広島東洋カープ 歴代助っ人外国人①(2000年以降)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Hiroshima Toyo Carp
広島東洋カープ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
95 マット・デービッドソン
内野手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1991年3月26日生/右投右打
【NPB】112試合 打率.210 安打73 本塁打19 OPS.698
【MLB】311試合 打率.220 安打221 本塁打54 OPS.719

============ 選手紹介 ============

 MLBで通算54本塁打、高い長打力が魅力の三塁手。2018・20年にそれぞれ3試合に登板したことがあり、二刀流を目指すのではと噂されたことがある。

 カープには実績のわりに低年俸(5500万ドル)で契約。サードはしばらくレギュラー不在であり、チームの弱点の解消と30本塁打を期待されたが、112試合で打率.210・19本塁打とMLB時代と同じような成績に。9月に不振だったのも印象が悪かった。

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42 ドリュー・アンダーソン
投手 在籍期間:2022~23
アメリカ合衆国/1994年3月22日生/右投右打
【NPB】34試合7勝5敗0S 防御率3.05 BB/9 3.1 K/9 7.7
【MLB】19試合1勝3敗0S 防御率6.50 BB/9 3.5 K/9 6.1

============ 選手紹介 ============

 2022~23年にカープでそれなりに投げてくれたスイングマンタイプの右腕。来日時点では球数制限を設けつつ先発起用するという不可解な情報が流れた。

 2022年5月のNPBデビュー戦で巨人相手に7回を被安打1・7奪三振・無失点に抑えて初勝利を挙げた。ただシーズン後半にコンディション不良や新型コロナにかかり、13試合の登板に留まった。アンダーソンにとって幸いだったのは、円安やNPBのレベル向上によって実力のある先発外国人獲得が難しくなっていたこと。23年シーズンの契約更新を勝ち取った。

 23年は開幕から先発ローテ入りに成功。途中までは良かったが、6月のSB戦で右ひざの違和感を訴え、5回までノーヒッター継続中のまま降板。故障が治ってからはリリーバーに転向した。この年は比較的好成績だったが前年と逆で、なぜか契約更新されず。成績を残していたターリーとアンダーソンの退団は新外国人ガチャに未来をかける無謀な選択と、カープ球団に異論が噴出した。

68 ニック・ターリー
投手 在籍期間:2022~23(楽天24~)
アメリカ合衆国/1989年9月11日生/左投左打
【NPB】89試合9勝5敗1S 防御率2.39 BB/9 3.5 K/9 8.4
【MLB】35試合0勝5敗1S 防御率7.78 BB/9 4.3 K/9 7.6

============ 選手紹介 ============

 高校から50巡目・後ろから3番目の全体1502位でプロ入りしたリリーフ左腕。カープには2022~23年に在籍して89試合・防御率2.39を記録。ブルペン陣にしわ寄せが行きがちだった佐々岡監督采配のもとで好投していたが、一発病の気があり肝心な場面でホームランを浴びていた。クビにするような成績ではなかったが23年オフに退団、楽天に拾われた。

 ゴリゴリのクリスチャンで、かつては野球を引退後は宣教師になるセカンドキャリアを考えていた。

10 ライアン・マクブルーム
内野手 在籍期間:2022~23
アメリカ合衆国/1992年4月9日生/左投右打
【NPB】198試合 打率.255 安打172 本塁打23 OPS.749
【MLB】66試合 打率.268 安打44 本塁打6 OPS.749

============ 選手紹介 ============

 逆方向に強い打球が打てる、日本で成功すると思われたパワーヒッター。NPBではアメリカ時代とは違いファストボールに上手く対応していたが、198試合23本塁打・OPS749と平凡な成績に終わった。2年目に成績を落とすと2億円近い高年俸がネックになって退団した。

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42 カイル・バード
投手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1993年4月12日生/左投左打
【NPB】33試合0勝0敗0S 防御率4.57 BB/9 5.4 K/9 8.7
【MLB】12試合0勝0敗1S 防御率7.82 BB/9 10.7 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 2021年にカープに入団。新型コロナの影響で開幕までに来日できず、入団会見がゴールデンウィーク前にずれ込んだ。左のリリーバーとして大事な場面で投げてもらうはずだったが、敗戦処理でしか使い道がなかった。

99 ドビダス・ネブラスカス
 
(登録名:ネバラスカス)
投手 在籍期間:2021
リトアニア/1993年1月14日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率10.13 BB/9 16.9 K/9 6.8
【MLB】76試合1勝4敗0S 防御率6.81 BB/9 3.9 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 MLB初のリトアニア人プレイヤー。16歳だった2009年にピッツバーグ・パイレーツと契約した。2000年代のパイレーツはインド人のティーンエイジャー数名と契約するなど、野球希少国の選手の発掘に勤しんでいた。マイナーでは必ずしも順調ではなかったが、途中でリリーフ投手に転向したことをきっかけに2017年に初めてメジャーに昇格。初勝利もマークした。

 2021年に新型コロナの影響で来日が遅れ、5月下旬に一軍に合流。先発を任されるも3回途中で被安打3・与四球5を出してしまいKO。これが最初で最後の一軍登板になってしまった。

10 ケビン・クロン
内野手 在籍期間:2021
アメリカ合衆国/1993年2月17日生/右投右打
【NPB】42試合 打率.231 安打30 本塁打6 OPS.701
【MLB】47試合 打率.171 安打15 本塁打6 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 兄のC.J.クロンはメジャー10年、通算187本塁打の元大物メジャーリーガー。父親も元メジャーの投手で、親戚には元捕手のチャド・モーラーがいる野球一家の生まれ。兄と同じプレイスタイルの、長打力がウリのフリースインガーの一塁手だった。

 鈴木誠也1人に頼りっきりのカープ打線のテコ入れのため、2021年に入団。他の助っ人たちとは違い、コロナの蔓延を見越して21年の正月三が日に来日。その直後に日本政府が外国人の入国を停止したため、コロナに振り回されることなくレギュラーシーズンに備えることができた。有能な一面を見せたクロンだったが、公式戦では打率.231と苦しんだ。ただ、ホームランの頻度は高かくファーストの守備も上手かった。

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70 テイラー・スコット
投手 在籍期間:2020~21
南アフリカ共和国/1992年6月1日生/右投右打
【NPB】7試合0勝3敗0S 防御率15.75 BB/9 9.0 K/9 7.9
【MLB】39試合0勝1敗0S 防御率9.00 BB/9 5.3 K/9 8.6

============ 選手紹介 ============

 MLBでは2人目、NPBでは初の南アフリカ共和国生まれのプレイヤー。2020年にクローザー候補として獲得したが救援失敗を繰り返し、先発にもチャレンジさせたがシーズン防御率15.75に終わった。どこに期待したのかカープは契約を延長したが、2年目は一軍昇格すら果たせなかった。

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◇2020年までに在籍した外国人選手
58 D.J.ジョンソン
 
(登録名:DJ.ジョンソン)
投手 在籍期間:2020(楽天20)
アメリカ合衆国/1989年8月30日生/右投左打
【NPB】30試合1勝0敗0S 防御率3.81 BB/9 4.4 K/9 9.2
(広島) 14試合0勝0敗0S 防御率4.61 BB/9 5.3 K/9 8.6
(楽天) 16試合1勝0敗0S 防御率3.07 BB/9 3.7 K/9 9.8
【MLB】39試合1勝2敗0S 防御率4.54 BB/9 5.3 K/9 9.6

============ 選手紹介 ============

 ”DJ・ジョンソン”と登録されていたリリーフ右腕。カープ在籍時は一軍では被打率が悪く、14試合を投げたところで9月下旬に楽天にトレードされた。金銭トレードされた外国人選手はラルフ・ブライアント以来33年ぶりだった。

 大学では一応二刀流だったが腕のケガでほぼ野手専任に。ドラフト外でプロ入り後も度々大きめのケガが続き、メジャー定着を果たせなかった。投球スタイルはフォーシームにカットボールとカーブを持っていた一方、チェンジアップがなかなか上達しなかった。左打者相手にもあまり使わず、常に左打者に苦労していた投手だった。

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10 ホセ・ピレラ
外野手 在籍期間:2020
ベネズエラ/1989年11月21日生/右投右打
【NPB】99試合 打率.266 安打84 本塁打11 OPS.723
【MLB】302試合 打率.257 安打234 本塁打17 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 2020年に広島カープに所属した打力のあるユーティリティプレイヤー。二塁手兼外野手だがカープでは一塁も守らされた。ホームランバッターではないが広角に長打を打つ能力を持っていた。カープでは11本塁打・OPS.723とほどほどの成績で1年で退団になったが、全力プレーを怠らないスタイルや明るく真面目な性格はチーム内から認められていて、帰国の日にカープの主力選手たちが空港まで見送りに来た。

 2021年からは韓国・サムスンに活躍の場を移し、主軸として大活躍した。愛称は「黒鷲」。

141→98 エマイリン・モンティージャ
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1995年10月2日生/左投左打
【NPB】3試合0勝2敗0S 防御率15.19 BB/9 6.8 K/9 13.5
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 純正カープアカデミー生の先発左腕。2016年にアカデミーに入り、17・18年に来日して秋季キャンプに参加。2019年からようやくカープと育成契約で入団が決まった。入団会見では知っている左腕投手がいなかったのか床田寛樹を目標としていると語ったが、19年はちょうど床田のブレイクイヤーになった。

 身長190cm・体重110kg超の巨漢から、95マイル(153km/h)のファストボールとスライダー、チェンジアップとスプリッターが投げれると言っていたモンティージャ。ウエスタンで結果を残し、19年7月に支配下登録。2度の先発機会を得たがいずれも3回持たずにKOされた。

 翌年はリリーフで1試合に登板も、またしても打ち込まれてしまい、6年契約の途中だったが2年で解雇された。

 カープ退団後はカリブの冬季リーグのほかイタリアでプレー。2023年にアリゾナ・Dバックス傘下のマイナーに所属。どの階級でも打たれているが、2024年になぜか3Aに昇格。ひょっとするとサプライズメジャーがあるかもしれない。

144 アルフレッド・メナ 
投手 在籍期間:2019~20
ドミニカ共和国/1993年12月6日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 モンティージャと一緒に育成入団した元カープアカデミー生。同時期に入ったため「モンティージャ・メナ」という選手が入団したと勘違いするファンが出た。メナの方はシンシナティ・レッズ傘下でプレーしていたが、シングルAより上に上がれず解雇されたところをカープアカデミーに拾われた。

 カープには2年在籍。モンティージャより球は速く、制球力が向上。2年目のウエスタンでの成績をアップさせたが、育成&外国人のわりに年を食っていたせいか、2020年限りで退団となった。

58 カイル・レグナルト
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1988年12月13日生/左投左打
【NPB】52試合6勝3敗0S 防御率3.34 BB/9 5.2 K/9 10.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ハンマーカーブと呼ばれる落差の大きいパワーカーブを武器にしていたサウスポー。メッツ傘下の3Aでプレーしていたがメジャーには上がれず来日した。

 カープでは途中まで防御率0点台をキープしていたが、7月頃から別人のように打たれ出し、9月の防御率は10.00超の惨状だった。酷使されて球威が落ちたと見るか、カーブを見切られて通用しなくなったと見るかで評価が分かれたが、結局1年限りで退団となった。

 スポーツ一家の生まれだが親兄弟はレスリングをやっていて、カイルだけが野球の道に進んだ。

70 ケイシー・ローレンス
投手 在籍期間:2019
アメリカ合衆国/1987年10月28日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率10.80 BB/9 7.2 K/9 5.4
【MLB】59試合4勝4敗0S 防御率6.75 BB/9 3.6 K/9 7

============ 選手紹介 ============

 ロー・スリークォーターから140km/h代後半のシンカーを多投する先発右腕。2018年オフにカープと契約。父親のフライングツイートでNPB入りのニュースが広まった。一軍登録された7月のヤクルト戦でNPBデビュー戦を先発登板したが、村上宗隆に満塁ホームランを打たれ、5回6失点で敗戦投手に。外国人枠の関係もあり、この試合が最初で最後の一軍登板となった。

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146→99 ホアン・サンタナ
内野手 在籍期間:2019
ドミニカ共和国/1994年8月16日生/右投右打
【NPB】13試合 打率.182 安打6 本塁打0 OPS.388
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 2015年からカープアカデミーで研鑽を積み、19年にようやくカープに入団したラインドライブヒッター。この年13試合に出場も打率.182。6年契約を結んでいたが1年で解雇されてしまった。同じタイプのピレラをシーズンオフに獲得したのが関係していると思われるが、ピレラも1年で退団しており、球団の外国人のコントロールには問題あり。

143→97 ヘロニモ・フランスア
投手 在籍期間:2018~22
ドミニカ共和国/1993年9月25日生/左投左打
期待以上
【NPB】178試合14勝15敗32S 防御率2.60 BB/9 4.2 K/9 11.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヒューストン・アストロズ傘下のドミニカン・サマーリーグで3年プレーするもアメリカに連れて行ってもらえず、カープアカデミーに入って修行。2018年3月に育成契約でカープに入団、5月に支配下登録を勝ち取った。

 一軍デビュー当初は先発で起用されていたが、早い段階でリリーバーに転向。8月に月間MVPを受賞した勢いはシーズン終了まで衰えず、CSファイナルステージや日本シリーズでも活躍した。2019~20年も防御率2点台中盤をマークしたが、内容的には好不調の差が激しく、1死も取れずに降板するピッチングを何度も見せられたファンにとっては数字より安定感の無い印象だった。

 2021年は新型コロナ陽性反応で来日が遅れ、オープン戦の時期には右ヒザの手術で長期離脱。この影響が22年にも響き、最後の2年間は11試合・9イニングしか投げられなかった。

 アメリカに戻ったフランスアはピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。2024年、30歳になって初めてトリプルAに昇格して常時チームに帯同。遅咲きのメジャーデビューのチャンスが到来している。

62 ジョニー・ヘルウェグ
投手 在籍期間:2018~19
アメリカ合衆国/1988年10月29日生/右投右打
【NPB】12試合1勝0敗0S 防御率0.77 BB/9 4.6 K/9 9.3
【MLB】8試合1勝4敗0S 防御率6.75 BB/9 7.6 K/9 2.6

============ 選手紹介 ============

 メジャー時代から四死球を出しまくっていた右のサイドスロー投手。マイナー時代にザック・グレインキー対ジーン・セグラら3名の交換トレードの駒としてブリュワーズに移籍し、2013年にメジャーデビュー。初登板で2回途中KOをはじめ炎上を繰り返し、K/BB(奪三振÷与四球)は驚愕の0.35、死球も30イニングで8個も記録してしまった。

 カープには2018年の途中に加入。緒方監督からは勝ちパターンでの登板を期待されていたが、制球難がひどく9月になるまで一軍デビューを待たねばならなかった。8イニングで6四死球を与えていたが日本シリーズに4試合も起用され、2回1/3で5与四死球に投ゴロの処理ミスで失点と足を引っ張った。

 2019年も再契約したものの、球団は外国人枠を持て余して二軍漬けにされた。

142 ヨハン・タバレス
 
(登録名:タバーレス)
投手 在籍期間:2018(中日22)
ドミニカ共和国/1994年11月8日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率6.00 BB/9 6.0 K/9 12.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドミニカンサマーリーグのロイヤルズ傘下のチームで1年投げたがクビになり、カープアカデミーに拾われた。2018年にカープに育成入団も、ウエスタンリーグでも打たれて戦力外通告となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

70 レオネル・カンポス
投手 在籍期間:2018
ベネズエラ/1987年7月17日生/右投右打
【NPB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 9.0 K/9 0.0
【MLB】38試合1勝0敗0S 防御率4.74 BB/9 5.6 K/9 10.1

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算38試合。メジャー定着できずに2018年にカープに入団したリリーフ右腕。2017年のWBCではベネズエラ代表の入れ替え選手に登録されていた。

 2018年のカープは支配下登録の投手だけで最大5人の外国人選手がおり、入団当初から一軍でのプレー時間が取れるのか疑問視されていた。シーズンが始まると案の定ファームに塩漬けにされ、クリス・ジョンソンが奥さんの出産で離脱した時期に初めて一軍に昇格。1試合投げたと思ったらフランスアを先発登板させる方針が決まり、あっという間にファームに送り戻された。外国人枠に翻弄された助っ人の1人と言える。

70 ライアン・ブレイシア
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1987年8月26日生/右投左打
【NPB】26試合2勝1敗1S 防御率3.00 BB/9 2.4 K/9 5.7
【MLB】268試合9勝8敗10S 防御率3.88 BB/9 2.8 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 2013年に7試合だけメジャーで投げたことがあったリリーバーを2016年オフに獲得。17年シーズンに26試合に登板。ファストボールは常時150km/hを超えていたが空振りが取れず、狙い打ちされ手痛い敗戦に繋がる試合がいくつかあった。

 退団した翌年からレッドソックスでメジャー定着。特に復帰1年目の2018年は勝ち試合の大事な場面を任され防御率1.60、ポストシーズンでは9試合5ホールド・防御率1.04と大活躍。ワールドチャンピオンの一員になった。

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5 ラミロ・ペーニャ
内野手 在籍期間:2017
メキシコ/1985年7月18日生/右投両打
WBC2013
【NPB】22試合 打率.216 安打8 本塁打0 OPS.500
【MLB】341試合 打率.252 安打162 本塁打9 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 ニューヨーク・ヤンキースの元有望株だった内野手。2008年のフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に出場も、ヤンキースにはジーター、A-Rod、カノーがおり、内野のレギュラー取りは不可能だった。

 長打力はないが打率や内野守備でアピールすべくカープと契約したが、一軍外国人枠に入れなかった。

146→96 アレハンドロ・メヒア
内野手 在籍期間:2016~21
ドミニカ共和国/1993年3月10日生/右投右打
【NPB】142試合 打率.237 安打79 本塁打12 OPS.660
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 バティスタとともに練習生として来日、育成から支配下登録された元カープアカデミー生。ホームランアーティストではないが長打を打つ能力があり、内野の両コーナーを守った。二軍で四冠王に輝き、2019年までは成績を伸ばしていった。だが、さらなる飛躍が期待された20年は故障が癒えた松山竜平がファーストに、ようやくブレイクした堂林翔太がサードでレギュラーになったことでメヒアの出場機会が激減。結果を残すことができなかった。ただし、6年契約を結ぶアカデミー出身選手はほぼ途中で解雇されている中、メヒアは契約満了までプレー。日本語も通訳が務まりそうなほど上達した。

145→95 サビエル・バティスタ
内野手 在籍期間:2016~19
ドミニカ共和国/1992年1月18日生/右投右打
問題児
【NPB】263試合 打率.257 安打198 本塁打62 OPS.865
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 チームにマイナスの氣を呼び込んでしまった元アカデミー生。シカゴ・カブスのRookie級や1A-でプレーしていたがマイナー上位に上がれず、カープアカデミーで鍛え直された。2016年にカープと育成契約で入団し、ファームで経験を積んでいった。2017年にウエスタンで打率.367・21本塁打・OPS1.196の圧倒的な成績を残し、文句なしの支配下登録を勝ち取ると、6月の一軍初打席から2打席連続でホームランを放つ衝撃的なデビューを飾った。支配下初年度は11本塁打・OPS.896と育成上がりでは文句なしの数字をマークした。

 2年目も引き続き打撃で活躍。規定打席未満ながらチーム3位の25本塁打を放ち、HR/9(本塁打率)10.9はセ・リーグ2位にランクするスタッツだった。3年目は初めて開幕から一軍に帯同。4月30日の8回に放ったホームランはプロ野球では平成最後のホームランとなった。

 19年8月、禁止薬物を使用していたことが報道される。6月の時点でドーピング検査で陽性反応が出ていたことが後から発覚し、隠してバティスタを出場させ続けた球団に非難が殺到した。6ヶ月の出場停止期間のほとんどがオフシーズンだったこと、同じように薬物使用が発覚したオリックス(ジョーイ・メネセス)と楽天(ジャフェット・アマダー)が解雇しているのに対してカープは契約続行の方針を見せていたことが余計に印象を悪くさせた。謹慎期間中に参加したドミニカ冬季リーグではメンタル面が原因なのか体重激減かつ精彩を欠く姿を見せてしまう。それを見た球団は結局は契約解除に踏み切ったが、この年(2019年)は緒方監督の暴行疑惑があり、チーム成績も全日程終了後にタイガースに抜かれBクラスに。”ドッテンカープ”のキャッチフレーズ通り、3連覇から一気に転落する呪われたシーズンになってしまった。

58 ジェイ・ジャクソン
投手 在籍期間:2016~18(ロッテ20)
アメリカ合衆国/1987年10月27日生/右投右打
期待以上
【NPB】182試合10勝8敗3S 防御率2.16 BB/9 3.5 K/9 10.0
(広島) 175試合10勝8敗2S 防御率2.10 BB/9 3.5 K/9 9.8
(ロッテ) 7試合0勝0敗1S 防御率3.86 BB/9 3.9 K/9 15.4
【MLB】84試合6勝2敗0S 防御率3.78 BB/9 4.4 K/9 11.9

============ 選手紹介 ============

 ”ジャクソンスマイル”で人気を博したパワー系リリーフ右腕。アスリート性があり、大学時代は投手だけでなく内外野でも出場していた。カープでの3年間で175試合も登板して防御率2.10。ただ、毎年指標が悪化するとともに故障離脱が目立つようになっていった。プロレスが好きすぎて2018年のシーズン中にリングに上がったが、その年のオフに自由契約になったことと関係あるかは不明。

 2020年に千葉ロッテでプレーするも自宅から大麻が見つかって現行犯逮捕された。また、カープ在籍中に日本人の奥さんと結婚したが程なくして離婚。息子の親権争いが勃発、何かとお騒がせな選手であった。。


2024年は大谷に被弾


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57 仲尾次オスカル→オスカル
投手 在籍期間:2016~18
ブラジル/1991年3月28日生/左投左打
日系人 WBC2013
【NPB】25試合2勝0敗0S 防御率6.29 BB/9 2.6 K/9 4.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 沖縄出身の両親を持つ、ブラジル・サンパウロ生まれの日系人投手。ヤクルトスワローズのアカデミーで練習を重ね、2008年に白鷗大学へ留学してから日本暮らしが始まった。楽天の岡島豪郎とバッテリーを組み、所属リーグの関甲新学生野球で活躍するもドラフトでは指名漏れ。社会人の本田技研で3年投げてからカープにドラフト6位で入団した。

 カープには2016~18年に在籍。途中でヒジを下げてサイドスローに変身したが一軍登板はゼロ。18年オフに戦力外通告を受け、社会人野球に復帰した。

66 ブレイディン・ヘーゲンズ
投手 在籍期間:2016~17
アメリカ合衆国/1989年5月12日生/右投右打
【NPB】61試合7勝5敗0S 防御率3.48 BB/9 3.7 K/9 3.9
【MLB】2試合0勝1敗0S 防御率3.38 BB/9 10.1 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 140km/h後半の3種類の速球やチェンジアップを持っていたが、キレのいいスライダーに頼りがちだったリリーフ右腕。カープ初年度の2016年4月に一軍に昇格後、50試合に登板。19H・防御率2.92の好成績でジェイ・ジャクソンとともに投手陣を支えた。先発投手が不足した夏場には6度も先発でマウンドに上がっており、貢献度は大きかった。ただ、翌年は生命線のスライダーの球質が落ち、11試合で防御率6.60に終わった。

 カープを退団後はメジャー復帰を目指すも叶わず、2021年から台湾球界入り。楽天モンキーズのクローザー兼セットアップマンに定着し、CPBL新記録まであと1歩の25試合連続無失点や、107回2/3連続被弾ゼロの記録を残している。

70 スティーブ・ディレイバー
 
(登録名:デラバー)
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年7月17日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0.0 K/9 18.0
【MLB】190試合15勝9敗2S 防御率4.07 BB/9 4.7 K/9 11.2

============ 選手紹介 ============

 奪三振能力の高いリリーフ投手。MLB通算190試合登板。主にブルージェイスで投げ、2013年にはオールスターにも選ばれた経験がある。カープにはジャクソン、ヘーゲンズの保険扱いで2人とも好調だったため、ディレイバーの登板機会は2試合しかなかった。

 大学卒業後に最高位シングルA+止まりで戦力外になり、独立リーグ在籍時に右ヒジを骨折。野球から離れて故郷で高校の臨時講師を務めていた時期があった。そこからメジャーデビューを果たし、2013年にはイマキュレイト・イニングを達成。オールスター投票では選手枠最後の1人を決める”ファイナルボート”で選出された。

5 エクトル・ルナ
内野手 在籍期間:2016(中日13~15)
ドミニカ共和国/1980年2月1日生/右投右打
【NPB】413試合 打率.309 安打474 本塁打39 OPS.826
(中日) 346試合 打率.316 安打408 本塁打34 OPS.848
(広島) 67試合 打率.272 安打66 本塁打5 OPS.707
【MLB】339試合 打率.262 安打208 本塁打15 OPS.699

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズがダヤン・ビシエドを入団させたことで自由契約になっていたところをカープが1年契約で獲得。開幕戦から4番サードを任されたが、外国人枠を投手に3人使っていたため、エルドレッドと一軍枠を争う必要があり出場機会がドラゴンズ時代より限られてしまった。堅いはずの守備でも精彩を欠き、クライマックスシリーズでの走塁中に負傷退場したのが日本最後の試合となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

13 ジェイソン・プライディ
外野手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年10月9日生/右打左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】133試合 打率.216 安打53 本塁打5 OPS.641

============ 選手紹介 ============

 高卒でタンパベイ・レイズに入団後マイナー下部で打棒爆発したが、2008年にメジャーデビュー後は伸び悩んだ。101試合に出場した2011年だけは控え外野手としてメジャーに帯同したが、それ以外のシーズンはほとんどがマイナー生活だった。

 2016年にカープに在籍したが、外国人枠のうち3人を投手に割き、野手1枠はエルドレッドとルナが交代で一軍でプレーしていた。プライディは通年ウエスタンで過ごして打率.230・9本塁打・OPS.700。2人を差し置いて一軍に上がるには物足りなかった。

42 クリス・ジョンソン
投手 在籍期間:2015~21
アメリカ合衆国/1984年10月14日生/左投左打
大活躍 期待以上 日系人
【NPB】128試合57勝37敗0S 防御率2.76 BB/9 3.0 K/9 7.0
【MLB】7試合0勝3敗0S 防御率5.32 BB/9 4.9 K/9 8

============ 選手紹介 ============

 2015年に最優秀防御率、16年に沢村賞を受賞したカープのレジェンド外国人投手。父方の祖母が日本人。アメリカではドラフト1巡目追加補完(全体40位)でプロ入りもメジャーではファストボールが通用せず、MLB通算での登板機会は7試合のみだった。

 2015年のNPB初登板を無四球で1安打完封の衝撃デビューを飾ると、以降もエース級の働きを見せ、1年目は14勝7敗・防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。2年目には早くも開幕投手を任され、シーズン途中に異例の3年契約を締結。レギュラーシーズンを15勝7敗・防御率2.13は無冠ではあったが沢村賞の選考基準7個のうち4項目をクリアしており、外国人ではバッキー(阪神)以来2人目となる沢村賞を獲得した。なお、シーズンオフにアメリカの自宅に沢村賞のトロフィーが郵送されたが、ガラスケースがバキバキになった状態で届く憂き目に遭っている。

 3年目は故障でシーズンの半分しか出場できず、防御率も4点台に終わったが2018~19年は復調。2年連続で11勝を挙げた。しかし、6年目となった2020年は開幕から不振を極め、10試合で0勝7敗。この年限りで帰国し、翌年はどこにも所属しないまま夏場に引退を発表した。

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◇2015年までに在籍した外国人選手
144 ダニーロ・デヘスス 
投手 在籍期間:2015
ドミニカ共和国/1987年2月11日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 身長196cm・100kg超の恵まれた体格を持っていた元カープアカデミー生。前田健太を目標にしていた。かつてセントルイス・カージナルス傘下に所属していたが、シングルAより上に上がれず放出され、カープアカデミーに入った。2013年にカープの練習生に昇格?後、四国アイランドリーグの高知へと派遣され、先発とクローザー両方で活躍。2015年からカープと育成選手契約を結んだ。

 ポテンシャルだけでなく練習熱心な態度は緒方監督の評価を高め、春季キャンプで一軍に割り振られた。支配下登録目前かと思われたが、オープン戦で制球難が酷く、また支配下の外国人が6人もいたため育成契約卒業はならなかった。その後、ウエスタンでもカウントを稼ぐのに苦労し、シーズン後に自由契約となった。同年にプレミア12のドミニカ共和国代表で登板した。

58 マイク・ザガースキー
投手 在籍期間:2015(DeNA16)
アメリカ合衆国/1983年1月27日生/左投左打
【NPB】51試合3勝1敗0S 防御率4.15 BB/9 4.9 K/9 9.4
(広島) 19試合0勝0敗0S 防御率2.40 BB/9 4.2 K/9 9.6
(DeNA) 32試合3勝1敗0S 防御率4.96 BB/9 5.2 K/9 9.4
【MLB】91試合1勝1敗0S 防御率7.78 BB/9 5.7 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 ぽっちゃり体系で一部ファンからは可愛いと評判があったリリーフ左腕。里崎氏に似ているとも言われていた。

 MLBではフィリーズに在籍。2007年にエース右腕のブレット・マイヤーズが離脱し、2Aに上がって間もないザガースキーがMLBにコールアップ。誰もが予想していない形でメジャー昇格を果たした。メジャー初出場となったターナー・フィールド(ブレーブスの本拠地)には家族や友人、元チームメイト達が約60人も応援に駆け付けた。デビューイヤーは25試合に登板したがヒジを痛め、その後丸2年を棒に振った。

 2010~13年にメジャー定着を狙うも叶わず、15年にカープに入団。外国人枠4人目の当落線上にいたため不規則な登板を強いられた。限られた機会では抑えていたが結局1年で退団。この人もほかの助っ人同様ハイチュウが大好きになって帰国していった。

57 ネイト・シャーホルツ
 
(登録名:シアーホルツ)
外野手 在籍期間:2015
アメリカ合衆国/1984年2月15日生/右投左打
元有望株
【NPB】65試合 打率.250 安打58 本塁打10 OPS.734
【MLB】799試合 打率.253 安打529 本塁打52 OPS.707

============ 選手紹介 ============

 ドラフト2巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツに入団し、チームで上位の有望株選手に成長。2007年にメジャーデビューを果たすと、2009年の後半にはフレッド・ルイスからレギュラーを奪い、レフトでの出場機会を増やしていった。ジャイアンツに2012年途中まで在籍し、チャンピオンリングを2個ゲットした。メジャー3球団目のシカゴ・カブスでは2013年に21本塁打を放ってレギュラーを掴みかけるも、翌年は不振でチームを追われ、2015年にカープと契約した。年俸116.2万ドルはカープの新助っ人としては最高額だった。

 外野には前年に打率.336・14本塁打・OPS.978と好成績を残したロサリオがいたが、当たり前のようにシャーホルツが一軍外国人枠に組み入れられ、開幕からスタメンで出場。しかし、事前の期待値とは裏腹に4月は打率.100を切る大不振。その後復調したかと思えば腰痛や熱中症などで細かく離脱を繰り返した。チャンスに打てなかったのも悪印象で、1年で退団となった。

 カープ退団後は再びメジャーを目指したが禁止薬物(HGH)使用が発覚。80試合の出場停止処分を受け、事実上引退となった。ちなみに、1990年代にアトランタ・ブレーブスを常勝軍団に作り上げたジョン・シャーホルツ元GMの息子ではない。

13 ヘスス・グスマン
内野手 在籍期間:2015
ベネズエラ/1984年6月14日生/右投右打
【NPB】34試合 打率.230 安打23 本塁打3 OPS.756
【MLB】403試合 打率.247 安打249 本塁打25 OPS.706

============ 選手紹介 ============

 ”投手天国”ペトコパークにフィットするラインドライブヒッターとしてサンディエゴ・パドレスの準レギュラーに定着。毎年100試合前後出場していた。もともとは一塁手だったが、途中でマニー・マチャドの義理の兄ヨンダー・アロンソが入ってきたため、外野を守らされてよくエラーをしていた。

 カープには年俸100万ドルの1年契約で入団。開幕戦は4番を打ったが、シーズン序盤にケガで戦線離脱。その間にエルドレッドが復帰&シアーホルツが途中加入して二軍漬けになった。

70 ダンテ・ヒース
投手 在籍期間:2014~15(西武18~19)
アメリカ合衆国/1985年8月28日生/右投右打
期待以上
【NPB】126試合12勝10敗19S 防御率2.66 BB/9 3.4 K/9 10.0
(広島) 50試合6勝6敗4S 防御率2.36 BB/9 3.8 K/9 9.3
(西武) 76試合6勝4敗15S 防御率3.04 BB/9 2.8 K/9 11.0
【MLB】8試合0勝0敗0S 防御率10.24 BB/9 12.1 K/9 3.7

============ 選手紹介 ============

 2014年7月下旬のトレード期限間際にカープと契約。7試合に先発登板・3勝0敗・防御率2.38、クライマックスシリーズでも登板し、期待以上の好成績を残した。翌15年はクローザーに抜擢されるも、不安定なピッチングでミドルリリーフに降格、二軍にも落ちた。ヒースの配置転換が失敗したことで、クローザー中﨑が誕生した。

 パワーピッチ系の黒人選手に多い、150km/h台のファストボールにスライダーやツーシーム、スプリッターを混ぜるピッチング。カーブやチェンジアップも持っていて、日本人打者には結構通用していた。なお、入団時の会見で「(タイガースの)マウロ・ゴメスを抑えたこともある」と語ったが、アメリカでの対戦成績は被打率6割超。確かに10回に3回は打ち取っているので、ウソは言っていない。

69 ライネル・ロサリオ
外野手 在籍期間:2014~15
ドミニカ共和国/1989年3月29日生/右投右打
期待以上
【NPB】111試合 打率.309 安打112 本塁打16 OPS.873
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 外国人枠に阻まれた俊足とパワーがウリの苦労人。ドミニカ共和国出身のロサリオは、2006年に国際FAでセントルイス・カージナルスと契約したが、AAまでしか昇格できずリリース。23歳になっていたロサリオをカープアカデミーが拾い、2014年の春のキャンプ期にカープに支配下登録された。4月下旬に一軍に昇格すると、周囲の予想を上回る打撃を見せる。5月の試合では4打数4安打1ホーマーと大暴れしたが、キラが戦列復帰と入れ替わりにウエスタンに降格となった。その後も”一軍”メンバーの離脱に付き合わされる形で昇降格を繰り返しながらもサヨナラ3ランやサイクルヒットを達成。1年目は69試合に出場、打率.336・14本塁打・49打点・OPS.978の好成績でシーズンを終えた。

 2年目は開幕前に盲腸にかかる幸先の悪いスタート。シーズントータルで実に5回も一軍とファームを昇降格させられ、出場試合数は42試合に減少した。4年契約を結んでいたが、さすがにロサリオのモチベーションは無くなっており、2年目のシーズン限りで退団となった。

 得意のバッティングで結果を残したものの、外野守備に難があるという減点方式で出場機会が限られた感があった。それならエルドレッドはともかく松山の守備もどうかと思うが、2014~15年のカープは外国人を7人抱える異様なロースター編成であり、15年には外野手のシアーホルツを新外国人としては歴代最高年俸で迎え入れ、ロサリオにとっては厳しい時期に在籍してしまった。雑な扱いを受けていなければどれだけオフェンス面で成績を残したのか、通年プレーさせてあげたかった選手であった。

58 ザック・フィリップス
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1986年9月21日生/左投左打
【NPB】9試合1勝0敗0S 防御率3.27 BB/9 2.5 K/9 5.7
【MLB】27試合0勝1敗0S 防御率3.22 BB/9 3.6 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 緒方監督の外国人だぶらせ構想で飼い殺しにされたリリーフ左腕。ザックが在籍した2014年の外国人は投手がバリントン、ミコライオ、ヒース、野手がエルドレッド、キラ、ロサリオが所属。7人も抱えるロースターだったため、4人までしか認められない一軍で彼の登板機会はたった9試合。ウエスタンでは防御率0.26と圧倒しセーブ王(17S)を獲得していて、飼い殺しのお手本のような立場に置かれていた。

 年齢的にも成績的にも残留すると思われたが、チームは14年オフに同じ左腕のKJとザガースキーを獲得。反発するかのように退団していった。キアヌ・リーヴス似。

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13 キラ・カアイフエ
 
(登録名:キラ)
内野手 在籍期間:2013~14
アメリカ合衆国/1984年3月29日生/右投左打
【NPB】154試合 打率.258 安打132 本塁打25 OPS.802
【MLB】126試合 打率.221 安打91 本塁打15 OPS.687

============ 選手紹介 ============

 ハワイ出身の元一塁手。打力がウリで選球眼に優れていた。AAのテキサスリーグでMVPを受賞したが、デビューしたロイヤルズではエリック・ホズマーがレギュラーの座をゲットしたためチャンスが無かった。

 カープには2013年の夏に途中入団し、66試合ながら14本塁打・OPS.840をマーク。14年は前半戦は常時スタメンで出場してオールスターに選出されるも、後半はケガとライネル・ロサリオが打ちまくったため居場所を失った。

 弟のカラ・カアイフエJr.はマイナーで7年間プレー。父のカラSr.も元マイナーリーガーで、3Aのハワイ・アイランダーズ時代にはデュプリーと同僚だった。

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58 ミゲル・ソコロビッチ
投手 在籍期間:2013
ベネズエラ/1986年7月24日生/右投右打
【NPB】11試合0勝2敗0S 防御率0.79 BB/9 3.2 K/9 4.8
【MLB】74試合5勝3敗1S 防御率4.62 BB/9 3.1 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 テイクバックの小さい、いわゆる出どころが見えずらい投球フォームが持ち味だったベネズエラ人リリーバー。150km/h超の2種類のファストボールは日本向きかと思われたが、肩の違和感で2度も戦線離脱した。

41 フレッド・ルイス
外野手 在籍期間:2013
アメリカ合衆国/1980年12月9日生/右投左打
【NPB】79試合 打率.268 安打71 本塁打4 OPS.735
【MLB】535試合 打率.266 安打415 本塁打27 OPS.747

============ 選手紹介 ============

 スピードとパワーヒッティングが持ち味の左打ち外野手。MLBで一時期レギュラーで出場し、通算27本塁打・53盗塁。いとこのマット・ロートンはMLB通算138本・165盗塁の大物メジャーリーガー。

 カープでは身体能力の高いルイスに大きな期待がかけられたが、レギュラーシーズンを調子の底の状態で迎えてしまい、外国人選手の序列を下げられてしまった。

 MLBでのデビューチームのサンフランシスコ・ジャイアンツではデビュー年にグランドスラム2本を放ち、2008年にはスプラッシュヒットも記録している。

55 ブラッド・エルドレッド
内野手 在籍期間:2012~18
アメリカ合衆国/1980年7月12日生/右投右打
大活躍 優良助っ人
【NPB】577試合 打率.259 安打496 本塁打133 OPS.844
【MLB】90試合 打率.203 安打56 本塁打15 OPS.674

============ 選手紹介 ============

 新井貴浩がFAでいなくなってから1人も20本をクリアできないシーズンが度々あった中、久しぶりに現れたホームランバッター。196cm/120kg後半の巨体から放つ打球はカープの野手では際立っていた。故障離脱が多かったのは残念だが、オールスターにも2度選出。2014年に37本塁打で初のタイトルを獲得した。引退するまでの6年半もの期間をカープに在籍したが、2年目だった2013年シーズン終了後は球団は解雇する方針だったと言われている。

 カープの歴代助っ人の中でも真面目外国人として一目置かれていた。故障離脱してウエスタンで調整中、堂林翔太ら後輩への打撃指導も惜しまなず、チーム事情で外野と一塁を行き来させられた時期には誰よりも熱心に守備練習をこなしていた。来日初年度に日本の配球に苦しんでいたとき、野村監督から英語で直接アドバイスをもらい、そこから順応するようになっていった。エルドレッド自身、通訳を介さずにコミュニケーションをとってくれたことに感謝しており、悪評が目立った野村謙二郎関連では数少ないポジティブなエピソードだった。

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57 キャム・ミコライオ
投手 在籍期間:2012~14(楽天15~16)
アメリカ合衆国/1984年5月10日生/右投右打
大活躍
【NPB】214試合11勝11敗73S 防御率2.42 BB/9 2.6 K/9 6.5
(広島) 169試合6勝10敗73S 防御率2.43 BB/9 3.0 K/9 6.7
(楽天) 45試合5勝1敗0S 防御率2.38 BB/9 1.2 K/9 5.8
【MLB】29試合0勝3敗0S 防御率4.83 BB/9 4.8 K/9 9.4

============ 選手紹介 ============

 2メートル超の長身リリーバー。野球不毛の地?モンタナ州のド田舎で高校まで過ごし、MLB入りを目指してユタ州の大学でプレーした。シアトル・マリナーズに入団後にトレードでボルティモア・オリオールズに移籍。これはマリナーズ史上最悪のトレードと思われているエリック・ビダード1人に対して5人を差し出したトレードで、メインピースのアダム・ジョーンズやクリス・ティルマンは球宴レベルに成長。5人のうち”その他”の1人がミコライオだった。メジャーでは4年で29試合登板に留まり、2012年からカープに入団した。

 カープでは毎年50試合以上に投げ、3年で169試合に登板。1年目の途中にサファテから奪い取る形でクローザーに定着し、防御率は3年連続で2点台をマークしていた。ただし数字ほど安定して抑えていた印象はなく、脚と腰のコンディション不良が目立ってきたこともあって3年で契約を打ち切った。3人の子供は全員NPB在籍中に生まれた。

70 ニック・スタビノーア
 
(登録名:ニック)
外野手 在籍期間:2012~13
アメリカ合衆国/1982年5月3日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】66試合 打率.223 安打49 本塁打10 OPS.695
【MLB】147試合 打率.234 安打62 本塁打4 OPS.581

============ 選手紹介 ============

 登録名ニックの巨漢バッター。アメフトメインでテキサス州の短大に入学後、ジュニア(3年生)から強豪ルイジアナ州立大学に転学。短大と大学(NCAA)在学時に両方でワールドシリーズ出場のレアな経験をした。大学ではキャッチャーだったがプロ入り後は外野手→一塁手とポジションを移した。

 カープでは長年の課題の長打力不足解消のために迎え入れられた。粗さの目立つ大味なバッティングには一抹の不安を覚えたが、唯一長打が打てる存在だった栗原健太をケガで欠き、ぜいたくを言っていられないチーム状況だった。試合に出してみると開幕から打撃で貢献。誤審でファール判定されながらも3打席連続ホームランを放ち、5月までで9本塁打と及第点の活躍。しかし、6月に走塁中にヒザの靭帯をやってしまい、シーズン終了。翌年も契約延長したが、打撃不振に陥った。

 守備が苦手ながらも一生懸命にプレーする姿は好感が持てた。人格的にもマジメと評判で、ファンレターはすべて返事を出していたという。ニックが戦闘不能になって大慌てで助っ人探しをした結果がエルドレッドだったわけで、ヒザの大ケガも含めてニックの存在は大きなプラスであった。

42 ブライアン・ブリントン
 
(登録名:バリントン)
投手 在籍期間:2011~14(オリ15)
アメリカ合衆国/1980年9月30日生/右投右打
元有望株 大活躍
【NPB】124試合45勝45敗0S 防御率3.25 BB/9 2.2 K/9 6.2
(広島) 110試合40勝42敗0S 防御率3.25 BB/9 2.1 K/9 6.2
(オリ) 14試合5勝3敗0S 防御率3.30 BB/9 2.9 K/9 5.6
【MLB】26試合1勝9敗0S 防御率5.62 BB/9 3.4 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 当たり前のように中4日で投げてくれたカープ最高の助っ人投手。2002年のMLBドラフト全体1位でプロ入り。メジャーでは1勝9敗に終わり花咲かず、2011年にカープに入団。球速は145km/h前後だったが高い制球力で内野ゴロを量産。マエケンらと先発陣の一角を担った。13年にはミンチーが持っていた球団外国人勝利数(29勝)を更新し、4年間で40勝を挙げた。

 カープ最終年となった2014年はチームが7人の外国人を抱え、スタンバイしていたダンテ・ヒースに代わって二軍落ちすることもあった。恐らくそんなチーム事情に不満もあったのだろう、シーズンオフに1.3億円のオファーを突っぱね、オリックスに移籍した。

Embed from Getty Imagesメジャー通算で26試合・1勝9敗。MLBドラフト全体1位指名といえど活躍が保証されたわけではない

58 デニス・サーフェイト
 
(登録名:サファテ)
投手 在籍期間:2011~12(西武13,SB14~21)
アメリカ合衆国/1981年4月9日生/右投右打
期待以上
【NPB】427試合27勝20敗234S 防御率1.57 BB/9 2.6 K/9 11.9
(広島) 104試合3勝8敗44S 防御率2.04 BB/9 3.3 K/9 10.3
(西武) 58試合9勝1敗10S 防御率1.87 BB/9 3.7 K/9 10.3
(SB) 265試合15勝11敗180S 防御率1.31 BB/9 2.0 K/9 12.9
【MLB】92試合5勝4敗0S 防御率4.53 BB/9 6.1 K/9 9.9

============ 選手紹介 ============

 2006年にメジャーデビュー後、ミゲル・テハダの1対5のトレードの1人として3球団目となるオリオールズに移籍。まだメジャーレベルでやるには力不足だったが、当たり前のようにシーズン100敗をしていたオリオールズにはブルペン入りすることができた。2008年に通年帯同して57登板。79回2/3で86三振を奪った一方で69四死球を与える不安定な投球内容であった。MAX99マイルの速球が魅力もメジャー屈指のノーコン投手と認識されていた。

 2011年に広島に入団すると、日本のボールが手に馴染んだのかもしれない。MLBで6.1個、マイナーでも4.8個だった与四球率が2.4個にまで改善。別人のようにボールを操るようになり、当然成績は向上し、防御率1.34・35Sの好成績を挙げた。

 ところが翌年、事件と呼んでも過言ではない出来事が起こる。新加入のミコライオが戦力になる目途が立ち、サファテの前のセットアップマンの役回りになっていた。4月終わりのスワローズ戦、9回の時点で4対3の絶好のセーブシチュエーションで、野村監督はなぜかミコライオを起用。バレンティンに逆転3ランを打たれて敗れた。監督はイレギュラーな起用法を謝罪したが、サファテは明らかに不満を持っており、これ以降はかつてのマイナー時代のようなフォアボールを出すピッチングが増えていった。この年はミコライオの他にも今村のリリーフ転向が大成功しており、オフに自由契約に。退団後は西武とSBでカープ時代以上に活躍。

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35 ブライアン・バーデン
内野手 在籍期間:2011~12
アメリカ合衆国/1981年4月2日生/右投右打
【NPB】64試合 打率.281 安打59 本塁打3 OPS.739
【MLB】119試合 打率.211 安打37 本塁打4 OPS.571

============ 選手紹介 ============

 カープ入団前、4年連続でメジャーに昇格。2008年に北京オリンピックのアメリカ代表で銅メダル、09年の4月には月間最優秀新人賞に選ばれるも、メジャー定着は叶わず日本にやってきた。

 股関節を痛めて帰国したトレーシーの代わり役として2011年7月に来日。高出塁率(.368)をマークしたが期待された本塁打は3本に終わり、オフにチームは長距離ヒッター補強に本腰を入れた。ニック・スタビノーアと契約を交わし、不動の投手3人(バリントン、サファテ、ミコライオ)と野手1人体制によって出場機会大幅減の見通しとなった。昇給を勝ち取っていたがモチベーションがゼロになり、2012年は1度も一軍に登録されないまま終わった。

43 チャド・トレーシー
内野手 在籍期間:2011
アメリカ合衆国/1980年5月22日生/右投左打
元有望株
【NPB】40試合 打率.235 安打35 本塁打1 OPS.628
【MLB】938試合 打率.274 安打741 本塁打86 OPS.772

============ 選手紹介 ============

 2002・03年に2年連続でマイナーの球宴に選出。04年にアリゾナ・Dバックスでメジャーデビューしてから3年間レギュラーとして出場した。2年目には打率.308・27本塁打・OPS.911の好成績を挙げていたが、しだいに出番が少なくなってきたところで来日を決断した。

 もとはヒッティングツールに優れたラインドライブヒッター。マイナーで年間11本塁打が最多で、本来は長打を打つタイプではなかったが、Dバックス時代はホームランの出やすい球場で2年連続で20本塁打をマーク。表面上のスタッツだけ見て獲得したような節があり、カープではフィオやヒューバーと同様に長打を求められた。40試合に出場した段階で股関節を痛め、そのままアメリカから戻ってこなかった。

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140 ウィルフィレーセル・ゲレロ
投手 在籍期間:2010~11
ドミニカ共和国/1986年10月17日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープアカデミーから四国アイランドリーグに派遣され、2008~09年に長崎と徳島に所属。インディゴソックスでは後期に活躍して最優秀防御率のタイトルを獲得した。身長190cm台なかばの大柄な体格から150km/h超の速球を投げられ、ポテンシャルを買われてカープと育成契約を結んだ。

 カープでは2年間二軍でフォーム矯正を続けたが制球力に改善が見られず、2011年オフに契約解除。ドミニカに戻ってあとは一時期野球から離れていたが、立ち直りまた野球をやることを決意。再来日し、2013~15年に四国アイランドリーグの高知と愛媛でプレーした。

 現役を引退した頃には30歳になっていたゲレロだったが、日本での経歴に目を付けたSBホークスから声をかけられた。通訳兼世話人として契約し、ゲレロは若鷹寮に住み込んで活動。モイネロやコラスら大物キューバ人の会見で通訳を務め、日本の高校生の年齢でやってくる若者たちのサポートをこなしている。

91 ジャンカルロ・アルバラード
 
(登録名:ジオ→ジオ・アルバラード)
投手 在籍期間:2010~11(DeNA12)
プエルトリコ/1978年1月24日生/右投右打
WBC2009 WBC2013
【NPB】46試合12勝21敗0S 防御率3.53 BB/9 3.1 K/9 7.9
(広島) 38試合11勝15敗0S 防御率3.46 BB/9 2.9 K/9 7.6
(DeNA) 8試合1勝6敗0S 防御率3.92 BB/9 4.2 K/9 9.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 立ち投げのような狭い歩幅のクロスステップで投げていたプエルトリカン右腕。2009・13年のWBC代表に出場。2013年大会ではドミニカ共和国との決勝戦に先発登板するも1回で降板、負け投手になっている。

 カープでは先発ローテーション投手としてイニングを消化。一時期はマエケンに次ぐ2番手の位置づけだった。勝ち運に恵まれず、というより打線が弱すぎて抑えた割に白星が付かない投手だった。2年間で38試合11勝15敗・防御率3.46と及第点の結果を残したが、2年目にケガで稼働率が悪かったのが嫌われ自由契約となった。

 イギリス人の俳優ジョン・ハナーに似ていると言われる端正なマスクの持ち主だが、奥さんも元モデル。故郷のプエルトリコでモデル育成の学校を運営している。

◇2010年までに在籍した外国人選手
24 エリック・スタルツ
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1979年12月9日生/左投左打
【NPB】21試合6勝10敗0S 防御率5.07 BB/9 3.3 K/9 6.3
【MLB】135試合36勝48敗0S 防御率4.24 BB/9 2.5 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 ドジャースで先発投手を務めながらもなかなか定着できなかった左腕投手。カープ入りの何年も前からNPB球団からオファーが来ていたと噂されていて、中でも千葉ロッテが熱心に獲得を検討していたと言われている。7000万円の好オファーが決め手となって2010年にカープに入団。メジャーでの実績から先発で大活躍の予想もあったが、124回1/3で23被本塁打。確かにMLB時代から被弾は多めだったが、それにしてもよくフライが飛び交った。

 アメリカに帰国後は再びメジャーへ。サンディエゴ・パドレスに在籍した2013年に自己最多の33試合・203回2/3を記録。投手有利なペトコパークを味方につけて飛躍した。

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42 ビニー・チャルク
 
(登録名:チューク)
投手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1978年12月19日生/右投右打
【NPB】16試合2勝0敗1S 防御率5.79 BB/9 3.4 K/9 5.8
【MLB】259試合8勝15敗2S 防御率4.51 BB/9 3.5 K/9 6.3

============ 選手紹介 ============

 背中にセミが止まって離れない映像がテレビ中継され続けたリリーフ専任投手。MLBではデビューイヤーに松井秀喜から初三振をマーク、酷使に耐えうるリリーバーとして活躍していた。

43 ジェフ・フィオレンティーノ
 
(登録名:フィオ)
外野手 在籍期間:2010
アメリカ合衆国/1983年4月14日生/右投左打
【NPB】44試合 打率.246 安打31 本塁打2 OPS.681
【MLB】58試合 打率.270 安打40 本塁打1 OPS.666

============ 選手紹介 ============

 選球眼を最も評価されているバッターなのに、カープでは打線の核として長打力を求められる。入るチームを間違ってしまった。

 引退後はアマチュア野球の指導者の道へ。チポラ大学のコーチとして活動し、近年ドラフト指名される選手が急増。指導力を買われている。

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11 ジャスティン・ヒューバー
内野手 在籍期間:2010
オーストラリア/1982年7月1日生/右投右打
元有望株 WBC2006 WBC2009 WBC2013
【NPB】80試合 打率.220 安打39 本塁打7 OPS.718
【MLB】72試合 打率.224 安打36 本塁打2 OPS.580

============ 選手紹介 ============

 WBCなどの国際大会でいつも引っ張られていたオーストラリア人内野手。野村謙二郎監督が解説者時代、ロイヤルズでプレーするヒューバーの姿を見て一目ぼれし、監督になってカープに入団させた。ただ、数年前に痛めたヒザを庇って騙し騙し野球を続けている状態で、来日前の成績も良くなかった。

 オープン戦で打率1割台半ばだったが、開幕戦もスタメンで起用。スワローズ戦限定でスラッガーに変貌することはあったが、それ以外ではいつまでも不振が続いた。途中でウエスタンに落ちたが栗原健太が死球で手首を骨折すると代役で一軍に呼び戻され、夏場に短期間活躍したもののシーズンの大部分で低空飛行が続いた。

 打線の主軸要員が結局80試合で打率.220・7本塁打に加えてチャンスに弱かった。ただそれ以上にフロントは獲得の際に難色を示し、早い段階で見切っていたものを野村監督がお気に入りだったからかいつまでも起用し続ける采配には大きな疑問が残った。

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68 申成鉉(シン・ソンヒョン)
投手 在籍期間:2009~13
大韓民国/1990年10月19日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 日本の野球に憧れて京都国際高校に野球留学。通算30本塁打を放ち、日韓両国で注目を集めた。2008年秋のドラフトでカープが4位で指名。SBホークスの金無英とともに韓国のアマチュアから直接NPBに入った初の選手になった。

 打撃力とスピード、強肩とウリが多かったが、カープ入団後はどちらもアピールできず。チャンスがあればどんなポジションにも挑戦したが5年で一軍昇格を果たせなかった。

 退団後は母国に拠点を移し、ハンファ・イーグルスや斗山ベアーズでプレー。一時期は捕手で公式戦に出場し、日本時代と変わらずハングリー精神を忘れない選手だった。

124→125→99 ディオーニ・ソリアーノ
投手 在籍期間:2009~11
ドミニカ共和国/1982年12月30日生/左投右打
【NPB】18試合3勝4敗0S 防御率4.08 BB/9 3.6 K/9 5.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算412本塁打のスター選手に成長したソリアーノが、晩年にカープに戻ってきた… のではなく、まったくの別人。血縁関係もない。カープアカデミーから中国・広東レオパーズに派遣され、3年間四国アイランドリーグでプレーしてからカープと育成契約を結んだ。独立リーグではファストボールが常時130km/h台だったが、カープ入団後は150km/hが出るようになり、2010年7月に支配下登録。99番を背負うと、シーズン終盤にはタイガース相手に完封。アカデミー出身投手では1996年のロビンソン・チェコ以来、久々の勝ち投手になった。

 ただ、完封勝利も内容的には球が散って的を絞られなかった感があり、コントロールはかなりアバウトだった。2011年は8試合に登板。被打率は低かったが最終登板となった巨人戦で矢野謙次に代打満塁ホームランを浴びたのがマイナス点となり、11年オフ限りで戦力外に。

43 スコット・ドーマン
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1978年2月13日生/右投右打
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率17.28 BB/9 7.6 K/9 4.3
【MLB】164試合9勝8敗1S 防御率5.32 BB/9 5 K/9 8.7

============ 選手紹介 ============

 永川勝浩につなぐセットアップマンを期待されて入団した元MLBリリーフ右腕。やや後ろに傾きタメを作る投球フォームでクイックモーションにも優れる・・・日本人投手に近い特徴を持ち、常時150km/h前後のファストボールとスライダーはNPB向きだと思われた。

 ところが蓋を開けてみれば、投げるたびに滅多打ちに遭った。6月のロッテ戦では打者6人に被安打4・与四死球2と火に油を注ぎ、1イニング15点の日本新記録樹立に一役買ってしまった。この試合までで9試合に投げて防御率17.28。オールスターまで持たずに解雇され、年俸4400万円は日割りすることなく全額お支払いされた。

22 アンディ・フィリップス
内野手 在籍期間:2009(楽天10)
アメリカ合衆国/1977年4月6日生/右投右打
期待以上
【NPB】100試合 打率.249 安打86 本塁打17 OPS.778
(広島) 74試合 打率.265 安打70 本塁打15 OPS.839
(楽天) 26試合 打率.198 安打16 本塁打2 OPS.579
【MLB】259試合 打率.250 安打139 本塁打14 OPS.679

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算269試合、初打席初球にホームラン(史上21人目)を放ったことで知られる元MLB内野手。大物揃いのヤンキースで出番が限られていたが、2006年にジェイソン・ジアンビやゲイリー・シェフィールドがケガがちになると出場機会を増やし、一時期は貴重な内野のバックアップとして活躍した。だが打撃で手首を骨折し、それが現役引退まで尾を引いてしまった。

 2009年6月、貧打に悩まされるカープに途中入団。ホームランバッターでなく、ショートは無理だがセカンドとサードはこなせる点でラロッカやシーツのような活躍を期待された。シーズンのほぼ半分の74試合出場で15本塁打・長打率.500と期待以上のパワーを発揮。にもかかわらずカープは翌年の契約を結ばなかった。なぜだ?

 9月最後の試合ではコルビー・ルイスがバント失敗の腹いせにぶん投げたヘルメットが顔に当たって負傷。守備ではほぼ初心者の外野を守らされ、普通のフライを処理しただけでスタンドから拍手が起きていた。打撃で結果を残したわりに扱いが酷かった気がする。生粋のアラバマっ子で、帰国後は母校アラバマ大学で指導者に。

Embed from Getty Images左からA-Rod、デレク・ジーター、ロビンソン・カノー、アンディ・フィリップス。

90 スコット・マクレーン
内野手 在籍期間:2009(西武01~03,04)
アメリカ合衆国/1972年5月19日生/右投右打
【NPB】434試合 打率.236 安打340 本塁打89 OPS.802
(西武) 320試合 打率.233 安打242 本塁打71 OPS.824
(広島) 114試合 打率.244 安打98 本塁打18 OPS.744
【MLB】44試合 打率.192 安打15 本塁打2 OPS.579

============ 選手紹介 ============

 西武ライオンズでは4番カブレラをサポートする役割で活躍した強打者。2009年に開幕から打線が冷え切っていた広島にゴールデンウイーク直前に入団した。シーズン終了まで出場を続けて打率.244・18本塁打。ほかの助っ人や日本人内野手たちが不甲斐ない中、及第点の成績ではあったがこの年限りで退団。lions時代に痛めた手首のケガにずっと悩まされていたらしい。

 ⇒西武ライオンズ(2000年以降)参照

70 マイク・シュルツ
投手 在籍期間:2008~11(オリ13)
アメリカ合衆国/1979年11月28日生/右投右打
期待以上
【NPB】159試合8勝8敗8S 防御率2.53 BB/9 3.2 K/9 7.5
(広島) 158試合8勝8敗8S 防御率2.55 BB/9 3.2 K/9 7.5
(オリ) 1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0.0 K/9 9.0
【MLB】1試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 0 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 ちょっと怪しいメカニクスで身長2mから投げ下ろす速球派右腕。MLB通算1試合登板の”Cup of Coffee”選手だが、カープでは2008~11年に在籍した。

 最初の2年はセットアップマンとしてフル稼働。09年はリーグ最多ホールドの35H。速球は150km/hを計時し、統一球導入以前でありながら128イニングのうち被本塁打はタイロン・ウッズに浴びた1本のみ。被弾しないピッチングは非常に安定感があった。

 だが、2010年に腰のヘルニアを患ってからは試合に出られず、10~11年は30試合登板に留まった。退団後は2013年にオリックスにテスト入団も、1軍では1試合のみの登板に終わった。

11 コルビー・ルイス
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1979年8月2日生/右投右打
大活躍
【NPB】55試合26勝17敗0S 防御率2.82 BB/9 1.2 K/9 9.4
【MLB】233試合77勝72敗0S 防御率4.70 BB/9 2.8 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 来日前に防御率7.30ながら10勝(9敗)を挙げた先発5番手レベルの投手だったが、日本での経験を経てメジャーで4度2ケタ勝利を挙げる一流投手に成長した。ちょうど黒田博樹が渡米したタイミングで来日し、絶対埋まらないと思っていたエースの役割を全うした。カープファンにとっては神様の1人。

 2008年にカープに入団。オープン戦から公式戦初登板にかけてボークを取られまくったが克服し、以降は安定したピッチングを続けた。2年続けてオールスターに選ばれ(08年は出場できず)、奪三振王も2度獲得。ファストボールは145km/h前後もカットボール、チェンジアップ、ツーシームいずれも狙ったコースに投げ分ける技術があったため、投球テンポが非常に良かった。これは数字にも表れており、K/BBは驚異の8.02だった。

 2009年シーズンを終えて当然カープは契約延長を望んだが、夫人が病気を抱えていたほか、異国での生活にそこまで馴染めていなかったこともあり帰国した。

 翌年から古巣テキサス・レンジャースでいきなり先発ローテーションに定着。2ケタ勝利4度、200イニング超えを3度の素晴らしい実績を残した。ルイス自身、日本の投手に引っ張られてコントロールが向上し、メジャーでの成功に繋がったと考えており、カープでの2年間に感謝の気持ちを持っている。2017年に現役を引退後、古巣のレンジャースのGM補佐に就任した。

 ちなみに横浜ベイスターズの長い長い暗黒期とそのお粗末なプレーを指す”ベイス”という言葉は、2008年の交流戦でルイスと横浜の勝利数がほぼ変わらなかったことが由来。最終的にルイス4勝(無敗)に対してベイス6勝(18敗)と辛うじて横浜が勝利数で上回った。

Embed from Getty Images古巣レンジャースに戻ってからはエースに成長

34 ベン・コズロースキー
投手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1980年8月16日生/左投左打
【NPB】27試合2勝1敗2S 防御率5.17 BB/9 4.0 K/9 7.3
【MLB】2試合0勝0敗0S 防御率6.30 BB/9 9.9 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 MLB通算2試合のいちおう元メジャーリーガー。慢性的なリリーフ左腕不足を補うべく入団したサウスポーだったが、むしろ左打者に打たれまくっていた。1年目は打ち込まれた挙句に左ヒジの手術で自由契約になったが、減俸で残留することになった。

 翌年は1試合登板に終わって今度こそ退団。年間通じてコントロールが悪く、「ベイルの再来」とはならなかった。

25→57 スコット・シーボル
内野手 在籍期間:2008~09
アメリカ合衆国/1975年5月17日生/右投右打
【NPB】150試合 打率.258 安打136 本塁打19 OPS.724
【MLB】60試合 打率.217 安打23 本塁打1 OPS.562

============ 選手紹介 ============

 タイガースにFA移籍した新井貴浩に代わる主軸候補に獲得した元MLBプレイヤー。1年目は打率2割後半・本塁打15と、乏しいメジャーでの実績を考えれば及第点の成績。翌年はマクレーンとフィリップスに出場機会を奪われ、2年で退団した。

 NPBではリーグ上位の勝利打点数を叩き出し、チャンスで結果を残したところはよかった。ただ本来は内野のユーティリティタイプ。新井の後釜としてはパワー面が足りない選手であり、フロントの人選ミスといえる選手だった。そしてシーボル以降に獲得した助っ人野手達がことごとく不振で、それならシーボルを残した方がマシだったと思える惨状になった。

90 ジム・ブラウワー
投手 在籍期間:2008
アメリカ合衆国/1972年12月29日生/右投右打
大物
【NPB】21試合0勝2敗0S 防御率3.98 BB/9 3.5 K/9 5.8
【MLB】354試合33勝32敗5S 防御率4.67 BB/9 4 K/9 6.2

============ 選手紹介 ============

 メジャー通算354試合登板、サンフランシスコ・ジャイアンツでセットアップマンを務めていた実績充分のリリーフ右腕。2004年には89試合も登板している。150km/h前後のツーシームとスライダーが基本線のピッチングスタイル。

 2008年のカープはブルペンの柱・横山竜士が離脱してしまい、トレード期限ぎりぎりの7月下旬に契約させた。オールスター後に公式戦で投げ始めたが、ツーシームはメジャー時代より2~3マイル遅く、日本の打者にも結構バットの芯で捉えられていた。シーズン終盤に素手でキャッチを試みて負傷、そのまま自由契約となった。

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43 アレックス・オチョア
 
(登録名:アレックス)
外野手 在籍期間:2007~08(中日03~06)
アメリカ合衆国/1972年3月29日生/右投右打
元有望株
【NPB】765試合 打率.289 安打847 本塁打97 OPS.794
(中日) 550試合 打率.283 安打586 本塁打75 OPS.795
(広島) 215試合 打率.304 安打261 本塁打22 OPS.792
【MLB】807試合 打率.279 安打597 本塁打46 OPS.766

============ 選手紹介 ============

 MLBで第4の外野手の立ち位置が多かった元中日の強肩外野手。2002年にシーズン途中にアナハイム・エンゼルスに移籍しワールドチャンピオンの一員となったが、翌年のシーズン前にメジャー契約を得られず。ケビン・ミラーの代役を探していたドラゴンズに入団して4年に渡って活躍した。

 ドラゴンズを退団後にレッドソックスでプレーしていたが、5月の時点で解雇されたところをカープが獲得した。同じセ・リーグということで打撃はそこそこ打っていたが、足と肩の衰えが顕著だった。リーグワーストのダブルプレーを打ち、中日時代のようなバックホームも見られなくなっていた。より微妙な成績だったシーボルが残留した一方、年齢を考慮したようでアレックスの方は08年を以って自由契約となった。

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

123→95 エスマイリン・カリダッド
 
(登録名:カリダ)
投手 在籍期間:2007
ドミニカ共和国/1983年10月28日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率0.00 BB/9 13.5 K/9 0.0
【MLB】22試合1勝1敗0S 防御率3.09 BB/9 3.1 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 黒田博樹の”お古”を譲ってもらいプレーしていたドミニカ人右腕。カープアカデミーから育成契約で入団後、シカゴ・カブスでメジャーデビュー。日本人を差し置いて育成からメジャー昇格した初の選手になった。

 カープには2006年に入団。ウエスタンで防御率1点台をマークしていたのが認められ、一軍に昇格。2試合に投げたが投球回は0回2/3のみ。実力不足という理由で1年でクビになったが、当時まだ23歳なうえ育成枠で入団している選手。見切りが早すぎたのではないか?

48 ジャレッド・フェルナンデス
投手 在籍期間:2007
アメリカ合衆国/1972年2月2日生/右投右打
【NPB】30試合3勝8敗0S 防御率6.04 BB/9 3.3 K/9 3.2
【MLB】37試合4勝7敗0S 防御率5.05 BB/9 4 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 メジャーでも希少なフルタイムナックルボーラー。日本では皆無な存在なため、招き入れたカープは思い切った決断をしたものだと当時感心した覚えがあるが、NPB初登板で5回10失点。92イニング消化も防御率6.04と振るわなかった。

 公表は体重223ポンド(101kg)とされているが+10kgはあったように見え、明らかに絞れていなかった。試合前にビールを飲む悪癖があったからかもしれない。牽制のテクニックはなぜか上手かった。

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93 ビクトル・マルテ
投手 在籍期間:2006~08
ドミニカ共和国/1980年11月8日生/右投右打
【NPB】30試合0勝2敗0S 防御率6.16 BB/9 5.0 K/9 5.9
【MLB】82試合6勝3敗0S 防御率7.05 BB/9 4.8 K/9 6.9

============ 選手紹介 ============

 ドミニカ共和国でカンザスシティ・ロイヤルズのアカデミーに所属していたが試合に出してもらえず、カープアカデミーに拾われた。2006年にカープに正式入団した。クルーンの161km/hの日本記録更新を目指したほどフォーシームに自信を持っていたが、制球難に加えてクイックが苦手だった。

 カープを退団後は再びロイヤルズとマイナー契約。09年にメジャー昇格すると、翌年22試合に登板。27回2/3を38被安打・8被弾に防御率9.76とメッタ打ちにあったが、なぜか3勝0敗と驚異の勝ち運を誇った。日本では140km/h後半だった球速は、退団後メジャーでは好調時には98~99マイルを計時していた。

21 ショーン・ダグラス
投手 在籍期間:2006~07(ヤク08)
アメリカ合衆国/1979年4月28日生/右投右打
【NPB】26試合11勝8敗0S 防御率3.54 BB/9 2.8 K/9 6.0
(広島) 20試合9勝6敗0S 防御率3.41 BB/9 2.8 K/9 6.5
(ヤク) 6試合2勝2敗0S 防御率3.94 BB/9 3.1 K/9 4.5
【MLB】54試合7勝13敗0S 防御率6.11 BB/9 4.9 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 MLB時代のキャリアハイはデトロイト・タイガース時代の2005年。イチローを7打数無安打に抑え、イチローキラーと呼ばれた。カープは2005年にも獲得を目指していたが断念、2006年にようやく獲得が叶った。

 来日1年目はデビュー戦で打ち込まれたが2戦目以降は好投を続け、勝利投手のリーグトップを争っていた。6月に7勝目を挙げたところで両スネと右ヒジを相次いで痛め、戦列復帰は9月になってしまった。20試合に登板して9勝6敗・防御率3.41と好成績も、2ヶ月にわたる故障離脱は残念だった。翌年は通年の活躍を期待されるもケガで1試合も投げられなかった。

 ジョン・ベイルとはメジャー時代から仲が良く、夫人同士も付き合いがあった。来日が決まると日本のバッターの情報を貰う手助けをしてくれた。また、ダグラス自身は大の車オタクで、MAZDAがカープのオーナーであることを知ると大いに喜んだという。

32 マイク・ロマノ
投手 在籍期間:2005~06
アメリカ合衆国/1972年3月3日生/右投両打
【NPB】58試合10勝13敗1S 防御率5.19 BB/9 4.1 K/9 5.7
【MLB】3試合0勝0敗0S 防御率11.81 BB/9 8.4 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ロジャー・クレメンス激似の投球フォームで1999年にメジャーデビューも、MLB経験はその年の3試合のみ。マイナーやメキシカンリーグで燻っていたところをカープが獲得した。

 プレー面では微妙だったが審判に暴言を吐いて退場→ブラウン監督のベース投げを導いたり、2005年はアメリカの自宅がハリケーンに襲われて途中帰国したりと話題性はあった。カープ退団後は韓国SKワイバーンズでレイボーンと再び同僚に。

◇2005年までに在籍した外国人選手
70 ケニー・レイボーン
投手 在籍期間:2005
アメリカ合衆国/1974年11月22日生/右投右打
【NPB】11試合3勝5敗0S 防御率5.06 BB/9 5.3 K/9 5.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープに入団する前はマイナーリーグで約7年プレー。特に2004・05年は連続で招待選手として春季トレーニングに参加するレベルに達したが、1度もメジャー昇格はならなかった。05年にマイナー行きが決まってしばらくしてカープと契約した。

 カープでは常時145km/h前後、最速で151km/hと安定したスピードボールを武器に、夏場に完封勝利を挙げる。しかし大事な9月の時期に大きくコントロールを乱してチームの足を引っ張った。いい時と悪い時の差が激しすぎて、首脳陣の信頼を得ることができなかった。

 カープ退団の翌年に台湾・La Newベアーズに所属。入団当初は二軍暮らしを強要されたが、クリス・ライト(元西武ライオンズ)が家庭の事情で帰国したため一軍で出るようになり、16勝5敗とエース級に活躍した。2007年には韓国・SKワイバーンズと契約し、アジア3大プロ野球を制覇。

96 エスターリン・フランコ
内野手 在籍期間:2005
ドミニカ共和国/1980年11月25日生/右投右打
【NPB】15試合 打率.229 安打11 本塁打0 OPS.500
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ヒューストン・アストロズの1A-を契約解除された後、カープアカデミーで面倒を見ることになった。2002~03年に練習生として来日。04年は提携先の中国・広東レオパーズに派遣されると、HRと打点の二冠王に打率.374の好成績。カープの二遊間が補強ポイントになっていたことが決め手になり、05年にカープに入団した。

 ウエスタンで苦戦していたが、8月にラロッカの故障離脱のスポット的に1軍に昇格。昇格前の成績は打率2割前半にホームラン無し、明らかに時期尚早だったが、1軍デビューから10試合連続安打をマークしてしまった。ただ、ランナーのいない場面でのヒットばかりで四球も選べず、打率.229・OPS.500。もともと育成ありきで契約したはずだったが、オフに契約解除に。

49 ジョン・ベイル
投手 在籍期間:2004~06,10
アメリカ合衆国/1974年5月22日生/左投左打
【NPB】136試合14勝16敗31S 防御率4.09 BB/9 3.3 K/9 9.9
【MLB】109試合3勝7敗1S 防御率4.66 BB/9 3.9 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 2度カープに所属したサウスポー。来日初年度は先発ローテーションに入って11勝10敗、翌年は奪三振能力を活かすためクローザーに配置転換された。3年目の雨の試合中に足を滑らせ下半身を故障。離脱している間に永川勝浩にクローザーを奪われ、先発として戦列復帰したが契約更新を見送られた。

 1度目の退団後、元日ハムのトレイ・ヒルマン監督のいるカンザスシティ・ロイヤルズにメジャー復帰。そこそこ投げていたが肩の調子が思わしくなく、イライラから滞在先のホテルのドアを殴って骨折した。利き手だった。

 2010年の春のキャンプが始まる頃、ベイルの妻から球団に売り込みがあり、2度目のカープ入団が実現。昔のように高い奪三振能力を期待されたが、4年前より球速が10km/h近く低下し、完全に投球スタイルが変わっていた。シーズン後半になると二軍生活の方が長くなった。

 来日初年度の2004年5月に白星を挙げているが、意外にも広島東洋カープで左腕外国人が勝ち投手になったのはベイルが初だったりする。2006年にはブラウン監督のベース投げTシャツを作成、シャレの分かる人物であった。

98 ホアン・フェリシアーノ
投手 在籍期間:2004~06
ドミニカ共和国/1980年4月6日生/右投右打
【NPB】20試合0勝4敗0S 防御率8.95 BB/9 4.8 K/9 4.9
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ”チェコの再来”という微妙な期待のされ方で来日した元カープアカデミー生。好調時には150km/hを計時するフォーシームとスライダーを軸に、チェンジアップやシンカーも投げられる能力は将来性を感じさせた。2002~03年に練習生として来日し、04年に正式に支配下登録された。

 2004~06年に3年間在籍。1年目から毎年のように先発登板の機会が訪れたが、マウンドに上がるとストライクが入らなくなり、甘い球を痛打されるパターンを繰り返した。06年に勝ち投手になりそうな惜しい試合もあったが、結局3年間で20試合・10先発・0勝4敗・防御率8.95と白星を挙げることができなかった。

 カープを退団後はイスラエルやメキシコでプレー。引退後にカープアカデミーの投手コーチに就任した。

43 グレッグ・ラロッカ
内野手 在籍期間:2004~05(ヤク06,オリ07~10)
アメリカ合衆国/1972年11月10日生/右投右打
期待以上
【NPB】583試合 打率.290 安打600 本塁打123 OPS.901
(広島) 202試合 打率.319 安打224 本塁打58 OPS1.036
(ヤク) 103試合 打率.285 安打108 本塁打18 OPS.836
(オリ) 278試合 打率.272 安打268 本塁打47 OPS.829
【MLB】39試合 打率.261 安打23 本塁打0 OPS.689

============ 選手紹介 ============

 シュールストロム駐米スカウトが初めて連れてきた当たり助っ人。2000年9月に”セプテンバー・コールアップ”によりメジャー初昇格・デビューを果たしたがメジャー定着できず、2004年にカープに入団した。

 中距離ヒッターの内野のユーティリティとして推定年俸2700万円と期待値は低かった。しかしシーズンが始まると嶋重宣と首位打者を狙える打撃を披露。パワー面でも前半戦だけで26本塁打を打った。後半戦に入ると4番に座り、打率.328・40本塁打・101打点をマーク。リーグ最多の23死球を稼いだことで出塁率もリーグNo.1、盗塁でもまさかのチームトップの11盗塁と予想外の活躍を見せた。

 2005年も序盤から4番に座りハイアベレージを維持していたが、守備中に指を骨折。以降、故障が続き80試合出場にとどまった。打率.303・18本塁打と出た試合では結果を残したが、オフにデイビー、レイボーンと共に戦力外通告を受けた。ブラウン監督は稼働率の低い選手を嫌っていたようだ。

58 マーク・ワトソン
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1974年1月23日生/左投右打
【NPB】19試合0勝2敗0S 防御率3.74 BB/9 3.3 K/9 8.3
【MLB】11試合1勝1敗0S 防御率10.95 BB/9 5.1 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ブロックとデイビーの離脱で急遽獲得した左腕投手。球速は常時135~140km/h。速球とスライダーを軸に時折投げるチェンジアップとスプリッターが持ち球だった。コントロールが良く及第点のスタッツを残したが契約延長はなかった。

 アメリカではプロ入り前は、クレムゾン大学と地元のジョージア大学でプレー。在学中にケープコッドリーグ(夏季リーグ)でノーヒッターを達成するも、在学中のドラフト指名順位(8巡目)には納得できずサインしなかった。結局ドラフト外でマイナー球団と契約してプロ入りし、メジャーデビューは果たせたものの定着は全くできなかった。

16 トム・デイビー
投手 在籍期間:2003~05(オリ06~08)
アメリカ合衆国/1973年9月11日生/右投右打
問題児
【NPB】92試合32勝31敗1S 防御率3.15 BB/9 2.9 K/9 5.1
(広島) 42試合14勝12敗1S 防御率3.46 BB/9 3.3 K/9 6.1
(オリ) 50試合18勝19敗0S 防御率2.91 BB/9 2.7 K/9 4.3
【MLB】114試合7勝6敗1S 防御率4.41 BB/9 4.6 K/9 8.1

============ 選手紹介 ============

 身長2m超の大型右腕。マイナーで先発投手だったが、メジャー昇格後は全試合リリーフ登板。来日前はリリーフ専任になっていたが先発要員として獲得し、2003~05年まで在籍した。カープ時代の球速は140km/h前半。フルタイムのムービングファストボーラーでゴロ打たせの技術は名人級であり、広島市民球場との相性は微妙だった。むしろカープ退団後のオリックスの方がチームとマッチしていた。

 カープでは3年間在籍したものの登板数は42試合。右肩痛で何度か離脱して稼働率が悪かった。いつも何かに怒っていて味方のエラーに厳しく、清原とは乱闘シーンを演じた。2006年は先発投手の枚数不足にもかかわらず、ブラウン監督の構想から外れ退団となった。

42 クリス・ブロック
投手 在籍期間:2003~04
アメリカ合衆国/1971年2月5日生/右投右打
【NPB】24試合8勝8敗0S 防御率3.94 BB/9 2.3 K/9 5.5
【MLB】148試合18勝17敗1S 防御率4.81 BB/9 3.7 K/9 6.1

============ 選手紹介 ============

 2003年に来日。単年のボークの日本記録(11個。のちにエステバン・ヤンが更新)を作り、与死球もリーグワーストを記録。いつも怒っていた精神面もマイナス点だったが、24試合投げて防御率3.94と最低限試合を作ってくれた。それ以上に貧打のカープ打線で一番怖いと思えるほどバッティングが得意で、札幌ドームのバックスクリーンに打ち込み、9月のタイガース戦ではトレイ・ムーアとの打てる先発投手対決を制した。打率.318・14安打のうち本塁打2・二塁打6本は完全にスラッガーの数字だった。ただ、翌年はキャンプ中に肩を痛めて1試合も投げられず退団に。

 来日前はそこそこ出番のあるメジャーリーガーで、4球団で計148試合・40先発・18勝17敗の実績を残している。フィラデルフィア・フィリーズにハリー・カラスという地元のベテランアナウンサーがいたが、移動時の飛行機の選手専用席にカラス氏が座っていたことにクレームが入り、一度追い出されそうになったことがあったが、その時にクレームを入れたのがブロックだったと言われている。

4 アンディ・シーツ
内野手 在籍期間:2003~04(阪神05~07)
アメリカ合衆国/1971年11月19日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】682試合 打率.289 安打778 本塁打95 OPS.796
(広島) 270試合 打率.298 安打315 本塁打48 OPS.856
(阪神) 412試合 打率.283 安打463 本塁打47 OPS.758
【MLB】356試合 打率.216 安打207 本塁打19 OPS.592

============ 選手紹介 ============

 カープでの2年間で270試合出場・打率.298・48本塁打・OPS.856をマークした優良助っ人。ショートの守備は広島市民球場と相性が悪かったが、あまり期待されていなかったバッティングで好成績を残した。2年目オフに銭闘と若手ショート育成のチーム方針からカープを退団、タイガースに移籍した。

⇒阪神タイガース(2000年以降)参照

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43 アラン・ニューマン
投手 在籍期間:2003(ヤク01~02)
アメリカ合衆国/1969年10月2日生/左投左打
【NPB】73試合5勝8敗0S 防御率4.38 BB/9 3.2 K/9 6.5
(ヤク) 59試合5勝7敗0S 防御率3.82 BB/9 2.9 K/9 6.5
(広島) 14試合0勝1敗0S 防御率7.77 BB/9 5.3 K/9 6.5
【MLB】19試合2勝2敗0S 防御率7.94 BB/9 5.3 K/9 10.6

============ 選手紹介 ============

 スワローズを2年で退団した後にカープ入りした大柄な左腕投手。相次ぐ故障のせいでカープでは速球は140km/hを割っていたが、左腕不足が課題のチーム事情から獲得に至った。

 カープに在籍した2003年は先発登板が2回。1回目は開幕5試合目に起用されるも与四球を連発してノックアウト。中継ぎに降格すると5月にローテの谷間に2度目の先発のチャンスを得たが、今度は2回までで降板。スワローズ時代よりもひどいピッチングに終わった。

 ⇒ヤクルトスワローズ(2000年以降)参照

49 デービッド・ランドクイスト
投手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1973年6月4日生/右投右打
【NPB】6試合0勝0敗0S 防御率8.22 BB/9 4.7 K/9 3.5
【MLB】37試合1勝2敗0S 防御率7.92 BB/9 4.9 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 「ケン・グリフィーJr.から三振を奪ったことがある」という妙な触れ込みで入団したリリーフ右腕。変化球をたくさん持っていたらしい。

70 ジミー・ハースト
外野手 在籍期間:2003
アメリカ合衆国/1972年3月10日生/右投右打
【NPB】43試合 打率.207 安打23 本塁打5 OPS.677
【MLB】13試合 打率.177 安打3 本塁打1 OPS.675

============ 選手紹介 ============

 「カープのボブ・サップ」と呼ばれ、長打を期待されたスラッガー。メジャーでの実績は乏しいが、米独立リーグで三冠王を獲得しており結構期待値が高かった。

 カープでは127打席中ホームラン5本とパワー自体は本物だったが、危惧していたとおり確実性に欠けた。シーズン中盤の外野守備中にダイビングキャッチに失敗、首を痛めてからは全く戦力にならなかった。

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107 ナタナエル・マテオ
投手 在籍期間:2002
ドミニカ共和国/1981年12月16日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 NPBに育成制度ができる直前に入団した元カープアカデミー生。背番号107番は支配下登録選手では最後の3ケタ番号の選手として名を残した。

 2001年の秋季キャンプで来日し、翌年6月に正式契約。ウエスタンで変化球を磨いていたが一軍には上がれなかった。

70 ラモン・ラミレス
 
(登録名:ラミーレス)
投手 在籍期間:2002
ドミニカ共和国/1981年8月31日生/右投右打
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 9.0
【MLB】424試合23勝21敗9S 防御率3.42 BB/9 3.9 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 2001年の秋季キャンプに練習生として来日。02年に正式入団した元アカデミー生。カープアカデミーの前に16歳でテキサス・レンジャース傘下にショートとして入団したが1年で解雇され、ピッチャーになるべくトレーニングを積んでカープアカデミーに入った。

 カープではわずか2試合の登板だったが、シーズンオフにポスティングシステムでアメリカに渡った。2006年に待望のメジャーデビューを果たすと使い勝手の良いリリーバーとして重宝された。2014年までメジャーの一線級で投げ、通算424試合・434回2/3と一流メジャーリーガーとなった。

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43 リゴ・ベルトラン
投手 在籍期間:2002
メキシコ/1969年11月13日生/左投左打
【NPB】25試合0勝1敗0S 防御率9.15 BB/9 1.8 K/9 9.2
【MLB】78試合2勝3敗1S 防御率4.40 BB/9 3.6 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 出所の見づらいフォームで打ち取るスタイルのメキシコ人左腕。ティフアナ出身だがサンディエゴの高校に通い、ドラフトにかかってプロ入りしている。

 AAでノーヒッターを達成するなどマイナーで結果を残し、メジャーには5年、通算78試合に投げた。カープには2002年に在籍。開幕直後は打ちにくいフォームで抑えていたが、しだいに球威不足から痛打を食らうようになっていった。

 引退後は指導者の道に進み、国際大会のメキシコ代表チームのコーチを歴任。2023年にはメジャー球団(クリーブランド・ガーディアンズ)でブルペンコーチを務めたが1年でクビになっている。

42 ロブ・スタニファー
投手 在籍期間:2002
アメリカ合衆国/1972年3月10日生/右投右打
【NPB】15試合0勝0敗0S 防御率4.74 BB/9 2.8 K/9 7.1
【MLB】82試合3勝6敗2S 防御率5.43 BB/9 3.6 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 サウスカロライナっ子のリリーフ右腕。大学時代にケープコッドリーグ(サマーリーグ)で活躍し、プロ入り後3年で1997年にメジャー昇格。この年のフロリダ・マーリンズは下馬評を覆しワールドチャンピオンに輝き、スタニファーも王者の一員に。翌年もマーリンズのリリーフを務め、2年間で74試合に登板した。

 2002年にカープに入団。ほぼ敗戦処理のシチュエーションで15試合に登板し、19イニングで28本のヒットを浴びた。持ち球がカッターとスライダーというのも微妙だった。

 カープ退団後は帰国してメジャー返り咲きはならず、引退。直近で住んでいたフロリダ州タンパの高校に赴任し、野球部のコーチに就任すると適正があったようでチームは強豪校に変貌し、スタニファーは名コーチとして名が知られるようになっていった。ただ、2018年の大会の試合中にアンパイアを執拗に侮辱し、1年間の活動停止の不祥事を起こしてしまった。

45 エリック・シュールストロム
投手 在籍期間:2001~02(日ハム98~99)
アメリカ合衆国/1969年3月25日生/右投右打
優良助っ人
【NPB】79試合9勝5敗26S 防御率2.67 BB/9 3.5 K/9 9.5
(日ハム) 52試合9勝4敗15S 防御率2.66 BB/9 3.5 K/9 10.8
(広島) 27試合0勝1敗11S 防御率2.70 BB/9 3.4 K/9 6.8
【MLB】46試合0勝0敗1S 防御率6.00 BB/9 4.1 K/9 5.1

============ 選手紹介 ============

 ミネソタ・ツインズで2年投げた元MLBリリーバー。1998~99年に日本ハムファイターズでクローザーを任されていたが肩を故障。治療で1年間フリーエージェントだったが2001年にカープに入団した。

 広島での2年間も故障のオンパレードだった。日ハム時代より球は遅くなっていたが、手薄なリリーフ陣にあってクローザーに抜擢。安定してセーブを稼いでいたが右肩痛を再発させ、カープ初年度は22試合登板に留まった。翌02年は体調不良で開幕ロースターを逃したうえ、左ヒザ痛の手術で前半戦を棒に振る。7月にようやく復帰したが、5試合目の登板時に右肩に激痛が走り、途中降板。これが結果的に彼の現役最後のマウンドとなった。

 2年続けて故障でシーズンを終えたシュールストロムは当然自由契約になったが、同時にカープは駐米スカウトのポストを考えていた。当初はアメリカで現役を続けるつもりだったが、カープの提示を受け入れて現役を引退し、アメリカ中・東部で有力選手を探し始めた。3Aバッファローのマーティ・ブラウン監督とコネクションを持ち、ブラウン監督経由でラロッカを招聘。そこからコルビー・ルイス、バリントン、サファテ、KJといった大当たり助っ人を引き入れていった。

43 ティム・ヤング
投手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1973年10月15日生/左投左打
【NPB】5試合0勝0敗0S 防御率3.00 BB/9 6.0 K/9 0.0
【MLB】18試合0勝0敗0S 防御率6.23 BB/9 4.2 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 シドニー五輪で金メダル獲得のアメリカ代表だった左腕投手。五輪のあった2000年12月にカープと契約を結んだ。元ファイターズのシュールストロムが初っ端からコンディション不良だったため、ヤングにはセットアップマンの役割を期待された。

 オープン戦が始まるまでは高評価だったが、しだいに戦線から外されるようになっていった。ウエスタンでも与四球を多く出し、力量不足な感があった。来日前から足の指の巻き爪に悩まされていたらしいが、日本時代の不調との因果関係は不明。

 アメリカでは古くから五輪代表に選ばれた有望株はMLBで大成するという空気があった。ロイ・オズワルト、ベン・シーツといった主戦投手はエースに成長していった一方、ティム・ヤングのほか元横浜のアーニー・ヤングサンダース、元阪神のキンケードといった選手はメジャー定着はならなかった。

 2004年には台湾・興農ブルズに在籍。「鐵木真」(=チンギス・ハーン)の登録名でプレーした。

42 エリック・ラドウィック
投手 在籍期間:2000~01
ドミニカ共和国/1971年12月14日生/右投右打
【NPB】25試合3勝6敗0S 防御率5.29 BB/9 4.1 K/9 7.5
【MLB】31試合2勝10敗0S 防御率8.35 BB/9 5.3 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 カージナルスでメジャーデビュー後、マーク・マグワイアとのトレード相手になって放出された。弟のライアン・ラドウィックはメジャーで154本塁打を放った大物になったが、エリックは4Aプレイヤーに留まった。

 2000年のシーズン途中に来日し、右の先発投手としてローテ入りを期待されていた。だが、2000年は走塁中に足を痛めたり目にゴミが入ったり何度か緊急交代をし、01年は背筋痛で帰国したまま戻ってこなかった。2年とも防御率5点台に終わった。

70 アンヘル・ブリトー
外野手 在籍期間:2000~01
ドミニカ共和国/1978年4月7日生/右投右打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 1990年代半ばに日ハムにいたバーナード・ブリトーの従兄弟。ドミニカ人スラッガーで経歴に謎が多い。ウエスタンでは中軸を打っていたが、一軍外国人枠に割って入れなかった。

 退団後どこで何をしていたかはっきりしないが、2003年に1年だけデトロイト傘下のシングルAでプレーし、07年にイスラエルのテル・アビブのチームで主砲を担っていたことだけ分かっている。

45 サル・ウルソー
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1972年1月19日生/左投右打
【NPB】29試合0勝0敗1S 防御率8.00 BB/9 8.0 K/9 6.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 「サルバトーレ・ウルソー」の名前で登録されていた左腕リリーバー。アメリカ本土出身でU-18のナショナルチームに選抜された経験があるが、ドラフト36巡目の低評価でプロ入り。最高位は3Aで、何度かメジャー昇格目前まで迫ったがコールアップされることはなかった。特に1996年はマリナーズのルー・ピネラ監督がフロントに開幕ロースター入りを進言したことがあったものの、結局実現しなかった。

 カープでは29試合すべてリリーフ登板で防御率8.00。深刻なコントロール難に陥っていた。

33 ジェフ・ボール
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1969年4月17日生/右投右打
【NPB】3試合 打率.250 安打2 本塁打0 OPS.625
【MLB】2試合 打率.250 安打1 本塁打0 OPS.500

============ 選手紹介 ============

 FAで去った江藤智の穴を埋めるべく背番号33を与えられた主軸候補。だがキャンプやオープン戦で長打力不足を首脳陣から不安視され、シーズンが開幕した頃には既に評価が落ち切っていた。いちおう開幕スタメン出場も3試合を消化後に二軍に落ち、ゴールデンウィーク明け早々に解雇された。

 そもそも本塁打王2度・9年連続2ケタHRを打っていた主砲の穴埋めを年俸3000万円メジャー通算2試合の助っ人で済まそうとする球団の姿勢がね…

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42 クリストファー・カンバーランド
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1973年1月15日生/右投右打
【NPB】1試合0勝1敗0S 防御率81.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 酷かった助っ人外国人でよく名前が挙がる左腕投手。開幕3戦目に先発でNPBデビューするも、打者5人に対しアウト1個しか取れず3失点KO。即二軍に落ちると、1試合で4ボークを犯しウエスタンのワースト記録を作ってしまう。同じ新助っ人のボールともどもGW明けに解雇された。

49 エディ・ディアス
内野手 在籍期間:1999~02
ベネズエラ/1971年9月29日生/右投右打
期待以上
【NPB】430試合 打率.279 安打404 本塁打65 OPS.789
【MLB】16試合 打率.220 安打11 本塁打0 OPS.535

============ 選手紹介 ============

 正田耕三が引退後の二遊間を埋めるためにカープが獲得。守備メインの選手という評価で打撃は期待されておらず、最初の2年間は連続で打率2割半ば・8本塁打だった。しかし2年目のオフにウエイトトレーニングとアレックス・カブレラからのアドバイスでフォーム改造を行うと突然強打者に進化。2001年は打率.304・32本塁打、02年はケガで96試合に留まる中17本塁打・OPS.817をマークした。

 内野守備もセカンドやサードのほかにノムケンの故障時はショートもこなし、期待に違わぬ働きを見せた。最初の2年の打撃成績でクビにならなかったのも守備の貢献度が高かったからであった。

65 エジソン・レイノソ
投手 在籍期間:1999~00
ドミニカ共和国/1975年10月10日生/右投右打
【NPB】10試合0勝2敗0S 防御率11.40 BB/9 9.6 K/9 4.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 カープアカデミーから練習生を経て入団した右投げ先発投手。1年目の1999年はオープン戦でのアピールが実り、開幕カードに先発登板が決定。2戦目の中日戦に先発するも5与四球で2回を投げ切れず。以降は先発で投げさせてもらえず、通算10試合・15.0回・与四球16と最後までコントロールに苦しんだ。カープ退団後はヤンキース傘下でプレーするもマイナー下部を通過できなかった。

43 ネイサン・ミンチー
投手 在籍期間:1998~00(ロッテ01~04)
アメリカ合衆国/1969年8月31日生/右投右打
大活躍 期待以上
【NPB】187試合74勝70敗0S 防御率3.64 BB/9 2.4 K/9 4.7
(広島) 83試合29勝30敗0S 防御率3.52 BB/9 2.4 K/9 4.6
(ロッテ) 104試合45勝40敗0S 防御率3.73 BB/9 2.4 K/9 4.7
【MLB】15試合3勝7敗0S 防御率6.75 BB/9 3.9 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 広島とロッテで合計7年間NPBで活躍したワーカーホリック。中4日で投げることを信条とし、カープでは先発ローテの中心として3年間で83試合・29勝30敗・防御率3.52を残した。

 当時のプロ野球にしては珍しいデータ分析するタイプの選手で、アメリカ時代から打者別の傾向と対策をメモに取っていた。1999年に息子が誕生したが、ちょうど松坂大輔が野球界を席巻した時期だったため”ケイシー・ダイスケ・ミンチー”と名付けた。

 ⇒千葉ロッテマリーンズ(2000年以降)参照

30 玉木重雄
投手 在籍期間:1996~04(楽天05~06)
ブラジル/1971年2月25日生/右投右打
期待以上 日本に帰化 日系人
【NPB】373試合34勝23敗8S 防御率3.87 BB/9 3.5 K/9 6.8
(広島) 351試合32勝23敗8S 防御率3.89 BB/9 3.5 K/9 6.8
(楽天) 22試合2勝0敗0S 防御率3.52 BB/9 5.1 K/9 6.7
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジルのサンパウロ生まれの日系三世。母国のイメージとは違って物静かで大人しい投手だった。1996年にドラフト3位で入団して主にミドルリリーフとして活躍。イニング跨ぎ連発の酷使に耐えつつ達川監督のパワハラキャンプを乗り越え、2004年までに351試合・486イニングを投げた。

33 ルイス・ロペス
内野手 在籍期間:1996~97,00~02(ダイ98)
アメリカ合衆国/1964年9月1日生/右投右打
大活躍
【NPB】709試合 打率.303 安打795 本塁打129 OPS.857
(広島) 575試合 打率.305 安打654 本塁打112 OPS.865
(SB) 134試合 打率.294 安打141 本塁打17 OPS.819
【MLB】41試合 打率.205 安打18 本塁打0 OPS.517

============ 選手紹介 ============

 「3割・25本・100打点を目指す」と掲げて来日。入団会見で大見えを切ると期待外れに終わるパターンは多いが、ロペスに関しては例外だった。初年度に打率.312・25本塁打・109打点といきなり目標を達成。翌年は.320・30本・112打点とさらに成績を上げた。ただ、同年オフの年俸交渉で決裂し、ダイエーホークスに移籍した。

 ホークス退団後にアメリカ独立リーグでプレーしていた時期に、カープでは江藤智がFAで流出。代役に期待したジェフ・ボールが酷すぎたため、カープ再入団が決まった。2000年は途中入団のため打席数が少なかったが、規定打席未満の選手ではNPB最多記録の88打点をマーク。01年はキャリアハイの32本塁打・OPSも.921と好成績を残していた。

 しかし2002年は開幕して間もない4月上旬の試合で、アキレス腱に爆弾を抱える前田智徳を二塁においてシングルヒットを放つも前田がサードベースを回らなかった場面が2度あり、ベンチで前田に掴みかかる事件を起こしてしまう。球団から10日間の謹慎処分を受け、復帰後は背中のケガやモチベーションの低下で別人のような成績に終わり、この年限りで自由契約となった。この事件は後世にも語り継がれる出来事となってしまったが、ロペスは野球に対して非常に真面目な選手だった。来日初年度のオープン戦で初めは全然打てなかったが、山本コーチに自ら教えを乞うて打撃開眼。前田事件の年は開幕前に”打率.350・56本塁打・160打点”を掲げ、本気で達成しようとしていた。そのストイックな姿勢は見習うべきものであり、どうしても日本人である前田に同情が集まってしまう点で気の毒に思う。