アイアトンさんのようなフィリピン系野球選手を


水原一平氏の突然の解雇により、急遽通訳を任されることになったウィル・アイアトン氏。俄然注目が大きいが、その中でフィリピン代表選手として2013年ワールドベースボールクラシック(※1) に出場していた意外な事実が話題になった。
※予選は2012年に開催されている

MLB名鑑.comでアイアトン氏のようにフィリピンにルーツを持つ現役・元野球選手を紹介していきたい。

2013年WBC予選
小川龍也:ドラフト2位で中日ドラゴンズに入り、その後西武ライオンズでプレーしたサウスポー。母親がフィリピン人。千葉県出身でフィリピンにルーツがあることはあまり知られていなかったため、フィリピン代表選出は日本のファンの間で驚きのニュースだった。

ジョン=ジョン・ロブレス:165cmの小柄な身体からファストボールを投げ込む先発左腕。2007年のアジア選手権で日本相手に先発登板したことがある。2013年、17年のWBC予選に出場。近年は一塁手でフィリピン代表候補に挙げられている。

チャーリー・ラブラドール:2000年代のフィリピンを代表するエース右腕。国際大会では勝ち試合、大量失点した試合問わず幾度となく登板し、国に尽くした。

ジーノ・エスピネリ:純血のフィリピン人初のメジャーリーガー。テキサス州ヒューストンで生まれ、テキサス州内の大学からドラフト14巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツに入団。2008年7月にメジャーデビューを果たし、リリーフで2勝(無敗)を挙げた。翌年以降は3年間トリプルAでプレーを続けたが再びコールアップされることはなかった。退団した翌年、WBC予選ではフィリピン代表のクローザーとして投げた。

ウラジーミル・エギア:2010年代前半~中頃に国際大会で活躍したリリーフ左腕。2013年のWBC予選ではエスピネリの前を投げるセットアップマンのような役を任され、タイ戦ではジョニー・デイモンをゲッツーに仕留めた。2017年のWBC予選はフィリピン系アメリカ人をメインに代表チームを作ったため、出番は1試合だけしかなかった。1988年生まれだがまだ現役で今も代表チームに呼ばれるほど健在。

・デボン・ラミレス:ロサンゼルス近郊出身、大学はソフモア(2年生)までUCLAに通った生粋のカリフォルニアっ子。2013年の予選ではデボン・ブライス・ラミレスの名前で出場した。打撃も得意なため国際大会には外野も兼任しており、WBC予選も投手登録だったが二刀流で出場した。大学はUCLAから2度転学してドラフト指名を目指したが夢叶わず、独立リーグで延べ5年プレーした。

アルフレッド・オリバレス:2014年に独立リーグの信濃グランセローズでプレーしたフィリピン人捕手。2017年のWBC予選に出場した。

クレイ・ラパダ:サイドスローなのかアンダースローなのか微妙なアングルから投げる変則左腕。2007~13年までメジャーでプレー。2012年にはヤンキースでシーズン70試合とフル回転した。父親がフィリピン人。

クリス・アギーラ:ソフトバンクホークスに在籍した元メジャーリーガー。フロリダ・マーリンズの強打の有望株外野手だったがレギュラー争いに敗れて契約解除。2008年に入団したホークスでは外国人枠に恵まれず消化不良のまま退団した。

・J.R.ブンダ:父親がハワイで上院議員を務めるフィリピン系アメリカ人。高校時代に野球とアメフトの両方で活躍する地元ではスター選手だった。大学のサマーリーグで心臓発作に見舞われたことがあったが、無事に復帰して卒業後は独立リーグでプレーした。2017年WBC予選ではラパダやギャリソンらを差し置いて先発1番手に指名された。

・ケビン・バンス:最高位トリプルAまで昇格した元マイナーリーガー。2017年のWBC予選でフィリピン代表に召集され、ニュージーランド戦でリリーフ登板したがボコボコにされ敗色濃厚に。一緒にフィリピン代表に選ばれた兄マットはハーバード大学でキャプテンを務め、卒業後はヨーロッパのプロ野球リーグを渡り歩いた。

・テイラー・ギャリソン:1990年生まれ。ヤンキースに7巡目指名で入団、トリプルAまで到達したリリーフピッチャー。マイナーではクローザー候補として育成されていた。双子の弟もヤンキース傘下の元マイナーリーガー。


【それ以外のフィリピン由来の選手たち】
ティム・リンスカム:サンフランシスコ・ジャイアンツ在籍時に2度サイ・ヤング賞を獲得した大物投手。小柄な体格からダイナミックなフォームで人気を博したが、同時に足腰への負担は大きく全盛期は短めだった。

・アディソン・ラッセル:シカゴ・カブスでショートを守っていた元メジャーリーガー。マイナー時代に超有望株として期待され、メジャー昇格後はショートに定着。当時有望株だったハビエア・バイエズがしばらくユーティリティ扱いを受けたのはラッセルが優先的に起用されたせいだった。
2017年にDV疑惑が浮上してバイエズと立場が逆転。19年オフにノンテンダーとなって翌年から韓国に渡った。

ボビー・シナード:第二次世界大戦後では唯一のフィリピン生まれのメジャーリーガー。1999年のシーズンオフに、妻の頭に拳銃を突き付けて逮捕されたことで知られている。懲役刑と社会奉仕活動後にロッキーズでプレーしているが、今ならメジャー復帰はアウトだろう。

・クラウディオ・マネラ:戦前のニグロリーグでプレーしたフィリピン生まれの選手。今世紀に入ってニグロリーグも大リーグの一部に認定され、遡ってマネラがフィリピン生まれのメジャーリーガー第1号になった。

・ファーハン・ザイディ:サンフランシスコ・ジャイアンツの野球部門の全権を握る編成本部長。書籍”マネーボール”に感銘を受けてビリー・ビーン元GMの下で働き、ドジャースの要職を経てジャイアンツに引き抜かれた。
カナダで生まれ、4歳の時にマニラに移住し現地のインターナショナルに通ったパキスタン系アメリカ人という複雑なルーツを持つ。信仰はイスラム教。少年時代から自分はカナダ人であると認識していて、トロント・ブルージェイズの選手たちを応援していた。

・ホリ・ホリバタ(ホリバタ ツヨシ):フィリピンで生まれ、学生時代をアメリカで過ごした日系フィリピン人。高校時代は有望投手として州の代表に選出され、ディビジョンⅠ所属のニューヨーク州立ビンガムトン大学で4年間公式戦に出場した。卒業後は選手の道には進まず、フィリピンに戻り政治家になった。

・ティム・ティーボウ 言わずと知れたアメフトの元スター選手。カレッジフットボールのMVPにあたるハイズマン賞を初めてソフモア(2年生)で受賞したことで絶大な人気を誇ったが、NFLでは活躍できなかった。2016年に唐突にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、本気でメジャーリーグを目指した。トリプルAでも77試合に出場したが昇格時点で31歳だったこともあり、惜しくもメジャー昇格は果たせなかった。

キリスト教徒の両親がフィリピンで布教活動をしていたときにティムが生まれた。2020年にWBC代表に選ばれるも新型コロナの影響で延期。その後はフィリピン自体が予選対象国から外れ、ティーボウの代表デビューは幻となった。

(書き途中。)