東京ヤクルトスワローズ 歴代助っ人外国人①(2000年以降)


MLB名鑑.com NPB助っ人外国人一覧

Tokyo Yakult Swallows
東京ヤクルトスワローズ
セントラル・リーグ

外国人名鑑2000年以降
【2023年までに在籍した外国人選手】
【2020年までに在籍した外国人選手】
【2015年までに在籍した外国人選手】
【2010年までに在籍した外国人選手】
【2005年までに在籍した外国人選手】
◇2023年までに在籍した外国人選手
63 ディロン・ピータース
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1992年8月31日生/左投左打
【NPB】18試合6勝5敗0S 防御率3.22 BB/9 1.9 K/9 5.9
【MLB】59試合13勝12敗0S 防御率5.30 BB/9 3.9 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 投球テンポの良さと執拗な牽制球が光った先発左腕。シーズン終盤に腰を痛めたものの、打者有利な神宮球場を本拠地に18先発・防御率3.22をマーク。先発投手の駒が足りないスワローズには必要な戦力だったが、オフの契約交渉で歩み寄れなかった。

11 ケオーニ・ケラ
投手 在籍期間:2023
アメリカ合衆国/1993年4月16日生/右投右打
問題児
【NPB】1軍出場なし
【MLB】243試合23勝13敗28S 防御率3.33 BB/9 3.4 K/9 11

============ 選手紹介 ============

 アメリカ時代からいわくつきの問題児と警戒されていたパワー系リリーフ右腕。ハワイにルーツを持つ。マイナーにいた頃から全体練習で手を抜いたり、乱闘には積極的に関わったりしていた。一方でルーキーイヤーの2015年に68試合・防御率2.39の好成績を挙げ、通算で243試合登板の確かな実績を残していた。

 スワローズにはマクガフの後継者として期待を背に来日。日本の文化に馴染もうと努力する姿には好感が持てたが、日本の野球には馴染めず。イースタンで15試合・防御率7.71と苦戦し、一軍に上がる前に6月には帰国していた。

99 ライネル・エスピナル
投手 在籍期間:2023
ドミニカ共和国/1991年10月6日生/右投右打
【NPB】3試合0勝0敗0S 防御率5.40 BB/9 9.0 K/9 7.2
【MLB】3試合0勝1敗0S 防御率8.10 BB/9 2.7 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 外国人枠の保険扱いで入団した粗削りなドミニカ人投手。ヤンキース傘下のマイナーでプロのキャリアをスタートし、2019年にメジャー昇格目前まで迫ったがトミー・ジョン手術を受けて戦線離脱。その後、レッドソックスの3Aでチーム最優秀選手に選ばれたことがあったが、結局メジャーでは通算3試合登板に終わった。

 2013年にスワローズに入団。持ち球の1つに曲がりの小さいスライダーを持っていたが、ときにはシュート回転してしまう完成度の低い球だった。見かねた伊藤智仁コーチがキャンプ中に握りを教えたが、エスピナルは現役時代に伊藤コーチがスライダーを投げる動画を見て驚愕していた。

 開幕後は野手ではサンタナとオスナが盤石で、もともとピーターズとサイスニードの投手2枚の保険として入団しており、期待値は高くなかった。イースタンでも微妙な成績で、シーズン中に投球フォームを修正する努力をしたものの一軍での出番も少なかった。

37 スコット・マクガフ
投手 在籍期間:2019~22
アメリカ合衆国/1989年10月31日生/右投右打
期待以上
【NPB】236試合15勝8敗80S 防御率2.94 BB/9 2.8 K/9 9.7
【MLB】69試合2勝7敗9S 防御率5.14 BB/9 4 K/9 10.5

============ 選手紹介 ============

 ドジャースがハンリー・ラミレスを獲得する際、交換相手にネイサン・イバルディと”ほか1人”としてマイアミ・マーリンズに移籍。マーリンズでメジャーデビューを果たしたもののわずか6試合登板に留まり、メジャー返り咲きを目指して日本でのプレーを決意した。

 2019年の来日当初は1年結果を残してメジャーに復帰しようと考えていたが、NPBのレベルが想像以上に高く、日本での生活を家族全員が気に入ったため、最終的に4年もスワローズで投げることになった。

 スワローズでの4シーズンでは防御率2.94。後半の2年で奪三振率が上昇し、最終年の2022年はライマルに次ぐ38セーブ・防御率2.35をマーク。オフに2年625万ドルの契約を勝ち取った。

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63 A.J.コール
投手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1992年1月5日生/右投右打
元有望株
【NPB】34試合2勝0敗0S 防御率2.75 BB/9 3.5 K/9 8.0
【MLB】109試合14勝10敗4S 防御率4.51 BB/9 3.6 K/9 9.1

============ 選手紹介 ============

 ワシントン・ナショナルズで長く有望株扱いされていた元プロスペクト右腕。2011年頃からMLBの各媒体の有望株ランキングに載るようになり、5年もの間ずっと100位以内にランクインされ続けた。

 2015年4月にメジャーデビュー後、毎年先発ローテ入りのチャンスを与えられていたが、2018年途中についに球団から愛想をつかされた。ナショナルズをDFAとなったのを機にリリーバーに転向すると、メジャー4球団目となったブルージェイズでは短期間セットアップマンを任されたが、メジャー定着が叶うことはなかった。

 2022年にヤクルトに入団。初登板こそ打ち込まれたが、元々得意だったスライダーとブルージェイズ時代に習得したカットボールが大きな武器になって、34試合リリーフ登板して防御率2.75と好成績を残した。

 1年目のシーズンを終えて、スワローズ首脳が出した結論はウエーバー公示。契約を延長しなかった理由は「先発でなんらかの形を残してほしかった」から。20世紀ならまだしも、この情報化の時代にコールが先発としてのキャリアを諦めたことぐらい素人でも分かること。スワローズは過去にもこの手のニーズに合わない選手補強を繰り返している。

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50 アンドリュー・スアレス
投手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1992年9月11日生/左投左打
【NPB】6試合0勝0敗0S 防御率6.23 BB/9 2.9 K/9 6.6
【MLB】40試合3勝8敗1S 防御率4.51 BB/9 2.9 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 変化量の大きいスライダーがマネーピッチの先発左腕。サンフランシスコ・ジャイアンツでのルーキーイヤーに通年先発ローテを守り切り、7勝13敗・防御率4.49を記録した。その後チームから放出され、KBOで好成績を残した翌年来日した。

 スワローズでは2021年限りで投手のアルバート・スアレスが退団した直後、また投手のA.スアレスが入ってきたためファンを混乱させた。3年在籍した前任者より活躍することはできなかった。

2 パトリック・キブルハン
 
(登録名:キブレハン)
外野手 在籍期間:2022
アメリカ合衆国/1989年12月22日生/右投右打
【NPB】29試合 打率.241 安打20 本塁打6 OPS.758
【MLB】137試合 打率.208 安打45 本塁打10 OPS.706

============ 選手紹介 ============

 パワーヒッターだが選球眼の悪さが気になるユーティリティ内野手。大学でシニア(4年生)までアメフト専門でプレーしたあと野球部に合流。元西武のブライアン・オグレディとともにチームをけん引した。

 シンシナティ・レッズ時代に1年だけ(2017年)100試合以上に出場。主に代打でアピールしたがメジャー定着は叶わず、スワローズに入団した。

 スワローズではDeNAが相手の時だけよく打ち、打率.400と5本塁打を記録したが、DeNA戦以外では.190・1本塁打。また来日前だったので話題にならなかったが、東京オリンピックのアメリカ代表として出場。3打数3三振に守備ではエラーと散々な結果だった。

70→43 アルバート・スアレス
投手 在籍期間:2019~21
ベネズエラ/1989年10月8日生/右投右打
160km/h
【NPB】40試合10勝8敗1S 防御率3.00 BB/9 3.6 K/9 7.4
【MLB】69試合7勝15敗0S 防御率4.96 BB/9 3.1 K/9 6.9

============ 選手紹介 ============

 ロベルト・スアレスの実兄。スワローズでは来日1年目にケガだらけで4試合しか投げられなかったが残留させてもらえ、3年間在籍した。NPB最終年となった9月に160km/hを計時し、NPB初めて兄弟で160km/h超えをマークした。

 ヤクルト退団後は韓国で2年プレー後、再度アメリカに復帰。マイナー契約から這い上がり、2024年4月に先発で投げて勝利投手に。最後に白星を挙げた2016年から数えて2860日ぶりの勝利はMLB歴代2位の珍記録であるが、1位は元楽天のだった。

70 ケリン・ホセ
 
(登録名:ケリン)
投手 在籍期間:2021
ドミニカ共和国/1995年5月19日生/左投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 トロント・ブルージェイズ傘下のRookie級で5年プレー経験があるリリーフ左腕。毎年イニング数と同じくらいのフォアボールを出す制球難のせいで、1度もシングルA-すら昇格できなかった。

 スワローズには登録期限ギリギリの2021年8月末に契約。だが、来日直前の新型コロナ検査で陽性反応が出てしまい、日本に降り立ったのはイースタンの最終戦が終わった10月22日だった。その後練習でストライクが全く入らず、自由契約となったのが11月5日。2週間しかチームにいなかった。

15 リック・バンデンホーク
 
(登録名:バンデンハーク)
投手 在籍期間:2021(SB15~20)
オランダ/1985年5月22日生/右投右打
元有望株 WBC2009 WBC2017
【NPB】86試合43勝20敗0S 防御率3.78 BB/9 2.8 K/9 9.6
(SB) 84試合43勝19敗0S 防御率3.68 BB/9 2.8 K/9 9.6
(ヤク) 2試合0勝1敗0S 防御率15.43 BB/9 3.9 K/9 7.7
【MLB】50試合8勝11敗0S 防御率6.08 BB/9 4.7 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 SBホークスで大活躍していた元エース右腕。在籍期間は6年に渡ったが、SB退団前年は故障がちになっていた。

 深刻な先発のコマ不足に悩むスワローズが、これまでの実績を高く評価して獲得。だが、やはり年齢にはあらがえず登板機会は先発2試合のみ。2度目の登板にいたっては1アウトも奪えず5失点。シーズン終盤に契約解除された。スワローズに1年だけ在籍していたことを知らないファンは多いはず。

◇2020年までに在籍した外国人選手
25 ガブリエル・イノーア
投手 在籍期間:2020
ドミニカ共和国/1993年5月26日生/右投右打
【NPB】9試合0勝3敗0S 防御率10.13 BB/9 3.8 K/9 5.6
【MLB】55試合4勝13敗0S 防御率5.39 BB/9 2.3 K/9 6

============ 選手紹介 ============

 日本で酷かった助っ人外国人でよく名前が出てくる1人。来日前、お荷物球団と化していたボルティモア・オリオールズでメジャー定着を賭けてプレー。ライバルのデービッド・ヘスと先発ローテーションを争い、2人とも1勝10敗を喫したがイノアだけDFAとされた。

 前年に退団したブキャナンに代わる助っ人先発投手として期待されてスワローズに入団。オープン戦では問題なく投げていたのが開幕後は先発した全試合でノックアウトされた。24イニングで45被安打・8被弾・防御率10.13。MLBでもそこまで打たれていなかったのに。

33 マット・クック
投手 在籍期間:2020
アメリカ合衆国/1990年11月2日生/右打左打
【NPB】7試合0勝3敗0S 防御率7.88 BB/9 1.7 K/9 3.4
【MLB】79試合9勝8敗1S 防御率5.03 BB/9 2.2 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 平均150km/hを投げながらフォアボールが少ない右投げ投手。メジャーデビューした2016年以外はメジャーでボコボコに打たれている。

 Kochと書いて「クック」と発音するのが正しいが、メジャー時代はMLB.jpや他の日本語サイトでは「コッチ」と長らく表記されていた。そのため、かつてメジャー通算163セーブを挙げマネーボールにも出てきたビリー・コッチという有名な投手がおり、親戚か?と思ったが無関係でガッカリした記憶がある。

2 アルシデス・エスコバー
内野手 在籍期間:2020
ベネズエラ/1986年12月16日生/右投右打
大物 元有望株 WBC2017
【NPB】104試合 打率.273 安打103 本塁打1 OPS.641
【MLB】1554試合 打率.258 安打1486 本塁打45 OPS.640

============ 選手紹介 ============

 2015年に世界一に輝いたカンザスシティ・ロイヤルズの中心選手だった元リードオフマン。メジャーで長くショートを務め、ゴールドグラブの受賞経験がある。ケルビム・エスコバーやロナルド・アクーニャJr.ら錚々たるメジャーリーガーを親戚に持つ野球一族の血を引いている。

 問題なのはスワローズの人選。バレンティンの退団でパワーヒッターを必要としていたにも関わらず、メジャーで1度も2桁本塁打を打ったことがない選手(マイナーでもシーズン最高で10本)を連れてきてしまった。久々の大物選手だったため期待は大きかったが、NPBでは打撃では相手投手にプレッシャーを与えられず。守備範囲もメジャー時代より狭くなっていて、サードに回される試合もあった。

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4 ウラジーミル・バレンティン
外野手 在籍期間:2011~19(SB20~21)
キュラソー/1984年7月2日生/右投右打
元有望株 大活躍 期待以上 問題児 WBC2013 WBC2017 WBC2023
【NPB】1104試合 打率.266 安打1001 本塁打301 OPS.917
(ヤク) 1022試合 打率.273 安打959 本塁打288 OPS.936
(SB) 82試合 打率.171 安打42 本塁打13 OPS.629
【MLB】170試合 打率.221 安打113 本塁打15 OPS.655

============ 選手紹介 ============

 長くスワローズ打線の核であり続けたホームランヒッター。オランダ・キュラソー島で生まれ育ち、シアトル・マリナーズの有望株だったがメジャーでは大成できなかった。

 来日初年度からクリーンナップに入り、3年連続でホームラン王を獲得。3年目は60本塁打と長打率.779のプロ野球新記録を樹立し、2011~19年の間に30本塁打以上8度、288本のアーチを架けた。レフトの守備は動きが緩慢でファンをイラつかせたが肩は強かった。

 最終年となった2019年も33本塁打を放ったが、守備走塁や素行面と高額年俸がネックになっていた。シーズン後に2年10億円を積んだソフトバンクに獲られてしまった。

Embed from Getty Imagesマリナーズでトッププロスペクトだったバレンティン

28 デービッド・ブキャナン
投手 在籍期間:2017~19
アメリカ合衆国/1989年5月11日生/右投右打
【NPB】71試合20勝30敗0S 防御率4.07 BB/9 2.9 K/9 5.5
【MLB】35試合8勝17敗0S 防御率5.01 BB/9 2.9 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 フィラデルフィア・フィリーズで2年目のジンクスに嵌り、メジャー定着を逃した先発右腕。フィリーズで長く先発を務めるカイル・ケンドリックというゴロ打たせ系の先輩投手がおり、ケンドリックと身長・体重や持ち球、メジャー昇格間近になるまで注目されていなかったといった特徴が酷似していた。ブキャナンもケンドリックと同じようなローテーション投手になってくれる、と期待が急上昇。デビューイヤーに20先発・6勝8敗・防御率3.75と健闘したが、翌年は2勝9敗・防御率6.99と大きく成績を落とし、さらに翌シーズンは1度もメジャーに上がることなくDFAとされた。

 その後スワローズに入団すると、先発投手のコマ不足に悩む投手陣をイニングイーターとして支え、来日2年目の2018年にはベバリン以来14年ぶりに開幕投手に任命された。2019年は初めて年間100イニングを下回ると、3億円近い高額年俸を嫌われ自由契約となった。巨人にいたマイコラスの美人妻がよく週刊誌のネット記事に取り上げられていたが、ブキャナンの奥さんも相当な美人だった。

Embed from Getty Images多彩な変化球を持っていたが、趣味も多彩だった

45 デービッド・ハフ
投手 在籍期間:2018~19
アメリカ合衆国/1984年8月22日生/左打両打
【NPB】103試合4勝11敗3S 防御率4.50 BB/9 2.7 K/9 7.7
【MLB】120試合25勝30敗0S 防御率5.17 BB/9 3 K/9 5.4

============ 選手紹介 ============

 「デーブ・ハフ」で登録されていた軟投派のサウスポー。全力で投げれば150km/h前半を投げられるが、ストライクゾーンの枠を狙うことを最重要視するピッチングをする。クリーブランド・インディアンスの先発ローテでメジャーデビューし、当初からヒットを打たれながらも粘る投球スタイルを貫いていた。

 ヤクルトでの登板予定日に雨が降る日が多くRain manと呼ばれた。

40 ジョーダン・アルメンゴ
 
(登録名:アルメンゴ)
投手 在籍期間:2018(中日16~17)
ドミニカ共和国/1986年12月8日生/左投左打
問題児
【NPB】40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
(中日) 40試合12勝10敗0S 防御率3.50 BB/9 4.1 K/9 8.0
(ヤク)1軍出場なし
【MLB】78試合4勝3敗1S 防御率4.00 BB/9 5.8 K/9 7.4

============ 選手紹介 ============

 ⇒中日ドラゴンズ(2000年以降)参照

中日を2年で退団後に獲得したサウスポー。移籍を機に育ての母の姓”アルメンゴ”に登録名を変更した。スワローズでは一軍登板する前に故障で帰国し、SNSで問題投稿を連発。一度も上で投げることなく6月に契約解除されるという、球団史では上位に入る問題児っぷりを見せた。

40 ジェイソン・ウルキデス
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1982年9月12日生/右投右打
【NPB】5試合0勝0敗0S 防御率5.06 BB/9 1.7 K/9 6.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アルメンゴが問題行動を連発しておりシーズン途中に慌てて獲得した、メジャー経験のないリリーフ右腕。トニー・バーネットはアリゾナ州立大の1年後輩でよく話を聞いていたため、来日前から日本でのプレーに興味を持っていた。当時フィアンセだった奥さん同席で入団会見を行った。

37 マット・カラシティー
投手 在籍期間:2018
アメリカ合衆国/1991年7月23日生/右投右打
【NPB】32試合7勝3敗3S 防御率4.18 BB/9 4.1 K/9 6.9
【MLB】46試合2勝1敗1S 防御率6.89 BB/9 4.9 K/9 7.8

============ 選手紹介 ============

 マネーピッチのスプリッターのほか球種の引き出しが豊富な元MLB投手。マイナー下部では先発で投げていたがプロ3年ほどでリリーバーに転向。スワローズではイースタンでの再調整後にロングリリーフで好投したため、シーズン後半は先発投手として起用されてそれなりに結果を残した。

 アメリカではプロ入り後はほとんど打席に立っていないが、日本では打率.269・OPS.769、ホームランと三塁打を各1本ずつ記録。DeNAのジョー・ウィーランドと並ぶ打てる外国人投手と認識されていた。

53 ジョシュ・ルーク
 
(登録名:ルーキ)
投手 在籍期間:2016~17
アメリカ合衆国/1984年12月5日生/右投右打
期待以上
【NPB】130試合10勝12敗7S 防御率3.02 BB/9 2.8 K/9 9.3
【MLB】72試合2勝5敗0S 防御率6.16 BB/9 3.4 K/9 7.7

============ 選手紹介 ============

 マリナーズ時代に色々あったリリーフ右腕。メジャー通算72試合。ヤクルトでは2年連続で60試合以上に登板し防御率3点前後に抑え、ブルペンを支えてくれた。

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34 ロス・オーレンドフ
 
(登録名:オーレンドルフ)
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1982年8月8日生/右投右打
【NPB】4試合0勝1敗0S 防御率5.50 BB/9 5.5 K/9 7.5
【MLB】209試合30勝41敗3S 防御率4.82 BB/9 3.4 K/9 6.8

============ 選手紹介 ============

 元ヤンキースの有望株だったが若手間の争いに敗れ、ピッツバーグ・パイレーツに都落ちした秀才右腕。アイビーリーグの1つプリンストン大学では経済学を専攻。歴代メジャーリーガーでも屈指の優秀な人材として知られ、現役時代にはオフシーズンに農務省にインターンシップに参加したことがあった。

 ヤクルトでは途中で右肩の負傷があり、4試合登板と振るわなかった。

Embed from Getty Images今では絶滅種となったロッキングモーションと呼ばれる投球フォームで投げていた

39 カルロス・リベロ
内野手 在籍期間:2017
ベネズエラ/1988年5月20日生/右投右打
【NPB】54試合 打率.215 安打43 本塁打6 OPS.595
【MLB】4試合 打率.571 安打4 本塁打1 OPS1.911

============ 選手紹介 ============

 怪我人が多すぎた2017年途中に急遽獲得したイケメン内野手。パワーと強肩を活かした守備力が魅力だった。神宮球場で吉見一起から放った初ホームランが技ありの一打だったことで期待値が急騰したが、次第に空振りとエラーが増えていった。

 ヤクルト退団後の2018年、故郷ベネズエラの冬季リーグの試合後に高速道路を運転中、事故で同乗していた親友のルイス・バルブエナ、ホゼ・カスティーヨを失ってしまった。ベネズエラでは岩を置いて足止めをさせる隙に強盗を働く手口が流行っていて、路上の岩を避けきれずに起きた事故だった。

61 プレストン・ギルメット
投手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1987年7月27日生/右投右打
【NPB】28試合1勝1敗0S 防御率3.62 BB/9 2.5 K/9 9.4
【MLB】29試合0勝2敗0S 防御率9.00 BB/9 3.3 K/9 7.2

============ 選手紹介 ============

 入団会見でディーン・グリーン、デービッド・ブキャナンと一緒にヤクルトを一気飲みした助っ人右腕。3人の中で最もヤクルトを気に入り、会見した日も3本飲み干すほど。ピッチングは真上から投げ下ろすような怪しいフォームだった。

 スプリッターを武器に日本では良くも悪くもない成績を残し、1年で退団。グリーンとはデトロイトの3A時代から仲が良く、スワローズでもベンチで楽しそうに盛り上がっていた。

40 ディーン・グリーン
内野手 在籍期間:2017
アメリカ合衆国/1989年6月30日生/右投左打
【NPB】25試合 打率.194 安打14 本塁打2 OPS.590
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 タイガース傘下のマイナー時代からの同僚のギルメットと一緒に入団したパワーがウリの一塁手。公表の体重(115kg)より実際はもっと重い130kgあったと本人が白状している。体重が重すぎるため一塁しか守れなかったことがメジャー昇格のネックになった。

34 カイル・デイビーズ
投手 在籍期間:2016
アメリカ合衆国/1983年9月9日生/右投右打
元有望株
【NPB】15試合4勝5敗0S 防御率4.39 BB/9 3.4 K/9 7.0
【MLB】152試合43勝65敗0S 防御率5.57 BB/9 4.3 K/9 6.4

============ 選手紹介 ============

 アトランタ近郊で生まれ育ち、ジョージア工科大学からアトランタ・ブレーブスにドラフト4巡目で入団。ブレーブスでメジャーデビューした生粋のアトランタっ子である。2005年に先発でメジャーデビュー。ローテーション入りのテスト登板のような形で先発4~5番手扱いで投げていたが、2年ほどでカンザスシティ・ロイヤルズへ放出された。メジャーの先発投手の中では球威に乏しいが四死球も多く出す厄介なタイプで、ロイヤルズでも防御率は5点台前後だった。それでもローテ定着がしやすい弱小球団では5年近くメジャーで投げ続けることができた。

 ロイヤルズ5年目の2011年、夏場に右肩を痛めて自暴自棄になり、泥酔状態で逮捕されてしまう。この件を理由にロイヤルズを解雇されてからはマイナー球団を転々とするシーズンが続き、2016年からスワローズで投げることになった。

 日本での初登板は阪神戦で、1番高山俊への初球をスタンドに運ばれ、高山のプロ初球HR&デイビースの初球被弾という珍記録が生まれた。9月上旬までは防御率3点台をキープしていたが、シーズン終盤に立て続けに打たれて4.73に悪化して終わった。

 ちなみに、ブレーブスが自前で育てた2005年メジャーデビュー組の選手たちは当時「ベイビー・ブレーブス」と呼ばれ、地区14連覇を達成する原動力になった。長く正捕手を務めたブライアン・マッキャンをはじめ18人のルーキーがおり、その中にデイビースや元阪神のボイヤーがいた。

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13 ルイス・ペレス2
投手 在籍期間:2016
ドミニカ共和国/1985年1月20日生/左投左打
元有望株
【NPB】19試合2勝2敗0S 防御率8.02 BB/9 6.3 K/9 8.0
【MLB】78試合5勝6敗0S 防御率4.50 BB/9 3.6 K/9 8

============ 選手紹介 ============

 ドミニカン・サマーリーグのブルージェイズ傘下の球団でプロのキャリアを開始。21歳と高齢でのスタートだったが、渡米後は着実にマイナーの階級を昇格。2009年にフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)のworldチームに選ばれると、2011年4月にメジャーデビュー。当初は先発投手でありデビュー戦を6回被安打1・15人を連続で打ち取る快投で勝利投手になったが、この年の途中に先発ローテから脱落するとリリーバーに転向した。

 2012年は開幕をメジャーで迎えるとミドルリリーフとして貴重な働きをしていたが、オールスター前にヒジの靭帯を断裂。翌シーズン中に復活登板を果たしたもののメジャーの座を追われた。

 スワローズには2016年にプレー。オープン戦までは良かったがレギュラーシーズンに入るとボコボコに打ち込まれた。温情で先発でも試してもらったが期待に応えることはできず。

00 河載勲(ハ・ジェフン)
 
(登録名:ジェフン)
外野手 在籍期間:2016
大韓民国/1990年10月29日生/右投右打
【NPB】17試合 打率.225 安打9 本塁打0 OPS.537
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 高校から直接シカゴ・カブス傘下でプレーしていた二刀流韓国人。カブスの2Aや3Aで藤川球児や和田毅とチームメイトだったことがある。2012年のフューチャーズゲーム(マイナーの球宴)に出場しながらメジャー昇格を果たせず、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスでプレーしていた。

 2016年の5月末にヤクルトに外野手として入団するも、実働半シーズンで退団となった。その後は徳島に戻ってから帰国した。渡米してからKBOでプレーするまでに分かっているだけで3回は外野手⇔投手の再コンバートを繰り返している。どっちかに絞っていれば…と思わずにはいられない。

58 ローガン・オンドルサック
 
(登録名:オンドルセク)
投手 在籍期間:2015~16
アメリカ合衆国/1985年2月13日生/右投右打
大活躍 問題児
【NPB】102試合8勝3敗11S 防御率2.17 BB/9 3.0 K/9 8.2
【MLB】288試合21勝11敗2S 防御率4.03 BB/9 3.7 K/9 7.1

============ 選手紹介 ============

 巨人戦に強かったがチームの和を乱して退団した長身右腕。アメリカ時代にメジャーデビューから4年連続で50試合以上にリリーフ登板した実績を持つ。ヤクルト入団1年目はバーネットとロマンの助っ人3人で「ROB」を結成。鉄壁の勝ちパターンはスワローズのリーグ優勝に大きく貢献した。

 しかし、2年目の6月のドラゴンズ戦で、味方選手のマズい守備にブチ切れ、監督や選手たちが抑えられないほどにベンチで大暴れ。チームから無期限の謹慎処分を受けると、処分解除後に家族と一緒に帰国したまま戻ってこなかった。バーネットが退団してから態度が悪くなっていたことを、以前から球団首脳が問題視されていたらしい。

◇2015年までに在籍した外国人選手
64→34 トニー・バーネット
投手 在籍期間:2010~15
アメリカ合衆国/1983/119/右投右打
期待以上 問題児
【NPB】260試合11勝19敗97S 防御率3.58 BB/9 3.2 K/9 9.6
【MLB】127試合11勝4敗2S 防御率3.53 BB/9 2.7 K/9 8.2

============ 選手紹介 ============

 いつもブチ切れていた印象が強いイケメンリリーフ右腕。2012年にセーブ王、15年は無冠ながら防御率1.29・41セーブの好成績を挙げ、メジャー定着に再挑戦していった。

 6年間も在籍したことで、チーム内ではリーダー的な存在となっていたバーネットが2015年にスワローズを退団すると、外国人選手のまとめ役が不在となり、翌年にはオンドルセクの態度が徐々に大きくなっていった。その結果、シーズン途中に起きたブチ切れ事件に繋がってしまった。

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65→49→31 ユウイチ松元
 
(登録名:ユウイチ)
外野手 在籍期間:1999~15
ブラジル/1980年12月18日生/左投左打
日本に帰化 日系人 WBC2013
【NPB】546試合 打率.263 安打240 本塁打11 OPS.652
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジル・サンパウロ出身の日系人外野手。学生時代にはブラジル代表の4番打者を務め、同世代の中心選手として活躍していた。1999年にツギオとともに入団。2004年に日本に帰化し、松元雄一となった。

 入団後はファームで好成績を残していたが、ツギオと同じく外国人枠に阻まれていた。02年にペタジーニの故障離脱で空きができた時に初めて一軍に昇格したものの、スポットでの出場を余儀なくされた。04年のシーズン前に日本国籍を取得したことで制限がなくなり、これ以降出場機会が増えていった。

 守備に難があったことで途中出場や代打での出場が中心だった。最も多くても2008年の80試合、13年の153打席がキャリアハイだったにも関わらず、思いのほか長く現役生活が続いた。2015年まで在籍期間は17年にも及び、引退した翌年からはコーチとして引き続きチームに残っている。

53 オーランド・ロマン
投手 在籍期間:2012~15
プエルトリコ/1978年11月28日生/右投右打
期待以上 WBC2006 WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】133試合18勝22敗6S 防御率3.00 BB/9 3.8 K/9 5.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 スワローズ入団前年に台湾・兄弟エレファンツで最多勝のプエルトリカン投手。メジャー経験が無いので格安の年俸で獲得した。先発で投げていたが2年目の途中からリリーフに回り、4年目の2015年にはセットアップマンや代役クローザーのほかスポットスターターと何でもこなし61試合に登板した。

 スワローズでは4年間在籍して結構抑えてくれていたが、特にセットアップマンで使うと好成績を残していた。初めから役割を固定させていればもっと良かったかもしれない。

119→91 金伏ウーゴ
投手 在籍期間:2012~15(巨人16)
ブラジル/1989年5月22日生/左投左打
日系人 WBC2013
【NPB】2試合0勝0敗0S 防御率27.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
(ヤク) 2試合0勝0敗0S 防御率27.00 BB/9 27.0 K/9 0.0
(巨人)1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

  ブラジルの田舎で生まれ育った日系三世の選手。高校から日本に渡り、佐野日大高校に野球留学するも寮生活に馴染めず、公式戦では一度も登板できなかった。しかし、白鴎大学では主力投手として活躍し、大学史に残る黄金期を築く原動力となった。2011年のドラフトではチームメイトの塚田正義と岡島豪郎と共に、3人同時にプロ入りを果たした。

 ヤクルトには4年間在籍し、一軍では通算2試合に登板。1試合目はルーキーイヤーの2012年に登板したが、1イニング持たずに4与四球で降板。2試合目は2015年に登板し、1回4失点に終わりシーズン後に戦力外となった。その後、1年間だけ巨人でプレーした。

85 ラスティングス・ミレッジ
外野手 在籍期間:2012~15
アメリカ合衆国/1985年4月5日生/右投右打
元有望株 問題児
【NPB】255試合 打率.272 安打262 本塁打39 OPS.795
【MLB】433試合 打率.269 安打404 本塁打33 OPS.723

============ 選手紹介 ============

 学生の頃から野球と素行不良の両方で有名だった元トッププロスペクト。12歳で投手兼三塁手としてリトルリーグのワールドシリーズに出場。高校在学中の16歳のときには国際大会での活躍が認められてBaseball Americaから”最高の16歳”に選ばれ、一気に全国レベルの知名度になった。高校卒業予定の2003年ドラフト予想では全体3位以内で指名されるだろうと評価されていたが、ドラフト前年に不祥事を起こし、退学処分を受けてフロリダ州内の別の高校に転校することに。

 転学先では野球を制限されていたが、ニューヨーク・メッツが1巡目・全体12位で指名。契約金の交渉中に別の不祥事が発覚したが、なんとかメッツ入団に漕ぎ着けた。

 長引いた入団交渉の影響で公式戦デビューが遅れたミレッジだったが、ポテンシャルは確かなもので、マイナーの階級をスピード昇格。2006年のBaseball Americaの有望株ランキングでは全体9位にランクされるほど評価が高まっていった。

 一方で素行不良の方もプロに入ってからも健在で、2006年にメジャーで初ホームランを放った後、外野の守備に就いたミレッジはスタンド越しに観客とハイタッチを繰り返し、ベテラン選手たちの怒りを買った。翌年のシーズン中には幼馴染のラッパーと一緒に”Bend Ya Knees”という曲をリリース。この曲の歌詞には卑猥な言葉や放送禁止用語が満載で、メッツはミレッジの行動を否定する声明を発表する事態に。さすがにチーム内外で放出止む無しの空気になり、同地区で長期低迷中のナショナルズへ放出されてしまった。

 その後はメジャーと3Aを行き来するプレイヤーになってしまったミレッジは、2012年からスワローズでのプレーを選択。1年目に打率.300・21本塁打・OPS.865と好成績をマークし、シーズンオフに新たに3年契約をゲット。しかし13~15年は度重なる長期離脱と外国人枠の絡みで合計130試合しか出られず、OPSも毎年下降していく体たらくだった。

 メジャーでもトラブルメーカーで超有名だったため、来日前は日本のプロ野球で受け止めきれるのか大いに心配されていたが、アンパイアへの暴言以外は大人しくプレーしていた。先輩助っ人のバレンティンと問題児どうしウマが合ったのが良かったのかもしれない。ちなみに背番号は85番を背負っていたが、自身の生まれ年(1985年)にちなんで着け続けている。メッツでは44番を与えられたが気に入っておらず、ナショナルズ在籍中に途中加入してきたアダム・ダンが44番を欲しがっていたためミレッジは喜んで譲り、晴れて85番を着けることになった。

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71 ミッチ・デニング
外野手 在籍期間:2015
オーストラリア/1988年8月17日生/右打左打
WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】64試合 打率.222 安打43 本塁打4 OPS.671
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 独立リーグの新潟アルビレックスBC経由で入団したオーストラリア人の外野手。2015年を新潟で迎えていたが、スワローズではバレンティンとミレッジが揃って故障離脱。セ・リーグ最下位の元凶になっていた打線をテコ入れするために、新潟からシーズン中に強奪した。

 ただ、デニング自身はメジャー経験がなく最高位は1シーズン過ごしただけの2Aというマイナーリーガー。年俸も360万円と激安で、上位打線2人の代役を期待するのは酷だった。

56 クリス・カーペンター
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1985年12月26日生/右投右打
【NPB】32試合1勝2敗3S 防御率4.73 BB/9 6.7 K/9 7.5
【MLB】18試合1勝0敗0S 防御率5.17 BB/9 9.8 K/9 5.7

============ 選手紹介 ============

 2005年にナ・リーグのサイ・ヤング賞を受賞した”クリス・カーペンター”とは別人の巨漢投手。ミドルネームまで一緒の完全な同姓同名なのは珍しい。ヤクルト入団後の沖縄での春季キャンプでは、駐日米兵からサイヤング受賞者の方と間違われてサインを求められたことがあった。なにかと”じゃない方”という扱いを受け続けてきたが、レッドソックスを世界一に押し上げたセオ・エプスタインGMがシカゴ・カブスに移った際、このカーペンターと交換トレードだったという理由で、この人自身も少しだけ知名度はあった。

 だが話題性とは裏腹に、MLBではイニング数を上回るフォアボールを出すコントロール難。「日本ではカーペンターといえば俺だ、と思ってもらえるような活躍ができるよう頑張りたい」と誓ったスワローズでも、9イニング当たり6.7人を歩かせてしまい通用しなかった。

38 クリス・ナーブソン
投手 在籍期間:2014
アメリカ合衆国/1981年12月20日生/左投左打
元有望株
【NPB】24試合4勝11敗0S 防御率4.53 BB/9 3.5 K/9 6.3
【MLB】118試合30勝19敗0S 防御率4.71 BB/9 3.3 K/9 7.5

============ 選手紹介 ============

 変化量の大きなカーブが武器のサウスポー。ミルウォーキー・ブリュワーズの先発ローテーションで投げていた投手で、2010~11年に連続で2桁勝利を挙げているが左肩を故障。ブリュワーズを放出されていたところをスワローズが獲得した。

 スワローズでの2014年にチームで2番目に多いイニングを投げたが、4勝11敗・防御率も4点台とMLBでの実績を考えれば微妙な成績に終わった。

Embed from Getty Imagesサウスポーであることを存分に生かした投球スタイルだった

115→66 ラファエル・フェルナンデス
投手 在籍期間:2009~13
ブラジル/1986年4月23日生/右投右打
WBC2013
【NPB】10試合1勝0敗0S 防御率8.31 BB/9 7.6 K/9 2.8
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 元スワローズアカデミー生であり、白鷗大学でプレー後日本のドラフト指名を受けてNPB入りした日系ブラジル人投手。育成契約での入団だったが支配下登録を勝ち取り、一軍で10試合に登板した。

 スワローズを退団した2014年以降は所属球団が決まらず、2022年まではトレーニングをしながら通訳の仕事で生計を立てながら、日本の独立リーグや社会人野球を転々とした。

 ちなみに、フェルナンデス(Fernandez)はありふれたラストネームに聞こえるが、この人のスペルはFernandes。

17 クリス・ラルー
投手 在籍期間:2013
カナダ/1984年4月14日生/右打左打
問題児 WBC2009 WBC2013 WBC2017
【NPB】5試合0勝2敗0S 防御率9.00 BB/9 4.5 K/9 5.7
【MLB】65試合1勝3敗0S 防御率6.03 BB/9 4.4 K/9 8.3

============ 選手紹介 ============

 WBCに3度も出場しているカナダ代表常連右腕。イケメンかつ198cmの長身に加え、サーフィンやピアノの腕前も一級品だという。引退後の2017年にバチェラーのカナダ版シーズン3に出演。「女性に苦労したことは無かったが、適切な女性に会いたい」ために出演を決意したが、成立した女性とはすぐに破局した。

 2013年途中、スワローズではエース館山の復帰時期が不透明な状況で、代役としてラルーを獲得。館山級の(過剰な)活躍を期待されたが、5度の先発で0勝2敗・防御率9.00・WHIP2.18の惨憺たる結果に。8月のこまちスタジアム(秋田県)でのDeNA戦ではスクール水着姿の壇蜜が始球式を行い、直後に登板したラルーは3回8失点の大炎上。これがNPB最後の試合となり、壇蜜にKOされたと揶揄されてしまった。

 実際には来日時点で右肩の状態がイマイチだったらしい。とはいえ過去に松岡弘や川崎憲次郎といったエースが背負った17番を与えられた投手であり、ガッカリ度は大きなものだった。

12 林昌勇(イム・チャンヨン)
投手 在籍期間:2008~12
大韓民国/1976年6月4日生/右投右打
大活躍 160km/h WBC2009 WBC2017
【NPB】238試合11勝13敗128S 防御率2.09 BB/9 2.6 K/9 8.9
【MLB】6試合0勝0敗0S 防御率5.40 BB/9 12.6 K/9 9

============ 選手紹介 ============

 KBO(韓国プロ野球)で先発投手として結果を積み上げ、日本球界に挑戦。サイドハンドながらツーシームの球速はMAX160km/hに達した。韓国時代の勤続疲労が懸念され、本人も全盛期の球威を保てるか不安などと弱気な発言をしていたが、1年目から大活躍。クローザーに必要な強心臓を兼ね備えていた。

 来日5年目にヒジを痛め、2012年限りで退団。故障が癒えた翌年にメジャーに挑戦し、シカゴ・カブスでメジャーデビューを果たした。その後は韓国に戻ってプレーしたが、違法賭博で出場停止処分を受ける。2020年代に入ると金銭絡みで逮捕され、酒に溺れて廃人のようになったらしい。

117 曲尾マイケ
外野手 在籍期間:2010~12
ブラジル/1991年11月18日生/右投右打
日系人 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジル北東部の街に生まれた日系人外野手。5歳のときに日本で暮らし始めているため、他のブラジル人選手と違ってスワローズアカデミーに所属したことはない。青森山田高校から育成1位でスワローズに入団した。

 池山2世と呼ばれたがポジションは違ううえ、腕力に任せて振り回す打撃スタイル以外に共通点はほとんど無い。ただスピードと強肩は魅力的で、年が違えば支配下でドラフトにかかっていたかもしれない選手だった。

5 アーロン・ガイエル
外野手 在籍期間:2007~11
カナダ/1972年10月5日生/右打左打
優良助っ人 WBC2006
【NPB】441試合 打率.234 安打330 本塁打90 OPS.829
【MLB】307試合 打率.246 安打239 本塁打35 OPS.736

============ 選手紹介 ============

 打撃成績以上に根強い人気を誇った待ち球系パワーヒッター。選球眼が良いわけではないが球をよく見送り、そして自身の身体に呼び寄せた。ほぼフル出場した2007・09年にリーグ最多の死球を食らい、ホームランのタイトル獲得はならなかったものの高出塁率をマークした。1イニングで2度の死球や、始球式でもぶつけられるといったエピソードも死球王に箔を付けた。

 人柄の良さ・意外と強肩という長所もあったが、年々腰痛が悪くなって攻守に支障をきたしていった。年俸9000万円だった2011年は11試合・打率.138に終わり現役を引退。

53 ジョシュ・ホワイトセル
内野手 在籍期間:2010~11(ロッテ12~13)
アメリカ合衆国/1982年4月14日生/左投左打
【NPB】267試合 打率.277 安打228 本塁打40 OPS.861
(ヤク) 180試合 打率.274 安打145 本塁打27 OPS.868
(ロッテ) 87試合 打率.283 安打83 本塁打13 OPS.848
【MLB】53試合 打率.200 安打23 本塁打2 OPS.665

============ 選手紹介 ============

 パワーヒッティングが大きな魅力のユダヤ系アメリカ人選手。学生時代はピッチャーとして全国レベルに名前が知られていたが、大学入学直後に肩を負傷。手術後に球威が戻らなかったため野手転向を余儀なくされた。

 プロ入り後はアリゾナ・Dバックス傘下のマイナーMVPやトリプルAの新人王を獲得。トニー・クラーク(現・選手会専務理事)に一塁手のレギュラー獲りに挑んだが、メジャーに定着することはできなかった。

 スワローズには2年在籍。1年目はシーズン半分の出場ながらリーグ2位の15勝利打点を挙げる貴重な働きも、翌年はシーズン序盤に若手の畠山和洋にレギュラーを奪われた。

◇2010年までに在籍した外国人選手
49 李恵踐(イ・ヘチョン)
投手 在籍期間:2009~10
大韓民国/1979年3月12日生/左投左打
【NPB】61試合1勝2敗1S 防御率4.12 BB/9 3.5 K/9 7.4
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ドラゴンズの森野将彦にぶつけて謝らず、問題になった左腕投手。韓国時代から先発、中継ぎどっちつかずで、スワローズでも同じような成績に終わった。与四球率が高いのが難点だった。

4 ジェイミー・ダントナ
 
(登録名:デントナ)
内野手 在籍期間:2009~10
アメリカ合衆国/1982年5月12日生/右投右打
元有望株
【NPB】217試合 打率.263 安打180 本塁打36 OPS.795
【MLB】18試合 打率.177 安打3 本塁打0 OPS.440

============ 選手紹介 ============

 2008年にマイナー時代にオールスターに選ばれ、ホームラン競争では元オリックスのヘスマンと激戦の末に優勝した経験がある元プロスペクト。メジャー昇格前から将来の主軸候補と期待されていたが、メジャーデビューした08年シーズン終了後にスワローズと契約。もう2~3年メジャー定着を目指しても良かったのではと感じるほど、思い切った決断だった。

 日本では1年目に月間MVP(2009年7月)に選出されたが、打てない時期は全然ダメで、クリーンナップを打たせるには不安定過ぎた。宮本慎也がいたため本職でないファーストを守らざるを得なかった(本職のサードも低評価だったが)ことや、右投手を苦手にしていた点がチーム事情に合っていない選手だった。

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70 エウロヒオ・デラクルス
投手 在籍期間:2010
ドミニカ共和国/1984年3月12日生/右投右打
160km/h
【NPB】9試合0勝0敗0S 防御率7.84 BB/9 0.9 K/9 3.5
【MLB】26試合0勝0敗0S 防御率8.16 BB/9 7.3 K/9 5.6

============ 選手紹介 ============

 メジャーでも日本でも開花しなかった未完の大器。常時150km/h中盤のフォーシームを投げられるパワーピッチは魅力的だったが、ホラー級のノーコンが改善する兆しは無かった。メジャーリーグでは2007年に物議を醸したミゲル・カブレラ&ドントレル・ウィリスの超大型トレードの交換相手6人のうちの1人だった。

 スワローズではビザの発給が遅れて消化不良の1年を過ごした。二十代半ばだった年齢に加え、調整不足でシーズン入りしたことを考慮して契約延長しそうだったが経費削減でご破算に。日本を離れてから10年以上アメリカと中南米でプレーしていたが、2021年の春に心臓発作で死去。

18 リッキー・バレット
投手 在籍期間:2009
アメリカ合衆国/1981年3月9日生/左投左打
【NPB】7試合0勝1敗0S 防御率7.15 BB/9 7.9 K/9 4.0
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ビデオ映像を見て獲得を決めたマイナーリーガー。オープン戦が始まる前から球威と制球力ともに一軍で通用しないと懐疑的な見方が出ていた。レギュラーシーズンでは7試合出場機会を得られたが打ち込まれ、ヒジを痛めてクビになった。

 メジャー経験がないので活躍できなかったのはある意味仕方ないと思うが、獲得プロセスと年俸(5000万円)の設定は大問題の人選だった。

42→78 ディッキー・ゴンザレス
投手 在籍期間:2004~08(巨人09~12,ロッテ13)
プエルトリコ/1978年12月21日生/右投右打
WBC2006
【NPB】143試合45勝41敗0S 防御率3.55 BB/9 1.9 K/9 6.4
(ヤク) 67試合18勝20敗0S 防御率3.86 BB/9 1.7 K/9 6.6
(巨人) 72試合27勝19敗0S 防御率3.19 BB/9 2.0 K/9 6.3
(ロッテ) 4試合0勝2敗0S 防御率8.10 BB/9 1.4 K/9 5.4
【MLB】20試合3勝2敗0S 防御率5.02 BB/9 2.6 K/9 5.2

============ 選手紹介 ============

 球は速くないが与四球の少ない確かなコントロールを持っていた先発右腕。2006年WBCプエルトリコ代表。

 2004年途中からヤクルトに入団。出場機会は多くなく、06年はガトームソンとの交替ローテを組まされた。ガトームソンの方は不満爆発して辞めていったのに対し、ゴンザレスはチーム残留を望んだのが大きく、ブロスやホッジスより在籍期間が長くなる予想外のサバイバル能力を見せた。トミー・ジョン手術を受けることになったのが2年契約を結んだ直後だったのは幸運だった。

 09年から巨人に移籍。最後に2013年にロッテを退団するまで、日本での生活は実に10年近くに上った。

2 アダム・リグス
内野手 在籍期間:2005~08
アメリカ合衆国/1972年10月4日生/右投右打
期待以上
【NPB】316試合 打率.281 安打318 本塁打59 OPS.829
【MLB】61試合 打率.216 安打33 本塁打3 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 アナハイム・エンゼルスでメジャー定着をアピールも叶わず、2005年にスワローズに入団。06年に当時は珍しい強打の2番打者として打線の中核を担い、39本もスタンドに叩き込んだ。

 オフに2年契約を結んだ途端に急に打てなくなり、07年は打撃不振。岩村明憲がメジャー挑戦で抜けた年だったため、リグスの予想外の不振はチームに大打撃を与えた。契約最終年には巻き返すかと思いきや、海の向こうで”ミッチェル・リポート”と呼ばれる禁止薬物の報告書にリグスの名前が書かれていることが判明し、野球に集中できない立場に置かれたのだろう。守備走塁にやる気が見られず、高田監督の逆鱗に触れて夏場にクビになった。スワローズには痛すぎるリグスとの2年契約だった。

69 ショーン・ダグラス
投手 在籍期間:2008(広島06~07)
アメリカ合衆国/1979年4月28日生/右投右打
【NPB】26試合11勝8敗0S 防御率3.54 BB/9 2.8 K/9 6.0
(広島) 20試合9勝6敗0S 防御率3.41 BB/9 2.8 K/9 6.5
(ヤク) 6試合2勝2敗0S 防御率3.94 BB/9 3.1 K/9 4.5
【MLB】54試合7勝13敗0S 防御率6.11 BB/9 4.9 K/9 6.7

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

34 ダニエル・リオス
投手 在籍期間:2008
スペイン/1972年11月11日生/右投右打
問題児
【NPB】11試合2勝7敗0S 防御率5.46 BB/9 3.6 K/9 5.2
【MLB】7試合0勝1敗0S 防御率9.31 BB/9 7.4 K/9 6.5

============ 選手紹介 ============

 スペインのマドリードで生まれ、アメリカで育った先発右腕。キューバ人の両親を持つ。ニューヨーク・ヤンキース傘下に所属、一時期はチーム傘下で9番目の有望株(Baseball America)にランクされたが、メジャーデビュー戦で最初の2人連続でホームランを浴びる大炎上。評価が急落してメジャーの座を追われた。

 2002年からKBO(韓国プロ野球)に移ると先発ローテで活躍。2球団でプレー期間は6シーズンになり、2007年には斗山ベアーズで22勝5敗・防御率2.07の好成績でMVPや最優秀防御率などを獲得した。

 翌年、KBOを卒業したリオスはNPBにキャリアアップを図り、スワローズに入団。2年契約を結んでいたが、2勝7敗・防御率5.46と大誤算だったうえに6月下旬に薬物検査に引っかかった。しかも自らステロイド使用を認めており(大抵の選手は身に覚えがないと否定する)、即刻解雇された。

45 ウィルソン・バルデス
 
(登録名:ウィルソン)
内野手 在籍期間:2008
ドミニカ共和国/1978年5月20日生/右投右打
【NPB】29試合 打率.256 安打20 本塁打1 OPS.633
【MLB】439試合 打率.236 安打270 本塁打6 OPS.594

============ 選手紹介 ============

 北京五輪で不在になりそうな宮本慎也の穴埋め要因だったドミニカン遊撃手。メジャー定着できず2008年に韓国(起亜タイガース)でプレーするも打撃不振で5月に解雇、直後にスワローズが入団交渉に乗り出しすぐに獲得が決まった。韓国時代よりはマシな成績を残したが、この年はガイエルとリグスが揃って長期離脱。最多本塁打が青木宣親14本という惨状だったため、結果論だがもっと打力がほしかった。

 退団後は来日前よりメジャーでの出場機会に恵まれ、フィリーズでは黄昏時のジミー・ロリンズとショートのレギュラーを争った。2011年には延長19回に登板して野手なのに勝利投手に。

3 アレックス・ラミレス
外野手 在籍期間:2001~07(巨人08~11,DeNA12~13)
ベネズエラ/1974年10月3日生/右投右打
大活躍 期待以上 優良助っ人
【NPB】1744試合 打率.301 安打2017 本塁打380 OPS.859
(ヤク) 982試合 打率.301 安打1184 本塁打211 OPS.852
(巨人) 569試合 打率.307 安打666 本塁打148 OPS.907
(DeNA) 193試合 打率.276 安打167 本塁打21 OPS.732
【MLB】135試合 打率.259 安打86 本塁打12 OPS.730

============ 選手紹介 ============

 ラミちゃんの愛称で引退後も広く親しまれている歴代最高レベルの助っ人外野手。来日したのは2001年。外国人としてはペタジーニの影に隠れていたが、安定した打撃成績を継続。ペタジーニ退団直後の2003年に4番を任されると、打率.333・40本・124打点・OPS.988を叩き出しホームランと打点の二冠、ベストナインを獲得する大躍進を見せた。

 2007年まで主軸にふさわしい打撃成績を残し続けた。ヤクルト最終年になった07年は外国人選手と右打者ではいずれも初めてのシーズン200安打をマークする好成績を残しながらもオフに単年契約しか提示されなかったため、スワローズを退団→巨人入りが決まった。来日時は14歳年上の奥さんと一緒だったが、いつの間にか7歳下の日本人に変わっていて驚いた。

Embed from Getty Imagesプロ入りしたクリーブランド・インディアンスではマニー・ラミレスの控えの立ち位置だった

49 アレックス・ラミレスJr.
投手 在籍期間:2005~07
アメリカ合衆国/1983年9月1日生/両投左打
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 アレックス・ラミレスの義理の息子。野球経験が無いのに義父を頼って来日し、コネ入団で3年契約を結んだ。来日最初の春季キャンプ2日目に筋肉痛でダウンしたことを思えば、3年目には130km/hが投げられるまでに成長していたのには感動した。ラミレスSr.の退団と同時に契約終了した。

29 セス・グライシンガー
投手 在籍期間:2007(巨人08~11,ロッテ12~14)
アメリカ合衆国/1975年7月29日生/右投右打
元有望株 大活躍
【NPB】139試合64勝42敗0S 防御率3.16 BB/9 1.5 K/9 6.4
(ヤク) 30試合16勝8敗0S 防御率2.84 BB/9 1.3 K/9 6.8
(巨人) 71試合31勝22敗0S 防御率3.45 BB/9 1.6 K/9 6.3
(ロッテ) 38試合17勝12敗0S 防御率2.93 BB/9 1.5 K/9 6.2
【MLB】42試合10勝16敗0S 防御率5.51 BB/9 3.1 K/9 4.7

============ 選手紹介 ============

 バージニア大学のジュニア(3年生)に上がる前のケープコッド・リーグ(夏季リーグ)で突然ブレイクし、その後のリーグ戦でも好成績を残して一気に全国レベルに名前が売れる。アトランタ五輪の代表に選ばれ、ドラフトでは1巡目(全体6位)指名でプロ入り。1997年にはBaseball Americaの有望株ランキング全体55位の高評価を得たが、1999年にヒジを故障し、丸3年間マウンドから遠ざかった。

 このケガが尾を引き、2004年にミネソタ・ツインズの先発ローテ入りのチャンスを掴んだが、シーズン途中に放出。翌年韓国へ渡って起亜タイガースで1年投げてからスワローズに入団した。

 ヤクルトでは当初ディッキー・ゴンザレスと変則交替ローテを組まされそうになっていたが、相方?がトミー・ジョン手術で出られなくなったため、無事に単独で投げることに。シーズントータル16勝8敗・防御率2.84と文句のつけようのない成績を残してくれた。

 ただ、4000万円だった年俸は当然大幅アップが予想され、渋いヤクルト球団は引き止め資金を出せず。阪神やSBも獲得競争に参戦したらしいが、在京で勝てるチームを希望していたのが決め手となり、巨人に移籍していった。マイナー時代に結婚した奥さんはやり手の女社長。

34 ブライアン・シコースキー
投手 在籍期間:2007(ロッテ01~03,08~09,巨人04~05,西武10~11,13)
アメリカ合衆国/1974年7月27日生/右投右打
【NPB】438試合37勝34敗58S 防御率3.10 BB/9 2.6 K/9 8.9
(ロッテ) 215試合22勝22敗19S 防御率3.33 BB/9 2.4 K/9 8.7
(巨人) 132試合12勝4敗5S 防御率2.99 BB/9 3.0 K/9 10.0
(ヤク) 29試合1勝2敗1S 防御率2.29 BB/9 2.7 K/9 8.7
【MLB】40試合4勝5敗0S 防御率5.40 BB/9 4 K/9 8.8

============ 選手紹介 ============

 ロッテに入団してから巨人に移籍し、楽天入団を翻して1年間メジャーで過ごしたあとスワローズに入って再びロッテで投げ、最後に西武でタイトルを獲得したリリーフ右腕。マウンドに上がった4球団の中では在籍年数が短く、本人もヤクルトでの思い出は残っていないであろう(失礼)。

34 リック・ガトームソン
投手 在籍期間:2005~06(SB07~08)
アメリカ合衆国/1977年1月11日生/右投右打
期待以上
【NPB】81試合27勝29敗0S 防御率3.52 BB/9 2.3 K/9 5.8
(ヤク) 41試合17勝15敗0S 防御率3.33 BB/9 2.3 K/9 6.3
(SB) 40試合10勝14敗0S 防御率3.74 BB/9 2.3 K/9 5.2
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 常時150km/hを計時するファストボールに多くの変化球を操る本格派先発右腕。初年度から先発ローテで安定した成績を残し、2年目には交流戦では初となるノーヒッターを達成。ただ、球団からディッキー・ゴンザレスと一軍登板⇔ファームを行き来させる交替制を組まされ、大いに不満を持っていたとされている。2年目のシーズンオフに2年総額7億円の要求を突きつけて退団、ソフトバンクに移籍した。

⇒福岡ソフトバンクホークス(2000年以降)参照

29 グレッグ・ラロッカ
内野手 在籍期間:2006(広島04~05,オリ07~10)
アメリカ合衆国/1972年11月10日生/右投右打
期待以上
【NPB】583試合 打率.290 安打600 本塁打123 OPS.901
(広島) 202試合 打率.319 安打224 本塁打58 OPS1.036
(ヤク) 103試合 打率.285 安打108 本塁打18 OPS.836
(オリ) 278試合 打率.272 安打268 本塁打47 OPS.829
【MLB】39試合 打率.261 安打23 本塁打0 OPS.689

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

◇2005年までに在籍した外国人選手
63 片山文男
投手 在籍期間:2003~05
ブラジル/1984年8月6日生/右投右打
日本に帰化 日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ブラジルのヤクルトアカデミーから日章学園(宮崎県)に入学。瀬間仲ノルベルトとともに甲子園で活躍した日系ブラジル人投手。高校時代から150km/hを投げれたと評判になっていたが、入団後はケガでマウンドに上がれなかった。

34 ジェイソン・ベバリン
投手 在籍期間:2003~04(横浜06)
アメリカ合衆国/1973年11月27日生/右打左打
【NPB】49試合17勝19敗0S 防御率5.08 BB/9 3.8 K/9 6.7
(ヤク) 41試合17勝15敗0S 防御率4.27 BB/9 3.8 K/9 6.5
(DeNA) 8試合0勝4敗0S 防御率11.13 BB/9 4.2 K/9 8.1
【MLB】7試合0勝3敗0S 防御率8.69 BB/9 4.1 K/9 7.3

============ 選手紹介 ============

 身長196cmから投げ下ろすファストボールと縦割れカーブで結構通用していた先発右腕。2年とも約20試合・100イニング超マウンドに上がり、2004年には月間MVP(6月)を獲得してオールスターにも選出されたが、2年連続で右ヒジ痛でシーズン終了を繰り返した。ケガがなければ何年も2ケタ勝利ができそうな惜しい投手だった。

49 トニー・マウンス
投手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1975年2月8日生/左投左打
【NPB】12試合3勝6敗0S 防御率6.05 BB/9 4.9 K/9 6.7
【MLB】11試合1勝5敗0S 防御率7.11 BB/9 4.4 K/9 5.3

============ 選手紹介 ============

 入団直前の年に11試合MLBで投げたメジャーリーガーだが、ヤクルトでもボコボコに打たれた。速球とカーブしか持っていなかった。

7 ビリー・マーチン
外野手 在籍期間:2004
アメリカ合衆国/1976年6月10日生/右投右打
【NPB】71試合 打率.241 安打39 本塁打6 OPS.776
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 メジャー経験のない打撃がウリの内野手。入団前年の秋季キャンプでテストを受けて入った。スワローズでは空きポジションの都合で外野を守らされた。

 テスト合格で入った選手ながら71試合に出場。低打率のわりにOPS.776と今ではそれなりに評価されそうな打撃成績を残したが、パワー面と40%近い三振率の印象が悪かった。

42 ツギオ佐藤
 
(登録名:ツギオ佐藤→ツギオ)
内野手 在籍期間:1999~03
ブラジル/1980年10月25日生/右投右打
日本に帰化 日系人 WBC2013
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ユウイチと一緒に入団したブラジル国籍の日系人選手。元阪急ブレーブスの佐藤滋孝を叔父に持ち、父親が母国のヤクルトアカデミーの代表を務めている縁でスワローズに入った。

 二軍でバッティングを成長させていくが、ペタジーニやアレックス・ラミレスの2人が鉄板だったため、一軍昇格が絶望的な状況だった。出場機会を得るために日本に帰化したが、申請が通る前に戦力外になってしまった。

 退団後は元上司の野村克也がGM兼監督を務めるシダックスに入社。現役晩年のオレステス・キンデランやアントニオ・パチェコの両レジェンドキューバ人とクリーンナップを組んだ。

58 ケビン・ホッジス
投手 在籍期間:2001~03(楽天05)
アメリカ合衆国/1973年6月24日生/右投右打
期待以上
【NPB】82試合29勝32敗0S 防御率4.63 BB/9 3.7 K/9 4.9
(ヤク) 64試合27勝20敗0S 防御率4.16 BB/9 3.4 K/9 5.1
(楽天) 18試合2勝12敗0S 防御率6.44 BB/9 4.8 K/9 4.0
【MLB】13試合0勝0敗0S 防御率5.19 BB/9 6.2 K/9 3.6

============ 選手紹介 ============

 動く速球で的を絞らせず、6イニングで降板して中4日で投げる… 2000年まで在籍したハッカミーと似たようなピッチングをしていた(利き腕は違うけど)。2002年のスワローズは石井弘寿、五十嵐亮太、高津臣吾のリリーフが鉄壁で、投球スタイルと相性抜群だったホッジスは17勝8敗で最多勝を獲得した。ただ、翌シーズンはテリー・ブロス以来となる助っ人開幕投手に指名されるも成績を落とした。

44 トッド・ベッツ
内野手 在籍期間:2003
カナダ/1973年6月24日生/右打左打
【NPB】112試合 打率.287 安打117 本塁打15 OPS.790
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 5年もの期間を3Aで過ごしながらもメジャーリーガーになれなかったカナダ人内野手。日本では打率.287・15本塁打と悪くない打撃成績を残すも、前任者がペタジーニだったせいで「大砲としては迫力不足」のためクビになった。

 ちなみにアレックス・ラミレスとはクリーブランド・インディアンスとその傘下のマイナーで何年も一緒にプレーしてきた旧知の仲。とある試合後に番記者に「アメリカではラミレスは年上だったのに、日本に来たら年下になっていた」と語ったことがある。

9 ロベルト・ペタジーニ
内野手 在籍期間:1999~02(巨人03~04,SB10)
ベネズエラ/1971年6月2日生/左投左打
大活躍 期待以上
【NPB】837試合 打率.312 安打882 本塁打233 OPS1.051
(ヤク) 539試合 打率.321 安打595 本塁打160 OPS1.091
(巨人) 217試合 打率.305 安打218 本塁打63 OPS1.049
(SB) 81試合 打率.261 安打69 本塁打10 OPS.772
【MLB】242試合 打率.227 安打83 本塁打12 OPS.722

============ 選手紹介 ============

 アメリカでは毎年3Aで打率3割に高いOPSを叩き出していながら、所属チームに不動のファーストがいたためチャンスに恵まれなかった。メッツ時代はジョン・オルルードが、レッズではオールスター選手に成長する22歳のショーン・ケイシーがほぼフル出場していた。1999年にヤクルトに入団する何年も前からNPB球団から獲得の打診があったと言われている。

 入団前年のスワローズは2年目のジンクスに嵌ったホージーや池山隆寛の不振で打線が停滞。4位に終わったチームを再建すべく若松新監督のもと、ホージーとアンソニーを解雇してペタジーニ(とマーク・スミス)を入団させた。どちらかというとスミスの方が経歴は格上だったが、日本ではペタジーニが圧倒。広角に長打を飛ばし、1年目から打率.325・44本塁打・OPS1.146の驚異的な成績を残し、松井秀喜やボビー・ローズを引き離してホームラン王を獲得。2002年までの4年間で打率.321・160本・OPS1.091、2001年にはMVPに輝いたほか毎年のように打撃タイトルとベストナインを争った。ペタジーニがいれば向こう10年助っ人とファーストは心配無しと言われていた。

 だが、そんな皮算用も思ったより早く終わりが来た。01年あたりから何かと腰痛を理由にサボるようになり、段々と我儘がエスカレート。02年に高年俸を理由に契約を見送られた。翌年から巨人に在籍。清原和博とポジションが被るため外野を守らされ、ホームベースを軽々と超える強肩を見せつけた。

 プレー以外では25歳年上のオルガ夫人が有名だった。小学校の友人の母親であり30年近く共に過ごしたが、ペタジーニの浮気で離婚した。

Embed from Getty Images我慢して使えばきっとメジャーでも活躍していたように思う

50→68 ロドリゴ宮本
 
(登録名:リーゴ)
投手→外野手 在籍期間:2000~02
ブラジル/1981年2月16日生/右投右打
日系人
【NPB】1軍出場なし
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 ユウイチやツギオに1年遅れて入団した日系ブラジル人選手。サンパウロ出身。当時は数少ない150km/hを投げられるパワーピッチャーと期待されていた。だが肩のケガで外野手に転向も、1軍に昇格することなく退団した。その後は日本に留まり社会人野球のチームでプレー。

34 アラン・ニューマン
投手 在籍期間:2001~02(広島03)
アメリカ合衆国/1969年10月2日生/左投左打
【NPB】73試合5勝8敗0S 防御率4.38 BB/9 3.2 K/9 6.5
(ヤク) 59試合5勝7敗0S 防御率3.82 BB/9 2.9 K/9 6.5
(広島) 14試合0勝1敗0S 防御率7.77 BB/9 5.3 K/9 6.5
【MLB】19試合2勝2敗0S 防御率7.94 BB/9 5.3 K/9 10.6

============ 選手紹介 ============

 ⇒広島東洋カープ(2000年以降)参照

64 ジョナサン・ハースト
投手 在籍期間:2001
アメリカ合衆国/1966年10月20日生/右投右打
元有望株
【NPB】22試合1勝1敗0S 防御率5.97 BB/9 2.9 K/9 3.4
【MLB】10試合1勝2敗0S 防御率8.20 BB/9 4.1 K/9 3.4

============ 選手紹介 ============

 ニューヨーク生まれだがサウスカロライナ州の高校に通い、ドラフト4巡目でプロ入り。1992年のBaseball Americaの有望株ランキング全体91位にランクされたが、メジャーでは通算10試合登板に留まった。その後はメキシカンリーグとCPBL(台湾プロ野球)に活動の場を移し、2000年に台湾・兄弟エレファンツで16勝10敗・防御率1.82に奪三振王の好成績を残したところで日本にやってきた。

 スワローズでは常時140km/h以上のファストボールのコントロールは良かったが、34回2/3を43被安打と打ち込まれた。1年で退団後はCPBLに戻って再び好成績を残し、台湾人女性と結婚。

20 ジェイソン・ハッカミー
投手 在籍期間:1999~00
アメリカ合衆国/1970年11月24日生/左投左打
【NPB】50試合20勝12敗0S 防御率3.97 BB/9 2.3 K/9 5.6
【MLB】106試合10勝18敗1S 防御率5.34 BB/9 3.4 K/9 4.9

============ 選手紹介 ============

 ”Jacome”と綴ってどうしてハッカミーと読むのかファンを混乱させた先発左腕投手。1994年にメジャーデビュー後、通算100試合以上に登板したが定着ならず。98年に3Aで14勝2敗をマークしながらもメジャーで打ち込まれ、スワローズと契約するに至った。

 来日1年目から先発ローテ入り。ほとんど5~6回までしか投げなかったが年間通じてローテを守り切った。12勝(6敗)の数字はチーム最多だった。

 2年目も数字は前年以上の内容だったが、夏場に利き手の親指を骨折してシーズンエンド。スワローズが同じ左腕のアラン・ニューマンを取ってきてしまったため自由契約になった。

33 ドナルド・レモン
投手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1967年6月2日生/右投右打
【NPB】31試合3勝7敗1S 防御率3.91 BB/9 3.0 K/9 6.6
【MLB】メジャー経験なし

============ 選手紹介 ============

 小説を書くことが趣味だった便利屋タイプの投手。CPBL(台湾プロ野球)で投げていたところを獲得した。スワローズはこれまでレモン以外にもCPBLからよく連れてきているが、日本ではほとんど通用していない。

10 トーリ・ロブロ
内野手 在籍期間:2000
アメリカ合衆国/1965年7月25日生/右投両打
【NPB】29試合 打率.197 安打13 本塁打1 OPS.532
【MLB】303試合 打率.224 安打165 本塁打15 OPS.636

============ 選手紹介 ============

 MLB通算303試合ながら7球団でプレーしたジャーニーマン。二遊間を守れるユーティリティ性を持っていたが、来日時点で35歳。年齢には勝てず、土橋や岩村らの日本人内野手に割って入ることができなかった。

 メジャー時代に主力選手でないにも関わらずリーダーシップを評価されていて、引退後は周囲の評判通り指導者の道へ。2023年にはアリゾナ・Dバックスでナ・リーグ優勝監督へと大出世した。

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