中日ドラゴンズ 歴代助っ人外国人①(2000年以降)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Chunichi Dragons
中日ドラゴンズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
212→67→29 ジャリエル・ロドリゲス
投手 在籍期間:2020~23
キューバ/1997年3月10日生/右投右打
WBC2023
【NPB】79試合10勝10敗0S 防御率3.03 BB/9 4.0 K/9 9.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2019年のプレミア12でのピッチングが与田監督の目に留まり、翌年育成で入団。1年目の早い時期に支配下登録されると2年間は先発で投げ、3年目はチーム事情からブルペンに配置転換。ライデルと球界随一の投手リレーを組み、転向初年度から最優秀中継ぎ投手に選ばれた。

 2022年の年末にキューバ政府とドラゴンズの間で2年契約を更新。しかし、翌年3月のWBCでキューバ代表として準決勝をフロリダで戦ったあと、ドミニカ共和国へ亡命。2024年に入ってトロント・ブルージェイズと5年3200万ドルの長期契約をゲットした。

 キューバ独裁政権のもとで働いている野球選手たちは過酷な環境にいることが知られており、夢を追って亡命を選択するキューバ人選手を責め立てることはできない。ただ、ドラゴンズとしては8回を任せる投手がシーズン直前にいなくなり、柳・高橋宏斗・小笠原・涌井の10敗カルテットが生まれる遠因になってしまった。なお、2023年シーズン終了後、キューバ系選手に強い記者の取材に応じ「世界中のどこにいようと自分の心は名古屋にある」と語った。

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42→96 ソイロ・アルモンテ
外野手 在籍期間:2018~20, 23
ドミニカ共和国/1989年6月10日生/右投両打
【NPB】271試合 打率.309 安打287 本塁打32 OPS.838
【MLB】47試合 打率.211 安打30 本塁打2 OPS.523

============ 選手紹介 ============

 長距離砲のつもりで獲得したが、NPBではヒットの延長線上にホームランはあるかのようなミート重視の打撃スタイルで好打率を残した。

 故障が相次ぎ3年を終えて退団したが2023年に立浪監督からの強い要望で再来日した。

212→94→209 ペドロ・レビーラ
内野手 在籍期間:2022~23
キューバ/1999年3月23日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.203 安打13 本塁打1 OPS.509
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグで3割台の打率とホームラン王の実績がある育成内野手。来日2年目の2023年、レギュラーシーズンも大詰めの9月下旬に突然いなくなり、亡命したことが判明した。

 一軍では21試合に出場して打率.203。戦力的にマイナスではなかったが、今後のキューバ政府との関係性には影響大。

205→95→210 ギジェルモ・ガルシア
外野手 在籍期間:2022~23
キューバ/2000年7月1日生/右投左打
【NPB】2試合 打率.111 安打1 本塁打0 OPS.222
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 レビーラと一緒に2022年に来日したキューバ人外野手。2023年のWBCキューバ代表には選ばれなかったがサポートメンバーに登録されていた。育成から支配下になったが一軍で力不足を露呈し、22年終了後に育成契約に逆戻り。翌年ウエスタンリーグでも結果を残せず、育成選手の規定上自由契約になった。

 プレイスタイルはレビーラと似たタイプだったが、高みを求めて亡命に踏み切ったレビーラと違い、ガルシアは優しい性格だがハングリー精神に欠けると言われていた。

9 アリステディス・アキーノ
外野手 在籍期間:2023
ドミニカ共和国/1994年4月22日生/右投右打
【NPB】20試合 打率.154 安打10 本塁打1 OPS.438
【MLB】244試合 打率.211 安打145 本塁打41 OPS.719

============ 選手紹介 ============

 MLBでルーキーイヤーだった2019年、2度目のメジャー昇格を果たすと4試合連続本塁打と1試合3本塁打を放ち、週間MVPに選出。それ以降は弱点を突かれて打てなくなり、2022年にはマイナーが定位置となっていた。

 2022年オフにドラゴンズが120万ドル+出来高で獲得を発表。メジャー通算41本塁打、4割を優に超える長打率をマークしている実績からパワー面で大きな期待を背に来日した。オープン戦とWBC強化試合ではよく打っていたが、開幕後は他球団のファンからも同情されるほど大不振に陥った。

 余談だが、デッドボーラー(=筆者)は大学時代の旧友と定期的に忘年会をやっているのだが、2022年末の忘年会のときに新外国人のアキーノの凄さを力説し、日本での活躍に太鼓判を押した。結果はご存じの通り。ただ、日本独特の配球に苦しむ助っ人も珍しくないので打てないのはまだ仕方がないと思うが、外野守備の方は草野球か?と思うほど酷いレベルだったのはどうにも納得がいかない。

メジャー時代はすごい選手だったんですEmbed from Getty Images

99 ヨハン・タバレス
 
(登録名:タバーレス)
投手 在籍期間:2022 (広島18)
ドミニカ共和国/1994年11月8日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率6.00 BB/9 6.0 K/9 12.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2018年に広島カープにいたドミニカ人投手。カープを解雇されてから日本の独立リーグを転々としていたところをドラゴンズが獲得した。

 (経歴が似ているSBホークスの)藤井のように化けることを期待した、二軍のピッチャーが足りず数合わせ要員だった、など獲得理由には疑問を持たれていて、カープ時代と同じく二軍でも打ち込まれた。

210→57 アリエル・マルティネス
捕手/内野手 在籍期間:2018~22 (日ハム23)
キューバ/1996年5月28日生/右投右打
WBC2023
【NPB】288試合 打率.261 安打213 本塁打27 OPS.765
(中日) 169試合 打率.274 安打118 本塁打12 OPS.767
(日ハム) 119試合 打率.246 安打95 本塁打15 OPS.763
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ出身の捕手兼一塁手。育成で入団後支配下登録された。中日OBのディンゴ以来外国人では20年ぶりにマスクを被り、またルイス・ゴンザレスが登板した時は29年ぶりの外国人バッテリーが実現した。

 ケガが多かったこととファーストのビシエドが盤石だったことでドラゴンズでは出場機会が限られ、2022年オフに自由契約に。翌年から日本ハムに入団すると打撃で活躍するようになった。背番号2をつけた彼の姿は、心なしか以前より伸び伸びとプレーしているように見える。

210 ルーク・ワカマツ
内野手 在籍期間:2021~22
アメリカ合衆国/1996年10月10日生/右投両打
日系人
【NPB】2試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.250
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 シアトル・マリナーズの監督だったドン・ワカマツ氏の息子。日系五世。育成契約で入団した。2年目に支配下契約を勝ち取ったが1軍デビューしてすぐにケガに見舞われ、結局2試合に出ただけで退団となった。

42 ランディ・ロサリオ
投手 在籍期間:2021
ドミニカ共和国/1994年5月18日生/左投左打
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 3.0
【MLB】69試合6勝1敗1S 防御率5.00 BB/9 4.1 K/9 6.6

============ 選手紹介 ============

 カブス時代に44試合に登板したシーズンがあったが、メジャー定着はかなわず来日したリリーフ左腕。来日前に元中日のジョーダン・ノルベルト(アルメンゴ)から事前に学んでやってきた。

 一軍では9試合登板に終わったがチームにしっかりと溶け込み、チームメイト達と東山動植物園に行くなど上手くやっていた。

 契約終了後もNPBでのプレーを希望したがオファーがなく、日本に若干未練を残したままアメリカに帰って行った。

99 マイク・ガーバー
外野手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1992年7月8日生/右投左打
【NPB】12試合 打率.156 安打7 本塁打0 OPS.352
【MLB】30試合 打率.076 安打5 本塁打0 OPS.257

============ 選手紹介 ============

 「マイナー通算91発を誇る」という微妙な触れ込みで来日したパワーヒッター。一応メジャーで30試合の出場経験がある。長い赤ひげと笑顔がチャーミングではあったが、アピールポイントの打撃がさっぱり。年俸5千万円は高い出費となった。

 また、仁村二軍監督がガーバーのバッティングについて「速い球、変化球、インコースの見極め、落ちる球の対応とまだまだひとつずつクリアしていかなければならない」とコメントしたことがファンから失笑を買った。

◇2020年までに在籍した外国人選手
53 ルイス・ゴンザレス
 
(登録名:ゴンサレス)
投手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1992年1月17日生/左投右打
【NPB】28試合0勝0敗0S 防御率4.78 BB/9 3.1 K/9 9.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 登録名が「ゴンサレス」だったドミニカ人サウスポー。ジョエリー・ロドリゲスの穴埋めを期待されて入団したが、登板ごとに抑えたり打ち込まれたりとにかく不安定で、特にビジター球場での成績が悪かった。

 ドラゴンズ退団後はイタリアで野球を続けた時期もあったが、2023年に打者天国のメキシカンリーグで防御率1.69と大健闘。ウィンターリーグでも好成績を残してボルティモア・オリオールズとマイナー契約に漕ぎつけた。遠回りしたがメジャーデビューが現実になろうとしている。

201 サンディ・ブリトー
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1996年7月19日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 線が細いドミニカ人右腕。タンパベイ・レイズと契約するもルーキー級より上に上がれず、育成枠で来日。2年間在籍したが二軍で2年連続で防御率が10点を超え、クビになった。

70 エニー・ロメロ
投手 在籍期間:2019~20 (ロッテ21-22)
ドミニカ共和国/1991年1月24日生/左投右打
WBC2017
【NPB】45試合17勝19敗0S 防御率3.60 BB/9 3.6 K/9 7.1
(中日) 21試合8勝10敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 8.1
(ロッテ) 24試合9勝9敗0S 防御率3.05 BB/9 3.1 K/9 6.3
【MLB】137試合4勝6敗3S 防御率5.12 BB/9 4.6 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 エース級だったオネルキ・ガルシアが退団したため、オフに森繁が連れてきたメジャーリーガー。登録名は”エンニー・ロメロ”。同じ左腕、常時155km/hが出る速球を持ち、MLBではガルシア以上の実績がある選手だったため大いに期待された。

 1年目は8勝10敗と援護が少ない中まあまあな成績も、2年目は肩の故障で登板ゼロのまま解雇。ドラゴンズ退団後の翌シーズン中、千葉ロッテに電撃加入している。

211→45 モイゼス・シエラ
外野手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1988年9月24日生/右投右打
WBC2013
【NPB】25試合 打率.225 安打18 本塁打1 OPS.617
【MLB】207試合 打率.235 安打110 本塁打9 OPS.649

============ 選手紹介 ============

 MLB経験者だが育成契約で入団した俊足巧打の外野手。登録名は『モイセ・シエラ』。支配下登録された際にペドロ・マルティネスが付けていた45番に決まり大いに喜んだが、グラウンドでは結果を残せなかった。ドミニカの実家はペドロの家と近所で顔見知りだったらしい。

 ちなみに大谷選手がエンゼルスにいたときのチームメイトに俊足外野手”M.シエラ”がいた。ドミニカ共和国出身でプレイスタイルも似ているが、こちらはマグネウリス・シエラなので注意。

57 ジョエリー・ロドリゲス
投手 在籍期間:2018~19
ドミニカ共和国/1991年11月14日生/左投左打
期待以上
【NPB】90試合3勝7敗2S 防御率1.85 BB/9 2.9 K/9 10.6
【MLB】168試合5勝9敗1S 防御率4.70 BB/9 4.2 K/9 9.2

============ 選手紹介 ============

 2018年の夏に日本にやってくると、150km/h後半の速球を武器にドラゴンズのリリーフエースとして活躍。その後はメジャーでも勝ち試合に投げる投手に成長し、NPBで結果を残してメジャーへと続く新しい形を作った。

 近年はメジャーで居場所を失いつつあり、再来日の可能性も。

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44 スティーブン・モヤ
外野手 在籍期間:2018~19 (オリックス20-21)
プエルトリコ/1991年8月9日生/右投両打
【NPB】269試合 打率.249 安打218 本塁打39 OPS.709
(中日) 53試合 打率.287 安打33 本塁打4 OPS.751
(オリ) 216試合 打率.243 安打185 本塁打35 OPS.703
【MLB】51試合 打率.250 安打31 本塁打5 OPS.745

============ 選手紹介 ============

 身長2メートルのプエルトリコ産スラッガー。一緒に来日したアルモンテと同じくスイッチヒッター。

 メジャーでも主軸を打てると期待された有望株だったが大成せず、2018年に来日。ドラゴンズでは外国人枠に割って入れず、二軍暮らしが続いたところをオリックスにトレードに出された。

60 ディロン・ジー
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1986年4月28日生/右投右打
【NPB】4試合0勝3敗0S 防御率4.00 BB/9 2.3 K/9 5.3
【MLB】165試合51勝48敗1S 防御率4.09 BB/9 2.8 K/9 6.5

============ 選手紹介 ============

 メッツ時代に2度二桁勝利を挙げている元先発ローテ投手。来日時は31歳だったが既に満身創痍の状態で、日本では4試合しか投げられずにそのまま現役引退した。

Embed from Getty Images丸4年、メッツの先発ローテーションを守り続けたジー。この頃はまだヒゲが無かった

70 オネルキ・ガルシア
投手 在籍期間:2018 (阪神19-20)
キューバ/1989年8月2日生/左投左打
期待以上 WBC2023
【NPB】62試合21勝23敗0S 防御率3.81 BB/9 3.8 K/9 6.8
(中日) 27試合13勝9敗0S 防御率2.99 BB/9 3.9 K/9 7.0
(阪神) 35試合8勝14敗0S 防御率4.58 BB/9 3.8 K/9 6.5
【MLB】5試合0勝1敗0S 防御率13.50 BB/9 11 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 2018年にエース級の活躍をしたキューバ出身左腕。2000年のメルビン・バンチ以来となる来日1年目での2桁勝利(13勝9敗)を挙げ、当たり前のように最下位争いをするチームにおいて救世主のような存在であった。

 シーズンオフに入るとドラゴンズとの契約延長交渉がまとまらず、阪神タイガースに移籍した。

49 エルビス・アラウホ
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1991年7月15日生/右投右打
【NPB】6試合1勝0敗0S 防御率6.48 BB/9 3.2 K/9 6.5
【MLB】72試合4勝2敗0S 防御率4.35 BB/9 5.2 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 クローザー候補で獲得したが6試合登板に終わった巨漢左腕。身長2m・体重120kg超の巨体からメジャー時代には150km/h後半を投げていたデータがあるため期待されていた。だが実際には来日前年に球速低下の兆候があり、日本では速球派とは言い難いピッチングに終始した。年俸は1億5千万円だったという噂がある。

91 ホルヘ・ロンドン
投手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1988年2月16日生/右投右打
160km/h
【NPB】4試合0勝0敗0S 防御率5.79 BB/9 3.9 K/9 7.7
【MLB】13試合0勝1敗0S 防御率13.26 BB/9 5.2 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 160km/hの速球が魅力のベネズエラ人右腕。アメリカでほぼリリーフしか経験がなかったのに先発候補として獲得したと報道され、ファンから不安がられた。

 ドラゴンズを退団後も日本でのでのプレーを希望。BCリーグ福島に入団するもNPBには戻れず、メキシカンリーグに活躍の場を求めている。

44 ラウル・バルデス
投手 在籍期間:2015~17
キューバ/1977年11月27日生/左投左打
期待以上
【NPB】65試合17勝24敗0S 防御率3.49 BB/9 2.7 K/9 6.2
【MLB】103試合7勝7敗2S 防御率5.13 BB/9 3.1 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 バルデスおじさんの愛称で親しまれた苦労人左腕。キューバで生まれ6度の亡命を経て32歳でメジャーデビューしている。

 ドラゴンズに来た時点で38歳だったため期待値は低かったが、3年間先発の表ローテで投げてくれた。3年とも防御率は3点台、WHIPも1.2台と極めて安定した成績を残した。また、近年稀に見るムエンゴっぷりも人気の要因のひとつになった。

 2024年現在もまだ現役を続けている。23年オフのドミニカン・ウィンターリーグでは武者修行中の中日・鵜飼らと同じチームでプレーした。

99 ジョーダン・ノルベルト
 
(登録名:ジョーダン (アルメンゴ))
投手 在籍期間:2016~17 (ヤクルト18)
ドミニカ共和国/1986年12月8日生/左投左打
【NPB】40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
【MLB】78試合4勝3敗1S 防御率4.00 BB/9 5.8 K/9 7.4

============ 選手紹介 ============

 ドラファンからは今でも親近感を持たれている元先発左腕。MLB時代はメジャー定着を期待される有望株であったが大成せず、バイオジェネシス・スキャンダルで出場停止になってからはメジャーに昇格できず、NPBにやってきた。ドラゴンズでは際どいボークの判定に苦しんだが、2年間で200イニング近くを投げてくれた。

 ヤクルトに移籍後、息子に中日のユニフォームを着させたインスタを上げたり、ケガで結局1度も登板しなかったりでヤクルトファンを大いに怒らせた。日本を離れてからも、なぜか中日の元同僚のSNSをチェックしているため、ドラゴンズブルーの血が流れているのではないか?と言われている。

210 レオナルド・ウルヘエス
外野手 在籍期間:2017
キューバ/1993年1月9日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバ国内リーグから派遣された育成選手。入団時にマツ毛が可愛いと言われた以外ファンの記憶に残っていない。

42 アレックス・ゲレーロ
内野手 在籍期間:2017 (巨人18-19)
キューバ/1986年11月20日生/右投右打
期待以上
【NPB】313試合 打率.258 安打269 本塁打71 OPS.857
(中日) 130試合 打率.279 安打131 本塁打35 OPS.896
(巨人) 183試合 打率.240 安打138 本塁打36 OPS.824
【MLB】117試合 打率.224 安打52 本塁打11 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズでホームラン王を獲得した元メジャーリーガー。来日前に3Aの試合で年上選手に耳を嚙みちぎられる(被害者)事件に見舞われ、何か問題があるのでは?と警戒されながら入団した。問題児ではなかったがオフの契約延長交渉は決裂、巨人に移籍した。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューした時には、もう耳をかじられたあとだった

98 レイソン・セプティモ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1985年7月7日生/左投左打
160km/h
【NPB】3試合0勝1敗0S 防御率4.26 BB/9 4.3 K/9 1.4
【MLB】21試合0勝2敗0S 防御率5.02 BB/9 3.8 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 2016年シーズン後半に来日した元MLB左腕。笑顔は魅力的だったが、来日してすぐに球種がバレる癖が発覚、即戦力とはならなかった。

 2008年にマイナーで100マイル(160km/h)を投げた、という真偽不明な事前情報もファンを微妙な気持ちにさせた。

42 ホアン・ハイメ
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1987年8月2日生/右投右打
160km/h
【NPB】1軍出場なし
【MLB】18試合0勝1敗0S 防御率5.93 BB/9 8.6 K/9 12.5

============ 選手紹介 ============

 助っ人外国人でネタ扱いされてしまうケースに、自称160km/hを投げられると豪語して来日するのがある。オリックスのコーディエに次いで典型的な例とされてしまっているのが、元メジャーリーガーのホアン・ハイメ。

 マイナーでも与四球率が悪かったのをドラファンから心配されていたが、日本では1軍に上がることなく退団した。

54 ドリュー・ネイラー
投手 在籍期間:2015~16
オーストラリア/1986年5月31日生/右投右打
WBC2009
【NPB】17試合5勝5敗0S 防御率4.15 BB/9 3.7 K/9 7.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本の独立リーグ経由という外国人では珍しいパターンでNPB入りした先発右腕。オーストラリア人。

 シーズン途中に加入した1年目は先発ローテでそこそこ投げたが、翌年は肩の不調もあって退団した。

 印象に残っているのは来日2試合目に広いナゴヤドームで逆方向にホームランを打ったことと、ボディビルダーの彼女と一緒に来日したがシーズン後に振られた件。

00 アンダーソン・エルナンデス
内野手 在籍期間:2014~16
ドミニカ共和国/1982年10月30日生/右投両打
【NPB】288試合 打率.263 安打266 本塁打21 OPS.694
【MLB】240試合 打率.241 安打155 本塁打4 OPS.614

============ 選手紹介 ============

 MLBで有望株だったが大成せず来日した内野手。ショートを含め内野をすべてこなせるユーティリティ性が強みだったが、アライバを見慣れた中日ファンにとっては危なっかしいものだった。二遊間コンビを組む荒木がやりにくそうにしている姿が印象に残る。

Embed from Getty Imagesメジャーデビューしたメッツではホゼ・レイエスと二遊間コンビを組んだ

60 リカルド・ナニータ
外野手 在籍期間:2015~16
ドミニカ共和国/1981年6月12日生/左投左打
優良助っ人 WBC2013
【NPB】144試合 打率.293 安打139 本塁打8 OPS.731
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームと相性が悪かった中距離ヒッター系外野手。いい感じに捉えた打球の多くが外野フライになってしまい、打者有利な球場であれば戦力になったかもと言われている。

 来日2年目には肉体改造をして臨んだ努力家。人格的にも優れていたと言われ、戦力外になったときはファンから残念がられた。

◇2015年までに在籍した外国人選手
42 アマウリ・リバス
 
(登録名:リーバス)
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1985年12月20日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 最初のオープン戦で初回7失点と炎上したあと肩が痛いと言い出し帰国。夏場に再来日するも2軍で少し投げただけで再び帰国してからは二度と姿を見ることは無かった。

 アメリカではトリプルAまで行ったが、メジャー昇格のチャンスを手にすることはできなかった。

49 ラファエル・ペレス
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1982年5月15日生/左投左打
大物 WBC2009
【NPB】1軍出場なし
【MLB】338試合21勝12敗3S 防御率3.64 BB/9 3.2 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 19歳から野球を始めた異色の元メジャーリーガー。ドラゴンズでは怪我に泣き一度も登板することなく退団したが、MLBではクリーブランド・インディアンスで7年・338試合出場の実績があり、勝ちパターンで登板する年もあった正真正銘のメジャーリーガーだった。

Embed from Getty Imagesドラゴンズでは投げられなかったが、インディアンズ時代は馬車馬のように働いた

205 レアンドロ・メジャ
投手 在籍期間:2014~15
ドミニカ共和国/1990年5月5日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アメリカの独立リーグに所属していたがチームが消滅、ドラゴンズに育成契約で加入したドミニカ人投手。マイナーではシングルA-で防御率13.50、それ以外はRookie級でしか登板実績がない。期待薄の状態で入団し、案の定支配下登録されることなく退団となった。

0 エクトル・ルナ
内野手 在籍期間:2013~15 (広島16)
ドミニカ共和国/1980年2月1日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】413試合 打率.309 安打474 本塁打39 OPS.826
(中日) 346試合 打率.316 安打408 本塁打34 OPS.848
(広島) 67試合 打率.272 安打66 本塁打5 OPS.707
【MLB】339試合 打率.262 安打208 本塁打15 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 顔が石原さとみ似だと話題になった元メジャーリーガー。ヒッティング能力はMLB時代から評価されていて、日本では首位打者争いに絡む高打率を残した。一方で毎年故障離脱があり、4番を任せるには長打力不足(トニ・ブランコの後釜を探していた)を理由に3年で退団となった。

45, 47 ネルソン・パヤーノ
 
(登録名:パヤノ)
投手 在籍期間:2009,14
ドミニカ共和国/1982年11月13日生/左投左打
【NPB】57試合2勝3敗0S 防御率2.30 BB/9 5.4 K/9 10.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズに二度在籍した、150km/h超のフォーシームが持ち味だったリリーフ左腕。一度目は防御率2.08と見かけ上は良かったが制球難でプレッシャーの少ない場面での起用が多く、シーズン後の年俸交渉で500万円の差が埋まらず退団した。

 二度目はメジャーリーガーの夢破れてメキシカンリーグで150km/hを投げていたところを再度契約するも、あっさり四球を出す欠点は解消されず再び1年で退団となった。

60→201 宋相勲
投手 在籍期間:2012~14
大韓民国/1993年2月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 外国人扱いでドラフト指名される珍しいケースで入団した韓国人投手。高校生のときに留学で福井工大福井高に2年生まで在学。ケガの治療のため3年に上がる前に帰国したあと、韓国プロ野球のドラフト指名を受けるも日本でのプレーを希望。ドラゴンズからの隠し玉指名を受け入れて入団した。

 ドラゴンズでは投手の伸びしろは少ないと早々に判断され、野手転向と同時に育成契約に切り替え。その後解雇となった。

70→99 ダニエル・カブレラ
投手 在籍期間:2013~14
ドミニカ共和国/1981年5月28日生/右投右打
大物 問題児 160km/h WBC2006
【NPB】34試合11勝12敗0S 防御率3.49 BB/9 3.5 K/9 7.3
【MLB】162試合48勝65敗1S 防御率5.10 BB/9 5.2 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 MLB通算155先発の実績も、制球と精神面のコントロールに苦しんだ元先発右腕。MLBではルーキーイヤーに12勝8敗を挙げ、高津臣吾に次ぐ新人王投票3位。だが翌年以降は次第に失速し、2013年に来日した。

 ファストボールはメジャーでも有数のものだったが、コントロール、クイックモーション、フィールディング、バントや走塁といった速球以外のものが全て苦手で、頭に血が上りやすい課題もあった。廣済堂出版が毎年出す選手名鑑の2008年版には「100万ドルの速球と10セントのおつむ」と書かれた。

 ドラゴンズでは先発を務め2年在籍。二軍で調整中に食べたチャーハンの虜になり、お店の定休日や営業時間に間に合わなかった日には地団駄を踏んで悔しがった。

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44 アレクシス・ゴメス
外野手 在籍期間:2014
ドミニカ共和国/1978年8月8日生/左投左打
【NPB】12試合 打率.077 安打1 本塁打0 OPS.220
【MLB】89試合 打率.260 安打41 本塁打1 OPS.650

============ 選手紹介 ============

 かつて在籍していたレオ・ゴメスの再来を期待され4番候補として来日した元メジャーリーガー。トニ・ブランコ以上の長打力を持つと噂され、オープン戦で3割を打った。しかしレギュラーシーズンが始まるとまったく打てなくなり、打率.077・本塁打ゼロ。同じ年にタイガースに入ったマウロ・ゴメスが活躍しただけに余計にファンの落胆は大きかった。

65 ワーナー・マドリガル
投手 在籍期間:2013
ドミニカ共和国/1984年3月21日生/右投右打
【NPB】31試合2勝0敗0S 防御率3.23 BB/9 4.2 K/9 6.5
【MLB】44試合0勝2敗1S 防御率6.10 BB/9 4.8 K/9 5

============ 選手紹介 ============

 テキサス・レンジャースで2年出場経験がある元メジャーリーガー。中日では防御率3.23も球威・制球力ともにイマイチな印象があり、1年で解雇となった。

 2024年現在で40歳だがドミニカのウィンターリーグに毎年出場している。

42 ブラッド・バーゲセン
 
(登録名:ブラッドリー)
投手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1985年9月25日生/右投左打
【NPB】14試合2勝2敗0S 防御率3.71 BB/9 2.7 K/9 3.7
【MLB】102試合19勝25敗0S 防御率4.61 BB/9 2.6 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 バーゲンセールを連想させて縁起が悪いためブラッドリーが登録名になった先発右腕。ボルティモア・オリオールズの先発ローテに入っていた元メジャーリーガーで、コントロールに優れる一方で球威が無い特徴があった。

 中日では良くも悪くもない成績。2017年に引退後はマイナーの投手コーチをしている。

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44 ビクトル・ディアス
外野手 在籍期間:2012~13
ドミニカ共和国/1981年12月10日生/右投右打
【NPB】21試合 打率.174 安打4 本塁打0 OPS.443
【MLB】147試合 打率.256 安打114 本塁打24 OPS.796

============ 選手紹介 ============

 広いナゴヤドームを物ともしない4番像をイメージして獲得したがまったく打てなかった。MLBで通算長打率.487、シーズン2桁本塁打をマークしたことがあるが、日本の野球とは合わなかったのだろう。

60 マット・クラーク
内野手 在籍期間:2013 (オリックス16)
アメリカ合衆国/1986年12月10日生/右投左打
【NPB】143試合 打率.234 安打102 本塁打27 OPS.779
(中日) 132試合 打率.238 安打97 本塁打25 OPS.785
(オリ) 11試合 打率.172 安打5 本塁打2 OPS.708
【MLB】16試合 打率.185 安打5 本塁打3 OPS.744

============ 選手紹介 ============

 当たれば飛ぶが三振の山を築くパワーヒッター。中日では規定打席をクリアしてチーム最多の25本塁打も打率.238・130三振(ともにリーグワースト)を記録する粗さが共存した。退団した翌年にミルウォーキー・ブリュワーズでメジャーデビューを果たしている。

 アメリカ生まれだがメキシコ代表の資格を持ち、2019年のプレミア12に出場。2021年のオリンピックにも出場を希望していたが選ばれず、メディアを通じて代表チームに猛抗議した。

49 マキシモ・ネルソン
投手 在籍期間:2008~12
ドミニカ共和国/1982年4月21日生/右投右打
期待以上
【NPB】84試合15勝21敗1S 防御率2.97 BB/9 2.9 K/9 6.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 謎の多い経歴と憎めないキャラクター、銃弾所持、1年だけエース級の活躍・・・。記憶に残るプレイヤーだった野良タイプのドミニカ人投手。来日時点では5年もプレーできると思われていなかった。

 ドミニカ共和国で生まれMLBを目指すも、年齢をごまかすために他人に成りすましていたことがバレてビザが下りず、ようやく渡米したあとも偽装結婚に関与して国外追放処分を受けた。メジャーリーガーの夢が大きく後退し、1年間イスラエルのプロリーグで過ごした。故郷に戻ったネルソンは野球だけで生計を立てるのが難しくなっていたが、農作業中に森繫和と遭遇し、ドラゴンズに連れられることになった。

 ネルソンを語るうえで欠かせないのが2010年春季キャンプ。入国時に銃弾を持ち込んでしまい逮捕され、平和な日本では大きく報道された。それでも2011年は10勝14敗・209回1/3・防御率2.54・WHIP1.05をマーク、エースと呼べるほどの圧巻の成績を残した。翌年は不調で解雇となったが、ファンからは退団を大いに惜しまれた。

70 エンゼルベルト・ソト
投手 在籍期間:2011~12 (DeNA13-14)
ベネズエラ/1982年8月20日生/左投左打
【NPB】74試合11勝6敗1S 防御率3.11 BB/9 3.2 K/9 6.4
(中日) 40試合9勝2敗0S 防御率1.92 BB/9 2.6 K/9 6.9
(DeNA) 34試合2勝4敗1S 防御率6.20 BB/9 4.7 K/9 5.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 Mr.ビーンにそっくりとテレビで紹介されたサウスポー。左腕の岩田慎司がベネズエラ冬季リーグに武者修行中、同じチームになった縁で来日した。

 ドラゴンズではリリーフと先発両方をこなし、貴重な働きをしたが契約交渉がまとまらず。DeNAにさらわれた。

65 ホルヘ・ソーサ
投手 在籍期間:2012 (DeNA13-14)
ドミニカ共和国/1977年4月28日生/右投右打
WBC2006
【NPB】135試合8勝8敗26S 防御率2.32 BB/9 3.3 K/9 7.2
(中日) 53試合5勝1敗4S 防御率1.85 BB/9 2.7 K/9 7.1
(DeNA) 82試合3勝7敗22S 防御率2.68 BB/9 3.8 K/9 7.3
【MLB】294試合44勝53敗7S 防御率4.72 BB/9 4.1 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 アトランタ・ブレーブス時代の2005年に1年だけ凄い成績を残したドミニカ人右腕。ドラゴンズでは中継ぎとして53試合に登板。防御率1.85をマークするも残留交渉が難航してDeNAに取られた。

 来日前からサミー・ソーサは親戚だと触れ回っていたが、信じている人は少なかったようだ。

42 トニ・ブランコ
内野手 在籍期間:2009~12
ドミニカ共和国/1980年11月10日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】750試合 打率.272 安打725 本塁打181 OPS.868
(中日) 452試合 打率.262 安打427 本塁打111 OPS.852
(DeNA) 219試合 打率.314 安打249 本塁打58 OPS.962
(オリ) 79試合 打率.202 安打49 本塁打12 OPS.666
【MLB】56試合 打率.177 安打11 本塁打1 OPS.490

============ 選手紹介 ============

 タイロン・ウッズの抜けた4番ファーストの穴を見事埋めてくれたパワーヒッター。アメリカでは2005年のルール5ドラフトでフロリダ・マーリンズから指名を受け、1シーズンチャンスを貰ったが活躍できず。翌年以降はダブルAで燻っていた。2008年のウィンターリーグでプレー中に視察に来ていた森繫和コーチと出会い、ドラゴンズに入団した。

 ウッズに代わる4番として起用される方針も、フリースインガー傾向が強く前評判は芳しくなかった。しかし開幕戦のNPB初打席からナゴヤドームのバックスクリーンへのホームランを放つと、その後も長打を量産。1年目は全試合で4番を打ち、打率.275・39本塁打・110打点を好記録で本塁打と打点の二冠王に輝いた。5月に前田健太から放った打球は、広いナゴヤドームの天井スピーカーにぶつける球場初の認定ホームランだった。

 来日2年目も32本塁打を放ち4番の仕事を果たしたが、2011~12年は故障離脱が目立つようになっていった。来日時に2000万円台だった年俸も高騰が予想され、2012年限りで退団。ソトとソーサとともに揃ってDeNAに移籍した。

74→31→28→203→21 陳偉殷(チェン・ウェイン)
投手 在籍期間:2004~11 (ロッテ20,阪神21-22)
台湾/1985年7月21日生/左投両打
大活躍 期待以上
【NPB】133試合37勝32敗1S 防御率2.58 BB/9 2.2 K/9 7.0
(中日) 127試合36勝29敗1S 防御率2.56 BB/9 2.2 K/9 7.1
(ロッテ) 4試合0勝3敗0S 防御率2.42 BB/9 1.4 K/9 4.8
(阪神) 2試合1勝0敗0S 防御率3.86 BB/9 2.9 K/9 6.8
【MLB】219試合59勝51敗0S 防御率4.18 BB/9 2.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 台湾の高雄市出身。高校時代にIBA世界大会の韓国戦に完封勝利を挙げ、日米球団の間で争奪戦が繰り広げられた。MLB球団からの誘いもあったが、アジア担当スカウトの職に就いていた大豊泰昭のドラゴンズへ入団を決めた。

 入団して間もなくヒジの靭帯断裂と疲労骨折を起こし、2年間のリハビリを余儀なくされた。一度育成契約になったが、故障が癒えると支配下登録に切り替え、2008年後半から先発ローテーションに復帰。24試合に登板して4完封・防御率1.54・WHIP0.93の圧巻の成績。2011年まできわめて安定したピッチングを続け、吉見一起とともに落合ドラゴンズのダブルエースの一角を担った。

 肩の開きが遅い理想的なピッチングフォームから回転数の高いフォーシームは一級品だった。2011年のシーズン終了後、ポスティングでボルティモア・オリオールズと契約。かねてから希望していたメジャー挑戦の夢をかなえた。

Embed from Getty Images力みのない理想的なピッチングフォームはメジャーに行っても変わらなかった

214 カンディド・ヘスス
投手 在籍期間:2010~11
ドミニカ共和国/1985年10月5日生/左投両打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 サンタマリアとともに育成契約を結んだパワータイプの投手。NPBでは珍しい左投げ両打ちのプレイヤーだった。

 来日前はクリーブランド・インディアンス傘下のガルフコーストリーグ(Rookie級)で2年間在籍。2年目が大乱調だったためシングルAに上がることなく契約を切られていた。NPBでは1年目の3月、3死球を与えた直後に満塁弾を浴びる衝撃の二軍デビュー以降は1度も公式戦に出ることはなかった。

45 ジョエル・グスマン
内野手/外野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1984年11月24日生/右投右打
【NPB】73試合 打率.181 安打43 本塁打7 OPS.517
【MLB】24試合 打率.232 安打13 本塁打0 OPS.628

============ 選手紹介 ============

 身長2m・体重100kg超の大型内野手。マイナー時代はかなりの有望株で、フューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に2度の選出、2005年プレシーズンのベースボール・アメリカの有望株ランキング全選手中5位に挙げられるほど大きく期待されていた。しかし、苦手な内角球を克服できず大成しなかった。

 ドラゴンズに来てからも粗い打撃は変わらず。守備でも二遊間が守れるはずだったのが練習の時点で無理だと判断され、実戦では一・三塁と右翼で出場した。

48 フェリックス・カラスコ
内野手 在籍期間:2011
ドミニカ共和国/1987年2月14日生/右投両打
【NPB】3試合 打率.000 安打0 本塁打0 OPS.000
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 両コーナーを守るドミニカ共和国出身のスイッチヒッター。バッティングに自信を持って来日したが、一軍で4打数4三振、二軍でも55打数25三振。とにかくバットに当たらなかった。

◇2010年までに在籍した外国人選手
45 エドワード・バルデス
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1980年2月8日生/右投右打
【NPB】8試合1勝3敗0S 防御率4.91 BB/9 3.8 K/9 3.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本ではあまり見られないフルタイムカットボーラーだったドミニカン右腕。マイナーではAAAまで到達したがメジャー昇格はできず、母国のウィンターリーグで投げているところを森繫和ヘッドに声を掛けられ来日した。

 ドラゴンズでは8試合の登板にとどまり、セサルとともに1年で退団した。

213 ホアキン・サンタマリア
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1989年9月21日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヘススとともに育成契約を結んだドミニカ人右腕。150km/h台中盤を投げるがストライクが入らない原石で、来日前はドミニカンサマーリーグで3年プレーしたがアメリカ行きの切符を手にできなかった。獲得時点で19歳だったが二軍で投げることなく夏場に契約解除された。

7 ディオニス・セサル
外野手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1976年9月27日生/右投両打
【NPB】51試合 打率.215 安打40 本塁打1 OPS.512
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 落合監督の頃のドラゴンズはまさに黄金期であり、彼の洞察力は素晴らしいものであった。そんな名将でも、ドラファンが贔屓目に見ても首を傾げたくなる選択をすることがあった。そのひとつが助っ人外国人の起用であり、最たる例がセサルのスタメン起用だった。

 

7 李炳圭(イ・ビョンギュ)
外野手 在籍期間:2007~09
大韓民国/1974年10月25日生/左投左打
WBC2006
【NPB】265試合 打率.254 安打253 本塁打28 OPS.677
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 セサル同様、数少ない落合監督の不可思議采配のひとつだったのが李炳圭の優遇であった。

 10年前のリー・ジョンボム以来の”韓国のイチロー”という触れ込みで入団してきた。前回と違ってビョンギュの方はイチローと同じ左バッターで、大いに期待したものだが、・・・

57 トマス・デラロサ
内野手 在籍期間:2008~09
ドミニカ共和国/1977年1月28日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】125試合 打率.242 安打65 本塁打7 OPS.694
【MLB】49試合 打率.289 安打24 本塁打2 OPS.780

============ 選手紹介 ============

 打撃と内野全ポジションを守れるユーティリティ性が強みのドミニカ人内野手。元メジャーリーガー。2008年は北京オリンピック期間中にアライバの離脱が予想されたため、途中出場に備えての獲得だった。レギュラーシーズンでは打撃成績はイマイチだったが、内野守備については最低限の役割をこなした。

 2年目はさらに打撃成績を落としたが、育成コーチを兼任しながらブランコのメンター役を担った。2010~11年は育成スタッフとして中南米出身の若手選手のサポート業務を担当。数字では測れない働きをしてくれた。

94→220→42 ラファエル・クルス
投手 在籍期間:2007~08
ドミニカ共和国/1977年5月19日生/右投右打
期待以上
【NPB】17試合1勝3敗0S 防御率2.66 BB/9 2.7 K/9 8.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 重量感のある身体から150km/h台の速球を投げ込んでいたドミニカンリリーフ右腕。育成契約で入団も6月に支配下を勝ち取り、17試合で防御率2.66・WHIP0.93をマーク。日本シリーズでも登板し、育成上がりとしては健闘した。翌年はセットアップマンでの活躍を期待されたが、オープン戦で右ヒジの靭帯を損傷。投げられる見込みがなくシーズン中に解雇された。

 トミー・ジョン手術をせずとも故障が癒えたクルスは、アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を取り付けた。トリプルAでコールアップを待ったがスタノゾロール(ステロイドの一種)使用がバレ、50試合の出場停止処分が決定。処分を終える前に球団をリリースされ、以後はメジャーデビューどころかマイナーでの出場機会も得ることはなかった。

44 タイロン・ウッズ
 
(登録名:T・ウッズ)
内野手 在籍期間:2005~08
アメリカ合衆国/1969年8月19日生/右投右打
大活躍
【NPB】824試合 打率.289 安打851 本塁打240 OPS.965
(DeNA) 266試合 打率.286 安打273 本塁打85 OPS.964
(中日) 558試合 打率.291 安打578 本塁打155 OPS.965
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 中日ドラゴンズの黄金期をバットで支えたホームランアーティスト。子供時代からガタイが良く、高校ではアメフトと野球の両方で活躍。MLBにはドラフト5巡目指名を受けてプロ入りしたが、階級が上がるにつれてファストボールに苦戦するようになっていった。トリプルAまで到達するもメジャー昇格はならず、マイナー10年目のシーズン後に韓国行きを決意した。

 KBOでは移転して大活躍。斗山ベアーズ移籍初年度から42本塁打を放ち、KBOのシーズン最多記録を更新。打点王と併せて二冠を獲得した。2004年までの5年間で打率.295・174本塁打・510打点の挙げ、KBO史上最高の助っ人外国人の1人となった。

 昇給を求めて日本球界行きを模索し、2003年から横浜ベイスターズに入団。ドラゴンズには2年後の2005年に球団史上最高額の2年10億円で加入した。

 入団前年のドラゴンズは落合政権1年目でセ界を制覇したが、4番タイプではない福留と立浪がクリーンナップを担っていた。ウッズの加入で最大のネックが解消されると、ここからドラゴンズは黄金期を迎えた。2006年には高橋尚成のシンカーを掬い上げ、落合監督が涙したグランドスラム。シーズントータルで打率.310・47本塁打・144打点。ナゴヤドームに移ってから初めてホームラン王に輝いた。

 最終年になった2008年も35本を放ち、横浜時代から6年連続30本塁打以上を外国人最長記録を残した。だが、2009年シーズンの年俸交渉が難航し、ドラゴンズ以外の球団からもオファーがあったものの現状を超える年俸を引き出すことができず、余力を残しながら現役生活を終えた。

 ちなみに、韓国時代の2001年にもドラゴンズは本気で獲得に動いていたが、当時はレオ・ゴメスに山﨑武司、大豊泰昭が在籍。レフトで起用しようと考えたが、斗山との契約上入団テストを行うタイミングが合わず断念している。

42 サンティアゴ・ラミレス
 
(登録名:S・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1978年8月15日生/右投右打
【NPB】27試合1勝0敗0S 防御率5.47 BB/9 4.1 K/9 3.8
【MLB】4試合0勝0敗0S 防御率8.10 BB/9 5.4 K/9 2.7

============ 選手紹介 ============

 一時期勝ちパターンの一角を担ったが夏場に二軍落ち。ウエスタンリーグでは勝利の方程式を担う活躍も一軍に戻ることなく自由契約となった。一応、元メジャーリーガーで2006年に4試合に登板している。

49 フランクリン・グラセスキー
 
(登録名:グラセスキ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1979年8月20日生/左投両打
【NPB】17試合3勝0敗0S 防御率2.35 BB/9 7.0 K/9 5.1
【MLB】7試合0勝1敗1S 防御率11.25 BB/9 6.8 K/9 2.3

============ 選手紹介 ============

 MLBでも日本でもケガのせいで大成できなかった巨漢のサウスポー。

 ドミニカ共和国で生まれ、ニューヨークの高校を卒業後にドラフト指名された。2004年にメジャーデビューを果たしたが腕の故障に悩まされ、以降はメジャーの舞台から遠ざかった。

 ドラゴンズでは中継ぎとして開幕ベンチ入りを果たすと、初登板から8試合連続で無失点。リリーフ陣を支えたが左ひざの故障で戦線離脱。中日を解雇されてからはアメリカに戻り、5年間に渡って独立リーグ球団を転々としたのち、球界を去った。

4 ジョー・バレンタイン
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1979年12月24日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】42試合2勝4敗4S 防御率6.70 BB/9 7.3 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 アメリカ人だがドミニカのウィンターリーグ中に森繫和コーチに連れて来られた元メジャーリーガー。前評判ではMAX157km/h。セットアップマンを期待されたがヒジの故障でシーズン前半戦持たずに解雇された。

 なお、70人の選手登録枠がバレンタインの解雇で空きが出たため、即刻クルスが登録→1軍デビューへと繋がった。

222→234 エンリケ・ラミレス
 
(登録名:E・ラミレス)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1976年8月15日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 同時期にサンティアゴ・ラミレスがいたためE・ラミレスで登録された。それなりに活躍したサンティアゴと違い、こちらは1軍登板ゼロ。”じゃない方”のラミレスとして記憶された(もしくは記憶に残らなかった)。

47 クラウディオ・ガルバ
投手 在籍期間:2006
ドミニカ共和国/1977年3月28日生/左投左打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率11.25 BB/9 2.3 K/9 11.3
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 元MLBプレイヤーのクラウディオ・バルガスが来たのかと一瞬期待させた。

200 アーネスト・ペレイラ
投手 在籍期間:2006
ベネズエラ/1982年5月6日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ベネズエラ出身だが、中日ドラゴンズを退団後にクロアチア国籍を取得。ヨーロッパで野球をやる道を選択した。

42 ドミンゴ・グスマン
 
(登録名:ドミンゴ)
投手 在籍期間:2004~06 (横浜02-03,楽天07-09)
ドミニカ共和国/1975年4月5日生/右投右打
期待以上
【NPB】108試合30勝37敗0S 防御率4.01 BB/9 2.7 K/9 6.9
(DeNA) 44試合13勝17敗0S 防御率3.95 BB/9 2.4 K/9 6.8
(中日) 30試合13勝9敗0S 防御率3.86 BB/9 2.6 K/9 8.0
(楽天) 34試合4勝11敗0S 防御率4.27 BB/9 3.2 K/9 6.0
【MLB】8試合0勝1敗0S 防御率19.50 BB/9 6 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 ”○○ンゴ”の語源となったアスリート型速球派投手。桁外れの運動能力を誇り、荒木より速いスピードを兼ね備えていたが脆すぎる精神面がキャリアを阻んだ。ドラゴンズ時代は何度かノーサインで盗塁を成功させたのは良き思い出。

 暗黒期の横浜ベイスターズで最多の勝ち星を挙げていたが解雇され、ドラゴンズが獲得。2004年は10勝5敗・防御率3.67をマーク。それ以降は2年連続で肩を痛め、2006年に退団した。

 最終的に2002~08年を横浜、中日、楽天の3球団で過ごした。ネットではネタ外人のような扱いを受けているが、ドラゴンズファンにとっては優勝に貢献してくれた優良助っ人である(実働1年だったが。) ドラゴンズ在籍時は普通にマジメで、例えば塁審に向かって中指を突き立てたり、1試合4ボークの日本記録を作ったりするようなことは無かった。

49 ルイス・マルティネス
投手 在籍期間:2005~06
ドミニカ共和国/1980年1月20日生/左投左打
期待以上
【NPB】41試合14勝13敗0S 防御率3.82 BB/9 2.8 K/9 6.6
【MLB】4試合0勝3敗0S 防御率9.92 BB/9 8.3 K/9 5.5

============ 選手紹介 ============

 森コーチが現地で発掘したドミニカ人先発左腕。MLBで4試合だけ登板経験がある。身長198cm、強面で見るからにやばそうな雰囲気をまとっていたが、森繫和だからこそ連れてくることができた。

 ドラゴンズでは2005~06年に在籍。当時、投手王国と呼ばれながらも実はスターターの駒不足が深刻だった。そんなチーム事情のなか2年間で40試合に先発、221回2/3を消化して14勝13敗・防御率3.82。年俸3000万円で充分すぎるほどしっかり投げてくれた。

Embed from Getty Imagesマイク・マダックス投手コーチに慰められるルイス・マルティネス。2003年にメジャーデビューも4試合登板して0勝3敗と打ち込まれた。

22→4 アレックス・オチョア
 
(登録名:アレックス)
外野手 在籍期間:2003-06 (広島07-08)
アメリカ合衆国/1972年3月29日生/右投右打
大活躍
【NPB】765試合 打率.289 安打847 本塁打97 OPS.794
(中日) 550試合 打率.283 安打586 本塁打75 OPS.795
(広島) 215試合 打率.304 安打261 本塁打22 OPS.792
【MLB】807試合 打率.279 安打597 本塁打46 OPS.766

============ 選手紹介 ============

 来日最初の試合でとんでもないバックホームを見せた。優良外国人。打撃でも6番に置けば及第点の成績を残した。「おっちょこちょいとやじられる」かもしれないという理由で登録名はアレックスとなった。

◇2005年までに在籍した外国人選手
94 ルイス・ブラウン
投手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1982年12月10日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 開幕前のプロアマ交流戦で三菱重工名古屋を相手にボコボコに打たれ、二軍でも公式戦に出ることなく退団した。

95 クリスチャン・ベロア
内野手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1979年4月27日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 一緒に入団したブラウンと同じく二軍出場すらなく退団した。

60→65 瀬間仲ノルベルト→ホッシャ
内野手 在籍期間:2003~05
ブラジル/1984年5月31日生/左投左打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日章学園時代に甲子園で特大ホームランを放ち、全国レベルで有名だったブラジル国籍のスラッガー。今でいうロマン砲であり、面白い素材ではあったが開花しなかった。現役最終年に登録名をホッシャに変更している。

 退団から10年以上が経ち、中日がジョーダン・ノルベルトを獲得。その時に少しだけ名前を思い出してもらった。

39 マーティン・バルガス
投手 在籍期間:2002~04
ドミニカ共和国/1978年2月22日生/右投右打
問題児
【NPB】20試合4勝9敗0S 防御率4.26 BB/9 3.6 K/9 6.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 「俺は”Black snake”と呼ばれていたんだ」と言って来日したムービングファストボールの使い手。メジャー経験は無く、トリプルAで2シーズン投げた。

 2002年7月の一軍初登板を先発で迎えて初勝利を挙げ、先発ローテのイスを勝ち取った。が、母国のウィンターリーグでプレーすることを条件に秋季キャンプを免除されたにも関わらず、ドミニカに戻ったバルガスは1度しか登板しなかった。この件でドラゴンズ首脳陣の怒りを買い、翌年は干される結果となった。

 中日を退団後は三星ライオンズ(韓国)とLaNewベアーズ(台湾)へと渡り、アジア3大プロ野球を制覇(?)。ただし永遠の課題だった制球難は相変わらずで、日本時代は死球王キンケードへの危険球退場(2004年)、韓国時代はシーズン最多与四球(2005年)、台湾では4者連続四球に1イニング6四死球(2006年)と毎年のように悪目立ちする記録を残してしまった。

36→38→44 マーク・バルデス
投手 在籍期間:2003~04 (阪神02)
アメリカ合衆国/1971年12月20日生/右投右打
【NPB】109試合5勝7敗24S 防御率3.15 BB/9 3.2 K/9 6.2
(阪神) 42試合4勝3敗22S 防御率1.54 BB/9 2.9 K/9 6.7
(中日) 67試合1勝4敗2S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.9
【MLB】144試合12勝15敗4S 防御率4.95 BB/9 4.2 K/9 4.8

============ 選手紹介 ============

 契約延長交渉が決裂してタイガースから移籍してきた先発兼リリーフ右腕。ドラゴンズでは当初先発起用されたが連続でKO。二軍落ちを経てリリーフに配置転換されると好調を維持。岩瀬仁紀、落合英二の防御率1点台コンビや大塚晶則らの鉄壁のリリーフ陣の中で、地味だが貴重な働きをしていた。2年目も防御率3点台をマークしたが年齢や稼働率を理由に退団となった。

44→38 オマー・リナレス
内野手 在籍期間:2002~04
キューバ/1967年10月23日生/右投右打
大物
【NPB】132試合 打率.246 安打86 本塁打11 OPS.714
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 キューバがまだ野球王国だった時代に”キューバの至宝”と呼ばれたスター選手。国内リーグでプレーしながら国際大会の中心選手として国を支え、晩年のキャリアを中日ドラゴンズで過ごした。走攻守すべてに優れたプレイヤーであった。

 リナレスは15歳の時にキューバの国内リーグデビュー、17歳で代表に選出される。そこから長きに渡ってキューバ代表に欠かせない主軸選手になり、世界選手権4連覇やオリンピック2連続金メダルなど輝かしい実績を残した。

 2度目の金メダルと獲得したアトランタ五輪後、日本プロ野球でプレーしたい希望を抱くようになった。当時は巨人に行くと思われていたが、キューバ政府との交渉がより上手かったドラゴンズへの入団が決まった。また、形式的にはキューバ政府から日本球界への研修という名目の契約となった。

 ドラゴンズには3年在籍。既に30代半ばだったリナレスのパフォーマンスは全盛期には程遠いものであった。レギュラーにはなれず、2004年をもって現役引退した。その後もドラゴンズの巡回打撃コーチや通訳のほか、キューバ国内の若手選手のリクルーターをこなし、数字では測れない貢献をしてきた。

Embed from Getty Images2000年のシドニー五輪では決勝でアメリカと対戦。3季連続金メダルとはならなかった

52→18 エディ・ゲイラード
 
(登録名:ギャラード)
投手 在籍期間:2000~03 (横浜03~04)
アメリカ合衆国/1970年8月13日生/右投右打
大活躍 問題児
【NPB】194試合6勝9敗120S 防御率2.90 BB/9 2.4 K/9 6.7
(中日) 168試合4勝6敗112S 防御率2.52 BB/9 2.4 K/9 6.8
(DeNA) 26試合2勝3敗8S 防御率5.33 BB/9 2.5 K/9 6.0
【MLB】30試合2勝0敗1S 防御率4.66 BB/9 4.2 K/9 5.9

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズで残した実績は◎も、クローザーの地位を巡って大モメして退団した正統派リリーフ右腕。各球団の問題児と言われた選手に複数年活躍した助っ人は少なく、歴代外国人では珍しいケースと言える。

 1993年にプロ入りした当初は先発投手だったが、シングルA+にいた時にリリーバーに転向してから順調に昇格。メジャーに3年続けて昇降格して合計30試合に登板した。

 2000年にドラゴンズ入りすると日本のボールが手に馴染んだのか、アメリカ時代よりコントロールが格段にアップ。前評判通りの150km/h台前半の速球とスライダーの威力はNPBでは大きく通用し、2002年までの3年間で98セーブ・防御率2.17と優秀な成績を残した。

 しかし、2003年にメジャー挑戦を巡って近鉄首脳とこじれた大塚晶文(のちに晶則に改名)が入団したことで状況が一変。ドラゴンズは引き続きギャラードにクローザーを任せるつもりだったが、ギャラードは開幕前から過剰に不快感を表した。シーズンが始まるとこれまでの3年間がウソのように打たれ出し、また6月には練習中に利き手で打球を取りにいってしまい指を負傷。二軍での調整を断固拒否し、異例の形でウエーバーを経て横浜ベイスターズへ移籍となった。

49 イバン・クルーズ
内野手 在籍期間:2003 (阪神01)
プエルトリコ/1968年5月3日生/左投左打
【NPB】141試合 打率.228 安打106 本塁打25 OPS.725
(阪神) 70試合 打率.234 安打56 本塁打14 OPS.746
(中日) 71試合 打率.222 安打50 本塁打11 OPS.704
【MLB】41試合 打率.273 安打15 本塁打2 OPS.710

============ 選手紹介 ============

 タイガースでバースの再来と期待されるも1年で退団した長距離砲。米球界を1年はさんでドラゴンズが獲得した。タイガース時代と同様に主軸候補として期待されていたが、打撃不振に加えて仮病で練習を休んだ疑惑を持たれ、信頼と居場所を失った。

22 ケビン・ミラー
内野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1971年9月24日生/右投右打
大物
【NPB】1軍出場なし
【MLB】1427試合 打率.274 安打1284 本塁打170 OPS.810

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズと契約後にボストン・レッドソックスからのオファーに乗り換え、日米間で大きな問題となったことで有名な巧打の内野手。結果的に代わりに獲得したのがアレックス・オチョアだったため、戦力的にドラゴンズが受けたダメージは小さかった。

 ミラーの方は、そのレッドソックスに入団すると打撃でキャリアハイの記録。また、持ち前の陽気なキャラクターでチームに好影響をもたらし、2004年のワールドシリーズ制覇に貢献した。ただし、マイナーリーガー時代に当時ストライキが行われていた1995年、球団オーナーの指令でメジャーリーガーの代替選手としてプレーしたことで、いわゆる”スト破り”の選手としてMLB選手会から目を付けられ、チャンピオンズリングを貰えなかった等多くの報復措置を受けた。

Embed from Getty Imagesドジャース監督のデーブ・ロバーツとは2004年のワールドチャンピオンを勝ち取った同志だ

42 メルビン・バンチ
投手 在籍期間:2000~02
アメリカ合衆国/1971年11月4日生/右投右打
期待以上 優良助っ人
【NPB】69試合31勝23敗0S 防御率3.19 BB/9 3.3 K/9 8.2
【MLB】18試合1勝3敗0S 防御率6.84 BB/9 3.8 K/9 4.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーでは打たれたがトリプルAで10勝2敗・防御率3.10の成績を残したところをドラゴンズが獲得。NPB初登板を白星で飾ると、次の試合でノーヒッターを達成。シーズンを通じて先発ローテを守り、14勝8敗・防御率2.98の素晴らしい数字を記録。完投が少ないことを理由に沢村賞獲得はならなかったが、ドラゴンズでは郭源治以来14年ぶりに2ケタ勝利を挙げた外国人投手になった。翌年も2ケタ勝利(10勝8敗)を記録し、3年目も途中まで問題なく投げていたが、8月に不整脈を発症。この年限りでNPBでのプレーは断念した。

 常時145km/h前後のファストボールとスプリッターのほか、ブレイキングボールの制球力に長けた。投げれば毎回試合を作ってくれるピッチングは安定感のあるものだった。打撃も得意としており3ホーマーを放ち、そのうち1本は福岡ドームでピッチャーが初めて放った柵越え弾だった。また性格的にも日本に馴染もうと努力し、チームメイトから親しまれた。

 ちなみに、フルネームはMelvin Lynn Bunch。メジャーリーグでは歴代6人目の”名前にMLBを持つ男”である。

18→30 曹竣揚(ツァオ・チュンヤン)
投手 在籍期間:2000~02
台湾/1976年3月29日生/右投右打
【NPB】2試合0勝1敗0S 防御率9.53 BB/9 7.9 K/9 7.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 当時はまだ珍しかった台湾人選手の海外挑戦者だった。来日前年にCPBL(台湾プロ野球)の統一ライオンズに入団し、球界最年少でノーヒッターを達成。NPB球団間での争奪戦の末にドラゴンズが獲得したが、3年間で一軍登板2試合に終わった。

49 スコット・ブレット
外野手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1968年12月25日生/左投左打
【NPB】49試合 打率.201 安打30 本塁打7 OPS.637
【MLB】247試合 打率.233 安打87 本塁打6 OPS.639

============ 選手紹介 ============

 メジャーを4年経験した俊足・強打の外野手。1995年に100試合以上に出場してOPS.791をマークしたがメジャー定着はならず、1998年には台湾でプレーした。

 2001年のシーズン終了後のドラゴンズは韓国でMVP受賞のタイロン・ウッズ獲得を目指していたが、空きポジションの都合で断念。外野手のブレットを獲得した。主軸候補としてスタメン起用され、時折特大アーチを放ったが低打率に喘ぎ、シーズン終了直前に契約解除となった。

55→60 大豊泰昭
内野手 在籍期間:1989-97,2001-02 (阪神98-20)
台湾/1963年11月15日生/左投左打
大活躍 期待以上
【NPB】1324試合 打率.266 安打1089 本塁打277 OPS.873
(中日) 1050試合 打率.268 安打889 本塁打215 OPS.870
(阪神) 274試合 打率.258 安打200 本塁打62 OPS.883
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの1990年代を語るに外せない台湾人スラッガー。本名は陳大豊。台湾人台湾の山岳地帯に住む農家の長男として生まれた。家庭は貧しく、小さい頃から農作業を手伝いながら育った。それが影響したのか身体が大きくなり、野球の強い小学校の監督から声をかけられたのが野球との出会いだった。

 中学時代に転校した東峰中を全国制覇に導き、リトルリーグ台湾代表の4番を務めた。高校でも台湾代表に選ばれる活躍をしていたところ、華興高校監督の知人から日本行きを勧められた。この人物は愛知県で野球用品の販売業を営む日本人経営者だった。

 日本に行けば王貞治に会えるかも、というのが決め手になって日本行きを決断した大豊は、先の知人のツテで名古屋商科大学に入学した。4年間のほとんどを4番を任され、愛知大学リーグ記録を塗り替える通算24本塁打を放った。名商大野球部の指導は厳しく、心技体すべてをレベルアップさせていった。

 大学卒業後に中日球団職員の立場を経て、翌年ドラフト2位でドラゴンズに入団した。当時の外国人枠の例外規定で、”日本に5年以上居住かつ中学・高校・大学を3年以上在学”した外国籍の選手は日本人枠で登録可能だったため、戦略的に1年間球団職員として採用したのだった。また、当時は練習生として囲い込んだ選手はドラフト1位で指名する紳士協定があったが、大阪桐蔭高の今中慎二を取るために2位指名しており、後の大幅なルール改定の原因になった。

 中日ドラゴンズに入団後は、新人から5番レフトで開幕戦に出場。2年目の1990年に20本塁打の大台に乗せたあたりから本格的に恐れられるようになっていた。92年のシーズン終了後に一本足打法を取り入れ、94年は打率.310・38本塁打・107打点を挙げ二冠王に輝いた。落合博満が巨人にFA移籍したことで、この年からファーストにポジションを移していた。

 1997年に本拠地がナゴヤドームになると雲行きが怪しくなる。打撃不振と背中のケガで出場が100試合を割り、12本塁打に留まると、翌年阪神タイガースにトレードで放出された。2000年に4年ぶりにドラゴンズへ戻り、キャリアの晩年を古巣で過ごした。

 引退後は海外担当スカウトのほか少年野球の指導に邁進し、自身の夢のひとつだった中華料理店”大豊飯店”を開業した。2009年に白血病を患ってからは入院と再発を繰り返し、2015年に51歳の若さで逝去した。

4 レオ・ゴメス
内野手 在籍期間:1997~2002
プエルトリコ/1966年3月2日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】660試合 打率.293 安打690 本塁打153 OPS.914
【MLB】611試合 打率.243 安打466 本塁打79 OPS.753

============ 選手紹介 ============

 シカゴ・カブス時代にサミー・ソーサと上位打線を組んだスラッガー。プエルトリコ出身の野手らしいクレバーなプレイヤーで、性格も温厚な真面目外国人として一目置かれていた。

 ナゴヤドーム初年度の1997年に来日していきなり3割・30本を達成。ほかの選手が広い球場に苦しむ中、現役メジャーリーガーの実力を見せつけた。2000年に一度引退するも呼び戻されて現役復帰したが、膝の具合がどうにもならなくなり2002年に今度こそ引退した。

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69 呂建剛(ル・チェンガン)
投手 在籍期間:1999~2001
中華人民共和国/1979年2月19日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 珍しい中国本土出身のピッチャー。練習生に近い立場で入団した。1軍出場はなかったが、母国に戻って国際大会の主力選手として活躍した。

44 オジー・ティモンズ
外野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年9月18日生/右投右打
【NPB】83試合 打率.228 安打62 本塁打12 OPS.688
【MLB】186試合 打率.235 安打95 本塁打20 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 MLB通算186試合・長打率.437を記録していた長距離砲。引退したレオ・ゴメスの穴埋めに期待されたが、MLB時代のプレイスタイルをそのまま引きずり、低打率に喘いだ。同時期に入団したアンローも期待外れだったため、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させることとなった。

 ただ、ドラゴンズでも299打席で12本塁打を放っており全然ダメだったわけではなく、契約延長の噂も出たが本人がメジャー復帰を希望。1年で退団してトリプルAに戻った。引退後はメジャー球団でコーチを務めている。

9 ティム・アンロー
内野手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1970年10月7日生/右投右打
【NPB】4試合 打率.143 安打1 本塁打0 OPS.429
【MLB】79試合 打率.221 安打21 本塁打3 OPS.656

============ 選手紹介 ============

 安定した打撃とサードの守備を期待されたクリーンナップ候補。来日前年にトリプルAで打率.278・24ホーマーを放っており、引退したレオ・ゴメスの後釜に星野監督からの期待も大きかった。

 オープン戦が始まると打撃不調で、開幕時点で一軍外国人枠から脱落。シーズンが始まって1ヶ月経って彼と李鍾範、ティモンズが皆いまいちだったせいで、ドラゴンズはゴメスを現役復帰させる決定を下した。そのゴメスと完全にポジションが被るアンローに一軍での居場所はなく、二軍ではそれなりに打ったもののシーズン中に帰国することとなった。

 息子はドラフト2巡目指名でタンパベイ・レイズに入団したライリー・アンロー。プロ入り後はしばらくの間レイズ内の有望株ランキングに名前が載る存在だったが、打撃で目立った成績を残せず。2018年以降ずっとトリプルAにとどまっている。

8→7 李鍾範(リー・ジョンボム)
外野手 在籍期間:1998~2001
大韓民国/1970年8月15日生/右投右打
WBC2006
【NPB】311試合 打率.261 安打286 本塁打27 OPS.741
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ”韓国のイチロー””風の子”と呼ばれた俊足好打のKBOのレジェンド。近年は息子の李政厚の活躍もあって名前を聞く機会が出てきた。

 宣銅烈が在籍するドラゴンズへと入団。ショートのレギュラーを掴んでシーズン前半は好結果を残していたが、シーズン中に右ヒジにデッドボールを受けて骨折。内角に食い込むシンカーを振りにいった結果で、復帰後は残像が残るのか打席で積極性を失った。

 翌年は福留孝介の加入でセンターにコンバートされ、打撃でも低空飛行が続いた。

46 ダン・カールソン
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1970年1月26日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 3.9 K/9 3.9
【MLB】23試合1勝0敗0S 防御率6.70 BB/9 3.4 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 開幕戦に登板も2試合出場に終わり、ひっそりと退団した元リリーフ右腕。ドラゴンズファンの大半は記憶にないと思われる。

 メジャー3球団でプレー後、ディンゴが母国オーストラリアで見つけてドラゴンズに紹介。開幕を1軍で迎えたが、バンチとギャラードの活躍で外国人1軍枠からはじき出され、シーズン途中に契約解除された。

 現役引退後はマイナーリーグの投手コーチとして指導者経験を重ね、2023年にはDバックスの投手コーチ補佐としてメジャーに帯同、リーグ優勝に貢献した。

44 デービッド・ニルソン
 
(登録名:ディンゴ)
捕手 在籍期間:2000
オーストラリア/1969年12月14日生/右投左打
大物 WBC2006
【NPB】18試合 打率.180 安打11 本塁打1 OPS.469
【MLB】837試合 打率.284 安打789 本塁打105 OPS.817

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズ以外の野球ファンにもダメ外国人として認知度が高い元メジャーリーガー。オーストラリア人。現役時代は捕手と外野両翼を守っていた。

 ドラゴンズに来る直前までMLBで6年連続2桁ホームランを記録、特に前年はキャリアハイの21本塁打・OPS.954の好成績を残していたが2000年のシドニー五輪に出たいという理由でメジャー球団と契約せず来日した(※MLBでは五輪へのメジャーリーガーの派遣を認めていなかった)。ディンゴの登録名で中日ドラゴンズに入団したが、日本では18試合で打率.180・1本塁打に終わった。日本ではさっぱりだったが秋の念願のシドニー五輪では打ちまくった。

 母国オーストラリアでは野球界の英雄であり、2008年にイアン・ソープと一緒に国のスポーツ殿堂入りを果たしている。

Embed from Getty Imagesキャッチャーながら強打を誇った