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中日ドラゴンズ 歴代助っ人外国人①(2000年以降)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Chunichi Dragons
中日ドラゴンズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
212→67→29 ジャリエル・ロドリゲス
投手 在籍期間:2020~23
キューバ/1997年3月10日生/右投右打
WBC2023
【NPB】79試合10勝10敗0S 防御率3.03 BB/9 4.0 K/9 9.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2019年のプレミア12でのピッチングが与田監督の目に留まり、翌年育成で入団。1年目の早い時期に支配下登録されると2年間は先発で投げ、3年目はチーム事情からブルペンに配置転換。ライデルと球界随一の投手リレーを組み、転向初年度から最優秀中継ぎ投手に選ばれた。

 2022年の年末にキューバ政府とドラゴンズの間で2年契約を更新。しかし、翌年3月のWBCでキューバ代表として準決勝をフロリダで戦ったあと、ドミニカ共和国へ亡命。2024年に入ってトロント・ブルージェイズと5年3200万ドルの長期契約をゲットした。

 キューバ独裁政権のもとで働いている野球選手たちは過酷な環境にいることが知られており、夢を追って亡命を選択するキューバ人選手を責め立てることはできない。ただ、ドラゴンズとしては8回を任せる投手がシーズン直前にいなくなり、柳・高橋宏斗・小笠原・涌井の10敗カルテットが生まれる遠因になってしまった。なお、2023年シーズン終了後、キューバ系選手に強い記者の取材に応じ「世界中のどこにいようと自分の心は名古屋にある」と語った。

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42→96 ソイロ・アルモンテ
外野手 在籍期間:2018~20, 23
ドミニカ共和国/1989年6月10日生/右投両打
【NPB】271試合 打率.309 安打287 本塁打32 OPS.838
【MLB】47試合 打率.211 安打30 本塁打2 OPS.523

============ 選手紹介 ============

 長距離砲のつもりで獲得したが、NPBではヒットの延長線上にホームランはあるかのようなミート重視の打撃スタイルで好打率を残した。

 故障が相次ぎ3年を終えて退団したが2023年に立浪監督からの強い要望で再来日した。

212→94→209 ペドロ・レビーラ
内野手 在籍期間:2022~23
キューバ/1999年3月23日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.203 安打13 本塁打1 OPS.509
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグで3割台の打率とホームラン王の実績がある育成内野手。来日2年目の2023年、レギュラーシーズンも大詰めの9月下旬に突然いなくなり、亡命したことが判明した。

 一軍では21試合に出場して打率.203。戦力的にマイナスではなかったが、今後のキューバ政府との関係性には影響大。

205→95→210 ギジェルモ・ガルシア
外野手 在籍期間:2022~23
キューバ/2000年7月1日生/右投左打
【NPB】2試合 打率.111 安打1 本塁打0 OPS.222
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 レビーラと一緒に2022年に来日したキューバ人外野手。2023年のWBCキューバ代表には選ばれなかったがサポートメンバーに登録されていた。育成から支配下になったが一軍で力不足を露呈し、22年終了後に育成契約に逆戻り。翌年ウエスタンリーグでも結果を残せず、育成選手の規定上自由契約になった。

 プレイスタイルはレビーラと似たタイプだったが、高みを求めて亡命に踏み切ったレビーラと違い、ガルシアは優しい性格だがハングリー精神に欠けると言われていた。

9 アリステディス・アキーノ
外野手 在籍期間:2023
ドミニカ共和国/1994年4月22日生/右投右打
【NPB】20試合 打率.154 安打10 本塁打1 OPS.438
【MLB】244試合 打率.211 安打145 本塁打41 OPS.719

============ 選手紹介 ============

 MLBでルーキーイヤーだった2019年、2度目のメジャー昇格を果たすと4試合連続本塁打と1試合3本塁打を放ち、週間MVPに選出。それ以降は弱点を突かれて打てなくなり、2022年にはマイナーが定位置となっていた。

 2022年オフにドラゴンズが120万ドル+出来高で獲得を発表。メジャー通算41本塁打、4割を優に超える長打率をマークしている実績からパワー面で大きな期待を背に来日した。オープン戦とWBC強化試合ではよく打っていたが、開幕後は他球団のファンからも同情されるほど大不振に陥った。

 余談だが、デッドボーラー(=筆者)は大学時代の旧友と定期的に忘年会をやっているのだが、2022年末の忘年会のときに新外国人のアキーノの凄さを力説し、日本での活躍に太鼓判を押した。結果はご存じの通り。ただ、日本独特の配球に苦しむ助っ人も珍しくないので打てないのはまだ仕方がないと思うが、外野守備の方は草野球か?と思うほど酷いレベルだったのはどうにも納得がいかない。

メジャー時代はすごい選手だったんですEmbed from Getty Images

99 ヨハン・タバレス
 
(登録名:タバーレス)
投手 在籍期間:2022 (広島18)
ドミニカ共和国/1994年11月8日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率6.00 BB/9 6.0 K/9 12.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2018年に広島カープにいたドミニカ人投手。カープを解雇されてから日本の独立リーグを転々としていたところをドラゴンズが獲得した。

 (経歴が似ているSBホークスの)藤井のように化けることを期待した、二軍のピッチャーが足りず数合わせ要員だった、など獲得理由には疑問を持たれていて、カープ時代と同じく二軍でも打ち込まれた。

210→57 アリエル・マルティネス
捕手/内野手 在籍期間:2018~22 (日ハム23)
キューバ/1996年5月28日生/右投右打
WBC2023
【NPB】288試合 打率.261 安打213 本塁打27 OPS.765
(中日) 169試合 打率.274 安打118 本塁打12 OPS.767
(日ハム) 119試合 打率.246 安打95 本塁打15 OPS.763
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ出身の捕手兼一塁手。育成で入団後支配下登録された。中日OBのディンゴ以来外国人では20年ぶりにマスクを被り、またルイス・ゴンザレスが登板した時は29年ぶりの外国人バッテリーが実現した。

 ケガが多かったこととファーストのビシエドが盤石だったことでドラゴンズでは出場機会が限られ、2022年オフに自由契約に。翌年から日本ハムに入団すると打撃で活躍するようになった。背番号2をつけた彼の姿は、心なしか以前より伸び伸びとプレーしているように見える。

210 ルーク・ワカマツ
内野手 在籍期間:2021~22
アメリカ合衆国/1996年10月10日生/右投両打
日系人
【NPB】2試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.250
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 シアトル・マリナーズの監督だったドン・ワカマツ氏の息子。日系五世。育成契約で入団した。2年目に支配下契約を勝ち取ったが1軍デビューしてすぐにケガに見舞われ、結局2試合に出ただけで退団となった。

42 ランディ・ロサリオ
投手 在籍期間:2021
ドミニカ共和国/1994年5月18日生/左投左打
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 3.0
【MLB】69試合6勝1敗1S 防御率5.00 BB/9 4.1 K/9 6.6

============ 選手紹介 ============

 カブス時代に44試合に登板したシーズンがあったが、メジャー定着はかなわず来日したリリーフ左腕。来日前に元中日のジョーダン・ノルベルト(アルメンゴ)から事前に学んでやってきた。

 一軍では9試合登板に終わったがチームにしっかりと溶け込み、チームメイト達と東山動植物園に行くなど上手くやっていた。

 契約終了後もNPBでのプレーを希望したがオファーがなく、日本に若干未練を残したままアメリカに帰って行った。

99 マイク・ガーバー
外野手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1992年7月8日生/右投左打
【NPB】12試合 打率.156 安打7 本塁打0 OPS.352
【MLB】30試合 打率.076 安打5 本塁打0 OPS.257

============ 選手紹介 ============

 「マイナー通算91発を誇る」という微妙な触れ込みで来日したパワーヒッター。一応メジャーで30試合の出場経験がある。長い赤ひげと笑顔がチャーミングではあったが、アピールポイントの打撃がさっぱり。年俸5千万円は高い出費となった。

 また、仁村二軍監督がガーバーのバッティングについて「速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない」とコメントしたことがファンから失笑を買った。

◇2020年までに在籍した外国人選手
53 ルイス・ゴンザレス
 
(登録名:ゴンサレス)
投手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1992年1月17日生/左投右打
【NPB】28試合0勝0敗0S 防御率4.78 BB/9 3.1 K/9 9.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 登録名が「ゴンサレス」だったドミニカ人サウスポー。ジョエリー・ロドリゲスの穴埋めを期待されて入団したが、登板ごとに抑えたり打ち込まれたりとにかく不安定で、特にビジター球場での成績が悪かった。

 ドラゴンズ退団後はイタリアで野球を続けた時期もあったが、2023年に打者天国のメキシカンリーグで防御率1.69と大健闘。ウィンターリーグでも好成績を残してボルティモア・オリオールズとマイナー契約に漕ぎつけた。遠回りしたがメジャーデビューが現実になろうとしている。

201 サンディ・ブリトー
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1996年7月19日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 線が細いドミニカ人右腕。タンパベイ・レイズと契約するもルーキー級より上に上がれず、育成枠で来日。2年間在籍したが二軍で2年連続で防御率が10点を超え、クビになった。

70 エニー・ロメロ
投手 在籍期間:2019~20 (ロッテ21-22)
ドミニカ共和国/1991年1月24日生/左投右打
WBC2017
【NPB】45試合17勝19敗0S 防御率3.60 BB/9 3.6 K/9 7.1
(中日) 21試合8勝10敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 8.1
(ロッテ) 24試合9勝9敗0S 防御率3.05 BB/9 3.1 K/9 6.3
【MLB】137試合4勝6敗3S 防御率5.12 BB/9 4.6 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 エース級だったオネルキ・ガルシアが退団したため、オフに森繁が連れてきたメジャーリーガー。登録名は”エンニー・ロメロ”。同じ左腕、常時155km/hが出る速球を持ち、MLBではガルシア以上の実績がある選手だったため大いに期待された。

 1年目は8勝10敗と援護が少ない中まあまあな成績も、2年目は肩の故障で登板ゼロのまま解雇。ドラゴンズ退団後の翌シーズン中、千葉ロッテに電撃加入している。

211→45 モイゼス・シエラ
外野手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1988年9月24日生/右投右打
WBC2013
【NPB】25試合 打率.225 安打18 本塁打1 OPS.617
【MLB】207試合 打率.235 安打110 本塁打9 OPS.649

============ 選手紹介 ============

 MLB経験者だが育成契約で入団した俊足巧打の外野手。登録名は『モイセ・シエラ』。支配下登録された際にペドロ・マルティネスが付けていた45番に決まり大いに喜んだが、グラウンドでは結果を残せなかった。ドミニカの実家はペドロの家と近所で顔見知りだったらしい。

 ちなみに大谷選手がエンゼルスにいたときのチームメイトに俊足外野手”M.シエラ”がいた。ドミニカ共和国出身でプレイスタイルも似ているが、こちらはマグネウリス・シエラなので注意。

57 ジョエリー・ロドリゲス
投手 在籍期間:2018~19
ドミニカ共和国/1991年11月14日生/左投左打
期待以上
【NPB】90試合3勝7敗2S 防御率1.85 BB/9 2.9 K/9 10.6
【MLB】168試合5勝9敗1S 防御率4.70 BB/9 4.2 K/9 9.2

============ 選手紹介 ============

 2018年の夏に日本にやってくると、150km/h後半の速球を武器にドラゴンズのリリーフエースとして活躍。その後はメジャーでも勝ち試合に投げる投手に成長し、NPBで結果を残してメジャーへと続く新しい形を作った。

 近年はメジャーで居場所を失いつつあり、再来日の可能性も。

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44 スティーブン・モヤ
外野手 在籍期間:2018~19 (オリックス20-21)
プエルトリコ/1991年8月9日生/右投両打
【NPB】269試合 打率.249 安打218 本塁打39 OPS.709
(中日) 53試合 打率.287 安打33 本塁打4 OPS.751
(オリ) 216試合 打率.243 安打185 本塁打35 OPS.703
【MLB】51試合 打率.250 安打31 本塁打5 OPS.745

============ 選手紹介 ============

 身長2メートルのプエルトリコ産スラッガー。一緒に来日したアルモンテと同じくスイッチヒッター。

 メジャーでも主軸を打てると期待された有望株だったが大成せず、2018年に来日。ドラゴンズでは外国人枠に割って入れず、二軍暮らしが続いたところをオリックスにトレードに出された。

60 ディロン・ジー
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1986年4月28日生/右投右打
【NPB】4試合0勝3敗0S 防御率4.00 BB/9 2.3 K/9 5.3
【MLB】165試合51勝48敗1S 防御率4.09 BB/9 2.8 K/9 6.5

============ 選手紹介 ============

 メッツ時代に2度二桁勝利を挙げている元先発ローテ投手。来日時は31歳だったが既に満身創痍の状態で、日本では4試合しか投げられずにそのまま現役引退した。

Embed from Getty Images丸4年、メッツの先発ローテーションを守り続けたジー。この頃はまだヒゲが無かった

70 オネルキ・ガルシア
投手 在籍期間:2018 (阪神19-20)
キューバ/1989年8月2日生/左投左打
期待以上 WBC2023
【NPB】62試合21勝23敗0S 防御率3.81 BB/9 3.8 K/9 6.8
(中日) 27試合13勝9敗0S 防御率2.99 BB/9 3.9 K/9 7.0
(阪神) 35試合8勝14敗0S 防御率4.58 BB/9 3.8 K/9 6.5
【MLB】5試合0勝1敗0S 防御率13.50 BB/9 11 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 2018年にエース級の活躍をしたキューバ出身左腕。2000年のメルビン・バンチ以来となる来日1年目での2桁勝利(13勝9敗)を挙げ、当たり前のように最下位争いをするチームにおいて救世主のような存在であった。

 シーズンオフに入るとドラゴンズとの契約延長交渉がまとまらず、阪神タイガースに移籍した。

49 エルビス・アラウホ
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1991年7月15日生/右投右打
【NPB】6試合1勝0敗0S 防御率6.48 BB/9 3.2 K/9 6.5
【MLB】72試合4勝2敗0S 防御率4.35 BB/9 5.2 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 クローザー候補で獲得したが6試合登板に終わった巨漢左腕。身長2m・体重120kg超の巨体からメジャー時代には150km/h後半を投げていたデータがあるため期待されていた。だが実際には来日前年に球速低下の兆候があり、日本では速球派とは言い難いピッチングに終始した。年俸は1億5千万円だったという噂がある。

91 ホルヘ・ロンドン
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1988年2月16日生/右投右打
160km/h
【NPB】4試合0勝0敗0S 防御率5.79 BB/9 3.9 K/9 7.7
【MLB】13試合0勝1敗0S 防御率13.26 BB/9 5.2 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 160km/hの速球が魅力のベネズエラ人右腕。アメリカでほぼリリーフしか経験がなかったのに先発候補として獲得したと報道され、ファンから不安がられた。

 ドラゴンズを退団後も日本でのでのプレーを希望。BCリーグ福島に入団するもNPBには戻れず、メキシカンリーグに活躍の場を求めている。

44 ラウル・バルデス
投手 在籍期間:2015~17
キューバ/1977年11月27日生/左投左打
期待以上
【NPB】65試合17勝24敗0S 防御率3.49 BB/9 2.7 K/9 6.2
【MLB】103試合7勝7敗2S 防御率5.13 BB/9 3.1 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 バルデスおじさんの愛称で親しまれた苦労人左腕。キューバで生まれ6度の亡命を経て32歳でメジャーデビューしている。

 ドラゴンズに来た時点で38歳だったため期待値は低かったが、3年間先発の表ローテで投げてくれた。3年とも防御率は3点台、WHIPも1.2台と極めて安定した成績を残した。また、近年稀に見るムエンゴっぷりも人気の要因のひとつになった。

 2024年現在もまだ現役を続けている。23年オフのドミニカン・ウィンターリーグでは武者修行中の中日・鵜飼らと同じチームでプレーした。

99 ジョーダン・ノルベルト
 
(登録名:ジョーダン (アルメンゴ))
投手 在籍期間:2016~17 (ヤクルト18)
ドミニカ共和国/1986年12月8日生/左投左打
【NPB】40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
【MLB】78試合4勝3敗1S 防御率4.00 BB/9 5.8 K/9 7.4

============ 選手紹介 ============

 ドラファンからは今でも親近感を持たれている元先発左腕。MLB時代はメジャー定着を期待される有望株であったが大成せず、バイオジェネシス・スキャンダルで出場停止になってからはメジャーに昇格できず、NPBにやってきた。ドラゴンズでは際どいボークの判定に苦しんだが、2年間で200イニング近くを投げてくれた。

 ヤクルトに移籍後、息子に中日のユニフォームを着させたインスタを上げたり、ケガで結局1度も登板しなかったりでヤクルトファンを大いに怒らせた。日本を離れてからも、なぜか中日の元同僚のSNSをチェックしているため、ドラゴンズブルーの血が流れているのではないか?と言われている。

210 レオナルド・ウルヘエス
外野手 在籍期間:2017
キューバ/1993年1月9日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグから派遣された育成選手。入団時にマツ毛が可愛いと言われた以外ファンの記憶に残っていない。

42 アレックス・ゲレーロ
内野手 在籍期間:2017 (巨人18-19)
キューバ/1986年11月20日生/右投右打
期待以上
【NPB】313試合 打率.258 安打269 本塁打71 OPS.857
(中日) 130試合 打率.279 安打131 本塁打35 OPS.896
(巨人) 183試合 打率.240 安打138 本塁打36 OPS.824
【MLB】117試合 打率.224 安打52 本塁打11 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズでホームラン王を獲得した元メジャーリーガー。来日前に3Aの試合で年上選手に耳を嚙みちぎられる(被害者)事件に見舞われ、何か問題があるのでは?と警戒されながら入団した。問題児ではなかったがオフの契約延長交渉は決裂、巨人に移籍した。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューした時には、もう耳をかじられたあとだった

98 レイソン・セプティモ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1985年7月7日生/左投左打
160km/h
【NPB】3試合0勝1敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 1.4
【MLB】21試合0勝2敗0S 防御率5.02 BB/9 3.8 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 2016年シーズン後半に来日した元MLB左腕。笑顔は魅力的だったが、来日してすぐに球種がバレる癖が発覚、即戦力とはならなかった。

 2008年にマイナーで100マイル(160km/h)を投げた、という真偽不明な事前情報もファンを微妙な気持ちにさせた。

42 ホアン・ハイメ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1987年8月2日生/右投右打
160km/h
【NPB】1軍出場なし
【MLB】18試合0勝1敗0S 防御率5.93 BB/9 8.6 K/9 12.5

============ 選手紹介 ============

 助っ人外国人でネタ扱いされてしまうケースに、自称160km/hを投げられると豪語して来日するのがある。オリックスのコーディエに次いで典型的な例とされてしまっているのが、元メジャーリーガーのホアン・ハイメ。

 マイナーでも与四球率が悪かったのをドラファンから心配されていたが、日本では1軍に上がることなく退団した。

54 ドリュー・ネイラー
投手 在籍期間:2015~16
オーストラリア/1986年5月31日生/右投右打
WBC2009
【NPB】17試合5勝5敗0S 防御率4.15 BB/9 3.7 K/9 7.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本の独立リーグ経由という外国人では珍しいパターンでNPB入りした先発右腕。オーストラリア人。

 シーズン途中に加入した1年目は先発ローテでそこそこ投げたが、翌年は肩の不調もあって退団した。

 印象に残っているのは来日2試合目に広いナゴヤドームで逆方向にホームランを打ったことと、ボディビルダーの彼女と一緒に来日したがシーズン後に振られた件。

00 アンダーソン・エルナンデス
内野手 在籍期間:2014~16
ドミニカ共和国/1982年10月30日生/右投両打
【NPB】288試合 打率.263 安打266 本塁打21 OPS.694
【MLB】240試合 打率.241 安打155 本塁打4 OPS.614

============ 選手紹介 ============

 MLBで有望株だったが大成せず来日した内野手。ショートを含め内野をすべてこなせるユーティリティ性が強みだったが、アライバを見慣れた中日ファンにとっては危なっかしいものだった。二遊間コンビを組む荒木がやりにくそうにしている姿が印象に残る。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューしたメッツではホゼ・レイエスと二遊間コンビを組んだ

60 リカルド・ナニータ
外野手 在籍期間:2015~16
ドミニカ共和国/1981年6月12日生/左投左打
優良助っ人 WBC2013
【NPB】144試合 打率.293 安打139 本塁打8 OPS.731
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームと相性が悪かった中距離ヒッター系外野手。いい感じに捉えた打球の多くが外野フライになってしまい、打者有利な球場であれば戦力になったかもと言われている。

 来日2年目には肉体改造をして臨んだ努力家。人格的にも優れていたと言われ、戦力外になったときはファンから残念がられた。

◇2015年までに在籍した外国人選手
42 アマウリ・リバス
 
(登録名:リーバス)
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1985年12月20日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 最初のオープン戦で初回7失点と炎上したあと肩が痛いと言い出し帰国。夏場に再来日するも2軍で少し投げただけで再び帰国してからは二度と姿を見ることは無かった。

 アメリカではトリプルAまで行ったが、メジャー昇格のチャンスを手にすることはできなかった。

49 ラファエル・ペレス
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1982年5月15日生/左投左打
大物 WBC2009
【NPB】1軍出場なし
【MLB】338試合21勝12敗3S 防御率3.64 BB/9 3.2 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 19歳から野球を始めた異色の元メジャーリーガー。ドラゴンズでは怪我に泣き一度も登板することなく退団したが、MLBではクリーブランド・インディアンスで7年・338試合出場の実績があり、勝ちパターンで登板する年もあった正真正銘のメジャーリーガーだった。

Embed from Getty Imagesドラゴンズでは投げられなかったが、インディアンズ時代は馬車馬のように働いた

205 レアンドロ・メジャ
投手 在籍期間:2014~15
ドミニカ共和国/1990年5月5日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アメリカの独立リーグに所属していたがチームが消滅、ドラゴンズに育成契約で加入したドミニカ人投手。マイナーではシングルA-で防御率13.50、それ以外はRookie級でしか登板実績がない。期待薄の状態で入団し、案の定支配下登録されることなく退団となった。

0 エクトル・ルナ
内野手 在籍期間:2013~15 (広島16)
ドミニカ共和国/1980年2月1日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】413試合 打率.309 安打474 本塁打39 OPS.826
(中日) 346試合 打率.316 安打408 本塁打34 OPS.848
(広島) 67試合 打率.272 安打66 本塁打5 OPS.707
【MLB】339試合 打率.262 安打208 本塁打15 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 顔が石原さとみ似だと話題になった元メジャーリーガー。ヒッティング能力はMLB時代から評価されていて、日本では首位打者争いに絡む高打率を残した。一方で毎年故障離脱があり、4番を任せるには長打力不足(トニ・ブランコの後釜を探していた)を理由に3年で退団となった。

45, 47 ネルソン・パヤーノ
 
(登録名:パヤノ)
投手 在籍期間:2009,14
ドミニカ共和国/1982年11月13日生/左投左打
【NPB】57試合2勝3敗0S 防御率2.30 BB/9 5.4 K/9 10.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズに二度在籍した、150km/h超のフォーシームが持ち味だったリリーフ左腕。一度目は防御率2.08と見かけ上は良かったが制球難でプレッシャーの少ない場面での起用が多く、シーズン後の年俸交渉で500万円の差が埋まらず退団した。

 二度目はメジャーリーガーの夢破れてメキシカンリーグで150km/hを投げていたところを再度契約するも、あっさり四球を出す欠点は解消されず再び1年で退団となった。

60→201 宋相勲
投手 在籍期間:2012~14
大韓民国/1993年2月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 外国人扱いでドラフト指名される珍しいケースで入団した韓国人投手。高校生のときに留学で福井工大福井高に2年生まで在学。ケガの治療のため3年に上がる前に帰国したあと、韓国プロ野球のドラフト指名を受けるも日本でのプレーを希望。ドラゴンズからの隠し玉指名を受け入れて入団した。

 ドラゴンズでは投手の伸びしろは少ないと早々に判断され、野手転向と同時に育成契約に切り替え。その後解雇となった。

70→99 ダニエル・カブレラ
投手 在籍期間:2013~14
ドミニカ共和国/1981年5月28日生/右投右打
大物 問題児 160km/h WBC2006
【NPB】34試合11勝12敗0S 防御率3.49 BB/9 3.5 K/9 7.3
【MLB】162試合48勝65敗1S 防御率5.10 BB/9 5.2 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 MLB通算155先発の実績も、制球と精神面のコントロールに苦しんだ元先発右腕。MLBではルーキーイヤーに12勝8敗を挙げ、高津臣吾に次ぐ新人王投票3位。だが翌年以降は次第に失速し、2013年に来日した。

 ファストボールはメジャーでも有数のものだったが、コントロール、クイックモーション、フィールディング、バントや走塁といった速球以外のものが全て苦手で、頭に血が上りやすい課題もあった。廣済堂出版が毎年出す選手名鑑の2008年版には「100万ドルの速球と10セントのおつむ」と書かれた。

 ドラゴンズでは先発を務め2年在籍。二軍で調整中に食べたチャーハンの虜になり、お店の定休日や営業時間に間に合わなかった日には地団駄を踏んで悔しがった。

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44 アレクシス・ゴメス
外野手 在籍期間:2014
ドミニカ共和国/1978年8月8日生/左投左打
【NPB】12試合 打率.077 安打1 本塁打0 OPS.220
【MLB】89試合 打率.260 安打41 本塁打1 OPS.650

============ 選手紹介 ============

 かつて在籍していたレオ・ゴメスの再来を期待され4番候補として来日した元メジャーリーガー。トニ・ブランコ以上の長打力を持つと噂され、オープン戦で3割を打った。しかしレギュラーシーズンが始まるとまったく打てなくなり、打率.077・本塁打ゼロ。同じ年にタイガースに入ったマウロ・ゴメスが活躍しただけに余計にファンの落胆は大きかった。

65 ワーナー・マドリガル
投手 在籍期間:2013
ドミニカ共和国/1984年3月21日生/右投右打
【NPB】31試合2勝0敗0S 防御率3.23 BB/9 4.2 K/9 6.5
【MLB】44試合0勝2敗1S 防御率6.10 BB/9 4.8 K/9 5

============ 選手紹介 ============

 テキサス・レンジャースで2年出場経験がある元メジャーリーガー。中日では防御率3.23も球威・制球力ともにイマイチな印象があり、1年で解雇となった。

 2024年現在で40歳だがドミニカのウィンターリーグに毎年出場している。

42 ブラッド・バーゲセン
 
(登録名:ブラッドリー)
投手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1985年9月25日生/右投左打
【NPB】14試合2勝2敗0S 防御率3.71 BB/9 2.7 K/9 3.7
【MLB】102試合19勝25敗0S 防御率4.61 BB/9 2.6 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 バーゲンセールを連想させて縁起が悪いためブラッドリーが登録名になった先発右腕。ボルティモア・オリオールズの先発ローテに入っていた元メジャーリーガーで、コントロールに優れる一方で球威が無い特徴があった。

 中日では良くも悪くもない成績。2017年に引退後はマイナーの投手コーチをしている。

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44 ビクトル・ディアス
外野手 在籍期間:2012~13
ドミニカ共和国/1981年12月10日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.174 安打4 本塁打0 OPS.443
【MLB】147試合 打率.256 安打114 本塁打24 OPS.796

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームを物ともしない4番像をイメージして獲得したがまったく打てなかった。MLBで通算長打率.487、シーズン2桁本塁打をマークしたことがあるが、日本の野球とは合わなかったのだろう。

60 マット・クラーク
内野手 在籍期間:2013 (オリックス16)
アメリカ合衆国/1986年12月10日生/右投左打
【NPB】143試合 打率.234 安打102 本塁打27 OPS.779
(中日) 132試合 打率.238 安打97 本塁打25 OPS.785
(オリ) 11試合 打率.172 安打5 本塁打2 OPS.708
【MLB】16試合 打率.185 安打5 本塁打3 OPS.744

============ 選手紹介 ============

 当たれば飛ぶが三振の山を築くパワーヒッター。中日では規定打席をクリアしてチーム最多の25本塁打も打率.238・130三振(ともにリーグワースト)を記録する粗さが共存した。退団した翌年にミルウォーキー・ブリュワーズでメジャーデビューを果たしている。

 アメリカ生まれだがメキシコ代表の資格を持ち、2019年のプレミア12に出場。2021年のオリンピックにも出場を希望していたが選ばれず、メディアを通じて代表チームに猛抗議した。

49 マキシモ・ネルソン
投手 在籍期間:2008~12
ドミニカ共和国/1982年4月21日生/右投右打
期待以上
【NPB】84試合15勝21敗1S 防御率2.97 BB/9 2.9 K/9 6.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 謎の多い経歴と憎めないキャラクター、銃弾所持、1年だけエース級の活躍・・・。記憶に残るプレイヤーだった野良タイプのドミニカ人投手。来日時点では5年もプレーできると思われていなかった。

 ドミニカ共和国で生まれMLBを目指すも、年齢をごまかすために他人に成りすましていたことがバレてビザが下りず、ようやく渡米したあとも偽装結婚に関与して国外追放処分を受けた。メジャーリーガーの夢が大きく後退し、1年間イスラエルのプロリーグで過ごした。故郷に戻ったネルソンは野球だけで生計を立てるのが難しくなっていたが、農作業中に森繫和と遭遇し、ドラゴンズに連れられることになった。

 ネルソンを語るうえで欠かせないのが2010年春季キャンプ。入国時に銃弾を持ち込んでしまい逮捕され、平和な日本では大きく報道された。それでも2011年は10勝14敗・209回1/3・防御率2.54・WHIP1.05をマーク、エースと呼べるほどの圧巻の成績を残した。翌年は不調で解雇となったが、ファンからは退団を大いに惜しまれた。

70 エンゼルベルト・ソト
投手 在籍期間:2011~12 (DeNA13-14)
ベネズエラ/1982年8月20日生/左投左打
【NPB】74試合11勝6敗1S 防御率3.11 BB/9 3.2 K/9 6.4
(中日) 40試合9勝2敗0S 防御率1.92 BB/9 2.6 K/9 6.9
(DeNA) 34試合2勝4敗1S 防御率6.20 BB/9 4.7 K/9 5.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 Mr.ビーンにそっくりとテレビで紹介されたサウスポー。左腕の岩田慎司がベネズエラ冬季リーグに武者修行中、同じチームになった縁で来日した。

 ドラゴンズではリリーフと先発両方をこなし、貴重な働きをしたが契約交渉がまとまらず。DeNAにさらわれた。

65 ホルヘ・ソーサ
投手 在籍期間:2012 (DeNA13-14)
ドミニカ共和国/1977年4月28日生/右投右打
WBC2006
【NPB】135試合8勝8敗26S 防御率2.32 BB/9 3.3 K/9 7.2
(中日) 53試合5勝1敗4S 防御率1.85 BB/9 2.7 K/9 7.1
(DeNA) 82試合3勝7敗22S 防御率2.68 BB/9 3.8 K/9 7.3
【MLB】294試合44勝53敗7S 防御率4.72 BB/9 4.1 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 アトランタ・ブレーブス時代の2005年に1年だけ凄い成績を残したドミニカ人右腕。ドラゴンズでは中継ぎとして53試合に登板。防御率1.85をマークするも残留交渉が難航してDeNAに取られた。

 来日前からサミー・ソーサは親戚だと触れ回っていたが、信じている人は少なかったようだ。

42 トニ・ブランコ
内野手 在籍期間:2009~12
ドミニカ共和国/1980年11月10日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】750試合 打率.272 安打725 本塁打181 OPS.868
(中日) 452試合 打率.262 安打427 本塁打111 OPS.852
(DeNA) 219試合 打率.314 安打249 本塁打58 OPS.962
(オリ) 79試合 打率.202 安打49 本塁打12 OPS.666
【MLB】56試合 打率.177 安打11 本塁打1 OPS.490

============ 選手紹介 ============

 タイロン・ウッズの抜けた4番ファーストの穴を見事埋めてくれたパワーヒッター。アメリカでは2005年のルール5ドラフトでフロリダ・マーリンズから指名を受け、1シーズンチャンスを貰ったが活躍できず。翌年以降はダブルAで燻っていた。2008年のウィンターリーグでプレー中に視察に来ていた森繫和コーチと出会い、ドラゴンズに入団した。

 ウッズに代わる4番として起用される方針も、フリースインガー傾向が強く前評判は芳しくなかった。しかし開幕戦のNPB初打席からナゴヤドームのバックスクリーンへのホームランを放つと、その後も長打を量産。1年目は全試合で4番を打ち、打率.275・39本塁打・110打点を好記録で本塁打と打点の二冠王に輝いた。5月に前田健太から放った打球は、広いナゴヤドームの天井スピーカーにぶつける球場初の認定ホームランだった。

 来日2年目も32本塁打を放ち4番の仕事を果たしたが、2011~12年は故障離脱が目立つようになっていった。来日時に2000万円台だった年俸も高騰が予想され、2012年限りで退団。ソトとソーサとともに揃ってDeNAに移籍した。

74→31→28→203→21 陳偉殷(チェン・ウェイン)
投手 在籍期間:2004~11 (ロッテ20,阪神21-22)
台湾/1985年7月21日生/左投両打
大活躍 期待以上
【NPB】133試合37勝32敗1S 防御率2.58 BB/9 2.2 K/9 7.0
(中日) 127試合36勝29敗1S 防御率2.56 BB/9 2.2 K/9 7.1
(ロッテ) 4試合0勝3敗0S 防御率2.42 BB/9 1.4 K/9 4.8
(阪神) 2試合1勝0敗0S 防御率3.86 BB/9 2.9 K/9 6.8
【MLB】219試合59勝51敗0S 防御率4.18 BB/9 2.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 台湾の高雄市出身。高校時代にIBA世界大会の韓国戦に完封勝利を挙げ、日米球団の間で争奪戦が繰り広げられた。MLB球団からの誘いもあったが、アジア担当スカウトの職に就いていた大豊泰昭のドラゴンズへ入団を決めた。

 入団して間もなくヒジの靭帯断裂と疲労骨折を起こし、2年間のリハビリを余儀なくされた。一度育成契約になったが、故障が癒えると支配下登録に切り替え、2008年後半から先発ローテーションに復帰。24試合に登板して4完封・防御率1.54・WHIP0.93の圧巻の成績。2011年まできわめて安定したピッチングを続け、吉見一起とともに落合ドラゴンズのダブルエースの一角を担った。

 肩の開きが遅い理想的なピッチングフォームから回転数の高いフォーシームは一級品だった。2011年のシーズン終了後、ポスティングでボルティモア・オリオールズと契約。かねてから希望していたメジャー挑戦の夢をかなえた。

Embed from Getty Images力みのない理想的なピッチングフォームはメジャーに行っても変わらなかった

214 カンディド・ヘスス
投手 在籍期間:2010~11
ドミニカ共和国/1985年10月5日生/左投両打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 サンタマリアとともに育成契約を結んだパワータイプの投手。NPBでは珍しい左投げ両打ちのプレイヤーだった。

 来日前はクリーブランド・インディアンス傘下のガルフコーストリーグ(Rookie級)で2年間在籍。2年目が大乱調だったためシングルAに上がることなく契約を切られていた。NPBでは1年目の3月、3死球を与えた直後に満塁弾を浴びる衝撃の二軍デビュー以降は1度も公式戦に出ることはなかった。

45 ジョエル・グスマン
内野手/外野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1984年11月24日生/右投右打
【NPB】73試合 打率.181 安打43 本塁打7 OPS.517
【MLB】24試合 打率.232 安打13 本塁打0 OPS.628

============ 選手紹介 ============

 身長2m・体重100kg超の大型内野手。マイナー時代はかなりの有望株で、フューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に2度の選出、2005年プレシーズンのベースボール・アメリカの有望株ランキング全選手中5位に挙げられるほど大きく期待されていた。しかし、苦手な内角球を克服できず大成しなかった。

 ドラゴンズに来てからも粗い打撃は変わらず。守備でも二遊間が守れるはずだったのが練習の時点で無理だと判断され、実戦では一・三塁と右翼で出場した。

48 フェリックス・カラスコ
内野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1987年2月14日生/右投両打
【NPB】3試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.000
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 両コーナーを守るドミニカ共和国出身のスイッチヒッター。バッティングに自信を持って来日したが、一軍で4打数4三振、二軍でも55打数25三振。とにかくバットに当たらなかった。

◇2010年までに在籍した外国人選手
45 エドワード・バルデス
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1980年2月8日生/右投右打
【NPB】8試合1勝3敗0S 防御率4.91 BB/9 3.8 K/9 3.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本ではあまり見られないフルタイムカットボーラーだったドミニカン右腕。マイナーではAAAまで到達したがメジャー昇格はできず、母国のウィンターリーグで投げているところを森繫和ヘッドに声を掛けられ来日した。

 ドラゴンズでは8試合の登板にとどまり、セサルとともに1年で退団した。

213 ホアキン・サンタマリア
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1989年9月21日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヘススとともに育成契約を結んだドミニカ人右腕。150km/h台中盤を投げるがストライクが入らない原石で、来日前はドミニカンサマーリーグで3年プレーしたがアメリカ行きの切符を手にできなかった。獲得時点で19歳だったが二軍で投げることなく夏場に契約解除された。

7 ディオニス・セサル
外野手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1976年9月27日生/右投両打
【NPB】51試合 打率.215 安打40 本塁打1 OPS.512
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 落合監督の頃のドラゴンズはまさに黄金期であり、彼の洞察力は素晴らしいものであった。そんな名将でも、ドラファンが贔屓目に見ても首を傾げたくなる選択をすることがあった。そのひとつが助っ人外国人の起用であり、最たる例がセサルのスタメン起用だった。

 

7 李炳圭(イ・ビョンギュ)
外野手 在籍期間:2007~09
大韓民国/1974年10月25日生/左投左打
WBC2006
【NPB】265試合 打率.254 安打253 本塁打28 OPS.677
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 セサル同様、数少ない落合監督の不可思議采配のひとつだったのが李炳圭の優遇であった。

 10年前のリー・ジョンボム以来の”韓国のイチロー”という触れ込みで入団してきた。前回と違ってビョンギュの方はイチローと同じ左バッターで、大いに期待したものだが、・・・

57 トマス・デラロサ
内野手 在籍期間:2008~09
ドミニカ共和国/1977年1月28日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】125試合 打率.242 安打65 本塁打7 OPS.694
【MLB】49試合 打率.289 安打24 本塁打2 OPS.780

============ 選手紹介 ============

 打撃と内野全ポジションを守れるユーティリティ性が強みのドミニカ人内野手。元メジャーリーガー。2008年は北京オリンピック期間中にアライバの離脱が予想されたため、途中出場に備えての獲得だった。レギュラーシーズンでは打撃成績はイマイチだったが、内野守備については最低限の役割をこなした。

 2年目はさらに打撃成績を落としたが、育成コーチを兼任しながらブランコのメンター役を担った。2010~11年は育成スタッフとして中南米出身の若手選手のサポート業務を担当。数字では測れない働きをしてくれた。

94→220→42 ラファエル・クルス
投手 在籍期間:2007~08
ドミニカ共和国/1977年5月19日生/右投右打
期待以上
【NPB】17試合1勝3敗0S 防御率2.66 BB/9 2.7 K/9 8.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 重量感のある身体から150km/h台の速球を投げ込んでいたドミニカンリリーフ右腕。育成契約で入団も6月に支配下を勝ち取り、17試合で防御率2.66・WHIP0.93をマーク。日本シリーズでも登板し、育成上がりとしては健闘した。翌年はセットアップマンでの活躍を期待されたが、オープン戦で右ヒジの靭帯を損傷。投げられる見込みがなくシーズン中に解雇された。

 トミー・ジョン手術をせずとも故障が癒えたクルスは、アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を取り付けた。トリプルAでコールアップを待ったがスタノゾロール(ステロイドの一種)使用がバレ、50試合の出場停止処分が決定。処分を終える前に球団をリリースされ、以後はメジャーデビューどころかマイナーでの出場機会も得ることはなかった。

44 タイロン・ウッズ
 
(登録名:T・ウッズ)
内野手 在籍期間:2005~08
アメリカ合衆国/1969年8月19日生/右投右打
大活躍
【NPB】824試合 打率.289 安打851 本塁打240 OPS.965
(DeNA) 266試合 打率.286 安打273 本塁打85 OPS.964
(中日) 558試合 打率.291 安打578 本塁打155 OPS.965
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズの黄金期をバットで支えたホームランアーティスト。子供時代からガタイが良く、高校ではアメフトと野球の両方で活躍。MLBにはドラフト5巡目指名を受けてプロ入りしたが、階級が上がるにつれてファストボールに苦戦するようになっていった。トリプルAまで到達するもメジャー昇格はならず、マイナー10年目のシーズン後に韓国行きを決意した。

 KBOでは移転して大活躍。斗山ベアーズ移籍初年度から42本塁打を放ち、KBOのシーズン最多記録を更新。打点王と併せて二冠を獲得した。2004年までの5年間で打率.295・174本塁打・510打点の挙げ、KBO史上最高の助っ人外国人の1人となった。

 昇給を求めて日本球界行きを模索し、2003年から横浜ベイスターズに入団。ドラゴンズには2年後の2005年に球団史上最高額の2年10億円で加入した。

 入団前年のドラゴンズは落合政権1年目でセ界を制覇したが、4番タイプではない福留と立浪がクリーンナップを担っていた。ウッズの加入で最大のネックが解消されると、ここからドラゴンズは黄金期を迎えた。2006年には高橋尚成のシンカーを掬い上げ、落合監督が涙したグランドスラム。シーズントータルで打率.310・47本塁打・144打点。ナゴヤドームに移ってから初めてホームラン王に輝いた。

 最終年になった2008年も35本を放ち、横浜時代から6年連続30本塁打以上を外国人最長記録を残した。だが、2009年シーズンの年俸交渉が難航し、ドラゴンズ以外の球団からもオファーがあったものの現状を超える年俸を引き出すことができず、余力を残しながら現役生活を終えた。

 ちなみに、韓国時代の2001年にもドラゴンズは本気で獲得に動いていたが、当時はレオ・ゴメスに山﨑武司、大豊泰昭が在籍。レフトで起用しようと考えたが、斗山との契約上入団テストを行うタイミングが合わず断念している。

42 サンティアゴ・ラミレス
 
(登録名:S・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1978年8月15日生/右投右打
【NPB】27試合1勝0敗0S 防御率5.47 BB/9 4.1 K/9 3.8
【MLB】4試合0勝0敗0S 防御率8.10 BB/9 5.4 K/9 2.7

============ 選手紹介 ============

 一時期勝ちパターンの一角を担ったが夏場に二軍落ち。ウエスタンリーグでは勝利の方程式を担う活躍も一軍に戻ることなく自由契約となった。一応、元メジャーリーガーで2006年に4試合に登板している。

49 フランクリン・グラセスキー
 
(登録名:グラセスキ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1979年8月20日生/左投両打
【NPB】17試合3勝0敗0S 防御率2.35 BB/9 7.0 K/9 5.1
【MLB】7試合0勝1敗1S 防御率11.25 BB/9 6.8 K/9 2.3

============ 選手紹介 ============

 MLBでも日本でもケガのせいで大成できなかった巨漢のサウスポー。

 ドミニカ共和国で生まれ、ニューヨークの高校を卒業後にドラフト指名された。2004年にメジャーデビューを果たしたが腕の故障に悩まされ、以降はメジャーの舞台から遠ざかった。

 ドラゴンズでは中継ぎとして開幕ベンチ入りを果たすと、初登板から8試合連続で無失点。リリーフ陣を支えたが左ひざの故障で戦線離脱。中日を解雇されてからはアメリカに戻り、5年間に渡って独立リーグ球団を転々としたのち、球界を去った。

4 ジョー・バレンタイン
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1979年12月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】42試合2勝4敗4S 防御率6.70 BB/9 7.3 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 アメリカ人だがドミニカのウィンターリーグ中に森繫和コーチに連れて来られた元メジャーリーガー。前評判ではMAX157km/h。セットアップマンを期待されたがヒジの故障でシーズン前半戦持たずに解雇された。

 なお、70人の選手登録枠がバレンタインの解雇で空きが出たため、即刻クルスが登録→1軍デビューへと繋がった。

222 エンリケ・ラミレス
 
(登録名:E・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1976年8月15日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 同時期にサンティアゴ・ラミレスがいたためE・ラミレスで登録された。それなりに活躍したサンティアゴと違い、こちらは1軍登板ゼロ。”じゃない方”のラミレスとして記憶された(もしくは記憶に残らなかった)。

47 クラウディオ・ガルバ
投手 在籍期間:2006
ドミニカ共和国/1977年3月28日生/左投左打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率11.25 BB/9 2.3 K/9 11.3
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 元MLBプレイヤーのクラウディオ・バルガスが来たのかと一瞬期待させた。

200 アーネスト・ペレイラ
投手 在籍期間:2006
ベネズエラ/1982年5月6日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ベネズエラ出身だが、中日ドラゴンズを退団後にクロアチア国籍を取得。ヨーロッパで野球をやる道を選択した。

42 ドミンゴ・グスマン
 
(登録名:ドミンゴ)
投手 在籍期間:2004~06 (横浜02-03,楽天07-09)
ドミニカ共和国/1975年4月5日生/右投右打
期待以上
【NPB】108試合30勝37敗0S 防御率4.01 BB/9 2.7 K/9 6.9
(DeNA) 44試合13勝17敗0S 防御率3.95 BB/9 2.4 K/9 6.8
(中日) 30試合13勝9敗0S 防御率3.86 BB/9 2.6 K/9 8.0
(楽天) 34試合4勝11敗0S 防御率4.27 BB/9 3.2 K/9 6.0
【MLB】8試合0勝1敗0S 防御率19.50 BB/9 6 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 ”○○ンゴ”の語源となったアスリート型速球派投手。桁外れの運動能力を誇り、荒木より速いスピードを兼ね備えていたが脆すぎる精神面がキャリアを阻んだ。ドラゴンズ時代は何度かノーサインで盗塁を成功させたのは良き思い出。

 暗黒期の横浜ベイスターズで最多の勝ち星を挙げていたが解雇され、ドラゴンズが獲得。2004年は10勝5敗・防御率3.67をマーク。それ以降は2年連続で肩を痛め、2006年に退団した。

 最終的に2002~08年を横浜、中日、楽天の3球団で過ごした。ネットではネタ外人のような扱いを受けているが、ドラゴンズファンにとっては優勝に貢献してくれた優良助っ人である(実働1年だったが。) ドラゴンズ在籍時は普通にマジメで、例えば塁審に向かって中指を突き立てたり、1試合4ボークの日本記録を作ったりするようなことは無かった。

49 ルイス・マルティネス
投手 在籍期間:2005~06
ドミニカ共和国/1980年1月20日生/左投左打
期待以上
【NPB】41試合14勝13敗0S 防御率3.82 BB/9 2.8 K/9 6.6
【MLB】4試合0勝3敗0S 防御率9.92 BB/9 8.3 K/9 5.5

============ 選手紹介 ============

 森コーチが現地で発掘したドミニカ人先発左腕。MLBで4試合だけ登板経験がある。身長198cm、強面で見るからにやばそうな雰囲気をまとっていたが、森繫和だからこそ連れてくることができた。

 ドラゴンズでは2005~06年に在籍。当時、投手王国と呼ばれながらも実はスターターの駒不足が深刻だった。そんなチーム事情のなか2年間で40試合に先発、221回2/3を消化して14勝13敗・防御率3.82。年俸3000万円で充分すぎるほどしっかり投げてくれた。

Embed from Getty Imagesマイク・マダックス投手コーチに慰められるルイス・マルティネス。2003年にメジャーデビューも4試合登板して0勝3敗と打ち込まれた。

22→4 アレックス・オチョア
 
(登録名:アレックス)
外野手 在籍期間:2003-06 (広島07-08)
アメリカ合衆国/1972年3月29日生/右投右打
大活躍
【NPB】765試合 打率.289 安打847 本塁打97 OPS.794
(中日) 550試合 打率.283 安打586 本塁打75 OPS.795
(広島) 215試合 打率.304 安打261 本塁打22 OPS.792
【MLB】807試合 打率.279 安打597 本塁打46 OPS.766

============ 選手紹介 ============

 来日最初の試合でとんでもないバックホームを見せた。優良外国人。打撃でも6番に置けば及第点の成績を残した。「おっちょこちょいとやじられる」かもしれないという理由で登録名はアレックスとなった。

◇2005年までに在籍した外国人選手
94 ルイス・ブラウン
投手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1982年12月10日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 開幕前のプロアマ交流戦で三菱重工名古屋を相手にボコボコに打たれ、二軍でも公式戦に出ることなく退団した。

95 クリスチャン・ベロア
内野手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1979年4月27日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 一緒に入団したブラウンと同じく二軍出場すらなく退団した。

60→65 瀬間仲ノルベルト→ホッシャ
内野手 在籍期間:2003~05
ブラジル/1984年5月31日生/左投左打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日章学園時代に甲子園で特大ホームランを放ち、全国レベルで有名だったブラジル国籍のスラッガー。今でいうロマン砲であり、面白い素材ではあったが開花しなかった。現役最終年に登録名をホッシャに変更している。

 退団から10年以上が経ち、中日がジョーダン・ノルベルトを獲得。その時に少しだけ名前を思い出してもらった。

39 マーティン・バルガス
投手 在籍期間:2002~04
ドミニカ共和国/1978年2月22日生/右投右打
問題児
【NPB】20試合4勝9敗0S 防御率4.26 BB/9 3.6 K/9 6.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 「俺は”Black snake”と呼ばれていたんだ」と言って来日したムービングファストボールの使い手。メジャー経験は無く、トリプルAで2シーズン投げた。

 2002年7月の一軍初登板を先発で迎えて初勝利を挙げ、先発ローテのイスを勝ち取った。が、母国のウィンターリーグでプレーすることを条件に秋季キャンプを免除されたにも関わらず、ドミニカに戻ったバルガスは1度しか登板しなかった。この件でドラゴンズ首脳陣の怒りを買い、翌年は干される結果となった。

 中日を退団後は三星ライオンズ(韓国)とLaNewベアーズ(台湾)へと渡り、アジア3大プロ野球を制覇(?)。ただし永遠の課題だった制球難は相変わらずで、日本時代は死球王キンケードへの危険球退場(2004年)、韓国時代はシーズン最多与四球(2005年)、台湾では4者連続四球に1イニング6四死球(2006年)と毎年のように悪目立ちする記録を残してしまった。

36→38→44 マーク・バルデス
投手 在籍期間:2003~04 (阪神02)
アメリカ合衆国/1971年12月20日生/右投右打
【NPB】109試合5勝7敗24S 防御率3.15 BB/9 3.2 K/9 6.2
(阪神) 42試合4勝3敗22S 防御率1.54 BB/9 2.9 K/9 6.7
(中日) 67試合1勝4敗2S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.9
【MLB】144試合12勝15敗4S 防御率4.95 BB/9 4.2 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 契約延長交渉が決裂してタイガースから移籍してきた先発兼リリーフ右腕。ドラゴンズでは当初先発起用されたが連続でKO。二軍落ちを経てリリーフに配置転換されると好調を維持。岩瀬仁紀、落合英二の防御率1点台コンビや大塚晶則らの鉄壁のリリーフ陣の中で、地味だが貴重な働きをしていた。2年目も防御率3点台をマークしたが年齢や稼働率を理由に退団となった。

44→38 オマー・リナレス
内野手 在籍期間:2002~04
キューバ/1967年10月23日生/右投右打
大物
【NPB】132試合 打率.246 安打86 本塁打11 OPS.714
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバがまだ野球王国だった時代に”キューバの至宝”と呼ばれたスター選手。国内リーグでプレーしながら国際大会の中心選手として国を支え、晩年のキャリアを中日ドラゴンズで過ごした。走攻守すべてに優れたプレイヤーであった。

 リナレスは15歳の時にキューバの国内リーグデビュー、17歳で代表に選出される。そこから長きに渡ってキューバ代表に欠かせない主軸選手になり、世界選手権4連覇やオリンピック2連続金メダルなど輝かしい実績を残した。

 2度目の金メダルと獲得したアトランタ五輪後、日本プロ野球でプレーしたい希望を抱くようになった。当時は巨人に行くと思われていたが、キューバ政府との交渉がより上手かったドラゴンズへの入団が決まった。また、形式的にはキューバ政府から日本球界への研修という名目の契約となった。

 ドラゴンズには3年在籍。既に30代半ばだったリナレスのパフォーマンスは全盛期には程遠いものであった。レギュラーにはなれず、2004年をもって現役引退した。その後もドラゴンズの巡回打撃コーチや通訳のほか、キューバ国内の若手選手のリクルーターをこなし、数字では測れない貢献をしてきた。

Embed from Getty Images2000年のシドニー五輪では決勝でアメリカと対戦。3季連続金メダルとはならなかった

52→18 エディ・ゲイラード
 
(登録名:ギャラード)
投手 在籍期間:2000~03 (横浜03~04)
アメリカ合衆国/1970年8月13日生/右投右打
大活躍 問題児
【NPB】194試合6勝9敗120S 防御率2.90 BB/9 2.4 K/9 6.7
(中日) 168試合4勝6敗112S 防御率2.52 BB/9 2.4 K/9 6.8
(DeNA) 26試合2勝3敗8S 防御率5.33 BB/9 2.5 K/9 6.0
【MLB】30試合2勝0敗1S 防御率4.66 BB/9 4.2 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズで残した実績は◎も、クローザーの地位を巡って大モメして退団した正統派リリーフ右腕。各球団の問題児と言われた選手に複数年活躍した助っ人は少なく、歴代外国人では珍しいケースと言える。

 1993年にプロ入りした当初は先発投手だったが、シングルA+にいた時にリリーバーに転向してから順調に昇格。メジャーに3年続けて昇降格して合計30試合に登板した。

 2000年にドラゴンズ入りすると日本のボールが手に馴染んだのか、アメリカ時代よりコントロールが格段にアップ。前評判通りの150km/h台前半の速球とスライダーの威力はNPBでは大きく通用し、2002年までの3年間で98セーブ・防御率2.17と優秀な成績を残した。

 しかし、2003年にメジャー挑戦を巡って近鉄首脳とこじれた大塚晶文(のちに晶則に改名)が入団したことで状況が一変。ドラゴンズは引き続きギャラードにクローザーを任せるつもりだったが、ギャラードは開幕前から過剰に不快感を表した。シーズンが始まるとこれまでの3年間がウソのように打たれ出し、また6月には練習中に利き手で打球を取りにいってしまい指を負傷。二軍での調整を断固拒否し、異例の形でウエーバーを経て横浜ベイスターズへ移籍となった。

49 イバン・クルーズ
内野手 在籍期間:2003 (阪神01)
プエルトリコ/1968年5月3日生/左投左打
【NPB】141試合 打率.228 安打106 本塁打25 OPS.725
(阪神) 70試合 打率.234 安打56 本塁打14 OPS.746
(中日) 71試合 打率.222 安打50 本塁打11 OPS.704
【MLB】41試合 打率.273 安打15 本塁打2 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 タイガースでバースの再来と期待されるも1年で退団した長距離砲。米球界を1年はさんでドラゴンズが獲得した。タイガース時代と同様に主軸候補として期待されていたが、打撃不振に加えて仮病で練習を休んだ疑惑を持たれ、信頼と居場所を失った。

22 ケビン・ミラー
内野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1971年9月24日生/右投右打
大物
【NPB】1軍出場なし
【MLB】1427試合 打率.274 安打1284 本塁打170 OPS.810

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズと契約後にボストン・レッドソックスからのオファーに乗り換え、日米間で大きな問題となったことで有名な巧打の内野手。結果的に代わりに獲得したのがアレックス・オチョアだったため、戦力的にドラゴンズが受けたダメージは小さかった。

 ミラーの方は、そのレッドソックスに入団すると打撃でキャリアハイの記録。また、持ち前の陽気なキャラクターでチームに好影響をもたらし、2004年のワールドシリーズ制覇に貢献した。ただし、マイナーリーガー時代に当時ストライキが行われていた1995年、球団オーナーの指令でメジャーリーガーの代替選手としてプレーしたことで、いわゆる”スト破り”の選手としてMLB選手会から目を付けられ、チャンピオンズリングを貰えなかった等多くの報復措置を受けた。

Embed from Getty Imagesドジャース監督のデーブ・ロバーツとは2004年のワールドチャンピオンを勝ち取った同志だ

42 メルビン・バンチ
投手 在籍期間:2000~02
アメリカ合衆国/1971年11月4日生/右投右打
期待以上 優良助っ人
【NPB】69試合31勝23敗0S 防御率3.19 BB/9 3.3 K/9 8.2
【MLB】18試合1勝3敗0S 防御率6.84 BB/9 3.8 K/9 4.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーでは打たれたがトリプルAで10勝2敗・防御率3.10の成績を残したところをドラゴンズが獲得。NPB初登板を白星で飾ると、次の試合でノーヒッターを達成。シーズンを通じて先発ローテを守り、14勝8敗・防御率2.98の素晴らしい数字を記録。完投が少ないことを理由に沢村賞獲得はならなかったが、ドラゴンズでは郭源治以来14年ぶりに2ケタ勝利を挙げた外国人投手になった。翌年も2ケタ勝利(10勝8敗)を記録し、3年目も途中まで問題なく投げていたが、8月に不整脈を発症。この年限りでNPBでのプレーは断念した。

 常時145km/h前後のファストボールとスプリッターのほか、ブレイキングボールの制球力に長けた。投げれば毎回試合を作ってくれるピッチングは安定感のあるものだった。打撃も得意としており3ホーマーを放ち、そのうち1本は福岡ドームでピッチャーが初めて放った柵越え弾だった。また性格的にも日本に馴染もうと努力し、チームメイトから親しまれた。

 ちなみに、フルネームはMelvin Lynn Bunch。メジャーリーグでは歴代6人目の”名前にMLBを持つ男”である。

18→30 曹竣揚(ツァオ・チュンヤン)
投手 在籍期間:2000~02
台湾/1976年3月29日生/右投右打
【NPB】2試合0勝1敗0S 防御率9.53 BB/9 7.9 K/9 7.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 当時はまだ珍しかった台湾人選手の海外挑戦者だった。来日前年にCPBL(台湾プロ野球)の統一ライオンズに入団し、球界最年少でノーヒッターを達成。NPB球団間での争奪戦の末にドラゴンズが獲得したが、3年間で一軍登板2試合に終わった。

49 スコット・ブレット
外野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1968年12月25日生/左投左打
【NPB】49試合 打率.201 安打30 本塁打7 OPS.637
【MLB】247試合 打率.233 安打87 本塁打6 OPS.639

============ 選手紹介 ============

 メジャーを4年経験した俊足・強打の外野手。1995年に100試合以上に出場してOPS.791をマークしたがメジャー定着はならず、1998年には台湾でプレーした。

 2001年のシーズン終了後のドラゴンズは韓国でMVP受賞のタイロン・ウッズ獲得を目指していたが、空きポジションの都合で断念。外野手のブレットを獲得した。主軸候補としてスタメン起用され、時折特大アーチを放ったが低打率に喘ぎ、シーズン終了直前に契約解除となった。

55→60 大豊泰昭
内野手 在籍期間:1989-97,2001-02 (阪神98-20)
台湾/1963年11月15日生/左投左打
大活躍 期待以上
【NPB】1324試合 打率.266 安打1089 本塁打277 OPS.873
(中日) 1050試合 打率.268 安打889 本塁打215 OPS.870
(阪神) 274試合 打率.258 安打200 本塁打62 OPS.883
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの1990年代を語るに外せない台湾人スラッガー。本名は陳大豊。台湾人台湾の山岳地帯に住む農家の長男として生まれた。家庭は貧しく、小さい頃から農作業を手伝いながら育った。それが影響したのか身体が大きくなり、野球の強い小学校の監督から声をかけられたのが野球との出会いだった。

 中学時代に転校した東峰中を全国制覇に導き、リトルリーグ台湾代表の4番を務めた。高校でも台湾代表に選ばれる活躍をしていたところ、華興高校監督の知人から日本行きを勧められた。この人物は愛知県で野球用品の販売業を営む日本人経営者だった。

 日本に行けば王貞治に会えるかも、というのが決め手になって日本行きを決断した大豊は、先の知人のツテで名古屋商科大学に入学した。4年間のほとんどを4番を任され、愛知大学リーグ記録を塗り替える通算24本塁打を放った。名商大野球部の指導は厳しく、心技体すべてをレベルアップさせていった。

 大学卒業後に中日球団職員の立場を経て、翌年ドラフト2位でドラゴンズに入団した。当時の外国人枠の例外規定で、”日本に5年以上居住かつ中学・高校・大学を3年以上在学”した外国籍の選手は日本人枠で登録可能だったため、戦略的に1年間球団職員として採用したのだった。また、当時は練習生として囲い込んだ選手はドラフト1位で指名する紳士協定があったが、大阪桐蔭高の今中慎二を取るために2位指名しており、後の大幅なルール改定の原因になった。

 中日ドラゴンズに入団後は、新人から5番レフトで開幕戦に出場。2年目の1990年に20本塁打の大台に乗せたあたりから本格的に恐れられるようになっていた。92年のシーズン終了後に一本足打法を取り入れ、94年は打率.310・38本塁打・107打点を挙げ二冠王に輝いた。落合博満が巨人にFA移籍したことで、この年からファーストにポジションを移していた。

 1997年に本拠地がナゴヤドームになると雲行きが怪しくなる。打撃不振と背中のケガで出場が100試合を割り、12本塁打に留まると、翌年阪神タイガースにトレードで放出された。2000年に4年ぶりにドラゴンズへ戻り、キャリアの晩年を古巣で過ごした。

 引退後は海外担当スカウトのほか少年野球の指導に邁進し、自身の夢のひとつだった中華料理店”大豊飯店”を開業した。2009年に白血病を患ってからは入院と再発を繰り返し、2015年に51歳の若さで逝去した。

4 レオ・ゴメス
内野手 在籍期間:1997~2002
プエルトリコ/1966年3月2日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】660試合 打率.293 安打690 本塁打153 OPS.914
【MLB】611試合 打率.243 安打466 本塁打79 OPS.753

============ 選手紹介 ============

 シカゴ・カブス時代にサミー・ソーサと上位打線を組んだスラッガー。プエルトリコ出身の野手らしいクレバーなプレイヤーで、性格も温厚な真面目外国人として一目置かれていた。

 ナゴヤドーム初年度の1997年に来日していきなり3割・30本を達成。ほかの選手が広い球場に苦しむ中、現役メジャーリーガーの実力を見せつけた。2000年に一度引退するも呼び戻されて現役復帰したが、膝の具合がどうにもならなくなり2002年に今度こそ引退した。

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69 呂建剛(ル・チェンガン)
投手 在籍期間:1999~2001
中華人民共和国/1979年2月19日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 珍しい中国本土出身のピッチャー。練習生に近い立場で入団した。1軍出場はなかったが、母国に戻って国際大会の主力選手として活躍した。

44 オジー・ティモンズ
外野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年9月18日生/右投右打
【NPB】83試合 打率.228 安打62 本塁打12 OPS.688
【MLB】186試合 打率.235 安打95 本塁打20 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 MLB通算186試合・長打率.437を記録していた長距離砲。引退したレオ・ゴメスの穴埋めに期待されたが、MLB時代のプレイスタイルをそのまま引きずり、低打率に喘いだ。同時期に入団したアンローも期待外れだったため、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させることとなった。

 ただ、ドラゴンズでも299打席で12本塁打を放っており全然ダメだったわけではなく、契約延長の噂も出たが本人がメジャー復帰を希望。1年で退団してトリプルAに戻った。引退後はメジャー球団でコーチを務めている。

9 ティム・アンロー
内野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年10月7日生/右投右打
【NPB】4試合 打率.143 安打1 本塁打0 OPS.429
【MLB】79試合 打率.221 安打21 本塁打3 OPS.656

============ 選手紹介 ============

 安定した打撃とサードの守備を期待されたクリーンナップ候補。来日前年にトリプルAで打率.278・24ホーマーを放っており、引退したレオ・ゴメスの後釜に星野監督からの期待も大きかった。

 オープン戦が始まると打撃不調で、開幕時点で一軍外国人枠から脱落。シーズンが始まって1ヶ月経って彼と李鍾範、ティモンズが皆いまいちだったせいで、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させる決定を下した。そのゴメスと完全にポジションが被るアンローに一軍での居場所はなく、二軍ではそれなりに打ったもののシーズン中に帰国することとなった。

 息子はドラフト2巡目指名でタンパベイ・レイズに入団したライリー・アンロー。プロ入り後はしばらくの間レイズ内の有望株ランキングに名前が載る存在だったが、打撃で目立った成績を残せず。2018年以降ずっとトリプルAにとどまっている。

8→7 李鍾範(リー・ジョンボム)
外野手 在籍期間:1998~2001
大韓民国/1970年8月15日生/右投右打
WBC2006
【NPB】311試合 打率.261 安打286 本塁打27 OPS.741
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ”韓国のイチロー””風の子”と呼ばれた俊足好打のKBOのレジェンド。近年は息子の李政厚の活躍もあって名前を聞く機会が出てきた。

 宣銅烈が在籍するドラゴンズへと入団。ショートのレギュラーを掴んでシーズン前半は好結果を残していたが、シーズン中に右ヒジにデッドボールを受けて骨折。内角に食い込むシンカーを振りにいった結果で、復帰後は残像が残るのか打席で積極性を失った。

 翌年は福留孝介の加入でセンターにコンバートされ、打撃でも低空飛行が続いた。

46 ダン・カールソン
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1970年1月26日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 3.9 K/9 3.9
【MLB】23試合1勝0敗0S 防御率6.70 BB/9 3.4 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 開幕戦に登板も2試合出場に終わり、ひっそりと退団した元リリーフ右腕。ドラゴンズファンの大半は記憶にないと思われる。

 メジャー3球団でプレー後、ディンゴが母国オーストラリアで見つけてドラゴンズに紹介。開幕を1軍で迎えたが、バンチとギャラードの活躍で外国人1軍枠からはじき出され、シーズン途中に契約解除された。

 現役引退後はマイナーリーグの投手コーチとして指導者経験を重ね、2023年にはDバックスの投手コーチ補佐としてメジャーに帯同、リーグ優勝に貢献した。

44 デービッド・ニルソン
 
(登録名:ディンゴ)
捕手 在籍期間:2000
オーストラリア/1969年12月14日生/右投左打
大物 WBC2006
【NPB】18試合 打率.180 安打11 本塁打1 OPS.469
【MLB】837試合 打率.284 安打789 本塁打105 OPS.817

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズ以外の野球ファンにもダメ外国人として認知度が高い元メジャーリーガー。オーストラリア人。現役時代は捕手と外野両翼を守っていた。

 ドラゴンズに来る直前までMLBで6年連続2桁ホームランを記録、特に前年はキャリアハイの21本塁打・OPS.954の好成績を残していたが2000年のシドニー五輪に出たいという理由でメジャー球団と契約せず来日した(※MLBでは五輪へのメジャーリーガーの派遣を認めていなかった)。ディンゴの登録名で中日ドラゴンズに入団したが、日本では18試合で打率.180・1本塁打に終わった。日本ではさっぱりだったが秋の念願のシドニー五輪では打ちまくった。

 母国オーストラリアでは野球界の英雄であり、2008年にイアン・ソープと一緒に国のスポーツ殿堂入りを果たしている。

Embed from Getty Imagesキャッチャーながら強打を誇った


中日ドラゴンズ 歴代助っ人外国人②(1999年以前)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Chunichi Dragons
中日ドラゴンズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑1999年以前
【1990年代までに在籍した外国人選手】
【1980年代までに在籍した外国人選手】
【1970年代までに在籍した外国人選手】
【1969年以前に在籍した外国人選手】
◇1990年代までに在籍した外国人選手
宣銅烈(ソン・ドンヨル)
投手 大韓民国/在籍:1996~99
大物 大活躍
 KBOで圧倒的な実績を残した韓国球界最高のプレーヤー。韓国の至宝と呼ばれ、150km/h台のファストボールと縦横2種類の高速スライダーは威力と制球力を兼ね備えるハイレベルなものだった。
 更なる高みを目指して日本球界に挑戦した宣は、1年目は気負いすぎな面が災いして2軍落ちを経験する不本意なシーズンとなったが、2年目からはクローザーとしてドラゴンズに大きく貢献した。
 4年目の1999年に現役を引退してからは指導者の道に進み、複数のKBO球団の監督のほか国際大会の投手コーチを歴任している。

李尚勲(イ・サンフン) (登録名:サムソン・リー)
投手 大韓民国/在籍:1998~99
 金髪ロン毛をトレードマークにしていた自信家の韓国人左腕。ファストボールの威力に定評があり、気迫を前面に出すピッチングが持ち味だった。
 LGツインズで先発、抑え両方で活躍したサムソンはメジャー移籍をぶち上げたが揉めてしまい、いったん日本で結果を残してから再挑戦することに。宣銅烈が在籍していたドラゴンズに合流し、来日2年目にリリーフに固定されるとセットアッパーとして活躍。その流れでシーズンオフにメジャー球団との契約に成功した。
 ”サムソン”は旧約聖書に出てくる長髪の人が由来で、韓国のメディアからそう呼ばれていた。

ネルソン・リリアーノ
内野手 ドミニカ共和国/在籍:1999
 ドラゴンズファンでも覚えている人はほとんどいない元メジャーリーガー。シーズン途中に来日し1試合だけ出場した。
 MLBではセカンドを中心に内野全ポジションを守れる貴重なスイッチヒッターとして10年以上メジャーに在籍、通算823試合に出場した。ドラゴンズと契約したのは、35歳を迎えどこからもメジャー契約を得られなかったのがきっかけだった。
 当時ベンチには守備に定評がある久慈照嘉と渡辺博幸が控えており、リリアーノの出場機会はたった1試合。この年限りで現役を退き、何のために獲得したのか謎のベンチワークであった。

ケビン・ジャービス
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 比較的安定感のある投球で試合を壊さない先発右腕。1998年にドラゴンズ入り。開幕直後に何試合か登板したもののシーズン途中にサムソン・リーが加入。宣銅烈とサムソンで外国人投手枠が埋まり、2軍に塩漬けにされてしまった。
 帰国後は即メジャーに復帰。2001年にはサンディエゴ・パドレスの先発ローテを1年間守り、リーグワーストの被本塁打を浴びながらも12勝11敗・193投球回をマーク。通算でメジャー10球団に所属。意外と長く生き残った。

アロンゾ・パウエル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1992~97 (阪神98)
期待以上 優良助っ人
 5年連続打率3割超え、3年連続首位打者の当たり外国人。アメリカではシングルAより上になかなか上がれず、マイナー球団を転々とする身だった。
 得点圏に弱い・ヒザに爆弾といった弱点があったものの、優れたヒッティング能力を存分に発揮。打撃力と人間性を兼ね備える優良助っ人というドラゴンズの伝統芸能(?)を継いだ。

ジミー・ウィリアムズ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 トリプルAで8年プレーするもメジャーに上がれなかった先発兼リリーフ投手。前年に入団した宣銅烈と競わせるために獲得した。
 身長2m・体重100kgのスペックを持っていたが開幕を二軍で迎えると、0勝7敗と一軍に上がれる気配がないままシーズンを終えた。

郭源治
投手 台湾/在籍:1981~96
大活躍 期待以上 日本に帰化
 ドラゴンズを語るうえでは欠かせない台湾人投手。原住民族のアミ族出身で、早くから目を付けていたドラゴンズは兵役終了を待たずに郭を入団させた。
 キャリア前半は先発で投げていたが、1987年に落合博満とのトレードで牛島和彦が去ると空席となったクローザーに転向。獅子奮迅の活躍を見せた翌年、当時日本記録の44セーブポイントを挙げてセ・リーグMVPを受賞した。
 その後はチーム事情に合わせて先発とクローザー両方をこなした。1989年には熟慮を重ねて日本に帰化。これは自身が外国人枠から外れればチーム強化に繋がると考えたためだと語っている。

ダーネル・コールズ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1996 (阪神97)
 ナゴヤ球場最終年にドラゴンズに加入したメジャーリーガー。来日1年目にして29本塁打・打率.301の好成績を残したが、柵越えギリギリのホームランが多く、サードの守備では足を引っ張った。広いナゴヤドームに適応できるか攻守両面で疑問符を付けられ、予想外にドラゴンズを解雇された。
 翌年は阪神タイガースでプレーするも63試合出場にとどまり解雇。”神のお告げ”で空席になっていた助っ人スラッガーの役目を果たせなかった。
 ちなみに書籍”マネーボール”の冒頭にダーネル・コールズの名前が出てくる。ドラフト上位候補の高校生を集めて短距離走をする場面があり、ビリー・ビーンが足の速そうな黒人選手たちを差し置いてぶっちぎりで制する。このとき一緒に走った黒人選手の1人がコールズだった。

リッチ・モンテレオーネ (登録名:モンテ)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1995
 メジャーではリリーフ専任で投げていたのにドラゴンズでは先発で起用された軟投派投手。防御率6点台に終始し、1年持たず夏場に解雇された。

メル・ホール
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1995 (ロッテ93~94)
大物 問題児
 NPBに留まらず歴代のメジャーリーガー全体を見渡してもワーストレベルの問題児。メジャー通算13年で134本塁打の実績を引っ提げ来日。ロッテと中日に在籍して球史に残るトラブルメーカーぶりを発揮した。ドラゴンズでは首位打者のアロンゾ・パウエルに対して高圧的な態度を取ったり、チームの士気を下げ高木監督をシーズン途中で休養に追い込んだ。
 メジャー時代は若き頃のバーニー・ウィリアムズを泣かせていたなど、日本以上にトラブルを起こしてきた。引退後は性犯罪を犯して牢屋に入っている。

ドウェイン・ヘンリー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1994
 球は速いがコントロールが悪い、典型的な原石タイプのリリーフ右腕。ドラフト全体2巡目でプロ入りしたようにMLBでも期待されていた。リリーフ専任で数年メジャーで投げるも制球難を克服できずメジャーのイスを追われた。
 ドラゴンズはクローザー候補のつもりで獲得し、日本の野球に慣れてきてからセーブシチュエーションで投げさせようとしていた。が、勝ちパターンで使うと委縮するタイプであることが判明したり、ある試合で1イニングに4四球を出したり次第に失望されるようになっていった。
 ドラゴンズを1年で退団し、その後はメジャーに返り咲いたり台湾でクローザーになったりしていた。

ディオン・ジェームズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1994
 同時期に来日したヘンリーともども1年で解雇された左打ちの外野手。ヘンリーと同じ1980年のドラフトでプロ入り、こちらは1巡目指名の有望株だった。
 ほぼレギュラーで出場したドラゴンズでの成績は打率.263・8本塁打。長打力不足を理由に解雇されたが、ジェームズの打撃スタイルはアメリカ時代から広角に打球を散らすラインドライブヒッター。明らかにフロントの人選ミスであり、当時は異国選手のスカウティングがいかにお粗末だったかが分かる。

ブルック・ジャコビーJr.
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1993
大物
 メジャーで10年以上プレーした実績充分の元メジャーリーガー。キャリアハイは1987年、打率.300・32本塁打・OPS.928をマークしている。
 ドラゴンズでは極度の打撃不振とケガで離脱、5月に退団とあっという間にいなくなった。

マット・ステアーズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1993
 母国のMLB球団モントリオール・エクスポズでプレーしていたカナダ人外野手。メジャーデビューしてからもトリプルA暮らしが多かったところをジャコビーの代役として連れて来られた。
 日本では打率.250・6本塁打に終わったが、メジャーに戻ると打撃開眼。いわゆるジャーニーマンとなり、当時最多のメジャー12球団を渡り歩き、最終的に43歳までプレーする息の長い選手となった。守れなくなってから貴重な代打として使われ、MLB歴代トップの代打本塁打数23本の記録を作っている。

スコット・アンダーソン
投手 アメリカ合衆国/在籍:1991~92
 トリプルAでローテを張っていた先発右腕。195cmの長身から投げ下ろすファストボールが武器で、時折サイドスローで投げることもあった。
 ドラゴンズでも2年間しっかり先発ローテで投げていたが、2年目に14敗(9勝)を喫して解雇された。

マーク・ライアル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1991~92
 バンスローが契約途中でいなくなったため急遽獲得したクリーンナップ候補。入団1年目は勝負強い打撃でチーム内では落合博満に次ぐ打撃成績を残した。翌年はシーズン序盤の故障離脱から復帰することなく解雇。代役のアロンゾ・パウエルが予想以上に活躍したおかげで、ライアルの名は完全に忘れ去られた。
 そこから約20年が経ち、息子のラスティ・ライアルも日本球界にプレーの場を求め、巨人で1年プレーした。

スコット・サービス (登録名:デビッド)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1991
 スコット・サービスという名前だが、ドラゴンズでは同期入団のスコット・アンダーソンがいたことや、得点をサービスみたいな見出しをスポーツ紙に書かれることを恐れ、ミドルネームのデビッドを登録名にした。
 日本では1試合登板に終わったが、帰国後リリーフとしてメジャー定着を果たしている。

陳義信 (登録名:義信)
投手 台湾/在籍:1989~90
 台湾出身。本名は陳義信だがヤジ対策のため登録名を義信(ヨシノブ)にされた。

バンス・ロー (登録名:バンスロー)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
大物
 MLBのオールスターに出場経験のある元大物メジャーリーガー。日本でもいきなり打率.313・29本塁打と期待に違わぬ成績を残したが、文化の違いに苦しみこの年限りで退団した。
 なお本名は”バンス・ロー”。近鉄バファローズでプレーしたテリーリー以来2人目のフルネームを登録名にした外国人選手である。のちにタイゲイニー、マットホワイト、サイスニードが続いている。

▼ホワイトソックス時代にブレイクしたバンス・ロー。メガネをかけていた
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ベニー・ディステファーノ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
 成績は期待ハズレだったが乱闘要員として記憶に残った元メジャーリーガー。武闘派で鳴らした第1次星野軍団の中でも特に優れた戦闘能力を持っていた。
 守備位置は外野手がメインだったがファーストも守れ、左投げながらメジャーの公式戦でキャッチャーとして出場したことがある。

◇1980年代までに在籍した外国人選手
ジョージ・ヒンショウ (登録名:ジョージ)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1989
 「貧小」などと陰口を叩かれるのを防ぐためジョージと登録された外野手。来日前までにモッカ、ゲーリーと優良外国人が続いたことで過剰な期待を強いられ、そこそこ打ったのに1年で解雇された。

ゲーリー・レーシッチ (登録名:ゲーリー)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1986~88
期待以上
 ドラゴンズ屈指の優良外国人ケン・モッカの後釜に獲得した、こちらも成績・人格両方優れた助っ人選手。
 モッカの穴埋めは無理だと思われていたが、3年間在籍して勝るとも劣らない打撃成績を残した。
 ちなみに、近鉄でホームラン王になったラルフ・ブライアントが中日を出た途端に大活躍した事実は語り草となっているが、当時は2人しか1軍の外国人枠が無く、このゲーリーと郭源治を外すのは不可能だったからである。

ラルフ・ブライアント
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1988 (近鉄88~95)
 ドラゴンズを退団後、近鉄バファローズの主砲になったスラッガー。その活躍ぶりは後年に中日の失態として語り継がれるようになったが、当時は外国人枠が埋まっており仕方がなかった。

ボビー・カスティーヨ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1987
問題児
 スクリューボールの使い手で鳴らした元本格派先発右腕。MLBでは先発で250イニングを投げ13勝したシーズンがある。
 当時の外国人枠は最大3人かつ1軍登録2人で、カスティーヨは郭源治、ゲーリーの保険だった。ファームで活躍するも1軍での出場機会は2試合しかなく、2試合目の登板後にはスパイクに火を付けるボヤ騒ぎを起こし、悪い方の記憶に残る助っ人外国人となってしまった。

ケン・モッカ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1982~85
大活躍 優良助っ人
 ドラゴンズに4年間在籍して打率.304・82本塁打をマークしたドラゴンズ史上指折りの優良外国人。長打も打てる広角打法で主軸を担い、プレー以外では人格者として選手とフロントどちらからも信頼を置かれる選手だった。退団時は外国人選手には異例の引退試合と胴上げが行われた。

チャーリー・スパイクス (登録名:チャーリー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 広岡達朗氏が認めた期待の長距離砲だったが、日本の配球に翻弄されて2軍でも苦戦した。
 ルイジアナ州出身の彼の英語には独特の南部訛りがあり、通訳やコーチのジム・マーシャルでも聞き取れないことがあったらしい。

レイ・コージー (登録名:コージ)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 メジャーでの実績はほぼないが、マーシャルの推薦で獲得が決まった外野手。ドナルド・レイ・コージーという名前だが、”コージ”と登録されたせいでカープの山本浩二と比較されてしまう。
 実績通り(?)目立った活躍はできず、本人は契約延長を希望したものの、そもそも入団した経緯に疑惑(マーシャルが自身のマネジメントをさせる目的で獲得を進言した疑惑)が浮上して契約更新は見送られた。

ウェイン・ギャレット
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1979~80
大物
 広島カープで活躍したエイドリアン・ギャレットの弟。兄よりメジャーでの実績があったため、入団時には大きな期待をかけられた。
 一本足打法に近い変則的な打撃フォームが特徴的で、20本塁打を放ったが来日前の期待値が高すぎたのは不運だった。また記録よりも、柵越えを放ったのに一塁ランナーを追い越してアウトになる珍プレーで名を残した。

ボビー・ジョーンズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1979~80
 大洋ホエールズに移籍したマーチンの穴埋めのため、ギャレットとともに来日した外野手。打率は2割8分台もキープしていたが期待されたパワーを持ち合わせておらず(ロクに調べずに契約したチームが悪い)、2年で退団となった。
 引退後は帰国して名コーチとして長く活躍。複数のメジャー球団を渡り歩き、2016年に現場を退く際には球団からサプライズのセレモニーをしてもらった。

◇1970年代までに在籍した外国人選手
フレッド・クハウルア (登録名:フレッド)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1978
 元大関の高見山の従兄弟として話題になったハワイ出身投手。

ジーン・マーチン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1974~78 (大洋79)
大活躍 期待以上
 一番最初に作られた燃えよ!ドラゴンズの歌詞に出てくる”4番マーチンホームラン”の人。メジャー経験はほぼなかったがドラゴンズ在籍5年の間に161本塁打を放った。
 打者として充実したキャリアだったが、途中、デービスから執拗なイジメを受けた辛い時期を過ごした。

ウィリー・デービス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1977
大物 問題児
 プロ野球の歴代助っ人問題児ランキングがあればトップ3に入るであろう元大物メジャーリーガー。彼の奇行エピソードは枚挙にいとまがない。
 10代の頃から抜群の運動神経を誇り、短距離走でオリンピックを目指していたところをドジャースのスカウトに見出された。その後メジャーに上がってからはオールスター2度、ゴールドグラブ賞3度の素晴らしい実績を残すが、公私両面で数え切れないほどトラブルを起こし、終いには契約問題で揉めてメジャー球団から締め出された。
 ドラゴンズに来てからは72試合で25本塁打と格の違いを見せていたが、公式戦の守備中に手首を骨折。彼が離脱した途端にチームが息を吹き返したためそのまま解雇となった。来日時のトラブルだと・宿舎の風呂の栓を無断で抜く ・早朝から南無妙法蓮華経を大声で唱える(※メジャー時代に創価学会員になっている) ・メジャーの実績に乏しいマーチンを苛める、あたりが有名。引退後も両親を恐喝して逮捕されるなど内面が変わることはなかった。

▼モントリオール・エクスポズ時代のデービス
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ロン・ウッズ (登録名:ローン)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1975~76
 ロン・ウッズという名前だがなぜか登録名がローンになったアフリカ系アメリカ人。いわゆる”マネーボール”以前は過小評価されがちの、選球眼に長けたリードオフタイプの選手だった。俊足を活かした外野守備と強肩でダイヤモンドグラブ賞を獲得するも、2年目に手首を痛めてオフを待たずに退団した。

ジミー・ウィリアムズ (登録名:ウィリアム)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1973~74
 メジャー経験は無かったが、ウォーリー与那嶺と近藤貞雄が直接視察して獲ってきたスイッチヒッター。1973年に同じアフリカ系アメリカ人のテーラーと同期入団し、同じくホームランバッターでないのに4番を任され不振に陥った。テーラーと違って2年目も契約してもらえたが利き手側の肩を脱臼、これが致命傷となりクビになった。

ボビー・テイラー (登録名:テーラー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1973 (阪神74)
 ホームランバッターじゃないのに大きいのを狙って調子を崩してしまったアフリカ系アメリカ人。
 トリプルAでは毎年打率3割超え・ホームラン1ケタ台を残すアベレージヒッターだった。1973年に来日するとドラゴンズでは開幕から3番打者を任され、プレースタイルに合わない長打狙いのスイングで凡退を積み上げた。1年で解雇されるとなぜか阪神に拾われ、ドラゴンズ時代よりかは大分マシな成績を残した。

ジョン・ミラー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1970~72
問題児
 打撃センスはメジャーレベルだが札付きの問題児だった元有望株。まだ25歳、ヤンキースのトリプルAで活躍していたが、乱闘や審判への暴言を繰り返し、球団から愛想をつかされ来日した。
 日本に来ても公私両面で彼らしさがブレることはなかった。審判への執拗な抗議は相変わらずで、味方選手と関わりを持つつもりもなくチームの士気を下げた。ただ長所の打撃はこちらもアメリカ時代と同じように長打を量産。在籍した3年間は毎年チームトップのホームランを記録し、計79本塁打を放った。もう少し真面目だったら優良助っ人として名を刻んでいたはずだ。
 なお、MLBでは初打席でホームランを打っただけでなく、キャリア最後の打席もホームランで締めた、レアな記録を持っている。

バートン・シャーリー (登録名:バート)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1971~72
 珍しい守備特化型の助っ人外国人。打撃に難があることを承知で獲得した。日本でも打率は2割を切る有様だったがショートの守備は素晴らしく、1972年から新設されたダイヤモンドグラブ賞(ゴールデングラブ賞の前身)を受賞した。ただしこの年限りでユニフォームを脱いでいる。
 バートン・シャーリーが本名だが登録名は”バート”。同じ年に来日したジョン・ミラーと違って人望があり、引退後はドラゴンズのコーチを務めた。

ジム・バビエリ (登録名:バビー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1970
 ドジャースでメジャー定着に至らず日本に活躍の場を求めた元外野手。巨人の連覇を阻止すべく燃えていた当時のドラゴンズで、巨人との開幕戦で満塁ホームランを放ちファンを沸かせた。そこまでは良かったがその後調子を崩し打率.188に終わった。

◇1969年以前に在籍した外国人選手
スティーブン・フォックス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1969
 助っ人というより挑戦者の立ち位置だった選手。アメリカではシングルAより上に昇格できず、チャンスを求めてドラゴンズの入団テストを受けた。
 NPBでは5本塁打・打率.222と結果を残せずクビになった。

ジェイ・ウォード (登録名:ワード)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1966
 メジャー経験があったがAAA暮らしが長い経歴の元三塁手。スチーブンスとともに来日し、ともに1年で帰国した。

ジーン・スチーブンス (登録名:スチブンス)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1966
 晩年に日本にやってきた元外野手。当時としては高い190cmの高身長だった。助っ人外国人には珍しい人格者タイプだったそうだ。
 MLBでもレギュラーを張れる実力があったと言われているが、所属したレッドソックスの外野陣は強者揃いで、特に本職のレフトにテッド・ウィリアムズがいた。ウィリアムズが朝鮮戦争出兵時に代役を務めたため、現地では”ウィリアムズのキャディ”と呼ばれた。それでも短い期間で爪痕を残し、1953年にチームが大量得点した試合で1イニング3安打のメジャー初の記録を残した。

ポール・フォイタック (登録名:ホイタック)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1965
大物
 中日ドラゴンズになってからは初の外国人投手。ドイツ系アメリカ人。スペルは Foytack だがホイタックと登録された。
 1950年代にデトロイト・タイガースで先発ローテーションを張っていた大物メジャーリーガーだった。日本に来たのが現役最終盤だったため結果は残せなかったが、当時監督だった近藤貞雄にピッチャーの分業制を伝授した。

ジム・マーシャル
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1963~65
大活躍 優良助っ人
 NPBで初めて現役メジャーリーガーの身分で来日した選手。マーシャル以前のメジャー経験者たちは引退していたり、ロースターから外れた状態で契約した選手に過ぎなかった。
 ドラゴンズに3年在籍して計78本、いずれの年もオールスターに選出された。性格的にも温厚で選手たちとの関係も良好だったと言われている。グラウンド内外でこれまでの助っ人外国人と一線を画す選手だったようだ。
 現役引退後はコーチとしてドラゴンズに請われ、ケン・モッカを紹介するというファインプレーを繰り出した。

ケン・アスプロモンテ (登録名:アスプロ)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1964~65
問題児
 華のあるショートの守備がウリだったイタリア系アメリカ人。名前が長いので縮めた登録名になった。弟のボブ・アスプロモンテも後に来日し広島カープのコーチを務めた。
 本人は温厚な性格だったそうだが、ある試合で大暴れした印象が強すぎて問題児のような紹介のされ方をしている。騒動のあとで監督への謝罪&罰金で手打ちしたが、これはNPBで初めて罰金を払った外国人第1号と言われている。
 引退後は現役時代にコルト45sでプレーした縁でヒューストンに戻り、会社員を経て実業家として成功した。

ビリー・クラウス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1963
 メジャー通算821試合出場、一時期メジャー球団でレギュラーを張っていたことがある遊撃手。ドラゴンズでは本職でないサードをよく守ったが打撃で衰えを隠せず、3ホーマーに終わった。

ボブ・ニーマン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1963
大物
 MLB通算125本、来日前年までメジャーの試合に出ていたドイツ系アメリカ人選手。1963年に来日し打率.301・OPS.845を残したが、同僚になったクラウスとは反対に守備で足を引っ張り、1年限りで退団→現役引退となった。
 メジャーでは初打席から2打席続けてホームランを打った唯一の選手として名前が残っている。

与那嶺要
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1961~62 (巨人51~60)
日系人
 ウォーリー与那嶺の愛称で親しまれた元祖・日系人プレイヤー。ハワイで沖縄出身の父と日本人の母の間に生まれた。全盛期は巨人で活躍。晩年に在籍したドラゴンズではコーチ兼任だったこともあって実績は残せなかったが、1970年代にNPB初の外国人監督に就任。1974年には巨人の10連覇を阻止する貴重なリーグ優勝を成し遂げた。
 プライベートでは息子(ポール与那嶺氏)を日本IBMの社長を務める人物に育て上げた。

ドン・ニューカム (登録名:ニューク)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1962
大物
 ドラゴンズの元助っ人であることより、ジャッキー・ロビンソンに次ぐ大物黒人メジャーリーガーだったことや、初代サイ・ヤング賞受賞者であることの方がよく知られている。
 ロビンソンに少し遅れて1949年にメジャーデビューしたが、この年ロビンソンのほかラリー・ドビーやロイ・キャンパネラとともに黒人選手初のオールスターに選出されている。ニューカム自身は新人王を獲得し、その後はナ・リーグMVPやサイ・ヤング賞、最多勝と輝かしい受賞歴を誇る。打撃も優れていて登板しない日は代打で出場していた。
 MLB引退後に地元で酒屋をしていたところにドラゴンズからオファーが届き、もう投げるのは無理だと断ると外野手でもと引かず、押しに負けて日本へ行くことになった。いくら実績充分の元オールスター経験者と言えどブランクはデカく、前評判を下回る成績に終わった。また、球団側は契約延長を考えていたが、ドビー同様日本を見下した態度は変わりそうになく、結局1年で退団となった。

左から2人目がニューカム
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ラリー・ドビー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1962
大物
 ニューカムと同じくNPBにいたことよりジャッキー・ロビンソンに次ぐ大物黒人メジャーリーガーとして有名。オールスター7度選出、ホームラン王2度、1998年にMLB殿堂入りした正真正銘のレジェンドである。
 ニューカムと同じく引退後しばらくしてから来日しているため全盛期には程遠く、10本塁打を放つも平凡な成績に終わり1年で退団している。

▼プログレッシブ・フィールドの入り口の前にはドビーを称える銅像が立っている。ジャッキー・ロビンソンに次いで2人目、ア・リーグでは初のアフリカ系アメリカ人であるドビーはクリーブランド・ガーディアンズの最も偉大なOBの1人である。
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半田春夫
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1962 (南海58~61)
日系人
 ハワイ出身の日系二世選手。マイナーで3年間プレーしてから1958年に南海ホークスが獲得、その後現役最終年をドラゴンズで過ごした。
 パワーは無いが小技が得意な2番打者タイプ、内野守備も上手くメイクアップに優れていたと言われている。
 引退後はホークスとドラゴンズのコーチを歴任し、故郷に戻ってからも野球を教え続けた。

ハーバート・ノース
投手 アメリカ合衆国/在籍:1936
 日本プロ野球の一番最初の公式戦で勝利投手になったハワイ出身選手。制球難と日本の生活が合わなかったため、春季シーズン終了後に帰国した。

バッキー・ハリス (登録名:バッキー)
捕手 アメリカ合衆国/在籍:1936
 ノース、高橋吉雄とともに名古屋軍創設メンバーの外国人選手。バッキー・ハリスは本名ではなく、MLBの殿堂入りしているレジェンドにあやかって付けられた登録名だった。
 非日系人選手だったがノースと違って日本に溶け込んだ。日米関係の悪化で帰国せざるをえなくなると大変悲しんだと言われている。

高橋吉雄
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1936
日系人
 ハワイ出身。愛称は”サム高橋”。1936年に立ち上がった名古屋軍の初期メンバーの1人。翌年以降は第二次世界大戦の前まで、今は無き後楽園イーグルスでプレーした。


助っ人外国人名鑑パ・リーグ編


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

外国人名鑑2024年版
【埼玉西武ライオンズ】
【福岡ソフトバンクホークス】
【北海道日本ハムファイターズ】
【千葉ロッテマリーンズ】
【オリックス・バファローズ】
【東北楽天ゴールデンイーグルス】
◇埼玉西武ライオンズ
00 ジェフリー・ヤン
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1996年8月17日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 ド派手なガッツポーズで界隈では有名な荒れ球左腕。150km/h台後半に達するフォーシームとスライダーで三振の山を築く。ライオンズではボー・タカハシと4つ目の外国人枠を争う見通し。
 2015~16年にエンジェルス傘下のドミニカン・サマーリーグでプレーしたが、トミー・ジョン手術を受けたのち解雇された。しばらくプロリーグからは離れていたが、アリゾナ州の無名のリーグで投げていたところをマイアミ・マーリンズに拾われた。コロナ明けからマイナーで実戦登板を果たした。コンスタントに95~96マイル(153~156km/h)を投げ、昨季はトリプルAまで到達したが通用せず防御率15.00。オフにノンテンダーとなっていた。
 オープン戦からヤンジャンプで早速注目を集めた。飛び抜けて明るい性格だが、奇行と隣り合わせのパフォーマンスをどう管理していくのか?ライオンズの手腕が問われる。

▼ピッチャーゴロなのにジャンプしちゃうジェフリー・ヤン



 
42 ボー・タカハシ
投手 在籍期間:2022~
ブラジル/1997年1月23日生/右投右打
日系人
【NPB】55試合0勝1敗0S 防御率2.79 BB/9 4.5 K/9 7.0
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 今季から先発転向に挑戦するブラジル人右腕。日系3世。オープン戦ではコントロールの良さを活かしたピッチングで結果を残している。
 なお、メジャーの公式戦に出場経験はないが、メジャー26人枠に短期間登録されたことがある”ファントム(幻)メジャーリーガー”と呼ばれる選手の1人である。
 
54 アルバート・アブレイユ
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1995年9月26日生/右投右打
新加入 160km/h
【NPB】(新加入)
【MLB】108試合6勝5敗1S 防御率4.58 BB/9 5.2 K/9 9
============ 選手紹介 ============
 主にヤンキースで100試合以上登板実績のある快速リリーフ右腕。コントロール難は永遠の課題だが、常時150km/h台後半を計測する速球とスライダーのコンビネーションは間違いなく他球団の脅威になる。
 ライオンズでは勝ちパターンでの登板が見込まれている。普段どおり投げられれば、昨季防御率5点台のまま故障離脱した増田からクローザーの地位を奪うかもしれない。

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116 ビクター・ロペス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1999年9月2日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 アンソニー・ガルシアとともに昨オフの入団テストに合格、来日した大型リリーフ投手。フィリーズ傘下のマイナーで投げていたが、昨季途中に解雇され独立リーグでプレーしていた。
 常時150~155km/hの2種類のファストボールと変化球もチェンジアップ、カットボールを持っているが、実戦慣れしておらず育成に時間がかかりそう。
 
44 ヘスス・アギラー
内野手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1990年6月30日生/右投右打
新加入 大物
【NPB】(新加入)
【MLB】795試合 打率.253 安打594 本塁打114 OPS.768
============ 選手紹介 ============
 初来日した外国人ではルーグネッド・オドゥール(巨人)に次ぐ実績があるベテランスラッガー。キャリアハイは2018年で35本塁打・OPS.890をマーク。オールスターにも選ばれている実力者だが衰えが目立ってきている。
 ウリの長打力のほかヒッティングツールも優秀だがメジャーワースト級の鈍足で併殺打が多く、守備も目を瞑りたいレベル。とにかく打つしかない。

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55 フランチー・コルデロ
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1994年9月2日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】251試合 打率.218 安打157 本塁打27 OPS.678
============ 選手紹介 ============
 パワー一辺倒のドミニカ共和国出身外野手。メジャーでは4球団、延べ7年プレーしたがメジャー定着は叶わなかった。
 ホームランを打つ能力は凄まじいが、粗すぎるバットコントロールと壊滅的な外野守備を補えるほど打てるだろうか?できれば守備に就かせたくないが、ベテラン野手が多くレフトを守らせざるを得ないのは痛い。

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124 アンソニー・ガルシア
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年9月5日生/右投両打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 いわゆるロマン砲タイプの選手で、シン・カリブの怪人と期待されているスイッチヒッター。17歳のときにヤンキース傘下のマイナーでプレーを続け、昨季はシングルA+まで到達したがオフに西武ライオンズの入団テストを受けていた。
 育成契約ではあるがプレーを見た首脳陣からの評価は高く、想定以上に早く1軍デビューしてもおかしくない。打撃は待ち球系で全打席の4割近く三振するが長打力は非凡、外野守備もそこまで悪くない。
 
◇福岡ソフトバンクホークス
2 カーター・スチュワートJr.
 
(登録名:スチュワート・ジュニア)
投手 在籍期間:2019~
アメリカ合衆国/1999年11月2日生/右投右打
【NPB】25試合3勝8敗0S 防御率4.01 BB/9 5.6 K/9 9.2
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 アマチュアから直接日本に渡ってきた異色の速球派右腕。高校在学時からトッププロスペクトとして有望視され、実際に2018年ドラフトでは1巡目・全体8位の高評価で指名を受けたがメディカルチェックに引っ掛かり契約交渉がまとまらず、短大を経て日本でキャリアをスタートさせた。昨季初勝利を含め3勝(6敗)を挙げている。
 元ホークスでスカウトを務めるマット・スクルメタがスチュワートの実家のご近所さんで、学生の頃から指導していた縁がある。
 
143→35 リバン・モイネロ
投手 在籍期間:2017~
キューバ/1995年12月8日生/左投左打
大活躍 期待以上 WBC2017 WBC2023
【NPB】306試合19勝9敗40S 防御率1.95 BB/9 4.0 K/9 12.6
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 キューバから育成で来日し、球界屈指のリリーバーに成長したたサウスポー。今季から先発に転向する。オフにはMLBへの亡命を防ぐべく4年4000万円の大型契約を提示され、契約した。
 来日前は17歳の頃からキューバ国内リーグやカリビアンシリーズで投げていた。当時は球速が140km/h前半を計測する映像しかなかったせいで、謎多き外国人の印象が強く将来性を疑問視する声が多く聞かれた。だがファームの実戦で三振を量産すると、支配下登録された2017年6月に一軍デビュー。高い奪三振能力を発揮し、2019年から5年連続で防御率2.00以下をマークした。
 150km/h中盤のフォーシームとカーブ、チェンジアップ、スライダーは全てハイレベルで、2022年頃から制球力も伴うようになり、手が付けられなくなった。なお、成功に至るまでにはキューバの英雄でホークスのチームメイトでもあったデスパイネから教えを請けれたことも成功の要因だった。
 
54 ロベルト・オスーナ
 
(登録名:オスナ)
投手 在籍期間:2023~(ロッテ22)
メキシコ/1995年2月7日生/右投右打
大活躍 WBC2017
【NPB】78試合7勝3敗36S 防御率0.92 BB/9 1.0 K/9 8.5
(ロッテ) 29試合4勝1敗10S 防御率0.91 BB/9 0.9 K/9 9.7
(SB) 49試合3勝2敗26S 防御率0.92 BB/9 1.1 K/9 7.7
【MLB】314試合14勝18敗155S 防御率2.74 BB/9 1.6 K/9 9.9
============ 選手紹介 ============
 メジャーでクローザーとして活躍していたが、DV疑惑
 
61→63 ダーウィンゾン・ヘルナンデス
投手 在籍期間:2023~
ベネズエラ/1996年12月17日生/左投左打
WBC2023
【NPB】1試合0勝0敗0S 防御率27.00 BB/9 13.5 K/9 13.5
【MLB】91試合3勝4敗0S 防御率5.06 BB/9 7.7 K/9 14
============ 選手紹介 ============
 主にレッドソックスで投げていたリリーフ左腕。ブルペンが弱かったレッドソックスのセットアップ候補だったが年々成績を落とし、メジャーからはフェイドアウトした。
 デビュー前から制球力に課題があり、昔は上から投げていたのをほぼサイドスローになるまで腕を下げてもノーコンぶりは解消されなかった。
 
135 アレクサンダー・アルメンタ
投手 在籍期間:2022~
メキシコ/2004年6月26日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2021年オフに育成契約した青田買い4人衆の1人。来日前に16歳の時点でメキシカンリーグデビューを果たし、翌年からホークス入りを決めた。契約時点ではメジャーリーグ志向を持っていた。
 入団前は16~17歳で常時145km/h前後を投げていた。大成したモイネロの来日時と比較されていて、彼よりひと回り大きな体格を持つことから高い期待をかけられている。
 
141 マイロン・フェリックス
投手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/1999年11月29日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2021年オフに育成契約した青田買い4人衆の1人。一緒に来た4人の中では一番体格が大きく、唯一20歳を超えている。一昨年、昨年と続けてウエスタンリーグでも登板しており、今季の支配下入りを目指す。
 
156 ルイス・ロドリゲス
投手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2001年8月18日生/右投右打
160km/h
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 フェリックスやシモンら4人衆より半年遅れてホークス入りしたパワーピッチャー。ファストボールの球速は100マイルに達する。
 ドミニカ共和国では彼らと同じアカデミーに所属し、ホークススカウトの萩原氏に連れてこられた。2年以内に1軍デビューが可能なポテンシャルを持つ、と萩原氏から高く評価され、3軍の試合で好投を続けていたが昨季春にヒジを故障。トミー・ジョン手術からの復帰を目指し、いったん仕切り直しとなった。
 
173 ダリオ・サルディ
投手 在籍期間:2024~
キューバ/2005年11月12日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 キューバから育成契約で入団した18歳(2024年開幕時点)の先発右腕。同じサウスポーということで「モイネロ投手のような選手になれるよう頑張りたい」と抱負を述べた。
 実績は2023年にキューバ国内リーグで8試合に先発登板して1勝3敗・防御率4.88を記録している。1イニング当たり10.6個の四球を与えており、育成には相当な時間を要する。
 
175 デービッド・アルモンテ
内野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2007年12月2日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 今年もドミニカ共和国から連れてきた青田買い内野手。まだ16歳。SBが今季力を入れる予定の4軍で経験を積ませる。
 
28 アダム・ウォーカー
外野手 在籍期間:2024~(巨人22~23)
アメリカ合衆国/1991年10月18日生/右投右打
移籍
【NPB】181試合 打率.269 安打141 本塁打29 OPS.807
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 開幕時点で32歳だがロクな指導を受けられずに日本に漂着した強打の外野手。アメリカではマイナーでトリプルAまで到達したが、独立リーグを何年も経験。2022年から2年間巨人で過ごした後、今季からソフトバンクでプレーすることになった。今季のオールスターDH部門のダークホース。
 196cm/104kgの恵まれた体格と高い身体能力を持ちながら指導者に恵まれず、アマチュアレベルの技術が彼のキャリアを阻んできた。外野守備が最大の問題で、巨人時代、外野からまともに送球できないことが明るみになり衝撃を与えた。また打撃はパワー面は申し分ないが選球眼と空振りの多さに問題を抱える。
 攻守に大きな穴が目立つが長打を打つ能力は魅力。巨人時代からDHのあるパ・リーグへ行くべきとの声があり、今季大きくブレイクする可能性を秘めている。ただしホークスにはギータのようにDHでのプレーが必要な選手が多く、他の野手への影響は気になるところ。
 
144 マルコ・シモン
外野手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2004年9月18日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2021年オフに育成契約した青田買い4人衆の1人。マルセル・オズーナの親戚が経営するオズーナ・ベースボール・ファクトリーで経験を積んでいた。MLB球団からオファーがあったが日本行きを希望し、ホークス入りが決まった。
 まだ3・4軍の試合が中心。まずはウエスタンリーグでの出場機会をゲットしたい。
 
173 ホゼ・オスーナ
外野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/2007年3月27日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2022年の暮れに15歳でホークス入りした将来のレギュラー候補。外野3ポジションを守り、パワーと強肩をアピールポイントとする。昨季メジャーで40本塁打を放ったマルセル・オズーナは従兄にあたる。
 昨季は2軍での出場機会はなく、秋に母国で肩の手術を受けた。ホークスの若手にありがちな育成選手の飼い殺しに終わらないか心配。
 
◇北海道日本ハムファイターズ
31 パトリック・マーフィー
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1995年6月10日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】35試合0勝3敗0S 防御率4.76 BB/9 4.5 K/9 8.6
============ 選手紹介 ============
 96~97マイルの高めのファストボールで押す速球派右腕。メジャーではフォーシームとシンカーが7割、残り3割がパワーカーブの配分で投げていた。
 高校時代にトミー・ジョン手術を経験、プロ入り後に肩もやっており故障リスクが高い。ここ2年コントロールを悪化させているのも気がかり。
 
41 ブライアン・ロドリゲス
 
(登録名:B.ロドリゲス)
投手 在籍期間:2018~
ドミニカ共和国/1991年7月6日生/右投右打
【NPB】156試合13勝20敗4S 防御率3.64 BB/9 3.3 K/9 5.9
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2021年にロニー・ロドリゲスが入ってきたためB.ロドリゲスに登録名が変更された。
 
42 アニュラス・ザバラ
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1996年12月21日生/右投右打
新加入 160km/h
【NPB】(新加入)
【MLB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 3.4 K/9 6.8
============ 選手紹介 ============
 マイナーで160km/hを頻繁に計時も制球難が深刻な火の玉リリーバー。イニング数よりも多く四球を与えたシーズンが何度もあるが、過去にはサファテのようにNPBのボールで与四球率が良くなるケースがあるため、当たれば勝ちパターンで起用できる可能性もある。
 メジャー経験は2022年の2試合のみだが、1億1千万円と決して安くない年俸で契約した。
 
36, 45 ドリュー・バーヘイゲン
投手 在籍期間:2020~21,24
アメリカ合衆国/1990年10月22日生/右投右打
NPB復帰 160km/h
【NPB】38試合13勝14敗0S 防御率3.51 BB/9 2.7 K/9 9.3
【MLB】206試合18勝12敗0S 防御率4.98 BB/9 3.7 K/9 7.5
============ 選手紹介 ============
 昨オフにメジャー契約を蹴ってまでファイターズに戻ってきた漢の中の漢。2020~21年に先発としてそれなりの成績を残したが、異国の地でのコロナパンデミックに苦しんだ。
 ファストボールは2021年に160km/hを計時。前回在籍時のピッチングは球威充分であったが、一方でクイックモーションの遅さが弱点と言われていた。メジャーに戻ってから覚えたスイーパーを武器にどんな成績を残すか注目される。
 
196 孫易磊(スン・イーレイ)
投手 在籍期間:2024~
台湾/2005年2月10日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 台湾では二刀流。メジャーリーガーを目指していたが、日ハムが日米の争奪戦を制し獲得した。
 
2 アリエル・マルティネス
捕手 在籍期間:2023~(中日18~22)
キューバ/1996年5月28日生/右投右打
WBC2023
【NPB】288試合 打率.261 安打213 本塁打27 OPS.765
(中日) 169試合 打率.274 安打118 本塁打12 OPS.767
(日ハム) 119試合 打率.246 安打95 本塁打15 OPS.763
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 オマール・リナレスが目を付けてドラゴンズに連れてきた強打の捕手兼一塁手。昨季ファイターズに移籍し、初めて2桁本塁打(15本)をマーク。シーズン終盤には自身のXで”I will be a Fighter for a long time🙌”と宣言。ファンを歓喜させた。
 「アリエル」は、キューバ史上最高のキャッチャー、アリエル・ペスターノから取って付けられている。
 
6 アンドリュー・スティーブンソン
外野手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1994年6月1日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】273試合 打率.243 安打105 本塁打8 OPS.668
============ 選手紹介 ============
 メジャーでも俊足と広い守備範囲を高く評価されていた外野手。ヒッティングツールに光るものがあり小技にも長けるが、フリースインガー気味でリードオフマンに適するかは疑問が残る。
 ルイジアナ州立大学時代はアレックス・ブレグマンと同期生。ジュニア(3年生)シーズンにカレッジワールドシリーズに進出し、1回戦で敗れはしたがセンターの守備で超ファインプレーを繰り出し、そのプレーは「ザ・キャッチ」と称された。
 
3 加藤豪将
内野手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1994年10月8日生/右投左打
【NPB】62試合 打率.210 安打42 本塁打6 OPS.614
【MLB】8試合 打率.143 安打1 本塁打0 OPS.686
============ 選手紹介 ============
 コール・ハメルズなど多くのメジャーリーガーを輩出するランチョ・ベルナルド高校では1年生からレギュラーで出ていたという、規格外の経歴を持つアメリカ国籍の選手。
 メジャー昇格も数試合のみの出場に終わったが、日本での活躍に期待。
 
99 フランミル・レイエス
外野手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1995年7月7日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】548試合 打率.249 安打468 本塁打108 OPS.775
============ 選手紹介 ============
 ホームラン特化型の長距離砲。メジャー通算108ホーマーを放ち、一時期はクリーンナップを任されたこともあったが出場機会を失っていた。昨オフのNPB入り外国人の最有力候補と言われていたが、実際に複数のNPB球団からオファーがありファイターズが獲得競争を制した。
 
127 山口アタル
外野手 在籍期間:2023~
カナダ/1999年5月28日生/右投右打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 日本人の父とギリシャ系カナダ人の母を持つ異色の外野手。一昨年のドラフトで隠し玉指名を受け入団した。カナダ国籍を有している。
 
◇千葉ロッテマリーンズ
41 ジェームス・ダイクストラ
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1990年11月22日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 球宴3度のレニー・ダイクストラとは血縁関係は無し。メジャー未経験ながら34歳になるまでマイナーと独立リーグを渡り歩いてきた。年俸は1500万円とかなりの安値。序列は(外国人枠4つに対して)6番手の扱いだが、メンツを見るとそのうちチャンスは回ってきそう。
 
42 クリスチャン・クリソストモ
 
(登録名:メルセデス)
投手 在籍期間:2023~(巨人17~22)
ドミニカ共和国/1994年3月8日生/左投両打
期待以上
【NPB】105試合33勝36敗1S 防御率3.18 BB/9 2.3 K/9 6.1
(巨人) 83試合29勝28敗0S 防御率3.14 BB/9 2.2 K/9 6.5
(ロッテ) 22試合4勝8敗1S 防御率3.33 BB/9 2.8 K/9 4.5
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 ドミニカのカープアカデミーを1年で見切られ、野球を諦めきれずに巨人の入団テストを受けて来日した苦労人。ファストボールは140km/hを割ることもあるがゴロを打たせる技術に長け、NPBに適応した。
 
64 ジュニア・フェルナンデス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1997年3月2日生/右投右打
新加入 160km/h
【NPB】(新加入)
【MLB】50試合1勝1敗0S 防御率5.17 BB/9 5.8 K/9 7.8
============ 選手紹介 ============
 昨季シンカーの平均球速99マイル。100マイルを何度も投げている剛腕リリーバー。2019~22年にMLBでプレーしたが昨季はメジャーデビュー後初めて昇格できなかった。
 ピッチングは小さく曲がるスライダーとチェンジアップ、フォーシームも時々織り交ぜる。球は速いが・・・の典型的なタイプで、どれだけ制球できるかにNPBでの成功が懸かっている。
 
69 ジミー・コルデロ
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1991年10月19日生/右投右打
新加入 160km/h
【NPB】(新加入)
【MLB】114試合6勝7敗0S 防御率4.36 BB/9 3.3 K/9 7.7
============ 選手紹介 ============
 キン肉マン。特にホワイトソックス時代はちょっと小さめのユニフォームを纏い、今にも二の腕の布が避けそうなぐらいパッツパツに着こなしていた。
 プレイヤーとしては右のパワータイプの投手。2021年にトミー・ジョン手術を受け、昨季はDVが発覚しシーズン後半を出場停止とされた。
 
99 ネフタリ・ソト
内野手 在籍期間:2024~(DeNA18~23)
プエルトリコ/1989年2月28日生/右投右打
移籍 大活躍 WBC2023
【NPB】711試合 打率.262 安打653 本塁打161 OPS.837
【MLB】34試合 打率.071 安打3 本塁打0 OPS.186
============ 選手紹介 ============
 来日1年目から2年連続セの本塁打に輝いた元DeNA戦士。NPB6年目の昨季は自身ワーストの打率.234・14本塁打・50打点。シーズン終了後には左足を手術し、自由契約となっていた。
 安田と山口がまだ1人前のスラッガーとは言えず、ポランコとともにマリンガン打線の軸になることを期待される。
 先日とあるスポーツ系ニュース番組で「~今シーズンからロッテに新加入した… ネタフリ・ソト!」と紹介され、視聴者をざわつかせた。
 
22 グレゴリー・ポランコ
外野手 在籍期間:2023~(巨人22)
ドミニカ共和国/1991年9月14日生/左投左打
WBC2017
【NPB】263試合 打率.241 安打213 本塁打50 OPS.762
(巨人) 138試合 打率.240 安打105 本塁打24 OPS.762
(ロッテ) 125試合 打率.242 安打108 本塁打26 OPS.762
【MLB】823試合 打率.241 安打696 本塁打96 OPS.718
============ 選手紹介 ============
 ロッテに移籍した昨季パ・リーグのホームラン王に輝いた元有望株外野手。メジャーではピッツバーグ・パイレーツ一筋で2014~21年まで延べ8年プレーした。
 マイナー時代はパイレーツNo.1の有望株と期待され、メジャー昇格後はアンドリュー・マカッチェン、スターリング・マーテイとともに強力な外野手トリオを形成した。しかし、しだいに故障がちになったことで成績を落とし、19~21年は3年連続でrWARマイナスを記録した。
 当時巨人は期待に応えられない助っ人外国人が続いており、どうせすぐに退団するだろうと来日前にボロカスに言われていた。1年間戦力になっていたが狭い守備範囲と得点圏打率の低さを理由に解雇されたが、昨季は新天地で本塁打王。ロッテから本塁打王が出たのは落合博満以来となる37年ぶりのことだった。

おそらくポランコで一番有名なプレー
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26404259
 
◇オリックス・バファローズ
54 ルイス・カスティーヨ
投手 在籍期間:2024~(ロッテ23)
ドミニカ共和国/1995年3月10日生/右投右打
移籍
【NPB】12試合3勝3敗0S 防御率3.12 BB/9 0.6 K/9 6.2
【MLB】3試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0 K/9 9.8
============ 選手紹介 ============
 クセのある投球フォームだが抜群のコントロールを誇る技巧派右腕。昨季途中から先発に転向して49イニングのうち与四球3個と圧巻の制球力を見せた。一方でRookieリーグを卒業した2017年以降は先発で投げておらず、本当に先発適性があるのか注視が必要。
 2022年にメジャー初昇格。2000~10年代にゴールドグラブ賞3度のルイス・カスティーヨ、現在マリナーズでエースを務めるルイス・カスティーヨに次ぐ”第3のルイス・カスティーヨ”である。また、昨春のWBCでパナマ代表にいたルイス・カスティーヨは別人なので要注意。
 
00 アンダーソン・エスピノーザ
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1998年3月9日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】7試合0勝2敗0S 防御率5.40 BB/9 7.9 K/9 9.3
============ 選手紹介 ============
 元々はレッドソックスのトッププロスペクトだったベネズエラ人投手。2016年にパドレスにトレードで移籍。先発のドリュー・ポメランツが交換相手となったが、パドレス側がポメランツの利き腕に問題を抱えていることを隠してトレードしたため、パドレスGMのA.J.プレラーが活動停止処分を食らっている。
 エスピノーザの放出は当時のレッドソックスファンにとって耐えがたいもので、件のルール違反もあって非難轟々のトレードだった。ただ、その後ポメランツはそれなりの成績を残し、他方パドレスでメジャー昇格を目指したエスピノーザは成長しきれないままDFA。結果的にレッドソックスに利があった。
 2024年は日本でプレーすることとなったエスピノーザ。これまで来日した外国人のなかでかなり期待値が高かった選手である。先発投手として実績を挙げ、近年成功例が増えつつあるNPBからメジャーでの返り咲きを期待したい。
 
42 アンドレス・マチャド
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1993年4月22日生/右投右打
新加入 160km/h WBC2023
【NPB】(新加入)
【MLB】137試合7勝3敗0S 防御率4.48 BB/9 3.5 K/9 7.3
============ 選手紹介 ============
 目いっぱい力んで投げるフォームから160km/h近い剛速球を投げ込むベネズエラ人リリーフ右腕。オリックスと契約前は、インスタをフォローした巨人入りが大方の予想だった。好きな選手は同郷の先輩フェリックス・ヘルナンデス。
 2017年にメジャーデビューしてから再昇格まで4年かかったが、21~23年は3年連続で40試合以上に登板。昨季は球速も大幅にアップしたが防御率5.22。50イニングで12本ものHRを浴びた。シーズンオフに日本でのプレーを希望して40人枠を外れた。
 ピッチングはフォーシーム、シンカーの2種類の速球とスライダー、チェンジアップを投げる。肩の故障リスクが高い逆W字型のピッチングフォームをしているが、肩盤ではなくヒジに故障歴がある。
 
8 マーウィン・ゴンザレス
内野手 在籍期間:2023~
ベネズエラ/1989年3月14日生/右投両打
【NPB】84試合 打率.217 安打65 本塁打12 OPS.650
【MLB】1139試合 打率.252 安打888 本塁打107 OPS.709
============ 選手紹介 ============
 MLB通算1000試合以上に出場実績のある元一流メジャーリーガー。2017年に様々なポジションを守りながら29本塁打をマークし、アストロズの世界一に貢献。後にサイン盗み問題でケチが付いてしまったが、数少ない打てるユーティリティーであったことは間違いない。
 来日1年目は打撃成績が不本意ながら、内野4ポジションすべてに就いてエラー2個と非常に手堅い守備力を披露した。チームメイトとの関係も良好。
 
40 レアンドロ・セデーニョ
内野手 在籍期間:2023~
ベネズエラ/1998年8月22日生/右投右打
【NPB】57試合 打率.244 安打43 本塁打9 OPS.716
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 23年7月に初ホームランを放つと、その1週間後には育成で入団した外国人選手では初の満塁ホームランを放った。57試合・187打席で9本をウリの長打力をアピールした。
 2年目の今季はさらに長打力をアップさせるべく増量に励んだ。
 
45 コディ・トーマス
外野手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1994年10月8日生/右投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】29試合 打率.250 安打18 本塁打1 OPS.641
============ 選手紹介 ============
 大学生の途中までアメフト寄りの二刀流プレイヤーだった外野手。高校時代に野球とアメフトで大活躍し、3年後にNFLのドラフト全体1位指名を受けるジャレッド・ゴフよりも各種媒体から高い評価を付けられていた。進学したオクラホマ大学ではソフモア(2年生)は野球の公式戦を全休したが、フットボールの方のレギュラー争いに敗れたためジュニア(3年生)は野球一本に絞った。
 マイナーをドジャースで過ごした後、オクラホマ大の2年先輩のシェルドン・ノイジーらとのトレードでアスレチックスに移籍。2022~23年にメジャーに何度かコールアップされたが爪痕を残せず、メジャー定着に見切りをつけた。
 ウリは長打が打てる打撃と強肩。外野はセンターを含め3ポジションを標準レベルに守れる。なお、来日前にトリプルAで打率.301・23本塁打・OPS.922をマークしているが、平均OPS.822の打高投低パシフィックコーストリーグでの成績であるため注意が必要。
 
◇東北楽天ゴールデンイーグルス
143→94→43 宋家豪(ソン・チャーホウ)
 
(登録名:ソン・チャーホウ→宋家豪)
投手 在籍期間:2016~
台湾/1992年9月6日生/右投左打
期待以上 WBC2017 WBC2023
【NPB】297試合18勝13敗7S 防御率2.95 BB/9 3.5 K/9 7.4
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2016年にCPBL(台湾プロ野球)から楽天に入団。育成契約からのスタートだったが徐々に勝ちパターンで使われるようになり、中継ぎにして1億円プレイヤーにまで成り上がった。2023年のWBCでは台湾代表に選ばれ、4試合中3試合に登板する獅子奮迅の働きを見せた。
 
13 コディ・ポンセ
投手 在籍期間:2024~(日ハム22~23)
アメリカ合衆国/1994年4月25日生/右投右打
移籍
【NPB】24試合7勝10敗0S 防御率3.47 BB/9 2.7 K/9 7.3
【MLB】20試合1勝7敗0S 防御率5.86 BB/9 2.8 K/9 7.8
============ 選手紹介 ============
 来日1年目の2022年にノーヒッターを達成しているがケガに泣かされた元MLB先発右腕。ファイターズでの2年間で24試合登板にとどまり、合計2億8000万円の年俸に見合った働きとはいかなかった。
 人柄が良く日ハムファンからは今季の契約延長を希望する声も聞かれたが、結局楽天が獲得した。
 
20 ニック・ターリー
投手 在籍期間:2024~(広島22~23)
アメリカ合衆国/1989年9月11日生/左投左打
移籍
【NPB】89試合9勝5敗1S 防御率2.39 BB/9 3.5 K/9 8.4
【MLB】35試合0勝5敗1S 防御率7.78 BB/9 4.3 K/9 7.6
============ 選手紹介 ============
 2022年から広島カープに所属。2年目の昨季は7勝1敗29ホールド・防御率1.74と飛躍したが、年俸や腰の状態が懸念されたのか契約更新はならず。オフに楽天が獲得した。
 なお楽天と契約後、メキシカンリーグの球団との二重契約疑惑が浮上したが問題なく日本でプレーできる見込み。
 
017 王彦程(ワン・イェンチェン)
投手 在籍期間:2019~
台湾/2001年2月14日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 台湾の高校を卒業後、楽天イーグルスへ直接入団した。U-18など国際大会での実績が豊富で、宮城大弥(オリックス)を相手に投げ勝ったことも。
 
23 マイケル・フランコ
内野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1992年8月26日生/右投右打
【NPB】95試合 打率.221 安打69 本塁打12 OPS.644
【MLB】923試合 打率.245 安打809 本塁打130 OPS.707
============ 選手紹介 ============
 メジャーではロイヤルズなどで数シーズンレギュラーを張っていた三塁手。守備では鋭い打球へのダイビングキャッチをするため名手に見えるが、守備指標は悪く失策数も多い、守備に難がある選手と認識されている。
 


NPB助っ人外国人一覧2024年版 ~セ・リーグ編~


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

外国人名鑑2024年版 セ・リーグ編
【読売ジャイアンツ】
【阪神タイガース】
【中日ドラゴンズ】
【広島東洋カープ】
【東京ヤクルトスワローズ】
【横浜DeNAベイスターズ】
◇読売ジャイアンツ
29 フォスター・グリフィン
投手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1995年7月2日生/左投右打
【NPB】20試合6勝5敗0S 防御率2.75 BB/9 2.2 K/9 8.6
【MLB】7試合1勝0敗0S 防御率6.75 BB/9 5.6 K/9 5.6
============ 選手紹介 ============
 メジャーの壁は高く日本に活躍の場を求めた先発左腕。ジャイアンツ公式によると、アピールポイントは「闘争心」今一番欲しいものは「健康」。
 
49 アルベルト・バルドナド
 
(登録名:バルドナード)
投手 在籍期間:2023~
パナマ/1993年2月1日生/左投左打
WBC2023
【NPB】21試合2勝1敗0S 防御率1.69 BB/9 4.2 K/9 8.9
【MLB】14試合0勝1敗0S 防御率8.44 BB/9 5.9 K/9 10.1
============ 選手紹介 ============
 昨春のWBCでパナマ代表選手として出場した巨漢左腕。昨季シーズン途中に獲得した。体重は130kgに迫る。
 
65 ヨヘンダー・メンデス
投手 在籍期間:2023~
ベネズエラ/1995年1月17日生/左投左打
【NPB】16試合5勝5敗0S 防御率2.07 BB/9 3.4 K/9 7.4
【MLB】20試合3勝3敗0S 防御率6.23 BB/9 4.7 K/9 6.2
============ 選手紹介 ============
 2016~19年にメジャーリーグにいたが、コロナ以降は母国のウィンターリーグでのプレーに留まっていた。22年に打者天国のメキシカンリーグで7勝無敗・防御率2.78を記録したところを巨人が目を付けた。
 来日当初は先発候補としてグリフィンやビーディの新加入が決まっていて、メンデスはその保険と見られていた。昨季は限られた登板機会で結果を出し、先発で16試合・防御率2.07をマーク。立派に仕事をこなしたが似たタイプで球威が上のバルドナードが昨季途中から引き続き残留しており、今季も出場機会の確保は簡単ではない。
 
035 エルビス・ルシアーノ
投手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/2000年2月15日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】25試合1勝0敗0S 防御率5.35 BB/9 6.4 K/9 7.2
============ 選手紹介 ============
 元メジャーリーガーだが育成契約のドミニカ人右腕。5年経っていないにも関わらずルール5ドラフトで指名され、19歳でメジャーデビューした特異な経歴を持つ。
 2016年にドミニカ共和国からプロ入りしたが後にこの契約が無効と判定され、2018年にルール5ドラフトの対象になるとトロント・ブルージェイズがサプライズ指名した。規定上26人枠に帯同させないと選手を返さないといけないが、ブルージェイズは開幕からメジャーに帯同させた。この手の原石タイプを急いでメジャーリーグに送り込むことに対して成長を阻害するという懸念があったが、ブルージェイズはルシアーノが挑戦に耐えうると考えたのだった。結果、球団史上最若の19歳1ヶ月でデビューし、ルシアーノは2000年代生まれでは初めてのメジャーリーガーとなった。
 2020年以降はヒジや腕の故障に泣かされ、メジャーに返り咲くチャンスがないまま巨人と育成契約するに至った。
 
057 ユーリー・ラモス
投手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1997年10月10日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 196cmの長身から99マイル(159km/h)を計時する速球と鋭く落ちるチェンジアップはポテンシャルを感じるドミニカ人右腕。カブス傘下のマイナーや独立リーグ、メキシカンリーグで投げていたところを巨人が獲得したが、外国人選手の加入時期としては異例の9月に入団が決まった。年俸800万円の育成契約はローリスク・ハイリターンであり、2023年に鮮烈なメジャーデビューを果たしたユーリー・ペレスのようにスケールの大きな投手に育ってほしいものだ。
 
33 カイル・ケラー
投手 在籍期間:2024~(阪神22~23)
アメリカ合衆国/1993年4月28日生/右投右打
移籍
【NPB】61試合4勝2敗4S 防御率2.59 BB/9 3.2 K/9 11.3
【MLB】44試合1勝1敗0S 防御率5.83 BB/9 6.2 K/9 9.3
============ 選手紹介 ============
 阪神で2年間勝ちパターンを務めたリリーフ右腕。150km/h中盤のフォーシームと鋭く曲がるカーブ(たぶんナックルカーブ)がメイン。ランナーの有無で大きくピッチングが変わりがちなのが弱点。
 阪神では最初の頃こそ炎上したが次第にNPBに慣れ、防御率は2点台と安定。2年目の昨季途中に身内の病気を理由に帰国し、公式戦を終えた。そのままアメリカでメジャー復帰を目指すのかと思いきや、まさかの巨人入りに阪神ファンの間に衝撃が走った。巨人入団までの経緯は古巣球団に対する裏切りと思われても仕方がなく、甲子園ではブーイングが聞かれそうだ。
 
098 エスタミー・ウレーニャ
内野手 在籍期間:2020~22,24(楽天23)
ドミニカ共和国/1999年5月27日生/右投右打
移籍
【NPB】15試合 打率.130 安打3 本塁打0 OPS.330
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2020年に初来日し巨人でプレーしていた出戻り内野手。昨シーズン終了後に楽天をクビになったところを古巣に拾われた。
 昨シーズン終了後に巨人はブリンソンとウォーカーを解雇しているが、楽天でのウレーニャの打撃成績は2人を大きく下回っている。なぜ再獲得したのか?そのチグハグな動きにチーム内外からは疑問の声が聞かれる。一部では阿部監督のお気に入りだからとの噂があり、今季オープン戦の序盤に他のレギュラー候補を差し置いて外野のスタメンに起用されている。
 
013 フリアン・ティマ
外野手 在籍期間:2021~
ドミニカ共和国/2004年9月25日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 16歳のときに巨人と育成契約を結んだドミニカ共和国出身外野手。将来のクリーンナップ候補と期待されているが、2022年は3軍で189打席中たった2四球といくらなんでも疑問が残る内容であった。
 
23 ルーグネッド・オドゥール
 
(登録名:オドーア)
外野手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1994年2月3日生/右投左打
新加入 大物 問題児 WBC2017
【NPB】(新加入)
【MLB】1154試合 打率.230 安打930 本塁打178 OPS.710
============ 選手紹介 ============
 メジャー通算178本塁打・シーズン30発超え3度の実績以上に2016年の乱闘事件で有名になったベネズエラ人スラッガー。昔に比べて実績が乏しく大人しい外国人選手が増えた昨今のNPBに、久々に現れたハイリスクな大物助っ人外国人に期待が高まる。
 来日した際は紳士たる巨人軍のルールに則りヒゲを剃って現れた。今のところ(残念ながら)優等生らしい振舞いをしているが、グラウンド内外でもっと彼らしい活躍を見せてほしい。

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◇阪神タイガース
00 ハビ・ゲラ
投手 在籍期間:2024~
パナマ/1995年9月25日生/右投左打
新加入 160km/h WBC2023
【NPB】(新加入)
【MLB】61試合3勝1敗0S 防御率6.43 BB/9 6.1 K/9 6.4
============ 選手紹介 ============
 シュート回転気味の150km/h台後半の速球と2種類のスライダーを持つパワーピッチャー。球は速いがノーコンの王道を行くタイプで、阪神ファンの間で藤浪晋太郎とよく比較されている(心配されている)。
 2018年に内野手でメジャーデビューしたが見切りをつけ、翌年から投手に転向してメジャー再昇格を果たした異色の経歴を持っている。昨季はパナマ代表としてWBCに出場した。
 
99 ジェレミー・ビーズリー
投手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1995年11月20日生/右投右打
【NPB】18試合1勝2敗0S 防御率2.20 BB/9 2.9 K/9 9.4
【MLB】18試合0勝1敗0S 防御率5.84 BB/9 5.1 K/9 12
============ 選手紹介 ============
 ランディ・メッセンジャーのように長く安定して活躍してほしいと願われている速球派右腕。マイナー時代から先発・リリーフどちらにも対応している。
 昨季阪神に入団して防御率2.20と好成績を残したが肩の具合が思わしくなく、今季も春季キャンプから出遅れておりコンディションを戻せるのか不透明な状態。
 
7 シェルドン・ノイジー
外野手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1994年12月10日生/右投右打
【NPB】133試合 打率.240 安打114 本塁打9 OPS.623
【MLB】147試合 打率.212 安打83 本塁打7 OPS.558
============ 選手紹介 ============
 来日前はユーティリティとしてメジャー定着を目指していた元メジャーリーガー。昨季は率系の打撃成績が同僚のミエセスを下回る結果に終わったが、日本シリーズで大活躍したおかげで契約延長が叶った。非常に物足りないが、外野にこれといったライバルはいないので今季も毎試合出場するのだろう。
 
55 ヨハン・ミエセス
外野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1995年7月13日生/右投右打
【NPB】60試合 打率.222 安打28 本塁打5 OPS.666
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 ノイジーとともに阪神で2年目を迎えるドミニカ人外野手。ストロングポイントは強肩と雨の日のダイビングヘッド。
 1年目の成績は微妙だったが、メジャー経験がなく育成に近い方針で獲得しており、球団から伸びシロがあると期待され再契約に至った。今季のキャンプイン前に少し減量したと言っていたが、映像では瘦せたように見えなかった…。
 
131 ホゼ・ベタンセス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/1999年10月17日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2024年の春季キャンプ直前に阪神入りが決まった剛球右腕。入団テストを経て育成契約した。藤浪タイプと言われる超荒れ球が特徴。阪神はあまり育成契約の選手を大成させた実績は無いが、うまく育て上げられるか?
 
132 アンソニー・マルティネス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年1月10日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 ベタンセスとともに2024年の春季キャンプ前に阪神入りが決まった剛球右腕。入団テストを経て育成契約した。190cm/79kgと長身痩駆。
 岡田監督は獲得の際、マルティネスの顔写真を見て「パスポート、すごかったで」との感想を残している。
 
◇中日ドラゴンズ
91 ウンベルト・メヒア
投手 在籍期間:2023~
パナマ/1997年3月3日生/右投右打
WBC2023
【NPB】8試合3勝1敗0S 防御率2.23 BB/9 3.7 K/9 4.1
【MLB】8試合0勝5敗0S 防御率6.68 BB/9 4.2 K/9 8.6
============ 選手紹介 ============
 入団1年目は8試合先発して3勝1敗・防御率2.23と好成績を残した。ただ奪三振率が低くBB/K:1.11。次年度以降は反動で防御率悪化の可能性も。
 名前の発音は”フンベルト”だが日本語媒体やSNSはほぼ”ウンベルト”表記なので当サイトもそれに倣っている。
 
211→97→92 ライデル・マルティネス
投手 在籍期間:2017~
キューバ/1996年10月11日生/右投左打
大活躍 期待以上 優良助っ人 WBC2017 WBC2023
【NPB】243試合12勝15敗123S 防御率1.85 BB/9 2.1 K/9 10.5
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 ドラゴンズ史に残る優良助っ人外国人になりつつあるキューバンリリーフ右腕。2017年に来日したときは育成枠だったが、気付けばNPBを代表するクローザーに成長した。
 昨季は開幕から8月中旬まで防御率0.00を継続、最終的に自責点2・防御率0.39の驚異的な数字をマークした。一方で昨季はWBC明けに、同じキューバ代表のジャリエル・ロドリゲスが来日することなく亡命し、メジャー球団と複数年契約を締結する事件が起きた。彼以上の実績を残すライマルが「自分も…」と思っても不思議でなく、中日関係者やファンをやきもきさせたが今季もちゃんと来日してくれた。

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93 マイケル・フェリス
投手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1993年6月28日生/右投右打
【NPB】19試合1勝0敗0S 防御率3.14 BB/9 6.9 K/9 10.0
【MLB】228試合17勝9敗1S 防御率5.29 BB/9 3.9 K/9 11.8
============ 選手紹介 ============
 昨季シーズン中に新加入した実績豊富なリリーフ右腕。2016~19年に200試合以上登板、2017年にはアストロズのミドルリリーバーとして世界一に貢献した。実績のわりに昨年30歳になったばかりで衰えのリスクが少ないのは高ポイント。
 150km/h台前半の速球と縦・横2種類あると思しきスライダー、チェンジアップを投げる。昨年の来日初登板は同点の8回途中大ピンチの場面で起用され、見事ホームを踏ませなかった。
 
202 フランク・アルバレス
投手 在籍期間:2022~
キューバ/1999年1月16日生/右投右打
WBC2023
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 来日3年目を迎えるキューバ人投手。中日ではなかなか1軍昇格の機会に恵まれないが、あのライデルでさえ来日1年目は140km/h中盤の育成選手だったことを考えればまだ期待できるかも。
 昨春は熱望していたWBCにキューバ代表として出場。準決勝のアメリカ戦で野次る観客にボールを投げつけ物議を醸した。
 
66 ダヤン・ビシエド
内野手 在籍期間:2016~
キューバ/1989年3月10日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】943試合 打率.288 安打1003 本塁打138 OPS.815
【MLB】483試合 打率.254 安打425 本塁打66 OPS.722
============ 選手紹介 ============
 在籍期間が●年に達し今季より日本人扱いになるが、1軍に居場所がなくなりつつある。
 キューバから亡命後シカゴ・ホワイトソックスでレギュラーを掴んだが、メジャーワースト級の選球眼の悪さが弱点となった。NPBの投手のレベルには適応し、
 
99 オーランド・カリステ
内野手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1992年2月3日生/右投右打
【NPB】47試合 打率.233 安打38 本塁打5 OPS.639
【MLB】31試合 打率.135 安打7 本塁打0 OPS.329
============ 選手紹介 ============
 引き締まった立派な身体をしている。メジャー出場経験があるが、31試合でOPS.329と全く歯が立たなかった。
 今季、ポジションが被るクリスチャン・ロドリゲスが加入。前評判以上に使えそうな雰囲気を出しており、1軍出場枠入りが大ピンチの状況に。
 
219 クリスチャン・ロドリゲス
内野手 在籍期間:2024~
キューバ/2002年3月31日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 今季キューバから加入の若手内野手。俊足・強肩で1軍でもショートを張れる守備力がある。育成登録だが開幕前に支配下登録される可能性があり、開幕スタメンもあり得る。
 あだ名はファーストネームから”ディオール”。
 
94 アレックス・ディカーソン
外野手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1990年5月26日生/左投左打
新加入 WBC2023
【NPB】(新加入)
【MLB】339試合 打率.255 安打230 本塁打40 OPS.785
============ 選手紹介 ============
 かつてパドレスで背番号1を背負っていた元有望株外野手。MLBで通算1000打席以上立ったがレギュラーになれなかった。左打で固め打ちする傾向にあり、過去に4人しか達成していない1試合3ホーマー+2二塁打を記録したことがある。
 マイナー時代から結構有望視されていて、Rookie級で最優秀選手賞を、2Aでは新人王や球宴選出など着実に結果を残してメジャー昇格を果たした。だがマイナー時代にグラウンドのスプリンクラーヘッドを踏んづけて重傷を負ったり、腰と背中の手術から回復途上にヒジを故障し(野手なのに)トミー・ジョン手術を受けたりと大きめの故障離脱を繰り返し、メジャー定着の機会を失った。
 メジャーでは左右別の打撃成績はそれほど開きは無いが、トミー・ジョン明けの2019年以降は左腕に弱いイメージが先行してしまい左腕相手にあまり打席に立たせてもらえなかった。
 また、ドラゴンズは前年アキーノが大吾さんだったせいで、レフトの新外国人選手に警戒心がついてしまっている。
 
220 カルロス・モニエル
外野手 在籍期間:2024~
キューバ/2001年4月17日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 キューバ国内リーグで打率3割をマークした若手外野手。入団時のコメントは「将来的には日本でMVPが取れるような選手になりたい」。
 
◇広島東洋カープ
42 トーマス・ハッチ
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1994年9月29日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】39試合4勝4敗0S 防御率4.96 BB/9 4.3 K/9 8
============ 選手紹介 ============
 ゴロ打たせが得意な右投げ投手。2020年からブルージェイズで先発とロングリリーフを務めたがメジャー定着はならずNPB入り。当初、海外系のメディアから日本ハム加入の誤報が流れた。真偽は不明だがエスコンフィールドが北広島市にあるため勘違いしたとの説がある。
 先発ローテ入りを期待されるが、カープは昨季そこそこの成績を残したターリーとアンダーソンを退団させており、求められる基準は高いが果たしてどうなるか?
 メディカルチェックをパスしたから契約したのだと思うが、大学時代にトミー・ジョン手術を受け、2021年には右ヒジの炎症で60日負傷者リスト入りを経験しており不安が付きまとう。
 
68 テイラー・ハーン
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1994年8月30日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】101試合12勝15敗1S 防御率5.35 BB/9 4.1 K/9 8.6
============ 選手紹介 ============
 デイゲームに強い男テイラー・ハーン。やや低めの角度から150~155km/hの速球で攻めるピッチングに期待が高まっている。テキサス州の故郷の町では英雄的存在として崇め奉られ、母校の高校では背番号21が永久欠番に。
 
98 ロバート・コルニエル
投手 在籍期間:2020~
ドミニカ共和国/1995年6月23日生/右投右打
160km/h
【NPB】70試合2勝6敗0S 防御率4.24 BB/9 3.8 K/9 9.2
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 カープアカデミー出身のパワーピッチャー。2022年6月に165km/hを投げ、大谷翔平と並んで日本球界最速(※2ヶ月後にチエゴ・ビエイラが166km/hを計時)の球速を記録した。リリーバーとして1軍デビューしているが、23年から先発に転向している。
 
10 マット・レイノルズ
内野手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1990年12月3日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】225試合 打率.230 安打109 本塁打7 OPS.627
============ 選手紹介 ============
 ホームランより二塁打を多く打つタイプ。
 
95 ジェイク・シャイナー
内野手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1995年8月13日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 メジャー経験はないが1億2000万円と破格の年俸をゲット。
 
◇東京ヤクルトスワローズ
37 エルビン・ロドリゲス
投手 在籍期間:2023~
ドミニカ共和国/1998年3月31日生/右投右打
【NPB】7試合1勝5敗0S 防御率4.09 BB/9 3.5 K/9 6.3
【MLB】8試合0勝4敗0S 防御率9.55 BB/9 4.1 K/9 8.2
============ 選手紹介 ============
 アメリカでもそこそこ有望視されていた元プロスペクト。夢破れて来日する元有望株はこれまで何人もいたが、エルビンは所属チームでまだ挑戦権があるタイミングで、これまでの選手と比べると早めに見切りをつけてNPB入りした。
 
39 ホゼ・エスパーダ
投手 在籍期間:2024~
プエルトリコ/1997年2月22日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 18 K/9 18
============ 選手紹介 ============
 昨季終盤に初のメジャー登板を果たすもオフにノンテンダーFAとなり、日本に活路を見出したプエルトリカン右腕。昨春のWBCでは登板機会はなかったが代替選出に備えた。
 プレイヤーとしてはリリーフ中心だが先発登板も可能。小柄な体格で、今季160km/hに迫るパワー系が多く来日しているがエスパーダは150km/h前半ほどの出力に留まり、そのわりにコマンドに問題を抱えている。
 Yakultファンからはイノアやエスピナルのような微妙な成績に終わるのでは?と不安がられている。それ以前にBLEACHに出てくる十刃(エスパーダ)を真っ先に連想する人の方がたくさんいると思われる。
 
54 サイ・スニード
 
(登録名:サイスニード)
投手 在籍期間:2021~
アメリカ合衆国/1992年10月1日生/右投右打
【NPB】59試合22勝16敗0S 防御率3.56 BB/9 2.3 K/9 7.2
【MLB】26試合0勝4敗0S 防御率5.59 BB/9 3.5 K/9 10.2
============ 選手紹介 ============
 プロ野球史上5人目の”ファーストネームとファミリーネームを繋げた登録名”にした助っ人外国人投手。紳士的な優良外国人との評価が定まりつつある。
 2021年からスワローズの先発ローテで投げ続けている。3年とも防御率3.50前後・WHIP1.2台をマークしており、今季も同様の記録を残すか。
 
99 ミゲル・ヤフレ
 
(登録名:ヤフーレ)
投手 在籍期間:2024~
ベネズエラ/1998年5月1日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】19試合1勝3敗1S 防御率7.58 BB/9 5.4 K/9 6.8
============ 選手紹介 ============
 ニューヨーク・ヤンキースの有望株だった先発右腕。2020年にヤンキースでメジャーデビュー後、ジェームソン・タイオン対4人の若手選手のトレードでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。一緒にトレードされたロアンジー・コントレラスがエース格に成長したのに対し、ヤフレは故障もあってチームを追われ、昨季はメジャーに上がることができなかった。
 球速はメジャー平均(149km/h後半)より遅く、圧倒的な球種は無いが4種類の変化球を低めのコーナーに投げ分けるピッチングが身上。
 ちなみに、長いメジャーリーグの歴史で背番号89は着用されていなかったが、ヤフレがヤンキース時代に割り当てられたのが89番。2020年にメジャーデビューしたことでメジャーリーグでは0から99番すべての背番号が使われたことになった。

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13 ホゼ・オスーナ
 
(登録名:オスナ)
内野手 在籍期間:2021~
ベネズエラ/1992年12月12日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】392試合 打率.261 安打383 本塁打56 OPS.731
【MLB】276試合 打率.241 安打159 本塁打24 OPS.710
============ 選手紹介 ============
 助っ人外国人らしいタイミングの取り方から強い打球を飛ばすベネズエラ人内野手。得点圏に非常に強く、数字以上に打っている印象がある。ファーストの守備範囲は狭いが意外とうまく、試合終盤までベンチに下げる必要がない。相手選手のデータを熱心に研究していたり、平凡な当たりでも全力疾走したりチームに好影響をもたらす選手であり、通算OPSが.750を下回っていても契約延長してもらえるのも納得だ。
 
25 ドミンゴ・サンタナ
外野手 在籍期間:2021~
ドミニカ共和国/1992年8月5日生/右投右打
【NPB】312試合 打率.292 安打300 本塁打52 OPS.867
【MLB】516試合 打率.255 安打428 本塁打77 OPS.788
============ 選手紹介 ============
 2017年にブリュワーズで打率.278・30本塁打・OPS.875を記録したホームランヒッター。メジャーの中でも上位レベルのパワーを持っていたが守備力が壊滅的で、ヒジのケガでメジャーリーガーの地位を失っていた。2020年オフにヤクルトが獲得したニュースが流れた際、大物獲得にファンは歓喜した。今季オスナとともに4年目を迎え、村上の強力なサポート役を務める。

▼クリフ・ペニントンレイエス氏の”【MLB】凡フライにしか見えないドミンゴ・サンタナの変態逆方向ホームラン集”
 
◇横浜DeNAベイスターズ
49 J.B.ウェンデルケン
投手 在籍期間:2023~
アメリカ合衆国/1993年3月24日生/右投右打
【NPB】61試合2勝2敗3S 防御率1.66 BB/9 3.3 K/9 8.0
【MLB】144試合10勝6敗2S 防御率4.00 BB/9 3.9 K/9 8.5
============ 選手紹介 ============
 リリーバーとして好成績を残したことで昨オフに日米球団の間で争奪戦が繰り広げられたが、横浜DeNAに残留することに決定。再来日の際にサングラスを掛けた見た目がくまだまさし激似で、インスタをフォローし合う一連の流れが話題になった。
 
62 ローワン・ウィック
投手 在籍期間:2024~
カナダ/1992年11月9日生/右投左打
新加入 WBC2017
【NPB】(新加入)
【MLB】146試合6勝10敗20S 防御率3.82 BB/9 4.1 K/9 9.9
============ 選手紹介 ============
 元シカゴ・カブスのリリーフ投手。一時はセットアップマンを任され、メジャー通算●試合に登板した。カナダ人。2023年のWBC代表に選ばれている。
 
69 アンソニー・ケイ
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1995年3月21日生/左投左打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】44試合4勝2敗0S 防御率5.59 BB/9 5 K/9 9.3
============ 選手紹介 ============
 何年か前までは白いメガネがトレードマークだった
 
42 アンドレ・ジャクソン
投手 在籍期間:2024~
アメリカ合衆国/1996年5月1日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】26試合1勝4敗4S 防御率4.25 BB/9 3.5 K/9 8.3
============ 選手紹介 ============
 昨季までのべ3年メジャーでプレーしたパワーピッチャー。ファストボールは先発で投げても常時150km/h超を計時する。
 陽気な性格で来日時はもじゃもじゃ頭が話題になったが、グラウンドでも日本で活躍できそうな予感が漂っている。
 
107 ハンセル・マルセリーノ
投手 在籍期間:2022~
ドミニカ共和国/2002年6月16日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 2022年から横浜DeNAに育成入団したリリーフ右腕。ドミニカ共和国出身。来日時より身長が数センチ伸びた。
 コントロールに不安を抱え、派遣されたBCリーグでは与四球を連発したが二軍では好成績を残した。今季は1軍の宜野湾キャンプに帯同しており、公式戦で1軍デビューの可能性も。
 
109 ジョフレック・ディアス
投手 在籍期間:2020~
ベネズエラ/1999年6月10日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 健康時には150km/h中盤の速球を投げられるパワー系ベネズエラ人左腕。2020年から育成選手として来日し、二軍や派遣先のBCリーグで経験を積んできた。
 2022年は支配下入りが有力視された矢先にヒジの靭帯を負傷し、トミー・ジョン手術の憂き目に遭った。幸いにも順調に回復、昨季中に復帰登板を果たした。
 2024年は今度こそ念願の支配下&1軍登板が期待される。
 
3 タイラー・オースティン
外野手 在籍期間:2020~
アメリカ合衆国/1991年9月6日生/右投右打
【NPB】232試合 打率.288 安打199 本塁打49 OPS.958
【MLB】209試合 打率.219 安打114 本塁打33 OPS.743
============ 選手紹介 ============
 元ヤンキースのプロスペクトも日本に来て早5年。持ち味の強打を発揮し、チームのペナント奪還に欠かせない戦力になった。
 ヤンキース傘下の3A時代はファーストのレギュラー候補と期待されていたが、実父がメジャー入りを競っていたグレッグ・バードを批判するツイートを連発してしまい、自身の成績下降と相まって居場所を失うという気の毒な経験をしている。
 
105 ウィルニー・モロン
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2000年12月28日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 アレクサンダー・マルティネスとともにドミニカ共和国から連れてこられた育成投手。昨季までドミニカン・サマーリーグのコロラド・ロッキーズ傘下のチームで4年間プレーしたが渡米することはなかった。
 
110 アレクサンダー・マルティネス
投手 在籍期間:2024~
ドミニカ共和国/2002年12月30日生/右投右打
新加入
【NPB】(新加入)
【MLB】メジャー経験なし
============ 選手紹介 ============
 今季ドミニカ共和国でのトライアウトで選抜して連れてきた育成投手。ルーキー級のドミニカン・サマーリーグのほかウィンターリーグへの出場歴がなく謎に包まれている。一緒に契約したモロンより若く身長198cmとカタログ面で勝り、名前のカッコよさもファンからは期待感を持って受け入れられている。
 

中日ドラゴンズ 歴代助っ人外国人②(1999年以前)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Chunichi Dragons
中日ドラゴンズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑1999年以前
【1990年代までに在籍した外国人選手】
【1980年代までに在籍した外国人選手】
【1970年代までに在籍した外国人選手】
【1969年以前に在籍した外国人選手】
◇1990年代までに在籍した外国人選手
宣銅烈(ソン・ドンヨル)
投手 大韓民国/在籍:1996~99
大物 大活躍
 KBOで圧倒的な実績を残した韓国球界最高のプレーヤー。韓国の至宝と呼ばれ、150km/h台のファストボールと縦横2種類の高速スライダーは威力と制球力を兼ね備えるハイレベルなものだった。
 更なる高みを目指して日本球界に挑戦した宣は、1年目は気負いすぎな面が災いして2軍落ちを経験する不本意なシーズンとなったが、2年目からはクローザーとしてドラゴンズに大きく貢献した。
 4年目の1999年に現役を引退してからは指導者の道に進み、複数のKBO球団の監督のほか国際大会の投手コーチを歴任している。

李尚勲(イ・サンフン) (登録名:サムソン・リー)
投手 大韓民国/在籍:1998~99
 金髪ロン毛をトレードマークにしていた自信家の韓国人左腕。ファストボールの威力に定評があり、気迫を前面に出すピッチングが持ち味だった。
 LGツインズで先発、抑え両方で活躍したサムソンはメジャー移籍をぶち上げたが揉めてしまい、いったん日本で結果を残してから再挑戦することに。宣銅烈が在籍していたドラゴンズに合流し、来日2年目にリリーフに固定されるとセットアッパーとして活躍。その流れでシーズンオフにメジャー球団との契約に成功した。
 ”サムソン”は旧約聖書に出てくる長髪の人が由来で、韓国のメディアからそう呼ばれていた。

ネルソン・リリアーノ
内野手 ドミニカ共和国/在籍:1999
 ドラゴンズファンでも覚えている人はほとんどいない元メジャーリーガー。シーズン途中に来日し1試合だけ出場した。
 MLBではセカンドを中心に内野全ポジションを守れる貴重なスイッチヒッターとして10年以上メジャーに在籍、通算823試合に出場した。ドラゴンズと契約したのは、35歳を迎えどこからもメジャー契約を得られなかったのがきっかけだった。
 当時ベンチには守備に定評がある久慈照嘉と渡辺博幸が控えており、リリアーノの出場機会はたった1試合。この年限りで現役を退き、何のために獲得したのか謎のベンチワークであった。

ケビン・ジャービス
投手 アメリカ合衆国/在籍:1998
 比較的安定感のある投球で試合を壊さない先発右腕。1998年にドラゴンズ入り。開幕直後に何試合か登板したもののシーズン途中にサムソン・リーが加入。宣銅烈とサムソンで外国人投手枠が埋まり、2軍に塩漬けにされてしまった。
 帰国後は即メジャーに復帰。2001年にはサンディエゴ・パドレスの先発ローテを1年間守り、リーグワーストの被本塁打を浴びながらも12勝11敗・193投球回をマーク。通算でメジャー10球団に所属。意外と長く生き残った。

アロンゾ・パウエル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1992~97 (阪神98)
期待以上 優良助っ人
 5年連続打率3割超え、3年連続首位打者の当たり外国人。アメリカではシングルAより上になかなか上がれず、マイナー球団を転々とする身だった。
 得点圏に弱い・ヒザに爆弾といった弱点があったものの、優れたヒッティング能力を存分に発揮。打撃力と人間性を兼ね備える優良助っ人というドラゴンズの伝統芸能(?)を継いだ。

ジミー・ウィリアムズ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1997
 トリプルAで8年プレーするもメジャーに上がれなかった先発兼リリーフ投手。前年に入団した宣銅烈と競わせるために獲得した。
 身長2m・体重100kgのスペックを持っていたが開幕を二軍で迎えると、0勝7敗と一軍に上がれる気配がないままシーズンを終えた。

郭源治
投手 台湾/在籍:1981~96
大活躍 期待以上 日本に帰化
 ドラゴンズを語るうえでは欠かせない台湾人投手。原住民族のアミ族出身で、早くから目を付けていたドラゴンズは兵役終了を待たずに郭を入団させた。
 キャリア前半は先発で投げていたが、1987年に落合博満とのトレードで牛島和彦が去ると空席となったクローザーに転向。獅子奮迅の活躍を見せた翌年、当時日本記録の44セーブポイントを挙げてセ・リーグMVPを受賞した。
 その後はチーム事情に合わせて先発とクローザー両方をこなした。1989年には熟慮を重ねて日本に帰化。これは自身が外国人枠から外れればチーム強化に繋がると考えたためだと語っている。

ダーネル・コールズ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1996 (阪神97)
 ナゴヤ球場最終年にドラゴンズに加入したメジャーリーガー。来日1年目にして29本塁打・打率.301の好成績を残したが、柵越えギリギリのホームランが多く、サードの守備では足を引っ張った。広いナゴヤドームに適応できるか攻守両面で疑問符を付けられ、予想外にドラゴンズを解雇された。
 翌年は阪神タイガースでプレーするも63試合出場にとどまり解雇。”神のお告げ”で空席になっていた助っ人スラッガーの役目を果たせなかった。
 ちなみに書籍”マネーボール”の冒頭にダーネル・コールズの名前が出てくる。ドラフト上位候補の高校生を集めて短距離走をする場面があり、ビリー・ビーンが足の速そうな黒人選手たちを差し置いてぶっちぎりで制する。このとき一緒に走った黒人選手の1人がコールズだった。

リッチ・モンテレオーネ (登録名:モンテ)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1995
 メジャーではリリーフ専任で投げていたのにドラゴンズでは先発で起用された軟投派投手。防御率6点台に終始し、1年持たず夏場に解雇された。

メル・ホール
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1995 (ロッテ93~94)
大物 問題児
 NPBに留まらず歴代のメジャーリーガー全体を見渡してもワーストレベルの問題児。メジャー通算13年で134本塁打の実績を引っ提げ来日。ロッテと中日に在籍して球史に残るトラブルメーカーぶりを発揮した。ドラゴンズでは首位打者のアロンゾ・パウエルに対して高圧的な態度を取ったり、チームの士気を下げ高木監督をシーズン途中で休養に追い込んだ。
 メジャー時代は若き頃のバーニー・ウィリアムズを泣かせていたなど、日本以上にトラブルを起こしてきた。引退後は性犯罪を犯して牢屋に入っている。

ドウェイン・ヘンリー
投手 アメリカ合衆国/在籍:1994
 球は速いがコントロールが悪い、典型的な原石タイプのリリーフ右腕。ドラフト全体2巡目でプロ入りしたようにMLBでも期待されていた。リリーフ専任で数年メジャーで投げるも制球難を克服できずメジャーのイスを追われた。
 ドラゴンズはクローザー候補のつもりで獲得し、日本の野球に慣れてきてからセーブシチュエーションで投げさせようとしていた。が、勝ちパターンで使うと委縮するタイプであることが判明したり、ある試合で1イニングに4四球を出したり次第に失望されるようになっていった。
 ドラゴンズを1年で退団し、その後はメジャーに返り咲いたり台湾でクローザーになったりしていた。

ディオン・ジェームズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1994
 同時期に来日したヘンリーともども1年で解雇された左打ちの外野手。ヘンリーと同じ1980年のドラフトでプロ入り、こちらは1巡目指名の有望株だった。
 ほぼレギュラーで出場したドラゴンズでの成績は打率.263・8本塁打。長打力不足を理由に解雇されたが、ジェームズの打撃スタイルはアメリカ時代から広角に打球を散らすラインドライブヒッター。明らかにフロントの人選ミスであり、当時は異国選手のスカウティングがいかにお粗末だったかが分かる。

ブルック・ジャコビーJr.
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1993
大物
 メジャーで10年以上プレーした実績充分の元メジャーリーガー。キャリアハイは1987年、打率.300・32本塁打・OPS.928をマークしている。
 ドラゴンズでは極度の打撃不振とケガで離脱、5月に退団とあっという間にいなくなった。

マット・ステアーズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1993
 母国のMLB球団モントリオール・エクスポズでプレーしていたカナダ人外野手。メジャーデビューしてからもトリプルA暮らしが多かったところをジャコビーの代役として連れて来られた。
 日本では打率.250・6本塁打に終わったが、メジャーに戻ると打撃開眼。いわゆるジャーニーマンとなり、当時最多のメジャー12球団を渡り歩き、最終的に43歳までプレーする息の長い選手となった。守れなくなってから貴重な代打として使われ、MLB歴代トップの代打本塁打数23本の記録を作っている。

スコット・アンダーソン
投手 アメリカ合衆国/在籍:1991~92
 トリプルAでローテを張っていた先発右腕。195cmの長身から投げ下ろすファストボールが武器で、時折サイドスローで投げることもあった。
 ドラゴンズでも2年間しっかり先発ローテで投げていたが、2年目に14敗(9勝)を喫して解雇された。

マーク・ライアル
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1991~92
 バンスローが契約途中でいなくなったため急遽獲得したクリーンナップ候補。入団1年目は勝負強い打撃でチーム内では落合博満に次ぐ打撃成績を残した。翌年はシーズン序盤の故障離脱から復帰することなく解雇。代役のアロンゾ・パウエルが予想以上に活躍したおかげで、ライアルの名は完全に忘れ去られた。
 そこから約20年が経ち、息子のラスティ・ライアルも日本球界にプレーの場を求め、巨人で1年プレーした。

スコット・サービス (登録名:デビッド)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1991
 スコット・サービスという名前だが、ドラゴンズでは同期入団のスコット・アンダーソンがいたことや、得点をサービスみたいな見出しをスポーツ紙に書かれることを恐れ、ミドルネームのデビッドを登録名にした。
 日本では1試合登板に終わったが、帰国後リリーフとしてメジャー定着を果たしている。

陳義信 (登録名:義信)
投手 台湾/在籍:1989~90
 台湾出身。本名は陳義信だがヤジ対策のため登録名を義信(ヨシノブ)にされた。

バンス・ロー (登録名:バンスロー)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
大物
 MLBのオールスターに出場経験のある元大物メジャーリーガー。日本でもいきなり打率.313・29本塁打と期待に違わぬ成績を残したが、文化の違いに苦しみこの年限りで退団した。
 なお本名は”バンス・ロー”。近鉄バファローズでプレーしたテリーリー以来2人目のフルネームを登録名にした外国人選手である。のちにタイゲイニー、マットホワイト、サイスニードが続いている。

▼ホワイトソックス時代にブレイクしたバンス・ロー。メガネをかけていた
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ベニー・ディステファーノ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1990
 成績は期待ハズレだったが乱闘要員として記憶に残った元メジャーリーガー。武闘派で鳴らした第1次星野軍団の中でも特に優れた戦闘能力を持っていた。
 守備位置は外野手がメインだったがファーストも守れ、左投げながらメジャーの公式戦でキャッチャーとして出場したことがある。

◇1980年代までに在籍した外国人選手
ジョージ・ヒンショウ (登録名:ジョージ)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1989
 「貧小」などと陰口を叩かれるのを防ぐためジョージと登録された外野手。来日前までにモッカ、ゲーリーと優良外国人が続いたことで過剰な期待を強いられ、そこそこ打ったのに1年で解雇された。

ゲーリー・レーシッチ (登録名:ゲーリー)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1986~88
期待以上
 ドラゴンズ屈指の優良外国人ケン・モッカの後釜に獲得した、こちらも成績・人格両方優れた助っ人選手。
 モッカの穴埋めは無理だと思われていたが、3年間在籍して勝るとも劣らない打撃成績を残した。
 ちなみに、近鉄でホームラン王になったラルフ・ブライアントが中日を出た途端に大活躍した事実は語り草となっているが、当時は2人しか1軍の外国人枠が無く、このゲーリーと郭源治を外すのは不可能だったからである。

ラルフ・ブライアント
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1988 (近鉄88~95)
 ドラゴンズを退団後、近鉄バファローズの主砲になったスラッガー。その活躍ぶりは後年に中日の失態として語り継がれるようになったが、当時は外国人枠が埋まっており仕方がなかった。

ボビー・カスティーヨ
投手 アメリカ合衆国/在籍:1987
問題児
 スクリューボールの使い手で鳴らした元本格派先発右腕。MLBでは先発で250イニングを投げ13勝したシーズンがある。
 当時の外国人枠は最大3人かつ1軍登録2人で、カスティーヨは郭源治、ゲーリーの保険だった。ファームで活躍するも1軍での出場機会は2試合しかなく、2試合目の登板後にはスパイクに火を付けるボヤ騒ぎを起こし、悪い方の記憶に残る助っ人外国人となってしまった。

ケン・モッカ
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1982~85
大活躍 優良助っ人
 ドラゴンズに4年間在籍して打率.304・82本塁打をマークしたドラゴンズ史上指折りの優良外国人。長打も打てる広角打法で主軸を担い、プレー以外では人格者として選手とフロントどちらからも信頼を置かれる選手だった。退団時は外国人選手には異例の引退試合と胴上げが行われた。

チャーリー・スパイクス (登録名:チャーリー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 広岡達朗氏が認めた期待の長距離砲だったが、日本の配球に翻弄されて2軍でも苦戦した。
 ルイジアナ州出身の彼の英語には独特の南部訛りがあり、通訳やコーチのジム・マーシャルでも聞き取れないことがあったらしい。

レイ・コージー (登録名:コージ)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1981
 メジャーでの実績はほぼないが、マーシャルの推薦で獲得が決まった外野手。ドナルド・レイ・コージーという名前だが、”コージ”と登録されたせいでカープの山本浩二と比較されてしまう。
 実績通り(?)目立った活躍はできず、本人は契約延長を希望したものの、そもそも入団した経緯に疑惑(マーシャルが自身のマネジメントをさせる目的で獲得を進言した疑惑)が浮上して契約更新は見送られた。

ウェイン・ギャレット
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1979~80
大物
 広島カープで活躍したエイドリアン・ギャレットの弟。兄よりメジャーでの実績があったため、入団時には大きな期待をかけられた。
 一本足打法に近い変則的な打撃フォームが特徴的で、20本塁打を放ったが来日前の期待値が高すぎたのは不運だった。また記録よりも、柵越えを放ったのに一塁ランナーを追い越してアウトになる珍プレーで名を残した。

ボビー・ジョーンズ
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1979~80
 大洋ホエールズに移籍したマーチンの穴埋めのため、ギャレットとともに来日した外野手。打率は2割8分台もキープしていたが期待されたパワーを持ち合わせておらず(ロクに調べずに契約したチームが悪い)、2年で退団となった。
 引退後は帰国して名コーチとして長く活躍。複数のメジャー球団を渡り歩き、2016年に現場を退く際には球団からサプライズのセレモニーをしてもらった。

◇1970年代までに在籍した外国人選手
フレッド・クハウルア (登録名:フレッド)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1978
 元大関の高見山の従兄弟として話題になったハワイ出身投手。

ジーン・マーチン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1974~78 (大洋79)
大活躍 期待以上
 一番最初に作られた燃えよ!ドラゴンズの歌詞に出てくる”4番マーチンホームラン”の人。メジャー経験はほぼなかったがドラゴンズ在籍5年の間に161本塁打を放った。
 打者として充実したキャリアだったが、途中、デービスから執拗なイジメを受けた辛い時期を過ごした。

ウィリー・デービス
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1977
大物 問題児
 プロ野球の歴代助っ人問題児ランキングがあればトップ3に入るであろう元大物メジャーリーガー。彼の奇行エピソードは枚挙にいとまがない。
 10代の頃から抜群の運動神経を誇り、短距離走でオリンピックを目指していたところをドジャースのスカウトに見出された。その後メジャーに上がってからはオールスター2度、ゴールドグラブ賞3度の素晴らしい実績を残すが、公私両面で数え切れないほどトラブルを起こし、終いには契約問題で揉めてメジャー球団から締め出された。
 ドラゴンズに来てからは72試合で25本塁打と格の違いを見せていたが、公式戦の守備中に手首を骨折。彼が離脱した途端にチームが息を吹き返したためそのまま解雇となった。来日時のトラブルだと・宿舎の風呂の栓を無断で抜く ・早朝から南無妙法蓮華経を大声で唱える(※メジャー時代に創価学会員になっている) ・メジャーの実績に乏しいマーチンを苛める、あたりが有名。引退後も両親を恐喝して逮捕されるなど内面が変わることはなかった。

▼モントリオール・エクスポズ時代のデービス
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ロン・ウッズ (登録名:ローン)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1975~76
 ロン・ウッズという名前だがなぜか登録名がローンになったアフリカ系アメリカ人。いわゆる”マネーボール”以前は過小評価されがちの、選球眼に長けたリードオフタイプの選手だった。俊足を活かした外野守備と強肩でダイヤモンドグラブ賞を獲得するも、2年目に手首を痛めてオフを待たずに退団した。

ジミー・ウィリアムズ (登録名:ウィリアム)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1973~74
 メジャー経験は無かったが、ウォーリー与那嶺と近藤貞雄が直接視察して獲ってきたスイッチヒッター。1973年に同じアフリカ系アメリカ人のテーラーと同期入団し、同じくホームランバッターでないのに4番を任され不振に陥った。テーラーと違って2年目も契約してもらえたが利き手側の肩を脱臼、これが致命傷となりクビになった。

ボビー・テイラー (登録名:テーラー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1973 (阪神74)
 ホームランバッターじゃないのに大きいのを狙って調子を崩してしまったアフリカ系アメリカ人。
 トリプルAでは毎年打率3割超え・ホームラン1ケタ台を残すアベレージヒッターだった。1973年に来日するとドラゴンズでは開幕から3番打者を任され、プレースタイルに合わない長打狙いのスイングで凡退を積み上げた。1年で解雇されるとなぜか阪神に拾われ、ドラゴンズ時代よりかは大分マシな成績を残した。

ジョン・ミラー
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1970~72
問題児
 打撃センスはメジャーレベルだが札付きの問題児だった元有望株。まだ25歳、ヤンキースのトリプルAで活躍していたが、乱闘や審判への暴言を繰り返し、球団から愛想をつかされ来日した。
 日本に来ても公私両面で彼らしさがブレることはなかった。審判への執拗な抗議は相変わらずで、味方選手と関わりを持つつもりもなくチームの士気を下げた。ただ長所の打撃はこちらもアメリカ時代と同じように長打を量産。在籍した3年間は毎年チームトップのホームランを記録し、計79本塁打を放った。もう少し真面目だったら優良助っ人として名を刻んでいたはずだ。
 なお、MLBでは初打席でホームランを打っただけでなく、キャリア最後の打席もホームランで締めた、レアな記録を持っている。

バートン・シャーリー (登録名:バート)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1971~72
 珍しい守備特化型の助っ人外国人。打撃に難があることを承知で獲得した。日本でも打率は2割を切る有様だったがショートの守備は素晴らしく、1972年から新設されたダイヤモンドグラブ賞(ゴールデングラブ賞の前身)を受賞した。ただしこの年限りでユニフォームを脱いでいる。
 バートン・シャーリーが本名だが登録名は”バート”。同じ年に来日したジョン・ミラーと違って人望があり、引退後はドラゴンズのコーチを務めた。

ジム・バビエリ (登録名:バビー)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1970
 ドジャースでメジャー定着に至らず日本に活躍の場を求めた元外野手。巨人の連覇を阻止すべく燃えていた当時のドラゴンズで、巨人との開幕戦で満塁ホームランを放ちファンを沸かせた。そこまでは良かったがその後調子を崩し打率.188に終わった。

◇1969年以前に在籍した外国人選手
スティーブン・フォックス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1969
 助っ人というより挑戦者の立ち位置だった選手。アメリカではシングルAより上に昇格できず、チャンスを求めてドラゴンズの入団テストを受けた。
 NPBでは5本塁打・打率.222と結果を残せずクビになった。

ジェイ・ウォード (登録名:ワード)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1966
 メジャー経験があったがAAA暮らしが長い経歴の元三塁手。スチーブンスとともに来日し、ともに1年で帰国した。

ジーン・スチーブンス (登録名:スチブンス)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1966
 晩年に日本にやってきた元外野手。当時としては高い190cmの高身長だった。助っ人外国人には珍しい人格者タイプだったそうだ。
 MLBでもレギュラーを張れる実力があったと言われているが、所属したレッドソックスの外野陣は強者揃いで、特に本職のレフトにテッド・ウィリアムズがいた。ウィリアムズが朝鮮戦争出兵時に代役を務めたため、現地では”ウィリアムズのキャディ”と呼ばれた。それでも短い期間で爪痕を残し、1953年にチームが大量得点した試合で1イニング3安打のメジャー初の記録を残した。

ポール・フォイタック (登録名:ホイタック)
投手 アメリカ合衆国/在籍:1965
大物
 中日ドラゴンズになってからは初の外国人投手。ドイツ系アメリカ人。スペルは Foytack だがホイタックと登録された。
 1950年代にデトロイト・タイガースで先発ローテーションを張っていた大物メジャーリーガーだった。日本に来たのが現役最終盤だったため結果は残せなかったが、当時監督だった近藤貞雄にピッチャーの分業制を伝授した。

ジム・マーシャル
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1963~65
大活躍 優良助っ人
 NPBで初めて現役メジャーリーガーの身分で来日した選手。マーシャル以前のメジャー経験者たちは引退していたり、ロースターから外れた状態で契約した選手に過ぎなかった。
 ドラゴンズに3年在籍して計78本、いずれの年もオールスターに選出された。性格的にも温厚で選手たちとの関係も良好だったと言われている。グラウンド内外でこれまでの助っ人外国人と一線を画す選手だったようだ。
 現役引退後はコーチとしてドラゴンズに請われ、ケン・モッカを紹介するというファインプレーを繰り出した。

ケン・アスプロモンテ (登録名:アスプロ)
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1964~65
問題児
 華のあるショートの守備がウリだったイタリア系アメリカ人。名前が長いので縮めた登録名になった。弟のボブ・アスプロモンテも後に来日し広島カープのコーチを務めた。
 本人は温厚な性格だったそうだが、ある試合で大暴れした印象が強すぎて問題児のような紹介のされ方をしている。騒動のあとで監督への謝罪&罰金で手打ちしたが、これはNPBで初めて罰金を払った外国人第1号と言われている。
 引退後は現役時代にコルト45sでプレーした縁でヒューストンに戻り、会社員を経て実業家として成功した。

ビリー・クラウス
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1963
 メジャー通算821試合出場、一時期メジャー球団でレギュラーを張っていたことがある遊撃手。ドラゴンズでは本職でないサードをよく守ったが打撃で衰えを隠せず、3ホーマーに終わった。

ボブ・ニーマン
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1963
大物
 MLB通算125本、来日前年までメジャーの試合に出ていたドイツ系アメリカ人選手。1963年に来日し打率.301・OPS.845を残したが、同僚になったクラウスとは反対に守備で足を引っ張り、1年限りで退団→現役引退となった。
 メジャーでは初打席から2打席続けてホームランを打った唯一の選手として名前が残っている。

与那嶺要
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1961~62 (巨人51~60)
日系人
 ウォーリー与那嶺の愛称で親しまれた元祖・日系人プレイヤー。ハワイで沖縄出身の父と日本人の母の間に生まれた。全盛期は巨人で活躍。晩年に在籍したドラゴンズではコーチ兼任だったこともあって実績は残せなかったが、1970年代にNPB初の外国人監督に就任。1974年には巨人の10連覇を阻止する貴重なリーグ優勝を成し遂げた。
 プライベートでは息子(ポール与那嶺氏)を日本IBMの社長を務める人物に育て上げた。

ドン・ニューカム (登録名:ニューク)
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1962
大物
 ドラゴンズの元助っ人であることより、ジャッキー・ロビンソンに次ぐ大物黒人メジャーリーガーだったことや、初代サイ・ヤング賞受賞者であることの方がよく知られている。
 ロビンソンに少し遅れて1949年にメジャーデビューしたが、この年ロビンソンのほかラリー・ドビーやロイ・キャンパネラとともに黒人選手初のオールスターに選出されている。ニューカム自身は新人王を獲得し、その後はナ・リーグMVPやサイ・ヤング賞、最多勝と輝かしい受賞歴を誇る。打撃も優れていて登板しない日は代打で出場していた。
 MLB引退後に地元で酒屋をしていたところにドラゴンズからオファーが届き、もう投げるのは無理だと断ると外野手でもと引かず、押しに負けて日本へ行くことになった。いくら実績充分の元オールスター経験者と言えどブランクはデカく、前評判を下回る成績に終わった。また、球団側は契約延長を考えていたが、ドビー同様日本を見下した態度は変わりそうになく、結局1年で退団となった。

左から2人目がニューカム
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ラリー・ドビー
外野手 アメリカ合衆国/在籍:1962
大物
 ニューカムと同じくNPBにいたことよりジャッキー・ロビンソンに次ぐ大物黒人メジャーリーガーとして有名。オールスター7度選出、ホームラン王2度、1998年にMLB殿堂入りした正真正銘のレジェンドである。
 ニューカムと同じく引退後しばらくしてから来日しているため全盛期には程遠く、10本塁打を放つも平凡な成績に終わり1年で退団している。

▼プログレッシブ・フィールドの入り口の前にはドビーを称える銅像が立っている。ジャッキー・ロビンソンに次いで2人目、ア・リーグでは初のアフリカ系アメリカ人であるドビーはクリーブランド・ガーディアンズの最も偉大なOBの1人である。
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半田春夫
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1962 (南海58~61)
日系人
 ハワイ出身の日系二世選手。マイナーで3年間プレーしてから1958年に南海ホークスが獲得、その後現役最終年をドラゴンズで過ごした。
 パワーは無いが小技が得意な2番打者タイプ、内野守備も上手くメイクアップに優れていたと言われている。
 引退後はホークスとドラゴンズのコーチを歴任し、故郷に戻ってからも野球を教え続けた。

ハーバート・ノース
投手 アメリカ合衆国/在籍:1936
 日本プロ野球の一番最初の公式戦で勝利投手になったハワイ出身選手。制球難と日本の生活が合わなかったため、春季シーズン終了後に帰国した。

バッキー・ハリス (登録名:バッキー)
捕手 アメリカ合衆国/在籍:1936
 ノース、高橋吉雄とともに名古屋軍創設メンバーの外国人選手。バッキー・ハリスは本名ではなく、MLBの殿堂入りしているレジェンドにあやかって付けられた登録名だった。
 非日系人選手だったがノースと違って日本に溶け込んだ。日米関係の悪化で帰国せざるをえなくなると大変悲しんだと言われている。

高橋吉雄
内野手 アメリカ合衆国/在籍:1936
日系人
 ハワイ出身。愛称は”サム高橋”。1936年に立ち上がった名古屋軍の初期メンバーの1人。翌年以降は第二次世界大戦の前まで、今は無き後楽園イーグルスでプレーした。