9 3.4 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 マリナーズ時代に色々あったリリーフ右腕。メジャー通算72試合。ヤクルトでは2年連続で60試合以上に登板し防御率3点前後に抑え、ブルペンを支えてくれた。

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34 ロス・オーレンドフ
 
(登録名:オーレンドルフ)
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1982年8月8日生/右投右打
【NPB】4試合0勝1敗0S 防御率5.50 BB/9 5.5 K/9 7.5
【MLB】209試合30勝41敗3S 防御率4.82 BB/9 3.4 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 元ヤンキースの有望株だったが若手間の争いに敗れ、ピッツバーグ・パイレーツに都落ちした秀才右腕。アイビーリーグの1つプリンストン大学では経済学を専攻。歴代メジャーリーガーでも屈指の優秀な人材として知られ、現役時代にはオフシーズンに農務省にインターンシップに参加したことがあった。

 ヤクルトでは途中で右肩の負傷があり、4試合登板と振るわなかった。

Embed from Getty Images今では絶滅種となったロッキングモーションと呼ばれる投球フォームで投げていた

39 カルロス・リベロ
内野手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1988年5月20日生/右投右打
【NPB】54試合 打率.215 安打43 本塁打6 OPS.595
【MLB】4試合 打率.571 安打4 本塁打1 OPS1.911

============ 選手紹介 ============

 怪我人が多すぎた2017年途中に急遽獲得したイケメン内野手。パワーと強肩を活かした守備力が魅力だった。神宮球場で吉見一起から放った初ホームランが技ありの一打だったことで期待値が急騰したが、次第に空振りとエラーが増えていった。

 ヤクルト退団後の2018年、故郷ベネズエラの冬季リーグの試合後に高速道路を運転中、事故で同乗していた親友のルイス・バルブエナ、ホゼ・カスティーヨを失ってしまった。ベネズエラでは岩を置いて足止めをさせる隙に強盗を働く手口が流行っていて、路上の岩を避けきれずに起きた事故だった。

61 プレストン・ギルメット
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1987年7月27日生/右投右打
【NPB】28試合1勝1敗0S 防御率3.62 BB/9 2.5 K/9 9.4
【MLB】29試合0勝2敗0S 防御率9.00 BB/9 3.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 入団会見でディーン・グリーン、デービッド・ブキャナンと一緒にヤクルトを一気飲みした助っ人右腕。3人の中で最もヤクルトを気に入り、会見した日も3本飲み干すほど。ピッチングは真上から投げ下ろすような怪しいフォームだった。

 スプリッターを武器に日本では良くも悪くもない成績を残し、1年で退団。グリーンとはデトロイトの3A時代から仲が良く、スワローズでもベンチで楽しそうに盛り上がっていた。

40 ディーン・グリーン
内野手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1989年6月30日生/右投左打
【NPB】25試合 打率.194 安打14 本塁打2 OPS.590
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 タイガース傘下のマイナー時代からの同僚のギルメットと一緒に入団したパワーがウリの一塁手。公表の体重(115kg)より実際はもっと重い130kgあったと本人が白状している。体重が重すぎるため一塁しか守れなかったことがメジャー昇格のネックになった。

34 カイル・デイビーズ
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年9月9日生/右投右打
元有望株
【NPB】15試合4勝5敗0S 防御率4.39 BB/9 3.4 K/9 7.0
【MLB】152試合43勝65敗0S 防御率5.57 BB/9 4.3 K/9 6.4

============ 選手紹介 ============

 アトランタ近郊で生まれ育ち、ジョージア工科大学からアトランタ・ブレーブスにドラフト4巡目で入団。ブレーブスでメジャーデビューした生粋のアトランタっ子である。2005年に先発でメジャーデビュー。ローテーション入りのテスト登板のような形で先発4~5番手扱いで投げていたが、2年ほどでカンザスシティ・ロイヤルズへ放出された。メジャーの先発投手の中では球威に乏しいが四死球も多く出す厄介なタイプで、ロイヤルズでも防御率は5点台前後だった。それでもローテ定着がしやすい弱小球団では5年近くメジャーで投げ続けることができた。

 ロイヤルズ5年目の2011年、夏場に右肩を痛めて自暴自棄になり、泥酔状態で逮捕されてしまう。この件を理由にロイヤルズを解雇されてからはマイナー球団を転々とするシーズンが続き、2016年からスワローズで投げることになった。

 日本での初登板は阪神戦で、1番高山俊への初球をスタンドに運ばれ、高山のプロ初球HR&デイビースの初球被弾という珍記録が生まれた。9月上旬までは防御率3点台をキープしていたが、シーズン終盤に立て続けに打たれて4.73に悪化して終わった。

 ちなみに、ブレーブスが自前で育てた2005年メジャーデビュー組の選手たちは当時「ベイビー・ブレーブス」と呼ばれ、地区14連覇を達成する原動力になった。長く正捕手を務めたブライアン・マッキャンをはじめ18人のルーキーがおり、その中にデイビースや元阪神のボイヤーがいた。

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13 ルイス・ペレス2
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1985年1月20日生/左投左打
元有望株
【NPB】19試合2勝2敗0S 防御率8.02 BB/9 6.3 K/9 8.0
【MLB】78試合5勝6敗0S 防御率4.50 BB/9 3.6 K/9 8

============ 選手紹介 ============

 ドミニカン・サマーリーグのブルージェイズ傘下の球団でプロのキャリアを開始。21歳と高齢でのスタートだったが、渡米後は着実にマイナーの階級を昇格。2009年にフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)のworldチームに選ばれると、2011年4月にメジャーデビュー。当初は先発投手でありデビュー戦を6回被安打1・15人を連続で打ち取る快投で勝利投手になったが、この年の途中に先発ローテから脱落するとリリーバーに転向した。

 2012年は開幕をメジャーで迎えるとミドルリリーフとして貴重な働きをしていたが、オールスター前にヒジの靭帯を断裂。翌シーズン中に復活登板を果たしたもののメジャーの座を追われた。

 スワローズには2016年にプレー。オープン戦までは良かったがレギュラーシーズンに入るとボコボコに打ち込まれた。温情で先発でも試してもらったが期待に応えることはできず。

00 河載勲(ハ・ジェフン)
 
(登録名:ジェフン)
外野手 在籍期間:2016
大韓民国/1990年10月29日生/右投右打
【NPB】17試合 打率.225 安打9 本塁打0 OPS.537
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 高校から直接シカゴ・カブス傘下でプレーしていた二刀流韓国人。カブスの2Aや3Aで藤川球児や和田毅とチームメイトだったことがある。2012年のフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に出場しながらメジャー昇格を果たせず、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでプレーしていた。

 2016年の5月末にヤクルトに外野手として入団するも、実働半シーズンで退団となった。その後は徳島に戻ってから帰国した。渡米してからKBOでプレーするまでに分かっているだけで3回は外野手⇔投手の再コンバートを繰り返している。どっちかに絞っていれば…と思わずにはいられない。

58 ローガン・オンドルサック
 
(登録名:オンドルセク)
投手 在籍期間:2015~16
アメリカ合衆国/1985年2月13日生/右投右打
大活躍 問題児
【NPB】102試合8勝3敗11S 防御率2.17 BB/9 3.0 K/9 8.2
【MLB】288試合21勝11敗2S 防御率4.03 BB/9 3.7 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 巨人戦に強かったがチームの和を乱して退団した長身右腕。アメリカ時代にメジャーデビューから4年連続で50試合以上にリリーフ登板した実績を持つ。ヤクルト入団1年目はバーネットとロマンの助っ人3人で「ROB」を結成。鉄壁の勝ちパターンはスワローズのリーグ優勝に大きく貢献した。

 しかし、2年目の6月のドラゴンズ戦で、味方選手のマズい守備にブチ切れ、監督や選手たちが抑えられないほどにベンチで大暴れ。チームから無期限の謹慎処分を受けると、処分解除後に家族と一緒に帰国したまま戻ってこなかった。バーネットが退団してから態度が悪くなっていたことを、以前から球団首脳が問題視されていたらしい。

◇2015年までに在籍した外国人選手
64→34 トニー・バーネット
投手 在籍期間:2010~15
アメリカ合衆国/1983/119/右投右打
期待以上 問題児
【NPB】260試合11勝19敗97S 防御率3.58 BB/9 3.2 K/9 9.6
【MLB】127試合11勝4敗2S 防御率3.53 BB/9 2.7 K/9 8.2

============ 選手紹介 ============

 いつもブチ切れていた印象が強いイケメンリリーフ右腕。2012年にセーブ王、15年は無冠ながら防御率1.29・41セーブの好成績を挙げ、メジャー定着に再挑戦していった。

 6年間も在籍したことで、チーム内ではリーダー的な存在となっていたバーネットが2015年にスワローズを退団すると、外国人選手のまとめ役が不在となり、翌年にはオンドルセクの態度が徐々に大きくなっていった。その結果、シーズン途中に起きたブチ切れ事件に繋がってしまった。

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65→49→31 ユウイチ松元
 
(登録名:ユウイチ)
外野手 在籍期間:1999~15
ブラジル/1980年12月18日生/左投左打
日本に帰化 日系人 WBC2013
【NPB】546試合 打率.263 安打240 本塁打11 OPS.652
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジル・サンパウロ出身の日系人外野手。学生時代にはブラジル代表の4番打者を務め、同世代の中心選手として活躍していた。1999年にツギオとともに入団。2004年に日本に帰化し、松元雄一となった。

 入団後はファームで好成績を残していたが、ツギオと同じく外国人枠に阻まれていた。02年にペタジーニの故障離脱で空きができた時に初めて一軍に昇格したものの、スポットでの出場を余儀なくされた。04年のシーズン前に日本国籍を取得したことで制限がなくなり、これ以降出場機会が増えていった。

 守備に難があったことで途中出場や代打での出場が中心だった。最も多くても2008年の80試合、13年の153打席がキャリアハイだったにも関わらず、思いのほか長く現役生活が続いた。2015年まで在籍期間は17年にも及び、引退した翌年からはコーチとして引き続きチームに残っている。

53 オーランド・ロマン
投手 在籍期間:2012~15
プエルトリコ/1978年11月28日生/右投右打
期待以上 WBC2006 WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】133試合18勝22敗6S 防御率3.00 BB/9 3.8 K/9 5.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 スワローズ入団前年に台湾・兄弟エレファンツで最多勝のプエルトリカン投手。メジャー経験が無いので格安の年俸で獲得した。先発で投げていたが2年目の途中からリリーフに回り、4年目の2015年にはセットアップマンや代役クローザーのほかスポットスターターと何でもこなし61試合に登板した。

 スワローズでは4年間在籍して結構抑えてくれていたが、特にセットアップマンで使うと好成績を残していた。初めから役割を固定させていればもっと良かったかもしれない。

119→91 金伏ウーゴ
投手 在籍期間:2012~15(巨人16)
ブラジル/1989年5月22日生/左投左打
日系人 WBC2013
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率27.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
(ヤク) 2試合0勝0敗0S 防御率27.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
(巨人)1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

  ブラジルの田舎で生まれ育った日系三世の選手。高校から日本に渡り、佐野日大高校に野球留学するも寮生活に馴染めず、公式戦では一度も登板できなかった。しかし、白鴎大学では主力投手として活躍し、大学史に残る黄金期を築く原動力となった。2011年のドラフトではチームメイトの塚田正義と岡島豪郎と共に、3人同時にプロ入りを果たした。

 ヤクルトには4年間在籍し、一軍では通算2試合に登板。1試合目はルーキーイヤーの2012年に登板したが、1イニング持たずに4与四球で降板。2試合目は2015年に登板し、1回4失点に終わりシーズン後に戦力外となった。その後、1年間だけ巨人でプレーした。

85 ラスティングス・ミレッジ
外野手 在籍期間:2012~15
アメリカ合衆国/1985年4月5日生/右投右打
元有望株 問題児
【NPB】255試合 打率.272 安打262 本塁打39 OPS.795
【MLB】433試合 打率.269 安打404 本塁打33 OPS.723

============ 選手紹介 ============

 学生の頃から野球と素行不良の両方で有名だった元トッププロスペクト。12歳で投手兼三塁手としてリトルリーグのワールドシリーズに出場。高校在学中の16歳のときには国際大会での活躍が認められてBaseball Americaから”最高の16歳”に選ばれ、一気に全国レベルの知名度になった。高校卒業予定の2003年ドラフト予想では全体3位以内で指名されるだろうと評価されていたが、ドラフト前年に不祥事を起こし、退学処分を受けてフロリダ州内の別の高校に転校することに。

 転学先では野球を制限されていたが、ニューヨーク・メッツが1巡目・全体12位で指名。契約金の交渉中に別の不祥事が発覚したが、なんとかメッツ入団に漕ぎ着けた。

 長引いた入団交渉の影響で公式戦デビューが遅れたミレッジだったが、ポテンシャルは確かなもので、マイナーの階級をスピード昇格。2006年のBaseball Americaの有望株ランキングでは全体9位にランクされるほど評価が高まっていった。

 一方で素行不良の方もプロに入ってからも健在で、2006年にメジャーで初ホームランを放った後、外野の守備に就いたミレッジはスタンド越しに観客とハイタッチを繰り返し、ベテラン選手たちの怒りを買った。翌年のシーズン中には幼馴染のラッパーと一緒に”Bend Ya Knees”という曲をリリース。この曲の歌詞には卑猥な言葉や放送禁止用語が満載で、メッツはミレッジの行動を否定する声明を発表する事態に。さすがにチーム内外で放出止む無しの空気になり、同地区で長期低迷中のナショナルズへ放出されてしまった。

 その後はメジャーと3Aを行き来するプレイヤーになってしまったミレッジは、2012年からスワローズでのプレーを選択。1年目に打率.300・21本塁打・OPS.865と好成績をマークし、シーズンオフに新たに3年契約をゲット。しかし13~15年は度重なる長期離脱と外国人枠の絡みで合計130試合しか出られず、OPSも毎年下降していく体たらくだった。

 メジャーでもトラブルメーカーで超有名だったため、来日前は日本のプロ野球で受け止めきれるのか大いに心配されていたが、アンパイアへの暴言以外は大人しくプレーしていた。先輩助っ人のバレンティンと問題児どうしウマが合ったのが良かったのかもしれない。ちなみに背番号は85番を背負っていたが、自身の生まれ年(1985年)にちなんで着け続けている。メッツでは44番を与えられたが気に入っておらず、ナショナルズ在籍中に途中加入してきたアダム・ダンが44番を欲しがっていたためミレッジは喜んで譲り、晴れて85番を着けることになった。

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71 ミッチ・デニング
外野手 在籍期間:2015
オーストラリア/1988年8月17日生/右打左打
WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】64試合 打率.222 安打43 本塁打4 OPS.671
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 独立リーグの新潟アルビレックスBC経由で入団したオーストラリア人の外野手。2015年を新潟で迎えていたが、スワローズではバレンティンとミレッジが揃って故障離脱。セ・リーグ最下位の元凶になっていた打線をテコ入れするために、新潟からシーズン中に強奪した。

 ただ、デニング自身はメジャー経験がなく最高位は1シーズン過ごしただけの2Aというマイナーリーガー。年俸も360万円と激安で、上位打線2人の代役を期待するのは酷だった。

56 クリス・カーペンター
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1985年12月26日生/右投右打
【NPB】32試合1勝2敗3S 防御率4.73 BB/9 6.7 K/9 7.5
【MLB】18試合1勝0敗0S 防御率5.17 BB/9 9.8 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 2005年にナ・リーグのサイ・ヤング賞を受賞した”クリス・カーペンター”とは別人の巨漢投手。ミドルネームまで一緒の完全な同姓同名なのは珍しい。ヤクルト入団後の沖縄での春季キャンプでは、駐日米兵からサイヤング受賞者の方と間違われてサインを求められたことがあった。なにかと”じゃない方”という扱いを受け続けてきたが、レッドソックスを世界一に押し上げたセオ・エプスタインGMがシカゴ・カブスに移った際、このカーペンターと交換トレードだったという理由で、この人自身も少しだけ知名度はあった。

 だが話題性とは裏腹に、MLBではイニング数を上回るフォアボールを出すコントロール難。「日本ではカーペンターといえば俺だ、と思ってもらえるような活躍ができるよう頑張りたい」と誓ったスワローズでも、9イニング当たり6.7人を歩かせてしまい通用しなかった。

38 クリス・ナーブソン
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1981年12月20日生/左投左打
元有望株
【NPB】24試合4勝11敗0S 防御率4.53 BB/9 3.5 K/9 6.3
【MLB】118試合30勝19敗0S 防御率4.71 BB/9 3.3 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 変化量の大きなカーブが武器のサウスポー。ミルウォーキー・ブリュワーズの先発ローテーションで投げていた投手で、2010~11年に連続で2桁勝利を挙げているが左肩を故障。ブリュワーズを放出されていたところをスワローズが獲得した。

 スワローズでの2014年にチームで2番目に多いイニングを投げたが、4勝11敗・防御率も4点台とMLBでの実績を考えれば微妙な成績に終わった。

Embed from Getty Imagesサウスポーであることを存分に生かした投球スタイルだった

115→66 ラファエル・フェルナンデス
投手 在籍期間:2009~13
ブラジル/1986年4月23日生/右投右打
WBC2013
【NPB】10試合1勝0敗0S 防御率8.31 BB/9 7.6 K/9 2.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 元スワローズアカデミー生であり、白鷗大学でプレー後日本のドラフト指名を受けてNPB入りした日系ブラジル人投手。育成契約での入団だったが支配下登録を勝ち取り、一軍で10試合に登板した。

 スワローズを退団した2014年以降は所属球団が決まらず、2022年まではトレーニングをしながら通訳の仕事で生計を立てながら、日本の独立リーグや社会人野球を転々とした。

 ちなみに、フェルナンデス(Fernandez)はありふれたラストネームに聞こえるが、この人のスペルはFernandes。

17 クリス・ラルー
投手 在籍期間:2013
カナダ/1984年4月14日生/右打左打
問題児 WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】5試合0勝2敗0S 防御率9.00 BB/9 4.5 K/9 5.7
【MLB】65試合1勝3敗0S 防御率6.03 BB/9 4.4 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 WBCに3度も出場しているカナダ代表常連右腕。イケメンかつ198cmの長身に加え、サーフィンやピアノの腕前も一級品だという。引退後の2017年にバチェラーのカナダ版シーズン3に出演。「女性に苦労したことは無かったが、適切な女性に会いたい」ために出演を決意したが、成立した女性とはすぐに破局した。

 2013年途中、スワローズではエース館山の復帰時期が不透明な状況で、代役としてラルーを獲得。館山級の(過剰な)活躍を期待されたが、5度の先発で0勝2敗・防御率9.00・WHIP2.18の惨憺たる結果に。8月のこまちスタジアム(秋田県)でのDeNA戦ではスクール水着姿の壇蜜が始球式を行い、直後に登板したラルーは3回8失点の大炎上。これがNPB最後の試合となり、壇蜜にKOされたと揶揄されてしまった。

 実際には来日時点で右肩の状態がイマイチだったらしい。とはいえ過去に松岡弘や川崎憲次郎といったエースが背負った17番を与えられた投手であり、ガッカリ度は大きなものだった。

12 林昌勇(イム・チャンヨン)
投手 在籍期間:2008~12
大韓民国/1976年6月4日生/右投右打
大活躍 160km/h WBC2009 WBC2017
【NPB】238試合11勝13敗128S 防御率2.09 BB/9 2.6 K/9 8.9
【MLB】6試合0勝0敗0S 防御率5.40 BB/9 12.6 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 KBO(韓国プロ野球)で先発投手として結果を積み上げ、日本球界に挑戦。サイドハンドながらツーシームの球速はMAX160km/hに達した。韓国時代の勤続疲労が懸念され、本人も全盛期の球威を保てるか不安などと弱気な発言をしていたが、1年目から大活躍。クローザーに必要な強心臓を兼ね備えていた。

 来日5年目にヒジを痛め、2012年限りで退団。故障が癒えた翌年にメジャーに挑戦し、シカゴ・カブスでメジャーデビューを果たした。その後は韓国に戻ってプレーしたが、違法賭博で出場停止処分を受ける。2020年代に入ると金銭絡みで逮捕され、酒に溺れて廃人のようになったらしい。

117 曲尾マイケ
外野手 在籍期間:2010~12
ブラジル/1991年11月18日生/右投右打
日系人 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジル北東部の街に生まれた日系人外野手。5歳のときに日本で暮らし始めているため、他のブラジル人選手と違ってスワローズアカデミーに所属したことはない。青森山田高校から育成1位でスワローズに入団した。

 池山2世と呼ばれたがポジションは違ううえ、腕力に任せて振り回す打撃スタイル以外に共通点はほとんど無い。ただスピードと強肩は魅力的で、年が違えば支配下でドラフトにかかっていたかもしれない選手だった。

5 アーロン・ガイエル
外野手 在籍期間:2007~11
カナダ/1972年10月5日生/右打左打
優良助っ人 WBC2006
【NPB】441試合 打率.234 安打330 本塁打90 OPS.829
【MLB】307試合 打率.246 安打239 本塁打35 OPS.736

============ 選手紹介 ============

 打撃成績以上に根強い人気を誇った待ち球系パワーヒッター。選球眼が良いわけではないが球をよく見送り、そして自身の身体に呼び寄せた。ほぼフル出場した2007・09年にリーグ最多の死球を食らい、ホームランのタイトル獲得はならなかったものの高出塁率をマークした。1イニングで2度の死球や、始球式でもぶつけられるといったエピソードも死球王に箔を付けた。

 人柄の良さ・意外と強肩という長所もあったが、年々腰痛が悪くなって攻守に支障をきたしていった。年俸9000万円だった2011年は11試合・打率.138に終わり現役を引退。

53 ジョシュ・ホワイトセル
内野手 在籍期間:2010~11(ロッテ12~13)
アメリカ合衆国/1982年4月14日生/左投左打
【NPB】267試合 打率.277 安打228 本塁打40 OPS.861
(ヤク) 180試合 打率.274 安打145 本塁打27 OPS.868
(ロッテ) 87試合 打率.283 安打83 本塁打13 OPS.848
【MLB】53試合 打率.200 安打23 本塁打2 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 パワーヒッティングが大きな魅力のユダヤ系アメリカ人選手。学生時代はピッチャーとして全国レベルに名前が知られていたが、大学入学直後に肩を負傷。手術後に球威が戻らなかったため野手転向を余儀なくされた。

 プロ入り後はアリゾナ・Dバックス傘下のマイナーMVPやトリプルAの新人王を獲得。トニー・クラーク(現・選手会専務理事)に一塁手のレギュラー獲りに挑んだが、メジャーに定着することはできなかった。

 スワローズには2年在籍。1年目はシーズン半分の出場ながらリーグ2位の15勝利打点を挙げる貴重な働きも、翌年はシーズン序盤に若手の畠山和洋にレギュラーを奪われた。

◇2010年までに在籍した外国人選手
49 李恵踐(イ・ヘチョン)
投手 在籍期間:2009~10
大韓民国/1979年3月12日生/左投左打
【NPB】61試合1勝2敗1S 防御率4.12 BB/9 3.5 K/9 7.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの森野将彦にぶつけて謝らず、問題になった左腕投手。韓国時代から先発、中継ぎどっちつかずで、スワローズでも同じような成績に終わった。与四球率が高いのが難点だった。

4 ジェイミー・ダントナ
 
(登録名:デントナ)
内野手 在籍期間:2009~10
アメリカ合衆国/1982年5月12日生/右投右打
元有望株
【NPB】217試合 打率.263 安打180 本塁打36 OPS.795
【MLB】18試合 打率.177 安打3 本塁打0 OPS.440

============ 選手紹介 ============

 2008年にマイナー時代にオールスターに選ばれ、ホームラン競争では元オリックスのヘスマンと激戦の末に優勝した経験がある元プロスペクト。メジャー昇格前から将来の主軸候補と期待されていたが、メジャーデビューした08年シーズン終了後にスワローズと契約。もう2~3年メジャー定着を目指しても良かったのではと感じるほど、思い切った決断だった。

 日本では1年目に月間MVP(2009年7月)に選出されたが、打てない時期は全然ダメで、クリーンナップを打たせるには不安定過ぎた。宮本慎也がいたため本職でないファーストを守らざるを得なかった(本職のサードも低評価だったが)ことや、右投手を苦手にしていた点がチーム事情に合っていない選手だった。

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70 エウロヒオ・デラクルス
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1984年3月12日生/右投右打
160km/h
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率7.84 BB/9 0.9 K/9 3.5
【MLB】26試合0勝0敗0S 防御率8.16 BB/9 7.3 K/9 5.6

============ 選手紹介 ============

 メジャーでも日本でも開花しなかった未完の大器。常時150km/h中盤のフォーシームを投げられるパワーピッチは魅力的だったが、ホラー級のノーコンが改善する兆しは無かった。メジャーリーグでは2007年に物議を醸したミゲル・カブレラ&ドントレル・ウィリスの超大型トレードの交換相手6人のうちの1人だった。

 スワローズではビザの発給が遅れて消化不良の1年を過ごした。二十代半ばだった年齢に加え、調整不足でシーズン入りしたことを考慮して契約延長しそうだったが経費削減でご破算に。日本を離れてから10年以上アメリカと中南米でプレーしていたが、2021年の春に心臓発作で死去。

18 リッキー・バレット
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1981年3月9日生/左投左打
【NPB】7試合0勝1敗0S 防御率7.15 BB/9 7.9 K/9 4.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ビデオ映像を見て獲得を決めたマイナーリーガー。オープン戦が始まる前から球威と制球力ともに一軍で通用しないと懐疑的な見方が出ていた。レギュラーシーズンでは7試合出場機会を得られたが打ち込まれ、ヒジを痛めてクビになった。

 メジャー経験がないので活躍できなかったのはある意味仕方ないと思うが、獲得プロセスと年俸(5000万円)の設定は大問題の人選だった。

42→78 ディッキー・ゴンザレス
投手 在籍期間:2004~08(巨人09~12,ロッテ13)
プエルトリコ/1978年12月21日生/右投右打
WBC2006
【NPB】143試合45勝41敗0S 防御率3.55 BB/9 1.9 K/9 6.4
(ヤク) 67試合18勝20敗0S 防御率3.86 BB/9 1.7 K/9 6.6
(巨人) 72試合27勝19敗0S 防御率3.19 BB/9 2.0 K/9 6.3
(ロッテ) 4試合0勝2敗0S 防御率8.10 BB/9 1.4 K/9 5.4
【MLB】20試合3勝2敗0S 防御率5.02 BB/9 2.6 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 球は速くないが与四球の少ない確かなコントロールを持っていた先発右腕。2006年WBCプエルトリコ代表。

 2004年途中からヤクルトに入団。出場機会は多くなく、06年はガトームソンとの交替ローテを組まされた。ガトームソンの方は不満爆発して辞めていったのに対し、ゴンザレスはチーム残留を望んだのが大きく、ブロスやホッジスより在籍期間が長くなる予想外のサバイバル能力を見せた。トミー・ジョン手術を受けることになったのが2年契約を結んだ直後だったのは幸運だった。

 09年から巨人に移籍。最後に2013年にロッテを退団するまで、日本での生活は実に10年近くに上った。

2 アダム・リグス
内野手 在籍期間:2005~08
アメリカ合衆国/1972年10月4日生/右投右打
期待以上
【NPB】316試合 打率.281 安打318 本塁打59 OPS.829
【MLB】61試合 打率.216 安打33 本塁打3 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 アナハイム・エンゼルスでメジャー定着をアピールも叶わず、2005年にスワローズに入団。06年に当時は珍しい強打の2番打者として打線の中核を担い、39本もスタンドに叩き込んだ。

 オフに2年契約を結んだ途端に急に打てなくなり、07年は打撃不振。岩村明憲がメジャー挑戦で抜けた年だったため、リグスの予想外の不振はチームに大打撃を与えた。契約最終年には巻き返すかと思いきや、海の向こうで”ミッチェル・リポート”と呼ばれる禁止薬物の報告書にリグスの名前が書かれていることが判明し、野球に集中できない立場に置かれたのだろう。守備走塁にやる気が見られず、高田監督の逆鱗に触れて夏場にクビになった。スワローズには痛すぎるリグスとの2年契約だった。

69 ショーン・ダグラス
投手 在籍期間:2008(広島06~07)
アメリカ合衆国/1979年4月28日生/右投右打
【NPB】26試合11勝8敗0S 防御率3.54 BB/9 2.8 K/9 6.0
(広島) 20試合9勝6敗0S 防御率3.41 BB/9 2.8 K/9 6.5
(ヤク) 6試合2勝2敗0S 防御率3.94 BB/9 3.1 K/9 4.5
【MLB】54試合7勝13敗0S 防御率6.11 BB/9 4.9 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

34 ダニエル・リオス
投手 在籍期間:2008
スペイン/1972年11月11日生/右投右打
問題児
【NPB】11試合2勝7敗0S 防御率5.46 BB/9 3.6 K/9 5.2
【MLB】7試合0勝1敗0S 防御率9.31 BB/9 7.4 K/9 6.5

============ 選手紹介 ============

 スペインのマドリードで生まれ、アメリカで育った先発右腕。キューバ人の両親を持つ。ニューヨーク・ヤンキース傘下に所属、一時期はチーム傘下で9番目の有望株(Baseball America)にランクされたが、メジャーデビュー戦で最初の2人連続でホームランを浴びる大炎上。評価が急落してメジャーの座を追われた。

 2002年からKBO(韓国プロ野球)に移ると先発ローテで活躍。2球団でプレー期間は6シーズンになり、2007年には斗山ベアーズで22勝5敗・防御率2.07の好成績でMVPや最優秀防御率などを獲得した。

 翌年、KBOを卒業したリオスはNPBにキャリアアップを図り、スワローズに入団。2年契約を結んでいたが、2勝7敗・防御率5.46と大誤算だったうえに6月下旬に薬物検査に引っかかった。しかも自らステロイド使用を認めており(大抵の選手は身に覚えがないと否定する)、即刻解雇された。

45 ウィルソン・バルデス
 
(登録名:ウィルソン)
内野手 在籍期間:2008
ドミニカ共和国/1978年5月20日生/右投右打
【NPB】29試合 打率.256 安打20 本塁打1 OPS.633
【MLB】439試合 打率.236 安打270 本塁打6 OPS.594

============ 選手紹介 ============

 北京五輪で不在になりそうな宮本慎也の穴埋め要因だったドミニカン遊撃手。メジャー定着できず2008年に韓国(起亜タイガース)でプレーするも打撃不振で5月に解雇、直後にスワローズが入団交渉に乗り出しすぐに獲得が決まった。韓国時代よりはマシな成績を残したが、この年はガイエルとリグスが揃って長期離脱。最多本塁打が青木宣親14本という惨状だったため、結果論だがもっと打力がほしかった。

 退団後は来日前よりメジャーでの出場機会に恵まれ、フィリーズでは黄昏時のジミー・ロリンズとショートのレギュラーを争った。2011年には延長19回に登板して野手なのに勝利投手に。

3 アレックス・ラミレス
外野手 在籍期間:2001~07(巨人08~11,DeNA12~13)
ベネズエラ/1974年10月3日生/右投右打
大活躍 期待以上 優良助っ人
【NPB】1744試合 打率.301 安打2017 本塁打380 OPS.859
(ヤク) 982試合 打率.301 安打1184 本塁打211 OPS.852
(巨人) 569試合 打率.307 安打666 本塁打148 OPS.907
(DeNA) 193試合 打率.276 安打167 本塁打21 OPS.732
【MLB】135試合 打率.259 安打86 本塁打12 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 ラミちゃんの愛称で引退後も広く親しまれている歴代最高レベルの助っ人外野手。来日したのは2001年。外国人としてはペタジーニの影に隠れていたが、安定した打撃成績を継続。ペタジーニ退団直後の2003年に4番を任されると、打率.333・40本・124打点・OPS.988を叩き出しホームランと打点の二冠、ベストナインを獲得する大躍進を見せた。

 2007年まで主軸にふさわしい打撃成績を残し続けた。ヤクルト最終年になった07年は外国人選手と右打者ではいずれも初めてのシーズン200安打をマークする好成績を残しながらもオフに単年契約しか提示されなかったため、スワローズを退団→巨人入りが決まった。来日時は14歳年上の奥さんと一緒だったが、いつの間にか7歳下の日本人に変わっていて驚いた。

Embed from Getty Imagesプロ入りしたクリーブランド・インディアンスではマニー・ラミレスの控えの立ち位置だった

49 アレックス・ラミレスJr.
投手 在籍期間:2005~07
アメリカ合衆国/1983年9月1日生/両投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アレックス・ラミレスの義理の息子。野球経験が無いのに義父を頼って来日し、コネ入団で3年契約を結んだ。来日最初の春季キャンプ2日目に筋肉痛でダウンしたことを思えば、3年目には130km/hが投げられるまでに成長していたのには感動した。ラミレスSr.の退団と同時に契約終了した。

29 セス・グライシンガー
投手 在籍期間:2007(巨人08~11,ロッテ12~14)
アメリカ合衆国/1975年7月29日生/右投右打
元有望株 大活躍
【NPB】139試合64勝42敗0S 防御率3.16 BB/9 1.5 K/9 6.4
(ヤク) 30試合16勝8敗0S 防御率2.84 BB/9 1.3 K/9 6.8
(巨人) 71試合31勝22敗0S 防御率3.45 BB/9 1.6 K/9 6.3
(ロッテ) 38試合17勝12敗0S 防御率2.93 BB/9 1.5 K/9 6.2
【MLB】42試合10勝16敗0S 防御率5.51 BB/9 3.1 K/9 4.7

============ 選手紹介 ============

 バージニア大学のジュニア(3年生)に上がる前のケープコッド・リーグ(夏季リーグ)で突然ブレイクし、その後のリーグ戦でも好成績を残して一気に全国レベルに名前が売れる。アトランタ五輪の代表に選ばれ、ドラフトでは1巡目(全体6位)指名でプロ入り。1997年にはBaseball Americaの有望株ランキング全体55位の高評価を得たが、1999年にヒジを故障し、丸3年間マウンドから遠ざかった。

 このケガが尾を引き、2004年にミネソタ・ツインズの先発ローテ入りのチャンスを掴んだが、シーズン途中に放出。翌年韓国へ渡って起亜タイガースで1年投げてからスワローズに入団した。

 ヤクルトでは当初ディッキー・ゴンザレスと変則交替ローテを組まされそうになっていたが、相方?がトミー・ジョン手術で出られなくなったため、無事に単独で投げることに。シーズントータル16勝8敗・防御率2.84と文句のつけようのない成績を残してくれた。

 ただ、4000万円だった年俸は当然大幅アップが予想され、渋いヤクルト球団は引き止め資金を出せず。阪神やSBも獲得競争に参戦したらしいが、在京で勝てるチームを希望していたのが決め手となり、巨人に移籍していった。マイナー時代に結婚した奥さんはやり手の女社長。

34 ブライアン・シコースキー
投手 在籍期間:2007(ロッテ01~03,08~09,巨人04~05,西武10~11,13)
アメリカ合衆国/1974年7月27日生/右投右打
【NPB】438試合37勝34敗58S 防御率3.10 BB/9 2.6 K/9 8.9
(ロッテ) 215試合22勝22敗19S 防御率3.33 BB/9 2.4 K/9 8.7
(巨人) 132試合12勝4敗5S 防御率2.99 BB/9 3.0 K/9 10.0
(ヤク) 29試合1勝2敗1S 防御率2.29 BB/9 2.7 K/9 8.7
【MLB】40試合4勝5敗0S 防御率5.40 BB/9 4 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 ロッテに入団してから巨人に移籍し、楽天入団を翻して1年間メジャーで過ごしたあとスワローズに入って再びロッテで投げ、最後に西武でタイトルを獲得したリリーフ右腕。マウンドに上がった4球団の中では在籍年数が短く、本人もヤクルトでの思い出は残っていないであろう(失礼)。

34 リック・ガトームソン
投手 在籍期間:2005~06(SB07~08)
アメリカ合衆国/1977年1月11日生/右投右打
期待以上
【NPB】81試合27勝29敗0S 防御率3.52 BB/9 2.3 K/9 5.8
(ヤク) 41試合17勝15敗0S 防御率3.33 BB/9 2.3 K/9 6.3
(SB) 40試合10勝14敗0S 防御率3.74 BB/9 2.3 K/9 5.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 常時150km/hを計時するファストボールに多くの変化球を操る本格派先発右腕。初年度から先発ローテで安定した成績を残し、2年目には交流戦では初となるノーヒッターを達成。ただ、球団からディッキー・ゴンザレスと一軍登板⇔ファームを行き来させる交替制を組まされ、大いに不満を持っていたとされている。2年目のシーズンオフに2年総額7億円の要求を突きつけて退団、ソフトバンクに移籍した。

⇒福岡ソフトバンクホークス(2000年以降)参照

29 グレッグ・ラロッカ
内野手 在籍期間:2006(広島04~05,オリ07~10)
アメリカ合衆国/1972年11月10日生/右投右打
期待以上
【NPB】583試合 打率.290 安打600 本塁打123 OPS.901
(広島) 202試合 打率.319 安打224 本塁打58 OPS1.036
(ヤク) 103試合 打率.285 安打108 本塁打18 OPS.836
(オリ) 278試合 打率.272 安打268 本塁打47 OPS.829
【MLB】39試合 打率.261 安打23 本塁打0 OPS.689

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

◇2005年までに在籍した外国人選手
63 片山文男
投手 在籍期間:2003~05
ブラジル/1984年8月6日生/右投右打
日本に帰化 日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジルのヤクルトアカデミーから日章学園(宮崎県)に入学。瀬間仲ノルベルトとともに甲子園で活躍した日系ブラジル人投手。高校時代から150km/hを投げれたと評判になっていたが、入団後はケガでマウンドに上がれなかった。

34 ジェイソン・ベバリン
投手 在籍期間:2003~04(横浜06)
アメリカ合衆国/1973年11月27日生/右打左打
【NPB】49試合17勝19敗0S 防御率5.08 BB/9 3.8 K/9 6.7
(ヤク) 41試合17勝15敗0S 防御率4.27 BB/9 3.8 K/9 6.5
(DeNA) 8試合0勝4敗0S 防御率11.13 BB/9 4.2 K/9 8.1
【MLB】7試合0勝3敗0S 防御率8.69 BB/9 4.1 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 身長196cmから投げ下ろすファストボールと縦割れカーブで結構通用していた先発右腕。2年とも約20試合・100イニング超マウンドに上がり、2004年には月間MVP(6月)を獲得してオールスターにも選出されたが、2年連続で右ヒジ痛でシーズン終了を繰り返した。ケガがなければ何年も2ケタ勝利ができそうな惜しい投手だった。

49 トニー・マウンス
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1975年2月8日生/左投左打
【NPB】12試合3勝6敗0S 防御率6.05 BB/9 4.9 K/9 6.7
【MLB】11試合1勝5敗0S 防御率7.11 BB/9 4.4 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 入団直前の年に11試合MLBで投げたメジャーリーガーだが、ヤクルトでもボコボコに打たれた。速球とカーブしか持っていなかった。

7 ビリー・マーチン
外野手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1976年6月10日生/右投右打
【NPB】71試合 打率.241 安打39 本塁打6 OPS.776
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー経験のない打撃がウリの内野手。入団前年の秋季キャンプでテストを受けて入った。スワローズでは空きポジションの都合で外野を守らされた。

 テスト合格で入った選手ながら71試合に出場。低打率のわりにOPS.776と今ではそれなりに評価されそうな打撃成績を残したが、パワー面と40%近い三振率の印象が悪かった。

42 ツギオ佐藤
 
(登録名:ツギオ佐藤→ツギオ)
内野手 在籍期間:1999~03
ブラジル/1980年10月25日生/右投右打
日本に帰化 日系人 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ユウイチと一緒に入団したブラジル国籍の日系人選手。元阪急ブレーブスの佐藤滋孝を叔父に持ち、父親が母国のヤクルトアカデミーの代表を務めている縁でスワローズに入った。

 二軍でバッティングを成長させていくが、ペタジーニやアレックス・ラミレスの2人が鉄板だったため、一軍昇格が絶望的な状況だった。出場機会を得るために日本に帰化したが、申請が通る前に戦力外になってしまった。

 退団後は元上司の野村克也がGM兼監督を務めるシダックスに入社。現役晩年のオレステス・キンデランやアントニオ・パチェコの両レジェンドキューバ人とクリーンナップを組んだ。

58 ケビン・ホッジス
投手 在籍期間:2001~03(楽天05)
アメリカ合衆国/1973年6月24日生/右投右打
期待以上
【NPB】82試合29勝32敗0S 防御率4.63 BB/9 3.7 K/9 4.9
(ヤク) 64試合27勝20敗0S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.1
(楽天) 18試合2勝12敗0S 防御率6.44 BB/9 4.8 K/9 4.0
【MLB】13試合0勝0敗0S 防御率5.19 BB/9 6.2 K/9 3.6

============ 選手紹介 ============

 動く速球で的を絞らせず、6イニングで降板して中4日で投げる… 2000年まで在籍したハッカミーと似たようなピッチングをしていた(利き腕は違うけど)。2002年のスワローズは石井弘寿、五十嵐亮太、高津臣吾のリリーフが鉄壁で、投球スタイルと相性抜群だったホッジスは17勝8敗で最多勝を獲得した。ただ、翌シーズンはテリー・ブロス以来となる助っ人開幕投手に指名されるも成績を落とした。

44 トッド・ベッツ
内野手 在籍期間:2003
カナダ/1973年6月24日生/右打左打
【NPB】112試合 打率.287 安打117 本塁打15 OPS.790
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 5年もの期間を3Aで過ごしながらもメジャーリーガーになれなかったカナダ人内野手。日本では打率.287・15本塁打と悪くない打撃成績を残すも、前任者がペタジーニだったせいで「大砲としては迫力不足」のためクビになった。

 ちなみにアレックス・ラミレスとはクリーブランド・インディアンスとその傘下のマイナーで何年も一緒にプレーしてきた旧知の仲。とある試合後に番記者に「アメリカではラミレスは年上だったのに、日本に来たら年下になっていた」と語ったことがある。

9 ロベルト・ペタジーニ
内野手 在籍期間:1999~02(巨人03~04,SB10)
ベネズエラ/1971年6月2日生/左投左打
大活躍 期待以上
【NPB】837試合 打率.312 安打882 本塁打233 OPS1.051
(ヤク) 539試合 打率.321 安打595 本塁打160 OPS1.091
(巨人) 217試合 打率.305 安打218 本塁打63 OPS1.049
(SB) 81試合 打率.261 安打69 本塁打10 OPS.772
【MLB】242試合 打率.227 安打83 本塁打12 OPS.722

============ 選手紹介 ============

 アメリカでは毎年3Aで打率3割に高いOPSを叩き出していながら、所属チームに不動のファーストがいたためチャンスに恵まれなかった。メッツ時代はジョン・オルルードが、レッズではオールスター選手に成長する22歳のショーン・ケイシーがほぼフル出場していた。1999年にヤクルトに入団する何年も前からNPB球団から獲得の打診があったと言われている。

 入団前年のスワローズは2年目のジンクスに嵌ったホージーや池山隆寛の不振で打線が停滞。4位に終わったチームを再建すべく若松新監督のもと、ホージーとアンソニーを解雇してペタジーニ(とマーク・スミス)を入団させた。どちらかというとスミスの方が経歴は格上だったが、日本ではペタジーニが圧倒。広角に長打を飛ばし、1年目から打率.325・44本塁打・OPS1.146の驚異的な成績を残し、松井秀喜やボビー・ローズを引き離してホームラン王を獲得。2002年までの4年間で打率.321・160本・OPS1.091、2001年にはMVPに輝いたほか毎年のように打撃タイトルとベストナインを争った。ペタジーニがいれば向こう10年助っ人とファーストは心配無しと言われていた。

 だが、そんな皮算用も思ったより早く終わりが来た。01年あたりから何かと腰痛を理由にサボるようになり、段々と我儘がエスカレート。02年に高年俸を理由に契約を見送られた。翌年から巨人に在籍。清原和博とポジションが被るため外野を守らされ、ホームベースを軽々と超える強肩を見せつけた。

 プレー以外では25歳年上のオルガ夫人が有名だった。小学校の友人の母親であり30年近く共に過ごしたが、ペタジーニの浮気で離婚した。

Embed from Getty Images我慢して使えばきっとメジャーでも活躍していたように思う

50→68 ロドリゴ宮本
 
(登録名:リーゴ)
投手→外野手 在籍期間:2000~02
ブラジル/1981年2月16日生/右投右打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ユウイチやツギオに1年遅れて入団した日系ブラジル人選手。サンパウロ出身。当時は数少ない150km/hを投げられるパワーピッチャーと期待されていた。だが肩のケガで外野手に転向も、1軍に昇格することなく退団した。その後は日本に留まり社会人野球のチームでプレー。

34 アラン・ニューマン
投手 在籍期間:2001~02(広島03)
アメリカ合衆国/1969年10月2日生/左投左打
【NPB】73試合5勝8敗0S 防御率4.38 BB/9 3.2 K/9 6.5
(ヤク) 59試合5勝7敗0S 防御率3.82 BB/9 2.9 K/9 6.5
(広島) 14試合0勝1敗0S 防御率7.77 BB/9 5.3 K/9 6.5
【MLB】19試合2勝2敗0S 防御率7.94 BB/9 5.3 K/9 10.6

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

64 ジョナサン・ハースト
投手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1966年10月20日生/右投右打
元有望株
【NPB】22試合1勝1敗0S 防御率5.97 BB/9 2.9 K/9 3.4
【MLB】10試合1勝2敗0S 防御率8.20 BB/9 4.1 K/9 3.4

============ 選手紹介 ============

 ニューヨーク生まれだがサウスカロライナ州の高校に通い、ドラフト4巡目でプロ入り。1992年のBaseball Americaの有望株ランキング全体91位にランクされたが、メジャーでは通算10試合登板に留まった。その後はメキシカンリーグとCPBL(台湾プロ野球)に活動の場を移し、2000年に台湾・兄弟エレファンツで16勝10敗・防御率1.82に奪三振王の好成績を残したところで日本にやってきた。

 スワローズでは常時140km/h以上のファストボールのコントロールは良かったが、34回2/3を43被安打と打ち込まれた。1年で退団後はCPBLに戻って再び好成績を残し、台湾人女性と結婚。

20 ジェイソン・ハッカミー
投手 在籍期間:1999~00
アメリカ合衆国/1970年11月24日生/左投左打
【NPB】50試合20勝12敗0S 防御率3.97 BB/9 2.3 K/9 5.6
【MLB】106試合10勝18敗1S 防御率5.34 BB/9 3.4 K/9 4.9

============ 選手紹介 ============

 ”Jacome”と綴ってどうしてハッカミーと読むのかファンを混乱させた先発左腕投手。1994年にメジャーデビュー後、通算100試合以上に登板したが定着ならず。98年に3Aで14勝2敗をマークしながらもメジャーで打ち込まれ、スワローズと契約するに至った。

 来日1年目から先発ローテ入り。ほとんど5~6回までしか投げなかったが年間通じてローテを守り切った。12勝(6敗)の数字はチーム最多だった。

 2年目も数字は前年以上の内容だったが、夏場に利き手の親指を骨折してシーズンエンド。スワローズが同じ左腕のアラン・ニューマンを取ってきてしまったため自由契約になった。

33 ドナルド・レモン
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1967年6月2日生/右投右打
【NPB】31試合3勝7敗1S 防御率3.91 BB/9 3.0 K/9 6.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 小説を書くことが趣味だった便利屋タイプの投手。CPBL(台湾プロ野球)で投げていたところを獲得した。スワローズはこれまでレモン以外にもCPBLからよく連れてきているが、日本ではほとんど通用していない。

10 トーリ・ロブロ
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1965年7月25日生/右投両打
【NPB】29試合 打率.197 安打13 本塁打1 OPS.532
【MLB】303試合 打率.224 安打165 本塁打15 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 MLB通算303試合ながら7球団でプレーしたジャーニーマン。二遊間を守れるユーティリティ性を持っていたが、来日時点で35歳。年齢には勝てず、土橋や岩村らの日本人内野手に割って入ることができなかった。

 メジャー時代に主力選手でないにも関わらずリーダーシップを評価されていて、引退後は周囲の評判通り指導者の道へ。2023年にはアリゾナ・Dバックスでナ・リーグ優勝監督へと大出世した。

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広島東洋カープ 歴代助っ人外国人①(2000~23年)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Hiroshima Toyo Carp
広島東洋カープ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
95 マット・デービッドソン
内野手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1991年3月26日生/右投右打
【NPB】112試合 打率.210 安打73 本塁打19 OPS.698
【MLB】311試合 打率.220 安打221 本塁打54 OPS.719

============ 選手紹介 ============

 MLBで通算54本塁打、高い長打力が魅力の三塁手。2018・20年にそれぞれ3試合に登板したことがあり、二刀流を目指すのではと噂されたことがある。

 カープには実績のわりに低年俸(5500万ドル)で契約。サードはしばらくレギュラー不在であり、チームの弱点の解消と30本塁打を期待されたが、112試合で打率.210・19本塁打とMLB時代と同じような成績に。9月に不振だったのも印象が悪かった。

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42 ドリュー・アンダーソン
投手 在籍期間:2022~23
アメリカ合衆国/1994年3月22日生/右投右打
【NPB】34試合7勝5敗0S 防御率3.05 BB/9 3.1 K/9 7.7
【MLB】19試合1勝3敗0S 防御率6.50 BB/9 3.5 K/9 6.1

============ 選手紹介 ============

 2022~23年にカープでそれなりに投げてくれたスイングマンタイプの右腕。来日時点では球数制限を設けつつ先発起用するという不可解な情報が流れた。

 2022年5月のNPBデビュー戦で巨人相手に7回を被安打1・7奪三振・無失点に抑えて初勝利を挙げた。ただシーズン後半にコンディション不良や新型コロナにかかり、13試合の登板に留まった。アンダーソンにとって幸いだったのは、円安やNPBのレベル向上によって実力のある先発外国人獲得が難しくなっていたこと。23年シーズンの契約更新を勝ち取った。

 23年は開幕から先発ローテ入りに成功。途中までは良かったが、6月のSB戦で右ひざの違和感を訴え、5回までノーヒッター継続中のまま降板。故障が治ってからはリリーバーに転向した。この年は比較的好成績だったが前年と逆で、なぜか契約更新されず。成績を残していたターリーとアンダーソンの退団は新外国人ガチャに未来をかける無謀な選択と、カープ球団に異論が噴出した。

68 ニック・ターリー
投手 在籍期間:2022~23(楽天24~)
アメリカ合衆国/1989年9月11日生/左投左打
【NPB】89試合9勝5敗1S 防御率2.39 BB/9 3.5 K/9 8.4
【MLB】35試合0勝5敗1S 防御率7.78 BB/9 4.3 K/9 7.6

============ 選手紹介 ============

 高校から50巡目・後ろから3番目の全体1502位でプロ入りしたリリーフ左腕。カープには2022~23年に在籍して89試合・防御率2.39を記録。ブルペン陣にしわ寄せが行きがちだった佐々岡監督采配のもとで好投していたが、一発病の気があり肝心な場面でホームランを浴びていた。クビにするような成績ではなかったが23年オフに退団、楽天に拾われた。

 ゴリゴリのクリスチャンで、かつては野球を引退後は宣教師になるセカンドキャリアを考えていた。

10 ライアン・マクブルーム
内野手 在籍期間:2022~23
アメリカ合衆国/1992年4月9日生/左投右打
【NPB】198試合 打率.255 安打172 本塁打23 OPS.749
【MLB】66試合 打率.268 安打44 本塁打6 OPS.749

============ 選手紹介 ============

 逆方向に強い打球が打てる、日本で成功すると思われたパワーヒッター。NPBではアメリカ時代とは違いファストボールに上手く対応していたが、198試合23本塁打・OPS749と平凡な成績に終わった。2年目に成績を落とすと2億円近い高年俸がネックになって退団した。

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42 カイル・バード
投手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1993年4月12日生/左投左打
【NPB】33試合0勝0敗0S 防御率4.57 BB/9 5.4 K/9 8.7
【MLB】12試合0勝0敗1S 防御率7.82 BB/9 10.7 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 2021年にカープに入団。新型コロナの影響で開幕までに来日できず、入団会見がゴールデンウィーク前にずれ込んだ。左のリリーバーとして大事な場面で投げてもらうはずだったが、敗戦処理でしか使い道がなかった。

99 ドビダス・ネブラスカス
 
(登録名:ネバラスカス)
投手 在籍期間:2021
リトアニア/1993年1月14日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率10.13 BB/9 16.9 K/9 6.8
【MLB】76試合1勝4敗0S 防御率6.81 BB/9 3.9 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 MLB初のリトアニア人プレイヤー。16歳だった2009年にピッツバーグ・パイレーツと契約した。2000年代のパイレーツはインド人のティーンエイジャー数名と契約するなど、野球希少国の選手の発掘に勤しんでいた。マイナーでは必ずしも順調ではなかったが、途中でリリーフ投手に転向したことをきっかけに2017年に初めてメジャーに昇格。初勝利もマークした。

 2021年に新型コロナの影響で来日が遅れ、5月下旬に一軍に合流。先発を任されるも3回途中で被安打3・与四球5を出してしまいKO。これが最初で最後の一軍登板になってしまった。

10 ケビン・クロン
内野手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1993年2月17日生/右投右打
【NPB】42試合 打率.231 安打30 本塁打6 OPS.701
【MLB】47試合 打率.171 安打15 本塁打6 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 兄のC.J.クロンはメジャー10年、通算187本塁打の元大物メジャーリーガー。父親も元メジャーの投手で、親戚には元捕手のチャド・モーラーがいる野球一家の生まれ。兄と同じプレイスタイルの、長打力がウリのフリースインガーの一塁手だった。

 鈴木誠也1人に頼りっきりのカープ打線のテコ入れのため、2021年に入団。他の助っ人たちとは違い、コロナの蔓延を見越して21年の正月三が日に来日。その直後に日本政府が外国人の入国を停止したため、コロナに振り回されることなくレギュラーシーズンに備えることができた。有能な一面を見せたクロンだったが、公式戦では打率.231と苦しんだ。ただ、ホームランの頻度は高かくファーストの守備も上手かった。

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70 テイラー・スコット
投手 在籍期間:2020~21
南アフリカ共和国/1992年6月1日生/右投右打
【NPB】7試合0勝3敗0S 防御率15.75 BB/9 9.0 K/9 7.9
【MLB】39試合0勝1敗0S 防御率9.00 BB/9 5.3 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 MLBでは2人目、NPBでは初の南アフリカ共和国生まれのプレイヤー。2020年にクローザー候補として獲得したが救援失敗を繰り返し、先発にもチャレンジさせたがシーズン防御率15.75に終わった。どこに期待したのかカープは契約を延長したが、2年目は一軍昇格すら果たせなかった。

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◇2020年までに在籍した外国人選手
58 D.J.ジョンソン
 
(登録名:DJ.ジョンソン)
投手 在籍期間:2020(楽天20)
アメリカ合衆国/1989年8月30日生/右投左打
【NPB】30試合1勝0敗0S 防御率3.81 BB/9 4.4 K/9 9.2
(広島) 14試合0勝0敗0S 防御率4.61 BB/9 5.3 K/9 8.6
(楽天) 16試合1勝0敗0S 防御率3.07 BB/9 3.7 K/9 9.8
【MLB】39試合1勝2敗0S 防御率4.54 BB/9 5.3 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 ”DJ・ジョンソン”と登録されていたリリーフ右腕。カープ在籍時は一軍では被打率が悪く、14試合を投げたところで9月下旬に楽天にトレードされた。金銭トレードされた外国人選手はラルフ・ブライアント以来33年ぶりだった。

 大学では一応二刀流だったが腕のケガでほぼ野手専任に。ドラフト外でプロ入り後も度々大きめのケガが続き、メジャー定着を果たせなかった。投球スタイルはフォーシームにカットボールとカーブを持っていた一方、チェンジアップがなかなか上達しなかった。左打者相手にもあまり使わず、常に左打者に苦労していた投手だった。

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10 ホセ・ピレラ
外野手 在籍期間:2020
ベネズエラ/1989年11月21日生/右投右打
【NPB】99試合 打率.266 安打84 本塁打11 OPS.723
【MLB】302試合 打率.257 安打234 本塁打17 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 2020年に広島カープに所属した打力のあるユーティリティプレイヤー。二塁手兼外野手だがカープでは一塁も守らされた。ホームランバッターではないが広角に長打を打つ能力を持っていた。カープでは11本塁打・OPS.723とほどほどの成績で1年で退団になったが、全力プレーを怠らないスタイルや明るく真面目な性格はチーム内から認められていて、帰国の日にカープの主力選手たちが空港まで見送りに来た。

 2021年からは韓国・サムスンに活躍の場を移し、主軸として大活躍した。愛称は「黒鷲」。

141→98 エマイリン・モンティージャ
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1995年10月2日生/左投左打
【NPB】3試合0勝2敗0S 防御率15.19 BB/9 6.8 K/9 13.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 純正カープアカデミー生の先発左腕。2016年にアカデミーに入り、17・18年に来日して秋季キャンプに参加。2019年からようやくカープと育成契約で入団が決まった。入団会見では知っている左腕投手がいなかったのか床田寛樹を目標としていると語ったが、19年はちょうど床田のブレイクイヤーになった。

 身長190cm・体重110kg超の巨漢から、95マイル(153km/h)のファストボールとスライダー、チェンジアップとスプリッターが投げれると言っていたモンティージャ。ウエスタンで結果を残し、19年7月に支配下登録。2度の先発機会を得たがいずれも3回持たずにKOされた。

 翌年はリリーフで1試合に登板も、またしても打ち込まれてしまい、6年契約の途中だったが2年で解雇された。

 カープ退団後はカリブの冬季リーグのほかイタリアでプレー。2023年にアリゾナ・Dバックス傘下のマイナーに所属。どの階級でも打たれているが、2024年になぜか3Aに昇格。ひょっとするとサプライズメジャーがあるかもしれない。

144 アルフレッド・メナ 
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1993年12月6日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 モンティージャと一緒に育成入団した元カープアカデミー生。同時期に入ったため「モンティージャ・メナ」という選手が入団したと勘違いするファンが出た。メナの方はシンシナティ・レッズ傘下でプレーしていたが、シングルAより上に上がれず解雇されたところをカープアカデミーに拾われた。

 カープには2年在籍。モンティージャより球は速く、制球力が向上。2年目のウエスタンでの成績をアップさせたが、育成&外国人のわりに年を食っていたせいか、2020年限りで退団となった。

58 カイル・レグナルト
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1988年12月13日生/左投左打
【NPB】52試合6勝3敗0S 防御率3.34 BB/9 5.2 K/9 10.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ハンマーカーブと呼ばれる落差の大きいパワーカーブを武器にしていたサウスポー。メッツ傘下の3Aでプレーしていたがメジャーには上がれず来日した。

 カープでは途中まで防御率0点台をキープしていたが、7月頃から別人のように打たれ出し、9月の防御率は10.00超の惨状だった。酷使されて球威が落ちたと見るか、カーブを見切られて通用しなくなったと見るかで評価が分かれたが、結局1年限りで退団となった。

 スポーツ一家の生まれだが親兄弟はレスリングをやっていて、カイルだけが野球の道に進んだ。

70 ケイシー・ローレンス
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1987年10月28日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率10.80 BB/9 7.2 K/9 5.4
【MLB】59試合4勝4敗0S 防御率6.75 BB/9 3.6 K/9 7

============ 選手紹介 ============

 ロー・スリークォーターから140km/h代後半のシンカーを多投する先発右腕。2018年オフにカープと契約。父親のフライングツイートによってNPB入りのニュースが広まった。一軍登録された7月のヤクルト戦でNPBデビュー戦を先発登板したが、村上宗隆に満塁ホームランを打たれ、5回6失点で敗戦投手に。外国人枠の関係もあり、この試合が最初で最後の一軍登板となった。

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146→99 ホアン・サンタナ
内野手 在籍期間:2019
ドミニカ共和国/1994年8月16日生/右投右打
【NPB】13試合 打率.182 安打6 本塁打0 OPS.388
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2015年からカープアカデミーで研鑽を積み、19年にようやくカープに入団したラインドライブヒッター。この年13試合に出場も打率.182。6年契約を結んでいたが1年で解雇されてしまった。同じタイプのピレラをシーズンオフに獲得したのが関係していると思われるが、ピレラも1年で退団しており、球団の外国人のコントロールには問題あり。

143→97 ヘロニモ・フランスア
投手 在籍期間:2018~22
ドミニカ共和国/1993年9月25日生/左投左打
期待以上
【NPB】178試合14勝15敗32S 防御率2.60 BB/9 4.2 K/9 11.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヒューストン・アストロズ傘下のドミニカン・サマーリーグで3年プレーするもアメリカに連れて行ってもらえず、カープアカデミーに入って修行。2018年3月に育成契約でカープに入団、5月に支配下登録を勝ち取った。

 一軍デビュー当初は先発で起用されていたが、早い段階でリリーバーに転向。8月に月間MVPを受賞した勢いはシーズン終了まで衰えず、CSファイナルステージや日本シリーズでも活躍した。2019~20年も防御率2点台中盤をマークしたが、内容的には好不調の差が激しく、1死も取れずに降板するピッチングを何度も見せられたファンにとっては数字より安定感の無い印象だった。

 2021年は新型コロナ陽性反応で来日が遅れ、オープン戦の時期には右ヒザの手術で長期離脱。この影響が22年にも響き、最後の2年間は11試合・9イニングしか投げられなかった。

 アメリカに戻ったフランスアはピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。2024年、30歳になって初めてトリプルAに昇格して常時チームに帯同。遅咲きのメジャーデビューのチャンスが到来している。

62 ジョニー・ヘルウェグ
投手 在籍期間:2018~19
アメリカ合衆国/1988年10月29日生/右投右打
【NPB】12試合1勝0敗0S 防御率0.77 BB/9 4.6 K/9 9.3
【MLB】8試合1勝4敗0S 防御率6.75 BB/9 7.6 K/9 2.6

============ 選手紹介 ============

 メジャー時代から四死球を出しまくっていた右のサイドスロー投手。マイナー時代にザック・グレインキー対ジーン・セグラら3名の交換トレードの駒としてブリュワーズに移籍し、2013年にメジャーデビュー。初登板で2回途中KOをはじめ炎上を繰り返し、K/BB(奪三振÷与四球)は驚愕の0.35、死球も30イニングで8個も記録してしまった。

 カープには2018年の途中に加入。緒方監督からは勝ちパターンでの登板を期待されていたが、制球難がひどく9月になるまで一軍デビューを待たねばならなかった。8イニングで6四死球を与えていたが日本シリーズに4試合も起用され、2回1/3で5与四死球に投ゴロの処理ミスで失点と足を引っ張った。

 2019年も再契約したものの、球団は外国人枠を持て余して二軍漬けにされた。

142 ヨハン・タバレス
 
(登録名:タバーレス)
投手 在籍期間:2018(中日22)
ドミニカ共和国/1994年11月8日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率6.00 BB/9 6.0 K/9 12.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドミニカンサマーリーグのロイヤルズ傘下のチームで1年投げたがクビになり、カープアカデミーに拾われた。2018年にカープに育成入団も、ウエスタンリーグでも打たれて戦力外通告となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

70 レオネル・カンポス
投手 在籍期間:2018
ベネズエラ/1987年7月17日生/右投右打
【NPB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 9.0 K/9 0.0
【MLB】38試合1勝0敗0S 防御率4.74 BB/9 5.6 K/9 10.1

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算38試合。メジャー定着できずに2018年にカープに入団したリリーフ右腕。2017年のWBCではベネズエラ代表の入れ替え選手に登録されていた。

 2018年のカープは支配下登録の投手だけで最大5人の外国人選手がおり、入団当初から一軍でのプレー時間が取れるのか疑問視されていた。シーズンが始まると案の定ファームに塩漬けにされ、クリス・ジョンソンが奥さんの出産で離脱した時期に初めて一軍に昇格。1試合投げたと思ったらフランスアを先発登板させる方針が決まり、あっという間にファームに送り戻された。外国人枠に翻弄された助っ人の1人と言える。

70 ライアン・ブレイシア
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1987年8月26日生/右投左打
【NPB】26試合2勝1敗1S 防御率3.00 BB/9 2.4 K/9 5.7
【MLB】268試合9勝8敗10S 防御率3.88 BB/9 2.8 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 2013年に7試合だけメジャーで投げたことがあったリリーバーを2016年オフに獲得。17年シーズンに26試合に登板。ファストボールは常時150km/hを超えていたが空振りが取れず、狙い打ちされ手痛い敗戦に繋がる試合がいくつかあった。

 退団した翌年からレッドソックスでメジャー定着。特に復帰1年目の2018年は勝ち試合の大事な場面を任され防御率1.60、ポストシーズンでは9試合5ホールド・防御率1.04と大活躍。ワールドチャンピオンの一員になった。

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5 ラミロ・ペーニャ
内野手 在籍期間:2017
メキシコ/1985年7月18日生/右投両打
WBC2013
【NPB】22試合 打率.216 安打8 本塁打0 OPS.500
【MLB】341試合 打率.252 安打162 本塁打9 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 ニューヨーク・ヤンキースの元有望株だった内野手。2008年のフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に出場も、ヤンキースにはジーター、A-Rod、カノーがおり、内野のレギュラー取りは不可能だった。

 長打力はないが打率や内野守備でアピールすべくカープと契約したが、一軍外国人枠に入れなかった。

146→96 アレハンドロ・メヒア
内野手 在籍期間:2016~21
ドミニカ共和国/1993年3月10日生/右投右打
【NPB】142試合 打率.237 安打79 本塁打12 OPS.660
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 バティスタとともに練習生として来日、育成から支配下登録された元カープアカデミー生。ホームランアーティストではないが長打を打つ能力があり、内野の両コーナーを守った。二軍で四冠王に輝き、2019年までは成績を伸ばしていった。だが、さらなる飛躍が期待された20年は故障が癒えた松山竜平がファーストに、ようやくブレイクした堂林翔太がサードでレギュラーになったことでメヒアの出場機会が激減。結果を残すことができなかった。ただし、6年契約を結ぶアカデミー出身選手はほぼ途中で解雇されている中、メヒアは契約満了までプレー。日本語も通訳が務まりそうなほど上達した。

145→95 サビエル・バティスタ
内野手 在籍期間:2016~19
ドミニカ共和国/1992年1月18日生/右投右打
問題児
【NPB】263試合 打率.257 安打198 本塁打62 OPS.865
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 チームにマイナスの氣を呼び込んでしまった元アカデミー生。シカゴ・カブスのRookie級や1A-でプレーしていたがマイナー上位に上がれず、カープアカデミーで鍛え直された。2016年にカープと育成契約で入団し、ファームで経験を積んでいった。2017年にウエスタンで打率.367・21本塁打・OPS1.196の圧倒的な成績を残し、文句なしの支配下登録を勝ち取ると、6月の一軍初打席から2打席連続でホームランを放つ衝撃的なデビューを飾った。支配下初年度は11本塁打・OPS.896と育成上がりでは文句なしの数字をマークした。

 2年目も引き続き打撃で活躍。規定打席未満ながらチーム3位の25本塁打を放ち、HR/9(本塁打率)10.9はセ・リーグ2位にランクするスタッツだった。3年目は初めて開幕から一軍に帯同。4月30日の8回に放ったホームランはプロ野球では平成最後のホームランとなった。

 19年8月、禁止薬物を使用していたことが報道される。6月の時点でドーピング検査で陽性反応が出ていたことが後から発覚し、隠してバティスタを出場させ続けた球団に非難が殺到した。6ヶ月の出場停止期間のほとんどがオフシーズンだったこと、同じように薬物使用が発覚したオリックス(ジョーイ・メネセス)と楽天(ジャフェット・アマダー)が解雇しているのに対してカープは契約続行の方針を見せていたことが余計に印象を悪くさせた。謹慎期間中に参加したドミニカ冬季リーグではメンタル面が原因なのか体重激減かつ精彩を欠く姿を見せてしまう。それを見た球団は結局は契約解除に踏み切ったが、この年(2019年)は緒方監督の暴行疑惑があり、チーム成績も全日程終了後にタイガースに抜かれBクラスに。”ドッテンカープ”のキャッチフレーズ通り、3連覇から一気に転落する呪われたシーズンになってしまった。

58 ジェイ・ジャクソン
投手 在籍期間:2016~18(ロッテ20)
アメリカ合衆国/1987年10月27日生/右投右打
期待以上
【NPB】182試合10勝8敗3S 防御率2.16 BB/9 3.5 K/9 10.0
(広島) 175試合10勝8敗2S 防御率2.10 BB/9 3.5 K/9 9.8
(ロッテ) 7試合0勝0敗1S 防御率3.86 BB/9 3.9 K/9 15.4
【MLB】84試合6勝2敗0S 防御率3.78 BB/9 4.4 K/9 11.9

============ 選手紹介 ============

 ”ジャクソンスマイル”で人気を博したパワー系リリーフ右腕。アスリート性があり、大学時代は投手だけでなく内外野でも出場していた。カープでの3年間で175試合も登板して防御率2.10。ただ、毎年指標が悪化するとともに故障離脱が目立つようになっていった。プロレスが好きすぎて2018年のシーズン中にリングに上がったが、その年のオフに自由契約になったことと関係あるかは不明。

 2020年に千葉ロッテでプレーするも自宅から大麻が見つかって現行犯逮捕された。また、カープ在籍中に日本人の奥さんと結婚したが程なくして離婚。息子の親権争いが勃発、何かとお騒がせな選手であった。。


2024年は大谷に被弾


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57 仲尾次オスカル→オスカル
投手 在籍期間:2016~18
ブラジル/1991年3月28日生/左投左打
日系人 WBC2013
【NPB】25試合2勝0敗0S 防御率6.29 BB/9 2.6 K/9 4.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 沖縄出身の両親を持つ、ブラジル・サンパウロ生まれの日系人投手。ヤクルトスワローズのアカデミーで練習を重ね、2008年に白鷗大学へ留学してから日本暮らしが始まった。楽天の岡島豪郎とバッテリーを組み、所属リーグの関甲新学生野球で活躍するもドラフトでは指名漏れ。社会人の本田技研で3年投げてからカープにドラフト6位で入団した。

 カープには2016~18年に在籍。途中でヒジを下げてサイドスローに変身したが一軍登板はゼロ。18年オフに戦力外通告を受け、社会人野球に復帰した。

66 ブレイディン・ヘーゲンズ
投手 在籍期間:2016~17
アメリカ合衆国/1989年5月12日生/右投右打
【NPB】61試合7勝5敗0S 防御率3.48 BB/9 3.7 K/9 3.9
【MLB】2試合0勝1敗0S 防御率3.38 BB/9 10.1 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 140km/h後半の3種類の速球やチェンジアップを持っていたが、キレのいいスライダーに頼りがちだったリリーフ右腕。カープ初年度の2016年4月に一軍に昇格後、50試合に登板。19H・防御率2.92の好成績でジェイ・ジャクソンとともに投手陣を支えた。先発投手が不足した夏場には6度も先発でマウンドに上がっており、貢献度は大きかった。ただ、翌年は生命線のスライダーの球質が落ち、11試合で防御率6.60に終わった。

 カープを退団後はメジャー復帰を目指すも叶わず、2021年から台湾球界入り。楽天モンキーズのクローザー兼セットアップマンに定着し、CPBL新記録まであと1歩の25試合連続無失点や、107回2/3連続被弾ゼロの記録を残している。

70 スティーブ・ディレイバー
 
(登録名:デラバー)
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年7月17日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0.0 K/9 18.0
【MLB】190試合15勝9敗2S 防御率4.07 BB/9 4.7 K/9 11.2

============ 選手紹介 ============

 奪三振能力の高いリリーフ投手。MLB通算190試合登板。主にブルージェイスで投げ、2013年にはオールスターにも選ばれた経験がある。カープにはジャクソン、ヘーゲンズの保険扱いで2人とも好調だったため、ディレイバーの登板機会は2試合しかなかった。

 大学卒業後に最高位シングルA+止まりで戦力外になり、独立リーグ在籍時に右ヒジを骨折。野球から離れて故郷で高校の臨時講師を務めていた時期があった。そこからメジャーデビューを果たし、2013年にはイマキュレイト・イニングを達成。オールスター投票では選手枠最後の1人を決める”ファイナルボート”で選出された。

5 エクトル・ルナ
内野手 在籍期間:2016(中日13~15)
ドミニカ共和国/1980年2月1日生/右投右打
【NPB】413試合 打率.309 安打474 本塁打39 OPS.826
(中日) 346試合 打率.316 安打408 本塁打34 OPS.848
(広島) 67試合 打率.272 安打66 本塁打5 OPS.707
【MLB】339試合 打率.262 安打208 本塁打15 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズがダヤン・ビシエドを入団させたことで自由契約になっていたところをカープが1年契約で獲得。開幕戦から4番サードを任されたが、外国人枠を投手に3人使っていたため、エルドレッドと一軍枠を争う必要があり出場機会がドラゴンズ時代より限られてしまった。堅いはずの守備でも精彩を欠き、クライマックスシリーズでの走塁中に負傷退場したのが日本最後の試合となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

13 ジェイソン・プライディ
外野手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年10月9日生/右打左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】133試合 打率.216 安打53 本塁打5 OPS.641

============ 選手紹介 ============

 高卒でタンパベイ・レイズに入団後マイナー下部で打棒爆発したが、2008年にメジャーデビュー後は伸び悩んだ。101試合に出場した2011年だけは控え外野手としてメジャーに帯同したが、それ以外のシーズンはほとんどがマイナー生活だった。

 2016年にカープに在籍したが、外国人枠のうち3人を投手に割き、野手1枠はエルドレッドとルナが交代で一軍でプレーしていた。プライディは通年ウエスタンで過ごして打率.230・9本塁打・OPS.700。2人を差し置いて一軍に上がるには物足りなかった。

42 クリス・ジョンソン
投手 在籍期間:2015~21
アメリカ合衆国/1984年10月14日生/左投左打
大活躍 期待以上 日系人
【NPB】128試合57勝37敗0S 防御率2.76 BB/9 3.0 K/9 7.0
【MLB】7試合0勝3敗0S 防御率5.32 BB/9 4.9 K/9 8

============ 選手紹介 ============

 2015年に最優秀防御率、16年に沢村賞を受賞したカープのレジェンド外国人投手。父方の祖母が日本人。アメリカではドラフト1巡目追加補完(全体40位)でプロ入りもメジャーではファストボールが通用せず、MLB通算での登板機会は7試合のみだった。

 2015年のNPB初登板を無四球で1安打完封の衝撃デビューを飾ると、以降もエース級の働きを見せ、1年目は14勝7敗・防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。2年目には早くも開幕投手を任され、シーズン途中に異例の3年契約を締結。レギュラーシーズンを15勝7敗・防御率2.13は無冠ではあったが沢村賞の選考基準7個のうち4項目をクリアしており、外国人ではバッキー(阪神)以来2人目となる沢村賞を獲得した。なお、シーズンオフにアメリカの自宅に沢村賞のトロフィーが郵送されたが、ガラスケースがバキバキになった状態で届く憂き目に遭っている。

 3年目は故障でシーズンの半分しか出場できず、防御率も4点台に終わったが2018~19年は復調。2年連続で11勝を挙げた。しかし、6年目となった2020年は開幕から不振を極め、10試合で0勝7敗。この年限りで帰国し、翌年はどこにも所属しないまま夏場に引退を発表した。

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◇2015年までに在籍した外国人選手
144 ダニーロ・デヘスス 
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1987年2月11日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 身長196cm・100kg超の恵まれた体格を持っていた元カープアカデミー生。前田健太を目標にしていた。かつてセントルイス・カージナルス傘下に所属していたが、シングルAより上に上がれず放出され、カープアカデミーに入った。2013年にカープの練習生に昇格?後、四国アイランドリーグの高知へと派遣され、先発とクローザー両方で活躍。2015年からカープと育成選手契約を結んだ。

 ポテンシャルだけでなく練習熱心な態度は緒方監督の評価を高め、春季キャンプで一軍に割り振られた。支配下登録目前かと思われたが、オープン戦で制球難が酷く、また支配下の外国人が6人もいたため育成契約卒業はならなかった。その後、ウエスタンでもカウントを稼ぐのに苦労し、シーズン後に自由契約となった。同年にプレミア12のドミニカ共和国代表で登板した。

58 マイク・ザガースキー
投手 在籍期間:2015(DeNA16)
アメリカ合衆国/1983年1月27日生/左投左打
【NPB】51試合3勝1敗0S 防御率4.15 BB/9 4.9 K/9 9.4
(広島) 19試合0勝0敗0S 防御率2.40 BB/9 4.2 K/9 9.6
(DeNA) 32試合3勝1敗0S 防御率4.96 BB/9 5.2 K/9 9.4
【MLB】91試合1勝1敗0S 防御率7.78 BB/9 5.7 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 ぽっちゃり体系で一部ファンからは可愛いと評判があったリリーフ左腕。里崎氏に似ているとも言われていた。

 MLBではフィリーズに在籍。2007年にエース右腕のブレット・マイヤーズが離脱し、2Aに上がって間もないザガースキーがMLBにコールアップ。誰もが予想していない形でメジャー昇格を果たした。メジャー初出場となったターナー・フィールド(ブレーブスの本拠地)には家族や友人、元チームメイト達が約60人も応援に駆け付けた。デビューイヤーは25試合に登板したがヒジを痛め、その後丸2年を棒に振った。

 2010~13年にメジャー定着を狙うも叶わず、15年にカープに入団。外国人枠4人目の当落線上にいたため不規則な登板を強いられた。限られた機会では抑えていたが結局1年で退団。この人もほかの助っ人同様ハイチュウが大好きになって帰国していった。

57 ネイト・シャーホルツ
 
(登録名:シアーホルツ)
外野手 在籍期間:2015
アメリカ合衆国/1984年2月15日生/右投左打
元有望株
【NPB】65試合 打率.250 安打58 本塁打10 OPS.734
【MLB】799試合 打率.253 安打529 本塁打52 OPS.707

============ 選手紹介 ============

 ドラフト2巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツに入団し、チームで上位の有望株選手に成長。2007年にメジャーデビューを果たすと、2009年の後半にはフレッド・ルイスからレギュラーを奪い、レフトでの出場機会を増やしていった。ジャイアンツに2012年途中まで在籍し、チャンピオンリングを2個ゲットした。メジャー3球団目のシカゴ・カブスでは2013年に21本塁打を放ってレギュラーを掴みかけるも、翌年は不振でチームを追われ、2015年にカープと契約した。年俸116.2万ドルはカープの新助っ人としては最高額だった。

 外野には前年に打率.336・14本塁打・OPS.978と好成績を残したロサリオがいたが、当たり前のようにシャーホルツが一軍外国人枠に組み入れられ、開幕からスタメンで出場。しかし、事前の期待値とは裏腹に4月は打率.100を切る大不振。その後復調したかと思えば腰痛や熱中症などで細かく離脱を繰り返した。チャンスに打てなかったのも悪印象で、1年で退団となった。

 カープ退団後は再びメジャーを目指したが禁止薬物(HGH)使用が発覚。80試合の出場停止処分を受け、事実上引退となった。ちなみに、1990年代にアトランタ・ブレーブスを常勝軍団に作り上げたジョン・シャーホルツ元GMの息子ではない。

13 ヘスス・グスマン
内野手 在籍期間:2015
ベネズエラ/1984年6月14日生/右投右打
【NPB】34試合 打率.230 安打23 本塁打3 OPS.756
【MLB】403試合 打率.247 安打249 本塁打25 OPS.706

============ 選手紹介 ============

 ”投手天国”ペトコパークにフィットするラインドライブヒッターとしてサンディエゴ・パドレスの準レギュラーに定着。毎年100試合前後出場していた。もともとは一塁手だったが、途中でマニー・マチャドの義理の兄ヨンダー・アロンソが入ってきたため、外野を守らされてよくエラーをしていた。

 カープには年俸100万ドルの1年契約で入団。開幕戦は4番を打ったが、シーズン序盤にケガで戦線離脱。その間にエルドレッドが復帰&シアーホルツが途中加入して二軍漬けになった。

70 ダンテ・ヒース
投手 在籍期間:2014~15(西武18~19)
アメリカ合衆国/1985年8月28日生/右投右打
期待以上
【NPB】126試合12勝10敗19S 防御率2.66 BB/9 3.4 K/9 10.0
(広島) 50試合6勝6敗4S 防御率2.36 BB/9 3.8 K/9 9.3
(西武) 76試合6勝4敗15S 防御率3.04 BB/9 2.8 K/9 11.0
【MLB】8試合0勝0敗0S 防御率10.24 BB/9 12.1 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 2014年7月下旬のトレード期限間際にカープと契約。7試合に先発登板・3勝0敗・防御率2.38、クライマックスシリーズでも登板し、期待以上の好成績を残した。翌15年はクローザーに抜擢されるも、不安定なピッチングでミドルリリーフに降格、二軍にも落ちた。ヒースの配置転換が失敗したことで、クローザー中﨑が誕生した。

 パワーピッチ系の黒人選手に多い、150km/h台のファストボールにスライダーやツーシーム、スプリッターを混ぜるピッチング。カーブやチェンジアップも持っていて、日本人打者には結構通用していた。なお、入団時の会見で「(タイガースの)マウロ・ゴメスを抑えたこともある」と語ったが、アメリカでの対戦成績は被打率6割超。確かに10回に3回は打ち取っているので、ウソは言っていない。

69 ライネル・ロサリオ
外野手 在籍期間:2014~15
ドミニカ共和国/1989年3月29日生/右投右打
期待以上
【NPB】111試合 打率.309 安打112 本塁打16 OPS.873
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 外国人枠に阻まれた俊足とパワーがウリの苦労人。ドミニカ共和国出身のロサリオは、2006年に国際FAでセントルイス・カージナルスと契約したが、AAまでしか昇格できずリリース。23歳になっていたロサリオをカープアカデミーが拾い、2014年の春のキャンプ期にカープに支配下登録された。4月下旬に一軍に昇格すると、周囲の予想を上回る打撃を見せる。5月の試合では4打数4安打1ホーマーと大暴れしたが、キラが戦列復帰と入れ替わりにウエスタンに降格となった。その後も”一軍”メンバーの離脱に付き合わされる形で昇降格を繰り返しながらもサヨナラ3ランやサイクルヒットを達成。1年目は69試合に出場、打率.336・14本塁打・49打点・OPS.978の好成績でシーズンを終えた。

 2年目は開幕前に盲腸にかかる幸先の悪いスタート。シーズントータルで実に5回も一軍とファームを昇降格させられ、出場試合数は42試合に減少した。4年契約を結んでいたが、さすがにロサリオのモチベーションは無くなっており、2年目のシーズン限りで退団となった。

 得意のバッティングで結果を残したものの、外野守備に難があるという減点方式で出場機会が限られた感があった。それならエルドレッドはともかく松山の守備もどうかと思うが、2014~15年のカープは外国人を7人抱える異様なロースター編成であり、15年には外野手のシアーホルツを新外国人としては歴代最高年俸で迎え入れ、ロサリオにとっては厳しい時期に在籍してしまった。雑な扱いを受けていなければどれだけオフェンス面で成績を残したのか、通年プレーさせてあげたかった選手であった。

58 ザック・フィリップス
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1986年9月21日生/左投左打
【NPB】9試合1勝0敗0S 防御率3.27 BB/9 2.5 K/9 5.7
【MLB】27試合0勝1敗0S 防御率3.22 BB/9 3.6 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 緒方監督の外国人だぶらせ構想で飼い殺しにされたリリーフ左腕。ザックが在籍した2014年の外国人は投手がバリントン、ミコライオ、ヒース、野手がエルドレッド、キラ、ロサリオが所属。7人も抱えるロースターだったため、4人までしか認められない一軍で彼の登板機会はたった9試合。ウエスタンでは防御率0.26と圧倒しセーブ王(17S)を獲得していて、飼い殺しのお手本のような立場に置かれていた。

 年齢的にも成績的にも残留すると思われたが、チームは14年オフに同じ左腕のKJとザガースキーを獲得。反発するかのように退団していった。キアヌ・リーヴス似。

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13 キラ・カアイフエ
 
(登録名:キラ)
内野手 在籍期間:2013~14
アメリカ合衆国/1984年3月29日生/右投左打
【NPB】154試合 打率.258 安打132 本塁打25 OPS.802
【MLB】126試合 打率.221 安打91 本塁打15 OPS.687

============ 選手紹介 ============

 ハワイ出身の元一塁手。打力がウリで選球眼に優れていた。AAのテキサスリーグでMVPを受賞したが、デビューしたロイヤルズではエリック・ホズマーがレギュラーの座をゲットしたためチャンスが無かった。

 カープには2013年の夏に途中入団し、66試合ながら14本塁打・OPS.840をマーク。14年は前半戦は常時スタメンで出場してオールスターに選出されるも、後半はケガとライネル・ロサリオが打ちまくったため居場所を失った。

 弟のカラ・カアイフエJr.はマイナーで7年間プレー。父のカラSr.も元マイナーリーガーで、3Aのハワイ・アイランダーズ時代にはデュプリーと同僚だった。

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58 ミゲル・ソコロビッチ
投手 在籍期間:2013
ベネズエラ/1986年7月24日生/右投右打
【NPB】11試合0勝2敗0S 防御率0.79 BB/9 3.2 K/9 4.8
【MLB】74試合5勝3敗1S 防御率4.62 BB/9 3.1 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 テイクバックの小さい、いわゆる出どころが見えずらい投球フォームが持ち味だったベネズエラ人リリーバー。150km/h超の2種類のファストボールは日本向きかと思われたが、肩の違和感で2度も戦線離脱した。

41 フレッド・ルイス
外野手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1980年12月9日生/右投左打
【NPB】79試合 打率.268 安打71 本塁打4 OPS.735
【MLB】535試合 打率.266 安打415 本塁打27 OPS.747

============ 選手紹介 ============

 スピードとパワーヒッティングが持ち味の左打ち外野手。MLBで一時期レギュラーで出場し、通算27本塁打・53盗塁。いとこのマット・ロートンはMLB通算138本・165盗塁の大物メジャーリーガー。

 カープでは身体能力の高いルイスに大きな期待がかけられたが、レギュラーシーズンを調子の底の状態で迎えてしまい、外国人選手の序列を下げられてしまった。

 MLBでのデビューチームのサンフランシスコ・ジャイアンツではデビュー年にグランドスラム2本を放ち、2008年にはスプラッシュヒットも記録している。

55 ブラッド・エルドレッド
内野手 在籍期間:2012~18
アメリカ合衆国/1980年7月12日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】577試合 打率.259 安打496 本塁打133 OPS.844
【MLB】90試合 打率.203 安打56 本塁打15 OPS.674

============ 選手紹介 ============

 新井貴浩がFAでいなくなってから1人も20本をクリアできないシーズンが度々あった中、久しぶりに現れたホームランバッター。196cm/120kg後半の巨体から放つ打球はカープの野手では際立っていた。故障離脱が多かったのは残念だが、オールスターにも2度選出。2014年に37本塁打で初のタイトルを獲得した。引退するまでの6年半もの期間をカープに在籍したが、2年目だった2013年シーズン終了後は球団は解雇する方針だったと言われている。

 カープの歴代助っ人の中でも真面目外国人として一目置かれていた。故障離脱してウエスタンで調整中、堂林翔太ら後輩への打撃指導も惜しまなず、チーム事情で外野と一塁を行き来させられた時期には誰よりも熱心に守備練習をこなしていた。来日初年度に日本の配球に苦しんでいたとき、野村監督から英語で直接アドバイスをもらい、そこから順応するようになっていった。エルドレッド自身、通訳を介さずにコミュニケーションをとってくれたことに感謝しており、悪評が目立った野村謙二郎関連では数少ないポジティブなエピソードだった。

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57 キャム・ミコライオ
投手 在籍期間:2012~14(楽天15~16)
アメリカ合衆国/1984年5月10日生/右投右打
大活躍
【NPB】214試合11勝11敗73S 防御率2.42 BB/9 2.6 K/9 6.5
(広島) 169試合6勝10敗73S 防御率2.43 BB/9 3.0 K/9 6.7
(楽天) 45試合5勝1敗0S 防御率2.38 BB/9 1.2 K/9 5.8
【MLB】29試合0勝3敗0S 防御率4.83 BB/9 4.8 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 2メートル超の長身リリーバー。野球不毛の地?モンタナ州のド田舎で高校まで過ごし、MLB入りを目指してユタ州の大学でプレーした。シアトル・マリナーズに入団後にトレードでボルティモア・オリオールズに移籍。これはマリナーズ史上最悪のトレードと思われているエリック・ビダード1人に対して5人を差し出したトレードで、メインピースのアダム・ジョーンズやクリス・ティルマンは球宴レベルに成長。5人のうち”その他”の1人がミコライオだった。メジャーでは4年で29試合登板に留まり、2012年からカープに入団した。

 カープでは毎年50試合以上に投げ、3年で169試合に登板。1年目の途中にサファテから奪い取る形でクローザーに定着し、防御率は3年連続で2点台をマークしていた。ただし数字ほど安定して抑えていた印象はなく、脚と腰のコンディション不良が目立ってきたこともあって3年で契約を打ち切った。3人の子供は全員NPB在籍中に生まれた。

70 ニック・スタビノーア
 
(登録名:ニック)
外野手 在籍期間:2012~13
アメリカ合衆国/1982年5月3日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】66試合 打率.223 安打49 本塁打10 OPS.695
【MLB】147試合 打率.234 安打62 本塁打4 OPS.581

============ 選手紹介 ============

 登録名ニックの巨漢バッター。アメフトメインでテキサス州の短大に入学後、ジュニア(3年生)から強豪ルイジアナ州立大学に転学。短大と大学(NCAA)在学時に両方でワールドシリーズ出場のレアな経験をした。大学ではキャッチャーだったがプロ入り後は外野手→一塁手とポジションを移した。

 カープでは長年の課題の長打力不足解消のために迎え入れられた。粗さの目立つ大味なバッティングには一抹の不安を覚えたが、唯一長打が打てる存在だった栗原健太をケガで欠き、ぜいたくを言っていられないチーム状況だった。試合に出してみると開幕から打撃で貢献。誤審でファール判定されながらも3打席連続ホームランを放ち、5月までで9本塁打と及第点の活躍。しかし、6月に走塁中にヒザの靭帯をやってしまい、シーズン終了。翌年も契約延長したが、打撃不振に陥った。

 守備が苦手ながらも一生懸命にプレーする姿は好感が持てた。人格的にもマジメと評判で、ファンレターはすべて返事を出していたという。ニックが戦闘不能になって大慌てで助っ人探しをした結果がエルドレッドだったわけで、ヒザの大ケガも含めてニックの存在は大きなプラスであった。

42 ブライアン・ブリントン
 
(登録名:バリントン)
投手 在籍期間:2011~14(オリ15)
アメリカ合衆国/1980年9月30日生/右投右打
元有望株 大活躍
【NPB】124試合45勝45敗0S 防御率3.25 BB/9 2.2 K/9 6.2
(広島) 110試合40勝42敗0S 防御率3.25 BB/9 2.1 K/9 6.2
(オリ) 14試合5勝3敗0S 防御率3.30 BB/9 2.9 K/9 5.6
【MLB】26試合1勝9敗0S 防御率5.62 BB/9 3.4 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 当たり前のように中4日で投げてくれたカープ最高の助っ人投手。2002年のMLBドラフト全体1位でプロ入り。メジャーでは1勝9敗に終わり花咲かず、2011年にカープに入団。球速は145km/h前後だったが高い制球力で内野ゴロを量産。マエケンらと先発陣の一角を担った。13年にはミンチーが持っていた球団外国人勝利数(29勝)を更新し、4年間で40勝を挙げた。

 カープ最終年となった2014年はチームが7人の外国人を抱え、スタンバイしていたダンテ・ヒースに代わって二軍落ちすることもあった。恐らくそんなチーム事情に不満もあったのだろう、シーズンオフに1.3億円のオファーを突っぱね、オリックスに移籍した。

Embed from Getty Imagesメジャー通算で26試合・1勝9敗。MLBドラフト全体1位指名といえど活躍が保証されたわけではない

58 デニス・サーフェイト
 
(登録名:サファテ)
投手 在籍期間:2011~12(西武13,SB14~21)
アメリカ合衆国/1981年4月9日生/右投右打
期待以上
【NPB】427試合27勝20敗234S 防御率1.57 BB/9 2.6 K/9 11.9
(広島) 104試合3勝8敗44S 防御率2.04 BB/9 3.3 K/9 10.3
(西武) 58試合9勝1敗10S 防御率1.87 BB/9 3.7 K/9 10.3
(SB) 265試合15勝11敗180S 防御率1.31 BB/9 2.0 K/9 12.9
【MLB】92試合5勝4敗0S 防御率4.53 BB/9 6.1 K/9 9.9

============ 選手紹介 ============

 2006年にメジャーデビュー後、ミゲル・テハダの1対5のトレードの1人として3球団目となるオリオールズに移籍。まだメジャーレベルでやるには力不足だったが、当たり前のようにシーズン100敗をしていたオリオールズにはブルペン入りすることができた。2008年に通年帯同して57登板。79回2/3で86三振を奪った一方で69四死球を与える不安定な投球内容であった。MAX99マイルの速球が魅力もメジャー屈指のノーコン投手と認識されていた。

 2011年に広島に入団すると、日本のボールが手に馴染んだのかもしれない。MLBで6.1個、マイナーでも4.8個だった与四球率が2.4個にまで改善。別人のようにボールを操るようになり、当然成績は向上し、防御率1.34・35Sの好成績を挙げた。

 ところが翌年、事件と呼んでも過言ではない出来事が起こる。新加入のミコライオが戦力になる目途が立ち、サファテの前のセットアップマンの役回りになっていた。4月終わりのスワローズ戦、9回の時点で4対3の絶好のセーブシチュエーションで、野村監督はなぜかミコライオを起用。バレンティンに逆転3ランを打たれて敗れた。監督はイレギュラーな起用法を謝罪したが、サファテは明らかに不満を持っており、これ以降はかつてのマイナー時代のようなフォアボールを出すピッチングが増えていった。この年はミコライオの他にも今村のリリーフ転向が大成功しており、オフに自由契約に。退団後は西武とSBでカープ時代以上に活躍。

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35 ブライアン・バーデン
内野手 在籍期間:2011~12
アメリカ合衆国/1981年4月2日生/右投右打
【NPB】64試合 打率.281 安打59 本塁打3 OPS.739
【MLB】119試合 打率.211 安打37 本塁打4 OPS.571

============ 選手紹介 ============

 カープ入団前、4年連続でメジャーに昇格。2008年に北京オリンピックのアメリカ代表で銅メダル、09年の4月には月間最優秀新人賞に選ばれるも、メジャー定着は叶わず日本にやってきた。

 股関節を痛めて帰国したトレーシーの代わり役として2011年7月に来日。高出塁率(.368)をマークしたが期待された本塁打は3本に終わり、オフにチームは長距離ヒッター補強に本腰を入れた。ニック・スタビノーアと契約を交わし、不動の投手3人(バリントン、サファテ、ミコライオ)と野手1人体制によって出場機会大幅減の見通しとなった。昇給を勝ち取っていたがモチベーションがゼロになり、2012年は1度も一軍に登録されないまま終わった。

43 チャド・トレーシー
内野手 在籍期間:2011
アメリカ合衆国/1980年5月22日生/右投左打
元有望株
【NPB】40試合 打率.235 安打35 本塁打1 OPS.628
【MLB】938試合 打率.274 安打741 本塁打86 OPS.772

============ 選手紹介 ============

 2002・03年に2年連続でマイナーの球宴に選出。04年にアリゾナ・Dバックスでメジャーデビューしてから3年間レギュラーとして出場した。2年目には打率.308・27本塁打・OPS.911の好成績を挙げていたが、しだいに出番が少なくなってきたところで来日を決断した。

 もとはヒッティングツールに優れたラインドライブヒッター。マイナーで年間11本塁打が最多で、本来は長打を打つタイプではなかったが、Dバックス時代はホームランの出やすい球場で2年連続で20本塁打をマーク。表面上のスタッツだけ見て獲得したような節があり、カープではフィオやヒューバーと同様に長打を求められた。40試合に出場した段階で股関節を痛め、そのままアメリカから戻ってこなかった。

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140 ウィルフィレーセル・ゲレロ
投手 在籍期間:2010~11
ドミニカ共和国/1986年10月17日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープアカデミーから四国アイランドリーグに派遣され、2008~09年に長崎と徳島に所属。インディゴソックスでは後期に活躍して最優秀防御率のタイトルを獲得した。身長190cm台なかばの大柄な体格から150km/h超の速球を投げられ、ポテンシャルを買われてカープと育成契約を結んだ。

 カープでは2年間二軍でフォーム矯正を続けたが制球力に改善が見られず、2011年オフに契約解除。ドミニカに戻ってあとは一時期野球から離れていたが、立ち直りまた野球をやることを決意。再来日し、2013~15年に四国アイランドリーグの高知と愛媛でプレーした。

 現役を引退した頃には30歳になっていたゲレロだったが、日本での経歴に目を付けたSBホークスから声をかけられた。通訳兼世話人として契約し、ゲレロは若鷹寮に住み込んで活動。モイネロやコラスら大物キューバ人の会見で通訳を務め、日本の高校生の年齢でやってくる若者たちのサポートをこなしている。

91 ジャンカルロ・アルバラード
 
(登録名:ジオ→ジオ・アルバラード)
投手 在籍期間:2010~11(DeNA12)
プエルトリコ/1978年1月24日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】46試合12勝21敗0S 防御率3.53 BB/9 3.1 K/9 7.9
(広島) 38試合11勝15敗0S 防御率3.46 BB/9 2.9 K/9 7.6
(DeNA) 8試合1勝6敗0S 防御率3.92 BB/9 4.2 K/9 9.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 立ち投げのような狭い歩幅のクロスステップで投げていたプエルトリカン右腕。2009・13年のWBC代表に出場。2013年大会ではドミニカ共和国との決勝戦に先発登板するも1回で降板、負け投手になっている。

 カープでは先発ローテーション投手としてイニングを消化。一時期はマエケンに次ぐ2番手の位置づけだった。勝ち運に恵まれず、というより打線が弱すぎて抑えた割に白星が付かない投手だった。2年間で38試合11勝15敗・防御率3.46と及第点の結果を残したが、2年目にケガで稼働率が悪かったのが嫌われ自由契約となった。

 イギリス人の俳優ジョン・ハナーに似ていると言われる端正なマスクの持ち主だが、奥さんも元モデル。故郷のプエルトリコでモデル育成の学校を運営している。

◇2010年までに在籍した外国人選手
24 エリック・スタルツ
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1979年12月9日生/左投左打
【NPB】21試合6勝10敗0S 防御率5.07 BB/9 3.3 K/9 6.3
【MLB】135試合36勝48敗0S 防御率4.24 BB/9 2.5 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 ドジャースで先発投手を務めながらもなかなか定着できなかった左腕投手。カープ入りの何年も前からNPB球団からオファーが来ていたと噂されていて、中でも千葉ロッテが熱心に獲得を検討していたと言われている。7000万円の好オファーが決め手となって2010年にカープに入団。メジャーでの実績から先発で大活躍の予想もあったが、124回1/3で23被本塁打。確かにMLB時代から被弾は多めだったが、それにしてもよくフライが飛び交った。

 アメリカに帰国後は再びメジャーへ。サンディエゴ・パドレスに在籍した2013年に自己最多の33試合・203回2/3を記録。投手有利なペトコパークを味方につけて飛躍した。

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42 ビニー・チャルク
 
(登録名:チューク)
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1978年12月19日生/右投右打
【NPB】16試合2勝0敗1S 防御率5.79 BB/9 3.4 K/9 5.8
【MLB】259試合8勝15敗2S 防御率4.51 BB/9 3.5 K/9 6.3

============ 選手紹介 ============

 背中にセミが止まって離れない映像がテレビ中継され続けたリリーフ専任投手。MLBではデビューイヤーに松井秀喜から初三振をマーク、酷使に耐えうるリリーバーとして活躍していた。

43 ジェフ・フィオレンティーノ
 
(登録名:フィオ)
外野手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1983年4月14日生/右投左打
【NPB】44試合 打率.246 安打31 本塁打2 OPS.681
【MLB】58試合 打率.270 安打40 本塁打1 OPS.666

============ 選手紹介 ============

 選球眼を最も評価されているバッターなのに、カープでは打線の核として長打力を求められる。入るチームを間違ってしまった。

 引退後はアマチュア野球の指導者の道へ。チポラ大学のコーチとして活動し、近年ドラフト指名される選手が急増。指導力を買われている。

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11 ジャスティン・ヒューバー
内野手 在籍期間:2010
オーストラリア/1982年7月1日生/右投右打
元有望株 WBC2006 WBC2009 WBC2013
【NPB】80試合 打率.220 安打39 本塁打7 OPS.718
【MLB】72試合 打率.224 安打36 本塁打2 OPS.580

============ 選手紹介 ============

 WBCなどの国際大会でいつも引っ張られていたオーストラリア人内野手。野村謙二郎監督が解説者時代、ロイヤルズでプレーするヒューバーの姿を見て一目ぼれし、監督になってカープに入団させた。ただ、数年前に痛めたヒザを庇って騙し騙し野球を続けている状態で、来日前の成績も良くなかった。

 オープン戦で打率1割台半ばだったが、開幕戦もスタメンで起用。スワローズ戦限定でスラッガーに変貌することはあったが、それ以外ではいつまでも不振が続いた。途中でウエスタンに落ちたが栗原健太が死球で手首を骨折すると代役で一軍に呼び戻され、夏場に短期間活躍したもののシーズンの大部分で低空飛行が続いた。

 打線の主軸要員が結局80試合で打率.220・7本塁打に加えてチャンスに弱かった。ただそれ以上にフロントは獲得の際に難色を示し、早い段階で見切っていたものを野村監督がお気に入りだったからかいつまでも起用し続ける采配には大きな疑問が残った。

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68 申成鉉(シン・ソンヒョン)
投手 在籍期間:2009~13
大韓民国/1990年10月19日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本の野球に憧れて京都国際高校に野球留学。通算30本塁打を放ち、日韓両国で注目を集めた。2008年秋のドラフトでカープが4位で指名。SBホークスの金無英とともに韓国のアマチュアから直接NPBに入った初の選手になった。

 打撃力とスピード、強肩とウリが多かったが、カープ入団後はどちらもアピールできず。チャンスがあればどんなポジションにも挑戦したが5年で一軍昇格を果たせなかった。

 退団後は母国に拠点を移し、ハンファ・イーグルスや斗山ベアーズでプレー。一時期は捕手で公式戦に出場し、日本時代と変わらずハングリー精神を忘れない選手だった。

124→125→99 ディオーニ・ソリアーノ
投手 在籍期間:2009~11
ドミニカ共和国/1982年12月30日生/左投右打
【NPB】18試合3勝4敗0S 防御率4.08 BB/9 3.6 K/9 5.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算412本塁打のスター選手に成長したソリアーノが、晩年にカープに戻ってきた… のではなく、まったくの別人。血縁関係もない。カープアカデミーから中国・広東レオパーズに派遣され、3年間四国アイランドリーグでプレーしてからカープと育成契約を結んだ。独立リーグではファストボールが常時130km/h台だったが、カープ入団後は150km/hが出るようになり、2010年7月に支配下登録。99番を背負うと、シーズン終盤にはタイガース相手に完封。アカデミー出身投手では1996年のロビンソン・チェコ以来、久々の勝ち投手になった。

 ただ、完封勝利も内容的には球が散って的を絞られなかった感があり、コントロールはかなりアバウトだった。2011年は8試合に登板。被打率は低かったが最終登板となった巨人戦で矢野謙次に代打満塁ホームランを浴びたのがマイナス点となり、11年オフ限りで戦力外に。

43 スコット・ドーマン
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1978年2月13日生/右投右打
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率17.28 BB/9 7.6 K/9 4.3
【MLB】164試合9勝8敗1S 防御率5.32 BB/9 5 K/9 8.7

============ 選手紹介 ============

 永川勝浩につなぐセットアップマンを期待されて入団した元MLBリリーフ右腕。やや後ろに傾きタメを作る投球フォームでクイックモーションにも優れる・・・日本人投手に近い特徴を持ち、常時150km/h前後のファストボールとスライダーはNPB向きだと思われた。

 ところが蓋を開けてみれば、投げるたびに滅多打ちに遭った。6月のロッテ戦では打者6人に被安打4・与四死球2と火に油を注ぎ、1イニング15点の日本新記録樹立に一役買ってしまった。この試合までで9試合に投げて防御率17.28。オールスターまで持たずに解雇され、年俸4400万円は日割りすることなく全額お支払いされた。

22 アンディ・フィリップス
内野手 在籍期間:2009(楽天10)
アメリカ合衆国/1977年4月6日生/右投右打
期待以上
【NPB】100試合 打率.249 安打86 本塁打17 OPS.778
(広島) 74試合 打率.265 安打70 本塁打15 OPS.839
(楽天) 26試合 打率.198 安打16 本塁打2 OPS.579
【MLB】259試合 打率.250 安打139 本塁打14 OPS.679

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算269試合、初打席初球にホームラン(史上21人目)を放ったことで知られる元MLB内野手。大物揃いのヤンキースで出番が限られていたが、2006年にジェイソン・ジアンビやゲイリー・シェフィールドがケガがちになると出場機会を増やし、一時期は貴重な内野のバックアップとして活躍した。だが打撃で手首を骨折し、それが現役引退まで尾を引いてしまった。

 2009年6月、貧打に悩まされるカープに途中入団。ホームランバッターでなく、ショートは無理だがセカンドとサードはこなせる点でラロッカやシーツのような活躍を期待された。シーズンのほぼ半分の74試合出場で15本塁打・長打率.500と期待以上のパワーを発揮。にもかかわらずカープは翌年の契約を結ばなかった。なぜだ?

 9月最後の試合ではコルビー・ルイスがバント失敗の腹いせにぶん投げたヘルメットが顔に当たって負傷。守備ではほぼ初心者の外野を守らされ、普通のフライを処理しただけでスタンドから拍手が起きていた。打撃で結果を残したわりに扱いが酷かった気がする。生粋のアラバマっ子で、帰国後は母校アラバマ大学で指導者に。

Embed from Getty Images左からA-Rod、デレク・ジーター、ロビンソン・カノー、アンディ・フィリップス。

90 スコット・マクレーン
内野手 在籍期間:2009(西武01~03,04)
アメリカ合衆国/1972年5月19日生/右投右打
【NPB】434試合 打率.236 安打340 本塁打89 OPS.802
(西武) 320試合 打率.233 安打242 本塁打71 OPS.824
(広島) 114試合 打率.244 安打98 本塁打18 OPS.744
【MLB】44試合 打率.192 安打15 本塁打2 OPS.579

============ 選手紹介 ============

 西武ライオンズでは4番カブレラをサポートする役割で活躍した強打者。2009年に開幕から打線が冷え切っていた広島にゴールデンウイーク直前に入団した。シーズン終了まで出場を続けて打率.244・18本塁打。ほかの助っ人や日本人内野手たちが不甲斐ない中、及第点の成績ではあったがこの年限りで退団。lions時代に痛めた手首のケガにずっと悩まされていたらしい。

 ⇒西武ライオンズ(2000年以降)参照

70 マイク・シュルツ
投手 在籍期間:2008~11(オリ13)
アメリカ合衆国/1979年11月28日生/右投右打
期待以上
【NPB】159試合8勝8敗8S 防御率2.53 BB/9 3.2 K/9 7.5
(広島) 158試合8勝8敗8S 防御率2.55 BB/9 3.2 K/9 7.5
(オリ) 1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0.0 K/9 9.0
【MLB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 ちょっと怪しいメカニクスで身長2mから投げ下ろす速球派右腕。MLB通算1試合登板の”Cup of Coffee”選手だが、カープでは2008~11年に在籍した。

 最初の2年はセットアップマンとしてフル稼働。09年はリーグ最多ホールドの35H。速球は150km/hを計時し、統一球導入以前でありながら128イニングのうち被本塁打はタイロン・ウッズに浴びた1本のみ。被弾しないピッチングは非常に安定感があった。

 だが、2010年に腰のヘルニアを患ってからは試合に出られず、10~11年は30試合登板に留まった。退団後は2013年にオリックスにテスト入団も、1軍では1試合のみの登板に終わった。

11 コルビー・ルイス
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1979年8月2日生/右投右打
大活躍
【NPB】55試合26勝17敗0S 防御率2.82 BB/9 1.2 K/9 9.4
【MLB】233試合77勝72敗0S 防御率4.70 BB/9 2.8 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 来日前に防御率7.30ながら10勝(9敗)を挙げた先発5番手レベルの投手だったが、日本での経験を経てメジャーで4度2ケタ勝利を挙げる一流投手に成長した。ちょうど黒田博樹が渡米したタイミングで来日し、絶対埋まらないと思っていたエースの役割を全うした。カープファンにとっては神様の1人。

 2008年にカープに入団。オープン戦から公式戦初登板にかけてボークを取られまくったが克服し、以降は安定したピッチングを続けた。2年続けてオールスターに選ばれ(08年は出場できず)、奪三振王も2度獲得。ファストボールは145km/h前後もカットボール、チェンジアップ、ツーシームいずれも狙ったコースに投げ分ける技術があったため、投球テンポが非常に良かった。これは数字にも表れており、K/BBは驚異の8.02だった。

 2009年シーズンを終えて当然カープは契約延長を望んだが、夫人が病気を抱えていたほか、異国での生活にそこまで馴染めていなかったこともあり帰国した。

 翌年から古巣テキサス・レンジャースでいきなり先発ローテーションに定着。2ケタ勝利4度、200イニング超えを3度の素晴らしい実績を残した。ルイス自身、日本の投手に引っ張られてコントロールが向上し、メジャーでの成功に繋がったと考えており、カープでの2年間に感謝の気持ちを持っている。2017年に現役を引退後、古巣のレンジャースのGM補佐に就任した。

 ちなみに横浜ベイスターズの長い長い暗黒期とそのお粗末なプレーを指す”ベイス”という言葉は、2008年の交流戦でルイスと横浜の勝利数がほぼ変わらなかったことが由来。最終的にルイス4勝(無敗)に対してベイス6勝(18敗)と辛うじて横浜が勝利数で上回った。

Embed from Getty Images古巣レンジャースに戻ってからはエースに成長

34 ベン・コズロースキー
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1980年8月16日生/左投左打
【NPB】27試合2勝1敗2S 防御率5.17 BB/9 4.0 K/9 7.3
【MLB】2試合0勝0敗0S 防御率6.30 BB/9 9.9 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 MLB通算2試合のいちおう元メジャーリーガー。慢性的なリリーフ左腕不足を補うべく入団したサウスポーだったが、むしろ左打者に打たれまくっていた。1年目は打ち込まれた挙句に左ヒジの手術で自由契約になったが、減俸で残留することになった。

 翌年は1試合登板に終わって今度こそ退団。年間通じてコントロールが悪く、「ベイルの再来」とはならなかった。

25→57 スコット・シーボル
内野手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1975年5月17日生/右投右打
【NPB】150試合 打率.258 安打136 本塁打19 OPS.724
【MLB】60試合 打率.217 安打23 本塁打1 OPS.562

============ 選手紹介 ============

 タイガースにFA移籍した新井貴浩に代わる主軸候補に獲得した元MLBプレイヤー。1年目は打率2割後半・本塁打15と、乏しいメジャーでの実績を考えれば及第点の成績。翌年はマクレーンとフィリップスに出場機会を奪われ、2年で退団した。

 NPBではリーグ上位の勝利打点数を叩き出し、チャンスで結果を残したところはよかった。ただ本来は内野のユーティリティタイプ。新井の後釜としてはパワー面が足りない選手であり、フロントの人選ミスといえる選手だった。そしてシーボル以降に獲得した助っ人野手達がことごとく不振で、それならシーボルを残した方がマシだったと思える惨状になった。

90 ジム・ブラウワー
投手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1972年12月29日生/右投右打
大物
【NPB】21試合0勝2敗0S 防御率3.98 BB/9 3.5 K/9 5.8
【MLB】354試合33勝32敗5S 防御率4.67 BB/9 4 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算354試合登板、サンフランシスコ・ジャイアンツでセットアップマンを務めていた実績充分のリリーフ右腕。2004年には89試合も登板している。150km/h前後のツーシームとスライダーが基本線のピッチングスタイル。

 2008年のカープはブルペンの柱・横山竜士が離脱してしまい、トレード期限ぎりぎりの7月下旬に契約させた。オールスター後に公式戦で投げ始めたが、ツーシームはメジャー時代より2~3マイル遅く、日本の打者にも結構バットの芯で捉えられていた。シーズン終盤に素手でキャッチを試みて負傷、そのまま自由契約となった。

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43 アレックス・オチョア
 
(登録名:アレックス)
外野手 在籍期間:2007~08(中日03~06)
アメリカ合衆国/1972年3月29日生/右投右打
元有望株
【NPB】765試合 打率.289 安打847 本塁打97 OPS.794
(中日) 550試合 打率.283 安打586 本塁打75 OPS.795
(広島) 215試合 打率.304 安打261 本塁打22 OPS.792
【MLB】807試合 打率.279 安打597 本塁打46 OPS.766

============ 選手紹介 ============

 MLBで第4の外野手の立ち位置が多かった元中日の強肩外野手。2002年にシーズン途中にアナハイム・エンゼルスに移籍しワールドチャンピオンの一員となったが、翌年のシーズン前にメジャー契約を得られず。ケビン・ミラーの代役を探していたドラゴンズに入団して4年に渡って活躍した。

 ドラゴンズを退団後にレッドソックスでプレーしていたが、5月の時点で解雇されたところをカープが獲得した。同じセ・リーグということで打撃はそこそこ打っていたが、足と肩の衰えが顕著だった。リーグワーストのダブルプレーを打ち、中日時代のようなバックホームも見られなくなっていた。より微妙な成績だったシーボルが残留した一方、年齢を考慮したようでアレックスの方は08年を以って自由契約となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

123→95 エスマイリン・カリダッド
 
(登録名:カリダ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1983年10月28日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 13.5 K/9 0.0
【MLB】22試合1勝1敗0S 防御率3.09 BB/9 3.1 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 黒田博樹の”お古”を譲ってもらいプレーしていたドミニカ人右腕。カープアカデミーから育成契約で入団後、シカゴ・カブスでメジャーデビュー。日本人を差し置いて育成からメジャー昇格した初の選手になった。

 カープには2006年に入団。ウエスタンで防御率1点台をマークしていたのが認められ、一軍に昇格。2試合に投げたが投球回は0回2/3のみ。実力不足という理由で1年でクビになったが、当時まだ23歳なうえ育成枠で入団している選手。見切りが早すぎたのではないか?

48 ジャレッド・フェルナンデス
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1972年2月2日生/右投右打
【NPB】30試合3勝8敗0S 防御率6.04 BB/9 3.3 K/9 3.2
【MLB】37試合4勝7敗0S 防御率5.05 BB/9 4 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーでも希少なフルタイムナックルボーラー。日本では皆無な存在なため、招き入れたカープは思い切った決断をしたものだと当時感心した覚えがあるが、NPB初登板で5回10失点。92イニング消化も防御率6.04と振るわなかった。

 公表は体重223ポンド(101kg)とされているが+10kgはあったように見え、明らかに絞れていなかった。試合前にビールを飲む悪癖があったからかもしれない。牽制のテクニックはなぜか上手かった。

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93 ビクトル・マルテ
投手 在籍期間:2006~08
ドミニカ共和国/1980年11月8日生/右投右打
【NPB】30試合0勝2敗0S 防御率6.16 BB/9 5.0 K/9 5.9
【MLB】82試合6勝3敗0S 防御率7.05 BB/9 4.8 K/9 6.9

============ 選手紹介 ============

 ドミニカ共和国でカンザスシティ・ロイヤルズのアカデミーに所属していたが試合に出してもらえず、カープアカデミーに拾われた。2006年にカープに正式入団した。クルーンの161km/hの日本記録更新を目指したほどフォーシームに自信を持っていたが、制球難に加えてクイックが苦手だった。

 カープを退団後は再びロイヤルズとマイナー契約。09年にメジャー昇格すると、翌年22試合に登板。27回2/3を38被安打・8被弾に防御率9.76とメッタ打ちにあったが、なぜか3勝0敗と驚異の勝ち運を誇った。日本では140km/h後半だった球速は、退団後メジャーでは好調時には98~99マイルを計時していた。

21 ショーン・ダグラス
投手 在籍期間:2006~07(ヤク08)
アメリカ合衆国/1979年4月28日生/右投右打
【NPB】26試合11勝8敗0S 防御率3.54 BB/9 2.8 K/9 6.0
(広島) 20試合9勝6敗0S 防御率3.41 BB/9 2.8 K/9 6.5
(ヤク) 6試合2勝2敗0S 防御率3.94 BB/9 3.1 K/9 4.5
【MLB】54試合7勝13敗0S 防御率6.11 BB/9 4.9 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 MLB時代のキャリアハイはデトロイト・タイガース時代の2005年。イチローを7打数無安打に抑え、イチローキラーと呼ばれた。カープは2005年にも獲得を目指していたが断念、2006年にようやく獲得が叶った。

 来日1年目はデビュー戦で打ち込まれたが2戦目以降は好投を続け、勝利投手のリーグトップを争っていた。6月に7勝目を挙げたところで両スネと右ヒジを相次いで痛め、戦列復帰は9月になってしまった。20試合に登板して9勝6敗・防御率3.41と好成績も、2ヶ月にわたる故障離脱は残念だった。翌年は通年の活躍を期待されるもケガで1試合も投げられなかった。

 ジョン・ベイルとはメジャー時代から仲が良く、夫人同士も付き合いがあった。来日が決まると日本のバッターの情報を貰う手助けをしてくれた。また、ダグラス自身は大の車オタクで、MAZDAがカープのオーナーであることを知ると大いに喜んだという。

32 マイク・ロマノ
投手 在籍期間:2005~06
アメリカ合衆国/1972年3月3日生/右投両打
【NPB】58試合10勝13敗1S 防御率5.19 BB/9 4.1 K/9 5.7
【MLB】3試合0勝0敗0S 防御率11.81 BB/9 8.4 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ロジャー・クレメンス激似の投球フォームで1999年にメジャーデビューも、MLB経験はその年の3試合のみ。マイナーやメキシカンリーグで燻っていたところをカープが獲得した。

 プレー面では微妙だったが審判に暴言を吐いて退場→ブラウン監督のベース投げを導いたり、2005年はアメリカの自宅がハリケーンに襲われて途中帰国したりと話題性はあった。カープ退団後は韓国SKワイバーンズでレイボーンと再び同僚に。

◇2005年までに在籍した外国人選手
70 ケニー・レイボーン
投手 在籍期間:2005
アメリカ合衆国/1974年11月22日生/右投右打
【NPB】11試合3勝5敗0S 防御率5.06 BB/9 5.3 K/9 5.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープに入団する前はマイナーリーグで約7年プレー。特に2004・05年は連続で招待選手として春季トレーニングに参加するレベルに達したが、1度もメジャー昇格はならなかった。05年にマイナー行きが決まってしばらくしてカープと契約した。

 カープでは常時145km/h前後、最速で151km/hと安定したスピードボールを武器に、夏場に完封勝利を挙げる。しかし大事な9月の時期に大きくコントロールを乱してチームの足を引っ張った。いい時と悪い時の差が激しすぎて、首脳陣の信頼を得ることができなかった。

 カープ退団の翌年に台湾・La Newベアーズに所属。入団当初は二軍暮らしを強要されたが、クリス・ライト(元西武ライオンズ)が家庭の事情で帰国したため一軍で出るようになり、16勝5敗とエース級に活躍した。2007年には韓国・SKワイバーンズと契約し、アジア3大プロ野球を制覇。

96 エスターリン・フランコ
内野手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1980年11月25日生/右投右打
【NPB】15試合 打率.229 安打11 本塁打0 OPS.500
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヒューストン・アストロズの1A-を契約解除された後、カープアカデミーで面倒を見ることになった。2002~03年に練習生として来日。04年は提携先の中国・広東レオパーズに派遣されると、HRと打点の二冠王に打率.374の好成績。カープの二遊間が補強ポイントになっていたことが決め手になり、05年にカープに入団した。

 ウエスタンで苦戦していたが、8月にラロッカの故障離脱のスポット的に1軍に昇格。昇格前の成績は打率2割前半にホームラン無し、明らかに時期尚早だったが、1軍デビューから10試合連続安打をマークしてしまった。ただ、ランナーのいない場面でのヒットばかりで四球も選べず、打率.229・OPS.500。もともと育成ありきで契約したはずだったが、オフに契約解除に。

49 ジョン・ベイル
投手 在籍期間:2004~06,10
アメリカ合衆国/1974年5月22日生/左投左打
【NPB】136試合14勝16敗31S 防御率4.09 BB/9 3.3 K/9 9.9
【MLB】109試合3勝7敗1S 防御率4.66 BB/9 3.9 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 2度カープに所属したサウスポー。来日初年度は先発ローテーションに入って11勝10敗、翌年は奪三振能力を活かすためクローザーに配置転換された。3年目の雨の試合中に足を滑らせ下半身を故障。離脱している間に永川勝浩にクローザーを奪われ、先発として戦列復帰したが契約更新を見送られた。

 1度目の退団後、元日ハムのトレイ・ヒルマン監督のいるカンザスシティ・ロイヤルズにメジャー復帰。そこそこ投げていたが肩の調子が思わしくなく、イライラから滞在先のホテルのドアを殴って骨折した。利き手だった。

 2010年の春のキャンプが始まる頃、ベイルの妻から球団に売り込みがあり、2度目のカープ入団が実現。昔のように高い奪三振能力を期待されたが、4年前より球速が10km/h近く低下し、完全に投球スタイルが変わっていた。シーズン後半になると二軍生活の方が長くなった。

 来日初年度の2004年5月に白星を挙げているが、意外にも広島東洋カープで左腕外国人が勝ち投手になったのはベイルが初だったりする。2006年にはブラウン監督のベース投げTシャツを作成、シャレの分かる人物であった。

98 ホアン・フェリシアーノ
投手 在籍期間:2004~06
ドミニカ共和国/1980年4月6日生/右投右打
【NPB】20試合0勝4敗0S 防御率8.95 BB/9 4.8 K/9 4.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ”チェコの再来”という微妙な期待のされ方で来日した元カープアカデミー生。好調時には150km/hを計時するフォーシームとスライダーを軸に、チェンジアップやシンカーも投げられる能力は将来性を感じさせた。2002~03年に練習生として来日し、04年に正式に支配下登録された。

 2004~06年に3年間在籍。1年目から毎年のように先発登板の機会が訪れたが、マウンドに上がるとストライクが入らなくなり、甘い球を痛打されるパターンを繰り返した。06年に勝ち投手になりそうな惜しい試合もあったが、結局3年間で20試合・10先発・0勝4敗・防御率8.95と白星を挙げることができなかった。

 カープを退団後はイスラエルやメキシコでプレー。引退後にカープアカデミーの投手コーチに就任した。

43 グレッグ・ラロッカ
内野手 在籍期間:2004~05(ヤク06,オリ07~10)
アメリカ合衆国/1972年11月10日生/右投右打
期待以上
【NPB】583試合 打率.290 安打600 本塁打123 OPS.901
(広島) 202試合 打率.319 安打224 本塁打58 OPS1.036
(ヤク) 103試合 打率.285 安打108 本塁打18 OPS.836
(オリ) 278試合 打率.272 安打268 本塁打47 OPS.829
【MLB】39試合 打率.261 安打23 本塁打0 OPS.689

============ 選手紹介 ============

 シュールストロム駐米スカウトが初めて連れてきた当たり助っ人。2000年9月に”セプテンバー・コールアップ”によりメジャー初昇格・デビューを果たしたがメジャー定着できず、2004年にカープに入団した。

 中距離ヒッターの内野のユーティリティとして推定年俸2700万円と期待値は低かった。しかしシーズンが始まると嶋重宣と首位打者を狙える打撃を披露。パワー面でも前半戦だけで26本塁打を打った。後半戦に入ると4番に座り、打率.328・40本塁打・101打点をマーク。リーグ最多の23死球を稼いだことで出塁率もリーグNo.1、盗塁でもまさかのチームトップの11盗塁と予想外の活躍を見せた。

 2005年も序盤から4番に座りハイアベレージを維持していたが、守備中に指を骨折。以降、故障が続き80試合出場にとどまった。打率.303・18本塁打と出た試合では結果を残したが、オフにデイビー、レイボーンと共に戦力外通告を受けた。ブラウン監督は稼働率の低い選手を嫌っていたようだ。

58 マーク・ワトソン
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1974年1月23日生/左投右打
【NPB】19試合0勝2敗0S 防御率3.74 BB/9 3.3 K/9 8.3
【MLB】11試合1勝1敗0S 防御率10.95 BB/9 5.1 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ブロックとデイビーの離脱で急遽獲得した左腕投手。球速は常時135~140km/h。速球とスライダーを軸に時折投げるチェンジアップとスプリッターが持ち球だった。コントロールが良く及第点のスタッツを残したが契約延長はなかった。

 アメリカではプロ入り前は、クレムゾン大学と地元のジョージア大学でプレー。在学中にケープコッドリーグ(夏季リーグ)でノーヒッターを達成するも、在学中のドラフト指名順位(8巡目)には納得できずサインしなかった。結局ドラフト外でマイナー球団と契約してプロ入りし、メジャーデビューは果たせたものの定着は全くできなかった。

16 トム・デイビー
投手 在籍期間:2003~05(オリ06~08)
アメリカ合衆国/1973年9月11日生/右投右打
問題児
【NPB】92試合32勝31敗1S 防御率3.15 BB/9 2.9 K/9 5.1
(広島) 42試合14勝12敗1S 防御率3.46 BB/9 3.3 K/9 6.1
(オリ) 50試合18勝19敗0S 防御率2.91 BB/9 2.7 K/9 4.3
【MLB】114試合7勝6敗1S 防御率4.41 BB/9 4.6 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 身長2m超の大型右腕。マイナーで先発投手だったが、メジャー昇格後は全試合リリーフ登板。来日前はリリーフ専任になっていたが先発要員として獲得し、2003~05年まで在籍した。カープ時代の球速は140km/h前半。フルタイムのムービングファストボーラーでゴロ打たせの技術は名人級であり、広島市民球場との相性は微妙だった。むしろカープ退団後のオリックスの方がチームとマッチしていた。

 カープでは3年間在籍したものの登板数は42試合。右肩痛で何度か離脱して稼働率が悪かった。いつも何かに怒っていて味方のエラーに厳しく、清原とは乱闘シーンを演じた。2006年は先発投手の枚数不足にもかかわらず、ブラウン監督の構想から外れ退団となった。

42 クリス・ブロック
投手 在籍期間:2003~04
アメリカ合衆国/1971年2月5日生/右投右打
【NPB】24試合8勝8敗0S 防御率3.94 BB/9 2.3 K/9 5.5
【MLB】148試合18勝17敗1S 防御率4.81 BB/9 3.7 K/9 6.1

============ 選手紹介 ============

 2003年に来日。単年のボークの日本記録(11個。のちにエステバン・ヤンが更新)を作り、与死球もリーグワーストを記録。いつも怒っていた精神面もマイナス点だったが、24試合投げて防御率3.94と最低限試合を作ってくれた。それ以上に貧打のカープ打線で一番怖いと思えるほどバッティングが得意で、札幌ドームのバックスクリーンに打ち込み、9月のタイガース戦ではトレイ・ムーアとの打てる先発投手対決を制した。打率.318・14安打のうち本塁打2・二塁打6本は完全にスラッガーの数字だった。ただ、翌年はキャンプ中に肩を痛めて1試合も投げられず退団に。

 来日前はそこそこ出番のあるメジャーリーガーで、4球団で計148試合・40先発・18勝17敗の実績を残している。フィラデルフィア・フィリーズにハリー・カラスという地元のベテランアナウンサーがいたが、移動時の飛行機の選手専用席にカラス氏が座っていたことにクレームが入り、一度追い出されそうになったことがあったが、その時にクレームを入れたのがブロックだったと言われている。

4 アンディ・シーツ
内野手 在籍期間:2003~04(阪神05~07)
アメリカ合衆国/1971年11月19日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】682試合 打率.289 安打778 本塁打95 OPS.796
(広島) 270試合 打率.298 安打315 本塁打48 OPS.856
(阪神) 412試合 打率.283 安打463 本塁打47 OPS.758
【MLB】356試合 打率.216 安打207 本塁打19 OPS.592

============ 選手紹介 ============

 カープでの2年間で270試合出場・打率.298・48本塁打・OPS.856をマークした優良助っ人。ショートの守備は広島市民球場と相性が悪かったが、あまり期待されていなかったバッティングで好成績を残した。2年目オフに銭闘と若手ショート育成のチーム方針からカープを退団、タイガースに移籍した。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

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43 アラン・ニューマン
投手 在籍期間:2003(ヤク01~02)
アメリカ合衆国/1969年10月2日生/左投左打
【NPB】73試合5勝8敗0S 防御率4.38 BB/9 3.2 K/9 6.5
(ヤク) 59試合5勝7敗0S 防御率3.82 BB/9 2.9 K/9 6.5
(広島) 14試合0勝1敗0S 防御率7.77 BB/9 5.3 K/9 6.5
【MLB】19試合2勝2敗0S 防御率7.94 BB/9 5.3 K/9 10.6

============ 選手紹介 ============

 スワローズを2年で退団した後にカープ入りした大柄な左腕投手。相次ぐ故障のせいでカープでは速球は140km/hを割っていたが、左腕不足が課題のチーム事情から獲得に至った。

 カープに在籍した2003年は先発登板が2回。1回目は開幕5試合目に起用されるも与四球を連発してノックアウト。中継ぎに降格すると5月にローテの谷間に2度目の先発のチャンスを得たが、今度は2回までで降板。スワローズ時代よりもひどいピッチングに終わった。

 ⇒ヤクルトスワローズ(2000年以降)参照

49 デービッド・ランドクイスト
投手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1973年6月4日生/右投右打
【NPB】6試合0勝0敗0S 防御率8.22 BB/9 4.7 K/9 3.5
【MLB】37試合1勝2敗0S 防御率7.92 BB/9 4.9 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 「ケン・グリフィーJr.から三振を奪ったことがある」という妙な触れ込みで入団したリリーフ右腕。変化球をたくさん持っていたらしい。

70 ジミー・ハースト
外野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1972年3月10日生/右投右打
【NPB】43試合 打率.207 安打23 本塁打5 OPS.677
【MLB】13試合 打率.177 安打3 本塁打1 OPS.675

============ 選手紹介 ============

 「カープのボブ・サップ」と呼ばれ、長打を期待されたスラッガー。メジャーでの実績は乏しいが、米独立リーグで三冠王を獲得しており結構期待値が高かった。

 カープでは127打席中ホームラン5本とパワー自体は本物だったが、危惧していたとおり確実性に欠けた。シーズン中盤の外野守備中にダイビングキャッチに失敗、首を痛めてからは全く戦力にならなかった。

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107 ナタナエル・マテオ
投手 在籍期間:2002
ドミニカ共和国/1981年12月16日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 NPBに育成制度ができる直前に入団した元カープアカデミー生。背番号107番は支配下登録選手では最後の3ケタ番号の選手として名を残した。

 2001年の秋季キャンプで来日し、翌年6月に正式契約。ウエスタンで変化球を磨いていたが一軍には上がれなかった。

70 ラモン・ラミレス
 
(登録名:ラミーレス)
投手 在籍期間:2002
ドミニカ共和国/1981年8月31日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 9.0
【MLB】424試合23勝21敗9S 防御率3.42 BB/9 3.9 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 2001年の秋季キャンプに練習生として来日。02年に正式入団した元アカデミー生。カープアカデミーの前に16歳でテキサス・レンジャース傘下にショートとして入団したが1年で解雇され、ピッチャーになるべくトレーニングを積んでカープアカデミーに入った。

 カープではわずか2試合の登板だったが、シーズンオフにポスティングシステムでアメリカに渡った。2006年に待望のメジャーデビューを果たすと使い勝手の良いリリーバーとして重宝された。2014年までメジャーの一線級で投げ、通算424試合・434回2/3と一流メジャーリーガーとなった。

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43 リゴ・ベルトラン
投手 在籍期間:2002
メキシコ/1969年11月13日生/左投左打
【NPB】25試合0勝1敗0S 防御率9.15 BB/9 1.8 K/9 9.2
【MLB】78試合2勝3敗1S 防御率4.40 BB/9 3.6 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 出所の見づらいフォームで打ち取るスタイルのメキシコ人左腕。ティフアナ出身だがサンディエゴの高校に通い、ドラフトにかかってプロ入りしている。

 AAでノーヒッターを達成するなどマイナーで結果を残し、メジャーには5年、通算78試合に投げた。カープには2002年に在籍。開幕直後は打ちにくいフォームで抑えていたが、しだいに球威不足から痛打を食らうようになっていった。

 引退後は指導者の道に進み、国際大会のメキシコ代表チームのコーチを歴任。2023年にはメジャー球団(クリーブランド・ガーディアンズ)でブルペンコーチを務めたが1年でクビになっている。

42 ロブ・スタニファー
投手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1972年3月10日生/右投右打
【NPB】15試合0勝0敗0S 防御率4.74 BB/9 2.8 K/9 7.1
【MLB】82試合3勝6敗2S 防御率5.43 BB/9 3.6 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 サウスカロライナっ子のリリーフ右腕。大学時代にケープコッドリーグ(サマーリーグ)で活躍し、プロ入り後3年で1997年にメジャー昇格。この年のフロリダ・マーリンズは下馬評を覆しワールドチャンピオンに輝き、スタニファーも王者の一員に。翌年もマーリンズのリリーフを務め、2年間で74試合に登板した。

 2002年にカープに入団。ほぼ敗戦処理のシチュエーションで15試合に登板し、19イニングで28本のヒットを浴びた。持ち球がカッターとスライダーというのも微妙だった。

 カープ退団後は帰国してメジャー返り咲きはならず、引退。直近で住んでいたフロリダ州タンパの高校に赴任し、野球部のコーチに就任すると適正があったようでチームは強豪校に変貌し、スタニファーは名コーチとして名が知られるようになっていった。ただ、2018年の大会の試合中にアンパイアを執拗に侮辱し、1年間の活動停止の不祥事を起こしてしまった。

45 エリック・シュールストロム
投手 在籍期間:2001~02(日ハム98~99)
アメリカ合衆国/1969年3月25日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】79試合9勝5敗26S 防御率2.67 BB/9 3.5 K/9 9.5
(日ハム) 52試合9勝4敗15S 防御率2.66 BB/9 3.5 K/9 10.8
(広島) 27試合0勝1敗11S 防御率2.70 BB/9 3.4 K/9 6.8
【MLB】46試合0勝0敗1S 防御率6.00 BB/9 4.1 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ミネソタ・ツインズで2年投げた元MLBリリーバー。1998~99年に日本ハムファイターズでクローザーを任されていたが肩を故障。治療で1年間フリーエージェントだったが2001年にカープに入団した。

 広島での2年間も故障のオンパレードだった。日ハム時代より球は遅くなっていたが、手薄なリリーフ陣にあってクローザーに抜擢。安定してセーブを稼いでいたが右肩痛を再発させ、カープ初年度は22試合登板に留まった。翌02年は体調不良で開幕ロースターを逃したうえ、左ヒザ痛の手術で前半戦を棒に振る。7月にようやく復帰したが、5試合目の登板時に右肩に激痛が走り、途中降板。これが結果的に彼の現役最後のマウンドとなった。

 2年続けて故障でシーズンを終えたシュールストロムは当然自由契約になったが、同時にカープは駐米スカウトのポストを考えていた。当初はアメリカで現役を続けるつもりだったが、カープの提示を受け入れて現役を引退し、アメリカ中・東部で有力選手を探し始めた。3Aバッファローのマーティ・ブラウン監督とコネクションを持ち、ブラウン監督経由でラロッカを招聘。そこからコルビー・ルイス、バリントン、サファテ、KJといった大当たり助っ人を引き入れていった。

43 ティム・ヤング
投手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1973年10月15日生/左投左打
【NPB】5試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 0.0
【MLB】18試合0勝0敗0S 防御率6.23 BB/9 4.2 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 シドニー五輪で金メダル獲得のアメリカ代表だった左腕投手。五輪のあった2000年12月にカープと契約を結んだ。元ファイターズのシュールストロムが初っ端からコンディション不良だったため、ヤングにはセットアップマンの役割を期待された。

 オープン戦が始まるまでは高評価だったが、しだいに戦線から外されるようになっていった。ウエスタンでも与四球を多く出し、力量不足な感があった。来日前から足の指の巻き爪に悩まされていたらしいが、日本時代の不調との因果関係は不明。

 アメリカでは古くから五輪代表に選ばれた有望株はMLBで大成するという空気があった。ロイ・オズワルト、ベン・シーツといった主戦投手はエースに成長していった一方、ティム・ヤングのほか元横浜のアーニー・ヤングサンダース、元阪神のキンケードといった選手はメジャー定着はならなかった。

 2004年には台湾・興農ブルズに在籍。「鐵木真」(=チンギス・ハーン)の登録名でプレーした。

42 エリック・ラドウィック
投手 在籍期間:2000~01
ドミニカ共和国/1971年12月14日生/右投右打
【NPB】25試合3勝6敗0S 防御率5.29 BB/9 4.1 K/9 7.5
【MLB】31試合2勝10敗0S 防御率8.35 BB/9 5.3 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 カージナルスでメジャーデビュー後、マーク・マグワイアとのトレード相手になって放出された。弟のライアン・ラドウィックはメジャーで154本塁打を放った大物になったが、エリックは4Aプレイヤーに留まった。

 2000年のシーズン途中に来日し、右の先発投手としてローテ入りを期待されていた。だが、2000年は走塁中に足を痛めたり目にゴミが入ったり何度か緊急交代をし、01年は背筋痛で帰国したまま戻ってこなかった。2年とも防御率5点台に終わった。

70 アンヘル・ブリトー
外野手 在籍期間:2000~01
ドミニカ共和国/1978年4月7日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 1990年代半ばに日ハムにいたバーナード・ブリトーの従兄弟。ドミニカ人スラッガーで経歴に謎が多い。ウエスタンでは中軸を打っていたが、一軍外国人枠に割って入れなかった。

 退団後どこで何をしていたかはっきりしないが、2003年に1年だけデトロイト傘下のシングルAでプレーし、07年にイスラエルのテル・アビブのチームで主砲を担っていたことだけ分かっている。

45 サル・ウルソー
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1972年1月19日生/左投右打
【NPB】29試合0勝0敗1S 防御率8.00 BB/9 8.0 K/9 6.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 「サルバトーレ・ウルソー」の名前で登録されていた左腕リリーバー。アメリカ本土出身でU-18のナショナルチームに選抜された経験があるが、ドラフト36巡目の低評価でプロ入り。最高位は3Aで、何度かメジャー昇格目前まで迫ったがコールアップされることはなかった。特に1996年はマリナーズのルー・ピネラ監督がフロントに開幕ロースター入りを進言したことがあったものの、結局実現しなかった。

 カープでは29試合すべてリリーフ登板で防御率8.00。深刻なコントロール難に陥っていた。

33 ジェフ・ボール
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1969年4月17日生/右投右打
【NPB】3試合 打率.250 安打2 本塁打0 OPS.625
【MLB】2試合 打率.250 安打1 本塁打0 OPS.500

============ 選手紹介 ============

 FAで去った江藤智の穴を埋めるべく背番号33を与えられた主軸候補。だがキャンプやオープン戦で長打力不足を首脳陣から不安視され、シーズンが開幕した頃には既に評価が落ち切っていた。いちおう開幕スタメン出場も3試合を消化後に二軍に落ち、ゴールデンウィーク明け早々に解雇された。

 そもそも本塁打王2度・9年連続2ケタHRを打っていた主砲の穴埋めを年俸3000万円メジャー通算2試合の助っ人で済まそうとする球団の姿勢がね…

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42 クリストファー・カンバーランド
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1973年1月15日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率81.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 酷かった助っ人外国人でよく名前が挙がる左腕投手。開幕3戦目に先発でNPBデビューするも、打者5人に対しアウト1個しか取れず3失点KO。即二軍に落ちると、1試合で4ボークを犯しウエスタンのワースト記録を作ってしまう。同じ新助っ人のボールともどもGW明けに解雇された。

49 エディ・ディアス
内野手 在籍期間:1999~02
ベネズエラ/1971年9月29日生/右投右打
期待以上
【NPB】430試合 打率.279 安打404 本塁打65 OPS.789
【MLB】16試合 打率.220 安打11 本塁打0 OPS.535

============ 選手紹介 ============

 正田耕三が引退後の二遊間を埋めるためにカープが獲得。守備メインの選手という評価で打撃は期待されておらず、最初の2年間は連続で打率2割半ば・8本塁打だった。しかし2年目のオフにウエイトトレーニングとアレックス・カブレラからのアドバイスでフォーム改造を行うと突然強打者に進化。2001年は打率.304・32本塁打、02年はケガで96試合に留まる中17本塁打・OPS.817をマークした。

 内野守備もセカンドやサードのほかにノムケンの故障時はショートもこなし、期待に違わぬ働きを見せた。最初の2年の打撃成績でクビにならなかったのも守備の貢献度が高かったからであった。

65 エジソン・レイノソ
投手 在籍期間:1999~00
ドミニカ共和国/1975年10月10日生/右投右打
【NPB】10試合0勝2敗0S 防御率11.40 BB/9 9.6 K/9 4.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープアカデミーから練習生を経て入団した右投げ先発投手。1年目の1999年はオープン戦でのアピールが実り、開幕カードに先発登板が決定。2戦目の中日戦に先発するも5与四球で2回を投げ切れず。以降は先発で投げさせてもらえず、通算10試合・15.0回・与四球16と最後までコントロールに苦しんだ。カープ退団後はヤンキース傘下でプレーするもマイナー下部を通過できなかった。

43 ネイサン・ミンチー
投手 在籍期間:1998~00(ロッテ01~04)
アメリカ合衆国/1969年8月31日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】187試合74勝70敗0S 防御率3.64 BB/9 2.4 K/9 4.7
(広島) 83試合29勝30敗0S 防御率3.52 BB/9 2.4 K/9 4.6
(ロッテ) 104試合45勝40敗0S 防御率3.73 BB/9 2.4 K/9 4.7
【MLB】15試合3勝7敗0S 防御率6.75 BB/9 3.9 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 広島とロッテで合計7年間NPBで活躍したワーカーホリック。中4日で投げることを信条とし、カープでは先発ローテの中心として3年間で83試合・29勝30敗・防御率3.52を残した。

 当時のプロ野球にしては珍しいデータ分析するタイプの選手で、アメリカ時代から打者別の傾向と対策をメモに取っていた。1999年に息子が誕生したが、ちょうど松坂大輔が野球界を席巻した時期だったため”ケイシー・ダイスケ・ミンチー”と名付けた。

 ⇒千葉ロッテマリーンズ(2000年以降)参照

30 玉木重雄
投手 在籍期間:1996~04(楽天05~06)
ブラジル/1971年2月25日生/右投右打
期待以上 日本に帰化 日系人
【NPB】373試合34勝23敗8S 防御率3.87 BB/9 3.5 K/9 6.8
(広島) 351試合32勝23敗8S 防御率3.89 BB/9 3.5 K/9 6.8
(楽天) 22試合2勝0敗0S 防御率3.52 BB/9 5.1 K/9 6.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジルのサンパウロ生まれの日系三世。母国のイメージとは違って物静かで大人しい投手だった。1996年にドラフト3位で入団して主にミドルリリーフとして活躍。イニング跨ぎ連発の酷使に耐えつつ達川監督のパワハラキャンプを乗り越え、2004年までに351試合・486イニングを投げた。

33 ルイス・ロペス
内野手 在籍期間:1996~97,00~02(ダイ98)
アメリカ合衆国/1964年9月1日生/右投右打
大活躍
【NPB】709試合 打率.303 安打795 本塁打129 OPS.857
(広島) 575試合 打率.305 安打654 本塁打112 OPS.865
(SB) 134試合 打率.294 安打141 本塁打17 OPS.819
【MLB】41試合 打率.205 安打18 本塁打0 OPS.517

============ 選手紹介 ============

 「3割・25本・100打点を目指す」と掲げて来日。入団会見で大見えを切ると期待外れに終わるパターンは多いが、ロペスに関しては例外だった。初年度に打率.312・25本塁打・109打点といきなり目標を達成。翌年は.320・30本・112打点とさらに成績を上げた。ただ、同年オフの年俸交渉で決裂し、ダイエーホークスに移籍した。

 ホークス退団後にアメリカ独立リーグでプレーしていた時期に、カープでは江藤智がFAで流出。代役に期待したジェフ・ボールが酷すぎたため、カープ再入団が決まった。2000年は途中入団のため打席数が少なかったが、規定打席未満の選手ではNPB最多記録の88打点をマーク。01年はキャリアハイの32本塁打・OPSも.921と好成績を残していた。

 しかし2002年は開幕して間もない4月上旬の試合で、アキレス腱に爆弾を抱える前田智徳を二塁においてシングルヒットを放つも前田がサードベースを回らなかった場面が2度あり、ベンチで前田に掴みかかる事件を起こしてしまう。球団から10日間の謹慎処分を受け、復帰後は背中のケガやモチベーションの低下で別人のような成績に終わり、この年限りで自由契約となった。この事件は後世にも語り継がれる出来事となってしまったが、ロペスは野球に対して非常に真面目な選手だった。来日初年度のオープン戦で初めは全然打てなかったが、山本コーチに自ら教えを乞うて打撃開眼。前田事件の年は開幕前に”打率.350・56本塁打・160打点”を掲げ、本気で達成しようとしていた。そのストイックな姿勢は見習うべきものであり、どうしても日本人である前田に同情が集まってしまう点で気の毒に思う。


広島東洋カープ 歴代助っ人外国人②(1999年以前)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Hiroshima Toyo Carp
広島東洋カープ
セントラル・リーグ

外国人名鑑1999年以前
【1990年代までに在籍した外国人選手】
【1980年代までに在籍した外国人選手】
【1970年代までに在籍した外国人選手】
【広島カープ(1950~67年)時代に在籍した外国人選手】
◇1990年代までに在籍した外国人選手
フェリックス・ペルドモ
内野手・投手 ドミニカ共和国/在籍:1992,96~99
 カープアカデミーから1992年に広島に入団したが、春先に大怪我を負い入院が必要となり、わずか2ヶ月足らずで契約解除となった。その後、台湾の時報イーグルスで修行し、1996年にカープに再入団した。

 1年目はウエスタンリーグの首位打者に輝いたが、足首の捻挫で離脱寸前だった野村謙二郎からポジションを奪うことができず、ほとんどが二軍生活だった。シーズンオフには本格的に投手の練習を始め、2年目には公式戦に出場。4月15日の巨人戦で投手デビューを果たし、19日には4イニングのロングリリーフを無失点で切り抜け、初勝利を挙げた。1999年に選手登録を内野手に戻したが、代打で出場後にマウンドに上がることがしばしばあった。

 1999年6月の巨人戦では、ミンチー、ペルドモ、デハートの3投手のリレーが実現した。当時の一軍外国人投手の登録は2人までであったため、このグレーな選手起用は物議を醸した。

ティモ・ペレス
外野手 ドミニカ共和国/在籍:1996~99
 明るいキャラクターの元カープアカデミー生。スピードが一番のウリで、外野守備と一塁手もソツなくこなし出場機会増をアピールしていた。

 カープには1995年に練習生として帯同。翌年に支配下登録されると1年目から一軍に引き上げられ、様々な打順で起用された。96~99年に在籍して227試合。さぁこれからというタイミングで本人がメジャー挑戦を希望していると打ち明ける。98年オフにポスティングでのメジャー移籍に失敗(入札が無かった)し、翌シーズン後に自由契約となる道を選んで米球界へ飛び込んでいった。

 ニューヨーク・メッツと契約したペレスは2000年に早くもメジャー昇格を果たし、新庄剛志と同じ外野のフィールドを守った。2005年に在籍したホワイトソックスでは井口資仁とともにワールドチャンピオンの一員に。

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リック・デハート
投手 アメリカ合衆国/在籍:1999
 マイナー下部では先発メインで投げていたが、2A昇格後にリリーバーに転向。メジャーデビューを果たし、通算50試合以上に登板した。左のリリーバーを探していたカープが1999年のシーズン途中に獲得した。

 来日してすぐに一軍に迎え入れられたが、イニング数の倍以上の安打を浴びる厳しい登板が続いた。日本では6試合の登板だったが、僅差の終盤に木村拓也が正捕手と交代する不可解采配の際にバッテリーを組まされたり、突然1試合だけ先発したり起用法に振り回される不運はあった。

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レイビー・グスマン
投手 ドミニカ共和国/在籍:1997~98
 カープアカデミー出身の長身右腕。日本では”アントニオ・グスマン”で登録されていた。一軍昇格のチャンスがないまま2年で解雇、アメリカに渡りメジャーを目指したが最高位は2Aだった。

アレハンドロ・ディアス (登録名:ケサダ)
外野手 ドミニカ共和国/在籍:1998
 まさかのポスティングシステム利用者第1号となった元アカデミー生。パワーヒッティングが持ち味で将来の主軸候補と期待され、二軍のオールスターでMVPを受賞。後半戦で一軍に昇格すると打率.311・3本塁打・OPS.809と結果を出した。ただ、この年限りでMLBを目指して退団し、落札したレッズ傘下で5年間プレーするも2A止まりだった。

アルフォンソ・ソリアーノ
内野手 ドミニカ共和国/在籍:1996~97
元有望株 WBC2006
 カープアカデミーからメジャーのスタープレイヤーに成り上がった元オールスター二塁手。カープでは2年間で一軍出場は9試合だった。3年目の契約更新前に代理人の団野村氏が現れ、4倍の昇給を求めて年俸調停を申請。球団側が勝利すると任意引退選手になる選択をし、ヤンキースとマイナー契約を結んだ。

 1999年の終盤にメジャーに初昇格し、初安打をホームランで記録。2001年にチャック・ノブロックから二塁手のレギュラーを奪い、ワールドシリーズでも活躍した。2004年にA-Rodの超大型トレードに巻き込まれてレンジャースに放出されてしまうがハイレベルなプレーは変わらず、4球団目となったカブス時代には外野手へのコンバートに成功し、常にトッププレイヤーであり続けた。

 2014年に引退するまでに積み上げた実績はオールスター7年連続7度、シルバースラッガー賞4度、盗塁王1度、412本塁打。1年しか在籍しなかったナショナルズでは46本塁打・41盗塁を記録し、ホゼ・カンセコ、バリー・ボンズ、A-Rodに次いで4人目の40-40クラブ入り。前の3人がいずれもステロイド疑惑があったため”初めてクリーンな”選手だと称賛され、ナショナルズファンからは残留を希望する運動が起こった。殿堂入りこそならなかったが色褪せない実績を残した。

Embed from Getty Imagesカープアカデミーからこんなスタープレイヤーが誕生するとは

ホセ・マルチネス
投手 ドミニカ共和国/在籍:1997
 (調査中)

ロビンソン・チェコ
投手 ドミニカ共和国/在籍:1992~93,95~96
元有望株 期待以上 問題児
 カープアカデミー生では最もカープで成功したドミニカン先発右腕。と言っても活躍したのは1年だけ、お騒がせで負の側面も大きかったが…

 ドミニカンカープアカデミーから1992年に来日。94年に派遣先の台湾・時報イーグルスで実績を残すと、95年にカープで覚醒。プロ初登板の阪神戦を完封するとオールスター前までに10勝を挙げ、いきなり球宴選出。15勝8敗・防御率2.74・166奪三振の好成績をマークした。ただ、後半戦に入ってからは登板数に応じたボーナスをたびたび要求するようになり、シーズンが終わる頃には球団と大きな溝ができていた。

 ストーブリーグに入るとチェコは代理人にダン野村氏を立て、MLB挑戦を求めてカープに契約破棄を通知。訴訟沙汰に発展し、ダン野村氏からは週刊誌に自身の正当性を主張するなど大騒動になった。

 結局選手側の主張は認められず、もう1年カープでプレーすることになったが、96年のチェコは明らかにやる気を失っていた。5月の阪神戦でノーヒッター未遂の快投があった以外は淡白なピッチングが目立ち、6月に故障離脱したのを最後に一軍に戻ることはなかった。97年にレッドソックスと契約を結び、念願のメジャーデビューも果たしたものの3年間で16試合・3勝5敗・防御率7.61に終わった。

フェリックス・ラミレス (登録名:ラミーレス)
投手 ドミニカ共和国/在籍:1995~96
 カープアカデミー生のリリーフ左腕。95年に練習生の身で来日してすぐに支配下登録され、ウエスタンで多く経験を積む。翌年は背番号111→73に出世し、シーズン中の一軍デビューが現実味を帯びてきていた。だが本人の中ではもっと自己評価が高かったらしく、開幕前に二軍に割り振られたことにショックを受け、開幕を待たずに退団してしまった。

 その後はレッドソックスとマイナー契約を結んだものの2年で解雇され、1年だけ台湾でプレーした。なお、NPB公式では1976年生まれになっているが台湾やアメリカでは75年生まれで統一されている。

フランシスコ・デラクルーズ
投手 ドミニカ共和国/在籍:1996
 アストロズ傘下のDSL球団でプレーした後、カープアカデミーに所属していた速球派スターター。190cmの長身に長い腕から150km/hに迫る速球を投げていたが、体重80kg未満の下半身の弱さから壊滅的なコントロールが課題だった。

 1996年にカープに入団し、ウエスタンリーグで先発ローテに定着。130イニング中97個もフォアボールを出していたが、19試合・6完投に防御率3点台を記録した。シーズンオフにヤンキースとの契約問題で揉め、結局退団して翌年メジャーデビュー。アカデミー経由の有望選手をチームに定着させられない、カープアカデミーが抱える問題点が浮き彫りになる選手であった。

ルイス・メディーナ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1993~95
元有望株
 三振かホームランかの二択しかない、生粋のパワーヒッター。カープでは3年在籍。初年度はオープン戦で大爆発も開幕直後に肩を骨折、通年を棒に振った。2年目は7月に月間MVP受賞の活躍のおかげで打率.271・本塁打14・打点70とそれなりの成績を残したが、3年目は腰を痛めて低迷した。

 日本に3年いながら影が薄かったメディーナだったが、特にアメリカ時代は特色のある選手だった。高校卒業後、コミュニティカレッジを経て強豪アリゾナ州立大へ進学。1985年にプロ入りするまでの5年間で7度ドラフトにかかっている(※当時は年に2度実施していた)。また、アリゾナ州立大ではスイッチヒッターに挑戦するも断念、左投右打になった。メジャー通算では51試合・10本塁打と結構なハイペースでホームランを打っていて、特にデビューイヤーの1988年は56打席で6本塁打。トミー・ジョンから放った1試合2ホーマーや、1-0で迎えた終盤にノーヒットノーランを破る一発を放っている。

 カープを退団後はDバックスで5年働いたあと、カンザスシティ・ロイヤルズの組織に25年以上在籍。スカウトやマイナーのコーチ、監督、GM補佐と何でもこなし、ロイヤルズのフロントオフィスに欠かせない存在になっている。

古河有一(ジョー古河)
内野手 日本/在籍:1993~95(横浜96~99)
 アメリカ国籍を持つスイッチヒッターの内野手。日本生まれだがアメリカで過ごし、大学をカリフォルニア大学バークレー校→アーバイン校へと進学。1992年のシーズンオフの時期に、在学中に父親の知人のツテでカープの入団テストを受けることになった。弟と一緒に受けたがジョーだけが合格。前年にドラフト外入団のしくみは廃止されていたが、特例でドラフト外の形でカープと契約した。

 外国人枠の対象外だったが、それでも長打力不足は否めず3年で自由契約となった。96年以降は横浜ベイスターズでプレーを続け、引退後にスカウトに転身。マーティ・ブラウンが監督のときには専属通訳も務めている。

Embed from Getty Imagesダルビッシュの通訳も務めていたジョー古河氏(会見席右)
マーティ・ブラウン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1992~94
優良助っ人
 1992~94年にカープに在籍。1年目に19本、2年目には27本塁打を放ったが、それ以上に走塁、外野守備でのハッスルプレーが印象的なプレイヤーだった。

 現役引退後は指導者の道へ。2004年にベースボール・アメリカからマイナー最優秀監督に選出された。2006~09年には監督として広島に帰還。4年間で8回退場宣告を受けた。

Embed from Getty Images「ベース投げ事件」後のTシャツは話題に

カルロス・リベラ
投手 ドミニカ共和国/在籍:1994
 カープアカデミー出身者で初めて1軍に昇格した男。先発右腕。日本では140km/h後半止まりだったが来日前に150km/hを計時している。フォーシームとスライダーが持ち球だった。

 ドミニカ共和国から1989年にアナハイム・エンゼルス傘下のRookie級で投げた後、カープアカデミーに所属。94年にカープと支配下契約を結び、背番号109を背負ったまま一軍デビュー。2試合・防御率7.71と出番は少なかった。

 翌シーズンに入るとクビを切られたわけではないが、CPBL(台湾プロ野球)の時報ホークスに派遣される。ここで才能が開花。95~96年と2年続けてオールスター出場&2ケタ勝利の大活躍。1年間メキシカンリーグを挟んで98年には統一ライオンズで12勝4敗・防御率2.72をマーク。CPBLでは異なるチームで2ケタ勝利を挙げたのは、近鉄に在籍したウィル・フリント以来2人目。だが、なぜか統一と契約更新せず退団すると、リベラは野球を辞めてドミニカでタクシー運転手になった。

アンヘル・バティスタ (登録名:バウチスター)
投手 ドミニカ共和国/在籍:1992
 1992年、一足早く来日していたペルドモがケガで病院送りとなり、退団。代役としてバティスタ、サンギルベルト、ペレスを新たに広島へ向わせた。

 アカデミーの中でも優れた3人が選ばれて来たはずだが、お世辞にもNPBでやれるレベルではなかった。どうもアカデミー生のモチベーション低下を防ぐために、夢を見させる目的で来日させていたというのが濃厚である。

 3人中最も早く正式契約に漕ぎつけたバティスタだが、最も”育成レベル”の選手だった。二軍でも試合に出してもらえず、わずか2ヶ月で退団。帰国後は野球をやった形跡がなく、ベースボール・リファレンスに彼の名前は載っていない。

マリオ・サンギルベルト
投手 ドミニカ共和国/在籍:1992
 カープアカデミーというところはドミニカの有望選手を発掘する場所であるが、連れてきたものの日本で使えないと判断すると台湾に派遣する(お下がりを譲る)ということもやっていた。サンギルベルトはその代表格。1992年に来日初期メンバーとしてカープと正式契約するも、速球とカーブしか使えないため一軍に上がれず、CPBL(台湾プロ野球)に送り込まれた。

 1994~95年に時報イーグルスでプレー。先発を任され2年間で7勝10敗、2年とも三振以上のフォアボールを献上。カープに送り返されるたが再契約は見送られ、その後はメキシカンリーグで1年だけプレーした。

ルイス・ペレス
内野手 ドミニカ共和国/在籍:1992
 カープアカデミーから来日した初期メンバーの1人。背番号103を与えられるも早くも5月に契約解除。カープには2ヶ月しか在籍しなかった。

 1994年に台湾の時報イーグルスに派遣され、遊撃手を中心に1年だけプレー。手のケガで戦線離脱があったうえ、242打席中フォアボールを4個しか選ばない粗すぎる打撃を見せてしまい解雇された。

ロッド・アレン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1989~91
期待以上 問題児
 カープに3年間在籍、登録名は「ロデリック・アレン」だった元外野手。メジャー経験は少ないがパワーは本物で、NPBで4打席連続本塁打や1試合で代打満塁本塁打とサヨナラ本塁打を記録した。1989~90年に2年続けて打率3割もマークしており、打撃面で期待以上の活躍だった。

 一方で2年目の大洋ホエールズ戦で秋元捕手を負傷退場させ、その後の報復死球にキレた試合は球史に残る出来事に。大門投手を追い回した乱闘シーンは珍プレー好プレーでよく流された。また、解説者に転じていた2018年には放送中に実況アナを殴り、日米でニュースになってしまった。還暦間近になっても失せない闘争心に驚きを禁じ得なかった。

Embed from Getty Images解説者としては優秀だった (左がアレン)
タイ・バン・バークレオ (登録名:バークレオ)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1991(西武87~90)
 デストラーデにレギュラーを奪われライオンズを退団後、カープが獲得。小早川毅彦との開幕スタメン争いを制したが、シーズン全体では小早川以上に不振に陥っていた。ウエスタンでは大活躍だったが…

 ⇒西武ライオンズ(1999年以前)参照

ウェイド・ロードン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1989~90
 風貌が銀行員のように見えた白人内野手。メジャー定着が叶わず1989年からカープでプレー。変わった打撃フォームや細身の体格から疑問符を付けられていたが、打率.300・22本塁打に加えてゴールデングラブ賞を受賞。周囲の雑音を吹き消した。

 ただ2年目のシーズンでは4月だけで7失策。これが打撃にも影響を及ぼして攻守で低迷すると、この年新加入のマイク・ヤングに一軍枠を奪われ、退団。真面目な選手だったと言われている。

マイク・ヤング
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
 MLBで4年間レギュラー級の立場を守り、通算72本塁打を記録した長打の外野手。確かなメジャー経験からポスト山本浩二を期待されたが調子は上向かず、2年契約ながら1年で解雇された。

 アレンが大門投手を追いかけた大乱闘シーンでは、同じ黒人選手のヤングをアレンと見間違えて止めにかかる選手が出た。

◇1980年代までに在籍した外国人選手
ランディ・ジョンソン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1987~88
 1987年に来日したユーティリティータイプの内野手。パワーはないがヒッティングツールに優れ、三振が少ない打撃が持ち味だった。

 来日1年目に規定打席未満ながら打率.319をマーク。シーズン後に衣笠祥雄の引退で正サードが空き、翌年はレギュラーかと思われたところで故障離脱。治している間に内野全ポジションが埋まってしまった。同時期に在籍したランスに比べると(名前は派手だが)地味であった。

リック・ランセロッティ (登録名:ランス)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1987~88
 三振かホームランか、の傾向が激しい長距離砲。強烈なパワーをウリにマイナーで3度ホームラン王を獲得。それでも空振りの多さと守備力を疑問視され、メジャー昇格の機会に恵まれず1987年に来日した。

 日本でも引っ張り一辺倒のスタイルを維持し、1年目に39本塁打でホームラン王と同時にリーグ最低打率と最多三振を記録。2年目は打撃不振とフロントとの行き違いが影響して退団。8打点を挙げた試合もあり、カープファンには今でも根強い人気を誇っている。

 ちなみにマイナー通算268本ものアーチを架けたランスだが、ひどい誤報に巻き込まれている。カープ退団後にレッドソックス傘下でメジャー返り咲きを狙っていたランスは、通算255本を放った時点でボストン・グローブ紙からマイナーリーグ最多記録だと報じられた。だが本当の1位は”メキシコのベーブ・ルース”ヘクター・エスピーノの484本(当時メキシカンリーグはMLB組織に入っていた)であり、アメリカ本土に限定してもバズ・アーレットが432本も打っている。実際にはトップ20にも入っていなかったランスだが、誤報だと判明したのはCNNやUSAトゥデイなど各媒体の取材を受けた後だった。

ティム・アイルランド
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1983~84
 ハッスルプレーで人気を博した元内野手。広島カープには2年間在籍。内野の名手・木下富雄とポジションを分け合い、準レギュラーのような立ち位置でプレーした。打撃成績は平凡だったが隠し玉を何度か成功させている。応援歌のメロディーは”ふたりの愛ランド”だった。

 現役時代はメジャー通算で11試合、わずか8打席とほぼマイナー暮らしだったが、引退後は指導者やスカウト職で活躍。傘下のマイナー球団では監督を歴任したほか、コロラド・ロッキーズのスカウト時代には台湾人初のMLB投手となる曹錦輝(チンフェイ・ツァオ)を獲得している。

デーブ・レーシッチ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1984
 非日系のピッチャーではカープ初の外国人。アメリカでは先発登板も可能なリリーバーでイニング跨ぎが得意だったが、カープではなぜかワンポイントリリーフのような使われ方をしていた。左腕だからだろうか?

 弟のゲーリーが2年後に中日ドラゴンズに入団。弟はドラゴンズの主軸として大活躍し、体重約95kgと強打者の体格をしていたのに対して長身痩躯なデーブは”The blade”という愛称が付けられていて、あまり似ていない兄弟だった。

レスリー・フィルキンス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1983
 ライトル退団後のクリーンナップ候補として入団した元マイナーリーガー。最高位は3年ほどAAAでプレーしていた。日本ではオープン戦の段階で変化球が打てない弱点を露呈。ファーム暮らしが続き、1軍ではわずか2本塁打に終わった。

 ちなみにレス・フィルキンスがプロ入りしたのは1975年のドラフト1巡目・全体3位の高順位だったが、この75年ドラフトはメジャー史に残る不作の年だと認識されている。全体1位指名のダニー・グッドウィンは通算rWARマイナスを叩き出し、1986年に南海ホークスに移籍。フィルキンスを含めた全体2~5位の選手たちに至っては、いずれもメジャー昇格すら果たせなかった。

ジム・ライトル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1977~82(南海83)
大活躍
 広島カープ史上最高の外国人外野手。1977年にカープに入団し、1年目から衣笠祥雄、山本浩二とともにクリーンアップを形成。1979~80年の連続日本一に貢献した。特に80年の日本シリーズでは打率.400・3本塁打・6打点の大爆発でMVPを獲得している。また強肩も大きな魅力で、4年連続ゴールデングラブ賞を獲得。在籍期間は6年間に達し、非日系人では外国人選手最長。プレイスタイルと人格面ともに欠点が無い、カープの最も代表的な優良助っ人といえるだろう。

アート・ガードナー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981~82
 メジャーで3シーズン昇格し、1977年には開幕スタメンで出場するもメジャー定着を果たせなかった元外野手。カープでは1981~82年に在籍。1年目は打率.281・26本塁打・77打点と好成績ではあったが下位打線が中心だった。2年目は相手バッテリーから徹底マークを受け打撃不振に陥った。そこそこ足が速かったがアメリカ時代から暴走グセがあり、カープでは13盗塁に対して18回も失敗している。

マイク・デュプリー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1980
 フィーバー平山が連れてきた二刀流選手。マイナー時代まで投手と野手両方で試合に出場していたほどハイシーリングな才能があった。大学では投手兼外野手だったのがプロでは内野手として育成され、途中でまた外野に戻ったりと器用さがアダとなり成長しきれなかった。打撃技術にも多少問題を抱えていた。

 結局メジャーでは1年だけリリーフ投手として出場。12試合で防御率9点台と壁に阻まれ来日した。

 カープ入団前に投打どちらでやっていくか意見が分かれたが、平山は俊足強肩を活かしたプレーを期待したことで、外野手専任でやることになった。開幕戦でサヨナラホームランの鮮烈なデビューを果たし、自慢の強肩を活かして山本浩二、ライトルと鉄壁の外野陣を形成。その一方で打撃面では長打力に欠けた。シーズントータルで10本塁打だったが、3年で102本塁打を放ったエイドリアン・ギャレットの後釜としては物足りなかった。

 ちなみに、雨天中断時にホームにヘッドスライディングするパフォーマンスを最初にやったのがこのデュプリー。1980年7月の神宮球場の試合開始が雨で遅れるなか、ヒマを持て余した選手たちがこのパフォーマンスを思いついたところデュプリーが実行。本当にホームベースへ飛び込むと古葉監督らが彼に賞金を出した。

◇1970年代までに在籍した外国人選手
エイドリアン・ギャレット
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1977~79
大活躍 優良助っ人
 カープの外国人選手初の40本塁打をマークした優良助っ人。ライトルと一緒に1977年に加入し、シェーンとホプキンスという大穴を塞いだ。78年に40本塁打をマーク。4月に月間15本塁打の新記録を作り、この年は広島市民球場でのオールスターでは1試合3本塁打を放って球宴MVPに選ばれた。また、本職は外野手だったが緊急時に12試合キャッチャーで出場。同僚から「日本人以上に義理と人情が分かる男」と言われる人間性も兼ね備えていた。

 来日時点で34歳と高齢だったが、3年間で102本塁打。引退後は主にメジャー傘下の球団でコーチを長く務めた。なお、元中日のウェイン・ギャレットは実の弟。

ゲイル・ホプキンス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1975~76(南海77)
期待以上 優良助っ人
 野球と医学の両方で成功を収めた天才プレイヤー。1975年の広島カープ初優勝に大きく貢献した。選手時代から大学院や日本の大学のプログラムを継続して研究を続け、引退後に整形外科医院を開業。彼の2人の子供も医者に育て上げた。

 オクラホマ州出身だが南カリフォルニアの高校に通い、大学もペパーダイン大に進学。バスケットボールの奨学生だったが、在学中にシカゴ・ホワイトソックスと契約。大学院に通いながら公式戦に出場し、1968年にメジャーデビュー。大物選手ではなかったが、通算1400打席に立って160四球・83三振とメジャーでも指折りの三振を奪いにくいバッターとして知られた。一時期レギュラーをこなしたシーズンがあったが、1974年にメキシコの医大に合格した時点でMLBと学業の両立が不可能になり、同年9月の入学に備えて野球をやめる決断をしていた。

 ところが新たにカープの新監督に就任したルーツ監督から、非常に熱心な勧誘を受ける。9月に退団すれば医大のカリキュラムに間に合う計算から、チームが優勝争いから脱落したら帰国できる条件でカープ入団が決まった。この頃までのカープは最下位脱出が目標になるぐらいのお荷物球団だった。

 ホプキンスが入団した75年は直近3年連続で最下位だったことに加え、外国人の新監督ということで周囲は誰もが最下位を予想した。それが、この年から斬新な赤いヘルメットに変わり「赤ヘル旋風」を巻き起こし、ペナントレースは中日・阪神と三つ巴の接戦に。ホプキンスも日本で試合に出続け、カープはついに優勝してしまった。来日1年目は打率.256・33本塁打・91打点。もう1年日本で野球を続けることになり、2年目は打率.329・20本塁打・69打点と主軸として結果を残した。組織学を学びに広島大学にも並行して通い、学問との両立も怠っていなかった。

 2年間をカープで過ごした後、帰国して1977年からシカゴの医大に入学。日系人の学部長からプロ野球復帰を提案され、もう1年日本でプレーすることになった。ただ、77年のカープは既にライトルとギャレットを獲得していたため、南海ホークスに入団することになった。

リッチー・シェーンブラム (登録名:シェーン)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1975~76
大物
 名前が長すぎるので「シェーン」で登録された外野手。息子はプロゴルファー。メジャー時代はロイヤルズでレギュラーを獲得し、キャリアハイの1972年には打率.300とオールスター出場の実績を残した。自身がユダヤ系であることに誇りを持っており、MLBの公式戦で黒い腕章をつけてプレーしたことがある。ミュンヘンオリンピックのテロで死亡したイスラエル人アスリートを悼んで行ったものだった。

 日本行きのきっかけはルーツ新監督から直接勧誘されたことだった。カープではホプキンスのインパクトがデカかったが、シェーンの打撃技術もカープの初優勝に大きく貢献した。1970年代は希少だったスイッチヒッターであり、プロ野球史上初めて1試合両打席本塁打を記録した。また古葉後任監督はシェーンに影響を受け、大胆にも高橋慶彦や山崎隆造、正田耕三をスイッチヒッターに転向させている。

ジム・ヒックス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1973~74
 7年メジャーに上がった年があるがフルシーズン帯同は1シーズンのみ。レギュラー奪取はならなかった外野手。カープ入団時には大きな期待を受け、すぐに4番を任されホームランは打っていた。ただ、インハイの速球攻めに対応できず打率が上がらず、2年契約満了により退団した。

ミッキー・マクガイア
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1973~74
 一応メジャーリーグ経験者だが実績は少なく、ヒックスに比べるとあまり期待されていなかった。ショートがメインポジションだったがカープでは三村敏之がいたためセカンドのレギュラーとして出場。1年目はチーム打率.223の貧打のなかでチームトップの.276を記録したが、2年目に打撃成績を落として退団となった。

ソイロ・ベルサイエス
内野手 キューバ/在籍:1972
超大物 問題児
 キューバ出身の名遊撃手。右投右打。メジャーリーグでMVP獲得の実績があり、カープ助っ人第1号(日系人除く)として期待されたが、メジャー時代に負った背中のケガが治っておらず出場は48試合、打率.189と振るわなかった。

 非常に滑らかな守備と俊足巧打が特徴で、主に1960年代の大リーグで活躍。1965年にはミネソタ・ツインズの初優勝に大きく貢献し、アメリカンリーグのMVPに輝いた。1972年に来日してサードで出場したが、ケガの影響で満足な成績を残せなかった。

 引退後は不遇そのもの。キューバが恋しく英語がずっと苦手だったことや現役時代の背中のケガが重傷で就労が難しかったことから、金銭的に苦境に陥り、MVPのトロフィーをはじめ現役時代の数々の品を手放さざるを得なかった。1995年に55歳で死去。2006年にミネソタ・ツインズの殿堂メンバーに選出された。

Embed from Getty Imagesダブルプレーを成立させるベルサイエス。ミネソタ・ツインズの正遊撃手を務め、1965年にはア・リーグMVPに輝いた
トニー・ゴンザレス
外野手 キューバ/在籍:1972
大物
 MLB通算で1559試合出場・103本塁打・rWAR 27.0を積み上げた元大物メジャーリーガー。平均の倍近くの確率でデッドボールを受ける選手だったため、1964年にメジャーで初めて”成形済みの”耳当ての付いたヘルメットを着用した。

 カープには1972年7月に来日。ただこの時すでに36歳。ベルサイエスと同じく活躍できず、年齢には抗えなかった。

Embed from Getty Images晩年にはアトランタ・ブレーブスに在籍。ゴンザレス(43)がホームランを放ったハンク・アーロンを迎え入れる
◇広島カープ(1950~67年)時代に在籍した外国人選手
平山智
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1955~64
大活躍 日系人
 カリフォルニア州フレズノ近郊の町に1930年2月17日に誕生した日系人選手。”フィーバー平山”の愛称は、子供の頃に自分の生まれた月(February)をうまく発音できなかったことが由来で付けられた。第二次世界大戦中に日系アメリカ人の差別に遭い、アリゾナの強制収容所に送還されたが、終戦後に故郷に戻った。160cmと極めて低身長だったが、逆に小柄な体格を生かしたスピードは大学スポーツ関係者の目に留まり、アメフトの奨学金付きでカリフォルニア州立大フレズノ校に進学。在学中にアメフトに飽きてしまい、兼部していた野球の方により力を注ぐようになった。

 卒業後にセントルイス・ブラウンズ(カージナルスの前身)と契約し、シングルA相当のストックトンで1シーズンプレー。低身長を活かして71四球・23三振と出塁能力の高さを見せたが、1953年に米軍に召喚された。2年従軍している間に”日系人野球の父”銭村健一郎からスカウトされ、フレズノ大学のチームメイトでもあった銭村健四と一緒に広島カープでプレーすることを決めた。

 カープには1955年に入団。歓迎パレードが行われ、沿道に数万人の市民が訪れる反響だったという。1964年まで10年間在籍し、通算996試合出場。オールスターに2度選出される人気があったが、信条のハッスルプレーが悪い方に出てしまう。1961年のシーズン後半の試合で外野フェンスに激突した衝撃で右眼を負傷する。視力が大きく悪化したことでその後は打撃・守備両面で苦戦。出場機会が激減した62~64年はコーチを兼任した。

 来日当初は日本語を話せなかったが、数年経つ頃には流暢に話すようになっていた。現役引退後は専任コーチを1年務めてから、カリフォルニアに帰郷して教員とスカウトの二刀流で活躍。彼のスカウティング能力は高く、兼任コーチ時代にはアメリカ統治下の沖縄から安仁屋宗八を引き入れる実績を残している。

ロナルド大森
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1964
日系人
 ワシントン州で生まれ育った日系三世の外野手。カープでは最初のアメリカ本土出身の選手だった。忌み数として敬遠される”13″の背番号を背負ったプロ野球初の外国人でもある。

新田幸男
内野手 米領ハワイ準州/在籍:1958
日系人
 ハワイ準州オアフ島ワイパフ出身の日系選手。小学生の頃から野球がうまく、高校卒業後に軍に従事していた時は新田が負傷するのを恐れ、周囲から気を遣われた。1958年に広島カープと契約するも、来日時点で既にケガに悩まされていたため試合に出場できず1年で退団。ハワイに戻ってからは子供向けの無料の野球教室を開き、近くの公園で何十年も毎週日曜日に続けた。新田は優れた野球のコーチとしてだけでなく、教え子たちのメンターとしても尊敬されていた。

 現地では「ジョージ新田」という名前で呼ばれていたほか、「Manju」というニックネームもあった。これは饅頭のことで、幸男の兄弟たちも「Anpan」や「Dango」といったニックネームを持っていたそうだ。

 指導者を退いた後、新田は「Coach Manju Nitta’s Baseball Secrets」という野球のコーチングの本を出版。2018年の年明けにホノルルで逝去した。

銭村健三
外野手 米領ハワイ準州/在籍:1953
日系人
 ”日系人野球の父”と英雄視されている銭村健一郎を実父に持つ、ハワイ生まれの日系人選手。フレズノ大学時代は打撃で活躍しており名の知られる選手だった。1953年に健四とベン光吉の3人で海を渡り、熱烈な歓迎を受けて広島入りした。日本語が話せなかった健四の通訳の役割が強く、選手としては10試合しか出場しなかった。2ヶ月で帰国し、ハワイで大学教員と野球の指導をこなした。老後は再びフレズノで過ごし、2018年に91歳で他界。

 父・健一郎氏が長男に健次と付けたため、次男が健三、三男が健四になった。3兄弟ともホノルル生まれだが、健一郎の両親が初孫を溺愛しすぎて日本に連れ帰ってしまったため、兄弟は生き別れとなった。健次はサッカーを極め、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)のFWとして活躍した。

銭村健四
外野手 米領ハワイ準州/在籍:1953~56
優良助っ人 日系人
 銭村家の三男に生まれ、カープ初期に4年間活躍した日系人外野手。第二次世界大戦と朝鮮戦争に相次いで出兵し、一時期は病気で死にかけたが日本で治療を受けたことで回復。兵役完了者に与えられる奨学金を得てフレズノ大学に進学するとスタープレイヤーとなり、全米選抜代表として1952年に日米野球に参加した。

 日米野球を観戦した人のなかに東洋工業の創業家の松田恒次氏(のちのカープ3代目オーナー)がいた。日本の大学代表相手にプレーした健四の姿を見て、東洋工業サッカー部にいた健次を通じてカープ入りを持ち掛けた。これがきっかけとなって健三、ベン光吉と3人で入団が決定した。

 日本語が話せない健四だったがチームに溶け込み、主軸外野手として活躍。自慢のスピードを生かし、1954年にはオールスター出場を果たした。

光吉勉
投手 米領ハワイ準州/在籍:1953~54
日系人
 健三・健四兄弟と一緒にカープに入団した日系人サウスポー。カリフォルニア州出身。銭村健一郎のお気に入りで、東洋工業(現マツダ)の松田社長に強くおススメして入団させたものの、ヒジを痛めて活躍できず2年で退団。健一郎氏から二度と口を聞いてもらえなくなったそうだ。当時はベン光吉と呼ばれていた。

竹村元雄
投手 台湾/在籍:1950(阪急49)
日系人
 広島カープ初の外国籍プレイヤー。生まれは日本統治時代の台湾だが、終戦後に台湾に帰化している。

 1949年に阪急ブレーブスに在籍も一軍出場はなく、翌年の広島カープ創設にあわせて移籍。8試合に登板して平凡な成績だったが、打つ方では唯一の安打がホームランという珍記録を残している。


阪神タイガース 歴代助っ人外国人②(1999年以前)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Hanshin Tigers
阪神タイガース
セントラル・リーグ

外国人名鑑1999年以前
【1990年代までに在籍した外国人選手】
【1980年代までに在籍した外国人選手】
【1970年代までに在籍した外国人選手】
【1969年以前に在籍した外国人選手】
【大阪タイガース及び阪神軍(1936~60年)時代に在籍した外国人選手】
◇1990年代までに在籍した外国人選手
ベン・リベラ
投手 ドミニカ共和国/在籍:1998~99
期待以上
 MLB時代は先発投手だったが肩の故障でリリーバーに転向、阪神タイガースでクローザーを務めた豪速球投手。フィラデルフィア・フィリーズの先発ローテ投手になったリベラは、1993年に規定投球回以上を投げて13勝9敗を挙げ、チームのワールドチャンピオンに貢献。だがそれ以降は肩の故障で出場機会を減らし、97年にCPBL(台湾プロ野球)でクローザーをやっているところをタイガースが獲得した。

 制球力と変化球の質、クイックモーションといった技術面に課題を抱える、野村監督が嫌いそうなタイプだったが、当時メジャーでも希少な常時150km/h超の豪速球は大きな魅力だった。日本ではストライクさえ入ればそうそう打たれることはなく、2年目の夏頃までに合計39セーブ・防御率1.84と充分な結果を出していた。だが8月に右ヒジを故障し帰国。そのまま解雇された。

 阪神退団後は、ヒジが治ってから韓国のサムスンライオンズでKBOデビュー。日韓台の”アジア3大プロ野球”で試合出場を果たした初のプレイヤーとなった。ちなみに、左で投げても130km/h台を投げられたらしいが、公の場で披露したことがあるかは不明。

ダレル・メイ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998~99(巨人00~01)
問題児
 ファンの脳裏に問題児として焼き付いている先発左腕。

 短大から1992年にプロ入り後、46巡目の低順位ながらマイナーをスピード昇格して95年にメジャーデビュー。ここではメジャー定着はならず、98年のシーズン開幕直前タイガースと契約した。

 阪神1年目は4勝9敗・防御率3.47、まさに弱小球団で奮闘するエースらしい成績をマークした。2年目は防御率を落としたうえ、審判への暴行、報道陣への監督批判などで危険因子扱いをされ、ケンカ別れのような形で退団した。

 ちなみに、報道陣に野村監督を批判するビラを配った、という有名な逸話があるが、英語の分かる記者に自分の主張を書いたプリントを渡したところ、他の記者も欲しがったためコピーして配ったというのが真相のようだ。どれだけ投げても勝てないチームへの不満が相当たまっていたのだろう。

 退団直後に巨人へ移籍。2002年からはメジャーリーグに返り咲き、先発ローテーションで数年活躍。来日前より優秀な選手に成長する、ある種のモデルケースになった。

Embed from Getty Imagesカンザスシティ・ロイヤルズでは弱体投手陣を支えた
マーク・ジョンソン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1999
 ブロワーズの後ろ、5番ファーストで1年間プレーした長距離ヒッター。阪神でのロースター上は外野手登録だった。

 MLBに1995~98年の間で294試合出場・38本塁打を記録。98年には長谷川滋利と同じアナハイム・エンゼルスでプレーするも打率0割台となり、日本行きを決めた。

 99年にブロワーズとともに来日。前半戦だけで19本塁打を放ち、中日との首位争いに大きく貢献した。しかし後半戦は別人のように打てなくなり、わずか1本塁打。最終的に打率.253・20本塁打・66打点と、これまでの阪神打線を思えば及第点と言える一方、後半戦の大不振はファンを大いに落胆させるものだった。ちなみに99年は中日ドラゴンズが山崎武司のサヨナラ3ランで優勝を決めた年だったが、この試合は山崎が打つ前の9回表、ジョンソンが宣銅烈から逆転ホームランを放ち、中日の優勝を阻止しかけた。そんな貴重な1打が後半戦唯一の本塁打であった。

 ところでジョンソンは来日前から8割をファーストで出場していた選手で、外野は出番をもらうためのサブポジに過ぎなかった。阪神で外野手登録になっていたのは、球団社長がよく確認せずに独断で契約してしまい、いざ春季キャンプで試してみるとファーストしか守れず、大豊泰昭とポジションが重複してしまった。このジョンソン獲得の経緯は、フロントと野村監督の対立を決定的なものにしたと言われている。

マイク・ブロワーズ
内野手 ドイツ/在籍:1999
 メジャーでも珍しいドイツ生まれの元内野手。軍人だった実父が西ドイツの基地に勤務していた時に生まれたためである。誕生後はアメリカに住んでいたが、7歳のときに両親が離婚。母親がドイツ駐留の別の軍人と再婚したため、再びドイツで暮らすことに。その後、育ての父が退役したタイミングでワシントン州に移住した。

 短大からワシントン大学へ編入したブロワーズは、所属ディビジョンで三冠王を獲得したのちプロ入り。地元球団のシアトル・マリナーズでサードのレギュラーを掴み、1995年にはマリナーズ初のポストシーズン進出に貢献。メジャー通算で742試合に出場・76本塁打を放っていた。

 来日前の1998年にはMLBで2桁本塁打(11本)にサイクルヒットを達成していたブロワーズ。バリバリのメジャーリーガーということで破格の2億2000万円で阪神タイガースに入団。ジョンソンより格上なので、年俸も高ければ打順も4番を任された。だが開幕から調子が上がらず、7月に一時的に4番らしい仕事をしたかと思えばまた打てなくなり、8月上旬に解雇された。

 阪神の助っ人事情では、1996年のクールボーとデービスを皮切りに97年はシークリスト、98年はパウエルとシーズン途中の解雇が続いていた。球団としても4年連続の途中解雇は避けたかったが、”本人の同意なしに2軍に落とせない”条項を盾に2軍落ちに反発するブロワーズを、解雇する以外に対処のしようがなかった。なお、ブロワーズもジョンソンの件と同様、球団社長が独断で契約したものだった。

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郭李建夫(かくり たてお)
投手 台湾/在籍:1993~98
 1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した台湾のエース。来日前からNPBでのプレーを夢見ており、また阪神ファンでもあったことで翌年からタイガースに加入した。

 激しい争奪戦の末に獲得したタイガースであったが、外国人枠の矛盾を抱えていた。かねてから主力野手2人態勢のシーズンが多い阪神は、郭李入団1年目もパチョレックとオマリーが同時に在籍。「PKO問題」と呼ばれた難しいロースター編成となっていた。また、1年で手放すことになる松永をFA入団させながら先発の野田浩司を放出する不可解な動きもしており、タイガース球団の迷走ぶりが目立った。結局、パチレックは腰痛で欠場が多かったため、登板機会はある程度得られた郭李ではあったが常に不安定な起用法にさらされた。モチベーションが定まらず体重増加が悪影響を及ぼし次第に一軍で通用しなくなっていった。阪神退団後は台湾に帰国し、CPBL(台湾プロ野球)で主力投手として活躍した。

Embed from Getty Imagesバルセロナ・オリンピックではエースとして銀メダル獲得の原動力に
ダグ・クリーク
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 マクドナルドがさっぱりだった翌年、引き続き左腕不足解消のため獲得した。開幕から1軍も4月に4連敗後に左肩痛を発症。ウエスタンで調整している間、5月にダレル・メイが1軍デビュー。先発ローテに定着してしまい、クリークが再昇格したのは10月だった。ウエスタンでは9勝1敗・防御率2.16の好成績でチームの優勝に貢献した。スライダーが良く、マクドナルドよりは球威もあったがコントロールが悪すぎた。

 翌年メジャーに返り咲くとデビルレイズなどで2005年までプレー。復帰後は通算203試合とステップアップに成功した。

デーブ・ハンセン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 若手の頃から代打を本業にしていた珍しいタイプの元メジャーリーガー。ドジャースでは野茂英雄とチームメイトであり、タイガース入団もラソーダ監督の推薦が決め手だった。

 1998年に来日。年俸以外に阪神が優勝すると出来高が付く珍契約を結んでいた。パウエルや大豊の元中日コンビとともによく中軸を打っていたが、121試合で11本塁打に終わった。

 退団後はメジャーに復帰し、2000年には7本の代打本塁打を放ち、MLB記録を更新している。

Embed from Getty Imagesドジャースで打撃コーチを務めた
デジー・ウィルソン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 第3の外国人扱いを承知のうえで来日した長身の黒人外野手。「デジ・ウィルソン」が正式登録名。身長2m超・体重も100kg以上の素晴らしい体格を持つ、パワーに乏しいハイアベレージヒッターだった。

 シーズン前のチーム方針どおりウィルソンの出場機会はファームが中心になり、一軍では16試合出場にとどまった。ただし吉田監督率いる一軍はカープと最下位争いを演じたが、ウィルソンが主軸を打った二軍はウエスタンリーグ制覇。ある意味チームに貢献したともいえる。

 帰国後はAAAで過ごしてから独立リーグで数年プレー。2000年にデジ・ウィルソンJr.が誕生したが、離婚して親権を取られてからは疎遠に。息子は名前をデジ・ジャスティス・カートンに改名し、NBAプレイヤーになった。

アロンゾ・パウエル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1998(中日92~97)
 ドラゴンズで3年連続首位打者を獲得した巧打の外野手。ヒザのケガが原因でドラゴンズを解雇されていたところをタイガースが獲得した。

 だがヒザの具合は深刻で、走る系のトレーニングができない影響で体重管理が難しく、公式戦が始まっても体のキレが悪かった。一時は4番を打たせたこともあったが、もはや首位打者だった頃の姿はなかった。

 ⇒中日ドラゴンズ(1999年以前)参照

ボブ・マクドナルド
投手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 左腕不足を解決するため、1997年5月に入団テストを経て獲得したリリーフ左腕。だったが、球速は130km/h程度にとどまり、デビュー戦でもいきなりホームランを浴び、明らかに球威不足だった。ウエスタンでも打ち込まれ、9月に解雇。メジャー時代より酷い成績に終わった。

 MLB通算197試合登板・1995年にはヤンキースの一員… れっきとした元メジャーリーガーであるマクドナルドだが、阪神には別の人が来たのだと思った。ちなみに彼のファミリーネームは MacDonald なので、本家(?)とはスペルが違う。


フィル・ハイアット
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 タイガース入団前年の1995年、トリプルAで本塁打と打点の二冠(+三振王)に加えリーグMVPに輝いていた。大型扇風機タイプで、この年ぶっちぎりの180三振を喫していた(2位でも127三振だった)。日本では打ってくれるだろうとタカを括って獲得したのかもしれないが、打率は2割ジャストを行ったり来たり…サードの守備も問題ありで、途中入団したコールズとシークリストが優先的に起用されるようになった。

 帰国後は再びトリプルAでホームランを量産し、2001年には5年ぶりにメジャー復帰。マイナー通算314本塁打、トリプルAだけで257本ものHRを放ったが、2007年の不正薬物に関する報告書”ミッチェル・リポート”にハイアットのステロイド使用が記載されていた。なお、一時期ホークスが獲得を検討していたらしいが、最終的にズレータを選んでいる。

マイク・グリーンウェル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1997
大物 問題児
 ここで語る必要もないほど有名な、日本プロ野球史上最大の事故物件。名門ボストン・レッドソックスに12年在籍、通算1269試合出場・打率.303・OPS.831、オールスター2度、1988年にはMVP投票2位の実績を持ち、レッドソックスの球団殿堂入りの輝かしい経歴を持っている。特異なのは三振しない能力。88年は87四球を選びながら38三振しかせず、7シーズンも四球>三振を記録(すべて規定打席をクリア)した高い打撃技術を持っていた。それなのに… タイガースでは7試合の出場にとどまり打率.231・本塁打ゼロの時点で神のお告げにより引退した。

 唯一優れていた点はやはり三振回避能力で、29打席に立って1度も三振もしなかった。ただそんなことではフォローしきれないほど期待を裏切った。歴代でコスパが最悪だった外国人には、この人と元横浜のコックスが挙げられる。確かにコックスの成績も酷かったが、高年俸を貰っていながら副業が理由で一時帰国している点でグリーンウェルの方が余計にタチが悪かった。

 引退後は自分の名前を冠した遊園地を建設後、広大な牧場を経営して過ごした。また、2005年にホセ・カンセコがステロイド使用を告白した暴露本を出版した際には、カンセコがMVPになった1988年の次点がグリーンウェルだったため、ステロイダーはアワードの対象外にすべきと主張した。

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リード・シークリスト
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 タイガースの歴代思い出せない外国人ランキングの優勝候補。グリーンウェルの退団とハイアットの不振にフロントが狼狽。メジャー40人枠から漏れていたシークリストに目をつけ、低年俸で契約した。

 6月に来日してすぐに1軍登録され、初出場の巨人戦でいきなり代打タイムリー。1ヶ月ぐらい打率3割を維持していたが、オールスターのあたりからパッタリと打てなくなり、9月の途中に解雇された。

ダーネル・コールズ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1997(中日96)
元有望株
 ⇒中日ドラゴンズ(1999年以前)参照

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グレン・デービス (登録名:グレン)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1995~96
大物 問題児
 MLB通算190本塁打の超大物スラッガー。阪神では当然4番打者として期待された。近鉄のリチャード・デービスを思い起こさせるとして登録名はグレンになった。

 1985年にヒューストン・アストロズでメジャーデビューし、翌年はオールスターに選ばれると打率.265・31本塁打・101打点でシルバースラッガー賞にMVP投票2位と大ブレイク。通算1990年まで6年連続20本塁打以上を打ち、アストロズのトッププレイヤーであり続けた。90年オフに1対3のトレードでオリオールズへ移籍すると、呪われたかのようにケガが重なり、93年にメジャーのロースターを外された。このトレードは”オリオールズ史上最悪のトレード”と位置付けられている。94年はメッツのマイナーで打率.282・27本塁打・97打点と結果を残すもメジャーから声はかからず、この段階で日本行きを決断した。

 タイガースでは1年目の開幕から4番に君臨。大物に相応しい打撃を見せていたが、後半戦に入ると不振に陥り(この頃から○○が痛いと言い出すようになった)、打順も5~6番に下げられる試合が増加した。

 1年目はトータルで23本塁打。95年は平塚が4番を打ったほどの暗黒期だったためクビにはならなかったが、翌年に入って首脳陣との確執が表面化。練習態度の悪さと打撃不振を理由に、6月10日にクールボーと同時に解雇された。

 高年俸に見合っていなかったのもそうだが、来日すぐの4月の守備の際に、亀山努と激突したことで亀山の選手生命が縮んだのが何よりも痛かった。

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スコット・クールボー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1995~96
 オマリーの後釜として獲得した強打の三塁手。サウスポーに強い右打者だった。1995年に来日し、オープン戦では好調もシーズン序盤に苦戦。後半戦で復調し最終的に帳尻を合わせた。翌年も契約を延長されたが、開幕から右目の不調で打てなくなり、6月に解雇された。

 固め打ちが得意?だったことで、シーズントータルの数字は良いが打線のブレーキになっている印象が強い選手だった。引退後は1999年からマイナー球団の監督やメジャーの打撃コーチなどを歴任し、20年以上に渡って現場で汗を流している。なお、弟のマイク・クールボーも元メジャーリーガーだったが、2007年に同じチームでコーチを務めていたときに試合中に打球が直撃し亡くなった。

クレイグ・ワーシントン (登録名:クレイグ)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1996
 グレンとクールボーがダブル解雇され、代わりに入団した三塁手。1998年にオリオールズでメジャーデビュー。2年間サードでスタメン出場していたが、91年にレオ・ゴメスにレギュラーの座を奪われてからは3Aでの出場が多くなっていった。

 96年6月に阪神に途中入団。来日初戦から3番に座り、わりと打っていたのだが8月に右ふくらはぎの肉離れで欠場。シーズン終了間際に復帰したものの「華が無い」という理不尽な理由で解雇された。確かに翌年現れたグリーンウェルの方が華はあったが・・・

 守備も安定していてクビにするほど悪い成績でなかったが、出場22試合ではファンの記憶にも残らなかった。恐らく一番のハイライトはファーストネームのクレイグが登録名になり、マスコミに「打ってクレイグ、たのんマース」と書かれたことだろう。

ケビン・マース
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1996
元有望株
 まだメジャーでも有望株ランキングが無かった時代に、ニューヨーク・ヤンキースの名選手ドン・マッティングリーの後継者と期待された元トッププロスペクト。出だしは最速ホームランの記録を打ち立て、成功を収めたように見えたが次第に打てなくなり、1996年にタイガースに入団。クレイグとともに打線の中軸を期待されていた。

 来日初打席から4番を任され本塁打を量産していたが、次第に対策を講じられてからは崩れていった。試合状況に関係なく大振りのプルヒッティングのスタイルは穴が大きかったようで、日本でもMLB時代とまったく同じような結末をたどった。応援歌も最初の頃はバースのものを継承していたが、打てなくなるとすぐに変更させられた。

 ヤンキースでのマースのルーキーイヤーは輝かしいもので、デビュー後72打席で10本塁打を放つ当時最速記録を樹立した。イケメンだったこともあり、一部に熱烈な女性ファンがいた。79試合で打率.252・21本塁打・OPS.902の好成績でロベルト・アロマーに次ぐ新人王投票2位になった。しかし2年目は23本塁打を打ってはいたが弱点を突かれるようになり、打撃不振にあわせて出場機会が減少、ヤンキースを放出されていた。

トーマス・オマリー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1991~94(ヤク95~96)
大活躍 期待以上
 阪神タイガースで4年間3割を打ち続けた優良外国人。来日時点ではメジャー実績が豊富なウィンに注目が集まっていたが、入団1年目から全試合出場。1993年には首位打者を獲得した。だが4年目のシーズン終了後「長打力がない」という過去にも何度か繰り返した理不尽な理由で解雇され、移籍先のヤクルトでMVPを獲得した。

 阪神ファンには忘れられない名選手であったが、引退後に駐米スカウトに就任。微妙な…というより全然…な外国人を立て続けに連れてきてしまい、スカウトとしては選手時代とは真逆の評価をされている。

ロブ・ディアー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1994
大物
 メジャーリーグ通算226本塁打を記録した大物スラッガー。スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾ったこともある。阪神タイガースには破格の年俸2億7千万円で加入した。

 アメリカではひどい低打率と三振、我慢強い四球率とホームランが特徴的な、アダム・ダンの元祖のようなプレイヤーとして有名だった。1991年には当時メジャーワースト記録のシーズン打率.179を記録していた。日本では春季キャンプでは飛距離のある打球で「ディアーネット」を設置させるほどの期待を受けたが、シーズンに入ると成績は振るわず、右手親指の靱帯断裂により8月に退団となった。阪神ファンにとっては苦い記憶。

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ジム・パチョレック
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1992~93(大洋88~91)
優良助っ人
 確実性の高い打撃技術に加えてパワーも併せ持つ優良助っ人。大洋ホエールズに4年在籍、すべてのシーズンで打率3割をマークしているが、やや成績を落とした1991年に球団から「ホームランが少ない」と難癖をつけられ契約を切られた。

 これほどの優良物件を他球団が見過ごすはずもなく、タイガースはオマリーと友人であることを利用して契約にこぎつけた。少ないはずのホームランも移籍1年目には22本塁打を放った。2年目の1993年はチームの不可解なロースター編成のせいでレフトを守ることになり、守備の負担が増えたせいで腰痛を発症。「PKO問題」も相まって、シーズン中に現役引退を決断、帰国した。

マーベル・ウイン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1991
大物
 MLBで8年・940試合に出場、主に中堅手でレギュラーを張っていた元大物メジャーリーガー。年俸も1億4千万と高額だった。攻走守に優れる外野手として期待されたが、日本の野球には合わなかった。同時期に入団したオマリーが1/3の年俸で大活躍したせいで余計に阪神ファンの印象は悪かった。

 ただ、オマリーより優れていたのは全力疾走を怠らない姿勢で、その点を高く評価する向きもあった。MLB時代の1991年には単打1本でサイクルヒット達成の状況で、最後の打席で長打コースを放つと迷うことなく二塁を狙い、サイクル未遂を起こしている。

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マット・キーオ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1987~90
大物 大活躍
 MLBで3年連続2桁勝利を挙げた大物外国人投手。父親のマーティ・キーオは南海ホークスの元助っ人だったため、13歳のとき日本に住んでいた。

 タイガースではフォーシームとキレの良いカーブを武器に4年間在籍して45勝。4年目にヒザを痛めるまでエースとして多くのイニングをこなした。

リチャード・ウィリグマン (登録名:ウィッグス)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
 パリッシュの保険でタイガース入りしたメジャー経験のない外野手。第3の外国人選手としてウエスタンリーグで活躍していたが、パリッシュがシーズン終了前に退団したため1軍に昇格。結果は打率.191・1本塁打。

ラリー・パリッシュ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1990(ヤク89)
大物
 ワニを食べる男、通称「ワニ男」として奇妙がられたホームランヒッター。MLB通算256本塁打の超大物でもある。1989年にヤクルト・スワローズでホームラン王になったにもかかわらず自由契約に。理由はノムさんに嫌われていた(パワー一辺倒の選手は好きじゃないらしい)からで、フィルダーに逃げられたタイガースが迎え入れた。

 90年のシーズン序盤からホームランを量産し、オールスターに選出する活躍っぷり。しかし8月に古傷のヒザの具合が酷くなり、8月27日に突然引退を表明。ヒザに問題があることは織り込み済みだったが、まさかシーズン中に引退するとは阪神首脳も想定していなかっただろう。この時点までセ・リーグトップのホームランを打っていたため大きな騒ぎになった。

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◇1980年代までに在籍した外国人選手
セシル・フィルダー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1989
期待以上
 バースとジョーンズの後に26歳で阪神に入団したホームランバッター。来日前はメジャーデビュー以降、レギュラーを狙おうにもトレードの駒扱いを受けてチームを転々とさせられていた。嫌気がさしていたときに4番打者でオファーしてきたタイガースに入団を決め、来日した。

 オープン戦で三振の山を築きクビ寸前までいったが、変化球の多い日本の投手対策にアプローチを変えると即座に打球が前に飛ぶようになった。106試合で打率.302・38本塁打とこの上ない成績を残した。ただ、9月の試合で三振に怒り、地面に投げたバットが当たり小指を骨折してシーズン終了となってしまった。

 シーズンオフに帰国後、タイガース相手に5年契約と大幅昇給を要求。結局翌シーズンは、偶然にもデトロイトのタイガースと契約を結ぶことになった。MLB復帰後はメジャー13年ぶりとなる50本塁打を放ち、2年連続本塁打王を獲得。MVP投票でも2年連続2位のポイントを集め、瞬く間にスター選手の仲間入りをした。なお、デトロイトでは自動車の貿易摩擦に苦しんでいたため、地元紙から”デトロイトが受け入れた唯一の日本製品”と書かれた。

 息子のプリンス・フィルダーもホーラムン王を獲得するスター選手に成長。セシルは現役引退後、息子の代理人に専念した… はずだったが突然蒸発。ギャンブル依存症に陥って莫大な借金を抱えていたことが分かり、一時期プリンスと疎遠になっていた。

Embed from Getty Images来日前年にアナハイム・エンゼルスでプレーしたフィルダー
ランディ・バス (登録名:バース)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1983~88
大活躍 期待以上
 日本プロ野球史上最高級の助っ人外国人。タイガースの神様。マイナーのホームラン王を何度も獲得するパワーヒッターだったがメジャーの壁は厚く、阪神からの誘いを受けて1983年に来日した。初年度はシーズン後半から打ち始めて35本塁打。1985年には王貞治の記録に迫る54本塁打を含む三冠王を獲得。翌年は単一シーズン日本記録の打率.389をマークして2年連続の三冠王。阪神の優勝に大きく貢献した。

 ところが1988年、長男のザクリー君に水頭症が発覚する。アメリカで治療をするため一家で帰国した。手術は無事成功したが、回復するまで当面アメリカに留まりたかったバースに対し、村山新監督や球団首脳との関係が悪化。特に球団側は家族の治療費を払いたくないため、6月下旬に解雇を発表してしまう。しかし、球団の思惑に反して「5週間以内に再来日」する覚書を守って日本に戻ってきたバースは、不当解雇と治療費の未払いをマスコミに訴え、告訴も辞さない姿勢へと態度を硬化させた。7月に入って本格的に両者が決裂すると、7月某日、交渉役を任されていた古谷球団代表は責任を感じ、宿泊先のホテルニューオータニの屋上から投身する結末となった。

 なお、本来の発音はバスに近いが、路線バスのような報道をされることを避けるため「バース」と登録した。

ルパート・ジョーンズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1988
大物 元有望株
 不幸にもバース退団後の穴埋めで入ったため、最低でも3割30本塁打を求められた外野手。背番号00を日本球界に持ち込んだ男としても知られ、「ゼロゼロ怪人」と呼ばれた。ダグアウトで御香を焚いていた。

 実は結構な大物メジャーリーガーで、1977年に新球団のシアトル・マリナーズでレギュラーに抜擢。リロイ・スタントンと右中間コンビを形成し、160試合・24本塁打をマークし、(当時WARはまだ存在していない)同年のマリナーズ全選手中トップのrWAR 4.1を記録。その後パドレスなどで中堅手のレギュラーを務めあげ、通算1331試合・147本塁打・143盗塁にオールスター選出2度の実績を残した。

 阪神には1988年の途中に入団。

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リッチ・ゲイル
投手 アメリカ合衆国/在籍:1985~86
大物
 メジャー5シーズンを先発ローテーションで投げ、規定投球回達成5度、2ケタ勝利2度をマーク。一時期はエースの立ち位置だったこともある大物スターター。

 1985年に阪神タイガースに加入し、198cmの長身を活かして13勝、チームの優勝に貢献した。ただし防御率は4.30にリーグワーストの四球を与えており、強力打線に助けられた面が強かった。2年目は被打率を悪化させ解雇。

リチャード・オルセン
投手 アメリカ合衆国/在籍:1983~84
 1983年の阪神のマウイキャンプに飛び入り参加した元マイナーリーガー。そこで入団テストを受けて合格を勝ち取ったが、既にキム・アレンとバース、ストローターの3人を雇っていたため保留になっていた。だが投手陣のやりくりが苦しくなった6月、球団はストローターを電撃解雇してオルセンを選手登録。1年目は4勝2敗・防御率3.51とテスト入団にしては合格レベルの結果を残した。球威のあるファストボールがいい具合に荒れて抑えられていた。シーズン後にコントロールを良くしようとフォーム改造に取り組んだことが裏目に出てしまい、2年目は16先発で20被弾を食らい、解雇となった。

キム・アレン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1982~83
 ドラフト外でプロ入りしながらメジャーリーグまで漕ぎつけた元スピードスター。カリフォルニア大リバーサイド校やプロ入り当初は目立った成績を残していなかったが、1980年に3Aパシフィック・コーストリーグで盗塁王を獲得。1913年から続く歴史あるリーグだが、84盗塁は歴代最多記録だった。同年9月にメジャー昇格すると23試合で10盗塁とアピールした。翌シーズンの開幕前には新人王のダークホースと有望視されたが、監督の目指すカラーに合わなかったのか、代走でしか使ってもらえなかった。

 1982年の来日が決まり、安藤監督の目指す機動力野球の戦力として迎えられた。だがシーズン前半にケガで長期離脱。外国人選手がジョンストン一人だけとなり、チームの戦力ダウンを招いた。2年目の契約も更新されたが、打撃で進歩が見られず解雇となった。

スティーブ・ストローター
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1983
 バースと共に阪神に加入したが、わずか2ヶ月で解雇された元外野手。1971年のドラフト入団後10年以上をマイナーで過ごし、1980年に30歳でメジャーデビュー。キャリア唯一のホームランをデニス・マルティネス(※ニカラグア人最高のMLBプレイヤー)から放つも、メジャーでの時間は限られ、阪神タイガースに入団した。

 第3の助っ人扱いの中、28試合・92打席で打率.276・5本塁打と結果を残した。ラムと違って実力は充分にあったが、6月に自打球を足に当てて骨折してしまうと、電撃解雇されてしまった。この年(1983)のタイガースは投手陣のやりくりに苦戦。リリーフの福間納のイニング数が規定投球回を超えたほど苦しい台所事情だったため、外国人枠を投手に割くための決断だった。

スティーブン・ラム
外野手 イタリア/在籍:1981~82
 日本球界では珍しいイタリア生まれの外野手。ニューヨークのクイーンズで育つ。メジャー経験は無いがイタリア代表に選ばれ、タイガースとは25歳と若いタイミングで契約した。育成予定だったと言われている。

 外国人3人目の序列だったが、デードの退団とゴンザレスの故障離脱によって予想外に早く一軍昇格が訪れた。が、実力的にNPBのレベルでは厳しく、2年目はほぼ出番なくその年限りで解雇された。

グレッグ・ジョンストン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1982
 MLBで63試合出場経験のある元外野手。1982年にキム・アレンと一緒の年に来日。アレンが故障離脱してからは助っ人1人で奮闘した。しかし、打率.250に終わったヒッティングと気分屋な性格は好不調の波が激しかった。左打者を求めていたチーム事情のおかげで出場機会は多かったが、最終的には打撃・走塁守備ともにイマイチな成績に終わった。

 長打力よりも守備と走塁重視という点でキム・アレンと同タイプだったが、前年のオルトの守備が酷すぎたせいか、阪神球団はアレンとジョンストンを同時に獲得。2つしかない外国人枠にパワーヒッターを割かないという迷走を見せた。結果は表面上の成績はアレンより良かったがジョンストンの方だけ1年で切られた。

ダグ・オルト
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 デードとともに入団した選手で、長打力を期待されていた。在籍1年で打撃成績は打率.307・18本塁打・OPS.852。率系のスタッツで好成績を残したが、骨折で長期離脱したほか守備走塁のマイナス点が目立ち、安藤監督の方針で準レギュラーのような不安定な起用法をされた。

 帰国・引退後は古巣ブルージェイズのマイナー球団の監督を務めた一方、プライベートは全く上手くいかなかった。最初の奥さんと離婚後、女医と再婚するも法令違反で医師免許をはく奪された。自分の事業も失敗して自宅を売却と苦難が続き、拳銃自殺した。

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ダン・ゴンザレス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 ”団権三(だんごんぞう)”のニックネームを持ち、チームメイトともすぐに打ち解けた外野手。デトロイト・タイガースとの提携によってシーズン途中に阪神タイガースに加入した。

 来日したのは6月だったが、到着直後に左足首の捻挫に靭帯損傷。一軍でプレーできるまでに3カ月かかった。ようやく一軍デビューしたのは9月27日。これほどまでに 時に既に遅し、という言葉がピッタリなシチュエーションはあるだろうか?

ポール・デード
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 メジャーで初めて背番号00をつけたことで知られる外野手。俊足がウリで、エンゼルスからドラフト1巡目指名でプロ入り。1977年にクリーブランド・インディアンスでキャリアハイの134試合・134安打・打率.291・16盗塁を記録。MLB通算成績は439試合・打率.270・10HR・57盗塁。

 阪神では俊足巧打のトップバッターとして期待されたが、メジャー時代から痛めていた右ヒジ痛に終始悩まされ、出塁率・長打率はともに2割台。シーズン途中で解雇された。

マイク・ラインバック
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1976~80
元有望株 大活躍
 1976年にブリーデンとともに来日し、5年にわたって活躍した人気選手。サンディエゴで生まれ、UCLAに進学後ドラフト1巡目(全体17位)でボルティモア・オリオールズに入団。1972年にAAのサザンリーグで打率.346・30本塁打を記録しリーグMVPを受賞。1964年に発足したサザンリーグだが当初MVP表彰はしておらず、この年のラインバックが初の受賞者だった。

 当時プロスペクト・ランキングがあったら間違いなくtop100に入っていたであろうラインバックだったが、1970年代半ばのオリオールズは常にリーグ1位を争う黄金時代。特に外野はメジャー史に残る陣容を有していた。ドン・ベイラー、ポール・ブレア、ケン・シングルトンのレギュラーのほか第4の外野手アル・バンブリーが立ちはだかり、サブポジションの一塁はMVPブーグ・パウエルが守っていた。デビューイヤーには一塁手兼外野手の球宴選手リー・メイが移籍してきてしまいThe End。メジャーに見切りをつけ、1976年にタイガースに入団した。

 阪神ではブリーデンや田淵らとクリーンナップを組み、3度の打率3割、ホームランも安定して20本前後を記録。守備では一塁へのヘッドスライディングやフェンスを恐れぬランニングキャッチ…数々のハッスルプレーで大きな人気を誇った。1979年を最後に契約更新をしないことがわかると、タイガースファンから抗議の電話が殺到した。

 退団後は10年間、急成長真っ只中のホームコンピューター業界で働いた。1989年に南カリフォルニアの山道を運転中に事故死。その事実は翌年のスポーツ紙で小さく報じられた後、探偵ナイトスクープの伝説回”ラインバックは死んだのか”で取り上げられ大反響を生んだ。

ブルース・ボウクレア
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1980
 ヒルトン退団後の穴を埋めるために阪神に入団した、いわゆる三拍子揃ったタイプの外野手。メジャー時代、メッツで外野の準レギュラーのような立ち位置になり、1976~78年には3年連続で100試合以上に出場。79年に出場機会が激減し、外野手を求めていたタイガースへの移籍を決意した。

 日本では長打力が無いわりに打率も上がらず、起用機会を与えても打撃成績は振るわなかった。ただ球団はなぜか再契約の意向を示していたが、ボウクレア自身がメジャー復帰を希望し、日本を去った。

デーブ・ヒルトン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1980(ヤク78~79)
 日本で波乱のキャリアを過ごした優良外国人。常に全力プレーを怠らず、極端なクラウチング打法が特徴的だった。ヤクルトを2年限りで解雇された後、ブレイザー監督の意向でタイガースが獲得。元の本職はショートだが肩の衰えが見られ、セカンドかサード起用が前提だったヒルトン。一方のタイガースはドラフト1位で岡田彰布を獲得していた。サードの掛布雅之は動かせず、岡田はセカンドにコンバートされることになったが、これによりヒルトンとポジションが被ってしまった。

 ブレイザー監督は実績のあるヒルトンを優先的に起用する方針だったが、球団フロントとファンはスター候補の岡田を使うことを望んだ。この対立はシーズン中に激化。ヒルトンの成績が振るわなかったこともあり、ヒルトンは早くも5月に帰国するに至った。

 それから1週間と間を置かずにブレイザー監督も解任された。ヒルトンのタイガースでの打撃成績は18試合・打率.197。勝てないチームへのファンの怒りを前面に受けてしまう、気の毒なシーズンだった。

◇1970年代までに在籍した外国人選手
リロイ・スタントン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1979
 メジャー通算829試合・77本塁打の実績があったパワーヒッター。ロサンゼルス・エンゼルスの右翼手のレギュラーを務めていたが、チームがボビー・ボンズを獲得したため居場所を失う。1976年の新球団拡張ドラフトでシアトル・マリナーズに移籍、マリナーズ元年にキャリアハイの27本塁打をマークした。

 1979年に阪神に入団。シーズン136三振のセ・リーグ記録と、34試合連続三振の日本ワースト記録を樹立し、”打たんトン”と揶揄されるほど苦んだ。横浜スタジアム初の場外本塁打を放つなど印象に残る一打もあったが、1年で解雇となった。

 ところでメジャーの大物選手のうち、FAやトレードでニューヨーク・メッツに移籍すると大コケする歴史が続いている。1971年のオフ、メッツはロサンゼルス・エンゼルスから1対4のトレードでジム・フレゴシを獲得。それまでオールスターの常連(6度選出)だったフレゴシは、メッツに入ると故障と打撃不振に苦しみ、1年半で放出された。一方でトレード相手のノーラン・ライアンは移籍1年目から大ブレイクし、説明不要な大選手へと成長した。…ライアン以外の”ほか3人”のうちの1人がスタントンであり、彼もまたエンゼルスで初めてレギュラーを掴んだのだった。

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ハル・ブリーデン
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1976~78
元有望株 大活躍 優良助っ人
 ”赤鬼”と呼ばれ、タイガース史上有数の優良外国人選手だったパワーヒッター。マイナー時代、のちに殿堂入りするホイト・ウィルヘルムと交換トレードされるほどの有望選手だった。兄の捕手ダニー・ブリーデンとともに元メジャーリーガーで、2人ともメジャー定着できなかったが、シカゴ・カブス時代にチームメイトになると数試合を同時に出場することができた。

 1976年からタイガースでプレイ。初年度から王貞治との本塁打王を争い、タイトルは逃すも40本塁打。2年目も37ホーマーを放ち、チームの主軸として活躍した。ファーストの守備力も高く、特にショートバウンドの送球処理が上手かった。しかし、1978年は右ヒザの靭帯を損傷、帰国後に解雇となった。

 ふだんはおしゃべりが大好きでリーダシップもある、グラウンド内外で好感が持てる男だった。引退後は故郷のジョージア州のリー郡で保安官になり、落選するまで20年間務めあげた。

ボビー・テイラー (登録名:テーラー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1974~75(中日73)
 メジャーでは打力が足りず来日したが、ドラゴンズでは結果を出せず解雇された。翌年タイガースに拾われると1,2番打者としてレギュラーに定着。1974年にはまさかのオールスター出場も果たした。とはいうもののシーズン全体では127試合・12本塁打・打率.278の成績で、より強力な助っ人を求める方針により2年で解雇となった。

 実は選球眼が極めて優秀で、常に出塁率だけは高かった。マイナー時代から三振を大きく上回るフォアボールを選び、阪神での2年間は両年とも四球>三振をマーク。現代ならもっと評価されたプレイヤーだったと思われる。

 ⇒中日ドラゴンズ(1999年以前)参照

ジョージ・アルトマン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1975(東京・ロッテ68~74)
大物
 日本とアメリカ両方で長く活躍した希少な優良外国人。NPBには35歳から東京/ロッテオリオンズに7年在籍。外国人選手で初めて通算200本塁打を放ち、通算打率も3割超の打撃成績を残した。最後に1年だけタイガースで過ごしている。

 オリオンズでの7年目のシーズン中に大腸ガンが発見され、治療のため帰国。オフに大幅減俸で再契約オファーしたオリオンズとは交渉が決裂し、プレーの場を求めて阪神タイガースへ移籍した。

 1975年のタイガース入団時はすでに42歳。年齢に加えてガン治療後のハンデには勝てず、打率.274・12本塁打に終わった。ただしアルトマンが5番に座っているだけで相手投手にプレッシャーを与える効果があったようで、4番の田淵は例年より敬遠四球が減り、自身1度きりの打率3割超え(.303)・ホームラン王を75年に達成している。

ウィリー・カークランド
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1968~73
大物 元有望株 優良助っ人
 MLB・NPB両方で長く実績を残した数少ないスラッガー。プロ入り後に早くから有望視され、マイナー時代に3度の35本塁打以上に加えて首位打者と打点王を獲得。メジャーでは1959年から4年連続で20本塁打以上をマークしていた。

 1968年に阪神に入団すると、豪快なバッティングから期待通りに本塁打を連発。巨人戦に滅法強かったうえ、ファンサービスにも積極的だったことでファンから高い人気を誇った。クロスプレーの影響で前歯を義歯にしたせいで風船ガムを嚙めなくなり、代わりに爪楊枝を噛んでリラックスしていた。粗い打撃ではあったが確かな長打力でチームに貢献し、在籍期間はバースやマートンと同じ6年に及んだ。

 タイガースを退団したとき38歳だったためそのまま引退。以後はゼネラルモーターズで自動車整備に従事し、野球界から距離を置いた。

Embed from Getty Imagesサンフランシスコ・ジャイアンツではウィリー・メイズ、ウィリー・マッコビーの3人で「ウィリーズ」を形成。チームの快進撃を支える原動力になっていた
レオン・マクファーデン (登録名:マックファーデン)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1972
 大柄だが長打力が少なく、強肩を活かした守備と脚が強みの内野手。メジャーに上がったシーズンが3年あったがベンチプレイヤーに留まっていた。立て続けに期待に背いていた外国人野手の次なる打線の軸としてタイガース入りした。

 内野守備と真面目な性格は現場からの信頼が高かったが、阪神首脳はゲインズ、バレンタインに代わる助っ人ということで強打を求めていた。打撃成績が求めるレベルでなかった(54試合・打率.283・2本塁打)という理由で減俸の2万ドルで契約更改しようとしたところ、帰国中のマクファーデンは首を縦に振らず。交渉は翌春季キャンプにズレ込み、最低3万ドルを希望するマクファーデンは年俸調停を申請。結果は球団側の金額が妥当との裁定が下ると、任意引退を選びマイナーリーグに戻った。

 この年俸調停制度はこれまで使われたことがなく、外国人選手ながら適用第1号に。時は流れて1991年、落合博満が日本人で初めて申し立てたときも大きな注目も浴びた。

 ちなみにマクファーデンの生まれはアーカンソー州だが、高校はロサンゼルスにあるフリーモント高に進学。アメリカで最も多くメジャーリーガーを輩出している高校で、殿堂入りのボビー・ドーアのほか1960年代に来日したグレン・ミケンズ(近鉄)やアル・グルンウォルド(大洋)も先輩にあたる。また、息子のマクファーデンJr.はアメフトの道に進みNFLプレイヤーになった。

息子のポジションはコーナーバックだったEmbed from Getty Images
フレッド・バレンタイン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1970
 カークランドや田淵らと並ぶ打線強化のため入団した黒人選手。スイッチヒッターだったことも期待を大きくさせた。パワフルな打撃がウリだったが、日本では期待されたほどの成績を残せなかった。

 アメリカでは1959年にMLBデビューもマイナー生活が続き、63年に4年ぶりに再昇格を果たす。ワシントン・セネタースでレギュラーを掴むと、66年には打率.276・16本塁打・22盗塁・OPS.806をマーク、MVP投票で4ポイントを獲得する活躍を見せた。しかし翌年以降は出場機会を減らし、68年に阪神タイガース入りした。

 開幕から3番を任されたバレンタインだったが凡打が続く。下位打線に下げると復調するが、クリーンナップに戻すと調子を崩す…を繰り返した。シーズントータルでホームランも11本にとどまり、低打率も相まって解雇となった。

Embed from Getty Imagesグレープフルーツリーグのとある試合で「ヒットで出塁したフレッド・バレンタインを牽制で刺そうと、一塁手のミッキー・マントルがタッチを試みる」シーンだそうだ
◇1969年以前に在籍した外国人選手
ジョー・ゲインズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1969
 右打者のカークランドが大成功だったため、今度は左打者をということで獲ってきた外野手。カークランドと同じようにメジャー経験者・ベテラン(33歳で来日)・外野手ではあったが、決定的に違ったのは経歴と武器。同じ元メジャーリーガーといえど、マイナー時代から有望株だったカークランドとは格が違う。またゲインズはどちらかというと打撃より盗塁重視の選手で、昔の助っ人に求める強打者ではなかった。

 阪神に入団した際に”ヒット、ホームランをたくさん打つ”、”盗塁王を狙う”と宣言。チームも初めは期待したが、シーズンが進むにつれ実力を発揮できず、6月初めにはスタメンを外されることとなった。

ジーン・バッキー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1962~68(近鉄69)
大活躍 期待以上
 テスト入団で加入しながら通算100勝を達成したタイガースの名投手。7年在籍して最多勝1度、最優秀防御率1度、沢村賞1回、球宴選出5度の実績を残し、1964年の優勝に大きく貢献した。適度に荒れる速球で攻めるピッチングスタイルを貫き、ナックルボールも駆使していた。

 バッキーは元々ハワイのAAA球団・アイランダーズに所属していたが、オーナーが見ている試合で大逆転負けを喫し、戦犯の1人としてクビに。その後、日系人が中心のハワイ朝日軍でプレーしているうちに日本行きを希望するようになり、1962年に阪神にテスト入団した。

 来日2年目に一軍に定着、規定投球回数をクリアして8勝・防御率2.49を記録した。3年目には29勝9敗・防御率1.89で最多勝と最優秀防御率、沢村賞を獲得し、名実ともに阪神のエースとなった。翌年には巨人戦でノーヒットノーランを達成。巨人戦に強いことも彼の価値を高めた。

 しかし、1968年の巨人戦”バッキー荒川事件”と呼ばれる乱闘事件で右手親指を骨折し、これが彼のキャリアを終わらせた。1969年は近鉄バファローズに移籍するも結果を出せず、引退後はアメリカで高校教師を務めたあと牧場経営をして過ごした。

マイク・クレスニック (登録名:クレス)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1967(大洋63~65,近鉄66)
 大洋と近鉄で大活躍した優良外国人。近鉄を退団後、日本に残ってキリスト教の教会を手伝っていたのを、阪神球団が説得して1967年途中に現役復帰させた。

 結局タイガースでは43試合で打率.215・5本塁打。引退した選手を無理に引っ張り出すとこうなるということが分かった。

ピーター・バーンサイド
投手 アメリカ合衆国/在籍:1964~65
 メジャー時代の元同僚ドン・ジマーと友人の技巧派左腕。メジャーで196試合・64先発とそれなりの実績を持ち、キャリアの終わりに来日した。

 タイガースでの在籍2年間で10勝22敗だったが、1年目は5勝8敗・防御率3.36、2年目は規定投球回をクリアしながら5勝14敗・防御率2.91。打線の援護に恵まれない試合が多かった。それでもフォアボールが少ないピッチングは安定感があり、村山実、バッキーと同列にローテーションの軸として起用された。ただ入団時点で34歳。年齢的な理由から2年を以って契約は更新されなかった。

 イリノイ州生まれなので幼いころからシカゴ・カブスファン。大学を歴史と社会学のダブルメジャーで学位を取得した秀才で、引退後はイリノイ州の母校で教鞭をとり、野球部の監督も務めた。

ワシントン・セネタース時代に勝利を喜び合う(右がバーンサイド)Embed from Getty Images
チコ・フェルナンデス
内野手 キューバ/在籍:1965
大物 問題児
 スタメン落ちすると急に連絡を絶って首脳陣批判をした問題児… 阪神ファンからは負のイメージで認知されている元メジャーリーガー。キューバ出身。本名はウンベルト・フェルナンデス。

 1932年生まれのフェルナンデスはブルックリン・ドジャースに入団。有望株として見られていた一方でドジャースのショートにはピー・ウィー・リース(1984年にMLB殿堂入り)が君臨。ショート以外も充実していた内野陣に割って入れなかった。トレードでドジャースを出た1957年からはショートでスタメン出場するようになり、約6年に渡ってレギュラーを死守した。1962年には初めて2ケタに達する20本塁打をマークするも、翌年以降は出番を減らし、1965年に阪神に入団した。

 メジャー時代にあまりサードの経験はなかったが、いつまでも埋まらないソロムコの穴埋めを期待された。ただ、どうも日本の野球をナメていたようで、春季キャンプでは調整が遅れ、オープン戦も低調。シーズンに入っても全く打てなかった。ついにスタメン落ちが決まった日にはチームと連絡を絶ち、マスコミに首脳陣批判を展開。問題行動が続いて1年で解雇された。

Embed from Getty Images初めてメッツのユニフォームを着た新人時代のチコ・フェルナンデス。監督のケーシー・ステンゲルに帽子を被せられる。
レノ・ベルトイア
内野手 イタリア/在籍:1964
大物
 日本では特に阪神ファンからは初代ダメ外国人と思われているが、カナダの野球殿堂に入っている偉大な選手。イタリア生まれだが、2歳のときにカナダのオンタリオ州に移住。隣の家に住んでいたハンク・ビアサッティと親しく、マイナーリーグ時代のルームメイトのアル・ケーラインとは親友と呼べる仲だった。ビアサッティはヨーロッパ人初のNBA選手、ケーラインは「ミスター・タイガー」(デトロイトの方ね)の超大物。

 阪神タイガースでは1963年にサードのヤシックが打てず、補強が必要となっていたためベルトイアを連れてきた。メジャー経験豊富ということで大きな期待が寄せられ、バッキー、バーンサイド、ベルトイヤの3人で”3Bトリオ”の愛称が付けられた。

 しかし、ベルトイヤは全く打てず、打率.175・1本塁打に終わり、妊娠中の奥さんの体調が悪化したことを理由に4月下旬に解雇。NPBのキャリアは1ヶ月にも満たなかった。

 引退後はカナダに戻って地元高校の教師を30年務めた。2011年にガンで亡くなると、親友のケーラインやカナダ野球殿堂、多くの教え子たちがベルトイアに哀悼の意を表した。カナダ野球殿堂の会長兼CEOもベルトイアの教え子だった。

 なお、ベルトイア自身はカナダにルーツがあると考えていたが、イタリア生まれという面でもトッププレイヤー。メジャー通算612試合出場はイタリア生まれでは最多である。20世紀前半は移民の子がメジャーリーガーになるケースがあったため、ベルトイアで歴代6人目のメジャーリーガー(1953年)だったが、ベルトイア以降はなかなか現れず、2011年にアレックス・リディがデビューするまで待たねばならなかった。

マイク・ソロムコ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1960~63(東京64~65)
大活躍
 米軍の座間キャンプ勤務を経て大阪タイガースに入団した元外野手。ペンシルバニア州出身。非東洋系ではタイガース初の外国人プレイヤーである。メジャー経験は無く、マイナー最高位はAAA。1958年に駐日軍人として来日し、1960年にカイザー田中(田中義雄)の紹介で大阪タイガースの入団テストを受け契約した。

 ソロムコは中距離打者タイプでありながら長打力もあり、初年度は99試合で4試合連続本塁打を含む17本塁打。オールスターにも出場した。4年もの間主軸打者として活躍したが、1963年に東京オリオンズの若生智男の交換相手となって放出された。貧打にあえぐ猛虎打線には失敗に挙げられるトレードだった。

 毎日オリオンズで2年プレーして現役を引退。アメリカに帰国せず日本に留まり、1970年に輸入調理器具の訪問販売会社『イージーウェア』を設立した。

フランク・ヤシック
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1963
 吉田義男と三宅秀史。2人が組む三遊間はタイガース史に残る名コンビであったが、1962年に試合前の練習中に三宅が顔面でボールを受け、眼窩底骨折の重傷を負ってしまう。彼の穴を外国人選手で埋めようと探し出したのがヤシックだった。

 メジャー経験の無いヤシックだったが、球団からは背番号1を与えられ、入団発表の際にシーズン40ホーマーを宣言。だが実際の成績は打率2割を切り、ホームランはたった2本。三塁守備も名手三宅に遠く及ばず、期待を大きく裏切る結果に終わった。

 シーズン終了後にヤシックは解雇。また、三宅も眼の怪我が大きく響き、負傷前のレベルまで回復することはなかった。

マーク・ブラウンスタイン (登録名:ブラウン)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1962
 カリフォルニア大学を卒業後、直接阪神タイガースに入団した異色の経歴を持つアマチュア選手。本名はブラウンスタインだが登録名はブラウンであった。

 学生から直接タイガース入りしているので当然プロ経験はなく、21歳の若さで来日。オープン戦から球威とコントロール両方に課題を露呈し、開幕時は二軍スタート。6月には念願の一軍に昇格したが、加減を知らずに練習したせいで右肩を故障。一軍にはしばらく帯同しただけに終わった。

 シーズン終盤にダメもとで野手転向を図るも失敗に終わった。初めからプロレベルではなかったと見られている。それでも背番号は18番を与えられ、ある程度期待はされていたらしい。

藤重登
捕手 米領ハワイ準州/在籍:1959~61(南海56~57)
日系人
 南海ホークスを退団してハワイに帰ったが、カイザー田中(田中義雄)に呼び寄せられ2年ぶりに日本球界復帰した。キャッチャーとしての技術に定評があったが打力が低かったと言われている。南海時代より多く試合に出た(南海33試合、阪神122試合)が、1961年シーズンをもって今度こそ帰郷した。

◇大阪タイガース及び阪神軍(1936~60年)時代に在籍した外国人選手
小島勝治
外野手 米領ハワイ準州/在籍:1952~54
日系人
 ハワイ準州出身の日系人選手。1923年8月7日にオアフ島ワイパフで生まれた。ハワイレッドソックスに在籍し、1952~54年に大阪タイガースでプレーした。俊足がウリの中堅手で、1年目にリーグトップの三塁打を記録している。54年シーズン終了後、球団がコストカットの方針を打ち出し解雇された。

与儀眞助
内野手 米領ハワイ準州/在籍:1953~54(金星57)
日系人
 1928年2月13日ハワイ・オアフ島ワイパフで生まれ、来日前はハワイレッドソックスに在籍。同じワイパフ出身の先輩でもある小島の推薦によって、小島より1年遅れて大阪タイガースに入団した。

 来日1年目にリーグ10傑に入る打率.295に14本塁打の好成績でサードのベストナインを受賞。与儀の活躍のおかげで衰えが見えてきていた藤村冨美男をファーストにコンバートできた。しかし、2年目は成績を悪化させ、小島ともども経費削減のためカットされた。

 1957年に1年だけ大映ユニオンズでプレーした。

若林忠志
投手 米領ハワイ準州/在籍:1936~44,46~49(毎日50~53)
大活躍 日本に帰化 日系人
 ハワイ移民の両親のもとハワイ準州オアフ島で生まれた日系二世。プロ野球の社会的地位が低かった時代に活躍し、戦中・戦後復興期に野球界に貢献し、兼任監督も務めた。

 1936に28歳で大阪・阪神タイガースと契約してから49年まで在籍。エースとして積み上げた記録は通算501試合・233勝(136敗)・259完投・3436回2/3・防御率1.90...有力な日系人選手を多くスカウトさせ、グラウンド内外で大きく貢献した。本来なら「ミスター・タイガース」と呼ばれるべき働きだったが、1950年に新球団の毎日オリオンズに主力選手を連れて、引き抜きの形で移籍したため、長く裏切者扱いをされてきた。ただ時が経って憎悪のファン感情は薄れていき、2011年に球団独自の”若林忠志賞”が設立された。この賞は優れた社会貢献活動をした虎戦士に贈られる、阪神版ロベルト・クレメンテ賞である。

 なお、背番号がいろは順に割り付けられていた当時、若林は18を付けていた。1960年代以降から18=エースナンバーのイメージが日本球界全体に波及していった。いわば元祖といえる選手でもあるが、当のタイガースでは18はエースナンバーではない。藤村隆男は2番、村山実11番、小林繫19番、江夏豊28番、えもやんに井川慶29番・・・といった具合に見事にバラけている。藪恵壹に至っては入団時18だったのを途中で4番に変更しているほど、タイガースというのは背番号に拘りのない球団なのだ(バッキーとキーオも4番だった)。

呉昌征
外野手 台湾/在籍:1944,46~49(巨人37~43,毎日50~57)
日本に帰化
 1リーグ時代の巨人と阪神、2リーグ以降に毎日で活躍した元台湾人選手。日本統治下に現在の高雄市で生まれ、現役時代は台湾国籍だったが還暦の年に日本に帰化。”石井昌征”になった。

 ハイレベルな打撃技術と俊足、強肩を誇り、人間機関車と呼ばれ、タイガース時代はチーム事情から投手も兼任。1946年は主に1番センターで出場しながら14勝6敗・防御率3.03を記録。打率も.291を記録する本物の二刀流を成功させた。

大館勲
内野手 米領ハワイ準州/在籍:1949(毎日50~55)
日系人
 体重90kg台後半の巨漢スラッガーだった日系二世。1917年4月ホノルルで生まれた。孫の紫雷美央・紫雷イオ姉妹は女子プロレスラー。

 現在の龍谷大平安高校の平安中学でレギュラーとして甲子園に出場し、卒業後は専門学校で柔道を極める。兵庫県警で師範と掛け持ちで野球をやっていたところを1949年にタイガースが獲得した。契約時点で31歳だった。

 1年目は42試合に出場したが、アマチュアNo.1捕手・徳網との交換トレードで毎日オリオンズに移籍。タイガースのベテラン正捕手・土井垣が新球団の毎日から囲い込みを受け、逆に毎日に内定していた徳網が出番減を嫌ったことで異例のトレードが成立した。2リーグ制移行期のゴタゴタに巻き込まれる形で、大館はタイガースには1年しかいられなかった。

田中義雄
捕手 米領ハワイ準州/在籍:1937~44
大活躍 日本に帰化 日系人
 「カイザー田中」と名乗っていたハワイ準州出身の日系アメリカ人。ハワイ大学時代にドイツにかぶれていた田中に、ドイツ語で皇帝の意味を持つ”カイザー”のあだ名がついていた。眼鏡をかけてプレーしていた。

 生年月日については諸説あり。NPB公式は1909年7月20日生まれとしているが、1985年に死去したときは78歳(1907年4月2日生まれ)と報じられているほか、Baseball-Referenceでも1907年生まれとされている。

 ハワイで高校教員をやっていたが、日米関係の悪化で二重国籍のどちらかを捨てなければならず、日本人の母親の強い反対で日本国籍を選択。教員を辞め、若林忠志の勧誘で大阪タイガースに入団した。タイガースでは前年に正捕手が退団しており、1937年秋季リーグからカイザーが正捕手の座に収まった。

 強肩に加えて、当時日本よりハワイの方が野球のレベルが高かったため、キャッチャー周りの技術は日本人選手を圧倒していた。(オールスターの前身にあたる)東西対抗戦に5度選ばれている。

 1944年に日本軍に招集されるとそのまま引退。戦後もプロ野球に関わり続け、1958~59年にはタイガースで監督を務め、天覧試合で指揮を執った。

堀尾文人
外野手 米領ハワイ準州/在籍:1939~41(阪急軍36~38,巨人35)
日系人
 NPB初の外国籍選手、かつ初の(実質的に)スイッチヒッターと知られる日系二世選手。東京巨人軍からメジャーリーガーを目指すも夢破れ、阪急軍でプレー。若林忠志に誘われ日本3球団目となる阪神軍でプレーした。

 当時の阪急・阪神軍は敵対意識が強く、グラウンドで頻繁に罵声を浴びていたという。1941年のシーズン中にアメリカ政府からの召喚指令があってハワイに戻り、49年に骨肉腫のためガンで死去した。

亀田敏夫
投手 米領ハワイ準州/在籍:1939~40
日本に帰化 日系人
 ハワイ準州オアフ島生まれの日系二世。大和軍で活躍した亀田忠は実兄。ミッドパシフィック高校でカイザー田中(田中義雄)から指導を受け、ハワイ大学在学中に田中から日本球界に誘われたことで、中退して大阪タイガースに入団した。

 タイガースでは1939~40年に在籍して7試合に登板。キレのいいカーブが持ち球だったが、日本の生活に戸惑っていたと言われている。1941年シーズン前に他球団への移籍が決まりかけるも日米関係が悪化。アメリカ政府からの召喚命令に従い、交換船で帰国した。

朴賢明(ぼく・けんめい)
投手 北朝鮮/在籍:1938~39
 日本統治下にあった時代に平壌で生まれた元投手。北朝鮮国籍。京城府(現在のソウル特別市)の実業団で野球をやっていて、朝鮮遠征中の明治大学相手に投げていたのを大阪タイガース関係者が見ていたのが入団のきっかけと伝えられている。タイガースでは公式戦登板2試合のみ。打撃投手役がメインだったらしい。

 実兄の朴賢植は韓国を代表する強打者で、KBO(韓国プロ野球)発足年の6球団の1つ、三美スーパースターズの初代監督を務めた(1ヶ月持たずに辞任した)。朴賢明の方はタイガース退団後、朝鮮戦争以降に北朝鮮に定住したこと以外は確かな記録が残っていない。

古川正男
投手 米領ハワイ準州/在籍:1936(イーグルス37)
日系人
 ハワイ準州出身のアンダースロー投手。ハワイ大学に進学後、学業と野球のどちらが理由かは不明だが、明治大学に転学するために1935年に来日。年明けの野球部の練習中に若林忠志からスカウトされ、大阪タイガースに入団した。

 タイガースではアマチュア相手の試合に登板記録があるものの、公式戦登板はゼロ。出場機会を求めてイーグルス(元・後楽園イーグルス)へ移籍した。


阪神タイガース 歴代助っ人外国人①(2000~23年)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Hanshin Tigers
阪神タイガース
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
42 カイル・ケラー
投手 在籍期間:2022~23(巨人24~)
アメリカ合衆国/1993年4月28日生/右投右打
期待以上
【NPB】61試合4勝2敗4S 防御率2.59 BB/9 3.2 K/9 11.3
【MLB】44試合1勝1敗0S 防御率5.83 BB/9 6.2 K/9 9.3

============ 選手紹介 ============

 2022年から勝ちパターンで投げたリリーフ右腕。150km/h中盤のフォーシームと鋭く曲がるカーブ(たぶんナックルカーブ)がメイン。ランナーの有無で大きくピッチングが変わりがちなのが弱点ではあったが、次第にNPBに慣れて防御率は2点台と安定した成績を残した。

 2年目の2023年途中に身内の病気を理由にアメリカに帰国、惜しまれながらもそのまま退団した。それなのに2024年シーズンからはまさかの巨人入りに阪神ファンの間に衝撃が走った。

Embed from Getty Images2020年 アリゾナでのエンゼルスの春季トレーニングに参加していたカイル・ケラー

24 ブライアン・ケラー
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1994年6月21日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2023年のタイガースに在籍した、もう1人のケラー。阪神ではウエスタンで3試合投げただけで7月に帰国→自由契約。岡田監督には「あいつなんやねん」と苦言を呈され、リハビリ費用を持ってもらう目的で来日したと疑われている。

 生まれてから大学までをウィスコンシン州で過ごし、2016年にドラフト39巡目・契約金わずか2000ドルでヤンキースに入団。AA時代に週間MVPを受賞したり、ノーヒッター(7イニング制)を達成したり下位指名ながら評価が急上昇。コントロールの良い、打たせて取るタイプのピッチャーとしてAAAまでは順調に昇格していった。

 それがマイナー全公式戦が中止となった2020年を境に、突然パワータイプのピッチャーに変身。ファストボールは155km/h前後を計時するようになり、ナックルカーブとチェンジアップで空振りを奪いに行くスタイルに変わった(同時に与四球率も悪化)。トリプルAで迎えた2021年に防御率2.77を記録。オフにマイナーフェーズのルール5ドラフトでレッドソックスに移籍し、22年には113イニングを投げて防御率3.27・126奪三振と結果を残したが、ここまで1度もメジャーから声はかからなかった。

 2022年12月に阪神タイガースと約8000万円強の年俸で契約。先発陣に食い込む活躍を期待されたが、春季キャンプでは一向にブルペンに入りたがらず開幕1軍を逃す。2軍でも3試合に投げただけでヒジが痛いと言い出し6月に帰国。そのまま契約解除された。

 7月に入ってケラーはインスタグラムを更新。トミー・ジョン手術を受けた直後と思しき写真を投稿した。写真には右ヒジのほか左手首と左ヒザにも包帯を巻いており、阪神入団前に痛めたのであればメディカルチェックの不備やスカウトの責任を問う声が上がった。また、このインスタを見て初めて顔を覚えた人や、そもそもケラーが2人いたことを知らなかった人が一定数いたようで、写真1枚で阪神ファンを大いに騒がせた。


2023/8/15のスポニチの記事より

98 コルテン・ブルワー
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1992年10月29日生/右投右打
【NPB】13試合0勝1敗0S 防御率2.38 BB/9 4.8 K/9 11.1
【MLB】84試合2勝5敗0S 防御率4.98 BB/9 5.5 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 ブライアン・ケラーが1度も投げず、WBC疲れの湯浅が深刻なコンディション不良のためシーズン途中に獲得したリリーフ右腕。フルタイムではないが150km/h超のカットボールをメインにするピッチングスタイル。2023年終了後シカゴ・カブスとの契約に成功しており、日本でのプレーはメジャー返り咲きを狙った腰掛けだった。それでもタイガースでは13試合で防御率2.38・奪三振率も10を超える好成績を残し、チームの日本一に貢献してくれた。

31 ジェフリー・マルテ
内野手 在籍期間:2019~22
ドミニカ共和国/1991年6月21日生/右投右打
【NPB】295試合 打率.266 安打263 本塁打39 OPS.799
【MLB】256試合 打率.222 安打146 本塁打30 OPS.695

============ 選手紹介 ============

 なんだかんだで阪神に4年在籍したMLB通算30本のプルヒッター。2015年デトロイト・タイガースで故障離脱のミゲル・カブレラの代役としてメジャー昇格すると、スタメン出場したデビュー戦で最初の3打席をシングルヒット→2塁打→ホームランと鮮烈なデビューを飾る。1ヶ月半で打率.250・4ホーマーと及第点の成績を残していたが、カブレラ復帰後は調子を崩し、AAA暮らしが続いた。2018年のエンゼルス時代に大谷翔平やアルバート・プホルスとともにDHで出場機会を増やし、90試合に出場した。

 エンゼルスをDFAとなってから阪神タイガースと契約し、2019~22年まで在籍。1年目は105試合・打率.284・12本塁打・49打点と評価が分かれる成績も、もともと契約だったのか?なぜか推定1億4000万円に昇給。20年シーズンはケガで出場機会を大きく減らしたが、コロナ渦で新外国人選びに苦戦していたチーム状況におかげで再び残留。3年目の21年に128試合・22本塁打・OPS.818・ベストナイン獲得のシーズンを過ごした。22年は再び故障に見舞われ、結局隔年で好不調を繰り返すような結果を残してオフに退団した。

 マルテに限らないが、2010年代の阪神は助っ人が一時的に離脱したり不調に陥ったりするのを過剰に怖がる傾向にあり、常に外国人枠を大きく超えるロースターを組んでいた。マートンやメッセンジャーに対しても当て馬を用意するような戦術を取り、4~6番手の序列の外国人はとっかえひっかえのような起用法をされ気の毒な選手が多かった。

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大谷、トラウトと談笑?するジェフリー・マルテ

49 ジョー・ガンケル
投手 在籍期間:2020~22(SB23)
アメリカ合衆国/1991年12月30日生/右投右打
【NPB】69試合16勝13敗0S 防御率3.10 BB/9 1.9 K/9 6.1
(阪神) 64試合16勝12敗0S 防御率2.92 BB/9 1.8 K/9 6.1
(SB) 5試合0勝1敗0S 防御率5.82 BB/9 2.6 K/9 5.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 与四球率が2を割るコントロールが光るゴロ系先発投手。メジャー経験なし。

 メッセンジャーが抜けた先発ローテ入りを期待されて2020年に来日。1年目はリリーフに回ったが、2021~22年は先発として登板。先発防御率は2点台と優秀だったが、2年トータルで36試合・205回1/3にとどまる稼働率の悪さは問題だった。22年シーズン終了後に公示されるとすぐにソフトバンクからオファーが届き、移籍が決まった。

44 ラウル・アルカンタラ
投手 在籍期間:2021~22
ドミニカ共和国/1992年12月4日生/右投右打
【NPB】63試合4勝6敗1S 防御率3.96 BB/9 2.0 K/9 7.1
【MLB】13試合2勝5敗0S 防御率7.19 BB/9 3.1 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 この人も外国人とっかえひっかえ体制に振り回された助っ人投手。入団直前の2019年に韓国・斗山ベアーズの助っ人エースとして活躍。20勝2敗・防御率2.54の好成績を挙げて崔東原賞(チェ・ドンウォン賞=KBOの最優秀投手賞)を受賞している。

 タイガースでは安定しない出場機会と一軍昇降格に悩まされた感があり、ピッチングに悪影響を及ぼしていた。約2億円の高額年俸とは思えない起用法は、アルカンタラ本人よりフロント側に問題があるように見えた。

 2023年からは再び斗山ベアーズでプレーすることが決定。阪神の2年間がよほど辛かったのか『幸せに野球をしていた斗山ベアーズに戻れて嬉しい』と広報を通じてコメントしたとのこと。

Embed from Getty Images斗山ベアーズに戻って”幸せに野球を”するアルカンタラ

14 陳偉殷(チェン・ウェイン)
投手 在籍期間:2021~22(中日04~11,ロッテ20)
台湾/1985年7月21日生/左投両打
【NPB】133試合37勝32敗1S 防御率2.58 BB/9 2.2 K/9 7.0
(中日) 127試合36勝29敗1S 防御率2.56 BB/9 2.2 K/9 7.1
(ロッテ) 4試合0勝3敗0S 防御率2.42 BB/9 1.4 K/9 4.8
(阪神) 2試合1勝0敗0S 防御率3.86 BB/9 2.9 K/9 6.8
【MLB】219試合59勝51敗0S 防御率4.18 BB/9 2.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

52 アーロン・ウィルカーソン
投手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1989年5月24日生/右投右打
【NPB】14試合5勝5敗0S 防御率4.08 BB/9 2.7 K/9 6.9
【MLB】14試合1勝1敗0S 防御率6.88 BB/9 3.3 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 NAIA所属のカンバーランド大学で大活躍したがヒジに異常を感じたまま投げ続け、大学の後は独立リーグからキャリアをスタートせざるを得なかった。

 メジャーには到達したが少ないチャンスを活かせず2022年に阪神入り。最初の2ヶ月は大活躍、5月は月間MVPを受賞したが、それ以降は派手に打ち込まれた。6月の防御率は9.19、8月は45.00。契約延長はなく、翌年からKBO(韓国プロ野球)のロッテ・ジャイアンツでプレーしている。

91 アデルリン・ロドリゲス
内野手 在籍期間:2022(オリ20)
ドミニカ共和国/1991年11月18日生/右投右打
【NPB】83試合 打率.202 安打52 本塁打8 OPS.601
(オリ) 59試合 打率.218 安打42 本塁打6 OPS.642
(阪神) 24試合 打率.154 安打10 本塁打2 OPS.477
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2020年にオリックスにいたA-Rod。メジャー経験はなく、打者天国のパシフィックコーストリーグ(トリプルA)で好成績をあげていたところを獲得した。

 打撃特化型のファースト専だが、低めのボール球を見極めることができない。空振りが多く打線の切れ目になりやすいのと、守備が絶望的にひどい。サードやレフトに回すことができないうえに、ファーストの守備もオリックス時代何でもないゴロをよく弾き、セカンドの守備範囲が広がっていた。

 タイガースでは最初の2試合くらいは打っていた記憶があるが、ロドリゲスが出るときは大山悠輔を本職以外のポジションで出場させていた。これまでもブレブレだった大山の起用法を軽視していることが露呈した、編成上フィットしない選手補強だった。

24 メル・ロハスJr.
外野手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1990年5月24日生/右投両打
WBC2017
【NPB】149試合 打率.220 安打82 本塁打17 OPS.697
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 KBO(韓国プロ野球)でシーズン47本塁打を放ったスイッチヒッター。KBOで2年連続30ホーマー以上のロサリオに3億4000万円を投じたが、喉元過ぎて暑さを忘れたらしく、メジャー経験のないKBOプレイヤーを推定2億5750万円で獲得した。

 1年目は60試合の出場で打率.217・8本塁打・21打点と低調。翌年も似た様な数字しか残せず、非常に高い買い物に終わった。

42 ジョン・エドワーズ
投手 在籍期間:2020~21
アメリカ合衆国/1988年1月8日生/右投右打
【NPB】30試合0勝1敗0S 防御率2.43 BB/9 2.1 K/9 7.3
【MLB】49試合2勝0敗0S 防御率3.67 BB/9 6.7 K/9 9.9

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算49試合登板。フォーシームとスライダーのほぼ2ピッチの速球派リリーフ右腕。150km/h中盤のフォーシームは回転数もメジャー平均より高いが、コントロールや変化球の精度は改善の余地がある粗削りタイプだった。マイナー時代に精巣ガンを克服している。

 PJが退団した後のセットアッパー候補として2020年に80万ドルで入団。1軍外国人枠の都合で出場機会が限られたが、9月下旬にタイガースナイン・スタッフの間に新型コロナが蔓延。ブルペンの中心にいた岩崎、岩貞、馬場が軒並み投げられなくなり、代役でリリーフ陣に割って入ると23試合・防御率2.38の好成績を残した。

 オフの契約更改では減俸70万ドルを飲んで残留。2021年はチェンともども二軍暮らしが続き、ほとんど1軍に昇格できず退団が決まった。

 エドワーズの1軍での成績は2年とも防御率2点台半ば。マウンドに上がれば抑えていたものの、矢野タイガースの助っ人8人体制に最後まで翻弄された。

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2018年10月 リーグ優勝決定シリーズでベンチ入りしたインディアンス時代のエドワーズ

75 ロベルト・スアレス
投手 在籍期間:2020~21(SB16~19)
ベネズエラ/1991年3月1日生/右投右打
大活躍 期待以上 160km/h WBC2017
【NPB】191試合7勝13敗68S 防御率2.81 BB/9 3.1 K/9 9.2
(SB) 78試合3勝11敗1S 防御率4.28 BB/9 4.3 K/9 10.1
(阪神) 113試合4勝2敗67S 防御率1.65 BB/9 2.1 K/9 8.5
【MLB】71試合9勝4敗1S 防御率2.99 BB/9 3.7 K/9 10.2

============ 選手紹介 ============

 並み居るメジャーリーガーの中でも一流と呼ばれるレベルに成長した優良リリーバー。2019年までソフトバンクに在籍も、外国人枠の競争や右ヒジの手術で消化不良のシーズンが続いていたところを獲得。阪神ではクローザーを務め、在籍した2年ともセーブ王に輝く大成功を収め、MLBへステップアップしていった。

Embed from Getty Images一流メジャーリーガーの仲間入り

52 ジェリー・サンズ
外野手 在籍期間:2020~21
アメリカ合衆国/1987年9月28日生/右投右打
【NPB】230試合 打率.252 安打198 本塁打39 OPS.796
【MLB】156試合 打率.238 安打100 本塁打10 OPS.670

============ 選手紹介 ============

 外国人を余り気味に抱える矢野タイガースでクリーンナップを務めた打点マシーン。長打を打てるがそれよりも勝負所で打点を稼ぐ能力が高いのが魅力。MLBでは活躍できなかったが韓国に渡り、打点王を獲得して日本球界に乗り込んできた。

 阪神1年目はオープン戦で低調だったせいで開幕2軍スタートだったが、次第に実力を発揮。後半は4番を任される試合も増え、110試合に出場して打率.257・19本塁打・64打点を記録。高い得点圏打率が決め手となって残留した2021年は20本塁打を放った一方で、後半戦は極度の不振に陥ったのが印象が悪かった。

 阪神退団後は新チームがなかなか決まらず、2022年6月に引退を決断。12月に阪神の駐米スカウトに就任が決まり、古巣で第2のキャリアをスタートさせることになった。ちなみに駐米スカウトは15年近く務めたアンディ・シーツが退いたことで空いたポストだった。シーツはしばしばオマリーと対比される有能スカウトだったが、サンズはどんな選手を連れてくるのか期待と不安が入り混じる。

◇2020年までに在籍した外国人選手
26 呂彦青(ルー・イェンチン)
投手 在籍期間:2018~20
台湾/1996年3月10日生/左投左打
WBC2023
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2017年のアジア野球選手権大会の決勝戦は日本vs台湾。日本の先発は当時社会人No.1投手の田嶋大樹、台湾は呂彦青の左腕対決だった。呂は5回に打ち込まれて負け投手となったが、4回までわずか1安打に抑える好投を見せていた。この1か月後、呂の阪神タイガースへの入団が発表された。

 阪神ファンの間ではオリックスにドラフト1位で入団した田嶋と比較する声がよく聞かれ、「田嶋より上」「ドラフト外でドラ1を獲得した」と過剰な期待感に溢れていた。2018年から3年間在籍して1軍昇格はなく、2021年以降は台湾でプレーする道を選んだ。帰国後はリリーフに転向して覚醒、2023年にはWBC台湾代表に選ばれるまでに成長した。

77 オネルキ・ガルシア
投手 在籍期間:2019~20(中日18)
キューバ/1989年8月2日生/左投左打
WBC2023
【NPB】62試合21勝23敗0S 防御率3.81 BB/9 3.8 K/9 6.8
(中日) 27試合13勝9敗0S 防御率2.99 BB/9 3.9 K/9 7.0
(阪神) 35試合8勝14敗0S 防御率4.58 BB/9 3.8 K/9 6.5
【MLB】5試合0勝1敗0S 防御率13.50 BB/9 11 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズで1年間エース級の結果を残したキューバ人先発左腕。契約延長交渉が成り立たなかったところをタイガースが獲得も、在籍した2019~20年はドラゴンズにいた時ほどは活躍できなかった。

Embed from Getty Images2023年 WBCでオランダ相手に登板するオネルキ・ガルシア

41 ジャスティン・ボーア
内野手 在籍期間:2020
アメリカ合衆国/1988年5月28日生/右投左打
【NPB】99試合 打率.243 安打80 本塁打17 OPS.760
【MLB】559試合 打率.253 安打433 本塁打92 OPS.794

============ 選手紹介 ============

 エンゼルス時代に大谷と同僚だったことでも知られていた打撃特化型一塁手。MLB通算559試合・打率.253・92本塁打の現役メジャーリーガーで、年俸約2億7000万円とリスクを負って迎え入れた。

 4番候補として開幕から試合に出るも、最初の18打席連続で無安打。これはタイガースではバースの15打席を更新する外国人ワースト記録だった。99試合で17本塁打とパワーは健在だったが、高年俸でありながら左腕が打てない、確実性に欠けるマイナス点が痛かった。

 タイガースを退団後、韓国でプレーを続けるもNPB並みの微妙な成績に終わった。

Embed from Getty Imagesトラウトからウォーターシャワーの祝福を受けるボーア。エンゼルス時代は打線の主軸を担った。

54 ランディ・メッセンジャー
投手 在籍期間:2010~19
アメリカ合衆国/1981年8月13日生/右投右打
大活躍
【NPB】263試合98勝84敗0S 防御率3.13 BB/9 2.9 K/9 8.3
【MLB】173試合4勝12敗2S 防御率4.87 BB/9 3.9 K/9 5.8

============ 選手紹介 ============

 マリナーズ時代にイチローや城島と同僚だった巨漢投手。当時思うように出場機会を得られなかったメッセンジャーに、城島が日本行きを勧めたことが阪神入りのきっかけだった。

 来日1年目は26試合5勝6敗・防御率4.93と平均以下の成績も、シーズン後半に先発適正の兆しを見せたため真弓監督が残留を熱望。翌年からエース格のスターターとして開花し、阪神の外国人では最長の10年に渡って在籍した。

 外国人投手の球団記録はジーン・バッキーやマット・キーオの2人で寡占していたが、多くの記録を塗り替えた。バッキーとはタイガース入団後に親交を深め、メッセンジャーが引退を表明してまもなく82歳で亡くなっている。

98 ラファエル・ドリス
投手 在籍期間:2016~19
ドミニカ共和国/1988年1月10日生/右投右打
大活躍 160km/h
【NPB】208試合13勝18敗96S 防御率2.49 BB/9 2.7 K/9 9.9
【MLB】103試合6勝9敗12S 防御率4.57 BB/9 6 K/9 8.5

============ 選手紹介 ============

 マテオとともに2016年から阪神タイガースのブルペンを支えたリリーバー。甲子園で161km/h、MLB時代に102マイル(164km/h)を公式戦で記録している。シカゴ・カブスで同僚だった藤川球児の影響を受けてNPB入りを決断した。

 2016~19年の4年連続で防御率は2点台。1年目こそ故障でマテオにクローザーの座を譲ったが、翌年は立場が逆転。37Sを挙げてセーブ王を獲得、4年間で積み上げた96Sは呉昇桓を抜いてタイガース歴代外国人最多となった。もとはと言えば2015年オフ、呉がメジャー球団へ移籍して空いたクローザー候補に入団しており、阪神にしては珍しく大当たりな外国人戦略だったといえる。

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99 エフレン・ナバーロ
内野手 在籍期間:2018~19
アメリカ合衆国/1986年5月14日生/左投左打
WBC2013 WBC2017
【NPB】81試合 打率.264 安打65 本塁打3 OPS.680
【MLB】157試合 打率.242 安打78 本塁打3 OPS.635

============ 選手紹介 ============

 ロサリオに見切りをつけたタイガースはクリーンナップ候補のテコ入れに迫られ、6月に緊急補強したのがナバーロだった。長打力はほどほどだがヒッティングツールと選球眼に優れ、ファーストの守備も堅実。ロサリオとは丸っきり正反対のプレースタイルを見せ、オフに1年契約を延長。だが翌年はファームでも打撃不振に陥って退団となった。

 退団直前の2019年秋のプレミア12ではメキシコ代表に選出。アメリカ相手の3位決定戦でサヨナラタイムリーを放ち、銅メダルの立役者になっている。

52 ピアース・ジョンソン
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1991年5月10日生/右投右打
期待以上
【NPB】58試合2勝3敗0S 防御率1.38 BB/9 2.0 K/9 14.0
【MLB】207試合12勝15敗13S 防御率4.04 BB/9 4.4 K/9 11.4

============ 選手紹介 ============

 在籍期間は1年だけだったが打たれないセットアッパーとして多大な貢献をした。PJと呼ばれていた。2019年の開幕から16試合連続無失点に抑え、オールスターに選出。レギュラーシーズンを58試合・防御率1.38、リーグ2位の40ホールドをマークした。残念ながらクライマックスシリーズは長男誕生の時期と重なったことでほとんど投げられず、チームも日本シリーズ進出を逃した。

 タイガースを退団後はメジャーへと返り咲き、2023年オフにはアトランタ・ブレーブスと2年総額1425万ドルを締結。見事にアメリカンドリームを勝ち取った。

Embed from Getty Imagesメジャーでも大事な場面で登板している

42 ヤンハービス・ソラーテ
内野手 在籍期間:2019
ベネズエラ/1987年7月3日生/右投右打
WBC2017
【NPB】20試合 打率.188 安打13 本塁打4 OPS.681
【MLB】670試合 打率.258 安打620 本塁打75 OPS.723

============ 選手紹介 ============

 メジャーにいた頃は手堅いユーティリティープレイヤーとして重宝されていた内野手。名選手だったロジャー・セデーニョを叔父に持つ。阪神では日本の文化が合わなかったかのように低調だった。

 1軍デビュー戦でサヨナラHRを放ち、最初のうちは好調だったが守備で苦戦。しだいに打撃のリズムも狂い出してウエスタンへ降格。その後、1軍再昇格した際にグラウンドに着くも”モチベーションが上がらない”と監督に打ち明け、その日のプレーを拒否した。チームからこの行動を問題視され、解雇に至った。

 メジャー時代は陽気なプレイヤーで、献身的にプレーしていた姿からはこのような形で終わるとは予想外だった。契約時点ではサードのレギュラーを確約されていたが複数ポジションを守らされたと言われている。日本では一方的にダメ助っ人のように回顧されているが、当時のタイガースの外国人選手の扱いにも問題があったのではないか?

Embed from Getty Imagesトレードマークとも言えるこの笑顔も、日本ではあまり見られなかった

38 マルコス・マテオ
投手 在籍期間:2016~18
ドミニカ共和国/1984年4月18日生/右投右打
期待以上
【NPB】132試合8勝8敗20S 防御率2.80 BB/9 3.6 K/9 9.2
【MLB】70試合2勝4敗0S 防御率4.65 BB/9 3.5 K/9 10.5

============ 選手紹介 ============

 ドリスとともに2016年から阪神のブルペンを支えたリリーフ右腕。2010年にメジャーデビューも、翌年に右ヒジを負傷。1年我慢したが回復が悪かったためようやくトミー・ジョン手術。2015年、4年ぶりとなるメジャー復帰を果たすと、シーズン後にはクローザー候補を探していたタイガースに迎え入れられた。

 1年目はドリスとクローザー争いに勝ち、シーズン20Sを記録。翌年はドリスと役割を入れ替え、セットアッパーとして活躍。オールスターにもファン投票で選出された。しかし、3年目は家庭の事情で帰国せざるをえなかったり、制球難に苦しみ3者連続押し出しをやってしまうなど受難のシーズンに。毎年必ずどこかしらを痛めて離脱を繰り返していたことも評価を下げ、2018年オフに自由契約になった。

 弟のダニエル・マテオも野球で飯を食っていた元・内野のユーティリティ。アメリカではシングルA+までしか上がれず、プロ生活最終年の2018年は日本の独立L・石川ミリオンスターズにも所属した。弟に紹介されたのか、マルコスも阪神退団の翌年(2019年)にミリオンスターズと契約。ただしシーズン終了まで1度も来日することはなかった。

48 ディエゴ・モレノ
投手 在籍期間:2018
ベネズエラ/1987年7月21日生/右投右打
【NPB】8試合0勝0敗0S 防御率2.70 BB/9 4.1 K/9 8.1
【MLB】9試合1勝1敗0S 防御率5.06 BB/9 2.8 K/9 7.9

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算9試合登板のベネズエラ人リリーバー。ピッツバーグ・パイレーツの有望右腕だったが、シングルA+時代に試合中にファンとキスをした行為が問題になり出場停止処分を受ける。その後、ヤンキースで高給取りだったA.J.バーネットのサラリーダンプ目的のトレードで移籍。ヒジの故障などに見舞われ一時はクビ寸前になったが、2015年にメジャーデビューを果たした。

 18年に阪神タイガースと1年契約を締結。だがモレノ入団と前後してメッセンジャー、ドリス、マテオの3人の残留が決定。ルール上投手だけで4人同時に1軍登録できないため、完全に保険扱いのファーム暮らしを強いられた。

20 ウィリン・ロサリオ
内野手 在籍期間:2018
ドミニカ共和国/1989年2月23日生/右投右打
大物 元有望株
【NPB】75試合 打率.242 安打68 本塁打8 OPS.659
【MLB】447試合 打率.273 安打413 本塁打71 OPS.779

============ 選手紹介 ============

 阪神にしては破格の年俸3億4000万円を結び、鳴り物入りで入団した大物パワーヒッター。2011年にコロラド・ロッキーズでメジャーデビュー。2年目に正捕手の座をゲットし、打率.270・28本塁打・OPS.843をマーク。3年目も打率.292・21本塁打・OPS.801と2年続けて20ホーマー超えを放ったため、メジャー屈指の打てるキャッチャーと認められるようになった。それ以降は急激に打撃成績が悪化しメジャーを追われたが、KBO(韓国プロ野球)では2年間で70本塁打と結果を出していたため、大きな期待を背負ってタイガースに迎え入れられた。

 オープン戦の時点で雲行きが怪しく、シーズン序盤に外角のボール球が弱点なのがバレてしまう。右投手のスライダーに三振の山を築き、二軍落ちを経験。東京ドームでは吉永小百合の看板直撃弾を放ち、並外れたパワーは本物だったんだな~と思わせる一方で、甲子園では1本もスタンドインさせることができなかった。

 人格面には問題なく、打撃不振を克服しようと練習もマジメに取り組み、中国地方の豪雨被害にあたっては義援金100万円を寄付する一面があった。ただ、ロサリオの打撃不振は金本監督退任の一因になり、韓国で打ちまくった野手の市場価値が急激に下がった、といった負の影響を各所に及ぼしてしまった。

 ヤンキースの元正捕手ホルヘ・ポサダを尊敬しているため、ロッキーズと阪神で背番号20を付けてプレーした。ただ、キャッチャーの守備力はワーストレベルで、特にボールブロッキングがひどくメジャー時代に3年連続パスボール王になってしまった。キャリア後半はほとんどファーストかDHに限られ、希少な”打てるキャッチャー”でなくなったことがプレイヤーとしての価値を大きく下げることになった。

Embed from Getty Imagesロッキーズでは強打の正捕手として活躍

75 ルイス・メンドーサ
投手 在籍期間:2017(日ハム14~17)
メキシコ/1983年10月31日生/右投右打
WBC2013 WBC2017
【NPB】99試合27勝38敗0S 防御率3.85 BB/9 3.1 K/9 5.6
(日ハム) 95試合27勝36敗0S 防御率3.80 BB/9 3.2 K/9 5.6
(阪神) 4試合0勝2敗0S 防御率5.14 BB/9 2.6 K/9 6.4
【MLB】90試合16勝25敗1S 防御率5.39 BB/9 3.5 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 2014年から日本ハムで活躍も、17年シーズン途中にウエーバーに出されたところをタイガースが獲得。メッセンジャーの一時帰国と藤浪晋太郎の大乱調で先発ローテーションに穴が開いたための緊急補強だった。

 阪神ではレギュラーシーズンの登板は4先発。惜しい試合もあったが0勝2敗・防御率5.14。プレーオフに出場できる8/31の期限ギリギリに契約に漕ぎつけたものの、終盤にメッセンジャーが復帰。登板機会が回ってくる前にチームはクライマックスシリーズ敗退が決まった。

20 ロマン・メンデス
投手 在籍期間:2017
ドミニカ共和国/1990年7月25日生/右投右打
160km/h
【NPB】8試合0勝0敗0S 防御率6.52 BB/9 2.8 K/9 8.4
【MLB】45試合0勝2敗0S 防御率3.09 BB/9 4.8 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 2年メジャー経験のあるリリーフ右腕。マテオ、ドリスとメンデスでドレッドヘア3人衆だったが、1人だけ活躍できず。結果を残しながらも外国人枠に泣いたサターホワイトを切って獲得した経緯から、タイガースファンの印象は良くない。

 2019年からメキシカンリーグで長くプレーしている。

29 エリック・キャンベル
内野手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1987年4月9日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.191 安打9 本塁打1 OPS.594
【MLB】200試合 打率.223 安打100 本塁打7 OPS.622

============ 選手紹介 ============

 シュアな打撃が持ち味のアベレージタイプの内野手。なのに阪神はゴメスの後釜候補に獲得。金本監督にも「4番を打てる選手がいないね~」と嘆かれ、機能不全の阪神フロントの犠牲者となった。

48 ジェイソン・ロジャース
内野手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1988年3月13日生/右投右打
【NPB】40試合 打率.252 安打31 本塁打5 OPS.760
【MLB】117試合 打率.258 安打48 本塁打4 OPS.742

============ 選手紹介 ============

 2017年の前半戦でキャンベルが見切られたため、代役として夏場にタイガース入り。ただ、この人もキャンベルと似たタイプの中距離ヒッターであり、狭い神宮球場以外では打てなかった。また、新人の大山悠輔がレギュラー一塁手に抜擢されたことで出場機会を減らしていった。

 とある日の夕刊フジに『広島のジャクソンと会食し「出場機会が思ったより少ない中で、自分はホームランを求められているのか、それともヒットや打点を稼いでチームに貢献すればいいのか、よく分からない」と苦悩を吐露。来日前に阪神同様、水面下でオファーを受けていた某パ球団の名を挙げながら「あっちに行っていた方がよかったのかな…」と弱気発言まで飛び出したとか。』と書かれ、キャンベル同様苦しんでいることが伝えられた。ちなみに某パ球団とはオリックスのことだと推測されている。

5 マウロ・ゴメス
内野手 在籍期間:2014~16
アメリカ合衆国/1984年9月7日生/右投右打
【NPB】425試合 打率.270 安打420 本塁打65 OPS.802
【MLB】37試合 打率.275 安打28 本塁打2 OPS.746

============ 選手紹介 ============

 2013年シーズンを終えて、阪神首脳はコンラッド大不振の反省からなのか、多少粗くてもパワーヒッティングができる外国人を物色。AAAで2年連続本塁打20本超のゴメスを獲得した。

 オフに生まれた第1子の容態が安定せず、春季キャンプにほとんど参加できなかったがレギュラーシーズンでは4番に定着。三振はリーグワースト・低打率ではあったが得点圏打率は.300を超え、打撃で間違いなく貢献した。

 来日3年目の夏頃から突然打てなくなり、契約満了で退団した。飛行機に乗るのが苦手だった。

95 ネルソン・ペレス
外野手 在籍期間:2015~16
ドミニカ共和国/1987年11月16日生/右投左打
【NPB】3試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.100
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 BCリーグ・石川ミリオンスターズからシーズン途中に入団した外野手。「バク転ができる」「ボールを飛ばす力や、守備走塁、全てにおいて自信を持っている」と語ったが、外国人の序列では6番目。人柄が良くチームメイトと上手くやっていたがほぼファーム暮らしだった。

 サンティアゴと同じように、調子が落ちていたマートンの当て馬として獲得されたと見られている。マートンやメッセンジャーほどのレベルであっても、ちょっと不調に陥っただけで緊急補強して外国人枠を持て余すタイガースフロントには批判的な声があがった。

75 コディ・サッターホワイト
 
(登録名:サターホワイト)
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1987年1月27日生/右投右打
【NPB】20試合1勝1敗0S 防御率2.57 BB/9 3.4 K/9 7.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ミシシッピで生まれ育ち、強豪校ミシシッピ大学からドラフト2巡目指名でプロ入り。入団2年目から右肩関節唇の損傷と瘢痕の手術でプレー不能期間が続き、一度は独立リーグ行きを経験。その後不屈の精神で復活、トリプルAで100試合に登板するところまで登り詰めたが、メジャーには上がることはなかった。

 2016年のタイガースは勝ちパターン候補にマテオとドリスを加入させたが、シーズン序盤はともに故障離脱があり、デプス強化のため6月になってサターホワイトを緊急補強した。夏場にドリスが右ヒジの故障で離脱したときに1軍に昇格し、20試合・1勝1敗6ホールド・防御率2.57とフロントが期待した役割を全う。ただ翌シーズンの契約延長はされず、阪神ファンからは勿体ないとの声が多数上がった。

 なお、タイガースでは色がつく名前の外国人は活躍できない傾向にあり(デリック・ホワイトとかグリーンウェルとかブラウンスタインとか…)、サターホワイトに関しては出場機会に恵まれなかった。

36 マット・ヘイグ
内野手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1985年8月20日生/右投右打
【NPB】31試合 打率.231 安打24 本塁打2 OPS.685
【MLB】43試合 打率.226 安打19 本塁打0 OPS.548

============ 選手紹介 ============

 どちらかというと中距離ヒッタータイプの元MLB内野手。メジャー通算43試合出場。Twitterが得意で、入団が決まったときにはタイガースの正式発表より先に喜びのツイートをした。

 タイガースには2016年に入団、開幕直後の短期間(3月)に打棒爆発したものの4月以降は攻守に苦戦。夏場にはウエスタンが居場所になっていた。

 当時のタイガースのチーム状況といえば、前年にマートンが退団。打てる外野手が穴となっていたため新外国人には高い打撃力が求められ、守備位置も”ほぼ未経験”の外野や苦手なサードでの出場を強いられた。編成上チームにフィットするプレイヤーでないことは明らかだった。

◇2015年までに在籍した外国人選手
9 マット・マートン
外野手 在籍期間:2010~15
アメリカ合衆国/1981年10月3日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】832試合 打率.310 安打1020 本塁打77 OPS.790
【MLB】346試合 打率.286 安打272 本塁打29 OPS.788

============ 選手紹介 ============

 イチローが持つシーズン安打を塗り替えた赤毛のアメリカ人外野手。2003年MLBドラフト1巡目でボストン・レッドソックスに入団。2004年には当時物議を醸したノマー・ガルシアパーラ放出の交換相手の1人としてシカゴ・カブスへ移籍。メジャーデビュー後は一時期外野のレギュラーを張っていたが、次第に第4の外野手扱いを受けるようになっていった。

 2010年から阪神でプレー。外野は両翼がメインだが、引退した赤星憲広の穴を埋める形で1番センターでの起用が中心になり、守備で苦労しながらも優れたヒッティングツールで安打を量産した。

 キャッチャーへの強烈なタックルや球審への暴言が悪目立ちしたが、野球に対して非常にまじめでストイックな部分は立派だった。日本の文化に適応しようと努力を怠らなかった。

Embed from Getty Images2008年カブス時代 報道用の写真を撮っていたマートン。なぜ左打ち?

22 呉昇桓(オ・スンファン)
投手 在籍期間:2014~15
大韓民国/1982年7月15日生/右投右打
大物 期待以上 WBC2006 WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】127試合4勝7敗80S 防御率2.25 BB/9 1.9 K/9 9.7
【MLB】232試合16勝13敗42S 防御率3.31 BB/9 2.2 K/9 10.1

============ 選手紹介 ============

 重い球質”石直球”が武器の韓国のリリーフエース。阪神でも1年目からクローザーを任されセーブ王を獲得。宣銅烈が持つ韓国人NPB最多セーブ記録を更新した。

 2年目のシーズン終了後、ダークサイドに落ちた林昌勇(元ヤクルト)と一緒にマカオで違法賭博をしていた疑惑が浮上。貢献度はデカかったが、契約延長は見送られた。その後念願のメジャーで活躍。

41 マリオ・サンティアゴ
投手 在籍期間:2015
プエルトリコ/1984年12月16日生/右投右打
WBC2013
【NPB】3試合1勝0敗0S 防御率4.32 BB/9 3.8 K/9 3.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 スーパーマリオブラザーズのテーマ曲を登場時に使っていたプエルトリカン右腕。先発、リリーフ両方できる。WBC2013年のプエルトリコ代表に選ばれ、準決勝で日本相手に4回1/3を無失点。3連覇を阻止する好投だったが、大会中に右ヒジを故障。トミー・ジョン手術を受けた影響で2014年はシーズンを通してFAだったが、日本戦の好投が決め手になってタイガースが獲得した。

 2015年の助っ人はメッセンジャー、呉、マートン、ゴメスで1軍枠はほぼ固定。メッセンジャーが一時的に2軍落ちしたときがあり、その間3度の先発機会を得たがそれ以外は2軍に塩漬けにされた。タイガースの思惑通りメッセンジャーは危機感を持ち、復調した。

38→31 林威助(リン・ウェイツゥ)
外野手 在籍期間:2003~13
台湾/1979年1月22日生/左投左打
WBC2006 WBC2009
【NPB】454試合 打率.264 安打270 本塁打31 OPS.712
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 少年時代に日本の野球に魅了され、高校生になって福岡県の柳川高校に野球留学の形で来日。元SBホークスの田中瑞季らとともにプレーし、2年生までに47本塁打を放ったが、年齢制限のために3年生のときは公式戦に出場できなかった。高校卒業後は近畿大学へ進学し、1年春のリーグ戦で首位打者とベストナインに輝く大活躍。3年次以降は膝に爆弾を抱えながらプレーしたが、2002年のドラフトで阪神タイガースから7位指名でプロ入りが叶った。

 入団1年目は大学時代の膝の完治させることに集中し、2年目からプロデビュー。持ち前の強打で年々出場機会を増やし、2007年にはキャリアハイの115試合に出場して打率.292・15本塁打・58打点をマークした。

 しかし、この年から常にケガに悩まされることになる。発端は5月の試合で、帰塁した際に変な戻り方をして右肩を負傷したことだった。レギュラーを掴みかけていた立場だったため、自らの意思で出場を続けたことで悪化させてしまい、シーズンオフに手術しても以前の状態に戻ることはなかった。もともと外野守備(と走塁)の評価が低く、レフトのほかファーストを守ることで出番を増やしてきた。左投げの林にとってミットを持つ一塁手の動きは大きな負担になり、右肩の不調は出場機会の大幅減を意味していた。

 08年には左膝を負傷。またしても帰塁の際に起きた故障だった。アマチュア時代から最大のウリだったスイングスピードは鳴りを潜め、2軍でのプレー時間が増加していった。現役最終年となる2013年には出場機会は1試合だけになり、その試合も無安打2三振にライトではマズい守備を見せてしまう。構想外なのは誰の目にも明らかで、シーズン終了後に戦力外となった。

 故障が深刻になる前は国際大会に欠かせない存在で、2004年のアテネオリンピックの台湾代表メンバーに、2006年のWBCでは4番をつとめた。阪神時代は勉強不足の日本人記者から”はやし いすけ”と呼ばれてしまうことがあり、それを知ってか鳴尾浜球場(2軍)のファンからもそう呼ばれていた。

55 ジェイソン・スタンドリッジ
 
(登録名:スタンリッジ)
投手 在籍期間:2010~13(SB07~08,14~15,ロッテ16~17)
アメリカ合衆国/1978年11月9日生/右投右打
元有望株 期待以上
【NPB】209試合75勝68敗0S 防御率3.31 BB/9 2.9 K/9 6.3
(SB) 69試合28勝18敗0S 防御率3.57 BB/9 3.1 K/9 5.9
(阪神) 99試合35勝36敗0S 防御率2.94 BB/9 2.7 K/9 6.7
(ロッテ) 41試合12勝14敗0S 防御率3.80 BB/9 3.1 K/9 5.7
【MLB】80試合3勝9敗0S 防御率5.80 BB/9 5.2 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 阪神では「スタンリッジ」表記になった先発右腕。2007~08年にソフトバンクに所属。1年目に7勝1敗を記録したが、ケガの影響で翌年戦力外に。SB退団後は米独立リーグなどを経て、2010年に招待選手としてメジャーの春季トレーニングに参加するが、開幕ロースター争いから脱落したところを阪神が獲得した。

 タイガース1年目はフォッサムの不振と能見篤史、岩田稔が故障離脱するなかイニングを消化。それ以降も4年間先発ローテーションを守ったが、2014年シーズンをメッセンジャーと呉昇桓、マートンとマウロ・ゴメスの外国人体制で戦う方針が固まり、13年限りで阪神を退団した。2012・13年は防御率2点台も2桁敗戦を喫し、とにかく勝ち運に見放されるピッチャーだった。

116→95 ロバート・ザラテ
投手 在籍期間:2012~13
ベネズエラ/1987年2月1日生/右投右打
【NPB】4試合0勝0敗0S 防御率7.36 BB/9 7.4 K/9 7.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 150km/hが出る長身左腕。BCリーグの群馬で秦(元ヤクルト)監督に鍛えられ球速が大幅アップ。そこをタイガースが育成契約で獲得した。

 2軍では良く投げたが上は飽和状態でほぼ出場機会のないまま契約満了。ファンの間で勿体ないの声が多数あった。

44 ブレイン・ボイヤー
投手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1981年7月11日生/右投右打
【NPB】22試合3勝1敗0S 防御率2.67 BB/9 1.3 K/9 7.0
【MLB】447試合17勝27敗5S 防御率4.55 BB/9 3.2 K/9 5.6

============ 選手紹介 ============

 自称MAX159km/hのゴロ打たせ系投手。アトランタっ子として生まれ育ち、地元ブレーブスに入団。2008年には76試合に登板する有数のタフネスリリーバーになったが、しだいにメジャーから遠ざかると2013年にタイガースが獲得した。

 シーズン途中での入団だったのは不調の中継ぎ陣のテコ入れのため。JFKのようなピッチングを期待していたが、三振奪取能力の低いゴロ系投手だったことが判明。わりと好投していた(防御率2.67)印象があり、”ちょっとしたスパイス”にはなったが契約延長されなかった。

Embed from Getty Imagesツインズのイメージが強いボイヤー

42 ブルックス・コンラッド
内野手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1980年1月16日生/右投両打
【NPB】24試合 打率.175 安打10 本塁打0 OPS.600
【MLB】293試合 打率.200 安打92 本塁打19 OPS.660

============ 選手紹介 ============

 MLBでルーキーイヤーから試合を決めるHRを打っていたため期待値が高かった内野手。所属は2013年のみだが未だタイガースファンの記憶に残り続けている。

 開幕3連戦で二塁打3本を含む4安打と華々しい滑り出しを見せたが、その後パッタリ打てなくなり2度の二軍落ち。あまりに酷いパフォーマンスにネットでは「一打で二度死ぬコンラッド」のフレーズが定着。最終的に本塁打だけでなく打点もゼロの不名誉な記録を残し、途中退団した。

 彼の不振はタイガースに大きな悪影響を及ぼしている。前年退団のブラゼルの後継要員で入団していて、コンラッド以外に新規で外国人野手を獲っていなかった。2013年のチーム最多HRはマートンの19本にとどまり、長距離砲の不在は大きな穴になってしまった。そして翌年からタイガースフロントは、4個しかない1軍外国人枠を大きく超える外国人選手を抱えだした。この方針は2023年に再就任した岡田監督が「8人もいらん」と言うまで続き、当落線上にいた多くの外国人が使い捨てられていくのであった。

Embed from Getty Images2010年5月20日 アトランタ・ブレーブス時代のコンラッド。9回裏・6対9の場面でレッズのクローザーのフランシスコ・コルデロからサヨナラ満塁本塁打を放ち、8点差をひっくり返す大逆転劇をもたらした。

64→40 鄭凱文
 
(登録名:ジェン→鄭凱文)
投手 在籍期間:2009~12(DeNA13)
台湾/1988年7月26日生/右投右打
WBC2009
【NPB】33試合2勝3敗0S 防御率5.16 BB/9 2.9 K/9 4.8
(阪神) 27試合2勝1敗0S 防御率4.33 BB/9 2.2 K/9 4.8
(DeNA) 6試合0勝2敗0S 防御率7.29 BB/9 4.7 K/9 4.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 大学から直接NPB入りした台湾人投手。ジェン・カイウェンと読ませるが、登録名はジェン・カイウン。2009年のWBC参戦の準備をしながら阪神の入団テストに合格した。

 本来の先発での登板機会は少なく、2012年はウエスタンリーグの最優秀防御率投手だったが外国人枠に阻まれた。

 2013年は1年でDeNAを退団。翌年以降は台湾で先発とリリーフ両方で活躍した。

19 蕭一傑(しょう・いっけつ)
投手 在籍期間:2009~12(SB13)
台湾/1986年1月2日生/右投右打
【NPB】2試合0勝1敗0S 防御率2.16 BB/9 4.3 K/9 7.6
(阪神) 2試合0勝1敗0S 防御率2.16 BB/9 4.3 K/9 7.6
(SB)1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 西武ライオンズで長く活躍した郭泰源に憧れて日南学院高校に留学した台湾人投手。奈良産大を卒業後NPBのドラフトの対象になり、外れ外れ1位でタイガースが獲得した。5年以上日本で過ごしていたため外国人枠の規定を外れている。

 常時140km/h台前半のファストボールとドロップカーブを投球の軸にしていた。1軍での登板は2試合にとどまったが、強い時期のタイガースでなければもう少し試合に出れる実力はあったように思う。

 現役引退後に日本ハムファイターズの球団職員に採用され、一時的に王柏融の通訳を務めた。

67 クレイグ・ブラゼル
内野手 在籍期間:2009~12(西武08,ロッテ13~14)
アメリカ合衆国/1980年5月10日生/右投左打
大活躍 期待以上
【NPB】670試合 打率.269 安打613 本塁打133 OPS.797
(西武) 130試合 打率.234 安打110 本塁打27 OPS.740
(阪神) 443試合 打率.280 安打433 本塁打91 OPS.812
(ロッテ) 97試合 打率.268 安打70 本塁打15 OPS.815
【MLB】29試合 打率.263 安打10 本塁打1 OPS.695

============ 選手紹介 ============

 時は2009年、4番を打つはずだったメンチが4月に帰国したので、代役にとりあえず他球団を出された元助っ人に照準を合わせたタイガース。前年にライオンズを自由契約になり、開幕時に独立リーグでプレーしていたブラゼルを連れてきた。ライオンズでは27本塁打に月間MVPを1回受賞していたが、極端なプルヒッティングに”ブラゼルシフト”を敷かれたのに加え、相次ぐデッドボールの影響で不振に陥っていた。

 西武時代と同じ結果になるのでは?と疑問符を付けられてたが、タイガース初試合でのホームランを皮切りに長打を量産。4年間在籍した。吉野家の牛丼が好き。

128 マルコス・ベキオナチ
内野手 在籍期間:2011
ベネズエラ/1986年8月7日生/右投両打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 内野両コーナーを守る元マイナーリーガー。最高位はAA。初の試みだった外国人育成選手のバルディリスが支配下登録に成功したので、第2弾ということで育成契約を結んだ。

 結局支配下登録されることなく1年で退団したため、ネット上では誰も覚えていない阪神の助っ人外国人のテーマでよく名前が挙がる。ただし鳴尾浜球場ではファンから”なっち”と呼ばれる良いキャラクターではあった。

◇2010年までに在籍した外国人選手
58 ケイシー・フォッサム
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1978年1月6日生/左投左打
【NPB】12試合2勝5敗0S 防御率5.72 BB/9 3.8 K/9 7.6
【MLB】237試合40勝53敗2S 防御率5.45 BB/9 3.7 K/9 7

============ 選手紹介 ============

 大学時代にカレッジワールドシリーズ制覇を経験した元有望株。レッドソックスにドラフト1巡目補完(全体48位)で入団後、カート・シリングとの1対4の交換トレードでDバックスへ移籍。そこからレイズなど複数球団で先発投手を務めた。メジャー9年で120試合先発したものの、防御率はだいたい5点台以上。速球派タイプではないのにデッドボールも多かった。

 タイガースには2010年に入団。日本で成功すると予想されていたが、2勝5敗・防御率5.72。MLB時代よりもコントロールを乱し、「フォッサム・フリップ」と呼ばれるイーファスピッチに近いスローカーブは陽の目を見なかった。

 帰国後にメジャー復帰を目指すも叶わず。引退後は少年時代に引っ越したテキサスの故郷に戻り、妻の仕事(引退したサラブレッドの再訓練)を手伝った。

Embed from Getty Imagesフォッサムが日本で活躍できなかったのは意外だった

54 ジェフ・ウィリアムス
投手 在籍期間:2003~09
オーストラリア/1972年6月6日生/左投右打
大活躍 期待以上
【NPB】371試合16勝17敗47S 防御率2.20 BB/9 3.0 K/9 10.1
【MLB】37試合4勝1敗0S 防御率7.49 BB/9 6.4 K/9 4.7

============ 選手紹介 ============

 JFKの一角として有名になった勝ちパリリーフ左腕。阪神在籍7年371試合登板・防御率2.20の素晴らしい成績を残した。実際の登板順は2005年はFJK。藤川球児のクローザー就任後はKJFに変わっていった。

 ウィリアムズはオーストラリア人で、アトランタ五輪に出場。1999年にMLBデビューを果たし、史上9人目のオーストラリア出身メジャーリーガーになった。かつてはオーバースローで投げていたが、ドジャースとAAAを行き来していた頃に横手投げを勧められ、ロー・スリークオータースローに改造。このときフォーム改造を指導したコーチが、オリックス・ブルーウェーブで投手コーチを務めたジム・コルボーンだった。

Embed from Getty Imagesドジャース時代のジェフ

69 クリス・リーソップ
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1982年11月4日生/右投右打
【NPB】8試合0勝2敗0S 防御率6.75 BB/9 3.0 K/9 2.5
【MLB】235試合10勝12敗2S 防御率4.62 BB/9 4.2 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 ブレーブスなど延べメジャー6球団でプレーした元パワーピッチャー。阪神では150km/h台のファストボールで押すスタイルで最初の頃は圧倒していたが、徐々に慣れられリリーフから先発に転向しても結果は良くならなかった。プロ入り時は野手だった影響でバッティングが得意だったが、阪神ではヒットを打てずじまいだった。

 2014年に引退した後は不動産業界に身を置き、2017年に事務所を開業。通常の不動産だけでなく、転居してきたスポーツ選手をサポートするビジネスも兼ね、レッドソックスから初の指定不動産業者の契約をゲット。野球では花開かなかったが、不動産のプロとして成功を収めようとしている。

27 スコット・アッチソン
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1976年3月29日生/右投右打
大活躍
【NPB】117試合12勝9敗0S 防御率2.77 BB/9 2.1 K/9 7.7
【MLB】298試合17勝11敗3S 防御率3.63 BB/9 2.3 K/9 6.6

============ 選手紹介 ============

 イニング跨ぎを厭わない、テンポの速い投球が信条のリリーフ右腕。JFKが崩壊し始めたときに来日し、藤川の前を投げるセットアップマンを担った。特に2年目の2009年は重圧のかかる場面を中心に75登板90イニング・防御率1.70と酷使に耐え抜いた。当然タイガースは残留交渉を持ちかけたが、本人のメジャー復帰の意思を覆せずシーズン終了後に帰国した。MLBではレッドソックスなどで長く活躍した。

Embed from Getty Imagesレッドソックスでもタフネスぶりは健在だった

121→52 アーロム・バルディリス
内野手 在籍期間:2008~09(オリ10~13,DeNA14~15)
ベネズエラ/1983年1月5日生/右投右打
【NPB】918試合 打率.268 安打793 本塁打93 OPS.764
(阪神) 100試合 打率.205 安打33 本塁打4 OPS.638
(オリ) 540試合 打率.279 安打525 本塁打59 OPS.783
(DeNA) 278試合 打率.257 安打235 本塁打30 OPS.746
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 オヘイダと一緒に春季キャンプ中に入団テストを受けて育成契約を結んだベネズエラ人内野手。内野守備はもとから評価が高く、打撃力の向上が課題となっていた。1年目の夏に支配下登録され、守備固めを中心に少しずつ出場機会を増やしていった。2年目はウエスタンリーグで首位打者を獲得。ただ1軍の投手相手には打率.103とまったく歯が立たず、オフに戦力外とされた。2010年以降はオリックスとDeNAで活躍した。

32 ケビン・メンチ
外野手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1978年1月7日生/右投右打
【NPB】15試合 打率.148 安打8 本塁打0 OPS.382
【MLB】729試合 打率.268 安打632 本塁打89 OPS.781

============ 選手紹介 ============

 シュレックと呼ばれ、松井秀喜氏に頭のサイズで勝利したホームランヒッター。レンジャース時代に新人王投票7位、シーズン26本塁打、7試合連続ホームラン(※メジャー新記録)と目立った実績を残していた。

 前年に不本意に終わったフォードに代わる助っ人として大きな期待をかけられたが、オープン戦の段階からまったく打てず。必死にプレーしている姿勢は伝わってきたが、1億6千万円超の年俸で打率.148 ・0本塁打ではどうにも擁護できず、途中退団となった。

 2012年のスプリングトレーニングの時期にツイッターでもう引退していたことを明かした。奥さんは元ア・リーグ盗塁王のスコット・ポセドニックの妹。

Embed from Getty Imagesテキサス・レンジャースの外野のレギュラーだった

36→4 ライアン・ボーゲルソン
 
(登録名:ボーグルソン)
投手 在籍期間:2007~08(オリ09)
アメリカ合衆国/1977年7月22日生/右投右打
WBC2013
【NPB】62試合11勝14敗0S 防御率4.17 BB/9 3.2 K/9 8.3
(阪神) 32試合10勝10敗0S 防御率4.08 BB/9 3.1 K/9 7.4
(オリ) 30試合1勝4敗0S 防御率4.54 BB/9 3.5 K/9 12.1
【MLB】289試合61勝75敗0S 防御率4.48 BB/9 3.6 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 日本球界を去った後にメジャーで活躍した元先発右腕。阪神では2年で10勝10敗・防御率4点台と平凡な成績。オリックスを経てアメリカに戻ると、2011年から古巣サンフランシスコ・ジャイアンツに返り咲き。5年間で2桁勝利2度、規定投球回クリアは3度数える躍進を遂げた。

Embed from Getty Images2017年9月 AT&Tパークでの試合前に引退のあいさつをするボーゲルソン。SFジャイアンツには来日前後に1度ずつ在籍した。2ケタ勝利を2度挙げただけでなくプレーオフではそれ以上に重要な働きをし、2012・14年に世界一を味わった。球団から正式に引退セレモニーをしてもらった。

122 アルビス・オヘイダ
投手 在籍期間:2008
ベネズエラ/1983年9月23日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 バルディリスと一緒に春季キャンプで行われた入団テストを受け、育成契約を結んだベネズエラ人右腕。マイナー最高位はAA。ファストボールの球速は魅力的だったが、6月にバルディリスが支配下登録されたのと逆にオヘイダは手首を負傷。翌月解雇された。

55 ルー・フォード
外野手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1976年8月12日生/右投右打
【NPB】47試合 打率.225 安打29 本塁打3 OPS.656
【MLB】519試合 打率.268 安打425 本塁打35 OPS.744

============ 選手紹介 ============

 ミネソタ・ツインズに5年在籍、2004~05年の2年間は外野のレギュラーだったラインドライブヒッター。メジャー屈指の秀才としても知られていた。

 阪神では日本流の配球についていけず、クソボールに手を出し、シュアなバッティングとの前評判とは程遠い結果となった。

 阪神退団後は独立リーグのロングアイランド・ダックスに入団。メジャー返り咲きを目指してMLB傘下の球団とマイナー契約を求めたが、解雇されるたびにダックスに戻ってきた。2016年以降はダックスに骨をうずめることに決め、2023年・47歳まで現役でプレー。翌24年からダックスの監督に就任した。

59 ダーウィン・キュービラン
 
(登録名:ダーウィン)
投手 在籍期間:2005~07
ベネズエラ/1972年11月15日生/右投右打
【NPB】88試合3勝5敗2S 防御率3.76 BB/9 3.2 K/9 6.2
【MLB】56試合1勝0敗0S 防御率6.85 BB/9 5.7 K/9 7

============ 選手紹介 ============

 33歳になる年に来日したが、2年目に急成長を遂げて一軍で活躍したリリーフ右腕。ファームでは無双していた。日本ではクビアンと発音され、解雇の意味を連想させるということでダーウィンが登録名になった。

4 アンディ・シーツ
内野手 在籍期間:2005~07(広島03~04)
アメリカ合衆国/1971年11月19日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】682試合 打率.289 安打778 本塁打95 OPS.796
(広島) 270試合 打率.298 安打315 本塁打48 OPS.856
(阪神) 412試合 打率.283 安打463 本塁打47 OPS.758
【MLB】356試合 打率.216 安打207 本塁打19 OPS.592

============ 選手紹介 ============

 広島東洋カープで活躍中だったが年俸増額要求を拒まれ、ソフトバンクとの争奪戦を制して獲得した。カープ時代からファーストの守備はうまかったが、阪神ではそれ以上に上達したように見え在籍3年間毎年ゴールデングラブを受賞した。ミルウォーキー・ブリュワーズのエースだった好投手ベン・シーツを従弟に持つ。

⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

92 エステバン・ヤン
 
(登録名:ジャン)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1975年6月22日生/右投右打
大物
【NPB】21試合6勝5敗0S 防御率4.66 BB/9 2.7 K/9 4.5
【MLB】472試合33勝39敗51S 防御率5.14 BB/9 3.5 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 ものすごい量の汗をかきながらボークを犯しまくったスキンヘッドのピッチャー。というイメージが鉄板の元メジャーリーガー。日本には野球やそのほかの要素(気候とか)が色々と合わなかったが、メジャーでは通算11年・472試合に登板した大物リリーバーだった。

Embed from Getty Imagesスキンヘッドのイメージしかない(写真中央)

41 シェーン・スペンサー
外野手 在籍期間:2005~06
アメリカ合衆国/1972年2月20日生/右投右打
大物
【NPB】167試合 打率.237 安打91 本塁打15 OPS.717
【MLB】538試合 打率.262 安打438 本塁打59 OPS.754

============ 選手紹介 ============

 ヤンキースでメジャーデビューした1998年にメジャー記録になるほど打ちまくった元外野手。有望株ではなかったが9月に昇格すると、67打席で10本塁打を放つ大活躍。また10日間のうちにグランドスラム3本を打ったのも当時の新人記録だった。勢いそのままにポストシーズンでも柵越えを放ち、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾った。しかし翌年に不整脈を発症してからは困難が続き、メジャー4球団目のメッツでは飲酒絡みの不祥事を立て続けに起こしてしまう。

 その年のオフ、阪神タイガースが獲得したことを発表。この頃には完全に問題児のイメージがついてしまっていて、阪神はちゃんとコントロールできるのか?大いに疑問を持たれたが、意外にもチームへの献身の姿勢が目立った。

 引退後はマイナーや独立リーグで打撃コーチを中心に指導者の道に進んだ。ただ韓国のネクセン・ヒーローズの二軍監督を務めていた2019年、再び飲酒運転が発覚して辞任している。

Embed from Getty Images悪童の印象が拭えなかったスペンサー。波乱万丈の野球人生だった

45 クリス・オクスプリング
投手 在籍期間:2006
オーストラリア/1977年5月13日生/右投左打
WBC2009 WBC2013
【NPB】16試合4勝3敗0S 防御率5.12 BB/9 2.7 K/9 5.9
【MLB】5試合0勝0敗0S 防御率3.75 BB/9 4.5 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 オーストラリア出身の右のスターター。阪神では開幕から先発で投げたが15登板・4勝3敗に終わり、1年で退団した。

 国際大会の経験が豊富で、2004年アテネ五輪で日本相手に先発登板。ジェフ・ウィリアムズとのリレーで日本を下し、銀メダルを獲得した。WBCにも2度選出されている。45歳だった2023年はWBC代表に選ばれたとの出所不明の情報が流れた。2023~24年の母国リーグで登板、46歳時点でも現役を続けている。

◇2005年までに在籍した外国人選手
17 ジェイミー・ブラウン
投手 在籍期間:2005
アメリカ合衆国/1977年3月31日生/右投右打
【NPB】11試合4勝1敗0S 防御率5.18 BB/9 3.0 K/9 6.5
【MLB】4試合0勝0敗0S 防御率5.87 BB/9 4.7 K/9 7

============ 選手紹介 ============

 前年のマイヤーズ同様、来日前はパワータイプの投手という触れ込みで来たのだが、最大出力でも140km/h中盤しか出ない。常時130後半~140km/hのツーシームとブレイキングボールでかわす投球スタイルだった。スタミナも先発としては不充分で、ブルペンに負担がかかる投手だったのもマイナス点であった。

 数年前の最下位が定位置だった頃ならまだしも、優勝を争うチームに生まれ変わったタイガースで投げるレベルではなかった。

 バンビーノの呪いを解くことになる2004年にレッドソックスでメジャーデビュー。レッドソックスファンのデッドボーラー(筆者)はこの頃かなり追っていたが、正直この投手は記憶に残っていない。

14 ジョージ・アリアス
内野手 在籍期間:2002~04(オリ00~01,巨人06)
アメリカ合衆国/1972年3月12日生/右投右打
大活躍
【NPB】639試合 打率.259 安打612 本塁打161 OPS.839
(オリ) 255試合 打率.257 安打245 本塁打64 OPS.825
(阪神) 367試合 打率.265 安打357 本塁打95 OPS.864
(巨人) 17試合 打率.167 安打10 本塁打2 OPS.519
【MLB】173試合 打率.238 安打114 本塁打14 OPS.649

============ 選手紹介 ============

 オリックスでの2年間で64本塁打をマークしていたが、チャンスに弱いなど評価が低かった右のスラッガー。オリックスとは契約交渉が難航していたが、獲得を熱望した星野監督の後押しを受け、年俸2億5千万円の好待遇で移籍。

 タイガースではオマリー打撃コーチの指導が合っていたこともあり、古巣時代よりもレベルアップに成功。在籍3年で95本塁打を放ち、3年ともオールスターに選出。キャリアハイだった2年目には38本塁打・OPS.899の好記録を挙げ、ベストナインとGGをダブル受賞している。

65 ジェロッド・リガン
投手 在籍期間:2003~04
アメリカ合衆国/1974年5月16日生/右投右打
期待以上
【NPB】52試合4勝1敗4S 防御率2.07 BB/9 2.4 K/9 6.5
【MLB】67試合5勝4敗0S 防御率5.19 BB/9 4.5 K/9 6.9

============ 選手紹介 ============

 アタリ外国人と認識されているリリーフ右腕。MLBではパッとしなかったが、来日してコントロールが良くなり相手打者を圧倒した。

 リガンの学生時代は野球とバスケで活躍。アナハイム・エンゼルスに入団後、マイナーで中継ぎ転向を言い渡されるも拒否したことでFAに。その後ニューヨーク・メッツに拾われてからはリリーフ投手のキャリアを歩むことを受け入れた。メッツでは奇人投手として有名なターク・ウェンデルと仲良くなり、自分の息子に”ターク”と名付けた。

 ルー・ポートのクローザー起用が失敗した阪神タイガースが2003年のシーズン中に獲得。JFK結成前のジェフ・ウィリアムズらとともに強固なブルペンの一角を担った。逆に翌年は右ヒジ靭帯をやってしまいトミー・ジョン手術を受け退団した。

50 トレイ・ホッジス
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1978年6月29日生/右投右打
【NPB】8試合2勝3敗0S 防御率5.31 BB/9 3.5 K/9 6.4
【MLB】56試合5勝3敗0S 防御率4.77 BB/9 3.8 K/9 8.4

============ 選手紹介 ============

 ヤクルトで活躍したケビン・ホッジスの実弟。超強豪ルイジアナ州立大学のシニア(4年生)のときにカレッジワールドシリーズを制覇。同大学から8人ドラフト指名されたうちの1人だった。飛び級昇格したAAAで好成績を挙げてメジャーデビューしたが、2004年6月にマイナー降格したところをタイガースが獲得した。

 来日初先発初勝利を挙げたが、生命線の高速シンカーが日本のボールではあまり変化せず、頻繁に長打を打たれた。

59 ラモン・モレル
投手 在籍期間:2004
ドミニカ共和国/1974年8月15日生/右投右打
【NPB】21試合0勝1敗1S 防御率3.67 BB/9 3.0 K/9 6.7
【MLB】42試合2勝2敗0S 防御率4.98 BB/9 4.2 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 タイガースに入団する前はCPBL(台湾プロ野球)の興農ブルズに所属。開幕から21試合連続セーブの台湾新記録を樹立するなど、クローザーとして活躍していた。

 興農時代は150km/hのファストボールと3種類の変化球を使いこなしていたが、日本ではコントロールを乱す場面が多くみられた。

 ちなみに、CPBLでは漏れなく外国人選手に漢字の登録名が付けられる。当て字(例:ポート→波特)の選手が多いなか、モレルには興農グループが販売する農薬の商品名『世介勇』が与えられた。

97 ロドニー・マイヤーズ
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1969年6月26日生/右投右打
【NPB】20試合1勝2敗0S 防御率4.07 BB/9 3.0 K/9 3.0
【MLB】167試合7勝5敗1S 防御率5.07 BB/9 4.1 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 大学では野球とアメフトの二刀流。1995年のマイナー時代にルール5ドラフトでシカゴ・カブスから指名を受ける。ダメなら返却となる96年をリリーフ投手として何とか乗り切り、以後9年間メジャーとトリプルAを行ったり来たりしながら過ごした。

 阪神にはパワータイプの投手との評判で来日したが、実際は140km/h前半のファストボールに数種類のブレーキングボールを使い分ける投手だった。初登板となったヤクルト戦でアレックス・ラミレスにサヨナラタイムリーを浴びた。

22 マイク・キンケード
外野手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1973年5月6日生/右投右打
問題児
【NPB】26試合 打率.233 安打20 本塁打3 OPS.725
【MLB】222試合 打率.256 安打110 本塁打13 OPS.749

============ 選手紹介 ============

 とにかくムダに当たりにいって出塁率を稼いでいた死球王。MLB時代もそれなりに多かったが、日本では尋常でないペースで死球を受け続けた。ただ当たるだけなら構わないが、問題は当たり所が悪く骨折などで何度も欠場していたこと。挙句は守備中ダイビングキャッチに失敗して指を負傷。この試合の前日にアリアスが離脱していて、代わりに主軸を打つべき立場だったためチームとしても非常に痛いケガだった。そのままシーズン終了→退団した。なお、NPBデビューとなった開幕戦でアンパイヤに暴言を吐き、46年ぶりに開幕戦退場処分を受けた。

 来日前のキンケードは、2000年のシドニー五輪にアメリカ代表として活躍。また、本職のサード以外にレフト、ファースト、そしてキャッチャーで多くのイニングをこなすユーティリティープレイヤーだった。

Embed from Getty Images2000年 メッツ時代にマイク・ピアザと一緒にポストシーズンを戦った

17 トレイ・ムーア
投手 在籍期間:2002~03(オリ04)
アメリカ合衆国/1972年10月2日生/左投左打
期待以上
【NPB】64試合26勝23敗0S 防御率4.28 BB/9 3.7 K/9 6.5
(阪神) 48試合20勝17敗0S 防御率3.72 BB/9 3.0 K/9 6.5
(オリ) 16試合6勝6敗0S 防御率6.24 BB/9 6.1 K/9 6.8
【MLB】23試合3勝10敗0S 防御率5.83 BB/9 3.6 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 メジャーで100イニングほど先発実績があるサウスポー。タイガースには2年間在籍し、2年連続10勝を挙げて18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 野手顔負けのバッティングも大きな特徴で、時にはヘッドスライディングも辞さなかった。それもそのはず、テキサスA&M大学時代は投手兼一塁手の二刀流で名を馳せていたのだ。

Embed from Getty Images若かりし頃のムーア(1998年)。ちょっと面影ありますよね?!

35 ルー・ポート
投手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1971年8月21日生/右投右打
【NPB】8試合0勝1敗1S 防御率9.64 BB/9 1.0 K/9 7.7
【MLB】129試合4勝4敗6S 防御率3.56 BB/9 3.6 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 メジャーではエンゼルスに4年間在籍、長谷川滋利と3年間チームメイトだった。リリーフ投手だがマイナーでは先発もこなしていたため、イニング跨ぎを厭わないタフさがあった。阪神では150km/h近い速球とハードカーブ、スプリッターの球威が良かったが、マウンドに上がると使いこなせない不器用さがアダとなった。

 退団後は1年だけメジャー昇格できたが、マイナーリーグ以外にも台湾やメキシカンリーグなどを転々とし、最後は米独立リーグのエドモントン・キャピタルズに所属。2011年限りでキャピタルズは解散、ポートは球団最後のシリーズMVPの受賞と同時に現役引退した。

18 マーク・バルデス
投手 在籍期間:2002(中日03~04)
アメリカ合衆国/1971年12月20日生/右投右打
【NPB】109試合5勝7敗24S 防御率3.15 BB/9 3.2 K/9 6.2
(阪神) 42試合4勝3敗22S 防御率1.54 BB/9 2.9 K/9 6.7
(中日) 67試合1勝4敗2S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.9
【MLB】144試合12勝15敗4S 防御率4.95 BB/9 4.2 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 メジャー歴6年、144試合登板の元MLB右腕。30歳のときに来日。先発・リリーフ両方こなせるスイングマンだった。

 球速は日本人と比べても速くない(140km/h前後)ものの、変化量の多いムービングファストボールはNPBの打者を苦しめた。タイガースではリリーフ専任で防御率1.54と好成績を残したが、オフに契約延長交渉が破断。翌年から中日ドラゴンズでプレーした。

49→14→42 グレッグ・ハンセル
投手 在籍期間:2000~02
アメリカ合衆国/1971年3月12日生/右投右打
【NPB】52試合12勝21敗0S 防御率3.81 BB/9 4.1 K/9 7.1
【MLB】106試合4勝4敗3S 防御率5.56 BB/9 3.2 K/9 6.4

============ 選手紹介 ============

 前年にベン・リベラが退団し、クローザー候補に阪神が獲得。球威があるもののコントロールが悪く、キャンプではフリー打撃でビーンボールを投げてしまったことも。次第に先発で使うと安定することがわかり、1年目は20試合に先発。翌年には5勝13敗ながら防御率3.49(リーグ8位)をマークし、野村監督から「いてまえ打線がバックなら20勝しとる」と珍しく褒められた。だが、3年目は開幕直後に腰のヘルニアで長期離脱。アメリカで治療を受け、シーズン終盤に再来日したがシーズン全体では4試合登板に終わった。

 入団年に指揮を執っていたノムさんの評価は高かったが、サッチーの脱税問題の余波で2002年から星野仙一氏が監督に就任。02年シーズン終了後、星野体制2年目を前に”血の入れ替え”が断行され、翌シーズン開幕前までに24人もの選手を退団させた。退団を余儀なくされたハンセルは腰が完治しており、引き続き日本でのプレーを希望。特にドラゴンズが強い興味を示していたが、同じく血の入れ替えで退団したバルデスの方が選ばれ、ハンセルはやむなく帰国していった。

26 バディ・カーライル
投手 在籍期間:2001~02(日ハム10)
アメリカ合衆国/1977年12月21日生/右投左打
【NPB】38試合7勝15敗0S 防御率4.28 BB/9 3.7 K/9 6.4
(阪神) 31試合7勝12敗0S 防御率4.19 BB/9 3.7 K/9 6.7
(日ハム) 7試合0勝3敗0S 防御率4.88 BB/9 3.6 K/9 4.6
【MLB】150試合13勝13敗1S 防御率5.14 BB/9 3.3 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 150km/hに迫るハイ・ファストボールとツーシームっぽい動く速球、チェンジアップを持ち、ハマれば相手打線を寄せ付けなかった。阪神1年目はシーズンを通して先発ローテーションを守り、153回1/3を消化。翌シーズンはムーアとバルデスがハイレベルな活躍をした煽りでファーム暮らしを強いられた。

 阪神タイガースには24歳のときに入団。韓国に活躍の場を求めた年もあったが、なんだかんだで37歳までメジャーリーガーとしてプレーした。

Embed from Getty Imagesメジャー時代のカーライルの、ヒゲの形がもの凄い気になってました

6 デリック・ホワイト
外野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1969年10月12日生/右投右打
【NPB】73試合 打率.227 安打50 本塁打7 OPS.679
【MLB】76試合 打率.181 安打21 本塁打3 OPS.503

============ 選手紹介 ============

 マイク・タイソンに似ていると話題になった元MLB外野手。入団テストを受けて年俸2000万円で契約したことから分かるように期待値は低かった。シーズントータルでは73試合・打率.227・7本塁打・OPS.679に終わったが、一時期は4番を任され、全力プレーをするタイプの選手で決して悪い印象はなかった。

 さて、ホワイト入団前年のタイガースといえば、サッチーの脱税スキャンダルの影響で野村監督が辞任して、2002年から星野仙一監督が就任。そこに入ったホワイトは結果は残せなかったが、引退後最初の仕事は星野監督に請われて就いた楽天イーグルスの駐米スカウトだった。星野仙一・田淵ヘッドら旧阪神体制のもとでホワイトは才能を発揮し、アンドリュー・ジョーンズ、ケイシー・マギー、ケビン・ユーキリスと契約する大仕事を成し遂げている。もし阪神時代に野村監督のままだったら、きっと違った運命になっていたであろう。

5 トム・エバンス
内野手 在籍期間:2001~02(西武02)
アメリカ合衆国/1974年7月9日生/右投右打
【NPB】117試合 打率.249 安打91 本塁打17 OPS.814
(阪神) 39試合 打率.242 安打30 本塁打2 OPS.681
(西武) 78試合 打率.252 安打61 本塁打15 OPS.882
【MLB】42試合 打率.255 安打26 本塁打1 OPS.691

============ 選手紹介 ============

 ペレスが不振だったため入れ替わりで2001年シーズン途中に来日した。打撃は良くなかったが守備固めに起用できるレベルの内野守備力を持っていたことや、まじめで熱心に練習に取り組む姿勢を評価されて契約延長。2年目のシーズンは熾烈な外国人枠争いに巻き込まれ二軍生活がメインになってしまい、シーズン中に西武にトレード移籍した。

42 イバン・クルーズ
内野手 在籍期間:2001(中日03)
プエルトリコ/1968年5月3日生/左投左打
【NPB】141試合 打率.228 安打106 本塁打25 OPS.725
(阪神) 70試合 打率.234 安打56 本塁打14 OPS.746
(中日) 71試合 打率.222 安打50 本塁打11 OPS.704
【MLB】41試合 打率.273 安打15 本塁打2 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 前年に2ケタ本塁打を放った新庄、大豊、タラスコが3人とも退団してしまったタイガース。改めて打線再構築に4番候補として獲得したのがクルーズだった。

 オープン戦で7本ものホームランを記録。気の早い在阪メディアから”バースの再来”と持ち上げられたが、警戒されすぎたのかレギュラーシーズンでは打撃を崩され14本塁打に終わった。ちなみに2001年のタイガースは14本でもチームの本塁打王だった。当時どれだけ暗黒期だったかが分かる端的な例だった。

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9 エデュアルド・ペレス
 
(登録名:エドワード・ペレス)
外野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1969年9月11日生/右投右打
元有望株 WBC2006
【NPB】52試合 打率.222 安打37 本塁打3 OPS.652
【MLB】754試合 打率.247 安打445 本塁打79 OPS.757

============ 選手紹介 ============

 MLBで8年プレー後、阪神に入団。春季キャンプ中にヒザを痛めたことが尾を引き、52試合で3本塁打に留まりシーズン中に退団した。翌期以降はヒザが治ったのか、さらに5年メジャーでプレーし続けた。

 WBCに縁がありプエルトリコ代表として2006年に出場、2009年はコーチとして入閣。2013年大会にはコロンビア代表監督に就任し、善戦するもパナマに敗退し本選出場を逃した。なお、父親のトニー・ペレスはMLBの野球殿堂入りしている超大物。

55 大豊泰昭
外野手 在籍期間:1998~00(中日89~97,01~02)
台湾/1963年11月15日生/左投左打
【NPB】1324試合 打率.266 安打1089 本塁打277 OPS.873
(中日) 1050試合 打率.268 安打889 本塁打215 OPS.870
(阪神) 274試合 打率.258 安打200 本塁打62 OPS.883
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズのレジェンド的な台湾人スラッガー。ナゴヤドーム元年の1997年に成績を大きく落とし、オフに矢野輝弘とともに関川浩一、久慈照嘉とのトレードで加入した。

 タイガースには3年在籍したが、野村監督と相性が合わなかった。フロントとも毎年のように交渉が長引き、2000年オフには大幅ダウン提示についに爆発し、自由契約の立場を選んだ末に古巣のドラゴンズに戻った。

53 カート・ミラー
投手 在籍期間:1999~00
アメリカ合衆国/1972年8月24日生/右投右打
元有望株
【NPB】28試合2勝6敗6S 防御率6.33 BB/9 4.1 K/9 7.4
【MLB】44試合2勝7敗0S 防御率7.48 BB/9 5.6 K/9 6.1

============ 選手紹介 ============

 マイナー時代は超有望株だった速球派右腕。1990年のMLBドラフトで1巡目・全体5位指名の高順位でピッツバーグ・パイレーツに入団。3年もの間ベースボールアメリカの有望株ランキング全体10~20位に取り上げられ続けるほど期待を浴びていた。その後、球団拡張によるエクスパンション・ドラフトでフロリダ・マーリンズへ移ってから21歳でメジャーデビュー。先発では打者を抑えられずブルペンへ異動するが、それでもメジャー定着はならなかった。

 1999年のシーズン途中に阪神入り。150km/h台前半のファストボールは大きな武器になると期待され、久々に先発起用されたが1年目の防御率は5.98。翌年には、先発に再チャレンジの福原忍との入れ替えでクローザー役を任されるも、前年以上に打ち込まれセーブ失敗を繰り返した。

 投げる方ではほとんど貢献できなかったが、来日1年目の8月、巨人戦で桑田真澄から決勝本塁打を放って勝ち投手になったのが唯一の見せ場だった。

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62 ロベルト・ラミレズ
投手 在籍期間:2000
メキシコ/1971年8月17日生/左投右打
WBC2006
【NPB】9試合1勝3敗0S 防御率5.55 BB/9 4.0 K/9 4.3
【MLB】53試合2勝5敗1S 防御率7.69 BB/9 5.6 K/9 8

============ 選手紹介 ============

 巨人に移籍したダレル・メイの後釜に獲得した変則左腕。変化球でかわすピッチングスタイルだったが、軟投派には必須のコントロールが備わっていなかった。上から横からアングルを変える幻惑フォームも、制球力不足を隠しているだけに思えた。野村監督の信頼を得ることができず、1年でクビになった。

 阪神退団後は故郷に戻りメキシカンリーグで40歳までプレー。2006年にWBCのメキシコ代表に選ばれている。

61 ジェイソン・ハートキー
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1971年9月15日生/右投両打
【NPB】76試合 打率.272 安打82 本塁打4 OPS.687
【MLB】67試合 打率.231 安打31 本塁打2 OPS.611

============ 選手紹介 ============

 契約反故のケビン・ミラーと同様、スト破りの選手だとMLB選手会から目を付けられていた元メジャーリーガー。セカンドを中心にサード、ショートも守るユーティリティだった。

 2000年の阪神タイガースは4番候補にトニー・タラスコとハワード・バトルを獲得したが、春先から機能しなかったため4月に急遽加入した。だが期待された長打を打てず(もともと長距離ヒッターではなかったが…)76試合中4本塁打にとどまり、最も多く就いたサードの守備も不安定なものだった。最終的に故障離脱してシーズンが終わり、当たり前のように退団していった。

 父親は1980年代にカリフォルニア州に野球塾を起業。後のメジャーリーガーを数多く指導した有名な組織になり、ジェイソンも引退後コーチングと経営に参加した。

42 トニー・タラスコ
外野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1970年12月9日生/右投左打
優良助っ人
【NPB】102試合 打率.239 安打91 本塁打19 OPS.735
【MLB】457試合 打率.240 安打241 本塁打34 OPS.709

============ 選手紹介 ============

 メジャー6球団で9年プレーした元外野手。若い時は走攻守3拍子揃ったスマートな選手だった。タイガースでは紳士的なプレーヤーの印象だった。

 父親はイタリア系、母親はトリニダード・トバゴをルーツに持つ。9歳までニューヨークで過ごし、13歳のときに移住したカリフォルニア州サンタモニカでグレてギャングに入った。地元のサンタモニカ高校で野球に打ち込み、ギャングと距離を置くことに成功するとアトランタ・ブレーブスから15巡目指名を受けてプロ入りした。メジャーで8シーズンプレーしたがレギュラー奪取は叶わず来日した。

 阪神では打率.239・19本塁打を記録。期待外れということで解雇されたが、打撃成績はほかの選手に比べれば遥かにマシで、守備もさほど問題視されていない。2000年の阪神打線で2ケタ本塁打は新庄剛志28本、大豊泰昭23本とタラスコの3人だけだったが、新庄はMLB挑戦、大豊は30%超減俸提示にブチ切れ、3人ともチームを去ることになり、暗黒期阪神の打線の軸はさらに弱体化していくのであった。

 退団後の2002年にメッツでメジャー復帰を果たしたが、一緒にマリファナを吸っていたチームメイトが意識を失い搬送されたことで愚行が明るみになって逮捕されてしまう。2人とも初犯だったためMLBから処分は受けなかったが、タラスコはこの年限りで現役引退(チームメイトは翌年メジャーに復帰)。引退後はワシントン・ナショナルズなどでコーチを務めた。


1996年のア・リーグ優勝決定戦、デレク・ジーターが放ったライトフェンス際の大飛球を12歳の観客が捕球してしまう。妨害が無ければライトは捕球していた可能性が高かったが、なぜか判定はホームラン。これで流れはヤンキースに傾き、ワールドシリーズへと駒を進めた。この時ライトを守っていたのがタラスコだった。

99 ハワード・バトル
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1972年3月25日生/右投右打
【NPB】13試合 打率.227 安打10 本塁打1 OPS.633
【MLB】29試合 打率.243 安打9 本塁打1 OPS.673

============ 選手紹介 ============

 2000年に4番候補として獲得した元MLB三塁手。身体をまったく絞らずに来日し、一軍キャンプに合流できないまま開幕も二軍で迎えることになる。4月中旬になって一軍に上がったが打撃成績は芳しくなく、日本ハムからミカ・フランクリン獲得のめどが立ったため6月に解雇された。

 打撃成績は打率.227・1本塁打・1打点。なぜか中日戦だけは強く、初安打は山本昌から、唯一の打点とホームランは岩瀬仁紀から打ったものだった。

99 ミカ・フランクリン
外野手 在籍期間:2000(日ハム99~00)
アメリカ合衆国/1972年4月25日生/右投両打
【NPB】144試合 打率.233 安打110 本塁打32 OPS.851
(日ハム) 136試合 打率.237 安打105 本塁打30 OPS.859
(阪神) 8試合 打率.172 安打5 本塁打2 OPS.728
【MLB】17試合 打率.324 安打11 本塁打2 OPS.878

============ 選手紹介 ============

 4番候補のバトルに見切りをつけて2000年シーズン途中に獲得した両打ちの長距離砲。前年に日本ハムで30本塁打を放ったが外国人枠のあおりを受けて出場機会が激減していたところを金銭トレードで獲得した。

 タイガースでは移籍後すぐに2本塁打を放ち期待を持たせたが、ヒザを故障して8試合しか出場できず。ホームランもその2本にとどまった。